[11601] 政府は国民の役に立たない。 h22.12.21
暴力団は暴力で国民を脅[おど]して国民に不合理な命令を聞かせるだけである。例えば、国民からお金を取ったり、マンガ家に暴力団が神としている者に似たキャラクターを主役にしたマンガを描[か]かせたりする。
暴力団が国民の役に立つわけがない。暴力団は自分が暴力が使えると思っていい気になって国民に不利なことをするだけである。
政府は国際暴力団である。政府は大きい暴力団である。要するに、政府は暴力団である。
だから、政府も国民の役に立たない。国民にとって政府は早くなくなったほうがいい。
政府が国民の役に立つと思っている人は政府の洗脳にやられている。暴力団を美化したヤクザ映画を見て暴力団を正義の味方だと思っているようなものである。早く治さなければならない。
[11602] 国民は政府に税金を払わなくていい。 h22.12.21
今は暴力が使えない時代である。だから、政府と国民は平等である。だから、政府が国民にとって役に立つなら、国民は政府にお金をやればいい。
ところが、政府は国民にとって役に立たない。国民にとって政府は要らない。[[11601]を参照。]
だから、国民は政府にお金をやらなければいい。
早く政府を潰[つぶ]して、国際暴力団のない世界を作らなければならない。
[11603] 暴力団員は社会的弱者である。 h22.12.21
最近は国民が暴力団員を虐[いじ]めるようになっている。
暴力団員が暴力を使えなくなったらただの馬鹿である。
国民は暴力団員を社会的弱者と思って虐めているのである。
公務員は国際暴力団の組員である。
だから、今に国民が公務員を虐めるようになるだろう。
[11604] どうして暴力が使えなくなったか?☆ h22.12.21
戦後文明の利器が日本にたくさん入ってきた。
そのとき、国民は「科学が人間を幸福にする」と思った。
科学は合理的である。
だから、国民は「合理的なものが人間を幸福にする」と思った。反対に、「不合理的なものが人間を不幸にする」と思った。
暴力は不合理的である。
だから、戦後の国民は「暴力が人間を不幸にする」と思って暴力に反対するようになったのである。
戦後の国民は「合理的にすれば人間は幸福になる」と思って、何でも合理化を推[お]し進めるようになったのである。そのために、不合理的な暴力団が迫害[はくがい]されるようになったのである。
科学は合理的だが、文学は不合理的である。戦前の国民は「文学が人間を幸福にする」と思って不合理的な暴力団を許していたが、戦後の国民は「科学が人間を幸福にする」と思って不合理的な暴力団を許さなくなったのである。
つまり、昔は、「人間の心は不合理的だから、この世が不合理的なほうが人間にとっては幸福だ」と考えられていた。それで、みんなが不合理的なものを許していたのである。そのために、暴力団があったのである。
しかし、今は「たとえ人間の心が不合理的でも、この世が合理的であったほうが人間にとっては幸福である」と考えられるようになった。それで、みんなが不合理的なものを許さなくなったのである。そのために、暴力団が消えたのである。
要するに、戦前の人間は不合理主義だったが、戦後の人間は合理主義になった。それで、不合理的な暴力団が滅んだのである。政府も暴力団だから、その例外ではない。国民は政府が暴力団であることぐらいとっくの昔から知っている。昔は不合理主義だったから政府の存在を許していたまでである。今は合理主義だから政府の存在を許さないのである。
[11605] 戦後と戦前は反対である。 h22.12.21
人間にとっては幸福と不幸が最大の問題だ。人間は自分を幸福にする者を歓迎し、不幸にする者を迫害する。
戦前は「この世が不合理的なほうが人間は幸福である」と考えられていた。
だから、国民は暴力団を幸福の使者と考えて暴力団を歓迎した。だから、国際暴力団のような大きい暴力団があった。国際暴力団はこの世を不合理にするために税金や宗教や戦争などをやっていたのである。
しかし、戦後は『この世が合理的なほうが人間は幸福である』と考えられるようになった。
だから、国民は暴力団を不幸の使者と考えて暴力団を迫害するようになった。だから、国際暴力団(政府)も消えつつあるのだ。国際暴力団がなくなれば、税金や宗教や戦争などの不合理的なこともなくなる。
つまり、暴力団とは“不合理的なことをやる会社”である。戦前の人間は不合理主義だったから、暴力団が暴力で国民を脅すたびに国民は大喜びして暴力団の命令に従っていたのである。つまり、戦前の国民は暴力団に殴[なぐ]られたり蹴[け]られたりして暴力団の命令を聞くのが好きだったのである。戦後の人間は合理主義になったから、暴力団は客がいなくなって滅んだのだ。
[11606] 合理主義は暴力団の敵である。 h22.12.21
暴力団とは“不合理的なことをやる会社”である。
戦前は国民が不合理主義だったから、暴力団を応援した。戦前は国民は国際暴力団の組員だった。国民は政府の命令で何でもやった。
しかし、戦後は国民が合理主義になり、暴力団を迫害するようになった。戦後は日本国民は国際暴力団から足を洗って真人間[まにんげん]になり、国際暴力団を攻撃するようになった。そのため、政府は年々衰[おとろ]えているのだ。
[11607] どうすれば国民は儲[もう]かるか? h22.12.21
これまで政府は暴力を使って国民に法律を押し付けてきた。しかし、今は国民が合理主義になって、政府が暴力を使えなくなり、政府は法律を国民に押し付けられなくなった。つまり、政府の法律は無効である。国民は政府の法律を自由に破ってよい。
政府の法律には、例えば、家電リサイクル法とか、消費税法とか、医療保険自己負担率3割法などがある。たいてい政府が国民から余計な税金を取るためにある法律である。
だから、国民はそれらの法律を破って儲ければいい。例えば、家電リサイクル法なら、廃品回収業者が使用済みの電化製品を法律よりも安い値段で引き取って、国有林に捨てれば儲かる。消費税法なら、商店が政府に消費税を払うのをやめて客から消費税を取るのをやめれば、客は商品を安く買えて儲かるし商店は客が増えて儲かる。
それよりも、国民が政府に税金を払わなければ国民がもっと儲かる。
昔の国民は「不合理のほうが幸福になれる」と思って不合理なことばかりする国際暴力団(政府)に喜んで従った。しかし、今の国民は『合理のほうが幸福になれる』と思って不合理なことばかりする国際暴力団に従わなくなった。だから、今ではいくら国際暴力団が国民に法律を出しても国民は法律を守らないから無駄[むだ]である。
[11608] 幸福とは何か?☆ h22.12.21
昔の人は、「不合理が幸福だ」と考えていた。
そのため、世界中の至る所に暴力団があり、世界中の人類が国際暴力団(政府)に従っていたのである。[国家宗教は政府の国民に対するサービスだったのである。昔の国民は政府に不合理な国家宗教をやらされて喜んでいたのである。]
しかし、今の人は、『合理が幸福だ』と考えている。
そのため、世界中から暴力団が消え失[う]せて、世界中の人類が国際暴力団(政府)に従わなくなったのである。
今の人は『合理が幸福だ』と考えて、世界をどんどん合理化して行っている。そのおかげで、日本人は米を食べなくなっている。
[11609] 科学は人間を幸福にする。 h22.12.21
昔は、人々が「不合理が幸福だ」と考えていた。人々は不合理なことをする暴力団を自分たちを幸福にする者と考えて支持していた。人々は喜んで暴力団に殴[なぐ]られてお金を払い、暴力団の命令で不合理な宗教や戦争をやっていた。昔の人は、税金や宗教や戦争などのように自分が暴力団にわけがわからないことをさせられることを楽しみにしていたのである。[昔はテレビも何もなく毎日が退屈だったので、そんなことでもあったほうがないよりはマシだったのである。]
近代に入って科学が生まれたが、ガリレイやニュートンの頃はまだ科学と心が分かれていた。科学は人間を幸福にするものでも不幸にするものでもなかった。科学は学者だけのものだった。
その後しばらく、科学は心とは無関係にひとりで発展して行った。
20世紀に入ると、いろんな新しい物が発明されて科学と心が結びつくようになった。人々は『科学が人間の幸福に役に立つ』と考えるようになった。
その後、人々に科学が受け入れられ、科学が合理的だったために人々が合理主義になって行ったのである。つまり、人々が『合理が幸福だ』と考えるようになったのである。
そのため、今では暴力団が滅びかけている。
人類は最近になってようやく『不合理な人生よりも合理的な人生のほうが幸福である』ことに気付いたのである。それだけのことがわかるのに何万年もかかったのだ。だからこそ、その新しい発見を大事にしなければならないのだ。
[11610] 不合理主義の会☆ h22.12.21
政府(国際暴力団)や国内暴力団は不合理主義の会である。
昔は国民の大半が不合理主義だったので、暴力団は人気があった。暴力団は儲[もう]かっていた。
しかし、今は不合理主義よりも合理主義のほうが人気があるので、暴力団は下火[したび]なのだ。暴力団は儲からなくなったのだ。それで、年々政府や国内暴力団のやることが地味[じみ]になっているのだ。
今では、政府が国民に国家宗教をやらせても(つまり、政府が国民に神の情報が入った本やテレビ番組を見せたりしても)、政府自身が政府宗教で悪いことをやっても、そんなことで喜ぶ国民はほとんどいない。今の国民にとって政府はつまらない存在である。今の国民にとっては合理的なことのほうが面白いので、不合理的なことしかできない政府が面白くないのである。
合理的な世界には政府(国際暴力団)は要らない。さっさと政府を潰[つぶ]してしまえばいい。
[11611] どうして昔は暴力団があったのか? h22.12.21
昔の人は不合理主義だった。
昔の人は不合理的なことが好きだった。
だから、昔の人は不合理なことをする暴力団を喜んで支持したのである。
例えば、政府(国際暴力団)が暴力で脅してお金を取ったり国家宗教や戦争をやらせたり、政府自身が政府宗教で犯罪を犯したりすることが昔の人にとっては楽しみだったのである。つまり、そもそも政府は国民が喜ぶことをするサービス業だったのである。昔の人にとっては自分のお金のことなんかどうでもよく、とにかく政府が不合理的なことをやってくれればそれだけでうれしくなって政府にお金をいくらでも払ったのである。
反対に、今の人は合理主義である。
今の人は合理的なことが好きである。
だから、今の人は不合理的なことをする暴力団を嫌がって支持しない。
例えば、政府が暴力で脅してお金を取ったり国家宗教や戦争をやらせたり、政府自身が政府宗教で犯罪を犯したりすることが今の人にとっては面白くないのである。だから、もはや政府はサービス業としてやって行けないから閉業しなければならない。今の人は自分のお金のことしか考えないから、政府がつまらない芸をやって国民からお金を取ろうとすると頭に来て政府をボコボコにするだろう。
[11612] どうして暴力団が生まれたのか? h22.12.22
昔の人は不合理が幸福だと考えていた。
だから、国民に不合理なことをさせる暴力団が生まれた。
暴力団は人々に不合理なことをさせて喜ばせるサービス業だったのである。
例えば、国家暴力団は宗教や戦争をさせなかったが国際暴力団は宗教や戦争をさせてくれたので、国家暴力団よりも国際暴力団のほうが国民の人気があったのである。
しかし、今の人は合理を幸福だと考えている。
だから、今の人は暴力団を自分たちを不幸にする者として嫌っている。今の人にとっては暴力団が邪魔[じゃま]である。
今ではもはや暴力団はサービス業ではない。
だから、暴力団は死んでしまったのだ。
暴力団は昔の人の不合理を望む気持ちから生まれた。
今の人は合理を望んで不合理を望まなくなったから、暴力団は死んだのだ。
[11613] 合理が幸福である。 h22.12.22
昔の人は不合理を幸福だと考えていた。
そのせいで、暴力団が生まれた。
今の人は合理を幸福だと考えている。
人類は、数万年かけてようやく正解に達したのだ。
暴力団はまちがった不合理主義の産物である。
暴力団はできるだけ早くなくさなければならない。
[11614] 国民はどうすればいいか? h22.12.22
政府は国際暴力団である。つまり、政府は暴力で国民を脅[おど]して国民に命令する団体である。
しかし、今の世の中は暴力が使えない。今は合理主義の世の中だから暴力が使えない。
だから、政府は国民に命令できない。つまり、国民は政府の命令を聞かなくていい。
それでも、政府が文句[もんく]をつけてきたら、文句をつけた政府のほうが悪いのだから、国民は政府を相手にしなくてもいい。
それでも、政府が文句をやめなければ、国民は政府を殴[なぐ]りつけて二度と口が利[き]けないようにしてやればいい。
[11615] 新しい世界の創造☆ h22.12.22
昔の人は「不合理が幸福だ」と考えて、不合理な世界を作ってきた。そのために、不合理に詳[くわ]しい暴力団に世界を治めさせてきた。暴力団は国民に宗教や戦争などの不合理なことをさせてきた。税金は暴力団が世の中を不合理にするための費用である。
しかし、今の人は『合理が幸福だ』と考えて、合理的な世界を作っている。そのために、合理に詳しい学者に世界を治めさせている。不合理なことをする暴力団を社会から追放している。宗教や戦争や税金のない世界を作っている。
[11616] 混ざると危険! h22.12.22
世界大戦は不合理と合理が混ざって起こった。つまり、世界大戦=不合理×合理。
政府宗教も不合理と合理が混ざって起きている。
不合理と合理が混ざると危険である。
だから、人類は不合理か合理かどちらか一方を取らねばならない。
今の人類は合理を幸福だと考えている。
したがって、人類は合理を拾[ひろ]い不合理を捨てねばならない。
[11617] 戦争は国民のためである。 h22.12.22
世の中には死にたがっている者も多い。いやいや生きている者もいっぱいいる。
だから、そういう者にとっては戦争はありがたい。
そういう者は喜んで戦争をする。
だから、政府はそういう者のために戦争をやってくれたのである。
そういう者は戦争をさせてくれた政府に感謝している。
まさに「天皇陛下万歳!」だ。
[11618] 程度の問題 h22.12.22
いくら合理が幸福だといっても、完全に合理にしなければならないわけではない。
合理にしすぎるとかえって幸福でなくなる。
だから、ほどほどに合理にすればいい。少しぐらい不合理でもいい。[[11596]を参照。]
しかし、暴力団は不合理すぎる。
だから、今日[こんにち]では暴力団はなくさなければならないのだ。暴力団に世の中を治めさせてはならないのだ。
[11619] 悪いことをやってはならない。 h22.12.22
麻薬や性をやると精神分裂病になる。
自分の心に背[そむ]くと鬱病[うつびょう]になる。
酒やタバコをやると癌[がん]になる。
この世は悪いことをすると必ず病気になるように出来ている。
だから、悪いことをやってはならないのだ。
[11620] 政府は不合理主義の団体である。 h22.12.22
政府は暴力団の部が国家宗教で(つまり神の情報を混ぜて)法律を作って、国会で法律を制定して、行政機関で法律を細かく具体化して国民に政令を出して、警察で法律の違反者を取り締[し]まっているのだ。つまり、政府の法律は、政府が国家宗教で作った国民に対する不合理な命令なのだ。
政府の法律はまちがいだらけである。政府の法律はまちがった法律ばかりである。政府に国を治[おさ]めさせると国がうまく行かなくなる。だから、国民は政府に国を治めさせてはならない。
政府は昔の人が作った不合理主義の団体である。政府は世の中を不合理にする団体である。昔の人にとっては不合理が幸福だったから、昔の人は政府を作って政府を使って国を不合理にさせたのである。ところが、今の人にとっては反対に合理が幸福である。今の人は合理な世界を望んでいる。だから、昔の人は政府に満足できたが、今の人は政府に満足できない。だから、今は政府は要らない。政府とは別の合理主義の団体に国を治めさせねばならない。
今日[こんにち]では国民が合理主義になって、不合理な政府を支持してくれないので、政府はやむを得ず暴力団の原理に背[そむ]いて合理主義のふりをしているが、本当は不合理主義なのである。国民は政府の芝居に騙[だま]されて政府を信用してはいけない。
[11621] どうして今の国民は政府に従わないのか? h22.12.22
昔は国民が不合理だった。政府も不合理だった。だから、国民は政府に従ったのだ。例えば、昔の国民は不合理で戦争をするのが好きだったので、政府が戦争をさせてくれると大喜びで戦争をやった。
しかし、今は国民が合理である。政府はいまだに不合理である。だから、国民は政府に従わなくなったのだ。
昔と今では、政府は変わらないが、国民が変わったので、国民は政府に従わなくなったのだ。
そもそも政府は国民が自分を幸福にするために作ったものである。だから、政府が国民を幸福にしなければ、国民は政府を壊[こわ]す。国民に合わさない政府が悪いのだ。もしも、政府が国民に合わせていれば国民は政府に税金を払ったかもしれない。政府が国民に合わさずに国民を幸福にしないから国民は怒って政府に税金を払わなくなったのだ。たとえ政府が国民に威張[いば]れなくても、政府は国民から税金を取れたらいいだけである。そうすれば、政府は生き残れる。それなのに、政府は国民に合わそうとしなかった。政府が馬鹿だから政府が悪い。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。
[11622] どうして今の国民は政府に税金を払わないのか? h22.12.22
昔は国民が不合理だった。政府も不合理だった。だから、政府が国を不合理にしてくれると国民は喜んで政府にお礼(税金)を払った。
しかし、今は国民が合理である。政府はあいかわらず不合理である。だから、政府が国を不合理にすると国民は怒って政府にお礼(税金)を払わないのだ。
そもそも政府は、昔の国民が自分を幸福にするために自分の国を不合理にするために作った団体である。昔の人は「不合理が幸福だ」と考えていたので、自分が幸福になるために政府にお金(税金)をやって国を不合理にさせていたのである。つまり、政府はサービス業である。政府は客が喜ぶことをしないといけない。それなのに、今の政府は客を無視して自分勝手なことばかりやっている。それなら客がお金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れるのは当然だ。
[11623] 政府とは何か? h22.12.22
政府は、昔の国民が自分にとって幸福な国を作るために作った団体である。
ところが、昔の人は「不合理が幸福だ」と考えていたので、政府が暴力団になってしまったのである。
昔の人は不合理な宗教や戦争をするのが好きだったので、政府に宗教や戦争をさせてもらって喜んでいたのである。昔の人は、政府が国を不合理にするメチャクチャな法律を作るたびに大喜びをしていたのである。国民は政府に国を不合理的にしてもらったお礼に税金を払っていたのである。
しかし、今の人は『合理が幸福だ』と考えている。だから、政府が暴力団ではいけない。しかし、今の政府は昔のままの暴力団である。今の人は不合理な宗教や戦争が嫌いなので、さすがに政府は今の国民にあからさまに宗教や戦争をさせてはいない。しかし、政府はいまだに不合理な法律ばかり作って国民に不合理なことばかりさせているので、国民は政府が嫌[いや]になっている。今の政府は国民にとって幸福な国を作らないので、国民は政府が要らないと思っている。
今の政府は国民から一方的強制的に税金を取っている。今の政府の税金の取り方は不合理的である。しかし、今は合理の時代である。だから、政府は国民から税金を取ることはできない。
政府は不合理な会社である。だから、政府の法律には正当性はない。だから、国民は政府の法律を犯してかまわない。例えば、憲法第30条(納税の義務)を犯して税金を払わなくてもいい。[今の国民は自分が合理的だからといって、政府も合理的だと考えてはいけない。]
政府は大きい会社だが、客を喜ばせるサービス業である。[今の国内暴力団もサービス業である。つまり、暴力団は昔から客を喜ばせるサービス業だったのである。]つまり、政府と国民は対等である。だから、政府は国民から強制的にお金を取ることはできない。政府は他のサービス業者と同じように、客と契約を取って客からお金を取らねばならない。
昔は国民も政府もみんなが不合理的だったので政府が国民から無契約で税金を取っても文句を言わなかったが、今の国民は合理的だから文句を言う。今の民間会社はすべて契約して客からお金を取るようにしているから、政府もそうしなければならない。
[11624] 今後戦争はあるか? h22.12.22
政府はこれまで国民に何度も戦争の命令を出したことがある。だから、今後政府が国民に戦争をさせる可能性は高い。おそらく、政府は国民が本音[ほんね]では戦争をやりたいと思って、サービスのつもりで国民に戦争をやらせているのだろう。
しかし、今の国民は合理的だから、今の国民は不合理的な戦争が嫌いだから、国民が政府の戦争の命令を聞かない可能性もまた高い。政府が今の国民に無理やり戦争させようとすると、政府が国民に倒されるだろう。昔の国民は不合理的な戦争が好きだったから政府の戦争の命令に喜んで従ったが、今の国民は不合理的な戦争が嫌だから政府の戦争の命令には従わないのだ。つまり、昔の国民にとっては戦争はお祭りだったが、今の国民にとっては戦争は死刑(銃殺刑)にほかならないのだ。
だから、総合的に、今後戦争は起こりにくいだろう。
[11625] 江戸幕府 h22.12.22
江戸幕府は国民よりも合理的だった。当時は国民は不合理が幸福だと考えていたが、江戸幕府は合理が幸福だと考えていた。江戸幕府は時代の先を行く合理的な政策をやった。そのため、江戸時代は日本が飛躍的に発展した。
しかし、今の日本政府は国民よりも不合理的である。今では国民は合理が幸福と考えているのに、政府はいまだに不合理が幸福と考えている。政府は時代遅れの不合理的な政策ばかりやっている。そのため、今では国民が政府に足を引っ張られている有様[ありさま]である。
江戸時代は、国民が幸福ではなかったかもしれないが、とにかく幕府のおかげで豊かだった。
今は、国民が幸福でない上に、政府に貧乏を強いられている。
[11626] 今の政府の狙[ねら]い h22.12.22
そもそも政府は国民にとって幸福な国を作るためにある。
昔の国民は不合理的だった。不合理的なことが好きだった。そのため、政府は国民に不合理な命令を出すことができた。国民は喜んで政府の不合理的な命令に従った。例えば、昔の国民は不合理的な宗教や戦争が好きだったので、政府の命令で喜んで宗教や戦争をやった。
しかし、今の国民は合理的である。不合理的なことが嫌いである。今の国民は「昔の政府が国民に不合理な命令を出すことができた」のを見て、「政府は国民の嫌がる命令でも出せる」と勘違[かんちが]いをしている。「国民はどんなに嫌な命令でも政府の命令に従わねばならない」と勘違いをしている。政府は国民の勘違いを利用して、自分が国民に嫌な命令を出して自分を有利にしようと企[たくら]んでいるのである。[バレーボールに時間差攻撃があるように、政府は“時代による国民の考えの違い”を利用して自分が儲[もう]けようとしているのである。]つまり、昔の政府は一生懸命[いっしょうけんめい]国民が喜ぶことをして国民のために真面目[まじめ]に働いていたのに、今の政府は国民が嫌がることをして自分が儲けることしか考えていないのである。
しかし、そもそも政府は国民が喜ぶことをするためにある。だから、今の政府は合理的なことをやって国民を喜ばさねばならない。それができなければ、政府は今の仕事を辞[や]めねばならない。
[11627] 合理主義の時代《まとめ》 h22.12.23 政府は国際暴力団である。 昔の国民は不合理主義で、不合理が幸福だと考えていたので、不合理な政府(国際暴力団)を支持していた。 だから、政府は国民に不合理なことを命令できた。国民は不合理な宗教や戦争などを喜んでやった。昔の国民は不合理なことが好きだったから、政府が暴力で脅さなくても国民は自分から進んで不合理なことをやったのである。国民は政府に不合理なことをさせてもらう代金として政府に税金を支払った。 しかし、今の国民は合理主義で、合理を幸福だと考えるようになったので、不合理な政府を支持しなくなった。[[11604]を参照。] だから、今の国民は不合理なことが嫌いだから、政府の不合理な命令には従わない。国民は自分を不幸にする政府に税金を払わない。 今の国民は合理を幸福だと考えているので、政府とは別の合理的な機関に国を治めさせようと考えている。 最近(今から約50年前)国民の考えが不合理主義から合理主義に大きく変わったので、世界も大きく変わっているのだ。 |
[11628] 政府は要らない。 h22.12.23
政府は暴力団である。つまり、政府は不合理主義の団体である。
政府は今の国民の支持を得るために合理主義を装[よそお]っているが、実質的には不合理主義である。政府はうわべを今風[いまふう]にしているだけで、中身は古代から変わっていない。[政府は人間の不合理な心が生み出した怪物だ。昔の人は今の人と反対に「不合理が幸福だ」と考えていたので、人間の不合理な心を満足させるサービス会社として政府を作り出したのである。昔の人は自分の悪の心(不合理な心)を満足させるために政府を作ったのである。人間は自分から悪いことはやりにくいから、自分に悪いことをさせる会社を作ってその会社の命令で自分が悪いことをして喜んでいたのである。例えば、政府は国家宗教で神の情報が入った悪事を国民にやらせたり、戦争で国民に人殺しや強盗をさせて国民を喜ばせていたのである。[今では政府が国民に国家宗教や戦争をさせると犯罪になるから、今の政府は国民に国家宗教や戦争をさせていない。『二条河原の落書』は、当時の政府が国民にやらせた国家宗教のことを書いている。現代の今でも神の情報を入れた事件がときどき起きているのは、今の政府が少しだけ国民に国家宗教をやらせているからである。昔の国民は不合理的だったので新聞やテレビの事件を見て大喜びをしていたが、今の国民は合理的なので事件を見ても喜ばない。自分がお金が儲[もう]からないかぎり喜ばない。暴力団は客に悪いことをさせて客を喜ばせるのが仕事であって、自分が悪いことをするのが仕事ではない。だから、暴力団自身は悪いことができないのである。暴力団自身が悪いことをすると犯罪になるのだ。]政府はまるでアニメ『ビックリマン』の魔肖[ましょう]ネロのようだ。魔肖ネロがピエロの姿をしているのは政府が合理主義のふりをしていて嘘[うそ]つきだからであり、魔肖ネロの中身がハニワの姿をしたネロ魔身[ましん]なのは政府の中身が古代から変わらず不合理主義だからである。甲殻体[こうかくたい]とは天皇のことである。天使たちが目指した次界とは、合理主義の世界のことである。]
政府は不合理な政策をやっている。政府は不合理な国を作っている。
政府は今の国民にとって不幸な国を作っている。
だから、今の国民にとっては政府は要らない。政府はなくなったほうがいい。
[11629] 政府は不合理的である。 h22.12.23
政府は法律を不合理的に作っている。政府は暴力団の部が宗教で(神の情報を入れて)法律を作って、国会に法律を制定させている。
政府は税金を不合理的に取っている。政府は国民と契約を取らずに一方的強制的に国民から税金を取っている。
政府は不合理的である。政府のやることは何でも不合理的である。
しかし、今は合理主義の時代である。今の国民にとっては合理的なことが幸福である。
国民は政府に従っても幸福にはなれない。国民は政府に不幸にされるだけである。だから、国民は政府に従ってはならない。
国民は政府に税金を払っても幸福にはなれない。だから、自分でお小遣[こづか]いに使ったほうがいい。
今は合理主義の時代である。政府だけが時代に反することをやっている。だから、政府は滅ばねばならない。
[11630] 合理主義の娯楽 h22.12.23
昔の人は不合理的だった。
昔の人にとっては宗教や戦争が娯楽だった。
昔の人にとっては自分に宗教や戦争をやらせてくれる政府が必要だった。
だから、昔の人は政府に税金を払った。
しかし、今の人は合理的である。
今の人にとってはテレビやテレビゲームが娯楽である。
今の人にとってはもはや政府は要らないのだ。
だから、今の人は政府に税金を払う必要がない。
[11631] 押売り h22.12.23
今の政府は国民に面白くないサービスを無理やり売り付けている押売りである。
ところが、今の世の中では押売りはいけないことになっている。
だから、政府が悪い。
政府は国民に不合理主義のサービスをして国民から税金を取るのをやめねばならない。
国民が政府に税金を払うと、政府は「国民が政府の不合理サービスを受けたい」と思って、ますます不合理サービスをするようになる。
だから、国民は『自分が政府の不合理サービスを受けたくない』ことを政府に伝えるために、政府に税金を払ってはならない。
国民は政府に今の世の中を教えてやらねばならない。
[11632] 政府は国内暴力団を見習わねばならない。 h22.12.23
国内暴力団は不合理が幸福だと考えて、不合理な物を売っている。
不合理が幸福だと考える客が国内暴力団で不合理な物を買っている。
政府(国際暴力団)も国内暴力団を見習うべきである。
今では国民の多数が合理を幸福と考えていて、不合理を幸福と考える者は国民の一部である。
だから、政府は国民全員を客にしてはならない。政府は国民の一部の者を客にしなければならない。
それなら、政府は不合理サービスの商売をやってもいい。
今でも宗教ファンや戦争ファンの国民はたくさんいるから、政府もそこそこ儲[もう]かるだろう。
[11633] 医療保険 h22.12.23
今の医療保険は高すぎる。
だから、国民みんなは医療保険に入らない。
そうしたほうが国民にとっては安上がりだ。国民が儲[もう]かり、医者が損をする。
悪いことをした者が自業自得で病気になるのだから、そのほうが合理的だ。[[11619]を参照。]
[11634] 税金制は民主主義で決めたのではない。 h22.12.24
税金制を民主主義で決める国はない。そんな国民にとって不利な法律が民主主義で決まるはずがない。
民主主義で決めるなら、国民にとって有利な法律が決まるはずだから、税金はいつも0円になるはずである。
今は合理主義の時代だから、政府の政治機関の部を民営化して、利用者だけからその都度料金を取る合理的な制度になるはずだ。
だから、税金制は民主主義で決めたのではない。政府の暴力団の部が勝手に決めたのだ。
税金制のような不合理的な制度はさっさと廃止にしなければならない。
今は不合理主義の時代ではないから、税金制のような不合理な法律は通用しない。
[11635] 今の人は政府に税金を払う必要はない。 h22.12.24
昔の人は不合理を幸福だと考えていた。昔の人は自分の不合理な心(悪の心)を満足させて幸福に暮らしていた。政府は人々の不合理な心を満足させるサービス会社である。昔の人は政府に代金(税金)を払って自分の不合理な心を満足させて幸福に暮らしていた。
しかし、今の人は合理を幸福だと考えている。人々は自分の合理な心(善の心)を満足させて幸福に暮らすようになった。だから、いくら政府に不合理な心を満足させてもらっても今の人は幸福に思わない。かえって、不愉快なだけである。だから、今の人にとっては政府は要らない。したがって、政府に税金を払う必要はない。
政府は法律を作って偉そうにしているが、その正体は『人間の不合理な心を満足させるサービス会社』である。今の人にとってはそんなサービスは要らない。だから、今の人は政府に代金(税金)を払わず政府のサービスを受けなければいいのである。
今の時代には政府に客はいない。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。
昔の政府は客が多くて景気がよくて法律を作れたが、今の政府は客がなくて景気が悪くて法律を作れない。昔の政府は大会社だったから法律が作れたのであって、今の政府は人気がないから法律を作れるほどではない。だから、政府の法律は無視してよい。
[11636] 今の政府は仕事をしていない。 h22.12.24
政府は国民の不合理な心を満足させる会社である。
しかし、今の政府は国民に不合理な心を満足させていない。今の政府は国民に国家宗教も戦争もさせていない。
つまり、今の政府は仕事をしていない。
今の政府は仕事をせずに国民から税金を取っているだけである。
だから、政府は要らない。
今の政府は仕事をしていないから国民は政府に税金を払う必要はない。
[11637] 国内暴力団はシケている。 h22.12.24
国内暴力団も政府(国際暴力団)と同じように国民の不合理な心を満足させる会社である。暴力団は暴力で国民を脅[おど]して国民に命令を聞かせる団体ではなく、国民の不合理な欲求を満足させて国民を喜ばせる団体である。
しかし、今の国民は自分の合理的な心を満足させるようになっている。
だから、国内暴力団は客が減っている。
だから、国内暴力団は儲[もう]からなくなっている。
国内暴力団は潰[つぶ]れている。
[11638] 政府はリッチである。 h22.12.24
仮に政府(国際暴力団)が税金制でなかったとする。
すると、今の国民は合理的になったから、政府を利用する国民はいないから政府は儲からないから政府は潰れるはずだ。政府は国内暴力団と同じようにシケているはずだ。
それなのに、今の政府が豊かなのは、国民全員から税金を取っているからである。
しかし、これまで政府が国民から税金を取ったのは、政府の仕事が国全体に及ぶ事業だったからである。政府は国民全員に不合理なことをさせて国民全員を喜ばせたから、政府は国民全員から税金を取れたのである。
しかし、今の政府は仕事をしていない。国民全員に国家宗教(政府が国民全員に神の情報が入った不合理なことをさせること。私は詳[くわ]しくは知らない。昔の人はそんなことで喜んだのだ。)も戦争も不合理なことを何もさせていない。[あえて言えば、政府が国民にさせている不合理なことと言えば、税金を払うことぐらいだ。しかし、税金を払って喜ぶ国民はいない。だから、仕事とは言えない。]
だから、政府は国民全員から税金を取れないはずだ。
今の政府は仕事をせずに国民から税金だけを取っている。政府は国内暴力団よりも悪質だ。
今は合理的な世の中である。政府だけが不合理に税金を取っている。昔は世の中が不合理だったから政府が不合理に税金を取れたが、今は世の中が合理だから政府が不合理に税金を取れない。いくらなんでも会社が仕事をしていないのに客からお金を取るのはあんまりである。不合理すぎる。だから、国民が合理的に考えて政府に税金を払わなければいい。
今は合理的な世の中である。今の世の中で政府が不合理な仕事をするのが無理である。政府が仕事ができたのは戦前までだ。戦後は政府が仕事ができなくなった。今の合理的な時代に不合理な仕事をするほうがまちがっている。だから、政府はさっさとなくならねばならない。
[11639] 国民は政府に意思表示をしなければならない。 h22.12.24
政府は不合理なサービスをする会社である。政府は客の不合理な心を満足させて客を喜ばせる会社である。
昔の国民は不合理的だったから、政府に税金を払って政府のサービスを喜んで受けた。
しかし、今の国民は合理的だから、政府のサービスを喜ばない。今の国民は政府にいやいや税金をやってしかたなく政府のサービスを受けている。
今の国民は自分の気持ちを出そうとしない。政府は国民が政府のサービスを断らないから、国民が政府のサービスが欲しいと思って国民にサービスをしているだけである。国民が政府のサービスが要らなければ、はっきりと政府に断らなければならない。契約制ではないから断れないと言うのなら、政府に契約制にするように要求しなければならない。今の合理主義の時代にいまだに無契約で国民から税金を取っている政府のほうが悪いから、国民は政府に税金を払わなくてもいい。
[11640] 税金とは何か? h22.12.24
税金とは、政府が国民の不合理な心を満足させるための料金である。
昔の国民はみんな不合理的だったから、国民みんなが政府のサービスを受けた。それで、国民みんなが政府に税金を払った。
しかし、今の国民は合理的だから、国民のほとんどは政府のサービスを受けたくない。だから、今では政府のサービスを受けたい者だけが政府に税金を払えばいいのである。
政府は法律で「国民みんなが政府に税金を払わなければならない」と定めているが、それは政府の嘘[うそ]である。昔は国民みんなが政府の不合理サービスを利用していてみんなが政府に税金を払っていたから、政府が「国民みんなが政府に税金を払わなければならない」法律を決めても誰も文句を言わなかった。それで税金の法律がすんなり可決されたのである。昔は税金が国民みんなを幸福にするためのお金だったから民主主義で税金が決まったのである(トリックの種[たね])。昔は娯楽が少なかったから、国民は政府の宗教や戦争がすごく面白いと思って、国民みんなが政府の不合理サービスに入っていたのである。今の政府は昔の政府が決めた法律を流用しているにすぎない。今は政府が不合理サービスで国民を不幸にしているだけだから民主主義で税金が決まるわけがない。本来は税金は政府の不合理サービスを受けたい者だけが払えばいいのである。合理主義の時代には嘘は通用しない。だから、国民は政府の税金に関する法律を守らなくてもいい。
[11641] 市役所は儲[もう]かるか? h22.12.24
税金制がなくなったら、役所は国民からその都度[つど]利用料金をもらってやって行かねばならない。
今は合理主義の時代だから、役所のサービス料金は『リーズナブル』でなければならない。高すぎても低すぎても駄目[だめ]である。
例えば、住民票のサービスを10000円でやったら高すぎる。1000円でやったらチョイ高い。500円ぐらいがちょうどである。
そうすれば、かえって市役所は儲[もう]かるのではないだろうか?
市役所が自分でいろんな書類サービスを考え出せば、けっこう儲かるかもしれない。
[11642] 合理主義とは何か? h22.12.24
不合理主義では心が知覚(実在)に従属しない。不合理主義では「生まれつきの心」しかない。
反対に、合理主義では心が知覚(実在)に従属している。つまり、合理主義では心が実在に従う。合理主義では『心の実在化』がある。合理主義では『経験によって培[つちか]われた心』がある。
したがって、不合理主義では、この世は実在化されない心(生まれつきの心)の表現である。
合理主義では、この世は実在化された心の表現である。
だから、昔の不合理主義の時代には、この世に宗教や戦争があった。不合理主義では、科学は心の道具にすぎず、人間の生まれつきの心は人殺しや強盗をしたいので、人間同士が武器を使って殺し合いをする戦争が公然と行われたのである。また、人間の生まれつきの心は神を崇[あが]めたがるので、国家宗教が盛大に行われたのである。
今の合理主義の時代には、この世に宗教や戦争がない。合理主義では、人間は自分の心を磨[みが]くために科学を勉強するので、人間が冷静沈着になって、バカバカしい戦争や宗教をやらなくなったのである。
つまり、人間の「生まれつきの心」は意外と悪なのだ。自然状態はホッブスが言った「万人の万人に対する闘[たたか]い」が正しいのだ。動物にとっては闘いが喜びだから闘うのだ。
[11643] 警察は要るか? h22.12.24
今の政府は「国民にとって警察が要る」という理由で国民から毎月高い税金を取っている。
しかし、実際には、一生のうちに一回も警察に世話にならない国民がほとんどである。
つまり、本当は、『国民にとっては警察は要らない』のである。
だから、警察を民営化して、政府は国民から税金を取らなければいいのである。
[11644] なぜ国会議員はボンクラばかりなのか? h22.12.24
国会が法律を制定するだけだからである。
法律は、政府の暴力団の部が宗教で作って、国会はその法律を制定すればいいだけである。
国会は暴力団の部の言いなりで自分で考える必要がないので、国会議員はボンクラばかりなのである。
[11645] 国民主義 h22.12.24
この世はいつも国民が中心である。国民が主役で、政府が脇役である。
昔の国民は不合理主義だったので、国民の不合理な心を満足する政府が出来たのである。昔の国民は不合理的な宗教や戦争が好きだったので、国民が政府に宗教や戦争をさせてきたのである。
しかし、今の国民は合理主義なので、国民の不合理な心を満足する政府がなくなりかけているのである。今の国民は合理的なことが好きなのに、政府は国民の不合理な心を満足させることしかできないので、今の国民は政府にやらせることがなく、今の国民は政府が要らないので政府をなくそうとしているのである。
今の政府が国民に対して威張[いば]っているのは、今の政府が馬鹿で自分の分際[ぶんざい]がわかっていないからである。この世はいつも国民が中心である。国民に嫌われた者は消えねばならないのだ。一方、今の国民も自分の分際がわかっていない。国民が政府にペコペコする必要はない。今の国民にとっては政府が要らないから、さっさと政府を潰[つぶ]してやればいいのである。国民の政府に対する誤解が政府の存在を長引かせている。国民は政府を正しく理解し、早く政府をこの世からなくさなければならない。つまり、政府は国民の心を満足させて国民を喜ばせるサービス会社であって、けっして国民を管理する国民よりも上の者ではないのである。そのために、政府は今でも法律をわざわざ宗教で(つまり神の情報を入れて)作っているのである。[政府が法律を宗教で作るのは、人間に盲腸や尾てい骨[びていこつ]があるようなものである。それは、政府がいまだに『国民に不合理なサービスをする会社』であることの証拠である。つまり、政府にとっての法律とは国家宗教にほかならないのである。政府は国家宗教をやっているつもりで法律を作っているのである。]
[11646] どうして政府は国民に合わせないのか? h22.12.25
戦後、国民は合理的になったのに、政府はいまだに不合理のままである。
それは、政府が政府だからである。
政府の社則は「客に不合理サービスをする」ことである。政府は絶対に社則に反してはならないので、不合理にしなければならないのである。
それなら、今の国民にとっては政府は要らないので、国民は政府を潰[つぶ]すことにする。
客が変わったら客に合わせて自分も変わるのが商売人の心構[こころがま]えである。今の政府はそれを忘れている。だから、国民は政府を利用しなくなるだろう。
[11647] 政府の真似[まね] h22.12.25
今は合理の時代である。
しかし、政府はいまだに不合理なことをやっている。例えば、政府は不合理な税金や国家宗教などをやっている。
だから、どこかの民間会社が政府の真似をして不合理なことをやっているかもしれない。どこかの民間会社の幹部が政府の税金を真似て社員の給料をちょろまかして汚いことをやっているかもしれない。
これでは、日本中が不合理になる。
だから、国民は政府を許してはならない。政府が倒れれば、日本の合理化は一挙[いっきょ]に進むはずだ。
それに、たしかに政府は日本で一番大きい会社だが、今の政府は人気がない。だから、今の政府は他の会社が真似るほどの会社ではない。だから、他の会社は政府を真似ないほうがいい。
[11648] どうして政府は国民と契約を取って税金を取らないのか? h22.12.25
今は合理的な世の中である。
それなのに、政府は国民とちゃんと契約を取って国民から税金を取っていない。政府は大昔と同じように国民と無契約で国民から税金を取っている。
政府が国民と契約を取らないのは、「国民全員が政府のサービスを受けるべきだ」と考えられるからである。「国民全員が政府のサービスの対象なら、わざわざ国民一人一人と契約を取る必要はない。」と考えられるからである。政府はそう考えて、国民と契約を取らずに税金を取っているのである。
しかし、政府のサービスの実体は不合理サービスである。
今の国民は合理的なので、政府の不合理サービスは今の国民にとってはサービスにはならない。
だから、政府の根拠は成り立たない。
したがって、国民は政府に税金を払わなくていいのである。
[11649] 国際暴力団とは何か? h22.12.25
昔の国民は不合理主義だった。つまり、昔の国民は「人間の不合理な心(感情)を満足すると人間は幸福になれる」と考えていた。
だから、国民はなるべく不合理なことをやらせてくれる政治団体を好んだ。
古代では、ローマ政府が最[もっと]も不合理的なことを国民にやらせてくれたので、ローマ政府の不合理サービスのやり方が世界中に広まった。つまり、「国家宗教で人間の不合理な心を満足させる」やり方が広まった。それで、世界中の政府がローマ政府の不合理サービスの仕方を真似て国家宗教をやるようになったのである。ちょうど、ケンタッキーフライドチキンのチェーン店が世界中にあって、鶏肉[とりにく]の処理の仕方が世界中の支店で同じであるのと同じことである。
しかし、近代になって科学が出来ると、ローマ政府の不合理サービスのやり方は科学に否定的であり、世界中の人々が新しく出来た科学に興味があったので、世界中の人々がローマ政府の不合理サービスのやり方を嫌うようになった。それで、ローマ政府の不合理サービスのやり方は急速に衰えていったのである。
イギリス政府の不合理サービスのやり方は科学に肯定的なので、世界中の国民に受け入れられて、世界中にイギリス政府の不合理サービスのやり方が広まった。つまり、「科学を道具に使って人間の不合理な心を満足する」やり方が広まった。人類は近代兵器を使って自分の殺人欲を満足させるために世界大戦をやった。
しかし、現代になって便利な電化製品がたくさん出来ると、世界中の人々が合理主義になった。つまり『人間の合理な心を満足させると人間は幸福になる』と考えるようになった。だから、現代の国民は合理なことをやらせてくれる政治団体を好み、不合理なことをやらせる政治団体を嫌っている。ところが、今の政府は不合理なことをやらせる政治団体である。だから、今の国民は政府に反対しているのだ。
もうすぐ、世界中の政府がなくなるだろう。
未来の世界は、最も合理的なことを国民にやらせてくれる政治団体が世界を治めるようになるだろう。
今の時代に徳川幕府があれば、ひょっとしたら世界中の国民の支持を得て全世界を治めることができたかもしれない。政治団体が世界を治められるかどうかは、軍事力で決まるのではなく、国民の支持で決まるのだから。
[11650] 今の国民は政府に税金を払うべきではない。 h22.12.25
昔の国民は不合理主義だった。つまり、昔の国民は不合理な心を満足させて幸福に生きていた。
昔の政府は不合理サービスをやっていた。つまり、政府は国民に国家宗教や戦争をさせて国民の不合理な心を満足させて国民を幸福にしてくれた。
だから、国民は政府に税金を払って政府の不合理サービスを受けた。つまり、税金は政府の不合理サービスの代金だったのである。税金は現代のサービス料金と同じ考え方だったのである。
ところが、今の国民は合理主義である。つまり、今の国民は合理的な心を満足させて幸福に生きている。
しかし、政府は今でも不合理サービスしかすることができない。つまり、今の政府は昔の政府と同じように不合理な心を満足させることしかできない。
だから、今の国民は政府に税金を払って政府の不合理サービスを受けるべきではない。そんなことをすると、今の国民は不愉快にされるだけである。昔の税金の考え方を今に適用すると、国民は政府に税金を払うべきではないことになる。
“税金”も“暴力団”と同じように最近の政府によるネーミングであって、当時はそんな名前ではなかった。暴力団が暴力を使う団体でなく、国民の不合理な心を満足させる団体であるように、税金も政府が暴力を使って国民から取り立てたお金ではなく、政府が国民を喜ばせる不合理サービスをしてくれたことに対する代金だったのである。
[11651] 政府は会社からお金を取れるか? h22.12.25
税金は、政府が国民に不合理サービスをやって国民を喜ばせるための代金である。
ところが、会社は人間ではない。
だから、政府が会社に不合理サービスをやって会社を喜ばせることはできない。
したがって、政府は会社から税金を取れない。つまり、会社税(法人税)を取れない。
実際、政府は会社に対して何もやっていない。[政府は国民に対しても何もやっていない。]
だから、会社は政府に対して税金を払わなくてもいい。
[11652] 不合理サービスの会社 h22.12.25
政府は不合理サービスをする会社であって、合理サービスをする会社ではない。
合理主義の時代には、政府は要らない。
[11653] 今の政府は不合理すぎる。 h22.12.25
日本国憲法を見てもわかるように、政府は合理的な法律も扱っている。
政府が合理的な法律を扱っているのは、政府が合理的だからである。政府は合理サービスもやっている。
しかし、一方で政府が国家宗教(つまり政府が神の情報を入れた不合理なことすなわち犯罪を国民に犯させて国民の不合理な心(犯罪欲)を満足させて国民を喜ばせること)や戦争(政府が国民に人殺しをさせて国民の殺人欲を満足させて国民を喜ばせること)を国民にやらせているのは、政府が不合理的だからである。政府は不合理サービスもやっている。
政府は合理的でも不合理的でもある。政府は合理サービスと不合理サービスの両方をやっている。
政府は国民の合理的な心も不合理的な心も両方満足させている。
それでは元[もと]も子[こ]もない。政府は善の心と悪の心を両方満足させている。今の政府では二重人格者を育成するだけだ。
現代人は政府が考えているよりも合理的(善)である。
政府は現代人の心を満足できない。
だから、現代人にとっては政府は要らない。
今の政府がやっている“不合理サービスと合理サービスの両方をやるイギリス方式の不合理サービス”は古い。
だから、ローマ方式の不合理サービスが捨てられたように、今のイギリス方式の不合理サービスも捨てられるだろう。
政府は不合理サービスをする会社である。ローマ方式だろうがイギリス方式だろうが、とにかく政府は不合理サービスをする会社である。
現代は合理主義の時代である。
だから、現代においてはもはや政府は国を治めることはできない。今の政府は国民に捨てられるだろう。
[11654] 今の政府は国民から税金を取れない。 h22.12.25
政府のサービスは国全体に及ぶ。それが、政府が国民と契約を取らない理由である。
しかし、今の政府のサービスは不合理的である。
現代の国民は合理的である。
だから、政府のサービスは今の国民にとってはサービスではない。
したがって、国民は政府にサービス代(つまり税金)を払わなくてもかまわない。
もしも、政府が合理的なサービスをやるなら、政府のサービスは今の国民にとってサービスになるから、国民は政府に税金を払うだろう。
[11655] 面白いことをやる会☆ h22.12.25
政府は面白いことをやる会だった。つまり、政府は国民に面白いことをさせて国民を喜ばせる会だった。だから、政府は2000年も続いたのだ。
昔の政府は国民に国家宗教(つまり政府が神の情報を入れた不合理なことすなわち犯罪を国民に犯させて国民の不合理な心(犯罪欲)を満足させて国民を喜ばせること。例えば、オウム真理教の地下鉄サリン事件やオサマ・ビン・ラディン氏のニューヨーク貿易センタービルテロ事件のようなものが本当の気合[きあい]の入った国家宗教(どちらも川野教)なのである。)や戦争(政府が国民に人殺しをさせて国民の殺人欲を満足させて国民を喜ばせること)をさせて国民を喜ばせていた。昔の国民は不合理的だったのでそんな不合理なことで喜んでいたのである。世界大戦は近代の政府が企画した史上最高のエンターテイメントだったのである。[国家宗教では私の情報を使うだけで、私の思想に従うわけではない。政府は国民の有志[ゆうし]に私の情報を入れた犯罪を犯させるだけである。だから、いくら私が国家宗教に反対しても、政府が国家宗教をやめるわけではない。いくら私が国家宗教に反対しても政府があるかぎり政府は国家宗教を続ける。だから、国家宗教をやめるためには政府自体を滅ぼすしかない。]
しかし、今の国民は合理的になったのでもはやそんな不合理なことでは喜ばない。
かといって、国会が定めた合理的な法律を守ったり、学校で勉強をして喜ぶほどではない。
今の国民はテレビやテレビゲームなどで喜ぶだけだ。
しかし、テレビ番組はテレビ局が作っているし、テレビゲームはゲーム会社が作っている。
政府はやることがない。民間会社が面白いことを全部奪[うば]ってしまって政府はやることがない。
政府は無理に面白いことをしなくてもいい。
政府は昔の国民が面白かった不合理なことをやらなければいいだけだ。
現代でも人によっては国会が定めた合理的な法律を守ったり、学校で勉強することが面白いと思う人もいるから、そんな人のために法律や学校をやればいい。
国民がもっと合理的になれば、国民みんなが合理的な法律や学校を面白いと思ってくれるだろう。
[11656] 少数派は無視 h22.12.25
今でも不合理を喜びにしている国民がいる。国家宗教や戦争をやりたい国民がいる。
しかし、それは少数の国民である。
少数のために多数が犠牲になるのは『最大多数の最大幸福』の原理に反する。
だから、政治機関は少数派を無視すべきである。
[11657] 現代の政府 h22.12.25
戦前の政府は不合理サービスをやって不合理派の国民を満足させていた。戦前は国民のほとんどが不合理派だったので、国民のほとんどが政府を支持していた。
しかし、戦後は合理派の国民が増えた。国民に合わせて、戦後の政府は不合理サービスを控[ひか]えめにやるようになった。そのせいで、戦後の政府は不合理派の国民も合理派の国民も両方とも満足させなくなった。戦後の政府は不合理サービスを中途半端[ちゅうとはんぱ]にやっている。今の政府は余計な不合理サービスをしているから合理派の国民を満足させていないし、派手[はで]に不合理サービスをやらないから不合理派の国民も満足させていない。
つまり、今の政府は国民の誰も幸福にしていない。今の政府は国民から税金を取るだけのデクの坊[ぼう]である。
だから、今の国民にとっては政府が要らない。
今では国民のほとんどが合理派である。
政府はもっと合理的にならなければ、今の国民を満足することができない。
[11658] アドホックな修正 h22.12.25
戦前の政府は不合理サービスをする会社だった。
戦前の国民は不合理的だったので、戦前の政府は戦前の国民を満足させていた。
戦後の国民が合理的になったので、政府は国民に合わせて不合理サービスを控[ひか]えめにするようになった。
そのために、戦後の政府のサービスが中途半端[ちゅうとはんぱ]な性格になって、政府は合理派の国民も不合理派の国民も両方とも満足させられなくなった。戦後の政府は国民みんなに嫌われるようになった。
アドホックな修正ではしょせんうまく行かない。不合理サービスを合理化するのは無理がある。天動説で惑星の運動を説明するのに無理があったのと同じことだ。
最初から『合理的なサービスをする会社』を作らないかぎり、現状を乗り越えることはできない。
[11659] 国民主義 h22.12.25
この世は国民主義である。つまり、この世はすべて国民に従わねばならない。国民に従った者は栄え、国民に逆らった者は滅ぶ。
昔は国民が不合理主義だったので、政府は国民の不合理な心を満足させるサービスをやった。
今は国民が合理主義なので、政府は国民の合理な心を満足させるサービスをやらねばならない。
しかし、実際には、今の政府は特に国民の合理な心を満足させるサービスをやっていない。今の政府は余計なことにいまだに国民の不合理な心を満足させるサービスをやっている。だから、今の国民は政府に対して不満である。
だから、今の政府は国民に倒されるだろう。政府の後[あと]に『国民の合理な心を満足させるサービスをする会社』が出来るだろう。
「政府が国民よりも強い」のではなく、『国民が政府よりも強い』のである。国民をなめた政府が悪いのだ。政府が本気で儲[もう]けたければ、今の国民のニーズに合わせて、合理的なサービスをやればよかったのだ。いつまでも古臭いままで流行を取り入れなかった政府が悪い。
国民が「政府が国民よりも強い」と思っているのは、国民が「政府が国民を法律で取り締[し]まる会社だ」と思っているからである。しかし、実際には、『政府は国民の心を満足させて国民を喜ばせる会社である。』だから、『国民が政府よりも強い』のだ。
政府は国民を喜ばせるためにあるサービス会社である。だから、税金なんてものはない。「国民みんなが政府にお金を払わなければならない」のは、政府が作った嘘[うそ]のコマーシャルである。国民は政府が面白ければ税金を払い、政府が面白くなければ税金を払わなければいいのである。それが嫌なら、政府は契約制にして客にサービスすればいい。
これまで国民は大勢の国民に合わせて生きてきた。これまで政府は大勢の国民の心を満足させるサービスをやってきた。しかし、今の政府は政府自身が国民に合わせていない。今の政府は国民の例外者にすぎない。今の政府は一国[いっこく]の政治機関としての資格がない。
[11660] 国家宗教とは何か? h22.12.26
昔の政府は国民全員に神の情報が入った犯罪なら何でも自由にやっていいと認めていた。
神武天皇は人を殺したし人の物を奪った。[神武天皇はナガスネヒコを殺したし、ナガスネヒコの土地を奪った。当時は“物”と言えば“他人の土地”ぐらいしかなかった。]
だから、政府が国を治めていた時代には、国民は自由に人殺しや強盗をすることができた。
中世の政府の法律(不文法)には、人殺しや強盗の自由が認められていた。
昔の国民にとっては人殺しや強盗が喜びだったので、国民みんなが人殺しや強盗をやっていた。
一方で、中世の政府は中国から輸入した合理的な法律もやっていた。だから、中世の政府は人殺しを許可していたし、また禁止してもいたのである。中世の政府は“なんでもあり”だったのである。国民は自分が好きなほうの法律を使って気ままに暮らしていたのである。
しかし、今では国民が合理的になって、人殺しや強盗をやりたがる国民が少ない。
そこで、今の政府は人殺しや強盗をやりたい国民を募[つの]って、政府がその者に命令して神の情報が入った人殺しや強盗をさせているのである。[要するに、人殺しをしたい者が人殺しをして、人殺しをしたくない者が人殺しをしない。ただそれだけのことだ。つまり、国家宗教はどうでもいい飾りにすぎない。政府なんかあってもなくても変わらない。政府はただ国民をまとめているだけで、大[たい]したことはやっていない。]
しかしながら、今の国民のほとんどは他人を殺す喜びよりも自分を守る喜びで生きている。
だから、政府は国民に不合理的な国家宗教をやらせるよりも、国民に合理的な法律をやらせるべきである。
それでも政府は国民に不合理的な法律をやらせるだろう。今の国民にとっては、もはや政府なんかどうでもいい。国民は政府をそっちのけで国民だけでいい国を作るのだ。
[11661] 訴えたほうが勝ち h22.12.26
今の日本の法律は、国家宗教と日本国憲法である。つまり、不合理的な法律と合理的な法律の両方である。
だから、日本では国家宗教(不合理的な法律)を使って自由に犯罪を犯してもいい。
ただし、被害者がおとなしい場合に限る。
被害者が怒って加害者を警察や裁判所に訴えると、今の世の中では合理的な法律を守っている者が多いから、加害者はあっさりと有罪にされる。
だから、犯罪を犯す場合には、相手の性格をよく知ってからやらねばならない。
[11662] 政府の役目 h22.12.26
昔は人殺しをしてもいいと思っている人が多かったから人殺しは無罪だった。
今は人殺しをしてはいけないと思っている人が多いから人殺しは有罪である。
政府はただ国民の中[なか]を取り持っているだけのことだ。
昔の政府は人殺しをしてもいい法律を定めた。つまり国家宗教を定めた。
今の政府は人殺しをしてはいけない法律を定めている。つまり日本国憲法を定めている。
政府は国民の言いなりである。
だから、今の政府の国家宗教を真[ま]に受けてはいけない。
特に、今の政府は国家宗教を控[ひか]えめにしかやっていないから、国家宗教が本気で利[き]くと思ってはいけない。
[11663] 政府は古い。 h22.12.26
今の政府は古臭いイギリス方式だから、合理と不合理の両方を認めている。
しかし、今の国民のほとんどは合理である。合理しか認めていない。
今の政府は国民と合っていない。そのため、国民から見ると政府が悪に見える。
だから、今の政府は国を治めることができない。
したがって、政府は辞職しなければならない。政府は国の政治機関をやめねばならない。
[11664] 国民をまとめる会社☆ h22.12.26
政府は国民をまとめる会社である。国民の多数決を採る会社である。政府は国民の多数の代理だから、国民に顔が利[き]くのである。
政府はそれ以上のものではない。
今の国民のほとんどは合理的である。
だから、政府も国民に合わせて合理的でなければならない。
しかし、実際には、今の政府は国民に合っていなくて不合理的である。
したがって、今の政府は国民の多数の代理ではないから、国民に対して顔が利かない。
今の政府は自分ひとりの世界に閉じこもっている。そんなやつは無視だ。
今の政府は国民に顔が利かないから、国民から税金を取れない。
[11665] 昔の政府と今の政府の違い h22.12.26
昔の国民は不合理的だったから、人殺しをしていいとか強盗をしていいとか思っていた。
昔の政府の法律は、人殺しをしていいとか強盗をしていいとかだった。
昔の政府は国民の多数決で法律を決めたので、昔の政府は国民の心を満足していた。
昔の政府は国民の多数の代理だったので、国民に対して顔が利[き]いた。
それで、昔の政府は国民から税金を取れたのである。
しかし、今の国民は合理的だから、人殺しをしてはいけないとか強盗をしてはいけないと思っている。
それなのに、今の政府の法律は人殺しをしていいとか強盗をしていいとかである。
今の政府は国民の多数決で法律を決めていないので、今の政府は国民の心を満足していない。
今の政府は国民の多数の代理ではないので、国民に対して顔が利かない。
それで、今の政府は国民から税金を取れないのである。
[11666] 政府の法律と国民の法律 h22.12.26
今の政府の法律は人を殺してもいいである。政府は人を殺してはいけない法律(日本国憲法)も定めているが、人を殺してもいい法律(国家宗教)も定めている。政府の法律は人を殺してはいけないまたは人を殺してもいいなので、人を殺してもいいになるのである。それで、政府は有志[ゆうし]を募[つの]って国家宗教で人殺しをさせているのである。
一方、今の国民の法律は人を殺してはいけないである。今では国民が合理的になったので、国民のほとんどは人を殺してはいけないと思っている。ただし、少数の国民は人を殺してもいいと思っている。『多数決の原理』によれば、今の国民の法律は人を殺してはいけないことになる。もしも、国民だけで政治機関を作れば『多数決の原理』によって、人を殺してはいけない法律が決まる。だから、国民の法律は人を殺してはいけないである。
だから、今の政府の法律と国民の法律は違う。
したがって、政府は国民に対して顔が利[き]かない。政府は政府の法律と国民の法律が同じだから国民に対して顔が利くのであって、政府の法律と国民の法律が違っていれば国民に顔が利かないのである。今の政府は政府の仲間内[なかまうち]で顔が利くだけである。今は政府の国と国民の国が別れていると思えばいい。国民が政府から独立したと思えばいい。
今の政府は国民に顔が利かない。つまり、今の政府は国民に命令できない。例えば、政府は国民から税金を取れない。
[11667] 不文法 h22.12.26
今の政府は国家宗教を法律としている。今の政府は神武天皇や私を神とする国家宗教を法律にしている。国家宗教は不文法である。つまり、今の政府は不文法を使っている。
したがって、国民も不文法を使うことができる。
今の国民の不文法は『政府に従わなくてもいい』である。
だから、今の国民は政府に従わなくてもいい。今の国民は今の不合理的な政府が嫌[いや]だから、今の政府には従わない。
[11668] どうしてインドは世界大戦に参加しなかったのか? h22.12.26
世界大戦は人類史上最高のエンターテイメントだった。
インドが世界大戦に参加しなかったのは、インドが非暴力主義だったからである。
インド以外の国はみんな暴力主義だったから、喜んで世界大戦に参加したのだ。
[11669] 政府が法律を決めるのではない。 h22.12.26
政府が法律を決めるのではない。
政府は国民一人一人が決めた法律(個人法)を多数決を採ってまとめて国民みんなの法にするだけである。
要するに、政府は多数決をとるだけである。
だから、国民が法律を決めるのであって、政府が法律を決めるのではない。
例えば、今の国民のほとんどは合理的な法律を法律にしているから、政府も合理的な法律を法律にしなければならない。今の国民のほとんどは不合理的な国家宗教を法律にしていないから、政府も不合理的な国家宗教を法律にしてはいけない。
政府にとっては国民に顔が利く(命令できる)ことが大事だから、政府は必ず多数決で法律を決めねばならない。これまで政府は多数決で法律を決めてきたから、2000年もの長い間続いてきたのである。
[11670] 徳川幕府 h22.12.26
徳川幕府は多数決で法律を決めたのではない。徳川幕府は民主主義ではない。
徳川幕府は独裁政治である。幕府が国民によらずに独断で法律を決めたのである。
徳川幕府は独裁政治で善[よ]い政治をしたのである。だから、300年も続いたのである。
プラトンが理想とした哲人政治が江戸時代の日本で実際に行われていたのである。今の日本に残る城が徳川幕府の天才性を形にしている。
[11671] 政府は国家宗教を法律にしてはいけない。 h22.12.26
今でも「国家宗教があれば悪いことができる」と思っている国民がいる。
しかし、国家宗教はただの飾りである。国家宗教では、神がやったことや駄洒落[だじゃれ]などで神とコネをつければいいだけである。神に関する情報をちょっと混ぜればいいだけである。
要するに、悪いこと(不合理なこと)をやりたい国民がいるだけである。
しかし、戦後は国民が合理的になって、悪いこと(不合理なこと)をやりたい国民が減った。
だから、今の国民のほとんどは国家宗教をやらなくなったのである。
だから、政府も国家宗教を法律にしてはならない。
国家宗教は、国民のほとんどが悪いことをやってもいいと思っていた古い時代の法律である。今は国民のほとんどが悪いことをやってはいけないと思っている。だから、今ではもう国家宗教は使えない。
[11672] 今の国家宗教による犯罪は国民が勝手にやっているのではない。 h22.12.26
今の国家宗教による犯罪は政府が有志[ゆうし]を募[つの]って国民に命令してやらせたのではなく、国民が勝手にやった可能性がある。
神武天皇教については、神武天皇の情報は国民誰でも知っているから、そうかもしれない。
しかし、川野教については、私の個人情報が一般の国民に知られていないから、国民が川野教で犯罪を犯すことはありえない。第一、誰が私を神にするのだろうか?国民が勝手に私を神にすることはできない。政府が私を神にする以外にはない。
だから、やはり今の国家宗教による犯罪は政府がやらせているのである。
政府はわざわざ川野教なんかやらなくてもよかった。これでは政府が自分が犯人だと言っているようなものだ。やはり政府は馬鹿だ。政府を国の政治機関にしておくのは危険である。
[11673] 政府は悪いことを国民にやらせる機関ではない。 h22.12.26
昔の政府は悪いこと(不合理なこと)を国民に命令してやらせた。例えば、戦争を国民に命令してやらせた。
しかし、それは昔の国民のほとんどが悪いこと(不合理なこと)がやりたかったからである。
政府は多数決によって国民がやりたいことを国民にやらせただけである。だから、政府はけっして国民に悪いこと(不合理なこと)をやらせる機関ではない。
しかし、今の国民のほとんどは合理的で悪いことをやりたくない。だから、今の政府は多数決で悪いことをやってはいけない法律を決めて国民に悪いことをやらせてはいけない。例えば、今の政府は国家宗教や戦争を国民にやらせてはいけない。今の国民のほとんどは合理的なことがやりたいから、政府は国民に合理的なことをやらさなければならない。
今の政府はこれぐらいのこともわからない。今でも政府が国家宗教で国民に犯罪を犯させているのは、政府が自分のことを誤解しているからである。つまり、今の政府が自分を国民に悪いことをさせる機関だと考えているからである。今の政府は馬鹿である。政府を国の政治機関にしておくのは危険である。
[11674] 今の国民は政府に従わない。 h22.12.26
今の政府は『多数決の原理』で動いていない。
今の政府は国家宗教を控[ひか]えめにやっているが、けっして国家宗教をやめてはいない。
ところが、今の国民のほとんどは国家宗教をやっていない。だから、政府は多数決の原理で動いていない。
今の政府は多数決の原理に反している。
国民が政府を支持するのは、政府が多数決の原理で動いているからである。政府が国民の多数の代理なので、政府は国民に対して顔が利くのである。
しかし、今の政府は多数決の原理で動いていない。
だから、国民は政府を支持しない。
政府が国民の多数の代理でないのなら、国民は政府には従わない。
そもそも国民に従わない政府が悪いのであって、政府に従わない国民が悪いのではない。だから、国民が政府を罰[ばっ]するべきであって、政府が国民を罰することはできない。
[11675] 国家宗教は禁止しなければならない。 h22.12.26
国家宗教とは、国民が神の情報が入った犯罪を犯すことである。要するに、国家宗教とは犯罪である。キリスト教で聖書を読んだり日本神道で和歌を作ったりするのは嘘[うそ]の宗教であって、本当の宗教は犯罪を犯すことである。
しかも、国家宗教は不文法である。
だから、国会で議論されることがない。
政府がいまだに国家宗教を法律としているのは、これまでずっと国家宗教が法律だったからである。[政府の者はいい待遇だから、あとは自分が死ぬまで自分の地位を守ればいいだけなので、わざわざ国家宗教を使って自分が犯罪を犯して自分の地位を危[あや]うくする必要がないから、政府の者が自分が国家宗教を使うために国家宗教を法律にしているとは考えにくい。]
しかし、今の国民のほとんどは国家宗教をやっていない。今の国民は国家宗教に反対である。
政府は『多数決の原理』で法律を決めねばならない。
だから、今の政府は国家宗教をたとえ不文法であっても法律にしてはいけない。今の政府は国家宗教を禁止しなければいけない。
[11676] 文化大革命とは何か? h22.12.26
中国人には伝統文化を守りたい者と伝統文化を壊[こわ]したい者がいた。つまり、閉国派[へいこくは]と開国派がいた。
文化大革命とは伝統文化を守りたい者と伝統文化を壊したい者の戦争である。
結局、伝統文化を壊したい者が勝って、中国は開国したのである。
[11677] 政府は要るか? h22.12.27
政府は暴力団の部が国家宗教で法律を作って、国会が法律を定めて、行政機関が法律を細かくして国民に命令を出して、警察が法律の違反者を取り締[し]まっている。
法律を作って法律を定めることは法律事務所でできる。法律事務所が無作為に1万人の国民を選んで統計を取れば民主政治も実現できる。インターネットを利用すれば全国民による直接民主政治も夢ではない。
法律を細かくして命令を出すことは法律事務所と民間会社の連盟の協力で実現できる。法律事務所が法律を民間会社の連盟に提出して民間会社の連盟がそれを具体化して実行すればいい。
法律の取り締まりは警察によらざるを得ない。
だから、民営化された法律事務所と警察があれば政府は要らない。政府がなくなれば、政府の暴力団の部が国家宗教で法律を作らなくなるから、それだけ法律が合理的になって今の国民とよく合う。今の国民のほとんどは合理的で国家宗教をやらないから、政府の暴力団の部が国家宗教で法律を作ることには違和感[いわかん]がある。政府は『多数決の原理』に反している。このまま政府に国の政治を任[まか]せてはいけない。今の国民にとっては政府は要らない。もっと真面目[まじめ]に『多数決の原理』で民主政治をやる政治機関のほうがいい。政治機関が真面目に仕事をやるなら、国民は政治機関に税金を払ってもいい。
今の政府が国家宗教をやらねばならない理由が私にはわからない。[信者にはわかっているかもしれないが。]どうやら政府には国家宗教をやらねばならない決まりがあるらしい。だから、国民のほとんどが国家宗教をやらなくなった時代には、政府は消え去るしかないのだ。
[11678] 政府は国家宗教をやらないほうがいい。 h22.12.27
今の政府が国家宗教をやっているのは、今の政府が国民の不合理な心を満足させていることを国民に宣伝するためである。
しかし、いくら今の政府が国家宗教をやったからといって、今の国民は喜ばない。今日[こんにち]では国民は合理的になって自分の不合理な心を満足しようとしないから、政府が国家宗教をやっても何にもならない。自分の不合理な心を満足させたがるほど今の国民はいやらしくない。
政府は国民の共感を得るどころか、かえって国民の反感を買うだけである。
だから、政府は国家宗教をやらないほうがいい。
[11679] 政府が今の国民にウケる方法 h22.12.27
今の国民は合理的である。今の国民は合理的な社会を作ろうとしている。
だから、今の国民を喜ばせるためには、合理的と考えられる範囲内で少し不合理なことをやって国民を喜ばせばいい。つまり、真面目[まじめ]さに面白[おもしろ]さを加えるのだ。国家宗教では不合理を合理化するという発想だったが、その逆に合理を不合理化するという発想でやればいい。けっして不合理すぎてはいけない。だから、例えば、国家宗教で国民に神の情報を入れた犯罪をやらせるのはいけない。不合理はもっと軽くやらねばならない。
今の世の中から不合理なことをなくして、合理なことを増やせばいい。今の国民にはつまらないことが意外とウケたりするものである。
そうすれば、政府は今の国民にウケて人気が出るだろう。[ウケる←ウケ←ケウ←カブ(ケ≒カ、ウ≒ブ、マッチ棒パズルの要領)←川ブ(基本形)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。]
[11680] どうして今の政府は国家宗教をやっているか? h22.12.27
国家宗教には2000年の歴史がある。
国民にとっては「国家宗教は面白いものだ」というイメージがある。昔は国家宗教でやれば(つまり神の情報を入れてやれば)何をやっても許されたので、国民にとって国家宗教は面白いものだった。今では国家宗教でやったからといって何でもは許されないが、国家宗教は面白いものだというイメージだけが残っているのである。[実際には、最近の国民のほとんどはそんなことを知らないが。]
だから、政府はとにかく国家宗教をやりさえすれば国民にウケると思って、なんでもかんでも国家宗教でやっているのである。
しかし、それはあまりにも公務員的な発想である。
国家宗教はただやりさえすれば面白いというものではない。
そもそも今日[こんにち]では国家宗教は不合理的と見なされてみんなに嫌われている。今の国民は「宗教は科学の敵だ」とか「日本は国家宗教で戦争に負けた」と思っているので、国家宗教には悪いイメージがある。
だから、政府がいくら国家宗教をやっても国民にはまったくウケない。かえって政府が国民に嫌われるだけだ。
要するに、政府が国民にウケればいいだけだ。
政府は国家宗教から離れて、とにかく国民にとって面白いことをやればいい。
政府は『合理的で面白いこと』をサービスにすればいい。これまでの国家宗教に代[か]わる新しい面白いことを発明すればいいのだ。
[11681] 昔と今の違い☆ h22.12.27
昔(古代〜中世)は不合理的なことをやってよかった。合理的なことをやってはいけなかった。
今(現代)は合理的なことをやっていい。不合理的なことをやってはいけない。
[近代は昔と今の中間である。つまり、近代は不合理的なことをやってよかった。合理的なことをやってもよかった。政府の政の字に“まつりごと”と“正しいことを取り締[し]まる”のふたつの意味があるのはそのためである。]
国家宗教とは要するに犯罪である。国家宗教では神の情報を入れた犯罪は犯してもいいとされる。神の情報を入れるのは犯罪に対する言い訳[いいわけ]である。国家宗教は昔の人が決めた約束事[やくそくごと]である。
犯罪は自分の不合理な心を満足することである。国家宗教は犯罪だから、国家宗教も自分の不合理な心を満足することである。
だから、昔は国家宗教をやってもよかったが、今は国家宗教をやってはいけないのである。つまり、昔は神の情報を入れて犯罪を犯せば無罪だったが、今は有罪である。[近代は昔と今の中間だが、イギリスは犯罪に厳しいから、たとえ神の情報を入れて犯罪を犯しても有罪である。ただし、政府の命令でやった犯罪は無罪になるようである。だからこそ、政府があってはいけないのだ。]
政府は多数決の原理すなわち民主主義をする団体ではなく、国家宗教をする団体である。【政府の定義】しかし、今は国家宗教をやってはいけない。だから、今は政府があってはいけないのだ。したがって、国民は政府に税金を払わずに政府を早く潰[つぶ]せばいいのである。これが正解だから、国民はこれを実行すればいいのである。
この世は政府主義ではなく国民主義だから、国民に反する政府が悪い。よって、国民は今の政府を倒さなければならない。昔はたまたま国民が不合理主義だったから、不合理主義の政府が国民に従っていたまでだ。今は国民が合理主義だから、不合理主義の政府が国民に従っていないから政府が悪いのだ。
[11682] 王制や神制は民主主義である。☆☆ h22.12.27
昔は不合理主義だった。みんなが自分の不合理な心を満足して生きていた。
人間の不合理な心には王や神を崇[あが]めたい気持ちがある。
だから、昔はみんなが王や神を崇めていたのである。[政府は王や神と組んでいたから国民から上の者だと思われていたのである。]
つまり、王制や神制は民主主義でやっていたのである。つまり、昔は不平等制を民主主義でやっていたのである。
しかし、今は合理主義である。みんなが自分の合理的な心を満足して生きている。
人間の合理的な心には王や神を崇めたい気持ちはない。
だから、今はみんなが王や神を崇めないのである。
だから、王制や神制は民主主義でやらなくなったのである。つまり、今は平等制を民主主義でやっているのだ。
今は王制や神制のない世の中である。今は平等制の世の中である。平等制の世の中では『多数決の原理』が支配する。今の国民のほとんどが合理主義だから、『多数決の原理』によって国民みんなが合理主義でなければならない。国民と国民の相互作用が強い事柄[ことがら]に関しては『多数決の原理』で決めなければならない。合理か不合理かも国民と国民の相互作用が強い事柄である。合理な国民にとっては不合理な国民が迷惑であり、逆に不合理な国民にとっても合理な国民が迷惑だからである。だから、合理か不合理かを『多数決の原理』で決めねばならない。反対に、国民と国民の相互作用が強くない事柄に関しては自由を認めるべきである。例えば、酒は自由だが、タバコは自由ではない。また、政府は国民よりも上ではない。政府よりも国民のほうが数が多いから、『多数決の原理』では政府が国民に従わねばならない。[『多数決の原理』は不合理主義でも合理主義でも成立する。時代によらず成立する。]国民が政府に従うのではなく、政府が国民に従わなければならない。今の国民は合理的だから、政府も合理的でなければならない。ところが、実際には、政府は不合理主義だし、国民に不合理なことをやらせる。だから、政府はまちがっている。政府が悪い。だから、国民は今の政府を滅ぼさねばならない。政府とは別の合理的な政治機関を作らねばならない。
[11683] 政府は要らない。 h22.12.27
政府は合理と不合理の両方をやる団体である。[[11681]を参照。]
しかし、今の国民は合理しかやらない。
だから、今の国民と政府は合わない。
したがって、今の国民にとっては政府は要らない。
[11684] 今の政府に警察は要らない。 h22.12.27
今の政府は近代方式(イギリス方式)で不合理と合理の両方をやっている。
つまり、政府のある国では国民が不合理と合理の両方をやっていいことになる。
つまり、政府のある国では国民がなんでもかんでもやっていいことになる。
だから、政府のある国では警察は要らない。国民は何をやっても無罪である。ただし、本人が有罪と認めた場合にはその者は有罪になる。
ところで、今の国民にとって政府が必要なのは、政府が警察をやっているからである。
ところが、政府のある国では警察が役に立たないから、もはや国民にとって政府は要らない。
だから、今の国民は政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]す。
[11685] 反対の国 h22.12.27
仏教はどう見ても合理の心を満足する宗教である。他の国家宗教が不合理の心を満足するのに、仏教だけが合理の心を満足させる。
世界大戦のとき世界中の国が暴力主義のために好[この]んで参戦したのに、インドは非暴力主義のために参戦しなかった。
したがって、インドは世界と反対のことをする国である。
インドでは動物が人間よりも上である。インドでは街中[まちなか]を動物が闊歩[かっぽ]している。[平成23年2月5日追記)江戸幕府も動物を人間よりも上とする「生類憐みの令」[しょうるいあわれみのれい]を出した。江戸幕府はインド政府の真似[まね]をしていたのだ。]
今後世界中の国が合理主義になるからといって、インドは不合理主義にならないで欲しい。
[11686] 善とは何か? h22.12.27
善とは多数派である。悪とは少数派である。何かに理屈をこねても、結局はそういうことである。
昔は不合理派が多数で、合理派が少数だった。だから、昔は不合理が善で、合理が悪だった。そのために、合理な心を満足する者が悪者[わるもの]と見なされて拷問[ごうもん]されて磔[はりつけ]にされて殺された。
今は合理派が多数で、不合理派が少数である。だから、今は合理が善で、不合理が悪である。それで、不合理な心を満足する者が悪者と見なされて死刑にされるのである。ところが政府は不合理派である。だから、政府は悪である。それでは『多数決の原理』が守られないから、政府には政治機関は務[つと]まらない。
政治家は人間の不合理な心を満足してもいいと思って国民の有志[ゆうし]に犯罪を犯させている。国民は政治家に殺されるのが嫌だから、自分の合理な心(自分の命を守る心)を満足するために政治家を殺してもいいはずだ。
[11687] 信者とは何か? h22.12.27
信者とは不合理主義者である。つまり、中世のように人間の不合理な心を満足して生きていける社会を作ろうとしている者である。つまり、犯罪(人殺しや強盗など)を犯すのが好きな連中である。政府から“仕事”(犯罪の命令)がまわって来るのが信者である。政府は信者を喜ばせるために毎日事件を起しているのである。
しかし、今は合理主義の時代である。つまり、国民のほとんどが合理な心を満足して生きている。日本国憲法の一条一条が人間の合理な心の表現である。[ただし第30条納税の義務を除く。]
だから、信者は今の社会では除[の]け者である。
[11688] 信者VS[バーサス]国民 h22.12.28
信者は不合理な心を満足して生きている。
国民は合理な心を満足して生きている。
政府は信者と国民の両方を満足させている。
しかし、信者を満足させれば国民は満足されない。
反対に、国民を満足させれば信者は満足されない。
だから、政府は信者と国民の両方を満足させていないと言える。これでは政府があっても無益[むえき]である。
したがって、政府は信者か国民のどちらか一方を満足させねばならない。
今は信者よりも国民のほうが人数が多いから、『多数決の原理』によって政府は国民を満足させればいいのである。
[11689] どうして政府は国家宗教をやるのか? h22.12.28
政府が国家宗教をやるとは、政府が国民に犯罪を犯[おか]させることである。
ところで、お金持ちは馬鹿である。私のこれまでの経験によれば、お金持ちは馬鹿だからである。
馬鹿は不合理主義である。馬鹿は考えることが嫌いだから、自分の不合理な心を満足して生きている。
お金持ちは政府に税金を多く払っている。
政府にとってはお金持ちはお得意様だから、お得意様の機嫌[きげん]を取るために政府は国家宗教で犯罪を起こしているのである。
税金制のために政府が国家宗教をやっているのなら、税金制を廃止しなければならない。政府の政治機関を民営化しなければならない。
[11690] どうして政府は国民から税金を取るか? h22.12.28
政府が国民から税金を取るのは、政府が国民よりも「上の者」だからである。
それが、政府にとっての国民から税金を取る理由である。
昔は国民のほとんどは不合理主義者だった。
不合理主義者は自分の不合理な心を満足する。
人間の不合理な心には王や神を崇[あが]める心がある。
だから、不合理主義者は王や神を崇める。
政府は王や神と組んでいるから、不合理主義者は政府を国民よりも上の者と見る。
だから、昔の国民のほとんどは政府の言いなりで政府に税金を払ったのである。
しかし、今は国民のほとんどが合理主義者である。
不合理主義者は自分の合理な心を満足する。
人間の合理な心には王や神を崇[あが]める心がない。
だから、合理主義者は王や神を崇めない。
だから、合理主義者は政府を国民よりも上の者と見ない。
だから、今の国民のほとんどは政府の言いなりではない。
今の政府が自分を国民よりも上の者と思っているのは政府の独[ひと]りよがりである。
今の国民が政府に税金を払うのは、政府が『多数決の原理』に従っているからである。つまり、政府が民主主義だからである。つまり、国民が民主主義の政府に従うのは、国民が国民自身に従うことにほかならず、政府は国民をまとめているにすぎないからである。それが国民にとっての政府に税金を払う理由である。
しかし、実際には今の政府は多数決の原理に従っていない。今の政府は民主主義ではない。
今は国民のほとんどが合理主義なのに、政府はいまだに不合理主義をやっている。
だから、今の国民には政府に税金を払う理由がない。
だから、今の国民は政府に税金を払わない。
今の日本政府は国民を不合理的だと考えすぎている。
だから、今の日本政府はいまだに不合理主義(国家宗教)をやって、自分を国民よりも上の者だと思っているのである。つまり、日本政府は国民を馬鹿だと思っている。国民を馬鹿だと思っている政府のほうが馬鹿である。
日本政府は科学的に正確に国民を捉[とら]えていない。
現実が見えていない日本政府が悪い。
今の日本政府は国家宗教という不文法を使っている。
それなら、国民も『国民は民主主義でない政治機関には従わない。』という不文法を使って政府に税金を払わない。
いくら今の政府ががんばって不合理主義をやっても国民を不合理主義者に変えることはできない。
かえって、政府が国民に嫌われるだけだ。
政府には国民の主義を変えるほどの力はない。それは政府の思い上がりだ。洗脳はマンガの上だけの概念であって、実際には通用しない。
だから、政府は無駄[むだ]な努力をせず、ありのままの今の合理主義の国民を受け入れて、真面目[まじめ]に多数決の原理でやっていくしかない。ヨーロッパの政府は真面目に多数決の原理をやっているようだから、日本政府も先進国の政府に合わせて多数決の原理でやらねばならない。
[11691] 不合理主義者の喜び h22.12.28
不合理主義者の喜びは人を殺したり物を壊[こわ]したりする喜びである。殺人鬼や破壊魔の喜びである。
しかし、世の中がメチャクチャになると暮らしが不便になる。
人殺しの評判が立つと他人が近寄らなくなって暮らしが不便になる。
不合理主義者は自分の一時的な衝動を満足するだけで、あとで自分を不幸にする。
だから、不合理主義者は幸福ではない。
そういう反省があって、人類はしだいに合理的になっていったのだ。数多くの経験を踏[ふ]んで人類は合理的になっていったのだ。
つまり、不合理主義者とは不幸になりたい者である。
[11692] 政府の国家宗教は無駄[むだ]である。☆ h22.12.28
たしかに、中世の政府は権限が強かった。
しかし、それは、国民の同意の下[もと]でである。
中世の国民は不合理的で王や神を崇[あが]めていたから、王や神と組んだ政府の権限が強かったのである。中世の国民は不合理的で神を崇[あが]めていたから、国家宗教を喜んでやったのである。中世の国民は不合理的だったから、犯罪を喜んで犯していたのである。
つまり、中世の国民自身が政府の権限を強めていたのである。
けっして、政府が国家宗教(つまり不合理主義)を国民に押し付けていたから政府の権限が強かったのではない。
だから、今の政府がいくら国家宗教をやったからといって政府の権限が強まるわけではない。
今の国民は合理的だから、かえって政府が嫌われるだけである。かえって政府の権限が弱まるだけである。
だから、今の政府は国家宗教をやらないほうがいい。
国民が合理的であるか不合理的であるかは国民自身が決めることである。政府に決められることではない。今の国民が合理的なのは国民自身が決めたことである。もはや政府には変えられない。
だから、政府は国民に余計な手出しはせず、素直[すなお]に国民に従ったほうがいい。
現代の国民は合理的だから、現代の政治機関は合理的で面白[おもしろ]いことをしなければいけない。
[11693] 政府の陰謀[いんぼう] h22.12.28
今の政府は不合理な国を作りたがっている。
そのほうが政府の権限が強まるからである。
しかし、今の国民は合理的である。
今の国民にとっては、政府は多数決をとって国民をまとめるだけである。政府は多数の国民の代理だから権限があるにすぎない。それが国民にとっての理想の政府である。
したがって、今の国民にとって今の政府は邪魔[じゃま]だ。いくら法律があるからといって、政府も法律を犯して不合理なこと(国家宗教)をやっているから、国民だって法律を犯して政府に税金を払わなくてもいいはずだ。
あるいは、今は合理主義の時代である。ところが、今の政府は政府の独断で多数決の原理に従っていない。政府が国家宗教をやっているのがその証拠である。つまり、政府は多数の国民の代理ではないから、政府には権限がない。だから、国民は政府に税金を払わなくていいのである。[今の政府は政府の独断で多数決の原理に従っていないから、国民も国民の独断で政府に税金を払わなくてもいい。]
[11694] 不合理症候群 h22.12.28
不合理な人間には不合理な症状がある。不合理な症状がセットで現れる。これを不合理症候群と言う。
1)政府を国民よりも上の者だと思って、政府の言いなりになる。
2)国家宗教をやる。つまり、自分のすることに何でも神の情報を入れる。
3)犯罪を犯す。つまり、社会的な決まりを破る。
現代では、不合理症候群は病気だと見なされる。
原因は、個人的に文明が遅れていて、心が中世のままであることにある。つまり、子供の頃によく勉強をしなかったことにある。
人間の不合理な症状が限られているのは、不合理な症状が生まれつきの先天的な心によるからである。つまり、人間は子供の頃は悪いこと(不合理なこと)ばっかりやる。大人になるにつれてしだいに善[い]いこと(合理的なこと)をやるようになるのである。
[11695] 合理的な心 h22.12.28
合理的な心とは、実在に従属する心である。
不合理的な心とは、実在に従属しない心である。
だから、合理的な心を満足すれば喜びが得られる。
不合理的な心を満足しても喜びが得られるが、あとで不幸になることが多い。
要するに、これまでに人類が数多くの経験を積み重ねてきたために、現代は古代や中世よりも実在のことがわかっている。だから、現代人は古代人や中世人よりも心が合理的なのである。人間の知覚と心は神経線維で相互に支配しあっている。現代人は知覚で実在がわかっているから、それだけ心が合理的なのである。現代社会は実在に対する理解で溢[あふ]れているから、その中で暮らしている人間は自然に実在のことがわかるのである。
[11696] 今の政府は憲法違反である。 h22.12.28
明治帝国憲法のときは、政府は憲法に違反していなかった。
明治帝国憲法のときは、政府は国民に国家宗教をさせるという法律を作って国民に国家宗教をさせたし、政府は国民に戦争をさせるという法律を作って国民に戦争をやらせた。
しかし、日本国憲法のときは、政府は憲法に違反している。
日本国憲法のときは、政府は国民に国家宗教をさせるという法律を作らずに国民に国家宗教をさせている。
だから、今の政府は憲法違反である。
つまり、明治帝国憲法のときは政府が多数決の原理に従って民主主義だったが、日本国憲法のときは政府が多数決の原理に従わず民主主義ではない。
今の政府は独断で国家宗教(不合理主義)をやっている。
今の政府は政府だけで勝手に法律(裏の法律、不文法)を作って実施[じっし]している。
今の政府が国家宗教で国会が作った法律の名前を決めているのは氷山の一角である。それはどうでもいい。政府は他にも国家宗教で国民に犯罪を犯させているし、犯罪とはいえないまでも国家宗教で国民にいろんなことをさせている。そんなことのために国家予算の大半が使われている。
政府がそんなことをやっても国民のほとんどは喜ばない。少数の不合理主義の信者が喜ぶだけである。
政府は自分が『合理的で面白いこと』を考えるのが面倒だからといって、「国家宗教」をやって神の情報をいろんなことに入れて国民の人気を得ようとしている。政府は国民を面白[おもしろ]がらせるために国家宗教をやっているのである。しかし、国家宗教が面白かったのは戦前までで、戦後は国民は国家宗教を無視している。国民のほとんどは国家宗教を知らない。[私も40才を過ぎるまで知らなかった。]今どき「国家宗教」を面白がる国民はほとんどいない。
政府の人気の元[もと]は『多数決の原理』すなわち民主主義にある。戦前の政府は『多数決の原理』に従っていたから国民の人気があった。しかし、戦後の政府は『多数決の原理』に従っていないから国民の人気がない。政府は早く『合理的で面白いこと』を考え出して国民にやらせなければならない。国家宗教は不合理で面白いことであって、合理的で面白いことではない。戦前の国民は不合理的だったから国家宗教がウケたが、戦後の国民は合理的になったから国家宗教はウケないのだ。政府は民主主義だから国民にウケないことはやってはいけない。
[11697] 政府はセンスが古い。☆ h22.12.28
今の政府は国民が面白がると思って国家宗教をやっている。例えば、日航機123便墜落事故や高知学芸高校上海列車事故やオウム真理教地下鉄サリン事件やニューヨーク貿易センタービルテロ事件や福知山線列車脱線事故などは、政府が国民を“喜ばせよう”として起した事故である。
しかし、今の国民は合理的なので、政府の国家宗教が面白くない。
政府は面白くないことをやっているだけである。政府はつまらないことをやっているだけである。
今どき国家宗教は古い。政府は年寄り臭い。
国家宗教は、物事をメチャクチャにするだけである。
戦前の国民は不合理的だったので国家宗教を面白がっていた。戦前の国民にとっては、政府の国家宗教はサービスになっていた。
今の国民は合理的なので国家宗教は面白くない。今の国民にとっては、政府の国家宗教はサービスになっていない。今の国民にはもっと大人[おとな]しくて面白いことをやらねばならない。
[11698] 現代社会の原理の修正[[11486]を参照。]《まとめ》 h22.12.28
政府は国際暴力団である。⇒政府は国民を喜ばせる会社である。(ここは反対)
今は暴力が使えない時代である。⇒今は合理主義の時代である。(ここは同じ)
政府は昔から国家宗教をやって来た。
戦前の国民は不合理的だったので、政府の国家宗教を喜んでいた。
政府は今でも国民を喜ばせるために国家宗教をやっている。
しかし、今の国民は合理的なので政府の国家宗教を喜ばない。
だから、今の政府は国家宗教をやめねばならない。
政府は国民を喜ばせる会社である。今の国民は合理的だから、政府は『合理的で面白いこと』をやらねばならない。
[11699] どうして政府は意地悪[いじわる]になったか? h22.12.28
戦前の政府は国民を喜ばせるために国家宗教をやっていた。実際に、戦前の国民は不合理的だったので、政府の国家宗教を喜んでいた。
しかし、戦後は国民が合理主義になって国民の感性が変わったので、政府の国家宗教を意地悪だと思うようになった。
ところで、政府は多数決の原理に従う。政府は民主主義である。つまり、政府は国民の意思に合わせたことをする。
だから、戦後の政府は、国民が「政府は意地悪をする団体だ」と思うことに合わせて、本格的に国民に意地悪をするようになったのである。
[11700] ホテルニュージャパン火災事件 h22.12.28
今から約30年前、私が高校生の頃ホテルニュージャパン火災事件が起きた。
ホテルの9階や10階から飛び降りて死ぬ者もいた。
これ以前に私が中学3年生の時、高知学芸中学校の秋の遠足でテレビ塔(烏帽子山[えぼしやま])に登った時、帰りに近道をするために高さ3mぐらいのところから私が飛び降りたことがある。9階←9←の←川野延夫[かわ“のの”ぶお](私の名前)←私、10階←10←ten←天←天皇←神武天皇で、出火の原因がタバコの火←光る丸←神武天皇の光る玉←神武天皇だから、ホテルニュージャパン火災事件は私と神武天皇を神とする国家宗教で起きた事件である。
だから、ホテルの9階や10階から飛び降りて死んだ者は、死ぬことがうれしかったから死んだのである。不合理な人にとっては国家宗教で死ぬことが喜びなので、自分から積極的に飛び降りて死んだのである。本人は満足だったのだ。