[12201] 政府は軍隊である。 h23.3.7
国は政府と国民の戦いである。政府は国民にとって敵である。
政府は政府軍(政府の言いなりになっている麻薬中毒者の集団)に命令して国民を暴力で脅[おど]して国民を支配している。
軍隊は大きければ強い。小さければ弱い。
ところが、今では麻薬ブームが過[す]ぎ去ったために政府の言いなりになっている麻薬中毒者の数が少ない。つまり、政府軍は小さい。
だから、政府軍は弱い。つまり、政府は弱い。
したがって、国民は政府に従わなくてもいいのである。

[12202] 政府が民主主義の政治機関に代[か]わるとどうなるか? h23.3.8
今の政府が潰[つぶ]れて、新しく本当の民主主義の政治機関に代わったとする。
今の政府の“民主主義の政治機関の芝居をする機関”と本当の民主主義の政治機関はあまり変わらない。だから、民主主義に関してはあまり進歩しない。[[12200]の図を参照。]
ただ、今の政府の“国民を脅[おど]す機関”と“面白くない国・嫌な国を作る機関”がなくなる。
だから、今の世の中よりは明るくなると思う。政府が余計なことをしなくなるから、今の世の中よりはすっきりすると思う。
それに、今の政府は“国民を脅す機関”があることを使って、つまり自分の身分が高いことを使って国民から強制的に税金を取っていたが、本当の民主主義の政治機関は身分が高くないから国民と契約してお金を取るから国民にとっては安上がりだ。

[12203] 死刑制 h23.3.8
民主主義の政治機関は国民に従わねばならず身分が高くないから、国民から強制的に税金を取ったり国民に国家宗教の命令を出したりすることはできない。
もしも、今の政府が“国民を脅す機関”と“面白くない国を作る機関”をなくして民主主義の政治機関だけになる代わりに今の税金制を残すように国民に要求したとする。
それなら、国民は政府に税金制を認める代わりに、毎期の国会議員に人気の順番をつけて下から100人の役立たずを死刑にすることにする。そうすれば、国会議員は一生懸命に仕事をするからである。
そんなことにならないために、民主主義の政治機関はやはり契約制にしたほうがいい。
国民にとっては国会議員の命よりもお金のほうが大事だから、今の政府を潰[つぶ]して契約制の民主主義の政治機関にしなければならない。

[12204] 民間会社は政府とつるむことができるか? h23.3.8
要するに、政府は麻薬中毒者を使って国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせる会社である。
そんな変わった会社とつるめる民間会社はない。しかも、政府は自分が国民よりも身分が高いと思い上がっているから、民間会社がうかつに政府とつるもうとするとかえって政府に嫌われるだろう。だから、民間会社は政府とつるむことができない。
『ドラえもん』のジャイアン(←政府)とスネ夫(←民間会社)のようにはいかない。
政府とつるむことができるのは、麻薬の生産業者と麻薬の卸業者[おろしぎょうしゃ]ぐらいのものだろう。

[12205] どうして国民は政府に従うのか?☆ h23.3.8
政府が麻薬中毒者を使って国民を脅[おど]すからである。
しかし、実際には、麻薬中毒者に脅された国民はいない。今日[こんにち]ではそんなことをすると犯罪になるからである。
つまり、今日ではたとえ政府でも国民を脅せないのである。政府がそんなことをしたことが国民に知れ渡ると、国民みんなが政府に反感を持って政府が国民に倒されてしまうから政府は国民を脅せないのである。今では政府の言いなりになる麻薬中毒者があまりいなくて今の政府にはそれほど権力がないので、政府が麻薬中毒者を使って直接に国民を脅すことができないのである。
だから、実際には麻薬中毒者が政府の命令で国民を脅すことはないのである。麻薬中毒者は政府の命令で変な事件を起すことしかできないのである。無差別的に殺人事件を犯すことしかできないのである。
だから、国民は麻薬中毒者を恐れることはない。したがって、国民は政府に従わなければいい。
国民が政府の命令に従わないと、政府の“民主主義の政治機関の芝居をする機関”の職員が家に訪[たず]ねて来るかもしれないが、民主主義では政治機関が国民に“国民が決めた法律”以外の命令を出すことはないから無視すればいい。[[12197]を参照。]

[12206] 『浦島太郎』 h23.3.8
おとぎ話の『浦島太郎』の浦島太郎は日本政府のことである。
浦島太郎が助けた亀とは麻薬の原料となる芥子坊主[けしぼうず]のことである。芥子坊主は瓶[かめ]の形に似ていて、瓶と亀が駄洒落[だじゃれ]だからである。
浦島太郎が助けた亀に連れられて竜宮城に行ったとは、日本政府が麻薬で軍団を作って日本を支配して首都に宮殿を建てたことことである。
タイやヒラメの舞い踊りとは、日本政府が軍団の活動を隠すために民主主義の政治機関の芝居をするようになったことである。タイやヒラメなどの平べったい魚が事務職で使う紙を表している。
浦島太郎がもらった玉手箱とは、「日本政府が麻薬中毒者を使って国民を脅して国民を支配している」ことを国民に知られてはならないということである。
浦島太郎がもといた村に帰ってみると知らない人ばかりになっていたとは、中世末に国民が麻薬をやらなくなったことである。当時は麻薬のせいで文明が後退して人々が麻薬に脅威[きょうい]を感じて世界的に麻薬をやめる運動が起こっていて、日本でも麻薬をやらなくなったのである。ひとたび文明の味をおぼえてしまった人類にとっては文明のほうが麻薬よりも大事だったのである。
浦島太郎が玉手箱を開けて死んでしまったとは、中世末に「日本政府が麻薬中毒者を使って国民を脅して国民を支配していた」ことが国民に知られて日本政府が滅んでしまったことである。

[12207] 日本国憲法について h23.3.8
日本国憲法の中で民主主義に反する法律(第20条宗教の自由や第30条納税の義務)は“政府の権力”で決めたものである。[宗教の自由とは、神の情報を入れたことなら何でもやっていいことである。納税の義務とは、政府が国民から一方的・強制的にお金を取れることである。民主主義の政治機関がこんな法律を決めるわけがない。]
政府の権力は、政府の言いなりになっている麻薬中毒者によって得られる。
ところが、今では政府の言いなりになっている麻薬中毒者が少ない。とうてい日本全部を支配できるほどはいない。
だから、今の政府には権力がない。
だから、日本国憲法の中で民主主義に反する法律(第20条や第30条)は無効である。

[12208] 今の医学では癌[がん]はわからない。 h23.3.9
ジェンナーが天然痘にかからない村の人を疫学的[えきがくてき]に調査してはじめて天然痘を治す方法がわかったように、これまでに他人が見ていないところを見る人が現れてはじめて問題が解決されるのである。
今の医学ではこれまでにひとりも癌を治す方法がわかった人がいないから、今の医学ではまだ癌の正体が見えていないのである。
だから、今の医学の本や論文をいくらたくさん読んで癌のことを勉強しても、癌は理解できないのである。時間の無駄[むだ]にすぎないのである。これまでに他人が見たことをいくら自分が勉強しても、かえってわからなくなるだけである。一生懸命に“わからない方法”を勉強しているだけである。まちがいを勉強しているだけである。
これまでに他人が見ていないところを見る人が現れないかぎり癌は理解できないのである。
他人の書いたものに頼らずに、自分の眼で見て自分の頭で考える人が現れないかぎり癌は理解できないのである。
早くそういう人が現れて欲しいものだ。

[12209] 政府は国民から税金を取れない。 h23.3.9
政府が民主主義の政治機関だとする。民主主義の政治機関は国民に従わねばならないので、国民から一方的・強制的にお金を取れない。だから、政府は国民から税金を取れない。[国民のほとんどは政治に興味がないので、これまで国民は税金のことで政府に文句を言わなかったのである。国民は税金なんかどうでもいいと思ってわけがわからないまま政府に税金を払ってきたのである。]
政府が麻薬制の団体だとする。つまり、政府が麻薬中毒者に国民を脅[おど]させて国民を無理やり命令に従わせる団体だとする。しかし、今は政府の言いなりになる麻薬中毒者が少なくて政府は国民を脅せない。今ぐらいの数の麻薬中毒者では、政府はとうてい日本国民全員を脅すことができない。せいぜいテレビで変な事件を起すのが関[せき]の山である。国民はテレビのブラウン管の向こうで政府がやった変な事件を見て笑うだけである。だから、これまた政府は国民から税金を取ることができない。[今では麻薬をやる者は数も少ないし悪者だと言うことになっているから、麻薬中毒者は国民に面[めん]と向って脅すほどの勇気がないのだろう。今の麻薬中毒者は、コソコソと国民の眼につかない所でひとり寂[さみ]しく事件を起すだけである。]
したがって、どちらにしろ政府は国民から税金を取ることができない。つまり、国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。

[12210] 神と超能力者 h23.3.10
神とは、国家宗教で用いる情報のもとになる者のことである。神である条件は特になく、政府が自分の判断で勝手に誰が神であるかを決めるのである。神は実在の人間でも架空の人間でもよい。
政府は神の情報を入れた事件を麻薬中毒者に起こさせたり、国民にとって面白くない国を作るために自分の強い権力を使って神の情報を入れたことを国民に無理やりやらせたりしている。[政府は麻薬中毒者を使って国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせている。だから、政府には強い権力(命令力)がある。政府は強い権力があるから国民よりも身分が高い。身分が高い者は身分が低い者を虐[いじ]める。身分が高い者は身分が低い者を嫌がらせて喜ぶ。だから、政府は国民を嫌がらせるために、国民にとって面白くない国を作ろうとするのである。“民主主義の政治機関の芝居”の裏で、政府はさんざん国民を嫌がらせて遊んでいるのである。]
一方、超能力者とは超能力が使える者である。つまり、普通の人間にない能力を持った者である。
超能力者と神は無関係である。つまり、神は超能力者ではないし、超能力者は神ではない。もっとも、神が超能力者であってもいいし、超能力者が神であってもいい。政府が超能力者を神とすれば、その超能力者が神となるのである。政府が超能力者でない者を神とすれば、その超能力者でない者が神となるのである。政府が超能力者を神としなければ、その超能力者は神ではない。政府が超能力者でない者を神としなければ、その超能力者でない者は神ではない。要するに、政府[の中の神を決める係りの人]が神と決めた者が神なのである。
神はいる。なぜなら、実際に、政府が神の情報を使って国家宗教をやっているからである。
一方、超能力者は今のところはまだ見つかっていないが、今後突然変異で現れるかもしれない。
昔の政府は自分の言いなりになる麻薬中毒者が大勢いて権力が強かったから、神を決めて麻薬中毒者や国民に国家宗教をやらせることができた。しかし、今の政府は自分の言いなりになる麻薬中毒者がほとんどいなくて権力がないから、たとえ麻薬中毒者に国家宗教をやらせることができてもその他の国民には国家宗教をやらせることができない。

[12211] 政府は日本を支配できない。 h23.3.10
要するに、政府は麻薬中毒者を使って国民を脅[おど]して国民を命令に従わせる団体である。民主主義の政治機関ではない。
ところが、今は政府の言いなりになる麻薬中毒者が少ない。国民全員を脅すにはとうてい足りない。
だから、政府は日本を支配できない。
したがって、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の命令を聞かなくていい。
国民が政府を倒すには、わざわざ武器で政府と戦う必要はない。ただ国民が麻薬をやらなければいいだけだ。

[12212] 国民はむやみに政府に従ってはならない。 h23.3.10
政府の権力は、政府の言いなりになる麻薬中毒者が担[にな]っている。
だから、政府の言いなりになる麻薬中毒者が多ければ政府の権力が強く、反対に政府の言いなりになる麻薬中毒者が少なければ政府の権力は弱い。
具体的に政府の言いなりになる麻薬中毒者の人数がわからなければ、政府の権力が強いか弱いかわからない。政府の権力がどのくらいあるのかわからない。
国民は政府の言いなりになる麻薬中毒者が具体的にどのくらいいるのか知ってから政府に従うか従わないか決めるべきである。政府の言いなりになる麻薬中毒者が具体的にどのくらいいるのか知らないままむやみに政府に従うべきではない。国民が知ったかぶりをしていいかげんな態度を取るから、政府も空威張[からいば]りをして付け上がるのである。
だから、政府は国民に政府の言いなりになる麻薬中毒者の人数を公開しなければならない。もちろん嘘[うそ]はいけない。
私は、政府の言いなりになる麻薬中毒者が国民の1割以上いなければ国民は政府に従わなくてもいいと思う。政府の言いなりになる麻薬中毒者がそれくらいいなければ政府が国民全員を脅すことはできないからである。

[12213] 『泣いた赤鬼』 h23.3.10
麻薬はコマーシャルの要らない商品である。いまだに麻薬のコマーシャルなんか見たことがない。
麻薬の欲しい者は自分から求めて麻薬を買うから、麻薬のコマーシャルは要らないのである。
麻薬をやる者は何もなくても麻薬をやるが、麻薬をやらない者は何があっても麻薬をやらない。[麻薬をやる者と麻薬をやらない者との違いは、小さい時の親の教育によるのだろう。]
だから、麻薬をやらない者は、政府がいくら嫌がらせても麻薬をやらない。だから、政府が国民を嫌がらせるのは、国民に現実の世界を嫌にならせて麻薬をやらせるためではなく、やはり政府が自分の身分が国民よりも高いことを使って国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせて楽しむためである。
『泣いた赤鬼』では、赤鬼は政府の“国民に麻薬を与えて麻薬中毒者を使って国民を脅す機関”で、青鬼は政府の“政府が国民よりも身分が高いことを使って国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせる機関”である。政府は国民の敵なので鬼なのである。
だから、『泣いた赤鬼』でいえば、たとえ青鬼がいなくても赤鬼だけで“おいしいお菓子”(麻薬のこと)は売れるはずである。赤鬼がおいしいお菓子を売るために、わざわざ青鬼に国民の嫌がらせを頼む必要はないはずである。そこは、政府の国民に対する嫌がらせを、政府に対するイヤミで赤鬼思いの青鬼による悪役の芝居に喩[たと]えたのだろう。
『泣いた赤鬼』では、最後に赤鬼が残って青鬼はいなくなった。つまり、最近では政府の言いなりになっている麻薬中毒者が減って政府の権力が弱くなったために、政府の国民に対する命令が効[き]かなくなっているのである。あるいは『泣いた赤鬼』が書かれた当時は、日本がアメリカの占領下にあって国民に自由が認められていたから、政府の国民に対する嫌がらせがなかったのかもしれない。

[12214] 国家宗教をやっている店 h23.3.11
国家宗教は、政府が自分の権力を得るために国民を脅[おど]すために麻薬中毒者に人殺しをさせることである。
国家宗教は、政府が自分の身分が国民よりも高いと思って国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせることである。
つまり、国家宗教は政府の国民に対する嫌がらせである。
だから、国民は“国家宗教をやっている店”(つまり、神の情報を入れた商品を作ったり・売ったりしている店)に行くと自分が嫌な目に会わされるから行かないほうがいい。
それに、国家宗教をやっている店は、国民の敵である政府を贔屓[ひいき]にしているろくでもない店だから潰[つぶ]れたほうがいい。政府は麻薬中毒者を使って国民を脅して命令を聞かせる団体である。今では政府の言いなりになっている麻薬中毒者が少ないから政府に権力はない。だから、国民は政府に従う必要はない。国家宗教をやっている店は、わけがわからないまま政府に従っているバカが経営しているくだらない店だから潰れたほうがいい。

[12215] 国民は政府に従わなくてもいい。☆ h23.3.11
政府は民主主義の政治機関ではない。政府は麻薬制の団体である。つまり、政府は政府の言いなりになっている麻薬中毒者を使って国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせる団体である。そのようにして、政府は国民から税金を取ったり、国民に国家宗教や戦争などの命令を出したりしていたのである。
ところが、今では国民のほとんどが麻薬をやらなくなったため、政府の言いなりになっている麻薬中毒者が少ない。だから、政府は国民を脅すことができない。
だから、国民は政府に従わなくてもいい。

[12216] 国民はどうして麻薬をやらなくなったのか? h23.3.11
麻薬をやると頭が馬鹿になって勉強がわからなくなるからやめたのである。仕事ができなくなるからやめたのである。
最近は、頭を使う仕事が増えたので、麻薬をやって馬鹿になれる余裕[よゆう]がないのである。
今でも麻薬をやれるのは、馬鹿でもいい社長の息子だけである。
昔は肉体労働が中心だったから馬鹿でも働くことができたので、多くの国民が麻薬をやっていたのである。
中世末に文明が後退したために、国民は麻薬を脅威[きょうい]に感じて麻薬をやめた。
しかし、近代になって文明が前進したために、国民は油断してまた麻薬をやるようになった。
明治以降日本の近代化が進んだために、肉体労働から頭脳労働へ労働の質が変わった。
そのために、国民はまた麻薬をやめたのである。頭脳労働の時代に麻薬をやるのは無理である。

[12217] 信者とは何か? h23.3.11
政府は国民の敵である。[幕府も国民の敵である。一般に、権力団体はすべて国民の敵である。]
つまり、国民は政府の敵である。
国民は本当は政府に従いたくないが、政府が権力が強いのでしかたなく政府に従っている。
しかし、国民の中には敵であるはずの政府の味方になった者がいる。
それが信者である。いわば、信者は国民の裏切り者である。
国民は政府にいやいや従っているが、信者は喜んで政府に従っている。
しかし、今の政府には権力がない。
今では国民は政府に従わないし、信者も権力が弱くなった政府には興味がないので政府に従わない。
今では政府に従う者は誰もいない。

[12218] 政府と幕府の違い h23.3.11
政府も幕府も権力団体である。
政府は麻薬制で麻薬中毒者を使って国民を脅[おど]して権力(命令力)を得ている。
幕府は刀で国民を脅して、身分制で農民を味方に付けて権力を得ている。
政府は、毎日麻薬中毒者に国家宗教の神の情報を入れた変な事件を起させている。政府は自分の言いなりになる麻薬中毒者で権力を得ているが、麻薬中毒者は何もしないといるかいないかわからないので政府は政府の言いなりになる麻薬中毒者がいることを国民にわからせるために毎日変な事件を起さなければならないのである。一方、幕府はいつも武士が刀を持っているし、身分制でいつも農民を味方につけているので、政府のようにわざわざ事件を起して目立つことをしなくてもいいのである。
政府は、自分に強い権力があり自分の身分が国民よりも高いことを使って国民に嫌がらせをしている。政府は国民にとって面白いことのない嫌なことが多い国を作っている。幕府も自分に強い権力があり自分の身分が国民よりも高いことを使って国民に嫌がらせをしている。この点は、政府も幕府も同じである。
政府は、国民の政府に対する風当たりを防ぐために民主主義の政治機関の芝居をしている。幕府も、国民の幕府に対する風当たりを防ぐために民主主義の政治機関の芝居をしている。だから、キツネ(政府)とタヌキ(幕府)の化[ば]かしあいと言うのである。この点も、政府も幕府も同じである。
政府も幕府も権力団体である。権力団体は国民にとってデメリット(欠点)が多い。だから、今後は権力団体を作ってはならない。国民と平等な団体しか作ってはならない。

  政府 幕府
変な事件を起こさせる ×
国民に嫌がらせをする
民主主義の政治機関の芝居をする

[12219] 民間宗教団体 h23.3.11
民間の宗教団体は、日本政府が決めた日本国憲法第20条(宗教の自由)に乗っかってあくどい儲[もう]けをしている。
宗教では、誰を神とするかは団体の自由であり、神の情報を入れたことは何をやってもいいことになっている。
だから、民間の宗教団体は麻薬中毒者を神にして、信者に麻薬を売って儲けているのだ。
しかし、今の政府には権力はない。
だから、今の政府は日本国憲法第20条を決めるほどの力がない。国民に押し付けるほどの力はない。
したがって、今では民間の宗教団体はいっさい活動できないのだ。
今の政府には日本国憲法第30条(納税の義務)を決めるほどの力もない。国民に押し付けるほどの力もない。
だから、今の国民は政府に税金を払わなくてもいい。[用心深い人は払ってもいい。]

[12220] 日本政府と新機関[[12149]を参照]ではどっちがいいか? h23.3.11
日本政府は麻薬制の団体である。つまり、日本政府は、自分が権力を得るために麻薬中毒者を使って事件を起すし、自分の権力が強く自分の身分が高いと思って国民に余計な命令をたくさん出して国民の嫌がらせをする。国民にとって面白くない国を作らせている。日本政府は民主主義の政治を芝居でやっているだけである。
一方、新機関は民主主義の政治機関である。つまり、新機関は、麻薬と無関係だから事件を起さないし、国民と平等だから国民に余計な命令を出して国民の嫌がらせをしない。新機関は“国民が決めた法律”で国民を管理するだけである。国民の自由を最大限に認める。新機関は国民から税金を取らない。国民と契約してお金を取る。法人税(会社税)も取らない。[税金制を残すと、新機関が政府や幕府のように権力団体化して行くから、税金制を絶対に残してはならない。]
だから、国民にとっては今の日本政府よりも新しい新機関のほうがありがたい。
今誰かが新機関を作れば、国民みんなが日本政府をやめて新機関に入るだろう。たとえ国民みんなが新機関と契約して毎月保険料を払ってくれなくても、新機関はそこそこ儲[もう]かるだろう。[新機関の保険料金がNHKの視聴料並みだったら国民みんなが入るかもしれない。]
最近は不況で倒産する会社があとを絶[た]たないから、そこそこ儲かるだけでもやる価値が十分にある。
だから、誰か早く新機関を作ってくれ。

[12221] 政府は将来復活するかもしれない。 h23.3.12
政府は、政府の言いなりになる麻薬中毒者を使って国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせる団体である。政府は麻薬をやりたい者に無料で麻薬を与えて麻薬中毒者を自分の言いなりにして使っているのである。[私が医学部の学生だった頃(今から20年ぐらい前)、NHK教育の人形劇『大きくなる子』で都会から田舎[いなか]に引っ越してきたネコの女の子(名前忘れた)が「都会にはただでオモチャをくれる店がある」と言っていた。オモチャとは麻薬のことである。つまり、政府がただで麻薬を欲しい者に麻薬を与えているのだ。]
ところで、今は頭脳労働の時代だから、麻薬をやる国民はほとんどいない。[[12216]を参照。]
麻薬をやる国民がほとんどいないから、政府の言いなりになる麻薬中毒者はもっといない。
今では政府の言いなりになる麻薬中毒者が少なくなったから、政府は国民を脅して国民に命令を聞かせられなくなった。つまり、政府は国民に対する権力(命令力)がなくなった。
だから、今の国民は政府に従わなくていいのである。要するに、今の政府は兵隊(政府の言いなりになる麻薬中毒者)のいない弱い軍隊だから、国民は政府に従わなくていいのである。
したがって、今の政府は滅びるしかない。
将来、コンピューターが発達して国民が頭を使わなくても生きていけるようになれば、また国民が麻薬をやりだすかもしれない。
そうなれば、政府が復活して、また麻薬中毒者を使って国民を脅して国を支配するようになるかもしれない。未来の国民は、また政府に税金を取られて政府に国家宗教や戦争などの命令を出されて嫌がらされるかもしれない。
あるいは、麻薬がスーパーやコンビニの店頭で売られるようになり、国民が政府によらずに自由に麻薬を入手できるようになって、政府の命令が効[き]かなくなっているかもしれない。
未来の人類は今の人類よりも頭がよくなっているだろうから、政府に支配されて嫌な目に合わされる事態を避けるだろう。だから、政府は復活しないかもしれない。

[12222] 国民は政府に従わなくていい。《まとめ》 h23.3.12
政府は、“政府の言いなりになる麻薬中毒者”を使って国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。[[12181] の図を参照。]
ところが、今では“政府の言いなりになる麻薬中毒者”がいない。[今は頭脳労働の時代だから国民が麻薬をやらなくなったからである。[12216]参照。]たとえいたとしても少ない。せいぜいテレビで変な事件を起すだけである。国民全員を脅すにはとうてい足りない。実際に、自分の眼で麻薬中毒者が国民を脅しているところを見たことがなければ、“政府の言いなりになる麻薬中毒者”はいないと考えてよい。
だから、政府は国民を脅して国民に命令を聞かすことができない。
したがって、国民は政府に従わなくていい。
つまり、これまで国民が政府の命令を聞いてきたのは、“政府の言いなりになる麻薬中毒者”がいたからである。しかし、今では“政府の言いなりになる麻薬中毒者”がいなくなったから、国民はもはや政府の命令を聞かなくていいのである。

[12223] 馬鹿な国民は死ね! h23.3.12
今では“政府の言いなりになる麻薬中毒者”がいない。だから、今の政府は国民を脅して国民に命令を聞かすことができない。つまり、今の政府に権力(命令力)はない。
だから、政府に従わない国民が正しい。政府に従う国民はまちがっている。国家宗教は政府の国民に対する嫌がらせである。政府は自分に権力があり自分が国民よりも身分が高いと思って国民に嫌がらせをするために国民に国家宗教をやらせているのである。だから、国家宗教をする国民はまちがっている。例えば、神の情報を入れた物を売る店はまちがっている。
昔の政府は“政府の言いなりになる麻薬中毒者”が大勢いたから強い権力があったが、今の政府は“政府の言いなりになる麻薬中毒者”が少ししかいないから権力がない。だから、昔は政府に従う国民が正しく、政府に従わない国民がまちがっていたが、今ではその反対に政府に従う国民がまちがっていて、政府に従わない国民が正しいのである。
正しい国民が生き残り、まちがった国民が死ぬべきである。
正しい『私の理論』を無視して、平然とこれまで通り国家宗教をやり続ける国民はふてぶてしくて偉そうである。わけがわからないまま政府に従いたがる馬鹿な国民は死ね!不平等な世の中を作っているのはそいつらである。世の中が不平等になるのはそいつらのせいである。昔の政府は“政府の言いなりになる麻薬中毒者”がいたから権力があったが、今の政府は‘わけがわからないまま政府に従っている馬鹿’がいるから権力があるのだ。そんな権力は本当の権力ではない。
むやみに政府に従う悪い癖[くせ]のある国民は早く悪い癖を直さねばならない。

[12224] 今は中世末と同じである。 h23.3.12
中世末は麻薬のせいで文明が後退したために、人々が麻薬をやってはいけないと思って麻薬をやめた。
中世末には人々が麻薬をやめたから政府も滅びた。政府は政府の言いなりになる麻薬中毒者を使って国民を脅して命令を聞かせる団体なので、麻薬中毒者がいないと仕事にならないからである。
今は頭脳労働の時代なので、人々は自分が馬鹿になってはいけないと思って麻薬をやめた。[[12216]を参照。]
今では人々が麻薬をやめたから政府も滅びている。今では政府に従う者がだんだん減って、政府に従わない者がだんだん増えている。中世末よりも今のほうが麻薬をやってはいけないから、ますます麻薬中毒者がいなくなって政府が滅びているのである。
中世末に政府が滅びて幕府が生まれたように、今もまた政府が滅びて新機関(純粋に民主主義の政治をする機関)が生まれようとしているのだ。

[12225] 今の政府は殺し屋集団である。 h23.3.13
昔の政府は“政府の言いなりになる麻薬中毒者”が大勢いて権力があった。昔の政府は権力があったから身分が高かったから国民を弄[もてあそ]んで殺してもよかった。国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせてもよかった。
しかし、今の政府には“政府の言いなりになる麻薬中毒者”がいなくて権力がない。今の政府は権力がないから身分が高くないから国民を弄んで殺してはいけない。国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせてはいけない。
それなのに、今の政府は僅[わず]かな麻薬中毒者か何者かを使って国民を弄んで殺している。国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせている。つまり、今の政府は“政府の言いなりになる麻薬中毒者の軍団”がいないから権力がない。今の政府は自分に権力がないのに、権力があるふりをして国民に命令して国民を殺したり嫌がらせたりしている。つまり、今の政府がテレビや新聞で起している事件は、政府が権力を得るためにやっているのではなく、政府が“本当はない権力”を使ってやったたんなる国民に対する嫌がらせなのである。つまり、政府は国民を脅して国民に命令を聞かせるために変な事件(神の情報を入れた事件)を起しているのではなく、ただたんに不愉快[ふゆかい]な事件を起して国民を嫌がらせるために変な事件を起しているのである。
昔の政府はれっきとした権力団体だったが、今の政府は権力のないただの殺し屋集団である。
昔の政府は権力団体だったので国民は政府に従わねばならなかったが、今の政府はただの殺し屋集団なので国民は政府に従わなくてもかまわない。
政府が権力団体でなくなってからこれまでに政府が国民に嫌がらせをしたぶん、国民は政府に仕返しをして政府を痛めつけてやるべきである。

[12226] 政府の仕事[[12200] を参照。] h23.3.13
1)政治家が“政府の言いなりになる麻薬中毒者の軍団”の指揮をすることによって政府が国民に対する権力(命令力)を得る。…昔は肉体労働の時代だったので国民は馬鹿でも生きていけたから大勢の国民が麻薬をやっていた。政府は麻薬が欲しい国民に無料で麻薬を与えて大勢の“政府の言いなりになる麻薬中毒者”を育てて、麻薬軍団(政府の言いなりになる麻薬中毒者の軍団)を作って、麻薬軍団を使って国民を暴力で脅[おど]して強い権力(命令力)を得ていた。しかし、今は頭脳労働の時代なので国民は馬鹿になることができず国民が麻薬をやらなくなったので“政府の言いなりになる麻薬中毒者”がいなくなって政府に権力はない。つまり、今は政治家は仕事がない。
2)宗教家などが、政府に権力があり政府の身分が国民よりも高いことを使って国民に嫌な命令を出して国民の嫌がらせをする。…政府は自分に権力があり自分の身分が国民よりも高いことを使って国民に命令を出して国家宗教で神の情報を入れた事件を起こさせたり国民に神の情報を入れた製品を作らせたりして国民を虐[いじ]めている。政府が神の情報を入れない命令を出す場合もある(例、戦争)。[政府は自分の権力で国民に命令を出しているのだから、本来は国家宗教で命令を出す必要がないからである。]しかし、本当は、今では政府には“政府の言いなりになる麻薬中毒者の軍団”がいないために政府には権力がないから、国民は政府の命令を聞く必要がない。国民が勝手に政府に権力があると思って政府の命令を聞いているだけである。
3)国会議員などが民主主義の政治機関の芝居をする。…政府が“政府の言いなりになる麻薬中毒者の軍団”の指揮をしたり、国民の嫌がらせをしたりしていることを国民に隠すために、政府は民主主義の政治機関の芝居をしている。政府は民主主義の政治機関の芝居をテレビや新聞などで国民に見せることによって、国民に政府が民主主義の政治機関だと思わせて国民を政府に従わせようとしている。政府は民主主義の政治の芝居をして国民を騙[だま]しているからいつもニヤニヤしているのである。今の国民の多くは「政府が民主主義の政治機関だから、国民の支持によって政府が権力を得て、政府は軽いイタズラで国民に国家宗教などの命令を出している」と思っているのかもしれない。しかし、そもそも民主主義の政治機関は国民に従わねばならないから権力団体(強い権力を持った団体=国民よりも身分が高い団体)ではなく、国民を“国民が決めた法律”で管理するだけであり、国民から税金を取ったり国民に国家宗教や戦争などの命令を出したりすることはない。だから、本当は、政府は麻薬軍団(政府の言いなりになる麻薬中毒者の軍団)を指揮して国民の嫌がらせをする団体なのである。政府の権力は麻薬軍団で得られているが、今は麻薬軍団がいないから、政府に権力はないのである。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。

[12227] 政府を介[かい]する相互作用 h23.3.13
政府は、“政府の言いなりになる麻薬中毒者”を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。
政府がなければ麻薬をやる者と麻薬をやらない者との間に関係がないが、政府があるために麻薬をやる者と麻薬をやらない者の間に関係ができる。
犯罪を犯さないかぎり麻薬をやろうがやるまいが個人の勝手だが、政府があるために麻薬をやらない者が麻薬をやる者によって損をすることになる。政府は麻薬をやる者によって権力を得て、麻薬をやらない者に対してさまざまな嫌がらせをする。麻薬をやらない人にとっては、麻薬をやる人のせいで自分が損をするのは嫌である。
だから、政府がなければいい。政府をなくして個人が自由に麻薬をやれるようにすればいい。


[12228] 政府と幕府の違い[[12218]を参照。] h23.3.13
政府は、政府の言いなりになる麻薬中毒者を使って国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせる団体である。
幕府は、身分制で農民を幕府の味方につけて、農民を使って国民を脅して国民に命令を聞かせる団体である。
だから、政府と幕府はほとんど同じである。麻薬中毒者を農民に置き換えただけである。
したがって、政府と幕府は見かけが違うだけでやることはほとんど同じである。
政府は自分に権力があり自分の身分が国民よりも高いことを使って国民に国家宗教などの命令を出して国民を虐[いじ]める。
幕府も自分に権力があり自分の身分が国民よりも高いことを使って国民に命令を出して国民を虐[いじ]める。
政府は国民の政府に対する反感を和[やわ]らげるために民主主義の政治機関の芝居をやる。
幕府も国民の幕府に対する反感を和[やわ]らげるために民主主義の政治機関の芝居をやる。
つまり、政府と幕府はほとんど同じである。政府と幕府の違いは、政府が麻薬を使うのに対し、幕府が麻薬を使わないことだけである。
政府も幕府も権力団体である。権力団体は自分の身分が高いことを使って国民に嫌がらせをするだけである。だから、権力団体はないほうがいい。

  政府 幕府
軍団を使って国民を脅して権力を得る
自分の権力を使って国民に嫌がらせをする
民主主義の政治機関の芝居をする
麻薬を使う ×

[12229] 自分が正しくすればいい。 h23.3.14
世の中には、「みんながまちがっているから自分もまちがえなければならない」という決まりはない。
自分が正しければ、たとえみんながまちがっていても、自分の正しさを貫[つらぬ]けばいい。
例えば、今の政府には麻薬軍団(政府から麻薬をもらって政府の言いなりになっている麻薬中毒者の軍団)がいないから政府には権力がない。だから、国民は政府の命令を無視して政府に従わなければいい。いくらみんなが政府に従っているからといって、自分が政府に従わねばならないことはない。
中世に政府に逆[さか]らった者が処刑されたのは、当時は麻薬軍団が大勢いて政府に本当に権力があったからである。
しかし、今は政府には麻薬軍団がいないから政府に権力はなく、国民が政府に逆らっても処刑されないのだ。
中世と今では、政府に権力があることと政府に権力がないことが違っているのだ。

[12230] 馬鹿と利口の違い h23.3.14
馬鹿は眼で見えることだけで考える。
利口は眼で見えないことを考え出して考える。
今では麻薬軍団はいないから、眼では麻薬軍団が見えない。だから、馬鹿は、政府に権力がある理由がわからず、みんなが政府に従っているのを眼で見て自分も政府に従わねばならないと思って政府に従うのだ。
しかし、利口は眼で見えない麻薬軍団を考え出して、政府に権力があるのは麻薬軍団がいるからだと考えて、今は麻薬軍団がいないから政府に権力がないことがわかるのだ。今では国民が政府に従わなくてもいいことがわかるのだ。
『実在は五感を超えたところにある。』これが私の実在哲学のモットーである。つまり、人間は五感を超えたことを考え出すことによって実在を見ることができるのだ。

[12231] 政府についての『権力の法則』 h23.3.14
政府は、政府の言いなりになる麻薬中毒者を使って国民を暴力で脅して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。だから、政府には国民に対する権力(命令力)があるのである。
したがって、『政府の権力の強さは、政府の言いなりになる麻薬中毒者の数に比例する。』
中世は政府の言いなりになる麻薬中毒者が多かったから政府の権力が強かった。
今は政府の言いなりになる麻薬中毒者が少ないから政府の権力が弱いのだ。[[12216]を参照。]
もっとも、今でも政府は政府の言いなりになる麻薬中毒者を使って特定の国民を脅せなくはないが、そんなことをすると政府が麻薬中毒者を使って国民を脅していることが国民みんなに知れ渡って、国民みんなが政府に反感を持って政府に従わなくなって政府が倒れることになる。だから、政府は麻薬中毒者を使って特定の国民を脅すことができないのである。今の政府はテレビや新聞で国家宗教でチャラけた変な事件を起すのが関の山なのである。今では政府の言いなりになる麻薬中毒者があまりいなくて今の政府は権力が弱いから、国民を刺激すると自分が国民に倒されるので、国民を脅すことができないのである。だから、政府はますます権力が弱いのである。[[12205] を参照。]
要するに、政府は政府の言いなりになる麻薬中毒者によって得られた権力を使って国民に嫌な命令を出して国民の嫌がらせをするだけである。税金や国家宗教や戦争やその他の政府の命令はすべて政府の国民に対する嫌がらせである。だから、国民にとって政府は嫌なだけである。国民にとって政府は敵なのである。幸い、今では政府の言いなりになる麻薬中毒者は少なく政府の権力は弱い。だから、国民は政府に逆[さか]らって政府を倒せばいいのである。

[12232] どうして政府に従う国民がいるのか? h23.3.14
政府は政府の言いなりになる麻薬中毒者によって得られた自分の権力を使って国民に嫌な命令を出して国民の嫌がらせをする団体である。
だから、そもそも政府と国民は敵なのである。
それなのに、政府に従う国民がいる。例えば、自分から進んで国家宗教をして神の情報を入れた商品を作る国民がいる。
それは、その国民が政府が偉いと思っているからである。自分が偉い者に従えば、自分も偉くなれると思っているからである。自分が偉い者の部下になれば自分も偉くなれるという理屈である。それで、自分から国家宗教をやって自分も政府のように偉くなったと思い上がって他人に命令して威張[いば]っているのである。
しかし、実際には、今の政府は偉くない。偉いとは権力(命令力)があることであり、今の政府には政府の言いなりになる麻薬中毒者がいないから政府は国民に対する権力がなく政府は偉くないのである。
だから、国民がいくら政府に従っても国民は偉くなれない。国民が政府に従っても無駄[むだ]である。
だから、国民は政府に従うのをやめるべきである。

[12233] 暴力団☆ h23.3.14
政府は麻薬軍団(政府の言いなりになる麻薬中毒者の軍団)を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせている。
つまり、政府には麻薬軍団という政府お抱[かか]えの軍団がある。麻薬軍団が政府の権力の実体である。
暴力団が麻薬軍団である。つまり、暴力団は政府によって身分が低いとされた者からなる反政府団体ではなく、政府直属の軍団なのである。暴力団の構成員は、政府から麻薬をもらって政府の言いなりになっている麻薬中毒者なのである。
暴力団は全国で8万人ぐらいいる。
つまり、今の政府の麻薬軍団は8万人である。日本人の人口の約0.06%である。[8万÷1億3千万=0.0006]つまり、日本人の1625人に1人である。[1億3千万÷8万=1625]
最近は、暴力団対策法もできたし、暴力団も力がない。
だから、今の政府には権力がないのだ。
 

[12234] 政府とは何か? h23.3.14
政府は、暴力団を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。政府は暴力団を使って国民を脅して国民から税金を取ったり国民に国家宗教や戦争などをさせているのである。
国民が暴力団を倒せば政府は国民に命令できなくなる。[政府が400万人であるのに対し、暴力団はたったの8万人である。]
だから、国民は暴力団を倒せばいい。

[12235] 合理主義の時代 h23.3.15
麻薬をやらない時代が合理主義の時代で、麻薬をやる時代が不合理主義(実存主義)の時代である。
今は麻薬をやらない時代だから合理主義の時代である。人間は麻薬をやらなければ自然に知覚が働いて合理的になるからである。論理的思考ができるからである。
中世と近代は麻薬をやる時代つまり不合理主義の時代だった。
近世と現代は麻薬をやらない時代つまり合理主義の時代である。
人類は麻薬をやったり麻薬をやめたりしながら発展しているのだ。
未来の人類が知的だとすれば、やはり未来は麻薬をやらない時代だろう。昔は肉体労働の時代だったから人々は馬鹿になっても生きていけたので麻薬をやっていた。今後は頭脳労働の時代だから人々は馬鹿になっては生きていけないから二度と麻薬をやることはないだろう。[麻薬は、人類の進化を人類自身が人工的に遅らせることであり、自然に反することである。万物の霊長となった人類の思い上がりである。]
政府つまり麻薬制の団体は麻薬をやる時代に栄えて麻薬をやらない時代に滅びる。
現代と未来は麻薬をやらない時代だからそんな時代には政府はやって行けない。麻薬をやらない時代には暴力団(麻薬軍団)が小さくて政府に権力がないからだ。

[12236] 政府の要[かなめ] h23.3.15
政府は、暴力団(麻薬軍団)を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。政府は暴力団で権力(命令力)を得ている。政府は暴力団で得られた権力を使って国民に税金や国家宗教や戦争などの命令を出して国民の嫌がらせをしている。
したがって、政府の要は暴力団(麻薬軍団)である。
政府は暴力団の活動で持っている団体である。政府は暴力団の活動で支えられている団体である。
だから、暴力団が弱くなると政府が滅びる。
したがって、政府を滅ぼすためには暴力団を攻撃すればいい。

[12237] 宗教はやれない。 h23.3.15
今では暴力団(麻薬軍団)が小さくなって、政府には権力がない。
だから、政府が決めた日本国憲法第20条(宗教の自由)は無効である。政府は憲法第20条を国民に押し付けることができない。
したがって、宗教はやれない。つまり、宗教団体が神を決めて、神の情報を入れたことをやれない。したがって、宗教団体は滅びるしかない。

[12238] 暴力団の倒し方 h23.3.15
暴力団は国民を暴力で脅すのが仕事だから、国民も同じ暴力で暴力団と戦うしかない。
国民がお金を出し合って外国の軍事産業の会社から装甲車や戦車を買う。
国民の部隊が装甲車や戦車を使って暴力団の事務所に殴[なぐ]り込[こ]みをかけて暴力団の組員を皆殺しにする。
暴力団がいなくなれば、政府には権力がないから、国民は政府の命令を無視することができる。

[12239] 権力計算 h23.3.15
今の日本の人口は1億3千万人である。[私が高校生の頃(今から約30年前)は日本の人口はほぼ1億きっかりだった。おそらく、政府が国家宗教でその後3千万人増やしたのだろう。1億は1億←1←1代目←初代神武天皇←神武天皇で、1億3千万人は1億3千万人←13←31←三ノ(1≒ノ)←川ノ(三≒川)←川野(私の姓)←私で、政府は国家宗教の神を神武天皇から私に変えたために日本の人口を3千万人増やしたのである。今の日本の人口は多すぎて国民にとって不快である。もっと日本の人口を減らしたほうがいい。]
一方、暴力団は8万人である。
だから、国民1人当たりの暴力団の人数は約0.0006人である。[8万÷1億3千万=0.0006]
つまり、今の日本では国民1人当たり暴力団員約0.0006人分しか脅せないのである。
その程度の暴力でいったい政府は国民にどれほどの命令が出せると言うのだろうか?
暴力団員約0.0006人分の暴力では国民に蚊[か]が刺[さ]したぐらいの痛みしか与えられない。蚊が刺したぐらいの痛みしか国民に与えられないのなら、国民は政府の命令をいっさい聞かなくてもいいのではないだろうか?

[12240] 政府の正体 h23.3.15
政府は暴力団を使って国民を脅して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。
それがわかっていたら、国民は誰も政府に従わない。
政府は国民を馬鹿にしている。
もう二度と国民は政府に従わない。

[12241] どうして暴力団は国民を脅[おど]せなくなったのか? h23.3.15
暴力団が国民を暴力で脅せるのは、国民が麻薬をやっているときである。
暴力団の組員は麻薬をやっている。暴力団の組員は正気では国民を脅せないので、麻薬をやって自分の気を狂わせて国民を脅しているのである。
昔のように、国民の多くが麻薬をやっていると、暴力団の組員と国民が対等なので、暴力団の組員が国民を暴力で脅すことができる。
しかし、今のように、国民のほとんどが麻薬をやっていないと、暴力団の組員にとっては国民が偉く見えるので、暴力団の組員は国民を脅せないのである。
だから、今では暴力団の組員は国民を脅せないのである。
今は麻薬をやらない時代である。今は合理主義の時代である。今の世の中は合理的だから、そもそも暴力で脅すこと自体ができないのである。だから、暴力団は仕事がないのである。
したがって、今では政府に権力はなく国民は政府に従わなくてもいいのである。

[12242] どうして政府に権力がなくなったのか?☆ h23.3.15
昔は肉体労働の時代だったから国民は麻薬をやれた。大勢の国民が麻薬をやっていて馬鹿だったから世の中は不合理的だった。そのため、暴力団が暴力で国民を脅すことができた。それで、政府に権力があったのである。
しかし、今は頭脳労働の時代なので国民は麻薬をやれなくなった。国民のほとんどが麻薬をやらなくなって利口になったから世の中が合理的になった。そのため、暴力団が暴力で国民を脅せなくなった。それで、政府に権力がなくなったのである。[[12205]を参照。]
だから、今では政府に権力はないのである。つまり、国民は政府に従わなくていいのである。例えば、国民は政府に税金を払わなくていいし、政府の国家宗教や戦争などの命令に従わなくてもいいのである。

[12243] どうして幕府に権力があったのか? h23.3.15
江戸時代は国民は麻薬をやっていなかったが、まだ肉体労働の時代だった。大勢の国民が『馬鹿』だったので世の中が不合理的だった。そのため、幕府が『暴力』で国民を脅すことができた。[幕府は自分自身が暴力団を兼[か]ねていたのである。]それで、幕府に権力があったのである。幕府は暴力で国民を脅して身分制を決めていたのである。
しかし、今は頭脳労働の時代である。大勢の国民が利口になって世の中が合理的になった。そのため、暴力団が暴力で国民を脅せなくなった。だから、今なら幕府には権力がないのである。

[12244] どうして政府や幕府に権力があったのか?☆☆ h23.3.15
政府も幕府も『暴力団体』である。政府は暴力団が外の団体であるのに対し、幕府は幕府自身が暴力団を兼[か]ねている。[つまり、暴力団は国会や警察などと同じように政府の機関なのである。]政府は国民が麻薬をやることを許しているが、幕府は国民が麻薬をやることを許していない。
昔は肉体労働の時代だった。国民が麻薬をやろうがやるまいが、とにかく国民は馬鹿だった。大勢の国民が馬鹿だったので世の中は不合理的だった。そのため、暴力団が暴力で国民を脅すことができた。それで、政府や幕府などの暴力団体に権力があったのである。
しかし、今は頭脳労働の時代である。国民が麻薬をやらなくなって、国民が利口になった。国民が利口になって世の中が合理的になった。そのため、暴力団が暴力で国民を脅せなくなった。それで、政府や幕府などの暴力団体に権力がなくなったのである。

[12245] どうして政府に権力がなくなったのか?(その2)☆ h23.3.15
政府は暴力団を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。そうやって、政府は国民から税金を取ったり、国民に国家宗教や戦争などをやらせてきたのである。
昔は文明が遅れていて国民は馬鹿だった。昔は肉体労働の時代だった。国民は馬鹿でもよかったから麻薬をやれた。大勢の国民が馬鹿だったから世の中が不合理的だった。そのため、暴力団が暴力で国民を脅すことができた。昔の国民は馬鹿で感情的だったから暴力団が脅すと本気で怖がったので脅しが効[き]いたのである。それで、政府に権力があったのである。
しかし、今は文明が進んで国民は利口になった。今は頭脳労働の時代である。国民は馬鹿ではいけなくなったから麻薬をやめた。大勢の国民が利口になったから世の中が合理的になった。そのため、暴力団が暴力で国民を脅せなくなった。今の国民は利口になって冷静沈着になって暴力団が脅しても怖がらなくなったので脅しが効かなくなったのである。今では法律が厳しくなって(つまり、国民の意識が厳しくなって)他人を脅しただけでも犯罪とされるようになったので、暴力団が国民を脅せなくなったのである。そのため、政府に権力がないのである。
今の政府には権力がない。だから、国民は政府に従わなくていいのである。国民は政府に税金を払わなくていいし、政府の命令をいっさい聞かなくていいのである。

[12246] どうして政府に権力がなくなったのか?(その3)☆☆ h23.3.15
政府は暴力団を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。そうやって、政府は国民から税金を取ったり、国民に国家宗教や戦争などをやらせてきたのである。[[12234]を参照。]
昔は文明が遅れていて国民が馬鹿だったので国民の意識が甘[あま]かったので、国民が暴力を使って他人を脅すことを許していた。それで、政府は暴力団に国民を暴力で脅させて権力を得て国民に命令を出していたのである。
ところが、最近は文明が進んで国民が利口になって国民の意識が厳しくなって、他人を暴力で脅すことを許さなくなった。暴力を犯罪だと見なすようになった。例えば、他人を脅すために他人を殴[なぐ]れば犯罪になる。つまり、今は昔のように自由に他人を脅すことができないのである。今では暴力団が国民を暴力で脅すことができないから政府は権力を得ることができず政府は国民に命令を出すことができないのである。つまり、政府が国民に命令できるためにはまず暴力団が国民を脅せる状況が必要だが、今はその状況がないから政府は国民に命令を出せないのである。
つまり、今の政府には権力がないのである。つまり、今の政府は国民に命令できないのである。だから、国民は政府の命令を聞かなくてもいいのである。

[12247] 暴力には暴力を h23.3.16
今は暴力を使ってはいけない時代だから、今の政府には権力がない。
それなのに、いつまでも政府に従うのをやめようとしない物わかりの悪い国民がいる。
政府を支持する者は暴力を支持する者である。つまり、政府を支持する者は自分が暴力を使いたいから政府を支持しているだけである。
暴力を支持する者には暴力で制裁[せいさい]を加えるべきである。例えば、家から出てきたところを4〜5人で取り押さえて人目につかないところに運んでから半殺しにして口も利けなくしてから家の前に裸にして放り捨てるべきである。暴力の怖さを思い知れば、二度と政府を支持しないだろう。

[12248] 暴力の時代は終わった。 h23.3.16
昔は文明が遅れていて国民が馬鹿だった。国民が馬鹿だったから正しさよりも力の強さ(暴力)が幅を利[き]かしていた。つまり、暴力の時代だった。それで、政府や幕府などの暴力を使って国民を脅[おど]す団体が国を支配していた。
今は文明が進んで国民が利口になった。国民が利口になったから力の強さ(暴力)よりも正しさが幅を利かすようになった。つまり、知力の時代になった。それで、政府や幕府などの暴力を使って国民を脅す団体が国を支配できなくなったのである。だから、何か別の政治団体(例えば、新機関)に国の政治を任[まか]せなければならないのだ。

[12249] 政府の時代は終わった。☆ h23.3.16
政府は暴力団を使って国民を脅[おど]して国民に政府の命令を聞くようにさせて、国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせている。政府は自分に権力があり自分の身分が国民よりも高いと思って、国民を嫌がらせて遊んでいる。政府はメチャクチャなことをして国の文化や施設を破壊して遊んでいる。
しかし、今は暴力の時代ではない。今では文明が進んで国民が利口になって国民の意識が厳しくなって、国民が暴力を許さなくなったからである。国民が人間社会で暴力が使えないようにしたからである。だから、今ではそもそも政府が暴力団を使って国民を脅すことができなくなったのである。だから、今の政府には権力(つまり国民に対する命令力)がない。だから、今の国民は政府に従わなくてもかまわない。

[12250] 食事が大事 h23.3.16
身体に悪い物を食べると病気になる。身体に良い物を食べると健康になる。だから、食事が大事だ。例えば、しょっちゅう咳[せき]をする者は、いつもバイ菌の付いた食べ物を食べて身体の中がバイ菌で汚[よご]れているからである。
食事はうまいかまずいかよりも、身体に良いか悪いかで見るべきだ。

[12251] 麻薬は遊び、暴力は仕事 h23.3.16
暴力団は政府の機関である。暴力団は国民を暴力で脅[おど]して国民に政府の命令を聞かせることが仕事である。羊飼いが羊を鞭[むち]で脅して羊を操[あやつ]るようなものである。
暴力団員にとっては麻薬をやるかやらないかは個人の自由だが、暴力を使うことは仕事だから嫌でも暴力は使わなければならない。暴力団員は麻薬をやらなくてもいいが、暴力は使わなければならない。
つまり、暴力団員にとっては『麻薬は遊び、暴力は仕事』なのである。
ところが、今の社会では暴力が使えなくなっている。今の暴力団はただいるだけで仕事がない。だから、暴力団は滅びるしかない。暴力団が暴力を使えなければ、政府は国民に命令を聞かせることができない。だから、政府も滅びるしかない。

[12252] 今の国民は馬鹿だ。 h23.3.16
今の国民は理由がわからないまま政府に税金を払っている。政府の命令を聞いている。
昔の国民は『暴力団に脅されたから』しかたなく政府に従っていた。
昔の国民はちゃんと理由がわかって政府に従っていたのに、今の国民は理由がわからずに政府に従っている。だから、今の国民は昔の国民よりも馬鹿だ。
政府は国民を暴力で脅して国民に嫌がらせをする団体である。政府は国民の敵である。昔の国民が政府に従っていたのは、暴力団に脅されたからである。暴力団に脅されなければ、国民は政府に従うものではない。
幸[さいわ]い、今の社会では暴力が禁止されている。だから、今では国民は政府に従わなくていい。

[12253] 昔と今の違い h23.3.16
政府や幕府などの暴力団体は、暴力を使って国民を脅して国民に無理やり命令を聞かせる。[暴力団は政府の機関だから、暴力団が暴力を使うのは政府が暴力を使うのと同じである。]政府も幕府も暴力を使って国民を無理やり嫌な命令に従わせて国民を嫌がらせる。政府と幕府では国民の嫌がらせ方が違うだけである。
昔は文明が遅れていて社会が野蛮だったので、暴力を使うことが許されていた。そのため、政府や幕府などの暴力団体がのさばっていたのである。
しかし、今は文明が進んで社会が文明的になったので、暴力を使うことが禁止されている。そのため、政府や幕府などの暴力団体が滅びるのだ。今では新機関([12149]を参照)のような国民と平等な政治機関しかやって行けないのだ。[昔は社会が野蛮だったので人々は決まりをいいかげんに守ればよかったが、今では社会が文明的になったので人々は決まりを厳しく守らなければならなくなった。つまり、昔はちょっとぐらいいけないことならやってもよかったが、今ではちょっとでもいけないことはやってはいけなくなったのだ。だから、昔は暴力は使ってもよかったが、今ではいけなくなったのだ。]
昔は暴力以外にもたくさんの問題が山積みで暴力どころではなかった。人類の問題には優先順位があって人類は重要な問題から先に解決してきたのだ。そのため、暴力の問題がいつも後[あと]まわしにされて暴力団体が生き残ってきたのだ。人類にとっては飢[う]えや病気のほうが暴力よりも強敵だったから、人類は飢えや病気から先に倒してきたのだ。最近になってようやく暴力の問題が取り上げられるようになって暴力がいけないことだとされて暴力団体が滅んだのだ。

[12254] 第2次世界大戦はどうして起こったか? h23.3.17
政府は暴力団で国民を脅して国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせる団体である。
日本政府に限らず、世界中の政府がそうである。[ただし、インドを除く。後述。]
だから、世界大戦は世界中の国の政府の国民に対する嫌がらせである。嫌がらせの最[さい]たるものである。世界中の国の政府が国民を嫌がらせるために一致協力して世界大戦をやったのである。
インドが世界大戦に参加しなかったのは、インド政府だけが国民の支配のしかたが違うからである。他国の政府が暴力団で国民を支配しているのに対し、インド政府は身分制で国民を支配しているので、インド政府は他国の政府に比べて権力が弱いのである。インド政府は権力が弱いので、国民に戦争をやらせることができなかったのである。
だから、日本でも江戸時代には江戸幕府がインド方式で国民を支配していたから、江戸幕府の権力は日本政府の権力ほどはなかったのである。暴力団体の権力(命令力)が弱いほうが国民にとっては自由が増えてありがたいので、江戸時代の国民は他の時代の国民に比べて幸福だったのだろう。

[12255] 国民は政府に従わなくていい。☆☆ h23.3.17
政府は民主主義の政治機関ではない。政府は『暴力制の団体』である。つまり、政府は暴力団を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。そうやって、政府は国民から税金を取ったり、国民に国家宗教や戦争などをやらせてきたのである。政府は国民の眼を欺[あざむ]くために“民主主義の政治機関の芝居”をしているだけである。
ところが、今の社会では暴力が禁止されている。社会が文明的になって暴力が使えなくなったからである。今では暴力の使えない暴力団がいるだけである。
だから、今の政府は国民に無理やり命令を聞かせることができない。つまり、今の政府には権力(命令力)がない。
したがって、今では国民は政府に従わなくてもいい。つまり、国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなくていい。

[12256] 政府はもっと一生懸命[いっしょうけんめい]に“民主主義の政治機関の芝居”をしなければならない。 h23.3.17
これまで政府は暴力で国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせてきた。
しかし、今の社会では暴力は使えない。
だから、今の政府は国民に命令を聞かせることができない。
したがって、政府が国民から税金を取りたければ、政府はもっと一生懸命に民主主義の政治機関の芝居をして国民を騙[だま]さなければならない。政府が国民を騙せなければ、政府は国民から税金を取ることができない。

[12257] 自然状態 h23.3.17
昔は文明が遅れていて社会が野蛮だったので、暴力が使い放題[ほうだい]だった。そのために、政府や幕府などの暴力団体がのさばっていた。
だから、昔の人間社会(つまり自然状態)はホッブスが言ったように『万人[ばんにん]の万人に対する戦い』だったのである。けっしてルソーが言ったような平和な状態ではなかったのである。[たとえ麻薬はなくても暴力はあるから、政府以前にも暴力団体はあったと考えられる。]
動物の社会は『弱肉強食』である。力の弱い者が力の強い者の食い物にされる。昔は人間も動物同然だった。だから、昔の社会では暴力の強い者が暴力の弱い者を食い物にしていたのである。つまり、政府や幕府などの暴力団体が国民を食い物にしていたのである。
しかし、今は文明が進んで社会が文明的になったので、暴力が使えなくなった。今では暴力を使う者は人間社会から除[の]け者にされて生きて行けない。そのために、政府や幕府などの暴力団体が滅びたのである。人間はようやく人間らしく生きていけるようになったのだ。人間は昔は動物だったのであり、未来になるにつれて人間らしくなって行くのである。
未来の人間社会は暴力よりも知力が物を言う。未来の人間社会は正しい者がまちがった者を支配する社会になるのだ。

[12258] 政府と幕府の違い h23.3.17
政府も幕府も暴力団体である。つまり、政府も幕府も暴力で国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせていた。政府も幕府も暴力によって、国民から税金を取ったり、国民に嫌な命令を出して国民に嫌がらせをしたのである。[今の政府は実際には暴力団を使って国民を脅していないが、「自分が暴力団を持っているから自分に権力がある」と思って国民から税金を取ったり、国民に国家宗教などの命令を出したりして国民に嫌がらせをしているのである。]
政府と幕府の違いは、政府が麻薬を許可していたのに対し、幕府が麻薬を禁止していたことである。今の政府は表で麻薬を禁止しているふりをして、裏では麻薬を許可しているのである。
最近までずっと人間社会では暴力を使うことが許可されていた。そのため、最近までずっと人間社会では暴力団体が国民を支配していた。最近になってようやく人間社会で暴力を使うことが禁止された。そのため、最近になってようやく人間社会で暴力団体が国民を支配できなくなった。
今の国民が政府を支持しているのは、麻薬がやれるからである。新機関([12149]を参照)でも国民が犯罪を犯さないかぎり麻薬をやってもいいから、政府を支持する必要はない。ただし、麻薬は個人的に楽しむ以外には使ってはいけない。
政府や幕府は暴力団体だったから権力団体(国民を一方的・強制的に命令に従わせることのできる団体)だった。政府や幕府は権力団体だったので国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせていた。一方、新機関は“国民が決めた法律”で国民を管理するだけであって、“国民が決めた法律”の違反者を警察で取り締[し]まるだけだから権力団体ではない。新機関は権力団体ではないから、国民に“国民が決めた法律”によらない余計な命令を出して国民を嫌がらせたりはしない。

  政府 幕府 新機関
暴力団体 ×
麻薬 ×
権力団体 ×


[12259] どうして国民は政府に従っているのか? h23.3.17
政府に疎[うと]い国民は政府の民主主義の芝居にすっかり騙[だま]されて「政府が民主主義の政治機関だ」と思って喜んで政府に従っている。それは、政府の民主主義の政治機関の芝居の賜物[たまもの]だから、政府は自分の芝居の才能に自信を持てばいい。
しかし、政府に詳[くわ]しい国民は『政府が暴力団を使って国民を脅して国民に命令を聞かせている』ことを知っている。
しかし、政府に詳しい国民でも「暴力が永遠に使える」と思っている。「暴力は人間に手足があるかぎり使えるから、暴力は永遠に使える」と思っているのである。
だから、政府に詳しい国民も政府に従っているのである。
しかし、実際には『今では社会が文明的になって暴力が使えなくなった』のである。社会が文明的になると人間が知的になって暴力を使わなくなるからである。
だから、今では国民は政府に従わなくていいのである。今はまだ新機関が出来ていないが、とにかく今の国民は政府に従う必要はないのである。

[12260] 『泣いた赤鬼』(訂正) h23.3.18
赤鬼は、政府の民主主義の政治機関の芝居をする部のことである。
青鬼は、政府の暴力団の部のことである。
[政府には他[ほか]に、国民に嫌な命令を出して国民を嫌がらせる部もある。]
赤鬼の店で売っているおいしいお菓子には特に意味はない。
青鬼が赤鬼にわざとにやっつけられて青鬼が旅に出ていなくなったことは、日本では戦前には暴力団がたくさんいたが、戦後は警察による暴力団の取締[とりしま]りがきつくなって暴力団が壊滅[かいめつ]したことを表している。
だから、今の政府には暴力団の部はない。
政府は暴力団の部で支えられた団体である。だから、今の政府はすでに滅んでいるのだ。政府は自分で自分を滅ぼしたのだ。

[12261] 今の政府にできること h23.3.18
政府は暴力団を使って国民を暴力で脅して命令を聞かせる団体である。政府は国民を暴力で脅して、国民から税金を取ったり、国民に国家宗教や戦争などをやらせてきた。
ところが、今の社会では暴力が使えない。
だから、今の政府は国民に命令を聞かせられない。
したがって、政府は何もできずに滅びるしかない。
今の政府にできるのは民主主義の政治機関の芝居だけである。
だから、今の政府は民主主義の政治機関の芝居で国民を騙[だま]して国民から税金を取ったり、わけがわからずに政府に従う者に対して国家宗教などの命令を出して虐[いじ]めたりすることしかできないのである。
それ以外の国民に対しては政府は何もできないのである。だから、それ以外の国民は政府を無視して生きていけばいいのである。

[12262] 麻薬をやめるべきである。 h23.3.18
昔は文明が遅れていて社会が野蛮だったので肉体労働が主[おも]だったから、人は馬鹿でもよかったから麻薬をやれた。
しかし、今は文明が進んで社会が文明的になったので頭脳労働が主になったから、人は馬鹿ではいけなくなったから麻薬をやれなくなった。
今でも麻薬はやろうと思えばやれるが、時代の流れに反している。
だから、麻薬をやめるべきである。
文明が進むと暴力が使いにくくなるように、文明が進むと麻薬がやりにくくなるのだ。

[12263] 今では宗教がない。 h23.3.18
昔の社会では暴力が使えたから政府が暴力団を使って国民を痛めつけて命令を聞かせることができたので、政府に権力(命令力)があった。暴力団が国民に「政府の命令を聞かんかったら殺すぞ」と言って脅[おど]しつけたので、国民は暴力団が怖[こわ]くて政府の命令を聞いていたのである。
昔の社会では政府に権力があったので、政府が国の決まりを決めることができた。
そこで、政府は「国民は神に従わねばならない」ことにした。
それで、政府は神を決めて、神の情報を入れた嫌な命令を国民に出して国民を嫌がらせた。[宗教では、信者が神の情報が入ったことをすれば、信者が神に従ったことになる。]
しかし、今の社会では暴力が使えないから政府が暴力団を使って国民を痛めつけて命令を聞かせることができないので、政府に権力がない。
今の社会では政府に権力がないので、もはや政府は国の決まりを決めることができない。
だから、国民は政府が決めた国の決まりを守らなくていいのである。つまり、国民は神に従わなくてもいいのである。つまり、今では宗教はないのである。
一般に、今の政府には権力がないから、政府は国民に命令を出すことができない。だから、国民は政府の命令を聞かなくてもいいのである。国民は政府を無視して好き勝手に生きて行けばいいのである。

[12264] 今では税金がない。 h23.3.18
昔の社会では暴力が使えたから政府が暴力団を使って国民を痛めつけて命令を聞かせることができたので、政府に権力(命令力)があった。暴力団が国民に「政府の命令を聞かんかったら殺すぞ」と言って脅[おど]しつけたので、国民は暴力団が怖[こわ]くて政府の命令を聞いていたのである。
昔の社会では政府に権力があったので、政府が国の決まりを決めることができた。
そこで、政府は「国民は政府に税金を払わねばならない」ことにした。
それで、政府は国民から税金を取って国民を嫌がらせた。
しかし、今の社会では暴力が使えないから政府が暴力団を使って国民を痛めつけて命令を聞かせることができないので、政府に権力がない。
今の社会では政府に権力がないので、もはや政府は国の決まりを決めることができない。
だから、国民は政府が決めた国の決まりを守らなくていいのである。つまり、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。つまり、今では税金がないのである。
一般に、今の政府には権力がないから、政府は国民に命令を出すことができない。だから、国民は政府の命令を聞かなくてもいいのである。国民は政府を無視して好き勝手に生きて行けばいいのである。


[12265] 法律は国民が決めるものである。 h23.3.18
政府が法律を決められるのなら、政府が法律をいじって暴力が使えるようにして自分の権力を維持できるはずである。
しかし、実際には今の社会では暴力が使えなくなっている。政府に権力がなくなっている。
だから、法律は国民が決めるものである。社会が決めるものである。
昔は文明が遅れていて社会が野蛮だったから、国民みんなが暴力が使えることを認めていたから、暴力の強い政府が暴力の弱い国民を暴力で脅して食い物にしていたのである。国民は政府の食い物にされるのが嫌だったが、しかたがないことだとして諦[あきら]めていたのだ。
しかし、今は文明が進んで社会が文明的になったから、国民みんなが暴力が使えないことを認めているから、暴力の強い政府が暴力が弱い国民を食い物にできなくなったのである。国民は政府の食い物にされるのが嫌だから、食い物にされるのを断[ことわ]ればいいのである。
つまり、昔は国民みんなが「暴力が使える」法律を決めていたから、暴力が使えることを利用して政府が国民を支配したのだ。政府が国民を支配したから、政府が税金や国家宗教や戦争などの法律を決めることができたのだ。しかし、今は国民みんなが『暴力が使えない』法律を決めているから、暴力が使えることを利用できなくなって政府が国民を支配できなくなったのだ。政府が国民を支配できなくなったから、政府が税金や国家宗教や戦争などの法律を決められなくなったのだ。暴力が使えるか使えないかは国民みんなが決めることである。つまり、そもそも法律は国民みんなが決めるものであって、政府が決めるものではないのだ。
政治機関は国民が決めた法律を定めるだけである。言葉を文字に(不文法を成文法に)変換する機械である。だから、政治機関はしょせん大[たい]したものではない。

[12266] 世界が変わる! h23.3.18
戦前は暴力が使える世界だったが、最近は暴力が使えない世界になった。
それに伴[ともな]って、戦前は政府が国民を支配できたが、最近は政府が国民を支配できなくなった。
政府は滅んだ。
国民はようやく暴力団体から解放されて自由に生きていけるようになった。国民に余計な命令を出す鬱陶[うっとう]しいやつがいなくなって清々[せいせい]した。
今後は民間企業による政府の仕事の取り合いになるだろう。もっとも、国民を嫌がらせる仕事は取ってはいけない。

[12267] 宗教団体はどうやって儲[もう]けているのか? h23.3.18
宗教では「信者は神に従わねばならない」ことになっている。また、宗教では、「信者が神の情報が入ったことをすれば、信者が神に従ったことになる」。[信者が神に従うとは、信者が神と同じになることである。しかし、信者と神は別人だから、信者が神とまったく同じになることはできない。だから、信者は神と部分的に同じであればいいのである。つまり、信者は神の情報が入ったことをやればいいのである。例えば、キリスト教と川野教の信者は、キリストの頭に“輪っか”があるから、‘爆弾’が爆弾←BOMB←MB←川ブ(M≒川)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だから、イギリスの地下鉄の“環状線”で‘爆弾’テロをやればいいことになるのである(参考)。]
だから、宗教団体では、宗教家が神を決めて信者に神の情報が入った悪事をやらせて儲[もう]けているのである。つまり、宗教団体とは犯罪組織である。[日本政府は宗教を国民の嫌がらせのために使っているが、民間の宗教団体は宗教を自分たちのお金儲けのために使っているのである。]
日本国憲法第20条(宗教の自由)によれば、国民は宗教をやっていいから、民間の宗教団体は宗教をやって悪事を犯して儲[もう]けているのである。
しかし、今は暴力が使えない時代だから、政府には権力がない。だから、政府は憲法第20条を決めることができない。だから、日本では憲法第20条を使ってはいけない。したがって、民間の宗教団体はもはや宗教で儲けることはできない。

[12268] 『二条河原の落書[らくしょ]』について h23.3.19
二条河原の落書は、鎌倉幕府から日本政府に変わった直後の京都の様子[ようす]について記している。政治機関が入れ替わる時期には社会はこんな有様[ありさま]になるのだろう。まさに生き地獄である。
二条河原の落書が社会科の資料集に必ず載[の]っているのは、日本政府が生徒に「政府が倒れると社会が二条河原の落書みたいな状態になる」と思わせて、生徒に今の政府を守らなければならないと思わせるためである。 
しかし、今の時代に政府がなくなっても、二条河原の落書みたいにはならない。犯罪が増えてきたら、国民はすぐに警察を建てるだろう。それぐらいの経済的余裕は今の日本社会にはある。だから、国民は政府がなくなることをそれほど心配しなくていい。国民は安心して政府を倒せばいいのである。

[12269] 神とは何か? h23.3.19
宗教では、“宗教家が任意[にんい]に神を決めて、信者に神の情報を入れたことを何でもやらせていい”ことになっている。政府が暴力団で得た権力に物を言わせてそういう決まりを決めたからである。政府は自分の権力で国民全員を国家宗教の信者にして、国民に神の情報を入れた命令を出して国民の嫌がらせをしているのである。民間の宗教団体は政府が決めた決まりに便乗[びんじょう]して信者に悪事をさせてお金儲[もう]けをしているのである。[[12267]参照。民間の宗教団体が神としている者に霊視や自動書記などの超能力芸をさせるのは、一般の国民に「宗教団体がどうでもいいことをしている」と思わせるための芝居である。政府が民主主義の政治機関の芝居をしているのと同じことである。民間の宗教団体は裏の国民の眼の届かないところでえげつないことをしているのである。]
つまり、神とは、『宗教で宗教家が信者に命令を出すときに情報を用いる者』のことである。
神とは、人間よりも上の者ではない。
神とは、他人が見習うべき立派な人ではない。
神とは、奇跡を起こした人(超能力者)ではない。
神とは、温かみのある人ではない。
神とは、頭のいい人ではない。
神についての“余計な意味付け”をぜんぶ取り除[のぞ]いて、はじめて神についての正しい意味(つまり、神とは『宗教で宗教家が信者に命令を出すときに情報を用いる者』であること)がわかるのである。
社会科の教科書には、宗教や神について私の考えとは違ったことが書いてあるけれども、宗教団体が実際にやっていることから帰納的に考えると、宗教や神は私の考えのようになるのである。
それと同じように、社会科の教科書には、政府について私の考えとは違ったことが書いてあるけれども、政府が実際にやっていることから帰納的に考えると、政府は私の考え([12255]や[12261]などを参照)のようになるのである。そうすると、今の社会では暴力が使えないから、今の国民は政府に従わなくてもいいことになる。私は大変ことを発見してしまった。

[12270] 正義の名[な]において h23.3.19
今の社会では暴力が使えないから、今では暴力団体の政府には権力がない。
だから、今の国民の多くは“自分が得になるときだけ政府の命令を聞くことにしている”ようである。(←テレパシーで聞こえた。)
私の場合には、私は国家宗教の神だから、政府の命令を聞けば得になったかもしれない。しかし、私は正義の名において、たとえ自分が得になったとしても政府の命令を聞かなかったのである。
今の政府には権力がなくて政府が国民に国家宗教をやらせることができないので、政府の国家宗教に協力しないほうが正しいのである。
私にとっては自分がお金持ちになるよりも自分が正しいことをするほうが幸福なので、私は政府に協力しなかったのである。

[12271] 政府は悪者である。 h23.3.19
政府は暴力団を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。
政府にとって国民は暴力を振る対象にすぎない。
そんな政府が国民にいいことをしてくれるわけがない。政府は国民の嫌がらせをするだけである。
だから、実際に政府は国民に税金や国家宗教や戦争などの嫌な命令を出して国民の嫌がらせをしているのである。政府は国民の眼の届くところや国民の眼の届かないところで国民に嫌がらせの命令を出しているのである。
国民にとって政府は国民の嫌がらせをする悪者にほかならないのである。[政府は国民に「政府が善[い]い人だ」と思わせるために民主主義の政治機関の芝居をしているのである。]
国民が政府の命令を聞くと国民が政府に不幸にされるだけである。幸い、今の政府には権力がないから国民は政府の命令を聞かなくてもいい。だから、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。

[12272] 権力への意志 h23.3.19
権力への意志は暴力への道である。
つまり、人が権力を得るためには暴力を使うしかない。
実際に、これまでに政府や幕府は暴力団や刀などで暴力を使って国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせて権力(命令力)を得たのである。政府や幕府は権力を使ってこの世を自分の欲しいままにしたのである。
しかし、今の社会は文明が進んで人が知的になって暴力が使えなくなっている。
今の社会では暴力が使えない。だから、今の社会では権力が得られない。だから、今の社会では人々が平等なのである。つまり、人々が平等なのは文明社会の宿命なのだ。

[12273] 政府に入っても面白くない。 h23.3.19
政府が国民に何でも命令できるのだったら、政府に入るのは面白い。
しかし、今の政府には権力がないから、政府は国民に何も命令できないから、政府に入っても面白くない。
今では他人に何でも命令できる者はいない。
今の世の中では支配欲を生き甲斐[がい]にすることはできないのだ。

[12274] 無政府状態 h23.3.19
この世はすでに無政府状態である。
なぜなら、今の政府には権力がなく、政府は国民に命令できないから、政府はあってもないに等しいからである。
今では政府がないのに国民が犯罪を犯さないのは、国民が真面目[まじめ]だからである。たとえ警察がなくても、国民がひとたび犯罪者のレッテルを貼[は]られると人間社会ではまともに生きていけないから国民は犯罪を犯さないのである。
今では政府がないのに国民が誰も困っていないのは、これまで政府が国民のために何の仕事もしていないからである。これまで政府は国民に嫌がらせの命令を出していただけで、他[ほか]には何もしていなかったのである。

[12275] 今どきの国家宗教 h23.3.19
私は国家宗教の神である。[最近、政府はまた国家宗教の神を変えたようだから、今でも私が神であるかどうか定[さだ]かではないが。]
しかし、私は天皇家のように皇居に住んでテレビに出たりしたことがない。
それは、最近の政府は権力が弱いからである。
昔の政府は権力が強かったから、政府は国民にはっきりと国家宗教をやらせることができたので、国家宗教の神である天皇を国民みんなの眼の前に堂々と出して、国民全員に天皇の情報が入った命令を出すことができたのである。
しかし、最近の政府は権力が弱いから、政府は国民にはっきりと国家宗教をやらせることができず、政府は密[ひそ]かに私を国家宗教の神にして、政府の命令を聞く者だけに私の情報が入った命令を出すことしかできなかったのである。
今ではもはや政府に権力はない。だから、政府は国民に国家宗教をやらせることができない。国民みんなが神の情報が入った命令を聞かなくていいのである。一般に、国民みんなが政府のすべての命令を聞かなくていいのである。

[12276] 国家宗教とは何か? h23.3.19
古代の日本はローマとの文化交流があった。正倉院の柱のエンタシスがその証拠である。
ローマ政府は国家宗教をやっていたので、日本政府はローマ政府を真似[まね]て国家宗教を始めたのである。それが神武天皇教である。
国家宗教は民主主義のようなものである。
古代や中世の人々は自分が信じる神に従って暮らしていた。それが本来の宗教である。
そこで、政府は自分でオリジナルの神を作って、国民全員を強制的にその神に従わせることにしたのである。それがキリスト教や神武天皇教などの国家宗教である。
宗教は本来人々を幸福に導くものだったが、政府は宗教を悪用して神の情報を入れた嫌がらせの命令を国民に出して国民を嫌がらせて遊んでいたのである。ちょうど民主主義が本来は人々を幸福に導くはずなのに、政府が民主主義を悪用して“民主主義みたいな嫌がらせの命令”を国民に出して国民を嫌がらせて遊んでいたのと同じことである。例えば、税金や戦争の命令が“民主主義みたいな嫌がらせの命令”である。昔の政府は強い権力があったので、国民に嫌がらせの命令を出して国民を嫌がらせて遊んでいた。政府は国民が自分の幸福のためにやっていたことを国民への嫌がらせのために利用したのである。しかし、今の政府には権力がないのでもはやそんなことはやれない。むしろ政府ごと滅ぶべきである。

[12277] 政府の仕事 h23.3.19
1)政府の「暴力団の部」が国民を暴力で脅して政府の命令を聞くようにさせる。昔は暴力団が日本中にいて、国民が政府の命令を聞かないと暴力団が国民の家に来て家の物を壊したり家族の者の身体を殴[なぐ]ったり蹴[け]ったりしたのである。
2)政府の「命令を出す部」が国民に命令を出す。“国家宗教みたいな嫌がらせの命令や民主主義みたいな嫌がらせの命令”を出して国民を嫌がらせる。国民を上辺[うわべ]では喜ばせながら、その実[じつ]嫌がらせる。[昔から政府が“玉虫色”と言われるのは、そのためである。政府は嫌がらせの命令に国家宗教の神の情報を入れることによって国民に国家宗教の命令(神の意思に従った命令)だと思わせたり、嫌がらせの命令にいくつかの民主主義的な理由をつけることによって国民に民主主義の命令だと思わせたりしているのである。]
3)政府の「芝居の部」が国家宗教の芝居や民主主義の政治機関の芝居をして国民に「政府がいい人だ」と思わせて、国民を政府の“国家宗教みたいな嫌がらせの命令や民主主義みたいな嫌がらせの命令”に従いやすくする。
つまり、政府は国民を暴力で脅したり芝居で国民に「政府がいい人」だと思わせたりすることによって、国民を“喜ばせるふりをしてじつは嫌がらせる命令”に従わせる団体である。最近の政府は暴力よりも芝居に力を入れている。今の社会では暴力は使えないが、芝居はやってもいいからである。しかし、暴力では権力が発生するが、芝居では権力は発生しない。
国民は政府の命令を聞くと不幸にされる。幸い、今の社会では暴力が使えないから、今の政府には権力がないから、国民は政府に従わなくてもいい。だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。[今の政府には権力がないから、政府の記者会見のとき政府の者にイタズラをしてもいいだろう。]

[12278] 勉強とは何か? h23.3.19
勉強とは情報を知ることである。
「自分が考える」か「他人が考えたことを学ぶ」かして自分が知ることである。
特に、これまでに他人が考えたことのないことについては自分が考えて知るしかない。
例えば、政府や宗教についてはこれまでに正しいことを考えた人がいないから、私が自分で考えて知るしかなかったのである。
国民の多くは政府について自分で考えないし他人が考えたことを学んでもいない。国民の多くは政府について何も知らずに政府に従っている。国民の多くは私が考えたことを学ぶべきである。

[12279] どうして世界中で宗教をやる人が減っているのか? h23.3.20
世界中の国で政府の権力が弱くなっているからである。
昔は世界中の国で国民が政府に脅[おど]されて無理やり国家宗教をやらされていた。[外国では政教分離というけれども、本当は日本のように政府と国家宗教団体が分離していなかったのだ。つまり、外国でも今までずっと政府が国家宗教をやっていた(つまり、政府が神の情報を入れた命令を国民に出していた)のだ。]
今は世界中の国で国民が政府に脅されなくなって国家宗教をやめた。
今では世界中の国で文明が進んだために暴力が使えなくなって政府の権力が弱くなっているのだ。
もうすぐ地球上のすべての国から政府がなくなるのだ。

[12280] 暴力団と警察の違い h23.3.20
暴力団は、税金や国家宗教や戦争などの「政府の命令」を国民に聞かせるためにある。「政府の命令」を聞かない者を痛めつけて国民に「政府の命令」を守らせるためにある。
一方、警察は『国民が決めた法律』を国民に守らせるためにある。『国民が決めた法律』を守らない者を取り締[し]まるためにある。[日本国憲法には「政府の命令」と『国民が決めた法律』がいっしょに書いてあるけれども、本来は区別すべきものである。]
だから、暴力団は政府の命令で動くが、警察は国民の要請[ようせい]で動く。
暴力団は政府のためにあるが、警察は国民のためにある。
しかし、今の社会では暴力が使えないから、今では暴力団は動けなくなっている。だから、国民は「政府の命令」を聞かなくていい。政府に税金を払ったり、政府の国家宗教や戦争などの命令を聞かなくていい。
警察は政府から独立して民営化すればいい。

[12281] どんな者が国家宗教の命令を聞いているのか? h23.3.20
今でも政府の国家宗教の命令を聞いている者がいる。例えば、日本航空123便墜落事故アメリカ同時多発テロ事件ロンドン同時爆破事件は、日本やアメリカやイギリスの政府が国家宗教で起こしたものである。[日本航空123便墜落事故は圧力隔壁の破損が原因だから、日本政府が神武天皇教で起こした事故である。つまり、圧力隔壁が神武天皇の光るトンビの喩[たと]えであり、圧力隔壁の破損は天皇の人間宣言のことである。日本政府は日本神道の信者に命令して日本航空123便墜落事故を起こさせたのである。アメリカ同時多発テロ事件は[12183]を、ロンドン同時爆破事件は[12184]を参照。]その他[ほか]にも、世界中の政府が国民に国家宗教で命令していろんなことをやらせている。
政府の国家宗教の命令を聞いているのは、神に従わねばならないと思っている者と政府に従わねばならないと思っている者のどちらかである。
どちらも考えが足りない。
今では社会が文明的になって人が知的になって暴力が使えなくなったから政府には権力がない。だから、政府に従わなくていい。
神は、政府が国民が従わねばならないと決めた者のことであり、今では政府に権力がなく政府が国民を神に従わせることができない。だから、神に従わなくていい。
だから、正しい考えのある者は、政府の国家宗教の命令なんか聞かないのである。

[12282] 男は度胸 h23.3.20
昔から『男は度胸、女は愛嬌』と言う。
暴力団に逆[さか]らえるのが男の才能である。
政府は暴力団を使って国民を暴力で脅して国民に命令を聞かせる団体である。
幸いにも、今の社会は文明的になって人は知的になって暴力が使えなくなっている。
だから、男は政府の命令を聞かなければいい。
今は男女同権だから、女も政府の命令を聞かなければいい。

[12283] どうして政府は国家宗教や民主主義の政治の芝居をするのか? h23.3.20
そもそも政府は暴力団を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。政府は暴力で脅して国民に嫌がらせの命令を出す団体である。
だから、政府は国家宗教や民主主義の政治機関の芝居をしなくてもいいはずである。政府は暴力団だけを使って国民に強引に嫌な命令を聞かせばいいはずである。
しかし、暴力団は国民に比べて人数が少ないから暴力団は弱い。国民が本気になるとすぐに暴力団が皆殺しにされる。政府が国民に皆殺しにされる。
そのため、政府は国家宗教や民主主義の政治の芝居をして、政府が悪者であることが国民にバレないようにしているのである。政府は国民の嫌がらせの命令を国家宗教や民主主義で覆[おお]って好[い]い命令に見せかけているのである。国民の多くは馬鹿だから、政府の芝居に騙[だま]されて、喜んで政府の嫌がらせの命令に従っているのである。政府はできれば好き勝手に命令を出したいのだが、暴力団が弱いために国家宗教や民主主義の政治の芝居をしなければならず、国家宗教や民主主義みたいな命令しか出せないのである。
だから、そもそも暴力団は弱いのである。政府は暴力団の弱さを補うために、国家宗教や民主主義の政治の芝居をしなければならなかったのである。
しかも、今では社会が文明的になり人が知的になって暴力を使わなくなった。以前よりもますます暴力団が弱くなった。そのために、今では国民は政府の命令を聞かなくてもよくなったのである。
今の時代は暴力が使えず権力が得られないから、もはや『純粋な民主主義の政治機関』しかやって行けない。政治機関が真面目[まじめ]に仕事をしてそこそこの収入が得られるなら、それ以上のことを言うのは贅沢[ぜいたく]である。


[12284] どうやって日本政府は日本を支配したか? h23.3.21
日本政府は古代の日本を支配した。
今の日本政府は暴力団と国家宗教と麻薬で日本を支配しているが、日本政府は古代に出来たときからずっと暴力団と国家宗教と麻薬で日本を支配してきたのだ。暴力団と国家宗教と麻薬は日本政府にとっての三種の神器[じんぎ]なのだ。
日本政府は永遠に暴力団と国家宗教と麻薬で日本を支配し続けるのだ。日本政府は最初に決めたやり方で永久に日本を支配しなければならないのだ。途中で支配のやり方を変えるわけにはいかないのだ。だから、中世末に世界的に麻薬が禁止された時、日本政府は滅ばねばならなかったのだ。
徳川幕府は刀と身分制と鎖国で日本を支配したが、徳川幕府も最初に決めたやり方で永久に日本を支配しなければならなかった。だから、幕末にペリーが日本に来て開国を迫[せま]った時、鎖国に反するという理由で幕府は滅ばねばならなかったのだ。一般に、暴力団体には滅ぶまでずっと最初に決めたやり方で国を支配しなければならない決まりがある。暴力団体が途中で支配のやり方を変えるわけにはいかないのだ。
日本政府は永遠に暴力団と国家宗教と麻薬で日本を支配し続ける。日本政府は永遠に日本国民に嫌がらせの命令を出し続ける。日本政府が滅ばないかぎり、100年後も1000年後も同じやり方で国民を嫌がらせ続ける。それまでに、どれだけ多くの国民が政府の犠牲[ぎせい]になるかわかったもんじゃない。
もはやこれ以上日本政府に日本を支配させてはならない。だから、日本国民は日本政府を滅ぼさねばならない。幸いにも、今の社会は文明的になって人は知的になって暴力が使えないから、暴力団体の日本政府は滅ばねばならない。中世末に麻薬が禁止されたときに政府が滅んだように、幕末に鎖国が禁止されたときに幕府が滅んだように、今では暴力が禁止されたから政府が滅ばねばならないのだ。暴力団体には必ず暴力で国を治めねばならない決まりがあるから、暴力が禁止されれば暴力団体は必然的に滅ばねばならない。今後は、暴力を使わない権力のない団体が、国を治めねばならない。
(平成23年3月23日追加)政府は暴力団と国家宗教と麻薬で国を治める団体である。政府の国の支配のやり方は昔から決まっている。ところが今の社会は文明的になって人が知的になって暴力を使わないし宗教をやらないし麻薬をやらなくなっている。今の社会の中では政府は生きて行けない。だから、政府は滅ばねばならない。政府が途中で国の支配のやり方を変えて生き残るわけにはいかない。政府は潔[いさぎよ]くばったりと滅ばなければならないのである。

[12285] 社会が暴力団体を滅ぼした。 h23.3.21
政府は暴力団を使って国民を暴力で脅して国民に命令を聞かせる暴力団体である。
しかし、今の社会は文明的になって人が知的になったために、今の社会では暴力が使えない。腕力に物を言わせるのは頭の悪い馬鹿のやることであり、今の社会には似合[にあ]わないからである。ちょうど、チョンマゲと羽織、袴[はかま]が馬や籠[かご]には似合うが、電車や自動車には似合わないようなものである。つまり、今の時代に暴力で脅すのはかっこ悪くてみっともないので、暴力団は国民を暴力で脅すのをやめたのだ。
だから、今の政府は国民に命令を聞かせることができない。
したがって、今の政府はいやがうえにも滅ばざるを得ない。たとえ政府を滅ぼす人が現れなくても、政府はひとりでに滅びるしかない。[坂本龍馬[さかもとりょうま]が幕府を倒したのではなく、日本国民みんなが開国したほうがいいと思ったから幕府が倒れたように、今では国民みんなが暴力がないほうがいいと思っているから政府が倒れるのである。政府が暴力団体と知らないのは知らない者が悪いのであって、実際に政府は暴力団体だから暴力が使えなくなれば滅びるのは当然である。]
政府を滅ぼしたのは今の社会である。いくら暴力団体でも社会にはかなわないのだ。

[12286] どうして政府に権力があるのか? h23.3.21
暴力制の団体には権力がある。暴力制の団体は国民を暴力で脅して国民に無理やり命令を聞かせるから権力(命令力)があるのである。
一方、民主主義の団体には権力がない。民主主義の団体は国民と平等だから権力(命令力)がないのである。[例えば、国家宗教団体や国会は民主主義団体なので権力がない。]
政府が国民から税金を取ったり、国民に民主主義によらない命令を出すことができるのは、政府に権力があるからである。
政府に権力があるのは、政府が暴力制の団体だからである。政府は暴力団を使って国民を脅していたのである。
政府は暴力制の団体だから、暴力が使えなくなれば滅びるしかない。

[12287] 今の政府には権力がない。 h23.3.21
政府は暴力団を使って国民を暴力で脅して国民に無理やり命令を聞かせる団体である。
昔の社会は暴力が使えたから、政府に権力があった。
今の社会は暴力が使えないから、政府に権力はない。
今の政府には権力がないから、民間会社がいくら政府の下についても無駄[むだ]である。
民間会社は政府から独立してやっていったほうがいい。

[12288] 政府についての不確定性原理 h23.3.21
政府は暴力団を使って国民を脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる暴力団体である。
政府の夢は、暴力で国民を脅して自分の好き勝手な命令を出すことである。
しかし、実際には暴力団の力が足りないので、民主主義を入れた命令を出している。[国家宗教は昔の民主主義である。[12276] を参照。]
したがって、一般に、政府の命令は政府の自分勝手な命令から民主主義の命令までさまざまである。国民を嫌がらせる命令から国民を喜ばせる命令までいろいろである。
政府は国民にとって悪者でもあるし善[い]い者でもある。政府は国民にとって敵でもあるし味方でもある。政府は暴力団体でもあるし民主主義の団体でもある。政府は暴力団体と民主主義の団体の中間の団体である。政府は白黒つかない曖昧[あいまい]な存在である。国民は政府のようなはっきりしない者を相手にするのは嫌である。
幸いなことに、今の社会では暴力が使えなくなっている。だから、今の政府には権力(命令力)がない。暴力の使えない暴力団体には権力がなく、民主主義の団体にはもとから権力がないからである。[[12286]を参照。]したがって、国民は政府の命令を聞かなくてもいい。国民は『国民が決めた法律』を守って生きて行けばいいのである。

[12289] 被害者が警察にお金を払うのは合理的である。 h23.3.21
国民が犯罪にあうのは、歓楽街[かんらくがい]などの犯罪にあいやすいいかがわしい場所に行ったり、家の戸締[じま]りが不十分であったりする場合である。
だから、犯罪にあうのは、犯罪を犯す者だけではなく、犯罪にあった者にも責任がある。
だから、犯罪にあった者が警察にお金を払って警察に来てもらうのは合理的である。
新機関([12149]参照)では、毎月保険料を払っている者は無料で警察に来てもらえるが、毎月保険料を払わない者でも警察にその都度[つど]お金(目安としては1万円)を払えば警察に来てもらえることになっている。

[12290] 政府の命令 h23.3.21
政府は暴力団を使って国民を暴力で脅[おど]して国民に無理やり命令を聞かせる暴力団体だが、実際には暴力が足りないので民主主義もやっている。
そのため、政府は国民に民主主義によらない命令と民主主義による命令の両方を出している。民主主義によらない命令とは、税金や国家宗教による犯罪や戦争の命令などである。[国家宗教は昔の民主主義である。]つまり、国家宗教で国民を嫌がらせる命令が出せるように、民主主義でも国民を嫌がらせる命令を出すことができる。それが、例えば、税金や戦争である。日航機123便墜落事故やアメリカ同時多発テロ事件が“国家宗教みたいな国家宗教でない命令”であるように、税金や戦争は“民主主義みたいな民主主義でない命令”なのだ。
一般に、政府の命令には民主主義によらないことと民主主義によることの両方が混じっている。
政府の命令は民主主義だけによる命令がない。
政府の命令はいつも政府の国民に対する嫌がらせが混じっている。[今の社会では暴力が使えないが、政府は全国に8万人の暴力団を置いているという理由で、国民に民主主義によらない嫌がらせの命令を出しているのである。]
政府の命令は国民を喜ばせるし嫌がらせもする曖昧模糊[あいまいもこな]な命令である。
一方、私の新機関([12149]参照)は『純粋な民主主義の政治機関』である。私の新機関は民主主義だけの命令を出す。新機関は暴力で国民を脅さないので権力がないから国民を嫌がらせる命令を出さない。新機関は国民を喜ばせる命令しか出さない。
国民は政府よりも新機関の命令に従ったほうが幸福になれる。だから、国民は早く政府を潰[つぶ]して新機関を建てたほうがいい。

[12291] 政府は弁証法的[べんしょうほうてき]な団体である。 h23.3.21
政府は暴力団と民主主義の政治機関の両方で出来ている(下図参照)。
暴力団は政府自身のためにあり、民主主義の政治機関は国民のためにある。政府はできれば暴力団で国民を脅して国を自分の思い通りにしたいのだが、実際には暴力団がそんなに強くないので国民を喜ばせることもしなければならないのである。
これまで政府は暴力団と民主主義の政治機関の両方を使って、“民主主義か民主主義でないかわからない中途半端[ちゅうとはんぱ]な命令”を出してきた。“国民を喜ばせるか嫌がらせるかわからない曖昧模糊[あいまいもこな]な命令”を出してきた。
政府は国民を嫌がらせる暴力団と国民を喜ばせる民主主義の政治機関が止揚[しよう]された団体である。ファジーな団体である。
国民は政府に嫌がらせながら喜ばされている。喜ばされながら嫌がらされている。政府は国民を幸福にしながら不幸にもしている。政府は国民を“天国と地獄の中間の世界”に導く。
国民が政府の命令を聞いていると、幸福か不幸かわからない状態にされる。国民が政府の命令に従っても国民は幸福にはなれない。政府は国民を幸福に導く機関ではない。幸い、今の社会では暴力が使えず政府に権力がないから、国民は政府の命令を聞かなければいい。

[平成23年4月6日追記)アニメ『タイムパトロール隊オタスケマン』の悪玉トリオと善玉コンビが宇宙ステーションに同居しているように、日本政府の中に暴力団と民主主義団体が同居しているのだ。悪玉トリオと善玉コンビは私の親戚と天皇から作ったキャラクターである。ヒカル(オタスケマン1号)は天皇で、ナナ(オタスケマン2号)は私で[ナナ←川ノ(マッチ棒パズルの要領[ようりょう]←川野(私の姓)←私]、アターシャが私の叔母[おば](皇后[こうごう]に似ている)で、セコビッチが私で、ドワルスキーが私の弟で、ゲキガスキーが天皇である[私は劇画を読まない。]。宇宙ステーションは政府で、悪玉トリオは政府の暴力団で、善玉コンビは政府の民主主義団体のことである。悪玉トリオと善玉コンビは私と天皇から作っているというだけで、それ以上の意味はない。アニメ『新ビックリマン』に登場するタットー一世も善と悪のふたつの心を持っていた。タットー一世は政府のことである。善の心は民主主義団体で、悪の心は暴力団のことである。]

[12292] 政府の命令はどのようにして作られるか? h23.3.21
政府は暴力団と民主主義の政治機関から成る。
暴力団は国民を嫌がらせる命令を作る。例えば、暴力団は「国民を殺せ!」とか「国民にまずい物を食わせろ!」とかいった命令を出すのである。
国会や日本神道は国民を喜ばせる命令を作る。
行政機関で暴力団が作った国民を嫌がらせる命令と国会や日本神道が作った国民を喜ばせる命令が混ぜ合わされてひとつの命令となって国民に出される。
だから、国民は政府の命令を聞くと“幸福と不幸の中間状態”にされるのである。
政府は命令の工場である。政府に暴力団があるために政府が権力(命令力)を持ったり、政府が国民を嫌がらせる命令を出したりする。暴力団が政府が悪い原因である。だから、政府から暴力団を取り除[のぞ]けばいい。それが、新機関である。[ただし、最近は宗教をする国民がほとんどいないから、新機関では国家宗教はやらないことにする。]


[12293] 政暴分離[せいぼうぶんり] h23.3.21
今の政府は暴力団があるから悪くなっている。政府に暴力団があるために、政府が権力(命令力)を持ったり、政府が国民に嫌がらせの命令を出したりする。
政府が善悪入り混じっているのは暴力団のせいである。
だから、政府と暴力団を分けたらいい。そうすれば、政府は善だけになり、暴力団は悪だけになる。政府は純粋な民主主義の政治機関になり、暴力団は純粋な暴力制の団体になる。政府は国民と平等になって国民を喜ばせる命令を出すし、暴力団は付近の住民を暴力で脅して付近の住民を思うがままにするようになる。政府は完全な民主主義の政治をするようになり、暴力団の縄張りが狭[せば]まって国民にとっては都合がいい。
暴力団が政府を隠れ蓑[かくれみの]にして生きながらえているのも卑怯[ひきょう]だ。だから、政府と暴力団を分離して暴力団を政府から独立させて暴力団を裸にして国民の眼につくところに晒[さら]して、国民に暴力団を攻撃させて暴力団を潰[つぶ]しやすくすればいい。

[12294] なぜヨーロッパでは政教分離をしたのか? h23.3.21
日本ではいまだに政教一体だけれども、ヨーロッパではかなり以前から政教分離をしている。
ヨーロッパで政教分離をしたのは、国家宗教が民主主義の議会政治に比べて古臭くなったからである。
国家宗教は古代や中世の民主主義だった。古代や中世においては国民が国家宗教の神に従う気持ちになることによって“いい子”にしていたのである。しかし、近代になって新しく議会制民主主義が出来たので、世界の先進国としてのヨーロッパでは、政府が新しい議会制民主主義を採[と]って古臭い国家宗教を捨てたのである。
しかし、それは表向きであって、実際にはその後もヨーロッパ政府は裏で国家宗教をやっていたのである。
日本ではいまだに政教一体である。日本政府は先進国ぶらずに正直だったのだ。
今の国民の多くは法律を守ることによって善良な市民として生きている。今どき宗教をやって神に従っている国民はほとんどいない。政府も権力がないから、国民を無理やり国家宗教の信者にすることはできない。今の政府は今では少なくなった国家宗教の信者に国家宗教の神の情報が入った命令を出して善[い]いことや悪いことやいろんなことをやらせているのである。

[12295] 政府は民主主義的な暴力団体である。 h23.3.22
政府はできれば暴力団で国民を脅すだけにしたかった。それなら、政府はいっさい制約がなく国民に好き勝手な命令を出すことができるからである。
しかし、実際には暴力団はそれほど強くなかったから、政府はしかたなく民主主義をやって国民の支持を得ることによって暴力の不足を補わねばならなかった。そのため、政府の命令には民主主義による制約が伴うことになったのである。つまり、政府は国家宗教や民主主義のように見える命令を出さねばならなくなったのである。[国家宗教は昔の民主主義である。]
そのために、政府は国家宗教や民主主義で装[よそお]いながら暴力的な命令を出すようになったのである。例えば、政府が国家宗教や民主主義で人殺しの命令を出すのはそのためである。暴力団のやりたいことは人を殺すことである。[暴力団は遺伝子の突然変異で生まれつき残酷[ざんこく]な心だけが発達した異常者なので、人を殺したがるのである。XYYの性染色体を持つ者(超男性)が生まれつき残酷な心が発達しているように(参考)、暴力団員は生まれつき何らかの染色体の異常で残酷な心が発達した者なのである。]政府は暴力団である。政府のトップは暴力団の人である。だから、政府は人殺しをするのである。もっとも、民主主義で人殺しの命令を出すのは難しいから、政府は専[もっぱ]ら国家宗教で人殺しの命令を出している。[政府にとっては民主主義の命令よりも国家宗教の命令のほうが作りやすいから、政府は国民のほとんどが宗教をやらなくなった今でも国家宗教をやっているのである。民主主義の命令はいちいち理由が要るのに比べて、国家宗教の命令は神の情報を入れさえすればいいから、政府は民主主義の命令よりも国家宗教の命令のほうが作りやすいのである。]しかし、最近は文明が進んで人が知的になって宗教をやる人が減ったから、政府も国民に国家宗教をやらせるのには苦労している。そもそも今の社会では暴力が使えなくなって政府に権力がなくなっているから、年々政府が国民に命令を出せなくなっている。政府が潰[つぶ]れるのも時間の問題だ。

[12296] 暴力団の夢 h23.3.22
暴力団の夢は人類を皆殺しにすることである。人類を不幸にすることである。
一方、国民の夢は人類を幸福にすることである。
暴力団は遺伝子の突然変異で生まれた人間なので国民と心が反対なのである。
暴力団は人類を不幸にする命令を出す。
民主主義(つまり国民主義)の政治機関は人類を幸福にする命令を出す。
政府は暴力団と民主主義の政治機関が組んだ団体なので[[12291]の図を参照。]、人類を不幸にする命令から人類を幸福にする命令までさまざまな命令を出す。しかし、政府はやはり暴力団が主体なので、どちらかと言うと人類を不幸にする命令を出す。[正月のデパートの福袋(福袋は白くて丸いから神武天皇の光るトンビのことであり、福袋とは政府の神武天皇教の喩[たと]えである。)のように、アニメ『デ・ジ・キャラットにょ』第2話「ぷちこと一緒[いっしょ]かにょ?」に登場する“ソフトせんべい”(ソフトせんべいのソフトはソフト←川ブ(“ト”の長い縦線を“ソ”に移して“川”、“ト”の短い斜め線を“フ”に移して“ブ”)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私であり、せんべいは白くて丸いから神武天皇の光るトンビのことであり、つまりソフトせんべいとは政府の国家宗教の命令の喩[たと]えである。)のように、政府の命令はいい命令が出るか悪い命令が出るか命令が出るまでわからないのだ。]
暴力団の喜びは人類を不幸にすることしかない。しかも、暴力団は暴力を使うので権力(命令力)がある。これでは、国民が暴力団に一方的に不幸にされるだけである。
幸いなことに、今の社会は文明的になって人が知的になって暴力が使えなくなっている。今の社会にはもはや暴力団の出番はない。暴力団に権力はない。政府は暴力団である。だから、今の社会では政府は権力がなく国民に何も命令できず滅びるしかない。

[12297] どうして政府に権力があったのか? h23.3.22
政府の権力の源[みなもと]は暴力団である。日本神道や国会ではない。
日本神道や国会は民主主義団体(国民主義団体)であり、民主主義団体は国民に従わねばならず国民と平等だから、民主主義団体には権力がないのである。[だから、政府が国民から税金を取ったり国民に宗教をやってもいいとしているのは、民主主義によるのではなく、暴力によるのである。政府が国民に宗教をやってもいいとしているのは、政府自身が国家宗教をやるためである。]
一方、暴力団は国民を暴力で脅[おど]して命令を聞かせるので、暴力団に権力(命令力)があるのである。
政府にこれまで権力があったのは、暴力団に権力があったからである。政府は暴力団によって権力を得て国民に命令を出していたのである。政府は民主主義団体のふりをした暴力団体だったのである。だから、政府は民主主義的な命令から暴力団的な命令までいろんな命令を国民に出してきたのである。
しかし、今の社会は文明的になって人が知的になって暴力が使えなくなっている。だから、暴力団が活動できず、政府に権力がなくなっている。だから、例えば、政府は私を神とする国家宗教を密[ひそ]かにやらねばならなかったのである。最近世界的に戦争がなくなっているのも、世界中の政府に権力がなくなっていることの証拠である。今の政府は国家宗教の狂信者にしか権力がないのである。今の政府は国家宗教の狂信者に神の情報を入れた命令を出してテレビや新聞に出るような事件を起して世間を騒がせているのである。
今の政府には権力(命令力)がない。だから、国民は政府の命令を聞かなくてもいい。例えば、国民は政府に税金を払わなくていいし、政府の国家宗教や戦争などの命令に従わなくていい。
要するに、政府はクズの集まりである。政府の正体がわかったら誰が政府に1円も払うもんか!

[12298] 民主主義団体は税金を取れない。 h23.3.22
民主主義団体に権力はない。[日本国憲法の前文に書いてあることは嘘[うそ]である。つまり、国会は民主主義団体だから、国会に権力はないのである。]だから、民主主義団体は国民から税金を取れない。つまり、民主主義団体は自分の仕事のために強制的に国民からお金を取れない。民主主義団体は、必ず自分の収入の範囲内で仕事をしなければならない。
もしも、民主主義団体が自分の仕事のために国民から税金を取れるつまり強制的に国民からお金を取れるのなら、国民が欲しい物や国民に必要な物を作る会社が国民から税金を取っているはずである。例えば、電気やガスや水道の会社が国民から税金を取れることになる。しかし、実際にはそんな会社はひとつもない。[会社も民主主義団体である。]だから、民主主義団体は国民から税金を取れないのである。
今の社会は文明的になって人が知的になって暴力が使えない。だから、今の社会には暴力団体はない。つまり権力団体はない。今の社会には民主主義団体しかない。だから、今の政府すなわち“民主主義団体のふりをしている暴力団体”はなくならねばならない。もちろん、政府は国民から税金を取れない。
将来出来るであろう『純粋な民主主義の政治機関』(新機関)も国民から税金を取れず、国民と契約して経営しなければならない。契約が取れなければ、かなりセコい仕事しかできないかもしれない。新機関は最初は狭い地域でやってみて、儲[もう]かるなら地域を広げていけばいいかもしれない。[人間社会があるかぎり犯罪は必ず起こるから、新機関は裁判をするために被害者からお金を取ればある程度は儲[もう]かるはずである。(保険加入者は裁判料は無料。未加入者は裁判料(目安10万円)を払わねばならないことにする。)だから、新機関が潰[つぶ]れることはないはずである。たとえ新機関が潰れたとしても、それは国民にとって新機関が要らないことを意味しているからそれでいい。新機関が要ろうが要るまいが、とにかく今の政府に国民が従う道理はない。だから、今の国民は政府に従わなければいい。政府と新機関とは別問題である。新機関を作るか作らないかは、今後の人類が決めることである。未来社会には民主主義団体しかなく税金制は使えないから、なんとかして新機関を経営できる方法を探[さが]さねばならない。要するに、今の日本政府から暴力団と日本神道を引いて(取り除[のぞ]いて)、収入方法を税金制から契約制に変えればいいのである。]

[12299] 学校について h23.3.22
今の政府は義務教育だが、今度できる『純粋な民主主義の政治機関』は義務教育ではない。子供が学校に行こうが行くまいが子供の自由である。
私個人としては、学校に行かなくても能力さえあればいいと思う。会社は採用試験をして成績がよければ採用すればいいと思う。
しかし、会社によっては学歴を重視するところもある。そんな会社に入るためには学校に行かざるを得ない。たとえ、子供が将来そんな会社に入る予定がなくても、念のために学校に行っておくに越[こ]したことはない。
だから、学校に行く子供は今とそんなに変わらないだろう。
だから、学校は十分経営できる。今の学習塾みたいに、学校に通う子供の親から月謝を取れば学校は経営できる。
親が飲んだくれで学校にお金を払う余裕のない子供は“学歴によらずに採用してくれる会社”に入るしかない。

[12300] 民間会社は政府と組んでも無駄[むだ]である。 h23.3.22
国会や日本神道などの民主主義団体には権力(命令力)がない。
暴力団に権力があるだけである。[[12297]を参照。]
これまで国会や日本神道に権力があったのは暴力団と組んでいたからである。暴力団が得た権力を使って国会や日本神道が国民に命令を出していたのである。
ところが今の社会では暴力が使えないから暴力団には権力がない。だから、政府全体に権力がない。国会や日本神道にも権力がない。
今の政府には権力がない。だから、民間会社が政府と組んでも権力が得られない。だから、民間会社が政府と組んでも無駄[むだ]である。


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