[12301] 宗教団体に権力はない。 h23.3.22
宗教は昔の民主主義である。昔の人は自分が信じる神に従う気持ちになって“いい子”にしていたのである。いわば、神が法律のようなものだったのである。神は国民共通の心を具現化した者だから法律のようなものである。宗教の聖典はおとぎ話で書いた法律である。
法律も神も国民共通の心を具現化したものである。だから、法律も神も国民に従わねばならない。したがって、法律を扱う国会も神を扱う宗教団体も国民に従わねばならないから民主主義団体である。
民主主義団体には権力はない。民主主義団体は国民に従わねばならず国民と平等だから権力(命令力)はない。宗教団体は民主主義団体である。だから、宗教団体に権力はない。つまり、宗教団体が国民に一方的・強制的に命令することはできない。民間の宗教団体にも国家宗教団体にも権力はない。
一方、暴力団には権力がある。暴力団は国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせるので権力がある。だから、宗教団体は暴力団と組んだ時だけ権力がある。つまり、宗教団体は暴力団と組んだ時だけ一方的・強制的に国民に命令できる。しかし、今の社会では暴力が使えないから暴力団に権力はない。だから、今では宗教団体はいくら暴力団と組んでも権力がないのである。
国会も宗教団体と同じ民主主義団体である。だから、国会も宗教団体と同様である。つまり、国会にも権力はない。
私は、宗教は法律よりも厳しいと思う。人間は自由を求めるものである。だから、人類は宗教をやめて法律にしたのだ。もっとも、個人的には自由に宗教をやってもいいと思う。ただし、ここでの宗教とは、暴力団が定義した「神の情報を入れさえすれば何をやってもいい」ことではなく、国民が定義した『法律を犯さないかぎりで個人的に神に従う』ことである。
[12302] 社会科の教科書に嘘[うそ]を書くな! h23.3.23
私が自分が政府に国家宗教の神とされていることに気付いてから『暴力団が政府の付属機関である』ことがわかるまでに約6年の歳月を費やした。
そんなに時間がかかったのは、政府が社会科の教科書やテレビや新聞などを使って「暴力団と政府は関係がない」と国民みんなに思わせているからである。
私も政府の嘘[うそ]に引っ掛かって長い時間を浪費しなければならなかった。
最初から社会科の教科書に『暴力団が政府の付属機関である』とはっきりと書いてあれば、私は自分で時間をかけて考える必要がなかった。私はわざわざ仕事をするのをやめて親からお金をもらって考える必要がなかった。私が約3年半前に仕事をやめてからこれまでに親から約500万円も送ってもらったことになる。
社会科の教科書に嘘を書かせたのは政府が悪い。だから、政府が責任をとらねばならない。
社会科の教科書にまちがいを書いた教科書の著者も悪い。そんなふざけた真似[まね]をしてそれでも学者といえるのだろうか!?
[12303] 政府を潰[つぶ]すのは簡単である。 h23.3.23
『政府は暴力団を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。
ところが、今の社会は文明的になって人が知的になって暴力が使えなくなっている。
だから、今の政府は国民に無理やり命令を聞かせられなくなっている。
つまり、今の国民は政府の命令を聞かなくていい。』
これを読んだだけでも政府は潰れる。
新機関を作るのはお金が要って大変だが、古い機関(政府のこと)を潰すのはお金が要らず簡単である。
[12304] どうして政府は戦争の命令を出すのか? h23.3.23
政府は民主主義団体のふりをしている暴力団体である。だから、政府は民主主義的な命令から暴力団体的な命令までさまざまな命令を国民に出す。
暴力団の生き甲斐[がい]は人殺しである。暴力団は生まれつき残酷[ざんこく]な性格の人間の集団だからである。
だから、政府はときどき国民を殺す命令つまり戦争の命令を出すのである。ただし、戦争ができるためには2カ国以上の政府が協力しなければならない。この前の世界大戦は、世界中の政府が協力してやった人殺しゲームだったのである。今の政府が信者に国家宗教で命令して人殺しをさせるように、昔の政府は国民全員に民主主義や国家宗教で命令して戦争をさせたのである。[人殺しや戦争の命令は政府が暴力団で得た権力を使って国民に一方的に出した命令であって、本当は国家宗教や民主主義による命令ではない。政府はニセモノの国家宗教や民主主義で信者や国民に人殺しや戦争をさせているのである。]
政府がたまにいい命令を出すからといって政府の命令に従っているとそのうち政府に殺されることになる。だから、国民は政府の命令に従わないほうがいい。幸い、今の社会では暴力が使えなくなって今の政府には権力がないから、国民は政府の命令に従わなくてもいい。今後、社会で再び暴力が使えるようになって政府に権力が戻らなければいいのだが。
[12305] 暴力団について h23.3.23
暴力団は染色体の異常によって生まれつき残酷[ざんこく]な感情が発達した者である。
昔の人は暴力団があまりにも残酷すぎるので、暴力団を“人間よりも上の者”だと思った。
そのため、昔の人は暴力団に従っていたのである。それで、昔の暴力団には権力があったのである。国家宗教や民主主義は、暴力団が国民へのサービスのために遊びでやっていたのである。
しかし、今では生物学が進歩して、暴力団が“染色体の異常によって生まれつき残酷な心だけが発達した心が病気の者”であることがわかったので、今の人は暴力団を人間よりも上の者と見なさなくなった。[[12295]参照。]
そのため、今の国民は暴力団に従わなくなったのである。それで、今の暴力団には権力がないのである。
昔は文明が遅れてみんなが馬鹿だったので力(というか残酷さ)が物を言ったので暴力団が優[すぐ]れた人間に見えた。それで、昔の国民は暴力団に従っていたのである。しかし、今は文明が進んでみんなが利口になったので頭が物を言うようになったので暴力団が劣った人間に見えるようになった。それで今の国民は暴力団に従わなくなったのである。
[12306] 国民は政府の法律を守らなくてもかまわない。 h23.3.23
政府は暴力団を使って国民を脅して国民に無理やり命令を聞かせる暴力団体である。一方、政府は日本神道や国会など民主主義の政治機関もやっている。つまり、政府は民主主義団体のふりをした暴力団体である。政府においては暴力団が上であり、日本神道(国家宗教団体)や国会は下である。暴力団には権力があるが、日本神道や国会には権力がないので、暴力団が日本神道や国会よりも上なのである。政府のトップは暴力団の人である。政府の中では心が残酷な者ほど地位が高いのである。
政府の法律は政府の国民に対する命令である。政府は国民に民主主義的な命令から暴力団的な命令までさまざまな命令を出す。だから、政府の法律には国民を喜ばせるものから国民を嫌がらせるものまでさまざまな法律があるのである。
しかし、今の社会では暴力が使えず政府は国民に命令できない。
だから、国民は政府の法律を守らなくていいのである。
国民は‘政府が決めた法律’ではなく“国民が決めた法律”を守って暮らせばいいのである。
[12307] 「チョウジャ」「ハスイケ」と「ゴリラ」「ジャッケン」 h23.3.23
私が私立高知学芸中学高等学校の学生だった頃、同じクラスの男子がときどき授業中に奇声を上げて授業を妨害していた。
中学校では西川[にしかわ]君と浦山[うらやま]君が「チョウジャ」「ハスイケ」と言い合っていた。当時の私は二人が互いの家が田舎[いなか]にあることをけなし合っているものと思っていたが(高知には長者[ちょうじゃ]や蓮池[はすいけ]という地名がある。)、じつはチョウジャとは長者すなわち国民から税金を取って金まわりのいい政府のことであり、ハスイケとは斜[はす]に行けつまり落ちぶれることであり、「チョウジャ」「ハスイケ」とは「政府が弱くなっている」ことを表している。
高等学校では小原[おはら]君と倉田[くらた]君が「ゴリラ」「ジャッケン」と言い合っていた。当時の私は二人が互いの悪口を言い合っているものと思っていたが(倉田君は顔がゴリラに似ていたし、小原君はソフトボールの試合をしていた時に、小原君が外野から投げたボールがキャッチャーに届かなかったせいで試合に負けたので弱肩[じゃっけん](肩の力が弱い)と思われていた。)、じつはゴリラとは性格が残酷なだけで頭が悪い暴力団つまり政府のことであり、ジャッケンとは権力が弱いことであり、つまり「ゴリラ」「ジャッケン」とは「政府が権力が弱い」ことを表している。
つまり、私が中学高校生の頃(今から約30年前)からすでに政府は権力が弱くなっていたのである。だから、今ではもっと弱くなっているだろう。だから、今の政府には権力がないと考えていいのである。
[12308] カタツムリの歌 h23.3.23
カタツムリの殻[から]は白くて丸いから神武天皇の光るトンビのことであり、つまり日本神道のことである。
カタツムリの殻の中に入っているカタツムリは暴力団のことである。
「でんでんむしむしカタツムリ」とは、政府が国家宗教団体のふりをして暴力団であることを隠していることをからかっているのである。
「角[つの]出せ槍[やり]出せ目玉出せ」とは、カタツムリの正体が暴力団であることを歌う者に教えてやっているのである。[[2344]の絵を参照。私は以前は神官だと思ったがじつは暴力団だったのである。]
[12309] 『桃太郎』 h23.3.23
おとぎ話の『桃太郎』に出て来る鬼とは、政府のことである。
政府は国民から税金を取っているので鬼である。政府は暴力団だから鬼である。
鬼が島とは政府の官公庁のことである。
だから、桃太郎とは、政府を倒してくれる人のことである。桃とかきび団子とかイヌ・サル・キジとかはどうでもいいことである。
昔から日本国民にとって政府は敵であり、日本国民は政府を倒してくれる人が現れることを夢見ていたのである。
[12310] 政府と新機関の違い h23.3.24
政府は民主主義団体のふりをしている暴力団体である。だから、政府は民主主義的な命令から暴力団的な命令までさまざまな命令を出す。つまり、政府は国民を喜ばせる命令から国民を嫌がらせる命令までいろんな命令を出す。
一方、新機関は純粋な民主主義団体である。だから、新機関は民主主義的な命令しか出さない。新機関は国民を喜ばせる命令しか出さない。
政府は暴力団だから権力(命令力)がある。だから、政府の命令には国民は絶対服従しなければならない。
一方、新機関は暴力団ではないから権力(命令力)がない。新機関は民主主義的な法律を決めるだけである。国民は新機関が定めた民主主義的な法律に従わねばならないだけである。例えば、税金の法律は民主主義的な法律ではない。だから、新機関は税金の法律を定めることができない。新機関は必ず国民と契約して収入を得なければならない。
政府は暴力団であり、暴力団は人殺しの喜びしかない変態だから、政府があるかぎり政府は国民を殺しまくる。政府があるかぎり国民は政府に不幸にされる。
一方、新機関は暴力団ではなく、新機関は国民を喜ばせる喜びしかない。新機関は国民を喜ばせることしかしない。新機関があるかぎり国民は新機関に幸福にされる。
今の社会は文明的になって暴力が使えない。だから、政府は滅びるしかない。今後は政府に代[か]わって新機関が国を治めることになる。
今の国民がイメージしている政治機関は政府ではなく新機関のほうである。だから、今の国民は政府ではなく新機関を支持すべきである。
[12311] 『浦島太郎』 h23.3.24
浦島太郎は、日本政府のことである。
浦島太郎が助けた亀とは、ローマ人のことである。ローマ人は海外から来たから亀に喩[たと]えられたのである。政府は海岸で国民に虐[いじ]められているローマ人を助けて、そのお礼にローマ人から国の支配のしかたを教わって、それを実行して日本を支配したのである。
浦島太郎が竜宮城に行ったとは、日本政府が大きくなって都を作ったことである。
浦島太郎が見たタイやヒラメの舞い踊りとは、日本政府が中国の法律を真似[まね]て大宝律令などの法律を作ったことである。法律を記した紙がタイやヒラメなどの平たい魚に喩えられている。
浦島太郎が竜宮城でもらった玉手箱とは暴力団のことである。浦島太郎が玉手箱を開けてはいけなかったのは、政府が暴力団であることを国民に知られてはいけなかったということである。
浦島太郎がもといた村に帰って見ると見知らぬ人ばかりになっていたのは、政府が毎日同じことをしているうちに世の中が進歩してすっかり世の中の様子が変わってしまったことである。
浦島太郎が玉手箱を開けたために死んだのは、政府が幕府に代[か]わられたことである。政府は自分が暴力団であることを隠していたが、徳川幕府は自分が暴力団であることを国民に示したので、徳川幕府が玉手箱を開けたのである。
[12312] 曖昧法[あいまいほう] h23.3.24
政府が完全な暴力団だったら、国民は政府をすぐに倒そうとする。
政府が暴力団と民主主義団体が混ざっているために、国民は政府を倒そうとしないのである。
いわば、政府にとって民主主義団体は国民の攻撃をかわすための盾[たて]なのである。
政府が暴力団と民主主義団体が混ざっているために、政府は国民を嫌がらせる命令から国民を喜ばせる命令までさまざまな命令を出す。国民は政府によって悲しまされたり喜ばされたりいろんな目に合わされる。暴力団には権力があり民主主義団体には権力がないから、政府においては暴力団のほうが民主主義団体よりも上だから[[12306]の図を参照]、政府はどちらかと言うと国民を嫌がらせる命令を出す。
政府の本質は暴力団である。だから、国民は政府を倒さねばならない。
[12313] 世界大戦 h23.3.24
世界大戦は植民地戦争ではなく、たんなる国と国のケンカである。
世界大戦は世界中の国の政府が協力してやった国民を殺す遊びである。
政府は暴力団であり、暴力団は人殺しの喜びしかない連中だから、政府は国民を殺すのである。
日本では戦後しばらく景気がよかった。日本は明治時代からアジアの国ではいち早く近代化を進めて日本がアジアの先進国となって日本の製品がアジア諸国に高く売れていたからである。それが、植民地政策である。私が中学高校生の頃(今から約30年前)は日本はGNPが世界第一位だった。その頃[ころ]が日本帝国だったのである。だから、世界大戦は植民地政策とは関係なかったのである。しかし、今ではアジア諸国も近代化が進んで日本と大差なくなって日本の製品が売れなくなって日本は儲[もう]からなくなっている。日本の植民地時代はほんの一時[いっとき]にすぎなかったのだ。
[12314] 国民は政府に従わないほうがいい。 h23.3.24
政府は暴力団である。
暴力団は馬鹿である。暴力団は残酷[ざんこく]な馬鹿である。つまり、暴力団は染色体の異常によって生まれつき心が狂っている知覚障害者である。生きる価値のない出来損[できそこ]ないのガラクタである。
国民が政府に従うと、政府の馬鹿がうつる。
だから、国民は政府に従わないほうがいい。
[12315] どうして幕府が倒れたのか? h23.3.24
幕府は鎖国政策だった。
だから、日本が幕府に支配されていると、日本が世界から取り残されて日本がどんどん遅れてしまう。
一方、政府は開国政策だった。
日本国民は日本の近代化を進めるために、幕府を倒して政府に代[か]えたのである。
日本国民が幕府を倒して政府にしたのは、日本の近代化のためだけである。暴力団や国家宗教や麻薬などは、国民にとってはぜんぶ余計なことである。
しかし、今では世界中の国が近代化されてしまって、日本は近代化にこだわらなくてもよくなった。
だから、今の日本国民は政府を推[お]さなくなったのである。政府を支持しなくなったのである。
要するに、国民にとっては政治機関が鎖国政策を採[と]らなければいいだけのことである。新機関は鎖国政策を採らないから問題はない。
[12316] 世界の構造 h23.3.24
この世界は、暴力団が上で国民が下である(下図参照)。暴力団は暴力を使って国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせることができるからである。
しかし、そもそも暴力団が暴力を使えたのは、国民みんな(つまり、暴力団と国民の両方)が暴力を使っていたからである。暴力団は国民よりも暴力の才能に長[た]けていたので、暴力団が国民を支配していたのである。
しかし、最近は社会が文明的になって人が知的になって国民みんなが暴力を使わなくなった。だから、暴力団も暴力を使わなくなった。だから、暴力団が国民に命令を聞かせることができなくなった。
したがって、今ではもはや暴力団が上で国民が下ではない。暴力団は消滅したのだ。
[12317] 暴力団は国民を守ってくれるか? h23.3.24
暴力団は国民を守らない。暴力団は国民を殺すだけである。暴力団には人を守りたい気持ちはなく人を殺したい気持ちしかないからである。だから、暴力団が国民を守ってくれるわけがない。
「暴力団が国民を守ってくれる」という妄想はヤクザ映画の影響だろう。映画スターのヤクザはかっこいいから国民を守ってくれるかもしれないが、本物のヤクザはそうではない。[私はヤクザ映画を見たことがないから、よく知らない。]映画は文学で架空の世界だから、実在しない“正義の暴力団”が存在するのだ。
「暴力団が国民を守る」というのは、ヤクザが国民からみかじめ料を取るときの言い訳[いいわけ]であって、本当は守ってはくれないのだ。
暴力団は普通の人間と心が違う。暴力団にとってはお金なんかよりも、国民を殺すほうがずっと楽しいのだ。だから、国民がいくら暴力団にお金をやっても、暴力団は国民を殺すのをやめないのだ。
[12318] 政府は国民から税金が取れない。 h23.3.24
政府は暴力団と国家宗教団体や国会などの民主主義団体から成る。
暴力団は、今の社会では暴力が使えないから、国民から税金を取れない。
民主主義団体は国民と平等だから国民から無契約で税金を取れない。
だから、政府は国民から税金を取れない。
つまり、今の社会では国民が政府に税金を払わないのが正しい。政府に税金を払っている国民のほうがまちがっているのだ。
[12319] ヨーロッパ方式の政治のしかた h23.3.25
政府は『暴力団と民主主義団体(国家宗教や国会)と麻薬』で国を治める団体である。
暴力団だけでは弱いが、暴力団と民主主義団体と麻薬をいっしょに束ねると強いのである。暴力団だけでは国民全員を支配することはできなかったが、民主主義団体と麻薬で国民の機嫌[きげん]を取りながらやると国民全員を支配することができたのである。
実際に、そうやって日本政府はこれまで長い間日本を支配して来たのである。『暴力団と民主主義団体と麻薬』で国を治めるのはローマ方式(ヨーロッパ方式)の政治のしかたであり、日本政府は古代にローマ人から教わったこの方法で日本を支配したのである。[麻薬を大量に使うのが古代から中世にかけてのローマ方式で、麻薬をあまり使わないのが近代以降のヨーロッパ方式である。一方、『暴力団と身分制と鎖国』で国を治めるのはインド方式の政治のしかたであり、江戸幕府は江戸時代にインド人から教わったこの方法で日本を支配していたのである。]
しかし、今の社会は文明的になって、政府が暴力を使えなくなっているし、国民は麻薬をやらなくなっている。
だから、政府はこれまでの国を支配する方法が使えなくなっている。
つまり、今の政府は国を支配できなくなっている。
今の時代には、今の時代に合った政治機関が必要である。
今の社会は暴力や麻薬を使う政府ではなく、民主主義だけを使う新機関が治めねばならない。
今は日本に政治機関がない状態である。早く新機関を作らねばならない。
[12320] 幕府について h23.3.25
政府では民主主義団体と暴力団が分かれている。表と裏の違いがはなはだしい。だから、暴力団が裏で悪いことをするのだ。暴力団が密[ひそ]かに国民を殺したり嫌がらせたりするのだ。
幕府ではその点が改良されている。
幕府では民主主義団体と暴力団が一体化している。武士が刀を差しているのがその証拠である。表と裏の違いがない。だから、暴力団=民主主義団体はそれほど悪いことをしない。
幕府では悪いところがよく目立つがそれが幕府の長所なのである。
政府では国会や日本神道よりも暴力団が上であり暴力団のボスが一番偉いが、幕府では将軍が一番偉かったのである。
政府では善(民主主義団体)と悪(暴力団)が分かれているのでそれだけ悪が純粋であり悪による被害が大きい(例、戦争)。幕府では善と悪が分かれていないので、たとえ悪くても被害が小さいのだ。[もちろん、政府も善と悪の中間的なこともする。]
[12321] 暴力の時代は終わった。 h23.3.25
昔の社会では人々がまだ野蛮[やばん]だったので暴力を使ってもよかった。そのため、暴力が強い暴力団(政府や幕府など)が暴力の弱い国民を支配していた。暴力団は人を殺す喜びや人を嫌がらせる喜びしかない精神異常者であり、国民は暴力団によってさんざんひどい目にあわされてきた。日本は精神異常者が治める国だったのである。
しかし、今の社会では人々が文明的になったので暴力を使ってはいけなくなった。そのため、暴力が強い暴力団が暴力を使えなくなって暴力の弱い国民を支配できなくなったのだ。つまり、今の社会では国民は政府に従わなくてもいいのである。国民は早く政府を倒して明るい社会を作らねばならない。
昔は暴力の時代だったから暴力団が国民よりも上であり暴力団が国民を支配していた。しかし、今は知力の時代だから国民が暴力団よりも上であり国民が暴力団を支配するようになった。国民にとってはもはや恐れるものは何もない。
[12322] 暴力団は民主主義を悪用している。 h23.3.25
国家宗教も国会も民主主義である。つまり、国家宗教も国会も国民が喜ぶことをすることである。国家宗教の神も国会の法律も国民共通の心を具現化したものであり、国家宗教は国民みんなが神に従うことによって、国会は国民みんなが法律に従うことによって、国民みんなが幸福に生きていけるようにする。
しかし、暴力団は人を殺す喜びや人を嫌がらせる喜びしかない精神異常者の集団である。
政府は暴力団と民主主義団体が組んだ団体である。政府では暴力団が民主主義団体よりも上であり、暴力団が民主主義団体を操[あやつ]っている。
だから、政府では暴力団が民主主義を悪用している。つまり、暴力団は国家宗教のやり方を変えて、国民が神の情報を入れたことを何でもしなければならないことにして、暴力団が国民に神の情報が入った命令を出して国民に悪事をさせている。例えば、テレビや新聞に出ている事件のほとんどは政府が国民に国家宗教の命令を出して起こしたものである。[国家宗教の命令は国家宗教の神の情報をテキトウに入れて作ればよく、作り方に規則はない。国家宗教の命令は、国家宗教の神の情報が1つ以上入っていればいいだけである。]また、暴力団は国会のやり方を変えて、国民が嫌がることに民主主義っぽい理由をつけて、政府が国会で国民にとって嫌な法律を決めさせて国民に嫌なことをさせている。例えば、政府が国民のために仕事をしなければならないからといって国民みんなから税金を取ったり、外国を占領すれば日本が豊かになるからといって国民に戦争をさせたりする。
暴力団は本来国民を喜ばせるためにある民主主義を国民を嫌がらせるために悪用している。暴力団のせいで民主主義が台無[だいな]しにされている。
政府は民主主義の団体ではなく暴力主義の団体である。政府は国民を嫌がらせるだけで喜ばせることはない。たとえ喜ばせることがあったとしてもめったにない。暴力団は原則的には国民を喜ばせることはやらない。暴力団の命令は宝くじのように当たることはめったにないのだ。
国民は早く政府を倒して、民主主義を暴力団の手から取り戻さなければならない。国民のために本当の民主主義で政治をする機関を建てねばならない。
[12323] 地方暴力団員と国家暴力団員 h23.3.26
いわゆる暴力団(例、山口組)は地方暴力団である。
それに対し、東京の政府本部の中にある暴力団が国家暴力団である。
公務員に地方公務員と国家公務員があるように、暴力団員にも地方暴力団員と国家暴力団員があるのである。
政府の中では、暴力団が国会よりも上である。
国会の首相も暴力団の操[あやつ]り人形にすぎないのだ。
[12324] どうして国民は政府に従うのか? h23.3.26
政府は暴力団である。つまり、政府は暴力で国民を脅[おど]して国民を無理やり命令に従わせる団体である。
だから、国民が政府に従うのは国民が政府に従うと国民が政府にいい目にあわせてもらえるからではなく、国民が政府に従わないと国民が政府に暴力で痛い目にあわされるからである。国民は政府に暴力で痛い目にあわされるのが嫌なので、しかたなく政府に従っていたのである。
ところが、今の社会は文明的になって暴力が使えなくなっている。【21世紀の社会の法則】
だから、政府は国民を暴力で脅せなくなっている。
だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。
[12325] どうして文明社会では暴力が使えないのか? h23.3.26
最近の社会は文明的になって暴力が使えなくなっている。
それは、文明社会では産業構造が肉体労働から頭脳労働に変化するからである。
暴力は肉体労働なので、みんなが暴力を使わなくなったのである。
農業が肉体労働なので、みんなが農業をやらなくなったのと同じである。[しかし、国内産の作物はおいしい(身体にいい)ので、農業をあまり減らさないで欲しい。海外産の作物は形だけで食えたもんじゃない(身体に悪い)。]
暴力団は肉体労働なので、暴力団が減ったのである。
暴力団が政府の権力の源[みなもと]なので、政府の権力が減ったのである。
今の政府には権力がないと見なしてもいい。
だから、今では国民は政府に従わなくてもいいのである。
[12326] 国民の宗教と政府の宗教 h23.3.26
宗教には、国民の宗教と政府の宗教の2種類がある。国民の宗教が本来の宗教であり、政府の宗教は政府が国民の宗教を歪[ゆが]めて作ったものである。[[12267]を参照。]例えば、キリスト教にも、国民のキリスト教と政府のキリスト教の2種類がある。国民のキリスト教は国民がキリストの教えに従うことであり、政府のキリスト教は政府が国民にキリストの情報を入れた命令を出すことである。
国民の宗教は国民のためにある。国民の宗教は国民共通の心を具現化した神に国民みんなが従うことによって国民が幸福に暮らすことである。
一方、政府の宗教は政府のためにある。政府は人を殺す喜びや人を嫌がらせる喜びしかない精神異常者である。政府の宗教は国民が神の情報を入れたことを何でもやらねばならないことであり、政府は自分の権力に物を言わせて自分で神を決めて国民に神の情報を入れた命令を出して善良な国民に無理やり悪事をやらせて面白がっているのである。
しかし、今の社会では暴力が使えないから、政府に権力はない。政府は国民に国家宗教の命令を出すことができない。
だから、政府の宗教は年々なくなって、国民の宗教だけになりつつある。
国会にも、国民の国会と政府の国会の2種類がある。[[12322]を参照。]国会も宗教と同様である。つまり、政府の国会も年々なくなって、国民の国会だけになりつつある。
[12327] ノーベル賞[[6922]を参照。] h23.3.26
アインシュタインの相対性理論にはノーベル賞が与えられなかったが、光電効果の研究にはノーベル賞が与えられた。
それは、光電効果では光が玉だと考えられていて、キリストの頭の周[まわ]りには光の玉があるからである。
つまり、ノーベル賞は政治的な理由で与えられるものであって、科学的な理由で与えられるものではないのである。
政府は国家宗教をやっている。だから、政治的な理由とは国家宗教的な理由のことであり、神の情報が入った研究に対してノーベル賞が与えられるのである。
だから、いくら研究が科学的に優れていても、研究に神の情報が入っていなければノーベル賞はもらえないのである。反対に、いくら研究が科学的に劣っていても、研究に神の情報が入っていさえすれば、ノーベル賞がもらえるのである。
だから、ノーベル賞で研究の価値を評価することはできない。ノーベル賞は研究の価値を決めるものではない。ノーベル賞は政府が駄洒落[だじゃれ]でやっているくだらない遊びにすぎないのである。
[12328] 戦争はまた起こる。 h23.3.27
このまま国民が政府に従っていると、そのうちまた政府は国民に戦争の命令を出して戦争が起こる。
政府は暴力団である。暴力団は人を殺す喜びや人を嫌がらせる喜びしかない精神異常者である。
暴力団から人を殺す喜びや人を嫌がらせる喜びがなくなることは永遠にない。
だから、国民が政府に従うかぎり戦争はなくならない。政府はまずいろんな事件を起して国民が戦争をしなければならない理由作りをしてから国民に戦争をやらせる。だから、政府が戦争をさせる気になれば、いつでも戦争が起こる。
だから、戦争をなくすためには、国民が政府に従うのをやめねばならない。
幸い、今の社会では暴力が使えなくなって、政府に権力がなくなって政府が弱くなっている。
だから、今度戦争が起こる前に、国民は政府を倒さねばならない。
精神異常者に国民を支配させておくから、国民が戦争で殺されたり国家宗教の事件で殺されたりする。
だから、精神異常者に国民を支配させることをやめさせねばならない。
そのためには、国民が政府に従うのをやめねばならない。国民が政府に従うのをこの辺[へん]で思い切ってやめねばならない。
精神異常者が牛耳[ぎゅうじ]っている会社(政府のこと)を国民が支持しても国が善[よ]くなるわけがない。だから、国民は政府を支持するのをやめねばならない。
[12329] 宗教団体は暴力団である。 h23.3.27
政府の国家宗教による事件を見てもわかるように、宗教を使っても国民に対する攻撃ができる。例えば、神武天皇教の信者に爆弾を持たせて自爆させれば立派[りっぱ]な暴力になる。爆弾は“光る玉”で神武天皇の光るトンビの喩[たと]えだから、神武天皇教によれば信者に爆弾を使わせることができるのである。
だから、宗教団体も暴力団である。宗教団体は死にたがっている信者に宗教的な理由で爆弾を持たせて国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。宗教団体は死にたがっている信者を使って国民を脅す陰気臭[いんきくさ]い暴力団である。つまり、宗教団体とは、死にたがっている信者を使って他[ほか]のみんなが儲[もう]ける会である。あるいは、宗教団体が暴力団員を神にすれば、信者が暴力を使うことができる。これでは暴力団と同じである。政府は暴力団だが、宗教団体もまた暴力団なのである。宗教団体が法律がある時代にわざわざ宗教をやっているのはそういうわけなのである。
しかし、今の社会は文明的になって暴力が使えなくなっている。当然、信者に爆弾を持たせて攻撃するのも暴力だからいけないことになっている。そんな宗教団体はもちろん有罪である。
それに、宗教団体は“政府の宗教”[[12326]参照]を使って国民を脅している。ところが、最近は政府の権力がなくなって政府の宗教が滅びつつあるから、宗教団体が政府の宗教を使えなくなっている。だから、宗教団体が国民を脅せなくなっている。
人生にはたくさん問題がある。宗教団体による人間爆弾の攻撃までも心配すると切りがない。国民は宗教団体の命令を聞かずに死んでもともとだと思って堂々[どうどう]と生きていくべきである。
[12330] 正義に権力はない。 h23.3.28
いくら話す者が一生懸命[いっしょうけんめい]に正しい議論をしても、聞く者がそっぽを向いていればそれまでである。聞く者は話す者に従わなくてもいい。
それが実社会というものだ。自分の頭がいいからといって他人を支配できるものではない。
だから、正義には権力(命令力)はない。
権力があるのは『暴力』だけである。殴[なぐ]る者の拳[こぶし]が届く範囲内にいれば、誰でも殴られるからである。
この世では権力を得る手段は暴力しかない。
しかし、今の社会は文明的になってみんなが知的になってみんなが暴力を使わなくなって、暴力をふる者が暴力をふりづらくなった。昔はみんなが暴力を使っていたから暴力をふりやすかったが、今はみんなが暴力を使わなくなったから暴力を使いづらくなったのだ。みんながやらないことを自分ひとりでやれるわけがない。
だから、今ではもう暴力は権力を得る手段ではなくなったのだ。今では権力を得る手段がないのだ。だから、今の時代にはもはや権力団体は存在しないのだ。
[12331] 未来の暴力 h23.3.28
暴力の本質は『痛みを与える』ことである。
だから、未来の暴力は、大脳の中にある痛覚中枢を電気的に刺激して痛みを与えるようになるかもしれない。生まれたばかりの赤ん坊全員の脳にラジコンのチップを入れて、外から電波を送ると本人が痛みを感じるようにできるかもしれない。そうなれば、国中の国民は政府の思うがままである。
しかも、政府は人殺しの喜びや人を嫌がらせる喜びしかない精神異常者である。
未来の世界はいったいどんなになるだろうか?
[12332] 日本神道は暴力団である。 h23.3.28
神武天皇は東征の時に剣を使っていたから、日本神道では信者に刃物を使わせることができる。
つまり、日本神道は暴力団である。
昔は暴力が使えたから、日本政府は暴力団の組員と同じように日本神道の信者を使って国民を脅[おど]していた。
しかし、今では暴力が使えなくなったから、日本政府は日本神道の信者が使えなくなり、日本政府はヤケクソになって日本神道の信者に周[まわ]りの人間を道連れにして自殺させるようになったのだ。つまり、今の暴力が使えない社会では日本神道の信者は用済みなのである。それで日本政府はどうしようもない信者を殺して遊んでいるのだ。
[12333] 宗教団体は暴力団である。 h23.3.28
宗教団体は“暴力を使う信者”を使って国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。宗教団体にはもともと“暴力を使う信者”(つまり暴力団員)がいるのである。例えば、仏教も昔は“僧兵”を使って近所の住民を脅してお金を奪っていた。釈迦[しゃか]は暴力を使わなかったから、“暴力を使う信者”は宗教とは関係なく暴力を使ったのである。つまり、“暴力を使う信者”は最初からただの暴力団員だったのである。[暴力は、口先で脅すことから蹴[け]る殴[なぐ]るから殺しまでいろんな度合いがある。もちろん、全部暴力である。]
宗教団体はそのようにして国民から無理やりお金を取ったり国民に嫌な命令を出したりするのである。
宗教団体は政府と同じである。政府は“暴力団と民主主義団体(国家宗教団体や国会)と麻薬”で国を治めるが、宗教団体は‘暴力団と宗教’で国を治めるのである。宗教団体はシンプルになった政府である。宗教団体は国会のない政府である。つまり、宗教団体とは宗教をやっている暴力団である。宗教団体は宗教を隠れ蓑[かくれみの]にしている暴力団である。政府は民主主義を前面に出していて、宗教団体は宗教を前面に出しているが、政府も宗教団体も本質は同じ『暴力団』なのである。
しかし、今の社会では暴力が使えないから政府は国民に命令することができない。同じように宗教団体も国民に命令することができない。政府は寂[さび]れている。宗教団体も寂れている。今の政府がシケているように、今の宗教団体もシケまくっている。政府も宗教団体も同じ運命なのである。
[12334] 文明の進歩☆ h23.3.28
中世末に人類は文明が遅れるという理由で麻薬をやめた。
『文明の進歩』は人類にとって最[もっと]も重要な課題なのである。
人類は何がなんでも文明を進ませなければならないのである。
文明の進歩にはなんびとたりとも逆[さか]らえないのだ。
文明が進歩すると暴力が使えなくなる。
暴力が使えなくなると政府や宗教団体が滅ぶ。
だから、政府や宗教団体はいやがうえにも滅ばねばならないのだ。
政府や宗教団体が生き残ろうとするのがそもそも無理なのである。
人類がかつて麻薬を捨てたように、人類は今度は政府や宗教団体を捨てようとしているのだ。
今後暴力団体が生き残るとしても、細々[ほそぼそ]と生き残るしかないだろう。
暴力を使って私を殺すことはたやすいが、歴史の流れを変えることはできない。社会から暴力がなくなるのを止[と]めることはできない。
[12335] 暴力のない社会では政府は生きられない。 h23.3.29
政府は暴力団である。つまり、政府は暴力を使って国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせる会社である。
政府は国民から税金を取った上に、国民を嫌がらせる命令を出す。
政府の仕事は国民から税金を取ることと、国民に嫌がらせの命令を出すことだけである。
しかし、今の社会では暴力が使えなくなった。
だから、政府は国民から税金を取れないし、国民に嫌がらせの命令を出せなくなった。
つまり、国民は政府に税金を払わなくていいし、政府の命令を聞かなくていい。
政府は暴力で国民よりも上だっただけで、今では上でもなんでもない。
今の社会では政府は何もできない。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。
宗教団体も暴力団である。つまり、宗教団体も暴力を使って国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせる会社である。宗教団体も国民から税金を取って、国民に宗教などで嫌がらせの命令を出す。しかし、今では暴力は使えない。だから、宗教団体ももはや国民よりも上ではない。宗教団体も何もできずに潰れるしかない。
[12336] 民間宗教団体について h23.3.29
民間宗教団体は宗教をやっている暴力団である。民間宗教団体は国会のない小さな政府である。民間宗教団体は近所の住民を暴力で脅[おど]して近所の住民からお金を取ったり、近所の住民を無理やり民間宗教に入らせて近所の住民に民間宗教の神の情報を入れた命令を出して嫌がらせをしたりしているのである。たまにはいいこともしているかもしれないが。
民間宗教団体は政府から独立した暴力団である。つまり、民間宗教団体は民間の暴力団である。暴力団だけでは体裁[ていさい]が悪いので宗教をやって汚い物に蓋[ふた]をしているのである。
暴力団は政府の機関だが、民間宗教団体は政府の機関ではない。
政府も民間宗教団体も暴力団である。政府は国家暴力団であり、民間宗教団体は地域暴力団である。
しかし、今の社会では暴力が使えなくなっているから、政府も民間宗教団体も羽振[はぶ]りが悪い。今では政府も民間宗教団体も羽振りが悪いから、国民は政府や民間宗教団体に入らないほうがいい。つまり、国民は政府の公務員になったり民間宗教団体の信者になったりしないほうがいい。
(これ以降h23.4.1追記分)昔の民間宗教団体は暴力で近所の住民を脅[おど]してお金を取って信者に分け前を配っていた。昔の国民は自分がお金を貰[もら]うために宗教に入っていたが、今の国民はお金が貰えないのに宗教に入っている。今の国民は自分がすることが何もなくて暇[ひま]だから宗教に入っているだけである。今の国民は“本物の宗教”がわかっていないのだ。
今の社会では暴力が使えなくなっている。だから、政府も民間宗教団体も国民を脅[おど]してお金が取れなくなっている。だから、国民はもはやこれ以上政府や民間宗教団体にお金をやらなくていい。今でも政府や民間宗教団体にお金をやっている人がいたら、今すぐやめたほうがいい。
[12337] 暴力は使えるか使えないか? h23.3.29
政府は暴力を使って国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる会社である。
だから、政府にとっては暴力が使えるほうが有利である。
反対に、国民にとっては暴力が使えないほうが有利である。
最近、『暴力団対策法』が出来て暴力が使えないことになった。政府がいくら暴力団を置いても無駄[むだ]である。
政府と国民の戦いは国民が勝利したのだ。
政府は国民に倒されたのである。
納得の行かない人は、自分で暴力が使えるか使えないか実験してみればいいだろう。自分が暴力を使って警察に捕[つか]まらなければ暴力が使えるのであり、警察に捕まれば暴力が使えないのである。
[12338] どうすれば国は儲[もう]かるか? h23.3.29
国の軍事力が強ければ戦争には勝てるがそれだけである。
国が儲かるためには、やはり商売するしかない。つまり、国の製品を外国に売って儲けるしかない。
そのためには、国が外国よりも文明が進んでいて外国よりもよい製品を作らねばならない。
つまり、国が先進国であれば儲かるのだ。
しかし、今の世界ではどこの国も文明がだいたい同じになって特に先進国はない。
だから、今の世界では特に儲かる国はないのである。
[12339] なぜ近世の日本では幕府が国を治めていたか? h23.3.29
古代から中世にかけては、ヨーロッパが世界の先進国だった。
だから、当時の日本はヨーロッパの政治の仕方を見習って日本政府が国を治めていた。
しかし、中世末にはヨーロッパが暗黒時代になって落ちぶれていた。近世においてはインドが世界の先進国だった。
だから、当時の日本はインドの政治の仕方を見習って幕府が国を治めていた。
その後、近代になってヨーロッパが勢いを取り戻して再び世界の先進国となったので、日本はヨーロッパを見習って再び日本政府が日本を治めることになった。
しかし、現代においてはもはやヨーロッパは特に世界の先進国ではなくなった。だから、日本はヨーロッパを見習わなくていい。今後は、日本は自分で考えて自分をいい国にして行くべきである。
[12340] 文化大革命とは何か? h23.3.29
中国政府による社会主義を理由にした国民に対する嫌がらせである。
政府は暴力で国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。
国民にとっては資本主義よりも社会主義のほうが嫌なので、中国政府は国民を嫌がらせるために社会主義国家を作ろうとしたのである。資本主義では個人の財産は個人のものだが、社会主義では個人の財産が政府のものになるからである。
しかし、最近はどこの国でも暴力が使えなくなって、政府に力がなくなっている。だから、中国政府による文化大革命も結局は失敗して、中国はもとの資本主義に戻ったのだ。
[12341] 国家宗教 h23.3.29
国家宗教は、高校の倫理社会[りんりしゃかい]の教科書に載[の]っている宗教のように、日本政府が“国家宗教の神”の思想に日本国民を従わせることではない。もちろん、“国家宗教の神”が国民に命令を出すことでもない。
国家宗教とは、日本政府が神を決めて、日本政府が日本国民全員を無理やり“政府が決めた神”の信者にして、日本政府が“政府が決めた神”の情報を入れた命令を国民に出すことである。例えば、神武天皇教なら“光る玉”を、川野教なら私に関する情報を入れた命令を国民に出すことである。[私(川野延夫[かわののぶお])は国家宗教の神である。]例えば、第2次世界大戦の時の真珠湾攻撃(真珠が光る玉)や高知学芸高校列車事故(高知学芸高校は私の出身校)などである。日本政府は人を殺す喜びや人を嫌がらせる喜びしかない精神異常者だから、ほとんどが国民を嫌がらせる命令である。だから、国家宗教について正しい理解のある者は、とうてい国家宗教なんか支持できたものではない。
政府は神の情報をちょっと入れて国家宗教の命令を作るだけである。だから、政府が誰を国家宗教の神にしても、政府の国家宗教の命令は同じようなものである。政府がいくら神を変えても無駄[むだ]である。
国民は政府の国家宗教に期待してはいけない。
国民が政府の国家宗教に頼[たよ]るよりも、国民が早く政府を倒して国家宗教のない世の中にしたほうが国民にとっては得である。
国民が政府に従って来たのは、政府の国会や日本神道などの民主主義団体の活動が国民を幸福にしたからではなく、政府の暴力団が国民を暴力で脅して国民を無理やり政府に従わせてきたからである。だから、国民にとって政府はもともと面白くないものなのである。政府について正しい理解のある者は、とうてい政府なんか支持できたものではない。
[12342] どうしてソ連は社会主義をやめたのか? h23.3.30
ソ連政府は国民を暴力で脅[おど]して無理やり社会主義をやらせていた。[[12340]を参照。]
ところが、最近社会が文明的になって暴力が使えなくなった。
そこで、ソ連政府は国民に社会主義をやらせられなくなった。
それで、ソ連は社会主義をやめたのである。
[12343] 政府は暴力団である。 h23.3.30
政府は暴力で国民を脅[おど]して国民を無理やり命令に従わせる団体である。つまり、政府は暴力団である。
ところが、今の社会では暴力が使えない。国民みんなが暴力を使わないから暴力を使う者がいない。人間は周[まわ]りのみんなを見て育つものだから、周りのみんなが暴力を使わなければ自分も暴力を使わない。暴力そのものが社会からなくなっているのである。国民みんなが羽織[はおり]・袴[はかま]を着ないから羽織・袴を着る者がいなくなったのと同じことである。今では暴力を使う者が減りすぎたので、暴力を使うことがみっともなくなったので暴力を使う者がいなくなったのである。
暴力団が暴力を使えなくなったら何にもできない。
だから、国民は政府に従わなくていい。
[12344] どうして文明社会では暴力が使えないか? h23.3.31
「文明社会で暴力が使えない」ことが正しいかどうか確かめるためには、文明を横軸にとって暴力を縦軸にとってグラフを描[か]いてみればいい。右下がりのグラフになれば「文明社会で暴力が使えない」ことになる。
「文明社会で暴力が使えない」ことは、今の世の中の動きを見ればおそらく正しいと考えられる。
「文明社会で暴力が使えない」理由は、暇[ひま]な人が時間をかけて考えればいい。
理由がどうであれ、とにかく文明社会では暴力が使えない。社会は時代とともに文明的になっていく。だから、暴力も時代とともに減っていく。したがって、暴力団で支えられた政府や宗教団体などの団体は時代とともになくなっていくのである。
[12345] 今の暴力団は置き物である。 h23.3.31
今の日本には暴力団が8万人いるといわれている。
ところが、今の社会では暴力が使えない。
だから、暴力団は事務所の中にいるだけである。
つまり、今の暴力団は実質的には0人である。
政府の権力(命令力)の強さは暴力団の人数に比例する。
だから、今の政府に権力はない。
したがって、国民は政府の命令を無視していい。
国中の国民が協力して政府の命令を聞かなければ政府はすぐに倒れる。
だから、協力しよう。
[私は国家宗教の神だが、国家宗教の神とは政府が国家宗教の命令を作るときに情報を使う者にすぎない。だから、私の命令が政府に通るわけではない。私は一人の国民にすぎない。だから、政府を倒すためには国民みんなで協力しなければならない。]
[12346] 暴力団の言いなりはかっこ悪い。 h23.3.31
今では暴力を使うのもかっこ悪いが、暴力団の言いなりになっているのもかっこ悪い。
先祖が暴力団の言いなりになっていたとあっては末代[まつだい]までの恥[はじ]である。
だから、暴力団の言いなりになってはならない。
国民で暴力団の言いなりにならない習慣を作らねばならない。例えば、政府は暴力団だから、政府に税金を払わない習慣を作らねばならない。政府の命令を聞かない習慣を作らねばならない。[国民が政府に嫌がらされた上に政府に税金を払うのでは二重苦である。だから、国民は一重苦に減らすために政府に税金を払うのをやめよう。]
そうすれば、政府や宗教団体などの鬱陶[うっとう]しい暴力団をこの世から追い払うことができる。
[12347] 『浦島太郎』(改)[[12311]を参照。] h23.3.31
浦島太郎は、日本政府のことである。
浦島太郎が助けた亀とは、ローマ人のことである。ローマ人は海外から来たから亀に喩[たと]えられたのである。政府は海岸で国民に虐[いじ]められているローマ人を助けて、そのお礼にローマ人から国の支配のしかたを教わって、それを実行して日本を支配したのである。
浦島太郎が竜宮城に行ったとは、日本政府が大きくなって都を作ったことである。
浦島太郎が見たタイやヒラメの舞い踊りとは、日本政府が中国の法律を真似[まね]て大宝律令などの法律を作ったことである。法律を記した紙がタイやヒラメなどの平たい魚に喩[たと]えられているのである。
浦島太郎が竜宮城でもらった玉手箱の中身は麻薬である。だから、浦島太郎が玉手箱を開けたときに玉手箱の中から白い煙(麻薬のこと)が昇ったのである。浦島太郎が玉手箱を開けてはいけなかったのは、政府が一部の国民に麻薬を与えて国を治めていることを国民みんなに知られてはいけなかったということである。
浦島太郎がもといた村に帰って見ると見知らぬ人ばかりになっていたのは、政府が毎日同じことをしているうちに世の中が進歩してすっかり世の中の様子が変わってしまったことである。
浦島太郎が玉手箱を開けて死んだのは、国民みんなが麻薬をやらなくなったために麻薬を使って国を治めていた政府が滅んでしまったことである。国民が麻薬をやらなくなったために政府が滅んでしまったので、政府が国民に麻薬を与えていたことがバレてしまったのだ。
[『浦島太郎』はもともと政府と関係のないおとぎ話を室町時代に政府の話に作り変えたものである。だから、浦島太郎は政府なのである。竜宮城の乙姫は、もとは浦島太郎と結婚した亀のことである。だから、作り変えられた後の『浦島太郎』では、竜宮城の乙姫は実在との対応が付かないのである。]
[12348] 『文明の進歩の法則』[[12334]を参照。] h23.3.31
今後、政府が暴力団に力を入れることがあるかもしれない。再び暴力団のチンピラが街中[まちなか]を我が物顔[わがものがお]で闊歩[かっぽ]するようになるかもしれない。暴力団が道を通せんぼして通行人から通行料をせしめるようになるかもしれない。
しかし、そんなことをすると政府が文明の進歩に逆らったことになる。社会が文明的になると暴力が使えなくなる。政府が暴力団に力を入れると文明を遅らせることになるので、政府が文明の進歩に逆[さか]らったことになるのである。
いわば文明の進歩は『熱力学の第2法則』のようなものだ。つまり、閉鎖系が必ずエントロピーが増大する方向に変化するように、人間社会は必ず文明が進歩する方向に進まねばならないのだ。つまり、文明の進歩は『人間社会の原理』なのだ。つまり、人間社会には“変化の向き”があり、人間社会は必ず文明が進歩する向きに変化しなければならないのである。
だから、政府は暴力団に力を入れることはできない。政府にもできないことがある。これまで政府は文明を遅らせないかぎりで国民の嫌がらせをしてきたのであって、たとえ政府であっても文明を遅らせることは許されないのだ。政府はしょせん暴力団だから、暴力団ごときに一国[いっこく]の文明を遅らせるような偉そうな真似[まね]はできないのだ。政府が国の文明を遅らせると政府が国民に皆殺しにされるのだ。
人間社会には『文明の進歩の法則』がある。暴力団は精神異常者であり、精神異常者は文明を破壊するから、暴力団は文明を遅らせる者である。[[12328]を参照。]社会から暴力団がなくなることは社会の文明が進歩することにほかならない。だから、人間社会では必然的に暴力団がなくなって行く。つまり、政府や宗教団体などの暴力団がなくなって行く。国民が暴力団に逆[さか]らうことは正しいことである。なぜなら、国民が暴力団に逆らって暴力団をなくすことは『文明の進歩の法則』に適[かな]っているからである。
[12349] 真理の報酬 h23.3.31
真理は考え出すのに時間がかかるのであり、他人が考え出した真理を学ぶのは簡単である。人類が2000年もかけて発見してきた真理を個人が20年足らずで学習できるのはそのためである。
だから、人類は真理を考え出した者を大切にしなければならない。真理を考え出した者にはそれなりの報酬[ほうしゅう]を与えねばならない。
[12350] 政府や宗教団体は滅びる運命にある。 h23.3.31
政府や宗教団体は暴力を使って国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。つまり、政府や宗教団体は暴力団である。
ところが、人間社会には『文明の進歩の法則』がある。つまり、人間社会は必ず文明が進歩する向きに変化しなければならない。
暴力団は文明を破壊する精神異常者であり、暴力団は文明を遅らせる者だから、暴力団は滅ばねばならない。暴力団は文明の進歩にとって邪魔[じゃま]だから暴力団は滅ばねばならない。
だから、政府や宗教団体などの暴力団は滅ばねばならない。政府や宗教団体などの暴力団はこの世に出来たときからすでに滅びる運命にあったのである。[政府は国家暴力団で、宗教団体は民間の暴力団である。]
したがって、国民は政府や宗教団体などの暴力団に従わなければいいのである。国民は政府や宗教団体に逆らって政府や宗教団体を滅ぼせばいいのである。
[12351] 国民は暴力団をなくさねばならない。 h23.3.31
政府も宗教団体も暴力を使って国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。つまり、政府も宗教団体も暴力団である。
野蛮な社会では法律があってなきものだから暴力団が活動できる。反対に、文明社会では法律が厳守されるから暴力団が活動できない。だから、暴力団は文明社会では滅ばねばならない。[政府は自分(国会)で法律を定めておいて、自分(暴力団)で法律を破って儲[もう]けているのである。政府は矛盾した団体である。[12291]を参照。]
人類にとって文明を進ませるのは善であり、文明を遅らせるのは悪である。文明を進ませることは法律を厳守することであり暴力団を滅ぼすことである。反対に、文明を遅らせることは法律を守らないことであり暴力団を繁栄させることである。
したがって、国民は政府や宗教団体などの暴力団をなくせばいい。国民は暴力団をなくすためにはいかなる手段や方法を使ってもいい。
[12352] 国民は政府の命令を聞かなければいい。 h23.3.31
野蛮な社会では法律(つまり“国民みんなが決めた法律”)があってなきものだから暴力団が活動できる。だから、暴力団の政府が暴力を使って国民を脅して国民から税金を取ったり国民に無理やり命令を聞かせることができたのである。
反対に、文明社会では法律が厳守されるから暴力団が活動できない。だから、暴力団の政府は何もできない。だから、国民は法律だけを守ればよく、それ以外の政府の命令を聞かなくてもいい。法律では国民には意思決定の自由があるから、余計な政府の命令を聞かなくてもいい。
人類にとって文明を進ませるのは善であり、文明を遅らせるのは悪である。だから、国民は野蛮な社会の決まりではなく文明社会の決まりに従わねばならない。つまり、国民は政府の命令に従うのではなく、国民は法律だけを守ればいい。
[12353] 国民は暴力団に従ってはいけない。 h23.3.31
政府も宗教団体も暴力団である。
野蛮な社会では法律が守られず暴力団が繁栄する。
文明社会では法律が守られて暴力団が滅亡する。
国民が暴力団に従うことは文明を遅らせることである。
国民が暴力団に従わないことは文明を進ませることである。
人類にとっては文明を進ませることは善であり、文明を遅らせることは悪である。
だから、国民は暴力団に従ってはいけない。つまり、国民は政府や宗教団体にお金をやってはいけないし、政府や宗教団体の命令を聞いてはいけない。国民は自分の意思で自由に生きて行かねばならない。
[12354] どうして文明社会では暴力が使えなくなるのか?☆ h23.3.31
文明社会ではいろんな文明の利器があるだけではなく、法律がきちんと守られていなければならない。
文明社会のひとつの特徴は法律が守られていることである。
反対に、暴力とは法律を犯すことである。
だから、文明社会では暴力が使えなくなるのである。
人間社会は時代とともに文明的になって行く。
だから、最近の社会では暴力が使えなくなってきたのである。
それとともに、政府や宗教団体などの暴力団が滅んでいるのだ。
つまり、文明の進歩が政府や宗教団体などの暴力団を滅ぼしたのだ。
[12355] 暴力団のない時代☆ h23.4.1
政府も宗教団体も暴力を使って国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。つまり、政府も宗教団体も暴力団である。
ところが、今の社会は文明的になって国民みんなが法律をきちんと守るようになった。つまり、今の社会では暴力が使えなくなった。
そのために、政府や宗教団体などの暴力団も暴力が使えなくなった。政府や宗教団体などの暴力団は国民に命令を聞かせられなくなった。
したがって、国民は政府や宗教団体などの暴力団に従わなくてよくなった。つまり、国民は政府や宗教団体にお金をやらなくていいし、政府や宗教団体の命令を聞かなくていい。政府や宗教団体などの暴力団は実質的に滅んだ。今では国民は自分の意思で自由に生きて行くことができるのだ。
[12356] 社会の文明水準 h23.4.1
政府や[民間]宗教団体は暴力で国民を脅して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。つまり、政府や宗教団体は暴力団である。
ところが、今の社会の文明水準は暴力が使えないところまで来ている。社会は最近になってようやくこのレベルにまで到達したのである。[政府は社会の文明水準までもコントロールできないので、政府の意図[いと]に反して社会の文明水準はとうとうこのレベルにまで達してしまったのである。政府は国民に国家宗教や戦争をさせることはできるが、社会の文明水準までも決めることはできないのである。つまり、政府は国民みんなに暴力を使わせることはできないのである。暴力を使うか使わないかは国民自身が決めることなのである。そして、最近の国民は暴力を使わないことに決めたのである。政府は何でも国民に命令できるわけではないのである。押し寄せる文明の荒波[あらなみ]にはさすがの政府も勝てなかったのだ。つまり、昔の社会は文明が遅れていたから国民みんなが法律を破って暴力を使っていた。それで、暴力の強い暴力団が幅を利かせていた。しかし、今の社会は文明が進んで国民みんなが法律を守るようになって暴力を使わなくなった。それで、暴力団も暴力が使えなくなってしまったのだ。政府も宗教団体ももう駄目[だめ]だというわけだ。暴力団は法律を破って暴力を使っていい特権階級ではないのだ。暴力団は国民みんなが暴力を使っていたことに便乗[びんじょう]して自分も暴力を使っていただけなのだ。これまでは暴力団が国民といっしょになって暴力を使っていたために国民が暴力団を悪者にできなかったので暴力団は長い間生き残ってきたのだ。暴力団が国民を支配してきたのだ。しかし、今は国民が暴力を使わなくなって暴力団を悪者にできるようになったので暴力団がなくなっているのだ。暴力団が国民を支配できなくなっているのだ。国民が自分を善くすることによって暴力団を滅ぼしたのだ。国民が暴力団を倒すためには武器で暴力団と戦うよりも、国民が自分自身を善くすればよかったのである。(なんか、インドっぽい。)今の社会では暴力が使えないから、国民が政府の命令を聞かなくても政府は国民を暴力で痛めつけることはできない。だから、国民は政府の命令を聞かなくてもいいのだ(後述)。]
だから、今の政府や宗教団体は国民に命令できなくなっている。つまり、今の政府や宗教団体は見掛け倒しで実質的には滅んでいるのである。水が0℃で固体から液体に急激に状態が変わるように、政府や宗教団体は今の社会の文明水準の前後で国民に命令できる状態から国民に命令できない状態に急激に状態が変わったのである。いわば、政府や宗教団体の相転移現象[そうてんいげんしょう]が起こったのだ。
したがって、国民は政府や宗教団体に従わなくていい。つまり、国民は政府や宗教団体にお金をやらなくていいし、政府や宗教団体の命令を聞かなくていい。
国民はやっと鬱陶[うっとう]しい奴等[やつら]から解放されたのだ。ああ、清々[せいせい]した。[戦前の政府は、近い将来自分が滅ぶだろうということを予想していた。それで政府は盛大に世界大戦をやったのだ。いわば世界大戦は政府の国民とのお別れパーティーだったのだ。]
[12357] どうして宗教の信者は偉そうなのか? h23.4.1
宗教の信者が偉そうなのは気高いからではない。宗教の神の教えを誠実[せいじつ]に守っているからではない。
宗教の信者が偉そうなのは、代紋[だいもん]背負[しょ]っているからである。つまり、宗教の信者が暴力団で威張[いば]っているのである。宗教団体は暴力団を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせているので、信者は自分が普通の国民よりも強いと思って威張っているのである。日本政府の公務員が威張っているのと同じ理屈である。
しかし、今の社会は文明的になって国民みんなが法律を守るようになって暴力を使えなくなった。だから、宗教団体の暴力団も暴力が使えなくなった。宗教団体はもはや強くなくなった。
だから、国民は宗教団体の命令を聞かなくていい。国民は宗教団体にお金をやらなくていい。宗教団体はいろんな理屈をつけて国民からお金を取ろうとするが聞かなくていい。今でも宗教団体の命令を聞いている人がいたら今すぐやめなさい。宗教団体の正体は暴力団だから、宗教団体に協力してもちっとも善[い]いことにはならない。[日本政府も暴力団だから、日本政府の命令を聞くのもやめなさい。今の社会では暴力が使えなくなって日本政府は弱くなっているから、国民は政府の命令を聞かなくてもいい。]
今の宗教団体は強くない。したがって、今の信者も強くない。だから、信者は偉そうにするな!
[12358] 政府が潰[つぶ]れる! h23.4.1
政府は昔から潰れない会社として信じられてきた。
しかし、それはあくまでも暴力が使えるとしての話である。
今の社会では暴力が使えなくなっているから、政府も潰れるのである。
暴力が使えなくなれば、これまで暴力で支えられていたすべての物が消えてしまうのだ。
政府が潰れないという話は迷信にすぎなかったのだ。
[12359] どうして時代が進むと国民が法律を守るようになるのか?☆☆ h23.4.1
「社会が文明的になると国民みんなが暴力を使わなくなる」とは、「時代が進むと国民みんなが法律を守るようになる」ということである。なぜなら、暴力を使わないとは法律を守ることにほかならないからである。
時代が進むと、みんなが学校や大学の社会科で『法律』を『勉強』するようになる。法律を勉強する機会が増える。
だから、みんなが法律を守るようになったのである。
昔の人は法律を勉強する機会がなかったから法律を破って暴力をふっていたのである。
今の人は法律を勉強する機会があるから法律を守って暴力をふらなくなったのだ。
たとえ学校でなくても、今ではテレビや新聞でみんなが『法律』に触れる機会が多いから、みんなが法律を守るようになったのだ。特に刑事ドラマでは必ず法律を破る者が悪人とされているから、みんなが自分が悪人にならないためにちゃんと法律を守るようになったのだ。つまり、テレビや新聞が国民にとっての法律の学校というわけだ。つまり、現代では法律の教育設備(テレビや新聞のこと)が充実しているために、子供の頃からみんながテレビや新聞のニュースで法律を勉強して育ったから、みんなが法律を守るようになったのだ。テレビや新聞の三面記事も世の中の平和のために立派に貢献[こうけん]しているのだ。
[12360] どうして昔は暴力団があったのか?☆☆ h23.4.1
昔は法律を勉強する設備(テレビや新聞のこと)がなかった。そのため、国民のほとんどは法律を知らなかった。それで、国民のほとんどは法律を破っていた。つまり、昔は法律を破ってもよかった。それで、暴力団があったのだ。
しかし、今は法律を勉強する設備がある。そのため、国民のほとんどは法律を知っている。それで、国民のほとんどが法律を守るようになった。つまり、今は法律を破ってはいけない。それで、暴力団がなくなったのだ。
つまり、文明が進歩するとテレビや新聞のように『国民が法律を勉強する道具』が出来た。そのために、国民みんなが法律を知って法律を守るようになったのである。そのために、文明社会では国民みんなが法律を守るのである。今では国民みんなが法律を知って法律を破ってはいけないことになったので、法律を破る暴力団が滅んだのである。つまり、政府や宗教団体が滅んだのだ。要するに、テレビや新聞などの文明の利器によって国民が法律を学んだために、政府や宗教団体などの暴力団が滅んだのだ。『知は力なり』という。国民が法律を知ることが暴力団を滅ぼす力となったのだ。
[12361] 昔の国民は法律を知らなかった。 h23.4.2
昔はテレビや新聞がなかったから国民のほとんどが法律を知らなかったから暴力団が勝手気ままに法律を破っていた。つまり、暴力団が暴力を使っていた。国民はいくら暴力団に暴力をふられても法律を知らなかったので文句を言えなかった。国民もまた法律を知らなかったので法律を犯して暮らしていた。
昔は「法律のない世界」だったので政府や宗教団体などの暴力団が好き放題に国民を暴力で脅して国民に無理やり命令を聞かせていた。暴力団が国民を支配していた。暴力団が栄[さか]えていた。
しかし、今はテレビや新聞があるから国民のほとんどが法律を知っているから暴力団が法律を破ると訴えられるから暴力団が暴力を使えなくなった。国民自身もまた法律を守って暮らすようになった。[政府がなくなっても困らないように、政府の警察とは別に犯罪者を訴える施設を作ってもいい。]
今では『法律のある世界』になったから政府や宗教団体などの暴力団は国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせることができなくなった。[政府や宗教団体は簡単に暴力団と考えてよい。]暴力団が国民を支配できなくなった。暴力団が滅亡した。
だから、今では国民は政府や宗教団体の言うことを聞かなくていい。国民は政府や宗教団体にお金をやらなくていいし、命令を聞かなくていい。
[12362] 暴力団は滅んだ。 h23.4.2
政府や宗教団体は簡単に暴力団と考えてよい。政府は国家宗教や国会を、宗教団体は宗教をやっているがただのオマケだと考えればよい。
昔は法律がなかったから、暴力団が暴れ放題だった。当然ながら、暴力団が国民を好き勝手にしていた。暴力団が国民の財産を取ったり国民を殺したりしていた。
しかし、今は法律があるから、暴力団が何もできなくなった。暴力団が国民に命令することができなくなった。暴力団が国民の財産を取ったり国民を殺したりできなくなった。
だから、今では、政府や宗教団体などの暴力団が滅んだのだ。
[12363] 暴力団が滅んだ。 h23.4.2
昔は法律がない世界だった。
法律がない世界では暴力団は繁栄[はんえい]した。法律がない世界では暴力団はやりたい放題であり、暴力団は暴力で国民からお金を脅[おど]し取り、国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせて遊んでいた。[暴力団が宗教や民主主義で命令を作るのは、国民が宗教や民主主義を正しいと信じていて、国民が命令に従いやすいからである。もっとも、暴力団の作るのはニセモノの宗教や民主主義の命令であって、本物の宗教や民主主義の命令ではない。[12322]を参照。]
今は法律がある世界になった。みんながテレビや新聞のニュースで法律を勉強したからである。刑事ドラマで悪を憎む心を養[やしな]ったからである。
法律がある世界では暴力団は滅亡する。法律がある世界では暴力団は暴力が使えず、暴力団が暴力を使えなければ、暴力団は国民からお金を取ることができないからである。国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせて遊ぶことができないからである。
だから、今では政府や宗教団体などの暴力団が滅んでいる。今の政府や宗教団体は見栄[みえ]を張って繁栄しているふりをしているが、実際にはすでに滅んでいるのである。
国民は暴力団に従う必要はない。国民は暴力団に従う習慣を早くやめねばならない。国民は政府や宗教団体などの暴力団の命令を聞かないようにして暮らさねばならない。
[12364] 日本におけるキリスト教 h23.4.2
日本政府は日本神道しかやらない。日本政府はキリスト教や仏教などの外国の宗教をやらない。イギリス政府やアメリカ政府はキリスト教と日本神道を混ぜてやっているが、日本政府は日本神道だけでやっている。
だから、日本におけるキリスト教は民間宗教ということになる。
つまり、日本におけるキリスト教は、キリスト教をやっている暴力団であり、暴力団がキリスト教を隠れ蓑[かくれみの]にしているのである。キリスト教の信者もまた代紋[だいもん]背負[しょ]っているのである。[[12333]を参照。]
しかし、今の社会では国民みんなが法律を守っていて暴力が使えない。だから、キリスト教も暴力が使えず、キリスト教は国民を暴力で脅[おど]して国民に命令できない。だから、今のキリスト教は弱い。したがって、今のキリスト教の信者も弱い。キリスト教の信者は威張[いば]るな!
日本における仏教についても同様である。
日本におけるキリスト教と日本における仏教の違いは見かけだけであり、中身は同じ暴力団である。キリスト教や仏教は暴力団の暖簾[のれん]のようなものである。マクドナルドみたいなものである。
政府や宗教団体はテレビのない(つまり法律のない)後進国で強いだけである。日本のようなテレビのある(つまり法律のある)先進国では政府や宗教団体は弱いのだ。
[12365] 昔と今の違い h23.4.2
政府や宗教団体は暴力団である。
昔は法律がなかったので、みんながやりたい放題だった。みんなが何をやってもよかった。
暴力団は「命令を聞かない者は殺すぞ」と言って国民を脅[おど]して国民から財産を取ったり国民に嫌がらせの命令を出して国民を嫌がらせて遊んだりした。暴力団は自分の命令を聞かない者を本当に殺した。暴力団は片っ端[かたっぱし]から国民の財産を奪[うば]って繁栄[はんえい]した。
しかし、今は法律があるので、みんなが法律を守って暮らすようになった。みんながテレビや新聞で犯罪のニュースを見て、自分が罰せられないために法律を守るようになったのである。国民は自分が法律を守るようになったので、暴力団が法律を犯すのを認めなくなった。
暴力団は「命令を聞かない者は殺すぞ」と言って国民を脅せなくなった。暴力団は国民から財産を取ったり国民に嫌がらせの命令を出せなくなった。暴力団は何もできなくなって滅亡した。
だから、国民はもはや政府や宗教団体などの暴力団の命令を聞かなくていい。今でも命令を聞いている者がいたら今すぐやめたほうがいい。
[12366] 政府は今の時代に似合[にあ]わない。 h23.4.2
今は『法律がある時代』である。今は国民みんなが法律を守って暮らしている。今では国民みんなにテレビが普及してみんなが犯罪のニュースを見てみんなが法律を守るようになったからである。
ところが、政府は「法律がない時代」に出来た団体である。政府はいまだに国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取って儲けている。政府は国民に嫌がらせの命令を出して国民を嫌がらせて遊んでいる。政府は「法律がない時代」の秩序で動いている。政府は今の世界にふさわしくない。
だから、政府はなくならねばならない。
政府の代[か]わりに暴力を使わない国民と平等な政治機関を新しく建てなければならない。
[12367] 内政不干渉の原理 h23.4.2
日本はアメリカやヨーロッパの言いなりではない。
日本がアメリカやヨーロッパに合わせているだけである。
世界中の国はその国の国民が自由にやっているのであって、外国のことに口出しをしない。世界中の国は互いに自由を認め合っている。
これまで日本はイギリスが先進国だったからイギリス政府に合わせて日本政府の暴力団に国を治めさせていただけである。
しかし、今ではイギリスは先進国と言うほどではない。今の世界には特に先進国はない。日本は自分で考えて自分をいい国にすればいい。
今では世界中の国が『法律がある国』になっている。だから、世界中の国で法律がない時代に出来た古臭い政府が滅んでいるのだ。昔は世界中の国が「法律のない国」だったが、今ではマスコミの発達などによって『法律のある国』になっているから政府や宗教団体などの暴力団が滅んでいるのだ。
[12368] 政府が国民に従わねばならない。 h23.4.3
国民は今の社会には法律があると思っている。それで、国民は毎日法律を守って暮らしている。
それなのに、政府はいまだに法律がないと思っている。それで、政府はいまだに国民を暴力で脅[おど]して国民からお金を取ったり、国民に嫌がらせの命令を出して国民を嫌がらせて遊んでいるのである。
政府だけ時代遅れである。政府が国民の足を引っ張っている。
国民が政府に従うのではなく、政府が国民に従わねばならない。つまり、政府も国民を見習って法律を守らねばならない。
「法律のない社会」よりも『法律のある社会』のほうが進歩的である。政府は文明の進歩に逆[さか]らっている。だから、政府は滅ばねばならない。
[12369] 今では政府と国民は平等である。 h23.4.3
法律のない世界では、政府が国民よりも強い。政府は暴力のプロフェッショナルだから、暴力のシロウトの国民が政府に敵[かな]うわけがない。
しかし、法律のある世界では政府と国民は平等である。法律のある世界では政府は暴力を使えないからである。
今は法律がある世界である。国民みんながテレビのニュースで法律の勉強をして法律を守っているからである。
だから、政府と国民は平等である。だから、国民は政府と『契約』を取らずに政府にお金をやらなくていいし、政府の命令を聞かなくていい。
[12370] 政府は法律のない社会を作れない。 h23.4.3
政府は法律がある社会を法律がない社会にすることはできない。
なぜなら、法律がある社会を法律がない社会にすることは文明を遅らせることであり、政府には文明を遅らせるほどの力はないからである。文明を進ませることは人類の永遠のテーマであり、たとえ政府でも文明の進歩に逆らうことは許されないのである。[[12348]を参照。]
だから、政府ひとりが法律がないと思って、国民を暴力で脅して国民からお金を取ったり、国民に嫌がらせの命令を出して国民を嫌がらせて遊んだりすることはできない。
国民が政府に従うことは文明を遅らせることに協力することになるので、国民は政府に従ってはいけない。
政府があると国の文明が遅れることになるので、国民は政府をなくさなければならない。
政府の代[か]わりに、国民と契約して国民からお金を集めて、そのお金を使ってできる範囲内で国民に法律的なサービスをする政治機関を作らねばならない。
[12371] 文明の進歩が政府を倒した。《まとめ》 h23.4.3
昔は法律がなかった。暴力をふってもよかった。だから、暴力団の政府が暴力をふって国民を支配していた。
しかし、今は法律がある。暴力をふってはいけない。だから、暴力団の政府が暴力をふれなくなって国民を支配できなくなった。
テレビが発明されて国民みんなが毎日テレビのニュースで法律の勉強ができるようになったために、人間社会が法律のある社会つまり暴力が使えない社会になってしまった。人間社会が暴力が使えない社会になってしまったために、暴力団の政府が暴力を使えなくなって、政府が滅んだのである。つまり、文明の進歩が政府を倒したのだ。
[12372] 国民が政府に従わなくてもいいことの証明 h23.4.3 政府は国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。 ところが、今の社会では法律があって暴力が使えない。[現代社会の原理。[12371]を参照。] だから、今の社会では政府が国民を脅して国民に無理やり命令を聞かせることができない。 つまり、今の社会では国民は政府に従わなくてもかまわない。 |
人間にとって一番大事なのは『正しいこと』がわかることだ。現代に生きる人間は現代が正しくわかっていなければならない。政府が何であるかわからないまま政府に従うのは愚[おろ]かだ。アホは眼で見たことしかわからないから政府が立派なふりをしていると政府に従うが、論理がわかる人は政府に従わない。
[12373] 警察がなくなる。 h23.4.3
政府は暴力団である。
今の社会では暴力が使えない。
だから、今の社会では政府が滅ぶ。
しかし、政府が滅ぶと政府の警察がなくなる。
だから、政府の警察に代[か]わる新しい警察を作ればいい。
すでに出来ているものを真似[まね]て作るのは簡単である。
医者も手術の時に刃物を使うから警察が犯人を逮捕する時に拳銃を使っていけないことはない。
[12374] 暴力団は特権階級ではない。 h23.4.3
昔の社会には法律がなかった。だから、昔の社会では暴力を使ってよかった。そのため、昔の社会では政府が暴力で国民を支配していた。
しかし、今の社会には法律がある。だから、今の社会では暴力を使ってはいけない。そのため、今の社会では政府が暴力で国民を支配できなくなった。つまり、今の社会では国民は政府に従わなくてもいいのだ。国民は政府に税金を払わなくていいし、政府の命令を聞かなくていい。
暴力団は暴力を使ってもいい特権階級ではない。昔はみんなが暴力を使ってもよかったから、暴力の強い暴力団が暴力の弱い国民を支配していたのだ。今ではみんなが暴力を使ってはいけないから、暴力団も暴力を使えなくなって、暴力団が国民を支配できなくなったのだ。
[12375] 昔の人間は今の人間よりも自由だった。 h23.4.3
昔の人間は自由だった。昔の社会には法律がなくて、みんながやりたい放題だったからである。そのために、暴力団が暴力を使って人々を脅[おど]して命令を聞かせて国を支配していた。[自由な社会の実態とはそのようなものである。けっして自由な社会は人間が住みやすい社会ではないのである。]
今の人間は自由ではない。今の社会には法律があり、みんなが法律を守って暮らしている。そのために、暴力団が暴力を使えなくなって滅んだ。
今の社会には法律があるから、今の人間は昔の人間に比べて自由ではない。しかし、そのおかげでみんなが暴力団に脅されずに平和に生きていけるのだ。人間は自由を失ったのと引き換えに平和を手に入れたのだ。
[12376] 法律がある時代の政治機関 h23.4.3
昔は法律のない社会だったから、政府や幕府などの暴力団が国を治めていた。
しかし、今は法律のある社会だから、政府や幕府などの暴力団が国を治められなくなった。
今は法律のある社会だから、“純粋な民主主義の政治機関”(新機関、[12310]を参照)が国を治めるべきだ。
[12377] どうすれば政府の権力が回復できるか? h23.4.4
政府は暴力団である。
暴力団の天敵は法律である。
国民みんなが法律を知って法律のある国になると暴力団が滅びる。
だから、暴力団が栄[さか]えるためには、国民が法律を知らないようにして法律のない国にすればいい。
国民はテレビの犯罪のニュースで法律のことを知っているから、テレビでニュース番組をやらないようにすればいい。テレビでアニメ番組や動物番組や歌謡番組やお笑い番組ばかり放送するようにすれば、国民みんなが法律を知らなくなって、再び政府の天下になるだろう。
[12378] 暴力団はなぜ強かったのか? h23.4.4
政府や宗教団体は暴力団である。
昔の暴力団が強かったのは、昔の社会には法律がなくて、暴力団が国民に自由に暴力をふれたからである。昔はテレビがなくて国民が法律を知らなかったから、昔の社会には法律がなかったのである。[政府がいくら立派な法律を作っても、国民が法律の内容を知らなければ何にもならない。昔の法律は国会の中に置いてあるだけだったのである。しかし、今ではテレビがあって、テレビが毎日ニュース番組で国民に法律を教えてくれる。テレビは国民にとって法律の内容を具体的に教えてくれるありがたい先生なのである。]
今の暴力団が弱いのは、今の社会には法律があって、暴力団が国民に暴力をふれないからである。今はテレビがあって国民が法律を知っているから、今の社会には法律があるのである。
だから、今の社会では暴力団が弱いから、国民は暴力団に従わなくてもかまわない。国民は暴力団にお金をやるのをやめてさっさと暴力団を倒さねばならない。未来の人類のために『暴力団のない社会』を作らねばならない。
[12379] どうして暴力団はベンツに乗っているのか? h23.4.4
暴力団はベンツに乗っているそうである。参考。
暴力団がベンツに乗っているのは、国民の税金でベンツを買ったからである。
実際には、今の社会では暴力が使えないから暴力団の収入は0[ゼロ]である。
暴力団は政府の機関だから、国民の税金を使ってベンツを買ったのである。
「今でも社会で暴力が使える」と国民に思わせるために無理してベンツを買ったのである。
暴力団が贅沢[ぜいたく]ができるのは、日本政府の中で一番偉いからである。国会議員よりも日本神道の宗教家よりも身分が高いからである。[[12306]の図を参照。]国会議員も日本神道の宗教家も暴力団に食わせてもらっているだけである。
[12380] テレビを見ない人は暴力団になる。 h23.4.4
最近までずっとこの世には法律がなかった。たとえ政府が立派な法律を作っても、国民が法律を知らなかったので実際には法律はなかった。それで、みんなは何をやってもよかったので、暴力の強い暴力団が暴力の弱い国民を支配していた。[昔は法律がなかったので、わざわざ国家宗教によらなくてもいくらでも悪事ができた。だから、『二条河原の落書』みたいに国家宗教とは関係なく世の中が一様[いちよう]に乱れていたのである。悪事をやっても罰する者がなかった。だから、政府や宗教団体などの暴力団が出来た。宗教は暴力団の国民に対する嫌がらせだった。宗教は国民が自分でやるものではない。[12336]や[12341]を参照。]
しかし、最近はテレビが出来て、みんながテレビのニュース番組を見るようになったので、法律のことを知るようになった。それで、みんなは法律を守って暮らすようになり、暴力団が暴力をふらなくなって暴力団がなくなった。
今の暴力団は家にテレビがなくてニュース番組を見れなかったかわいそうな人たちである。暴力団はベンツを買うよりもテレビを買ったほうがいい。
[12381] 法律はいつ頃からあるか? h23.4.4
昔は暴力団が国民を殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりしても、誰も暴力団を悪いと思わなかった。だから、暴力団は正々堂々と我が物顔[わがものがお]で国民を殴ったり蹴ったりしていた。そのため、暴力団が国民を支配していた。
しかし、今では暴力団が国民を殴ったり蹴ったりすると、誰でも暴力団が悪いと思う。つまり、誰でも暴力団が法律を犯していると思う。だから、暴力団は国民の目が気になって国民を殴ったり蹴ったりできなくなったのである。そのため、暴力団が国民を支配できなくなったのである。
今の国民の頭の中にはテレビのニュース番組によって法律が植え付けられている。国民は自分の頭の中にある法律と照らし合わせながら世の中を見ている。
つまり、今の社会にはすでに法律があるのである。法律がいつ頃からあるようになったかははっきりとはわからないが、とにかくテレビの普及率が100%に近い今では法律があると言える。参考。大雑把[おおざっぱ]に言えば、テレビの普及率が50%を越える1970年頃までは法律のない社会であり、それ以後は法律のある社会になったのである。
テレビで“暴力団が警察にやっつけられる理想の社会”を放送したために、国民は現実の社会を理想の社会に合わせるようになって現実の社会が大きく進歩したのである。
昔の社会には法律がなかったが、今の社会には法律がある。そのため、昔の暴力団は国民にとって強い英雄だったが、今ではただのくだらない犯罪者になってしまったのである。
[12382] 税金とは何か? h23.4.4
政府の暴力団による“民主主義で正当化した恐喝[きょうかつ]”である。
その実体は、不良やヤクザが国民を脅[おど]してお金を取ることにほかならない。
国会や警察があったほうが国民が政府にお金を出しやすくなるから、政府が国会や警察で恐喝を飾り付けているだけのことである。
ところが、今の法律がある社会では、暴力で国民を脅して国民からお金を取ることは禁止されている。
だから、国民は政府の暴力団に税金を払わなくてもいい。国民は政府の暴力団を早く倒したほうがいい。
[12383] 今の国民は暴力団に従わなくていい。 h23.4.4
昔の社会には法律がなかったから暴力をふってもよかった。そのため、暴力団が国民に暴力をふって国民を支配していた。法律のない社会では暴力をふったほうが勝ちだったので、暴力団が暴力をふっていたのである。
しかし、今の社会には法律があるから暴力をふってはいけない。そのため、暴力団が国民に暴力をふって国民を支配できなくなった。
昔の社会には法律がなかったが、今の社会には法律がある。昔と今では世界が変わった。[国民の中には、昔の社会にも法律があったと思って、暴力団が昔から法律を犯して国民に暴力をふっていたと思って誤解をしている者がいる。そういう者が今でも暴力団に従っているのである。じつは、暴力団は法律を犯す者ではなく、法律を守る者なのである。昔の社会には法律がなかったから、暴力団は“ない法律”を守って暴力をふっていたのである。昔は暴力団が暴力をふっても犯罪にならなかったのである。反対に、今の社会には法律があるから、暴力団が暴力をふると犯罪になる。実際に、今では、テレビでよくやっているように暴力団が法律を犯すと犯罪になって警察に捕[つか]まる。けっして、暴力団は法律の適用外者ではないのである。今でも暴力団が全国に8万人いるが、今では暴力団はただいるだけで何もできないデクの坊なのである。だから、国民は暴力団を無視して生活すればいいのである。]
今の社会では暴力団はやって行けない。今は暴力団の時代ではない。暴力団の時代は終わった。
だから、国民は暴力団に従わなくていい。国民はむやみやたらに暴力団に従ってはいけない。今の暴力団は国民に暴力がふれないから、国民は暴力団に従わなくていい。
[12384] 医療保険とは何か? h23.4.4
医者が政府の暴力団と組んで国民からお金を取ることである。一種の恐喝[きょうかつ]である。医者が政府の暴力団のガラの悪さを利用して国民からお金を脅[おど]し取っているのである。
ところが、今は暴力団の時代ではない。今の社会には法律があって暴力団が暴力をふれなくなっているからである。
だから、医者は政府の暴力団と組まずに、政府と独立に国民からお金を取るべきである。
このまま医者が政府の暴力団と組んでいたら、国民はかえって医者にお金を払わなくなるだろう。
[12385] 暴力団の時代は終わった。 h23.4.5
昔の社会には法律がなかった。昔の社会は暴力をふってもいい社会だった。暴力をふって人を殺しても犯罪にはならなかった。殺された者が弱かったのが悪いとされた。それで、暴力団が好き勝手に国民を暴力で脅[おど]して支配していた。国民は生きた心地[ここち]もせずに人生を送らねばならなかった。
しかし、1960年代以降、国民にテレビが普及するに連[つ]れて、テレビのニュース番組によって国民に法律の知識が浸透[しんとう]した。法律のある社会になった。暴力をふってはいけない社会になった。暴力をふって人を殴[なぐ]ると犯罪とされるようになった。そのために、暴力団が暴力を使えなくなって、暴力団が国民を支配できなくなったのである。
今の社会では、暴力団はすでに死んでいる。今の暴力団は事務所の中にいるだけのお人形さんである。国民は政府や宗教団体などの暴力団を無視して好き勝手にやっていい。
[12386] 今の暴力団は悪者である。☆ h23.4.5
昔の社会は法律がなかった。暴力をふってよかった。だから、昔の暴力団はやっていいことをやっていただけである。
しかし、今の社会は法律がある。暴力をふっていけない。だから、今の暴力団はやってはいけないことをやっている。
昔の暴力団は論理的に正しいことをやっていたが、今の暴力団は論理的にまちがったことをやっている。昔の暴力団は矛盾してなかったが、今の暴力団は矛盾している。昔の暴力団は強くてかっこいい英雄だったが、今の暴力団はくだらない人相[にんそう]の悪い犯罪者にすぎない。昔の暴力団は善[い]い者だったが、今の暴力団は悪者である。だから、昔の国民は暴力団に従わなければならなかったが、今の国民は暴力団に従ってはならない。昔は暴力団に従わない国民が悪かったが、今では暴力団に従う国民が悪いことになっている。社会に法律がないとあるとでは大違いなのだ。
政府は暴力団である。昔の国民は政府に従わねばならなかったが、今の国民は政府に従うわけにはいかないのだ。
[12387] 今の暴力団は暴力を使ってはいけない。 h23.4.5
昔は法律のない社会だったから、暴力を使ってもよかった。だから、暴力団は国民に暴力をふって国民を好き勝手にできた。
しかし、今は法律のある社会だから、暴力を使ってはいけない。だから、暴力団は国民に暴力をふれず国民を好き勝手にできない。
暴力団は、今がどんな世の中であるかをよく考えて、国民に暴力をふってはいけない。
暴力団が法律を破れば、暴力団は他の国民と同じように警察に逮捕される。
暴力団だからといってバカですむわけではない。だから、暴力団はよく考えて行動しなければならない。
[12388] 鬱病[うつびょう]について h23.4.5
『三つ子の魂百まで』と言うように、人の心は幼児期に決まってしまう。つまり、人の心は小さい頃に面白いとつまらないの区別が出来てしまう。人の心はひとたび幼児期に決まってしまったら死ぬまで変わらない。人の心はそのように出来ているのである。
だから、鬱病に罹[かか]らないためには、『人が生まれてから人の心が決まってしまうまでの間に偏[かたよ]った教育を受けないこと』である。
例えば、私の場合、私のおばあさんが熱心な日蓮宗の信者で私が赤ちゃんの頃におばあさんから影響を受けたので、知覚が得意で五感が苦手である。つまり、思考科目は得意だが暗記科目が苦手である。だから、自分が苦手の暗記科目を専攻したり仕事にしたりすると自分の心が落ち込んで鬱病に罹るのである。
もちろん、自分の心の性格を考慮して自分にとってつまらないことを避けながら暮らせば特に問題はない。自分の心が落ち込み出したら、すぐに自分の専攻や仕事を変える必要がある。そうせずにいつまでも自分が苦手な勉強や仕事を続けた者が鬱病に罹るのである。
[12389] 社会が変わった。 h23.4.5
昔は国民が法律のことを知らなくて「法律のない社会」だったから、暴力団が暴力をふって国民を支配していた。暴力団が国民を殺しても無罪だった。国民は自分が暴力団に殺されないために暴力団に従わねばならなかった。
ところが今は国民が毎日テレビのニュース番組を見て国民が法律に詳[くわ]しくなって『法律のある社会』になったから、暴力団が暴力をふれなくなった。暴力団が国民を殴[なぐ]ると有罪になって刑務所に入らなければならなくなった。
今の暴力団は何にもできない。だから、国民は暴力団に従わなくていい。国民は暴力団を無視して暮らせばいい。
[12390] 『国民が政府に従わなくてもいい』ことの証明 h23.4.5
政府は暴力団である。つまり、政府は自分に従わない者に暴力をふることによって国民を支配する団体である。政府は自分に従わない者を片っ端[かたっぱし]から暴力で痛めつけることによって国民を自分の好き放題にしていたのである。
ところが、今の社会では暴力が使えない。今の社会ではみんながテレビのニュース番組を見て法律を知ったために暴力を使うことがいけないことになったのである。今の社会は法律がある社会すなわち暴力が使えない社会なのである。
だから、今の社会では政府は暴力を使えない。政府は国民に暴力をふることによって国民を支配することができなくなったのである。
したがって、今の社会では国民は政府に従わなくていい。国民は政府を無視して暮らせばいい。
今の社会では政府が国民を支配するのは無理である。政府は諦[あきら]めて会社を畳[たた]んだほうがいい。
法律のない社会では暴力団は経営できるが、法律のある社会では暴力団は経営できないのだ。
今の政府は昔の政府のくたばりぞこないにすぎないのだ。今の政府は死にかけの会社なのだ。
[12391] テレビ革命 h23.4.6
昔も法律があったが、法律と国民をつなげる物がなかった。せっかく政府が法律を作っても、国民は法律を知らなかったので、実際には法律はなかった。そのため、暴力団が自由に暴力をふって国民を支配していた。長い間[あいだ]法律は読む者のいない本だったのだ。
ところが、最近テレビが出来た。
国民はテレビのニュース番組を見ることによって法律を知った。テレビによって法律と国民がつながった。
そのため、国民みんな(暴力団を含む)が法律を犯すことがいけないことだと考えるようになった。
それで、政府や宗教団体などの暴力団が暴力を使えなくなって滅んだのだ。
国民が積極的に法律の勉強をするようになったために暴力団が滅んだのだ。国民はもっと早くから法律の勉強をすればよかったのだ。昔は学校がなかったが今では学校があるように、昔は法律がなかったが今では法律があるのだ。時代が進むと、学校やテレビや法律やパソコンなどいろんな物が出来るのだ。
[12392] 今の暴力団は犯罪者の集団である。 h23.4.6
昔の社会は法律がなかったので、暴力をふってもよかった。だから、昔の暴力団は暴力をふって国民を支配していた。
しかし、今の社会は法律があるから、暴力をふってはいけない。それなのに、今の暴力団は暴力をふって国民を支配しようとしている。
昔の暴力団は自分がやってもいいことをやっていただけだったが、今の暴力団は自分がまちがったことをやっていると知りながらやっている。昔の暴力団は純心だったが、今の暴力団は心の腐[くさ]った男のクズだ。
いくら暴力団でも人間であるかぎり矛盾は許されない。
昔の暴力団は強い男の集団だったが、今の暴力団はただの犯罪者の集団である。
だから、今の暴力団を社会から一掃[いっそう]しなければならない。
昔の暴力団は正しい者の集団だったから国民は暴力団の言うことを聞かねばならなかったが、今の暴力団はまちがった者の集まりだから国民は暴力団の言うことを聞かなくていい。つまり、昔の暴力団には国民に対する権力(命令力)があったが、今の暴力団には権力がない。だから、今の国民は暴力団を無視して正々堂々と生きて行けばいいのである。今は法律のある社会だから、法律のある社会の考え方を身に付けなければならない。
[12393] どうして政府に民主主義団体があるのか? h23.4.6
いくら暴力団が自由に暴力をふることができても、暴力団の人数が少なければ国民全員には勝てない。国民全員を支配することはできない。例えば、今の政府には8万人の暴力団がいるが、8万人(全人口の0.06%)ではとうてい国民全員と戦うことはできない。
だから、政府は日本神道や国会などの民主主義団体を作って、民主主義団体のふりをしているのである。
そのために、国民の多くは政府を民主主義団体だと思っているのである。政府を国民の味方の善[い]い団体だと思っているのである。
政府はそのようにして国民全員を支配してきたのである。
しかし、政府の正体は暴力団である。8万人の暴力団が400万人の民主主義団体をオマケに付けているだけである。国民は政府のオマケに騙[だま]されてはいけない。[今から35年ぐらい前に“丸い太った身体に異様に小さな頭のついた怪物”が出て来るアメリカ映画(タイトルは忘れた)があった。あの怪物は政府の喩[たと]えだったのだろう。怪物の身体が民主主義団体で頭が暴力団だったのだろう。]
[12394] 政府は潰[つぶ]れている。 h23.4.6
政府は暴力団である。つまり、政府は暴力を使って国民を脅[おど]して国民から税金を取ったり国民に嫌がらせの命令を出して国民を嫌がらせて遊んでいる。
ところが、今の社会では暴力が使えない。今は法律のある社会だから、みんなが暴力を使えない。
だから、政府は潰れている。つまり、政府は国民から税金を取れなくなっている。政府は国民に嫌がらせの命令を出せなくなっている。
今は法律のある社会すなわち暴力のない社会だから、みんなが暴力を使わない仕事をしなければならない。
電気炊飯器が出来ると竈[かまど]が廃[すた]れるように、法律のある社会では政府や宗教団体のような暴力を使う仕事が廃れるのだ。
[12395] どうして昔は公開処刑をやったか? h23.4.6
昔の社会には法律がなかった。治安が悪かった。そのため、国民が暴力団に暴力をふっていた。
そこで、政府は自分が国民に暴力をふられないために、法律のある社会にするために、公開処刑をやって国民に法律があることを教えた。
それで、国民は法律を守るようになって、暴力団に暴力をふるのをやめた。
暴力団は世の中の治安がよくなって自分が国民に暴力をふられなくなると、公開処刑をやめて、再び法律のない社会にして自分が暴力をふるようになった。
社会に法律がまったくないと犯罪が増えすぎて社会が滅びる。反対に、社会に法律がありすぎると暴力が使えなくなって暴力団の政府が滅びる。だから、政府は公開処刑をすることによって社会にちょうどいい程度に法律があるようにしたのである。[日本では近世(江戸時代)は幕府がインド方式で政治をしていた。インド方式は法律が厳しい。だから、江戸幕府は権力(命令力)が弱かったのだ。反対に、政府はヨーロッパ方式で政治をするが、ヨーロッパ方式は法律が甘い。だから、政府は強い権力(命令力)があったのだ。]
今は法律のある社会である。テレビのニュース番組で毎日公開処刑をやっている。だから、今の社会には法律がある。だから、暴力団も国民もみんなが暴力をふってはいけないのだ。暴力団は暴力が使えなくなって滅んでしまったのだ。
[平成23年5月12日追記)Wikipedia公開処刑には壮吉の磔[はりつけ]の写真が載っている。壮吉の首が横倒しになっているのは“天”の字にするためである。明治初期には天皇制で公開処刑が行われたので、“天”の字にされたのである。]
[12396] 法律サービスをする会社 h23.4.6
人間が食べねば生きていけないことと、食品を作ることは別ごとである。
食品を買うか買わないかは消費者の自由であって、食品会社が決めることではない。
だから、社会に法律が要ることと、法律サービス(つまり、法律のある社会にするサービスすなわち犯罪者を罰するサービス)をすることは別ごとである。
法律サービスを買うか買わないかは消費者が決めることであって、サービス会社が決めることではない。
つまり、法律サービスをする会社は国民を強制的に加入させて国民から税金を取ることはできない。
法律サービスをする会社は、医療保険のように、自由契約で毎月お金を取る人と利用する時だけお金を払う人に分けて国民からお金を取ればいい。
今の政府は身体障害者への福祉事業もやっているが、たとえ政府がなくても、国民で福祉会社を作って福祉会社が国民から献金を集めれば今の政府以上の質のいい福祉が実現できるはずである。だから、政府は要らない。政府は暴力団だから国民から取った税金の大半を自分たちの遊行費[ゆうこうひ]に使って無駄[むだ]にするだけである。税金が福祉に使われているかどうかわかったもんじゃない。福祉事業は政府が国民から遊行費を取るためのでっち上げである。
[12397] 政府は暴力団である。☆ h23.4.6
政府が国民から税金を取れる理由をよく考えていくと、政府が暴力団であることがわかるはずである。
それ以外に政府が国民から税金を取れる理由がないからである。つまり、民主主義団体は国民と平等だから国民から税金を取れず、政府が国民から税金を取れるためには政府に“民主主義を超える力”がなければならない。政府に“民主主義を超える力”を与えるのは暴力だけである。
しかし、今は法律がある社会であって、今の社会ではみんなが暴力を使えない。国民も暴力団も暴力を使えない。
だから、今の社会では政府は国民から税金を取ることができない。したがって、政府は潰[つぶ]れるしかない。
[12398] 政府の法律 h23.4.6
政府の法律つまり日本国憲法には、政府の暴力団が決めた法律と政府の民主主義団体が決めた法律が混在している。[[12291]を参照。]
政府の暴力団が決めた法律は、日本国憲法第1章天皇(第1条から第8条)と日本国憲法第20条(宗教の自由)と第30条(納税の義務)である。それ以外の日本国憲法の法律は政府の民主主義団体が決めた法律である。
しかし、今の社会には法律があるから暴力が使えない。だから、政府の暴力団には権力がない。だから、政府の暴力団が決めた法律は全部無効である。
今の社会では、国民みんな(国民と暴力団の両方)は政府の民主主義団体が決めた法律だけ守ればいい。
日本国憲法は『ユークリッド幾何学』がもとになっている。ユークリッド幾何学の第5公準を否定した非ユークリッド幾何学が存在するように、日本国憲法の政府の暴力団が作った法律を否定した非日本国憲法が存在するのだ。アインシュタインの相対性理論によって非ユークリッド幾何学が実在の宇宙に当てはまるように、非日本国憲法が実在の日本社会に当てはまるのである。
[12399] どうして今の国民は政府の命令を聞いているのか? h23.4.7
最近の日本は法律のある社会になったが、昔の日本はまだ法律のない社会だった。
昔の日本人は法律のない社会で育ったから、政府の命令を聞く習慣がある。
だから、今のところ、日本では国民が政府の命令を聞いているのである。
しかし、最近の日本は法律のある社会になったから、若い人はもはや政府の命令を聞かなくなった。
だから、もうしばらくすれば、日本では国民が政府の命令を聞かなくなるだろう。
[12400] 政府は過去の会社である。 h23.4.7
政府は暴力団である。
昔は法律がない社会だったから、暴力をふる仕事は許された。
今は法律がある社会だから、暴力をふる仕事は禁止である。
政府が国民を支配していたのは過去の話である。
今後は国民は政府に従わずに自由に暮らしていい。
今の国民は政府を倒すほどの法律の知識があるから、自由にしても悪いことはしないだろう。つまり、リンゴを食べていれば医者が要らないように、法律を勉強すれば警察は要らないのだ。