[11301] アメリカやヨーロッパは核ミサイルを持たないほうがいい。 h22.11.7
今の世界では、他人を武器で脅[おど]すのは悪いことだと考えられている。植民地政策をやってはいけないと考えられている。
だから、アメリカやヨーロッパが核ミサイルを持っていることは、世界中に自分が悪い国だと宣伝していることになる。これでは、いくら植民地の政府を使って密[ひそ]かに植民地政策をやっても何にもならない。植民地政策をやっているのがミエミエである。
アメリカやヨーロッパが世界中の国から悪い国だと思われると、世界中の国がアメリカやヨーロッパに敵対[てきたい]することになる。アメリカやヨーロッパが世界中の国から攻撃されて大損[おおぞん]をすることになる。
だから、アメリカやヨーロッパは核ミサイルを持たないほうがいい。
しかし、そうすると、世界中の国がアメリカやヨーロッパに従わなくなる。
だから、アメリカやヨーロッパは帝国を諦[あきら]めるしかない。
アメリカやヨーロッパは世界中の国からお金を取る以外に、自分が幸福になる道を考えなければならない。
[11302] 私とは何か? h22.11.7
キリストや釈迦や神武天皇やアラーは、ローマが定めた世界の東西南北4つの地域の神である。
これに対し、私はアメリカやヨーロッパが定めた全世界の神である。今は国際化の時代なので、全世界に一人の神しかいないのである。[今の私はもはや神ではないかもしれないが。神武天皇だと日本だけの神になる。]
帝国そのものがなくなりかけているので、おそらく私が最初で最後の全世界の神だろう。
私が帝国を滅ぼした神ということになるかもしれない。そこのところよろしく。
[11303] アメリカやヨーロッパには誰も従わない。 h22.11.7
アメリカやヨーロッパ[の政府]は「他人を武器で脅[おど]すことが正しい」と考えて、核ミサイルで脅して世界中の国からお金を取っている。
しかし、今の世界では一般的に『他人を武器で脅すことはまちがいだ』と考えられている。
だから、アメリカやヨーロッパがまちがっている。核ミサイルは無効である。
だから、世界中の国がアメリカやヨーロッパに従わなければいい。
人間は正しいことには従いまちがったことには従わない生き物なので、まちがったことには従わないのである。
アメリカやヨーロッパが世界中の国を自分に従わせたければ、正しい考えの中でやらなければならない。まちがった考えでは誰も従ってはくれない。
アメリカやヨーロッパの「他人を武器で脅す」考えは時代遅れである。今の時代ではそんな考えは通用しない。だから、アメリカやヨーロッパは世界を支配できない。アメリカやヨーロッパが世界を支配できたのは近代までで、現代では支配できないのだ。
アメリカやヨーロッパが儲[もう]かるためには「他人を武器で脅す」考えが世間一般に通用していなければならない。しかし、今はそんな考えは通用しない。だから、アメリカやヨーロッパは儲からないのだ。
ローマ帝国が滅んだのは、世界中の人々が「ローマは古い」と考えたからである。それと同じように、アメリカ帝国やヨーロッパ帝国が滅んだのは、世界中の人々が「アメリカやヨーロッパは古い」と考えたからである。人間は古くてまちがった者には従わない。正しいことの中で優[すぐ]れていなければ、他人は支配できないのだ。
[11304] 法律は進歩する。 h22.11.8
法律は人間共通の幸福観を書いたものである。
文化が進歩すれば、幸福観も変わる。
だから、法律は進歩する。
法律は時代によって変わる。
今の世界の法律には『他人を武器で脅してはいけない』と書いてある。だから、世界中の人類が他人を武器で脅さずに自分で働いてお金を稼[かせ]いで暮らしている。
ところが、アメリカやヨーロッパはいまだに昔の法律を使っている。昔の法律には「他人を武器で脅してもいい」と書いてある。だから、アメリカやヨーロッパは外国を武器で脅して金を取っているのである。[昔は他人を武器で脅してもよかった。他人を武器で脅す才能に優れていたのがローマだった。だから、ローマが世界を支配できたのだ。しかし、今は他人を武器で脅すのはいけない。だから、今ではいくら他人を武器で脅す才能が優れていても世界を支配できないのだ。]
アメリカやヨーロッパだけが世界とは違う。だから、アメリカやヨーロッパは現代の国際社会では生きられない。アメリカやヨーロッパは自分たちだけで閉じこもって別の法律を使って生きていけばいい。
[11305] 帝国の条件 h22.11.8
帝国が成立するためには、植民地が帝国本国に“従う気”にならなければならない。
西洋では、他人を武器で脅せばそれだけで相手が従う気になると考えているようだが、東洋では、今どき他人を武器で脅すだけではとうてい従う気にはならないと考える。
つまり、西洋では物としての武器を持ちさえすればそれだけで相手を支配できると考えているようだが、東洋では、相手の心が従う気にならないかぎりいくらたくさん武器を持っていても何にもならないと考える。つまり、東洋では、今どきいくら強力な武器をたくさん持っていても何の役にも立たないと考えるのである。
西洋と東洋ではものの考え方が違うから、西洋の理屈は東洋では成り立たないのである。
要するに、暴力団の「くだらない理屈」に真面目[まじめ]に付き合う気にはなれないのである。銀行の中で拳銃を持って「俺[おれ]は本気だぞー」と叫んでいる馬鹿は、みんなにキチガイ扱いされるだけである。たとえ本気であっても正気ではない。正常な心理でない者をまともに相手にする気にはなれない。暴力団は精神異常者なので、まともに取り合う気にならないのである。
今やアメリカやヨーロッパは世界中の国から無視されるだけである。
今では『他人を武器で殺すことが悪いことだ』と考えられている。だから、いくらたくさん武器があっても使えない。アメリカやヨーロッパには使えない武器がたくさんあるだけだ。そんなものもはや武器ではない。だから、世界の国はアメリカやヨーロッパに従わなくてもいいのだ。アメリカやヨーロッパの武器は“脅し用”なので実際には使えないのだ。今では『他人を武器で殺すことは悪いことだ』と考えられているので、アメリカやヨーロッパは「他人を武器で脅すまではいい」と考えているのだ。しかし、脅すだけの武器なら怖[こわ]くもなんともない。だから、世界中の国がアメリカやヨーロッパに従わない。
つまり、昔と今では考え方が違う。昔は他人を武器で殺すことや他人を武器で脅すことが正しいと考えられていたが、今ではいけないこととされている。つまり、昔は他人を武器で殺しても無罪で罰せられなかったが、今は他人を武器で殺すと有罪で罰せられる。それと、人間の定義が昔は白人だけだったが、今では全人類に広がっている。だから、国内で武器の使用が禁止されているように、国際的にも武器の使用が禁止されている。それなら、もはや暴力団は仕事がない。国際暴力団はいても仕方がない。今は脅し用の武器まで怖[こわ]いと思う“怖がり屋さん”が国際暴力団に税金を払うだけなのだ。政府(つまり国際暴力団の地方支部)もハッタリで強がっているだけで、実際にはすでに潰れているのだ。
[11306] どうして戦後帝国がなくなったか?☆ h22.11.8 世界大戦後、文化が進歩して、世界中で他人を武器で殺したり脅[おど]したりすることがいけなくなった。また、人間の定義が広がって全人類が人間だと考えられるようになった。 帝国とは国際暴力団のことである。政府とは国際暴力団の事務所である。アメリカとヨーロッパに本部があり、その他の国に支部があった。[[11297]参照。] しかし、戦後は外人を武器で殺したり脅したりできなくなったので、国際暴力団が活動できなくなった。 それで、国際暴力団が滅んだのである。つまり、帝国が滅んだのだ。つまり、政府が滅んだのだ。 帝国は外人を殺せる条件の下[もと]で存在できるのであって、外人を殺せなくなればもはや帝国は存在できないのだ。 |
[11307] 未来社会は無政府主義 h22.11.8
政府も幕府も、他人を武器で殺したり脅したりして他人の財産を取る団体である。
しかし、世界大戦後の今では、他人を武器で殺したり脅したりすることは禁止されている。
だから、今では政府も幕府もやって行けない。
今は無政府主義しかない。そのほうが国民はお金を脅し取られないので財布が助かる。
あとは、国民のモラルに期待しよう。警察がないのだから、犯罪を防止するのは国民一人一人のモラルだけだ。何度も言うが、現代では他人を武器で殺したり脅したりしてはいけないことを忘れてはいけない。
[11308] 戦後の日本政府 h22.11.8
戦後は帝国はなくなった。世界地図に帝国が出ていないのがその証拠である。戦後は国際暴力団が滅んだ。つまり、戦後は国際暴力団が強制的に日本からお金を取り立てることをやめたのである。
だから、戦後の日本政府は、白人国にお金を恵んでやる会だったのである。白人を哀[あわ]れに思う国民が、日本政府を通じて白人国に自主的にお金(税金のこと)をやっていたのである。
もちろん、白人国にお金をやりたくない人は、やらなくてもかまわない。日本人にとっては、白人のことよりも自分の生活のほうが大事だからである。白人は十分お金持ちだから、お金をやらなくてもいい。
日本政府が国家宗教でいろんなことをやっていたのは、「今でも帝国がある」と日本国民に思わせるための嘘[うそ]だったのである。
白人国が核ミサイルをたくさん持っているのも、「今でも帝国がある」と世界中の人々に思わせるための嘘[うそ]なのである。嘘をつくためにあれだけたくさんの核ミサイルをわざわざ作ったのである。だから、核ミサイルの中身は実際には空っぽかもしれない。
[11309] どうして戦後は他人を武器で殺したり脅したりすることがいけないことになったか?
h22.11.8
戦後の人間がインテリ(知的)になったからである。
インテリから見ると、他人を武器で殺したり脅したりすることは頭の足りない人間のやる野蛮な行為だと思われて、やってはいけないことになったのである。
戦前の人間は馬鹿だったので、他人を武器で殺したり脅したりすることが平然と受け止められて、他人を武器で殺したり脅したりしてもいいと考えていたのである。
戦後の人間がインテリになったのは、戦後から本格的に科学の教育が始まって、日本にテレビや洗濯機や冷蔵庫やクーラーや自動車などの電化製品が入ってきたせいである。国民の文化水準が高くなったので、他人を武器で殺したり脅したりすることが卑[いや]しまれるようになっていけないことになったのである。つまり、テレビを見ることが他人を武器で殺すよりも面白かったので、みんなテレビを見て他人を武器で殺すのをやめたのである。テレビを見るほうが暴力を振るよりも面白かったので、みんなテレビばかり見て暴力を振らないようになったのである。昔は暴力を振ることが娯楽だったが、今はテレビを見ることが娯楽になった。娯楽の質が変わった。つまり、テレビが帝国を滅ぼしたのである。
暴力の時代は終わった。テレビの時代が始まった。人類は新たな歴史の段階を迎[むか]えたのだ。
[11310] どうして戦後は他人を武器で殺したり脅したりすることがいけないことになったか?(その2)
h22.11.8
戦前はテレビがなかったので、他人に暴力を振ることが人間にとっての唯一[ゆいいつ]の娯楽だった。
みんなが毎日他人に暴力を振って暮らしていた。他人に暴力を振ってお金や物を取ることが日常茶飯事[にちじょうさはんじ]だった。
だから、みんなが暴力団や政府や幕府の存在を許していたのである。
だから、暴力団や政府や幕府が他人に暴力を振って儲[もう]けることができたのである。
ところが、戦後にテレビが発明された。
テレビを見ることが人間にとっての唯一の娯楽となった。
みんなは毎日テレビに噛[かじ]り付いて暮らすようになった。
みんな他人に暴力を振らなくなった。
みんなが『他人を武器で殺したり脅したりすることがいけないことだ』と考えるようになった。
だから、みんなが暴力団や政府や幕府の存在を許さなくなった。
だから、今では暴力団や政府や幕府は滅びてしまったのである。
[11311] 通信教育の時代 h22.11.8
テレビは学校である。
テレビを見ることは勉強である。
テレビドラマを見れば、道徳の勉強になる。テレビドラマは人間の心を描[えが]いたものなので、テレビドラマを見ることは人間の心を学ぶことになり、道徳の勉強になる。とくに勧善懲悪物を見ると、暴力を悪いことだと考えるようになる。
だから、戦後は国民のモラルが高まり、暴力がなくなったのである。
国民が暴力団や政府や幕府を悪者だと思うようになったので、暴力団や政府や幕府が滅んだのである。[政府は国際暴力団の植民地支部である。国際暴力団が滅んだから、政府も滅んだのである。/政府は国際暴力団、幕府は国家暴力団なので、政府も幕府も暴力団である。]
[11312] テレビゲーム h22.11.8
人間の心には他人を武器で殺したい欲望がある。
テレビゲームが、他人を殺したい欲望をゲームの中に吸い取ってしまった。
おかげで、現実の中では他人を殺さなくなった。
他人を殺したい欲望をゲームの中で満足したから、現実で満足する必要がなくなったのだ。
テレビゲームが世の中の平和に一役買っているのだ。
私も子供の頃からゲームが好きだ。ゲームで自分の“戦う欲望”を満足している。
ゲームのために、みんなが『現実の中で他人を武器で攻撃してはいけない』と思うようになった。
ゲームのために、ますます暴力団や政府や幕府が滅びることになった。
テレビやテレビゲームだけでなく、現代文化全般が暴力団(政府や幕府を含む)に否定的なのだ。今は暴力よりも面白いことがたくさんあるから、みんなが暴力に否定的になったのだ。だから、現代では暴力団は滅ばざるを得ないのだ。
[11313] 暴力団は多角経営 h22.11.9
今の日本政府はいろんな仕事をやっている。
例えば、学校や国会や警察や消防などをやっている。
しかし、暴力団は暴力団である。日本政府は国際暴力団の日本支部である。
暴力団は、属国の国民からお金を取って本国にお金を送ることが仕事である。
今の国際暴力団は、潰[つぶ]れていないふりをしているだけである。
だから、国民は政府に従わなければいいのである。
政治機関はすべて国民を武器で脅[おど]してお金を取っていただけである。あとは自分を正当化するためにいいわけ程度の仕事をしていただけである。政治機関の本業は武器で国民からお金を脅し取ることであって、その他のことはおまけである。
だから、もともと政治機関なんてものは要らないのである。
学校も国会も警察も消防も国民がお金を出してやればいい。そうすれば、ずっと安上がりである。
[11314] 義務教育は妥当[だとう]か? h22.11.9
学校が民営化されると、貧乏人は授業料が払えず学校に行けなくなる。
しかし、今どき、学校にこだわるほうが馬鹿である。
世の中には、眼が見えて手が動きさえすればできる仕事がたくさんある。心と身体が健康でありさえすればいいだけである。
だから、貧乏人は学校に行かずに近所で遊んでいればいいのである。
中途半端[ちゅうとはんぱ]に勉強するぐらいなら、最初からいっさいしなければいいのである。
お金持ちだけが学校に行くようにすればいい。
そのほうが仕事の専門化が進んでいい。
[11315] 国会と警察と消防 h22.11.9
国会は、学校を出た社会科の法律が得意な者がやればいい。今の国会議員なんか要らない。法律家がいればいいだけだ。
警察と消防は町内会費でやればいい。田舎[いなか]は多少割高になるが仕方がない。
国民がその気になればやれるものである。
政府がなくなったほうが世の中がスッキリしていい。
国民の財布[さいふ]の中身も助かっていい。
[11316] 暴力団とは何か?☆ h22.11.9
昔は暴力が娯楽だった。
みんなが暴力をやっていた。みんなが暴力を使うことが善[よ]いことだと考えていた。
暴力の才能に優[すぐ]れた者が集まって暴力団を作った。暴力団は暴力界のエリート集団だった。暴力団はみんなの憧[あこが]れの的[まと]だった。
暴力団の中でも特に幕府や政府が有名である。幕府は日本国内の暴力団で、日本政府はローマやアメリカやヨーロッパに本部がある国際暴力団の日本支部である。
昔は幕府や政府が国民を武器で脅して国民から財産を取っていた。幕府は国民の財産を自分のものにし、政府は国民の財産をローマやアメリカやヨーロッパに送っていた。
しかし、今は暴力が娯楽ではなくなった。人類の文化が進歩して、暴力よりももっと面白い娯楽(テレビやテレビゲームやマンガなど)がたくさん出来たからである。
みんなが暴力をやらなくなった。みんなが暴力を使うことが悪いことだと考えるようになった。みんなが暴力団を悪者だと見なすようになった。
暴力をやる者がいなくなったので暴力団は解散した。
政府も幕府もなくなった。
今では『8時だョ!全員集合』が終わる時みたいに、すでに取り潰[つぶ]しが決まった政府が細々と国民からお金(税金)をもらってチャリティーをやっているだけである。
暴力の時代は終わった。今後は人類みんなが暴力よりももっと面白い娯楽で遊んで暮らす時代になるのだ。
[11317] 戦前と前後の違い h22.11.9
戦前までは人々は中世と同じような生活をしていた。
戦後になっていろんな電化製品が出来て、人々の生活様式が大きく変わった。
戦前までは暴力(戦争を含む)が娯楽だった。みんなが暴力で自分の“戦う欲望”を満足して喜んでいた。
戦後はテレビを見たりテレビゲームをすることが娯楽になり、それまでの暴力を嫌なことだと思うようになった。
戦前は暴力が正しいことだと考えられて、暴力の才能に優れている者が世界や国を支配できた。
戦後は暴力がまちがいだと考えられて、暴力の才能に優れている者が世界や国を支配できなくなった。
事実、今では暴力団がなくなっているのだ。山口組がなくなっているから、日本政府もなくなっているのだ。
つまり、戦後になってテレビやテレビゲームなどの暴力を超える娯楽が出来たから、それまでの暴力が国民に捨てられたのである。暴力団が捨てられたのである。だから、今では暴力団がなくなっているのだ。
[11318] 暴力と学問 h22.11.9
昔は暴力が正しいことだと考えられて、暴力の才能がある者が世界や国を支配できた。
昔は暴力が娯楽だと考えられていた。もっとも、娯楽と言ってもダラダラした娯楽ではなく、ちょうど今の学問(勉強)と同じようなものだった。勉強が得意な人にとっては勉強が娯楽であるように、暴力が得意な人にとっては暴力が娯楽だったのだ。
暴力は学問と同じようなものだった。
今は学問の才能がある者が優[すぐ]れた者だと考えられているように、昔は暴力の才能のある者が優れた者だと考えられていたのである。
だから、学者と政治家がよく対比されるのだ。学問の才能がある者が学者であるように、暴力の才能がある者が政治家なのだ。つまり、政治とは暴力のことなのだ。暴力で国を治めることが政治なのだ。[武器は、拳[こぶし]→刀→銃→大砲→核ミサイルと進化してきた。政治家はいつの時代でも武器で世の中を治めてきたのだ。/ゲーテの『ファウスト』は、ファウストとはドイツ語で拳の意味だが、ヨーロッパが拳の形に似ているのでヨーロッパの意味でもある。拳は武器だから、ヨーロッパが武器で世界を支配する国だということを表している。]
昔は「暴力」がれっきとした人間の才能のひとつだと認められていたのである。だから、昔は暴力団の態度が大きかったのだ。
しかし、今では人々の価値観が変わって、暴力は人間の才能だと認められなくなった。いくら暴力の才能があっても優れた者だと見なされなくなった。むしろ、暴力の才能があるほど劣った者だと見られるようになった。だから、今では政治家が世界や国を治めることはできないのである。
[11319] なぜ国際暴力団は川野教を密[ひそ]かにやったのか? h22.11.9
中世の国際暴力団は、世界の各地域でキリスト教や仏教や神武天皇教やイスラム教などの国家宗教を堂々とやらせた。
近世は国際暴力団がなかった。それで、日本では徳川幕府が国家暴力団をやっていた。徳川幕府は国家宗教をやらさなかった。
近代の国際暴力団も、世界の各地域で国家宗教を堂々とやらせた。
それなのに、今の国際暴力団は、世界中で川野教の国家宗教を密かにしかやらせていない。国民に隠れてコソコソとしかやらせていない。
それは、今の国際暴力団がすでに潰[つぶ]れているからである。国際暴力団が潰れているから国民に川野教をはっきりとやらせられなかったのである。
国際暴力団は自分が潰れていないふりをするために川野教をやらせたので、国民に川野教を密かにしかやらせられなかったのである。つまり、川野教は『嘘の国家宗教』だったので、ぼんやりとしかやらせられなかったのである。
今の国際暴力団が潰れていなければ、国家宗教をもっと堂々とやったはずである。私を天皇のように皇居に住ませてテレビに出したはずである。しかし、実際にはそうしていないから、国際暴力団は潰れているのである。
昭和40年頃に国際暴力団が潰れたので、昭和40年頃から国際暴力団はヤケクソになって川野教をやり始めたのである。
今の国際暴力団は暴力団ではなく、“暴力団ごっこ”にすぎないのだ。
今の世界では国民が暴力を支持していないから、暴力団が栄[さか]えられないのである。暴力団はすでに滅んでいるのだ。
[11320] 国際暴力団は滅んだ。 h22.11.9
戦後はテレビの時代になって、世界中のテレビドラマで非暴力教育をやったので、世界中のみんなが暴力を悪いことだと考えるようになった。
戦後は国際化の時代になって、世界中のみんなが外人を自分の国の国民と同じように考えるようになった。
したがって、戦後は世界中のみんなが外人を暴力で脅[おど]すことができなくなって、国際暴力団が滅んだのである。昭和40年頃に滅んだのである。
昭和40年頃から後は、国際暴力団が自分が滅んでないふりをして国民を騙[だま]すようになった。国際暴力団は暴力団から詐欺師[さぎし]に転職したのである。
国際暴力団は倒す必要がない。なぜなら、すでに倒れているからである。国民が国際暴力団の嘘[うそ]を見破ればいいだけである。
[11321] 国民が暴力団を倒した。 h22.11.10
世界大戦のときに、世界中の人類が「暴力団はもう嫌だ」と思った。暴力団同士が闘争するのはかまわないが、暴力団に多少のお金を取られるのはかまわないが、自分たちが暴力団に殺されるのは嫌だと思った。暴力団が一般の国民に戦争させるのは行きすぎだと思った。[国際暴力団は世界にひとつしかないから国際暴力団同士の闘争はないが、そのかわり国際暴力団は国民に無理やり戦争をさせたのである。それが国民にとっては嫌だったのである。]
そのため、戦後は世界中の人類が国際暴力団を滅ぼそうと思った。戦前は植民地の国民が国際暴力団を滅ぼそうと思うだけだったが、戦後は帝国本国の国民も国際暴力団を滅ぼそうと思うようになった。
それで、昭和40年頃に国際暴力団が滅んだ。
戦前は帝国本国と植民地との戦いだったが、戦後は国際暴力団と世界人類の戦いになってしまったために、国際暴力団が滅んだのだ。世界人類が国際暴力団を倒したのだ。
国民は暴力団よりも強い。暴力団は国民に喧嘩[けんか]を売ってはいけなかったのだ。暴力団は国民を敵にまわしてはいけなかったのだ。戦後は国民が「暴力はいけないことだ」と考えて暴力団に冷たく当たるようになったので、暴力団が滅んだのだ。
政府は国際暴力団の植民地支部である。だから、政府も滅んでいる。だから、国民は政府に従ってはならない。政府は何食わぬ顔をして滅んでいないふりをしているが、本当は滅んでいるのだ。
[11322] 暴力は悪[あく]だ。 h22.11.10
今の世界では暴力が悪いことだと考えられている。暴力団が悪者だと考えられている。国民は暴力団に従わなくてもいいと考えられている。
政府は国際暴力団の植民地支部だ。だから、政府も悪者だ。だから、国民は政府に従わなくてもいい。
今は警察が政府の付属機関になっているが、本来警察と政府は敵である。警察は犯罪を取り締[し]まるためにある。政府は犯罪を犯すためにある。暴力も犯罪も同じだからである。だから、警察と政府は敵対関係にあるのである。
警察は暴力を許すべきではない。政府は暴力団である。だから、警察は政府を許すべきではない。今後は警察が強くなって、政府が弱くなって、政府が警察に倒されるだろう。
[11323] 国家宗教について☆ h22.11.10
国家宗教は帝国本国の植民地に対する嫌がらせである。
しかし、国家宗教は植民地だけではなく、帝国本国でもやっている。帝国本国でも政府が国民に国家宗教をやらせている。
このことは、帝国本国でも政府と国民は敵対関係にあることを表している。国際暴力団は帝国本国の国民を軽蔑[けいべつ]しているのだ。そう言えば、植民地だけでなく帝国本国でも、政府が国民から税金を取っている。
帝国本国には、国際暴力団の本部があると言うだけのことである。帝国本国には国際暴力団の本部があり、帝国本国では国際暴力団の本部が世界中から集めたお金を国民に落としてくれるから国民が豊かなのである。
しかし、最近は世界中で暴力がいけないことだと考えられて、暴力団の羽振[はぶ]りが悪くなっている。国内暴力団や国家暴力団や国際暴力団の羽振りが全部悪くなっている。帝国本国でも、国際暴力団の本部が国民にあまりお金を落としてくれなくなっている。今では、植民地の政府が帝国本国の政府に送るほどのお金はなく、帝国本国でも政府が国民から税金を取るだけになっている。つまり、今では帝国がないのである。それなら、帝国本国の国民にとっても国際暴力団がないほうがましだ。
今や世界中で、国際暴力団と国民は敵対関係にある。国際暴力団を応援してくれる者は誰[だれ]もいない。世界人類に比べれば国際暴力団は非力[ひりき]だ。だから、国際暴力団は滅んでいる。国際暴力団の建物が建っているだけで、中身はすでになくなっているのだ。
[11324] 税金について h22.11.10
昔は、暴力が正しいことだとされて、暴力団が公[おおやけ]に暴力を使っていた。
しかし、今は、暴力がいけないこととされて、暴力団は公に暴力が使えなくなっている。
昔は、政府が暴力を使って国民から強制的に税金を取り立てていた。[赤紙とは、政府の取立てで家中が家族の血で真っ赤に染[そ]まることである。]
しかし、今は政府が暴力を使えなくなって国民から税金の取立てができなくなっている。
今では、国民が政府に税金を払おうが払うまいが国民の自由だ。
馬鹿で気弱な連中が政府におとなしく税金を払っているだけだ。
だから、政府がお金が足りなくなって、国鉄や郵便局が民営化されたのだ。
もうすぐ、政府自身も潰[つぶ]れるだろう。
[11325] 税金について(その2)☆ h22.11.10 昔は、政府が正々堂々と暴力を使って、国民を殺してでも税金を取っていた。 しかし、今では暴力が使ってはいけないことになっている。[世界大戦で世界中の人々が「暴力は嫌だ」と思ったからである。世界大戦で「国際暴力団は国民のためにはない」ということがはっきりとわかったからである。戦争は自分の国が勝っている間[あいだ]は面白いが、負け出すと面白くない。] 政府は暴力を使えなくなっている。暴力団が暴力を使えなくなったら、あとは嘘[うそ]を使うしかない。今の政府は国民に口が出せるだけで手は出せないのだ。 それで、今の政府は国民を嘘で騙[だま]してお金を取っている。政府が国家宗教をやっているのも、政府が国民に「今でも帝国(つまり国際暴力団)がある」と思わせて国民を騙すためである。核ミサイルも嘘である。 今の政府は嘘で持っているだけの軟弱[なんじゃく]な会社である。 政府の嘘に騙される馬鹿な国民が政府に税金を払っているだけで、その他の国民は政府に税金を払っていない。だから、政府は年々小さくなっているのだ。 今の暴力団は嘘が使えるだけである。そんなもの怖[こわ]くもなんともない。政府をまともに相手にするほうが馬鹿だ。 今の国際暴力団は国際嘘つき団である。しかし、国際嘘つき団の嘘に騙されるほど国民は馬鹿ではない。国際嘘つき団はすぐに滅ぶだろう。 |
[11326] 政治家は偉いか? h22.11.10
政府は国際暴力団の事務所である。
政治家は国際暴力団の幹部である。公務員は国際暴力団の組員である。[姿形[すがたかたち]はどうであれ、暴力団に入っていれば暴力団の組員である。]
ところが、今の世界では、暴力はいけないこととされている。
だから、暴力団は偉くない。暴力団員は全員偉くない。
だから、政治家は偉くない。公務員も偉くない。
[11327] なぜ戦前の国民は暴力団に対して寛大[かんだい]だったのか?☆ h22.11.10
戦前は、暴力団は国民からお金を取るだけで、それ以上の悪さをしなかったので、国民は暴力団に対してはそれほど悪い印象を持っていなかったからである。[ここでの“暴力団”とは、おもに国際暴力団のことである。]
むしろ、暴力団が国民からお金を取るためには国民が必要なので、国民は「暴力団は自分を守ってくれる存在だ」と思って、暴力団を大切にしていたのである。だから、国民は暴力団に払う税金を「自分の命の保障金」だと思って喜んで払っていたのである。
しかし、世界大戦によって、その仮定がまちがいであることが実証された。
暴力団は、その気になれば、平気で国民を殺すことが判明した。
だから、戦後は、国民は暴力団に対して厳[きび]しくなった。国民は暴力団をこの世から消そうと思った。それで、戦後の国民は「暴力はいけない」という決まりを定めて暴力団を地上から葬[ほうむ]ったのである。暴力団は怖[こわ]いが、じつは国民のほうがそれよりもずっと怖かったのだ。国民は暴力団を超える暴力団なのだ。
今の政府は国際嘘[うそ]つき団の支部である。国際嘘つき団は国民からお金を取るだけで悪さをしないが、国民にとっては嘘つきに従わねばならない理由がない。人間は正しいことには従うが、嘘には従わない。だから、国民は国際嘘つき団には従わない。国際嘘つき団ではしょせん先が長くない。国際嘘つき団は、悪あがきをせずにさっさと店を畳[たた]んだほうがいい。
[11328] 税金とは何か? h22.11.10
暴力団が武器で脅[おど]して国民から取るお金のことである。[ここでの“暴力団”とは、おもに国際暴力団のことである。]
いわゆる、ショバ代である。
ところが、戦後は武器で脅すことは禁止されている。
だから、今では暴力団は国民からお金が取れない。
したがって、暴力団は収入がないから滅びるしかない。
暴力団とは、要するに武器で脅して国民からお金を取る団体のことである。取ったお金の一部で言い訳[いいわけ]がましくわざとらしく「国民の役に立つ仕事」をしているだけである。今の暴力団は武器で脅す代[か]わりに嘘[うそ]で騙[だま]しているだけである。そんな団体は早くなくなったほうがいい。
[11329] どうして国際暴力団は素直[すなお]になくならないのか? h22.11.10
今の国際暴力団が国際嘘つき団としてしぶとく生き残っているのは、将来何かのきっかけで再び暴力が解禁になって国際暴力団が復活するためである。国民が政府の嘘に騙されて、国民みんなが政府に盲目的に従うようになると、再び国際暴力団が復活するかもしれない。
その日を夢見て、今のところは国際嘘つき団として暴力を使わずにおとなしくしているのである。
ところで、戦争の原因は国際暴力団にある。戦争は、国際暴力団が植民地(例、日本)や帝国本国の国民を戦わせることである。暴力団の仕事は国民の財産を取ることと国民を嫌がらせることだから、国民に対する嫌がらせとして国民に戦争をさせるのである。[世界大戦では国民に対する嫌がらせがすぎたので、戦後は暴力団が国民に抑[おさ]えられることになったのである。]
だから、戦争が嫌いな人は、国際暴力団の力が弱まっている今のうちに国際暴力団を潰[つぶ]さねばならない。この千載一遇[せんざいいちぐう]のチャンスを活[い]かさない手はない。こんな機会は2度とやって来ないかもしれない。
[11330] 暴力団の適性 h22.11.10
暴力団は、国民から財産を取ったり国民を嫌がらせることが仕事である。
だから、お金が欲しかったり国民を嫌がらせることが好きな人にとっては、暴力団は最高の仕事である。人を嫌がらせてお金が稼[かせ]げるのだから、意地悪[いじわる]な人にとっては絶好の仕事である。
暴力団は犯罪癖[はんざいへき]のある人間の温床[おんしょう]である。
この世から犯罪癖のある人間をなくすためには、暴力団をなくさなければならない。
[11331] 坂本龍馬[さかもとりょうま]は悪人か?([11233]の訂正) h22.11.10
幕末にペリーが日本にやって来た。
日本の暴力団(江戸幕府のこと)が世界の暴力団にかなうわけがなかった。
たとえ徳川家康でもかなうわけがなかった。
暴力団は暴力が支配する世界なので、暴力の弱い者は暴力の強い者に必ず従わなければならない。
だから、日本の暴力団は日本を世界の暴力団に譲[ゆず]らざるを得なかったのである。
つまり、江戸幕府が倒れて政府の時代になるのは必然だった。
坂本龍馬ごとき一介[いっかい]の人間に幕府か政府かとうてい選べたものではなかった。
坂本龍馬は、幕府を捨てて政府の側[がわ]に付いた。だから、龍馬の判断は正しかった。そういう意味では、龍馬は善人である。
ただ、龍馬は「世界の暴力団に比べたら日本の暴力団なんか“たっすい”(=弱い)ちや」と言って幕府を馬鹿にしたから、幕府の者に殺されたのだ。
今の時代でも、国際暴力団が国際嘘つき団になっているのは、世界中の人類の力であって、個人一人の力ではない。国際暴力団が国際暴力団になるか国際嘘つき団になるかも、国際暴力団自身が決めることではなく、世界の人類みんなで決めることなのだ。そのために、今の国際暴力団は国際嘘つき団にされている。つまり、世界人類みんなが『国際暴力団を潰[つぶ]す』ことに決めたので、国際暴力団は潰れたのである。さすがの国際暴力団も世界中の人類みんなの“暴力”にはかなわなかったのだ。“世界人類は国際暴力団の1000倍の力がある。”(←テレパシーで聞いた。)世界人類こそ究極の暴力団なのだ。
[11332] “どうして世界人類は国際嘘つき団を倒そうとしないのか?”(←テレパシーの質問) h22.11.10
世界人類が本気で国際暴力団を倒すつもりなら、今の国際嘘つき団(世界中の政府のこと)も倒すはずである。
だから、実際に今の世界では国際嘘つき団を倒す活動をしている。
戦後のテレビ番組などで人類全員(つまり世界人類と国際暴力団)に『暴力はいけない』思想を植え付けて国際暴力団が暴力を使えなくしたように、今もテレビ番組などで人類全員に『嘘はいけない』思想を植え付けて国際嘘つき団が嘘を使えなくしている。[例えば、私が子供の頃にはヤクザ映画があった。帯屋町[おびやまち]の映画館に大きなヤクザ映画の看板が出ていた。しかし、今はヤクザ映画がない。私が子供の頃には国際暴力団が国民に「暴力は善[よ]いことだ」と思わせるためにヤクザ映画を作らせていたが、今では反政府組織がみんな(国民と暴力団)に『暴力はいけないことだ』と思わせるためにヤクザ映画を作らせないのだ。戦後しばらくは映画の上で暴力があったが、最近はそれすらなくなったのだ。]
国際嘘つき団は大きい団体だから、倒すのも一気にと言うわけにはいかず何十年もかけてジワジワと倒すのだ。世論操作のプロフェッショナルがちゃんと計画を立ててやっているのだ。また、国際暴力団が突然なくなると世の中が混乱するから、ゆっくりと徐々になくしていって混乱が起こらないようにしているのだ。
だから、今も世界人類は国際嘘つき団つまり国際暴力団を倒している。ただ、それがゆっくりでサブリミナル(潜在意識的)なので目立たないだけである。そのうち効き目が現れてくるはずである。
[11333] 国民はどうすべきか? h22.11.10
私の親も含めて、今の国民の大多数が国際暴力団(国際嘘つき団)の言いなりになっている。
しかし、今の国際暴力団はすでに潰[つぶ]れている。なくなりかけている。国際暴力団の建物は建っているが、中身がなくなっている。
そんな死にかけの団体の命令をわざわざ聞く必要はない。聞いても聞かなくても何にもならない。
だから、国民は国際暴力団(国際嘘つき団)の命令に従わなくていい。
[11334] 中国にはどうして国家宗教がなかったか? h22.11.10
中国は大きい国なので、中国の国家暴力団がヨーロッパやアメリカに本部がある国際暴力団よりも強かったので、中国が国際暴力団に支配されなかったからである。
中国の国家暴力団は国民に国家宗教をやらさなかったので、中国には国家宗教がないのである。
しかし、実際には、中国の儒教と道教が国家宗教の代[か]わりである。儒教は眼先にとらわれることであり、道教は知覚を使わないことである。だから、国民に儒教と道教をやらせれば、国民は確実に馬鹿になる。中国の国家暴力団(中国政府のこと)は、国民に儒教と道教をやらせることによって国民を馬鹿に変えて支配しやすくしたのである。[儒教や道教と同じように、キリスト教も仏教も神武天皇教もイスラム教も、国民を馬鹿に変えて、政府(つまり国際暴力団)が国民を支配しやすくするためにあったのである。]
しかし、文化大革命の時、ついに中国の国家暴力団は国際暴力団に屈した。今の中国は国際暴力団の支配下にある。だから、今の中国では国家宗教(川野教)をやっている。しかし、今では国際暴力団自体が滅びつつある。世界的にすべての暴力団がなくなりつつあるので、中国の国家暴力団も復活しないだろう。だから、中国は政府(国際暴力団)や幕府(国家暴力団)のない国になるだろう。世界中の国が政府や幕府のない国になるだろう。
中国は大きい国なので、国家暴力団(中国政府)が国際暴力団よりも強く、最近まで国際暴力団の支配を受けず、国家宗教がなかった。
インドも大きい国なので、中世においては国家暴力団(インド政府)が国際暴力団とほぼ対等であり、しばらく国際暴力団の支配を受けたがその後独立して、仏教を途中でやめた。しかし、近代になると、国家暴力団は近代兵器で武装した国際暴力団にかなわず、国際暴力団の支配を受けていた。
一方、日本は小さい国なので、国家暴力団が国際暴力団に到底[とうてい]かなわず、ずっと国際暴力団の支配を受けて、長い間神武天皇教をやらされていた。
中国やインドは、ヨーロッパやアメリカと並ぶぐらい力の強い国である。ヨーロッパやアメリカは国際暴力団のおかげで発展した国である。今後国際暴力団がなくなれば、世界の情勢は一変するかもしれない。
[11335] 国際嘘つき団とは何か? h22.11.10
戦後の世界では世界中の国民の働きによって『暴力がいけない』ことになった。暴力が使えなくなった。
暴力団が暴力が使えなくなったらおしまいである。
今の国際暴力団は本当は潰れているのに、嘘[うそ]をついて潰れていないふりをしている。核ミサイルを配備したり国家宗教をやらせたりして、国際暴力団が今でも存在しているふりをしている。しかし、本当は国際暴力団があることは嘘なのである。
つまり、国際嘘つき団とは、いろんな嘘をついて国民に「今でも国際暴力団が存在している」と思わせている団体のことである。
今の国際暴力団は暴力が使えないので、精一杯嘘を使って国民に「国際暴力団が存在している」と思わせて、国民を自分に従わせているのである。しかし、本当は国際暴力団は滅んでいる。だから、国民は国際暴力団に従わなくてもいいのである。
[11336] 暴力と犯罪は同じではない。 h22.11.11
戦後は暴力がいけないことだとされている。
しかし、いくら暴力がなくなっても、すべての犯罪がなくなるわけではない。
例えば、泥棒は暴力ではないが、犯罪である。
暴力は犯罪だが、暴力ではない犯罪もある。つまり、暴力⊂犯罪。
だから、たとえ政府がなくなっても、警察はやはり要るのだ。
[11337] 世界大戦はどうしてあったか? h22.11.11
国際暴力団が世界人類に嫌がらせをしたかったからである。
国際暴力団の仕事は、人類の財産を取ることと人類の嫌がらせをすることなので、人類の嫌がらせをやったのである。
国際暴力団は仕事熱心のあまり、世界人類に戦争をさせてしまったのである。人類に対する嫌がらせがエスカレートして世界大戦になってしまったのである。[世界恐慌は世界大戦をさせるためのお膳立[ぜんだ]てである。]
しかし、そのために、国際暴力団は自分自身を滅ぼす羽目[はめ]になったのである。いわゆる過労死である。
仕事熱心もほどほどにしないといけない。
[11338] 帝国とは何か? h22.11.11
帝国とは国際暴力団のことである。
帝国本国とは、国際暴力団の本部がある国であり、
植民地とは、国際暴力団の支部がある国である。
国際暴力団は武器で脅して世界中の人間から財産を奪った。
奪った財産は国際暴力団の本部に集まり、国際暴力団の本部が地元の人間にお金を落としてくれたので、帝国本国の国民が裕福だったのである。江戸時代の日本では国家暴力団の本部があった江戸が豊かだったように、中世や近代の世界では国際暴力団の本部がある帝国本国が豊かだったのである。
一方、植民地では、国民が国際暴力団にお金を取られるだけだったので、国民が貧乏だったのである。
国際暴力団の本部は、古代や中世はローマにあり、近代はアメリカやヨーロッパにあった。それで、これまでアメリカやヨーロッパが裕福だったのである。反対に、その他の国(例、日本)が貧乏だったのである。
しかし、今は国際暴力団がなくなっているから、もはや世界中の国民が国際暴力団にお金を取られることがない。だから、今後は『国の実力』で豊かさが決まるのだ。だから、日本はそこそこ豊かになれるだろう。
[11339] 帝国本国の条件 h22.11.11
帝国本国とは、国際暴力団の本部がある国のことである。
帝国本国の条件は「かっこいい国」であることである。
暴力団は、自分の体裁[ていさい]にこだわるので、まず第一にかっこよくなければならないのである。
それで、国際暴力団の本部はかっこいい国にあるのである。
かっこいい国とは、文明の先進国であって、見た目がいい国のことである。
これまで、ローマやヨーロッパやアメリカはかっこいい国とされてきたので、国際暴力団の本部があったのである。そのために、ローマやヨーロッパやアメリカの国民が裕福に暮らすことができたのである。
一方、日本はかっこいい国ではない。だから、国際暴力団の支部しかなかったのである。そのために、日本人は貧乏な暮らしを強[し]いられたのである。
[11340] 国民は暴力団に従わない。 h22.11.11
国民が暴力団に従うのは暴力のためである。
しかし、今の世界では暴力を使ってはいけないことになっている。
だから、国民はもはや暴力団には従わない。
国民は暴力団(例、政府)にお金をやらないし、暴力団の嫌がらせの命令を聞かない。
[11341] 暴力を使わない暴力団☆ h22.11.11
戦前と戦後では世界の法則が変わった。
戦前は、暴力を使ってもよかった。
戦後は、暴力を使ってはいけなくなった。
戦前の暴力団は、暴力を使う暴力団だった。
戦後の暴力団は、『暴力を使わない暴力団』になった。
戦後の暴力団が暴力を使わない暴力団なら、国民はもはや暴力団には従わない。暴力を使わない暴力団はただの人間の集団にすぎず、国民が従わねばならない理由がない。
政府は国際暴力団である。だから、国民は政府にも従わない。たとえ政府が警察をやろうが学校をやろうが、国民は政府には従わない。したがって、国民は政府に税金を払わないし、政府の命令も聞かない。
国家宗教(キリスト教や仏教や神武天皇教やイスラム教や川野教など)は国際暴力団が国民にやらせたことである。しかし、今では国民が国際暴力団に従わない。だから、国民は国家宗教をやらない。
[11342] マンガやアニメは国家宗教である。 h22.11.11
国家宗教とは、国際暴力団が人間を馬鹿に変えて支配しやすくすることである。国家宗教をやっても何にもならないのは、国家宗教が人間を馬鹿に変えるための学問だからである。宗教を面白いと思う者は生まれつき馬鹿だからである。国際暴力団が武器で脅[おど]して国民に無理やり国家宗教をやらせて、わざとにまちがった教えを学ばせて馬鹿に変えていたのである。国際暴力団にとっては国民にそんな嫌がらせをすることが喜びだったのである。つまり、国家宗教とは、国際暴力団が国民を暴力で脅して無理やり勉強させたまちがった学問のことである。
例えば、聖書のキリストが超能力を使えたのは、人々にありえないことを教えて人々を馬鹿に変えるためである。
ところで、マンガやアニメは面白いが、作り事なので見ていると馬鹿に変わる。
だから、国際暴力団は世界人類を支配しやすくするために、マンガ家やアニメ会社にマンガやアニメを作らせて、世界人類にマンガやアニメを見せるのである。国際暴力団は、そのためにマンガ家やアニメ会社に莫大[ばくだい]なお金を出すのである。[昔の国際暴力団は嫌がらせっぽい嫌がらせをしたが、今の国際暴力団は嫌がらせっぽくない嫌がらせをするのである。でも、本質的にはやはり嫌がらせなのである。例えば、マンガやアニメは嫌がらせっぽくない嫌がらせである。国際暴力団はマンガやアニメで子供を馬鹿に変えて、大人になって苦労させて喜んでいるのである。昔の国際暴力団ははっきりと悪いことをしたが、今の国際暴力団ははっきりと悪いことをしないのだ。昔のヤクザは純朴[じゅんぼく]だったが、今のヤクザは陰険[いんけん]なのだ。]
マンガやアニメのキャラクターが私や天皇のキャラクターなのは、国際暴力団がスポンサーである証拠である。マンガ家やアニメ会社が国際暴力団からお金をもらう代[か]わりに、私や天皇のネタを入れて描くのである
日本でマンガやアニメが盛んなのは、日本人が絵や話がうまいからである。国際暴力団は日本人の絵や話の才能を買って、日本でマンガやアニメを作らせているのである。
一般に人間を馬鹿に変えるものはすべて国家宗教である。
だから、マンガやアニメは国家宗教である。
[11343] 民間宗教について h22.11.11
国家宗教は有名だが、最近マンネリになって人気がない。川野教は新しいが、人々に川野教をやらせてみても、残念ながらあまり人々を馬鹿に変える効果はない。[私が国家宗教の神なのは、国際暴力団が勝手に決めたからである。]これまではキリストも釈迦も神武天皇もアラーの神(モハメット)もみんな馬鹿でまちがった教えを述べたので、キリスト教や仏教や神武天皇教やイスラム教が国家宗教になっていたのである。反対に、正しい教えでは国家宗教にならない。だから、デカルト教やニュートン教がないのである。
そこで、最近は国際暴力団は民間宗教に力を入れている。国際暴力団は人々を馬鹿に変えて支配しやすくするために、世界中にいろんな民間宗教を作っている。
しかし、今どき宗教に入る者なんかいない。家の中でテレビを見たりテレビゲームをやったりしたほうがずっと楽しい。
今どき宗教なんか流行[はや]らない。だから、国際暴力団がいくら宗教に頼っても無駄[むだ]である。国際暴力団がいくら宗教にお金をかけても無駄である。
今さら暴力団があれこれじたばたしてもしかたがない。暴力団が暴力を使えなくなったらおしまいだ。
[11344] 外交について h22.11.12
外交とは国際的な法律を作ることである。
だから、外交官は法律家である。
だから、外交官は法律の得意な者がなればいい。
収入を得る方法は法律で決めればいい。
国民が正当と認めれば、国民はお金を出すだろう。
[11345] 暴力と関係のない国の運営機関 h22.11.12
国民は正当と認めたことに対しては、お金を出す。
だから、将来の日本には『暴力と関係のない国の運営機関』が出来るだろう。
これまで国民は国際暴力団にさえお金を出したぐらいだから、正当な機関ならきっとお金を出すはずだ。
今の政府は国際暴力団の残党[ざんとう]だからいけない。たとえ暴力を使わなくても、暴力団の悪癖[あくへき]が抜けきれず、いまだに国民に対していろんな嫌がらせをしている。国民の幸福を壊している。テレビや新聞を賑[にぎ]わせている事件の大半は、政府が起こしたものである。
早く政府を潰[つぶ]して、国民の手で『暴力と関係のない国の運営機関』を作らねばならない。
無政府主義(つまり国の運営機関を持たない主義)に割り切ることは、国の機能をいっさい捨てることであり、かえってうまく行かないだろう。無政府主義だと法律を作れなくなるから原始時代と同じだ。政府はなくなったほうがいいが、やっぱり国の運営機関はあったほうがいい。[暴力団の本業(国民を暴力で脅して金を取ることや国民に嫌がらせをすること)は悪いことだが、反対に暴力団の副業(学校や警察や国会など)は善[い]いことが多い。今の暴力団は副業で政治機関をやっている。だから、政治機関は善[い]い仕事なのである。つまり、『法律で国を治めること』は善[よ]いことなのである。]
これまで国民が政府や幕府に従ってきたのは、政府や幕府が武器を持っていたからである。『暴力と関係のない国の運営機関』はもはや武器を持たないから、『正しさ』で国民を従わせるしかない。だから、『暴力と関係のない国の運営機関』は真面目[まじめ]に正しく働いてくれるはずだ。そんな機関なら国民は正当と認めるから、国民は『暴力と関係のない国の運営機関』と契約してお金(税金)を出すだろう。
税金の額に関しても、国際暴力団の付属の政治機関に税金を払うよりも、政治機関だけに税金を払ったほうが、国際暴力団に税金を払わない分ずっと安上がりなはずである。だから、国民は政府を潰して、『暴力と関係のない国の運営機関』を作ったほうがいい。
国会議事堂の建物も日本らしさが全然ないし、もっと日本らしさのある国の法律事務所を建てたほうがいい。だから、政府が潰れたほうがいい。
戦後の世界は『暴力のない世界』である。新しい原理に則[のっと]った国の運営機関を作らねばならない。
[11346] どうして政府は国民と契約を取らないのか? h22.11.12
政府が暴力団だからである。国際暴力団だからである。
暴力団は国民を暴力で脅[おど]してその場の雰囲気[ふんいき]でテキトウに国民からお金(ショバ代)を取り立てるのであって、いちいち国民に頭を下げて国民と契約を取ってお金を取り立てたりはしない。
だから、政府も国民と契約を取ってお金を取り立てたりしないのである。
しかし、戦後の世界は『暴力のない世界』である。暴力団は暴力が使えない。だから、暴力団は国民からお金を取ることができない。すなわち、政府も国民からお金を取ることができない。つまり、国民は政府にお金(税金)を払わなくてもいいのである。すでに頭のいい国民は政府に税金を払っていない。
[11347] 無政府主義 h22.11.12
プルードン、バクーニン、クロポトキンの3人は有名な無政府主義者である。
しかし、どの考えもまちがっている。明らかにまずい考えである。
それは、国際暴力団が国民に「無政府主義ではうまく行かない。政府主義でなければうまく行かない。」と思わせるために、暇[ひま]な学者を使ってわざとに無政府主義のまちがった考えを述べさせたからである。つまり、国際暴力団が国民に「国際暴力団はいい団体だ」と思わせるために、人相の悪い学者に正しいことをまちがいであるかのように書かせたのである。日本の大学で、国際暴力団がわざとにガラの悪い学生を使って政府を攻撃する新聞を書かせて、学生達に「政府(国際暴力団)はいい団体だ」と思わせているのと同じことである。
しかし、実際には、国際暴力団はいい団体ではない。だから、政府はなくなったほうがいい。つまり、無政府主義は正しいのだ。政府をなくして、『暴力と関係のない政治機関』を作ればいいのだ。
[11348] 暴力のない時代《まとめ》 h22.11.12
戦後の今は『暴力のない時代』である。
暴力団が暴力を使えなければ、ただの集団である。
ただの集団に国民が従わねばならない理由はない。
政府は国際暴力団である。
だから、国民は政府に従わない。
[11349] ドン・キホーテについて h22.11.12
ドン・キホーテは馬に乗って風車に突っ込んで吹っ飛ばされた後で、「自分を妬[ねた]む魔法使いが、巨人退治の手柄を奪うため巨人を風車に変えてしまったのだ」と言った。
ここで、魔法とは嘘[うそ]のことで、巨人とは政府(国際暴力団)で、風車とは国家宗教団体(キリスト教会)のことである。[国際暴力団は大きくて力が強いので巨人に喩[たと]えられる。風車は羽が十字架に似ているのでキリスト教の喩えである。]
だから「魔法で巨人を風車に変えた」とは、『国際暴力団が嘘をついて自分がキリスト教会のふりをしている』ということである。
『ドン・キホーテ』が書かれた当時(1605年頃)、ヨーロッパの国際暴力団は国民の国際暴力団に対する風当たりを逸[そ]らすために、自分の正体を隠すために嘘をついてキリスト教会のふりをするようになったのである。
『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスは、国際暴力団が嘘をついていることを見破って、ドン・キホーテの前編の結末を書いたのである。セルバンテスも心中では国際暴力団を倒したかったのである。だから、セルバンテスは文学の上でドン・キホーテに国際暴力団を倒させようとしたのである。しかし、当時はまだ暴力を使ってもいい世の中だったので、さすがのドン・キホーテも巨人にはかなわなかったのである。
今の日本でも、国会の法律や行政や犯罪がすべて国家宗教に従っているのも、国際暴力団が国民に「日本神道が日本を支配している」と思わせるためである。しかし、実際には、日本神道は日本政府(国際暴力団の日本支部)の仮の名にすぎないのである。つまり、日本政府(国際暴力団の日本支部)は日本神道の神の情報を使って法律や行政や犯罪を行って、日本国民にあたかも「日本には日本神道という宗教団体があって、日本神道が日本を支配している」と思わせているのである。しかし、実際には、日本神道は架空の団体であって、その実体は日本政府なのである。日本政府が日本神道を使っているだけのことである。だから、日本神道には建物がないのである。
[11350] 国際暴力団の本部の引越し h22.11.12
中世は、国際暴力団の本部がローマにあった。だから、ローマでは国際暴力団の本部がお金を落としてくれて裕福だった。
近代は、国際暴力団の本部がイギリスにあった。だから、イギリスでは国際暴力団の本部がお金を落としてくれて豊かだった。
つまり、中世から近代にかけて、国際暴力団の本部がローマからイギリスに引越ししたことになる。国際暴力団の本部は世界で一番“活[い]きのいい国”になければならないので、近代はイギリスが活きがいい国だったので、国際暴力団の本部がローマからイギリスに引越ししたのである。
ローマ政府は、本部だったが支部になった。
イギリス政府は、支部だったが本部になった。
国際暴力団の本部がローマからイギリスに移る途中、国際暴力団の勢力が弱まる時期があった。それが近世である。その時期に日本では、国家暴力団が国際暴力団を負かして日本を牛耳[ぎゅうじ]ったのだ。
今の国際暴力団の本部はアメリカかヨーロッパのどこかにあるのだろう。
しかし、今の世界は『暴力のない時代』だから、国際暴力団はなくなっている。だから、国際暴力団の本部もなくなっている。国際暴力団の本部のある国が帝国本国である。だから、帝国本国もなくなっているのだ。帝国もなくなっているのだ。
今の世の中はすでに潰[つぶ]れた国際暴力団が潰れていないふりをしているだけである、だから、国民は騙[だま]されないようにしなければいけない。
[11351] どうして最近国家宗教をやる者が減っているのか? h22.11.13
国家宗教とは、国際暴力団が国民を暴力で脅して無理やり勉強させたまちがった学問のことである。[[11342]参照。]
しかし、戦後は『暴力のない時代』になった。だから、国際暴力団が国民を暴力で脅せなくなった。だから、国民は国家宗教をやらなくなったのである。
暴力団が暴力を使えなくなったら、ただの役立たずである。今では暴力団と国民の縁[えん]が切れている。だから、国民は暴力団に従わなくなったのだ。
[11352] どうして最近税金を払う者が減っているのか? h22.11.13
税金とは、国際暴力団が国民を暴力で脅して無理やり払わせた金のことである。
しかし、戦後は『暴力のない時代』になった。だから、国際暴力団が国民を暴力で脅せなくなった。だから、国民は税金を払わなくなったのである。
暴力団が暴力を使えなくなったら、ただの人間のクズである。国民は暴力団を軽蔑[けいべつ]している。だから、国民は暴力団を無視して相手にしないのだ。
[11353] どうして最近政府に従う者が減っているのか? h22.11.13
政府は国際暴力団である。日本政府は国際暴力団の地方支部だからわかりにくいが、政府はそもそも国際暴力団なのである。
戦前は、政府が国民を『暴力』で脅して言いなりにしていた。政府に逆[さか]らった国民は政府にリンチで死刑にされていた。国民は政府に脅されて国家宗教や戦争をやらされていた。
しかし、戦後は『暴力のない世界』になった。政府が国民を暴力で脅せなくなった。国民が政府に逆らっても何もされなくなった。だから、国民は政府に従わなくなったのだ。
今でも政府に従っている国民がいるのは、戦前の歴史の名残[なごり]である。今は政府(国際暴力団)が滅んでしまっている。もはや国民は政府の言いなりになる必要はない。政府のない世界を作らなければいけない。
[11354] ドン・キホーテについて(その2) h22.11.13
ドン・キホーテは風車に突撃する前に、自分が大切に持っていた騎士道物語の本を焼かれて書斎を塗りつぶされたことがある。
騎士道物語の本とは、人間の知覚を使って書かれた科学や数学の本のことである。
ヨーロッパの国際暴力団は、国民を支配しやすくするために国民が知覚欲を満足させて利口になるのを嫌って、科学や数学の本をすべて焼き捨てさせたのである。
特に西ローマ帝国では、合理主義で書かれた本が徹底的に焼き捨てられて1冊も残っていなかった。
ルネサンス期に国民による国際暴力団に対する反対運動が起こった。その後、国際暴力団は国民に知覚を使うことを許した。東ローマ帝国の片田舎の図書館に『ユークリッド幾何学原論』と『プラトンの哲学全集』が残っているのが発見されて、その後ヨーロッパ全土に広がった。それを読んだガリレオやデカルトやニュートンが新しい科学の時代を築[きず]いた。一方、当時日本では国際暴力団の勢力が弱まった隙[すき]を突いて、江戸幕府(国家暴力団)の時代を迎[むか]えていた。江戸幕府は天皇家のイヤミを言って馬鹿にしていたが、じつは国際暴力団が怖[こわ]かったのだ。だから、幕府はけっして天皇家を殺さなかったし、アメリカが来るやいなや日本を政府(国際暴力団)に引き渡したのだ。
ドン・キホーテとは、国際暴力団と戦う世界人類のことである。
世界大戦後、再び国民による国際暴力団に対する反対運動が起こった。その後、国際暴力団は自分が暴力を使わないことを認めた。ついに国際暴力団は滅びたのである。ドン・キホーテはついに巨人に勝ったのだ。
『ドン・キホーテ』は『聖書』に次ぐベストセラーである。『聖書』がベストセラーなのは、国際暴力団を支持する者が買うからである。『ドン・キホーテ』がベストセラーなのは、国際暴力団に反対する者が買うからである。野球の巨人ファンが国際暴力団の支持派で、阪神ファンが国際暴力団の反対派なのと同じことである。今では国際暴力団が潰れたから、今後は『聖書』よりも『ドン・キホーテ』のほうが売れるようになるだろう。
[11355] 「サル」「ジャッケン」 h22.11.13
私が高知学芸高等学校の高校生だった時、授業中に教室の後ろのほうで小原[おはら]君と倉田[くらた]君の二人がよく「サル」「ジャッケン」と大きな声で口げんかしていた。二人が咳[せき]をしながら、咳に混じって「サル」「ジャッケン」と言い合っていた。
当時私は小原君が「サル」と言っているのは倉田君の顔がサルに似ているからで、「ジャッケン」は小原君の“肩が弱く(弱肩[じゃっけん])”て、野球の時に小原君が外野から投げた野球のボールがキャッチャーに届かずに試合に負けたからだと思っていた。二人がたわいない口げんかをしているにすぎないと思っていた。[じつは、私のほうが小原君よりも肩が弱く、私への当てつけではないかとも思っていた。私は内野から投げてもキャッチャーにノーバウンドでボールが届かないほどの弱肩だ。]
しかし、本当は違っていた。
「サル」は、映画『猿の惑星』で有名なように、国際暴力団の喩[たと]えである。暴力団は力が強くて頭が弱いので、サルに喩えられるのである。つまり、『猿の惑星』とは、国際暴力団が地球を支配していることである。国際暴力団は自分が国民に馬鹿にされるのを恐れて、暴力で脅して国民に国家宗教をやらせたり、国民にまちがったことが書いている教科書を勉強させたりして国民の知能を低下させているのである。
「ジャッケン」は、弱権つまり権力が弱いことである。
だから、「サル」「ジャッケン」で、今の国際暴力団が弱い権力しか持っていないことを表している。
反政府組織の要請[ようせい]で、小原君と倉田君の二人が共同で教室のみんなをマインドコントロールしていたのだ。
[11356] 暴力団の弱点 h22.11.13
暴力団は力は強いが頭は弱い。
つまり、暴力団の弱点は頭が弱いことである。そのために、暴力団はよくサルやゴリラに喩[たと]えられる。
そこで、暴力団は自分の弱点を克服するために、国民を暴力で脅して国家宗教(まちがった哲学)をやらせたり、まちがったことが書いてある教科書を勉強させたりして、国民を自分と同じ馬鹿に変えていたのである。[今の国家宗教の聖典は改訂に改訂を重ねて中世の頃とは全然別の物になっている。だから、今の聖典は読んでも無難[ぶなん]なものになっている。]
暴力団は、国民にまちがったことを教えて正しいことを教えないようにして国民を知能の低い馬鹿に変えて、この世を暴力だけが支配する世界に改造して、自分が国民よりも優位に立っていたのである。
しかし、ルネサンス以後は、暴力団が国民を馬鹿に変えることは禁止されている。
さらに、世界大戦以後は、暴力団が暴力を使うことも禁止されている。
だから、今の暴力団には何の取り柄[とりえ]もない。今の暴力団は頭も力も両方弱い。暴力団は取り柄のないクズだ。
国民はもはや暴力団を恐[おそ]れる必要はない。国民はこれまで暴力団に恨[うら]みがあるから、今後は逆に国民が暴力団を攻撃していたぶってやればいい。
[11357] 人間対サル h22.11.13
暴力団には暴力の才能があるが人間の才能がない。
暴力の才能は動物のものであって、人間のものではない。
だから、人間社会には暴力の才能は要らない。
したがって、暴力団は人間社会から追放される。
暴力団はアフリカのジャングルの奥で動物の仲間に混じって動物を支配して暮らせばいい。
[11358] 暴力団はどうしてあったか? h22.11.13
昔は人間が動物だった。
動物を治めるのは暴力しかない。
そこで、世界中の人類が『暴力団が要る』と決めて、暴力団に世の中を治めさせていたのである。暴力は悪だが、昔は人間社会を治めるためには暴力に頼るしかなかったのだ。暴力が必要悪だったのである。
しかし、最近は人類の文化が進歩して、人間が動物を卒業した。
人間を治めるのは暴力ではなく、個人の理性である。
そこで、世界中の人類が暴力団に世の中を治めさせなくなったのである。今は教育が普及して人間が正しいことを知って悪さをしなくなったから、暴力が要らなくなったのだ。いわば、学校が暴力団の代[か]わりである。学校は勉強だけを教えるところではなく、道徳を教えるところでもあるのだ。
世界中の人類が『暴力団が要らない』と決めたから、暴力団がなくなったのだ。
世界大戦は、国際暴力団の断末魔[だんまつま]の叫[さけ]びだったのである。
暴力団は長い務[つと]めを終えて永い眠りに付いたのだ。
[11359] 私の理論の問題点 h22.11.13
私の政府についての理論は[11348]に尽[つ]きる。
『政府が国際暴力団である』ことは確実である。このことは、歴史に詳[くわ]しい人なら誰でも知っている。私が歴史に弱いから、わかるまでに時間がかかっただけのことだ。
ただ、『世界大戦後に暴力のない時代になった』かどうかが問題である。
そこは、あまりはっきりしない。
しかし、最近の日本や世界の様子[ようす]を見ると、国際暴力団がなくなっているような観[かん]がある。
これまでの私の哲学日記を見てもわかるように、「国際暴力団が本当はなくなっているのに、なくなっていないふりをしている」と考えると説明が付くことが多い。例えば、今の世界に帝国や戦争や正式な国家宗教がないのは、国際暴力団がすでになくなっているからだと考えると納得が行く。
理論というものは“仮定を立てる”ことから始まる。
「今の世界に暴力がある」という仮定よりも『今の世界には暴力がない』という仮定のほうが今の世界をよく説明できる。
だから、『今の世界には暴力がない』ことが正しいのである。
『暴力のない時代』には暴力団は存在できない。
だから、政府も存在できない。政府はすでに滅んでいる。ただ、政府が大きい団体だからすぐにはなくならないだけのことだ。だから、国民はいくら政府が残っていても、政府に従う必要はない。政府に税金を払わずに政府の命令を聞かずにさっさときれいさっぱり政府をなくしてやればいいのだ。
[11360] どうして政府は私の仕事の邪魔[じゃま]をしたのか? h22.11.14
私が大学を卒業後、愛知県稲沢[いなざわ]市で夜勤で働いていた時、私が昼間に寝ていたら毎日隣室の住人がミニコンポをガンガン鳴らして私は毎日ほとんど一睡もできなかった。私は頭の芯[しん]が痛かった。その後、私が兵庫県豊岡[とよおか]市で夜勤で働いていた時も、4年間ぐらいは静かでよく眠れたが、ある日突然上室の住人が電気ドリルで穴を開ける音を立てるようになり私はうるさくて眠れず2〜3日休んだらすぐ首になった。その後、私が兵庫県養父[やぶ]市で昼夜交替勤で働いていた時、2年間ぐらいは静かでよく眠れたが、隣室の住人がステレオをかけたり壁をドンドン叩[たた]いたりするようになり私はうるさくて眠れず休んだらすぐ首になった。その後私は福岡県福岡市に引っ越したが、この3年間ほとんど仕事に就[つ]いていない。
私が付近の住人から仕事の邪魔をされたのは、国際暴力団が私の付近の住人に私の睡眠の妨害をさせたからである。当時の私は政府すなわち国際暴力団に対して何も考えていなかった。その証拠に当時の私の哲学日記には政府に関して何一つ述べていない。[もっとも、最後の兵庫県養父市で働いていた時には、政府について考えていたが。]ただ、私は子供の頃から政府が何となく嫌だった。だから、政府すなわち国際暴力団が私の仕事の邪魔をする理由は特にない。だから、政府が私の仕事の邪魔をしたのは、おそらく私を引越しさせるためだったのだろう。もちろん、私には引越し代や引越しに伴う手当てなんかは出なかった。国家宗教では国家宗教の神である私がしたことを政府が国民にさせることができるので、政府は国家宗教で国民にいろんな命令を出すために私の仕事を変えて私の経験を増やすために私を引越しさせたのである。国家宗教は国際暴力団が作った決まりなので、正当な理由は何もない。川野教を見れば、その他の国家宗教(キリスト教や仏教や神武天皇教やイスラム教など)も理解できる。
しかし、今は『暴力のない時代』である。だから、政府が国民を暴力で脅[おど]して国家宗教をやらせることはできない。だから、国民は政府の国家宗教の命令に従う必要はない。今の政府は国民に対して何もできない。国民は政府を無視して自由にやればいい。ただし、今は『暴力のない時代』だから、国民は暴力を使ってはいけない。国民は政府みたいになってはいけない。
[11361] フォイエルバッハについて h22.11.14
フォイエルバッハはキリスト教を批判して政府から攻撃されて妻の会社を潰[つぶ]された。
ただ、フォイエルバッハは思想が幼稚すぎる。いい歳した大人の思想とは思えない未熟さがある。フォイエルバッハの思想は、キリスト教から攻撃されるほどの価値のある思想ではない。フォイエルバッハが唯物論なのは、ヨーロッパの馬鹿に受けるためである。
だから、フォイエルバッハはおそらく政府のヤラセだろう。政府(国際暴力団)が暇な学者に気の抜けたキリスト教の批判をやらせて、その者を政府が攻撃することによって、国民に政府(国際暴力団)の恐ろしさを教えようとしたのだろう。わざとらしい芝居である。
[11362] 政府の本業と副業 h22.11.14
政府は国際暴力団である。
政府の本業は暴力団である。
政府は副業で政治機関をやっている。
政府はもともと純粋な暴力団だったが、その後人類の文化の進歩とともにいろんな新しい機関が加わって、暴力団と政治機関から成る今の政府になったのである。[国際暴力団が政治機関をやっているのは、『あしたのジョー』第1話「あれが野獣の眼だ!」で鬼姫組[おにひめぐみ]がスーパーをやっているのと同じことである。]
今の日本の政治機関がやる気がないのは、国際暴力団の副業だからである。国会は国際暴力団の命令で国家宗教で神の情報を入れた国民に不利な法律を作るだけだし[例えば、消費税は消費税←消費←小さい日←今の国際暴力団は神武天皇を神としないことでやっているのである。]、警察は国際暴力団の犯罪を見て見ぬふりをしているし、学校は国際暴力団が国民を支配しやすいように子供にまちがいを教えて子供を自分で考える力のない馬鹿に変えている。
しかし、今は『暴力のない時代』である。
だから、日本や世界に政府があってはならない。
早く政府を倒して、世界中に『暴力と関係のない政治機関』を作らねばならない。
[11363] 国民支配説 h22.11.14
政府が国民を支配しているのではない。
逆に国民が政府を支配しているのだ。
世界大戦頃までは人類の文化がまだ低く人間が動物染[じ]みていたので、国民は政府が暴力を使って世界を治めることを許していた。動物を治めるためには暴力によらざるを得ないからである。
それで、世界大戦までは政府が世界を治めていたのである。
しかし、世界大戦後は人類の文化が高くなって人間が動物らしくなくなったので、国民は政府が暴力を使って世界を治めることを許さなくなった。人間が動物らしくなくなったので、暴力が要らなくなった。暴力団が要らなくなった。
それで、世界大戦以後は政府が世界を治めなくなった。今後は国民が『暴力と関係ない政治機関』に国を治めさせることになるだろう。
つまり、太古[たいこ]の昔から世界は国民が支配している。
国民が政府や幕府に命令して世界や国を治めさせていただけである。
政府や幕府は見かけで国民を支配していただけで、実際には国民が政府や幕府を支配していたのである。
国民みんなの考えが世界を決める。
この世は政府や幕府のものではない。国民みんなのものなのだ。
[11364] なぜ日本では‘いい人’が優位なのか? h22.11.14
日本では“正しい人”よりも‘いい人’が優位である。
それは、暴力団のサルにとっては“正しさ”はわからないが、‘人のよさ’ならわかるからである。
今の日本が国際暴力団に支配された国だから、“正しい人”よりも‘いい人’が優位なのである。
今の日本が暴力団の価値観が支配している国だから、“正しい人”よりも‘いい人’が持て囃[はや]されるのである。そのために、日本はいつまでたっても“正しさ”のない国なのである。
早く日本や世界から国際暴力団を追い出して、ヤクザ気[げ]のない“正しさ”のある世界にしなければならない。日本が先進国であるためには、日本から国際暴力団をなくさなければならない。
[11365] 帝国本国はなかった。☆ h22.11.14
この世に帝国本国というものはなかった。だから、植民地もなかった。つまり、帝国(=帝国本国+植民地)もなかった。帝国や帝国本国や植民地は国際暴力団が作った嘘[うそ]だったのである。
実際には、ただ国際暴力団の本部がある国があっただけである。戦争とは帝国本国と植民地の戦いではなく、国際暴力団が異なる国の国民に命令して互いに戦わせていただけである。だから、悪いのは国際暴力団である。国民同士が憎[にく]しみ合う必要はない。
世界は国と国に分かれていたのではなく、国民と国際暴力団に別れていたのだ。国際暴力団は国民を暴力で脅して国民からお金を取ったり国民に嫌がらせをするだけだ。国際暴力団は国民のためにはなく、国際暴力団自身のためにあるだけである。
帝国は国際暴力団が力の強い国の国民を自分の味方につけるために作り出した嘘である。実際には、国際暴力団が国民に戦争をさせたり国民から税金を取っていただけである。
昔から、国民と国際暴力団は戦ってきた。
ただし、国際暴力団を支持する国民もいた。
国民は国際暴力団の反対派と支持派に分かれていた。国際暴力団の反対派はたとえ貧乏でも国際暴力団の世話にならずに生きて行こうとし、反対に国際暴力団の支持派は国際暴力団に取り入って自分が得をしようとした。例えば、大阪は幕府や政府などの暴力団に反対する町である。反対に、東京は幕府や政府などの暴力団に賛成する町である。
しかし、世界大戦後は『暴力のない世界』になった。世界中の国民がそう決めたからである。暴力が使えない暴力団はもはや暴力団ではない。
だから、今では国際暴力団の支持派が不利だ。国際暴力団に味方していると、そのうち国際暴力団といっしょに消される。
[11366] どうして政府がいつまでも居座[いすわ]っているのか? h22.11.14
そもそも政治機関は儲[もう]かる仕事ではない。
国民を暴力で脅[おど]さないかぎり政治機関は儲かる仕事ではない。きれいごとでは経営が成り立たない。
だから、政治機関は誰もやり手がいない。
だから、いつまでたっても政府が居座っているのである。
積極的に政治機関をやる者が現れれば、政府は日本から退[しりぞ]かざるを得ないが、肝心の政治機関をやる者がいないので、いつまでたっても政府に代[か]わる『暴力と関係のない政治機関』が出来ないのだ。今が「暴力が使える世の中」なら、すぐに徳川家康のように政府を倒す者が現れるが、今は『暴力が使えない世の中』だから、いつまでたっても政府を倒す者が現れないのだ。みんながお金が目当てだから、いつまでたっても日本はよい国にならないのだ。
[11367] どうして政府は潰[つぶ]れているのか? h22.11.14
戦後は『暴力のない世界』である。
政府は世界全体を股[また]に掛[か]ける国際暴力団である。
『暴力のない世界』では暴力団はやっていけない。
だから、政府は年々潰れて行っているのだ。
[11368] 人類の進化が暴力団を滅ぼした。 h22.11.14
昔は人類が動物だったので、動物を治めるには暴力によらねばならなかったので、暴力団が社会を治めていたのである。
今は人類が進化して人間になったので、人間を治めるには暴力が要らないので、暴力団が社会を治めなくなったのである。
つまり、人類が進化して動物から人間になったので、暴力団が社会を治める時代から、『暴力と関係のない政治機関』が社会を治める時代になったのだ。[テレビは人類の進化の一里塚である。]
人類の進化が暴力団を滅ぼしたのだ。暴力団が滅びるのは生物としての人類の進化の必然だったのだ。いくら暴力団でも『生物の進化の法則』には逆らえないのだ。時間が経[た]てば、暴力団は自然に滅びるものなのだ。
[11369] 社会主義は悪か? h22.11.14
社会主義が悪だとは一概[いちがい]に言えない。
国の文化との兼[か]ね合いで決まる。
つまり、国の文化が社会主義と似合う国では、社会主義でうまく行く。
しかし、反対に、国の文化が社会主義と似合わない国では、社会主義でメチャクチャになる。
例えば、日本は社会主義でメチャクチャになる。中国は社会主義でうまく行く。戦いの時、日本では個人戦なのに対し、中国は集団線で戦う。つまり、日本は個人主義なのに対し、中国は集団主義である。だから、日本は社会主義と似合わないが、中国は社会主義と似合うのである。
つまり、社会主義とは、もともと社会主義の国の文化を抽象化したものにほかならないのだ。
[11370] 宗教と科学☆ h22.11.14
宗教はまちがった知識である。
科学は正しい知識である。
宗教は、国際暴力団が国民への嫌がらせのためにやらせたことなので、最初からまちがっているのである。宗教は、国際暴力団が国民を馬鹿に変えて支配しやすくするために国民を武器で脅[おど]して無理やりやらせたことなので、最初からまちがっているのである。
しかし、今は『暴力のない時代』である。
だから、今は科学をやって、宗教をやらなければいい。
例えば、戦前に日本とドイツが宗教の国といわれたのは、国際暴力団が日本とドイツの国民に国家宗教をやらせたからである。一方、イギリスとアメリカが科学の国といわれたのは、国際暴力団がイギリスとアメリカの国民に国家宗教をやらさなかったからである。国際暴力団は先進国に対しては国家宗教をやらせず、後進国に対しては国家宗教をやらせたのだ。つまり、国家宗教は国際暴力団の後進国に対する嫌がらせだったのである。国際暴力団は先進国に対しては嫌がらせをしなかったのだ。しかし、今はもう国際暴力団がなくなっているから、世界中のみんなが宗教をやらず科学をやればいいのである。
[11371] どうして戦争がなくなったのか?[[11351] [11352] [11353] を参照。]
h22.11.15
戦争は、国際暴力団が国民を暴力で脅[おど]してやらせたことである。
しかし、世界大戦後は『暴力のない時代』になった。国際暴力団のない時代になった。
だから、世界大戦後は国民を暴力で脅して戦わせる者がなくなったので、戦争がなくなったのである。
[11372] どうして国民は政府に従っているのか? h22.11.15
政府は『国際暴力団』である。
政府は国民を暴力で脅して従わせている。
しかし、今は『暴力のない時代』である。
だから、政府は国民を従わせることができない。
したがって、国民は政府に従わなくなっている。
今でも政府に従っている国民はいるが、年々減って来ている。
そのうち政府はなくなるだろう。
政府の代[か]わりに『暴力と関係のない政治機関』を作らねばならない。
今はそういう時代なのだ。
[11373] 『暴力と関係のない政治機関』は契約制 h22.11.15
政府が国民と契約を取らずに国民から税金を取るのは、政府が国民を暴力で脅して税金を払わせていたからである。暴力を使っていたから契約が要らなかったのである。
しかし、『暴力と関係のない政治機関』は暴力を使うことができない。
だから、『暴力と関係のない政治機関』は新聞の契約のように国民と契約を取らねばならない。国民一人一人と契約を取って税金を取らねばならない。
『暴力と関係のない政治機関』が真面目[まじめ]に仕事をして幸福な国を作れば、国民は『暴力と関係のない政治機関』と契約して税金を払ってくれるだろう。
[11374] 政治機関のない時代 h22.11.15
国民に幸福だと思わせるほどの仕事ができる政治機関は現れないだろう。
だから、将来は政治機関がなくなるだろう。
暴力団がなくなれば、政治機関もなくなるのだ。政治機関は暴力団のヒモだからだ。つまり、政治機関自体には稼[かせ]ぐ機能はない。政治機関は暴力団の稼ぎで食っていただけである。[[11362]の図を参照。]
国民にとって必要な施設が国民から直接にお金を取って経営するようになるだろう。
日本各地に法律事務所や警察や学校ができるだろう。
そのほうが国民にとって仕事の中身が見えてわかりやすいし、無駄[むだ]な仕事がないからいい。
これまでは国際暴力団が世の中を狂わせていた。今後は国際暴力団がなくなって、世の中が正気に戻るのだ。
[11375] 親亀こけたらみなこけた h22.11.15
今は『暴力のない世界』である。
今の世界には国際暴力団がない。
だから、国際暴力団に乗っかっている民間会社もない。
国際暴力団が潰[つぶ]れたら、世界中の国際暴力団に乗っかっている会社も潰れるのだ。
[11376] 人はどうして本を書くのか? h22.11.15
有名になるためである。
本を売って儲[もう]けるためではない。
つまり、本を書くのはお金持ちの遊びであって、仕事ではない。
だから、有名になりたい人以外は、本を書かないものだ。
私は自分の生活のためにお金は欲しいが、有名にはなりたくない。
だから、私は本を書かないのだ。
[11377] 政府について《まとめ》 h22.11.15
政府は『国際暴力団』である。
今は『暴力のない時代』である。
だから、政府はなくなっている。
[11378] 私の思考法 h22.11.15
1)考えるとは、まちがった認識から正しい認識に向うことである。だから、最初はまちがった認識から出発する。時間をかけて考えることによって、まちがいが修正されてしだいに正しい認識に近づいていく。しかし、いつまで経[た]っても完全に正しい認識には到達しない。一般に、人間の認識にはまちがった成分と正しい成分が両方混じっていて、考えるとはまちがった成分を減らして正しい成分を増やすことである。だから、例えば、今の私の考えにも正しいところもあるし、まちがったところもある。
2)ある対象を理解するとは、自分が持っている概念を組み合わせることによってその対象を表すことである。だから、自分が持っている概念が不足している場合には、対象は理解できないことになる。自分が時間をかけて考えていく中で、対象を理解するために必要な概念を発見して、自分が持っている概念を組み合わせて対象を表すことができたとき、その対象が理解できたことになる。例えば、政府を理解するためには、“国際暴力団”の概念が必要である。“国際暴力団”の概念が得られると、税金や戦争や宗教などについても理解できる。だから、『概念』が大事なのである。時間をかけて『概念』を発見することが大事である。『概念』が見つかれば、あとは容易に理解できる。『概念』を発見するためには、とにかく時間をかけて考え続けるしかない。‘自分が発見した概念を“核”[かく]として論理的に世界を構成することによって、真実が見えてくるのである。また、ひとつのことを明らかにすれば、それと関連することも明らかになる。例えば、「宗教が国民を馬鹿に変えることである」ことがわかれば、「帝国本国においても政府と国民が対立している」ことがわかる。’(←‘…’は平成22年11月20日追記)
3)たとえ自分が考え終わったと思った時でも、そこで考えることをやめずに、もう少し考え続けることが大事である。そうすれば、もっと正しいことがわかる。とにかく毎日時間をかけて考えていさえすれば、認識は進歩するものである。認識の正しさはかけた時間に比例する。自分が時間をかけて考えて、自分の認識を進歩させることによって、新しいことがわかる。例えば、その結果が私の哲学日記の『[11377]
政府について《まとめ》 』である。
[11379] 国際暴力団と国民の戦争 h22.11.15
第2次世界大戦は国と国の戦争だったが、世界大戦後は国民と国際暴力団の戦いになった。世界大戦のあと、国際暴力団に対して怒[おこ]った国民が国際暴力団と戦うことに決めたのだ。そして国民が国際暴力団に勝った。国民は国際暴力団に暴力を使わないことを認めさせた。
ルネサンスの時にも国民と国際暴力団の戦いがあった。その時にも国民が国際暴力団に勝ち、国民は国際暴力団に学問の自由を認めさせた。つまり、国際暴力団が国民に宗教をやらせないことを認めさせた。当時、日本では国際暴力団の勢力が弱まった隙[すき]に、江戸幕府の国家暴力団が日本を支配していた。
今度の国民と国際暴力団の戦争は2度目の戦争だから、国際暴力団はほとんど死んだと考えてよい。世界大戦後の国民の怒[いか]りはルネサンスの時と比較にならないから、国際暴力団は死んだと考えてよい。
実際、今の国際暴力団は核ミサイルをたくさん持っているが、たとえ核ミサイルを全弾使って国民を攻撃したとしても、99%以上の国民が生き残る。参考。だから、国際暴力団は国民に負けたのである。実力では国際暴力団は国民には勝てない。国民と国際暴力団が本気で戦ったら、国際暴力団はひとたまりもない。だから、国際暴力団は滅んだのである。
[11380] 神とは何か? h22.11.16
国家宗教とは、国際暴力団が勝手に作った決まりである。
国家宗教では、神と同じことを国際暴力団が暴力で脅[おど]して国民にやらせることができることになっている。
つまり、神とは、国際暴力団が国民に同じことをさせる者のことである。
これまでは国際暴力団が国民への嫌がらせのために神を利用していた。国際暴力団はわざわざ国民と似合わない神を決めて、国民に神と同じことをさせて嫌がらせていた。国の文化を破壊していた。例えば、ヨーロッパ人は合理的なのにキリストは不合理的だし、インド人は欲望を肯定するのに釈迦は欲望を否定するし、日本人は平和が好きなのに神武天皇は軍人だったし、イスラム人は酒や女が好きなのにアラーの神は酒を飲むな、女は顔を隠せと言っている。[仏教が母国インドよりも外国で受け入れられたのは、仏教がインド人にとって嫌がらせであっても外人にとってはむしろ楽しみだったからである。だから、仏教は客観的な真理ではない。客観的な真理なら母国インドでも受け入れられたはずだからである。仏教は真理ではなく、文学作品である。]
私は世界大戦後の国際暴力団が決めた神である。
だから、神が国際暴力団に従わなければ、国際暴力団は国民を国際暴力団に従わないようにさせねばならない。
[11381] 国際暴力団は死んだ。 h22.11.16
政府は『国際暴力団』である。
今は『暴力のない時代』である。今は国際暴力団のない時代である。
パッと見は、今でも国際暴力団があるようだが、
実際には、今では国際暴力団はすでにないのである。
国際暴力団がないのは、地球が動いているのと同じことである。
パッと見は、天空が動いているように見えるが、
実際には、地球が動いているのである。
テレビや新聞では、国際暴力団の付属の政治機関が活躍しているから今でも国際暴力団があるかのように見えるが、国際暴力団がないと考えたほうが最近の世界の動きがよく説明できる。
例えば、今の世界は税金や戦争や宗教がない。国鉄や郵便局が民営化されたのは、国民が政府(国際暴力団)に税金を払わなくなって、政府が年々小さくなっているからである。戦争は明らかにない。宗教は国民みんなに強制せずに、政府自身が国民に知られないようにしながら密[ひそ]かに宗教で嫌な事件を起すだけである。つまり、今の宗教は国家宗教というよりも政府宗教である。
これまでは国際暴力団が国民を暴力で脅して税金や戦争や宗教をやらせていたから、国民は税金や戦争や宗教をやっていたのである。[[11360]の図を参照。]
最近の国民が税金や戦争や宗教をやらなくなっているのは、国際暴力団がなくなっているからである。
今は国際暴力団がない時代である。国民は政府(国際暴力団)に従わず自由にやっていいのだ。
[11382] どうして『神は死んだ』か? h22.11.16
ニーチェは19世紀末のドイツで『神は死んだ』と言った。
ニーチェが『神が死んだ』と言ったのは、当時国際暴力団が世界中の国民に戦争をやらせることに決めて、予算を国家宗教よりも戦争にまわすようになったからである。
国際暴力団がドイツ国民に国家宗教をやらさなくなったから、ドイツでは『神が死んだ』のである。『神が死んだ』ので、ドイツももとの健全な哲学に戻ったのだ。[ただし、『ツァラトゥストラ』の後半に輪廻転生[りんねてんせい]の思想が見られるのは、当時の国際暴力団がドイツに仏教をやらせていたからだと考えられる。つまり、ニーチェもまた国際暴力団に使われる暇な哲学者だったのだ。]
神を殺したのは、ユダヤ人ではなく、国際暴力団だったのだ。
[11383] 国家宗教について h22.11.16
世界大戦以前の国家宗教は、国際暴力団が暴力で脅して国民に神と同じことをさせるものだった。例えば、古代や近代の日本では、日本政府が日本国民に軍人だった神武天皇と同じことをさせて外国と戦争をさせた。日本では国家宗教が戦争を兼[か]ねていたのである。中世のヨーロッパでは、ヨーロッパ政府が国民に馬鹿だったキリストと同じことをさせて知覚を使うことを禁止していた。
世界大戦以後の国家宗教は、国際暴力団自身が神に因[ちな]んだ(つまり、神の情報を使った)犯罪を起して国民に嫌がらせをするようになった。例えば、日航機123便墜落事故は神武天皇によるものである。圧力隔壁が神武天皇の光の玉の喩[たと]えだからである。高知学芸高校上海列車事故やオウム真理教地下鉄サリン事件や福知山線列車事故は私によるものである。高知学芸高校は私の出身校だし、オウム真理教の実行犯が私が中学生の頃の知人に顔が似ているし、福知山線は私が豊岡市に住んでいた頃に大阪に行ったときに列車で何度か通った線で私は列車に酔いやすいのでいつも福知山線がクネクネ曲がっているのが嫌だった。その他[ほか]、テレビや新聞に毎日出ている事件のほとんどは、国際暴力団が国家宗教で起こしたものである。[私は最近テレビや新聞を見ないので、どんな事件が起きているのか知らない。]
世界大戦以前と以後で、国際暴力団の宗教のやり方が変わったのは、今の国際暴力団に力がないからである。今の国際暴力団は国民に嫌がらせをするために国家宗教で事件を起すだけである。今の世界には国際暴力団はない。国際暴力団の残党が細々[ほそぼそ]と国家宗教で自分を倒した国民への復讐[ふくしゅう]をやっているだけである。
[11384] 世界大戦はなぜあったか? h22.11.16
中世の頃の国民はひたすら国際暴力団に従うのみだった。中世の頃の国民はまだ文化が低く馬鹿だったので、中世は暴力が支配する時代であり、国民は暴力においては国際暴力団には敵[かな]わなかったからである。
しかし、近代になって、国民が国際暴力団を要らないと思うようになった。人類の文化が高くなって、国民が知的になり、国民は自分よりも頭の悪い国際暴力団に従うのが嫌だと思うようになった。それで、国民が国際暴力団をさかんに攻撃するようになった。
国民の態度に頭に来た国際暴力団は国民に仕返しをすることに決めた。それで、国際暴力団は世界中の人類に戦争をさせたのである。それが世界大戦だった。
しかし、それは逆効果だった。戦後の国民はますます国際暴力団を攻撃するようになり、昭和40年頃ついに国際暴力団は倒れてしまった。
今は国際暴力団の残党が細々[ほそぼそ]と生き残っているだけである。今の国際暴力団はかつての国際暴力団の亡霊[ぼうれい]である。国民は亡霊なんか相手にしてもしかたがない。国民は国際暴力団なんか無視して自由にやればいい。
政治機関は国際暴力団のヒモである。[[11362]の図を参照。] しかし、今では国際暴力団は潰れてしまっている。今の政治機関には国民を従わせるほどの力はない。だから、国民は政治機関に従わなければいいのである。
[11385] 今は政府の時代ではない。☆ h22.11.17
政府は国際暴力団である。
政府は国民を暴力で脅[おど]して税金や戦争や宗教をやらせてきた。
しかし、戦後は暴力のない時代になった。国際暴力団が暴力を使ってはいけないことになった。
戦後、世界大戦に頭に来た国民が国際暴力団に命じて暴力を使えなくしたのだ。
だから、今の国際暴力団は暴力で脅して国民に税金や戦争や宗教をやらせることができない。
今の政府は政治機関で国民を騙[だま]して国民に税金を払わせているだけである。今の政府は政治機関で国民を騙して国民を命令に従わせているだけである。[[11362]の図を参照。]今の政府は嘘[うそ]をついて騙すことしかできないからである。
国民はいつまでも政府に税金を払わずに、さっさと政府を潰[つぶ]して、日本を民営化された法律事務所や警察や学校のある国にしなければならない。
[11386] 神のプライバシー h22.11.17
神の定義については[11380]を参照。
世界大戦以前は、国際暴力団が暴力で文学者を脅[おど]して文学作品に神の情報を入れさせていた。
それで、戦前の日本の文学には必ず“光の玉”が入っているのである。
しかし、戦後は国際暴力団がなくなった。だから、もはや文学作品には神の情報を入れなくてもよいはずである。それなのに、戦後の今でも文学作品(小説やマンガやアニメなど)には神(つまり私)の情報が入っている。
今でも国際暴力団が文学に力を入れているのは、文学が国民に対する攻撃だからである。文学は作り事つまりまちがいを書いているので、文学には国民を馬鹿に変える作用があるので、文学は宗教の一種と見なせるからである。国際暴力団の残党が自分を滅ぼした国民に復讐[ふくしゅう]をするために、文学にお金を出して文学に力を入れているのである。国際暴力団はこれまでの貯金があるし、今でも国際暴力団(政府)に税金を払っている間抜[まぬ]けな国民がいるから、それぐらいのお金は持っているのである。戦後国際暴力団は税金や戦争や国家宗教に力を入れられなくなったから、その代[か]わりに文学に力を入れているのである。[子供は文学(小説やマンガやアニメなど)を面白いからありがたがって読んでいるが、大人の目から見れば文学はまちがいを書いているにすぎない。作家とはまちがいを書く人のことである。しょせん、文学は子供騙[だま]しである。]
文学は読むか読まないかは個人の勝手だし、それぐらいの国民に対する“攻撃”ならやってもいいと考えられる。
しかし、戦後の文学には神である私に関する情報を入れすぎである。
戦前の文学には神武天皇の情報が入っていたが、『光の玉』だけだった。それなら私の場合にも、『グルグル回る物』とかせいぜい私の名前の『川野延夫』の一部を入れるまでにすべきである。[そもそも、『グルグル回る物』も、私の名前の『川野延夫』[かわののぶお]の“の”の字が回っているように見えるので、私の名前に由来している。]
しかし、戦後の今の文学(小説やマンガやアニメなど)には、それ以上の情報が入っている。具体的に私がやったことの情報までも入れるべきではない。それは多かれ少なかれ私を不利にするからである。『国民の中には今の神が私であることを知っている者がたくさんいる』から、文学に入れた情報が私に対するイメージダウンになって私を不利にしていることも十分考えられる。国家宗教をやり始めてから40年も経[た]てば、宗教に興味のある者は国家宗教の神が誰であるかぐらいのことはおおよそ知っているものである。
国際暴力団は私に承認を得ずに私の情報を一般公開しているのだから、私にとって不利な情報も公開しているのだから、それは私に対するれっきとした“攻撃”だと考えられる。
たとえ団体であっても、特定の一個人(私)に対する“攻撃”をやってはならない。それは私に対する行き過ぎた“攻撃”だと考えられる。
それに、読者や視聴者にとってはどれが私の情報でどれが私の情報でないかがわからない。どこまでが私の情報なのかがわからない。だから、私の情報でないことを私の情報だと勘違いをするおそれがある。そのために、私が不利にされる場合もある。例えば、『ケーキ屋ケンちゃん』だからといって、私の実家がケーキ屋だと思って、会社が私を優先的に首にしたら私が不利になる。私の父親は公務員であって、けっして実家はケーキ屋ではない。[『ケンちゃんシリーズ』の主役は宮脇康之[みやわきやすゆき]だから、“宮の脇”だから、神武天皇の代わりの私を意味している。]
文学作品は国民にとって必需品[ひつじゅひん]ではない。文学作品はしょせんまちがいを書いているだけだから、あってもなくてもどうでもいい物である。だから、文学作品が国際暴力団が不当なことをして作らせたものだとわかると国民は買わなくなるだろう。国民は国際暴力団の汚いヤクザ根性[こんじょう]までも身に付けたくはないからである。
[11387] どうして今がアメリカの時代なのか? h22.11.17
昔は人類の文化が低く、人類は動物同然だった。
動物を治めるには暴力を使うしかなかった。
それで、昔の世界は暴力団が治めていたのである。
しかし、最近は人類の文化が高くなって、人類が人間らしくなった。
人間を治めるには暴力を使うよりも言葉を使ったほうがいい。
それで、今の世界は暴力団が要らなくなって、暴力団が滅んだのである。
今後人類の文化が高くなっていくなら、国際暴力団の復活はありえないだろう。
ところで、最近人類の文化が高くなったのは、電化製品が出来たからである。
電化製品を作ったのはエジソンやテスラである。
エジソンやテスラはアメリカ人だった。
だから、今はアメリカの時代といわれるのだ。
それ以前は、蒸気機関の時代だったから、蒸気機関を作ったのはワットだったから、イギリスの時代だったのだ。
さらにそれ以前は、人力機関の時代だったから、人力機関を作ったのはローマの発明家だったから、ローマの時代だったのだ。
国際暴力団(つまり政府)は世界を股[また]に掛[か]ける暴力団だが、当時の羽振[はぶ]りのいい国に本部を置いていた。‘国際暴力団が国民に対する嫌がらせをするために、本部のある国の国民にお金をやって“嫌がらせのための仕事”をさせていただけだ。だから、本部がある国は多少景気がよかった。しかし、国際暴力団はもともと景気のいい国に本部を置いただけだから、国際暴力団からもらったお金で本部のある国が景気がよかったわけではない。だから、国民が国際暴力団に従ったのは自分が儲[もう]かるからではなく、ただたんに国際暴力団に暴力で脅[おど]されたからである。’(←‘…’は平成22年11月19日追記)国際暴力団は、人類の文化にはまったく貢献[こうけん]せず、暴力で国民を脅[おど]して国民からお金を取り上げるだけだった。国際暴力団は宗教で人類の文化を遅らせようとまでもした。まったく余計なお邪魔虫[じゃまむし]がいたものだ。
[11388] 今の国際暴力団の活動 h22.11.17
今は国際暴力団が潰[つぶ]れている。世界大戦後、国際暴力団に戦争をやらされて頭に来た国民が国際暴力団を潰したからである。
今では国際暴力団の残党が、「国家宗教」で国民を嫌がらせる事件を起したり、国民を馬鹿に変えるために「文学(小説やマンガやアニメなど)」に力を入れているだけである。
戦後は『暴力のない時代』になって、国際暴力団が暴力を使えなくなって国民に税金や戦争や国家宗教をやらせられなくなったから、そんなことしかやれないのである。
今は国際暴力団の残党が、これまでの国際暴力団の貯金を使って自分を滅ぼした国民に対して復讐をするために国家宗教や文学をやっているだけである。
貯金がなくなれば、国際暴力団の残党も滅ぶだろう。
[11389] 五感と知覚の差 h22.11.17
国民の多くは、テレビや新聞を眼で見るだけだから、「今でも政府がある」と思って、せっせと政府に税金を払って政府の命令を聞いている。
しかし、私のように知覚で考える者にとっては、『今は国際暴力団が滅んで、国際暴力団の残党がこれまでの貯金で細々[ほそぼそ]と国民に嫌がらせをしている』ことがわかる。
これが、知覚で考える者と考えない者との差だ。
知覚で考えれば真実が見える。考える者には真実の扉が開かれる。
[11390] 実力の世界 h22.11.18
国際暴力団がなくなれば、世界中の国民の生活が多少豊かになるだけである。
国際暴力団がなくなれば、国民に余計なことをする者がいなくなって清々[せいせい]する。
国際暴力団があろうがなかろうが、この世は『実力の世界』である。
実力のある国は栄え、実力のない国は滅ぶ。経済的に弱い国は強い国に滅ぼされる。
実力のない国は餓[う]えて死ぬ。
しかし、それは実力のない国が怠慢[たいまん]なのだからいけない。
国が栄えたければ、真面目[まじめ]に地道[じみち]に努力するしかない。
国を発展させるために政治機関は要らない。ただ、民間企業の代表者が集まって話し合えばいいだけである。政治機関なんかあっても国民のことは他人事[ひとごと]だから国民にとっては役に立たないから、最初からないほうがいい。
[11391] どうして私は本を出さないのか? h22.11.18
今の出版社は国際暴力団からお金をもらって、読者を馬鹿に変える本を出している。正しいことよりもまちがいを書いた本を出している。頭で読むよりも眼で見る本を出している。
戦後の国際暴力団は国民を暴力で脅[おど]して税金や戦争や宗教をやらせることができなくなったので、その分文学に力を入れているからである。
今の出版社は国際暴力団とグルである。
つまり、出版社は国際暴力団の支持派である。
一方、私は国際暴力団の反対派である。
だから、たとえ私が出版社に自分の原稿を持ち込んでも、出版社は私の本を出さないと考えられる。
したがって、私は本を出さないのである。
私が私の本を出すためには、私が自分で出版社を建てて出すしかない。
しかし、そんな大金は私にはない。
だから、私は私の本を出せないのである。
[11392] 今は『暴力のない時代』である。 h22.11.18
世界大戦以前は、国際暴力団が国民を暴力で脅[おど]して国民が嫌がることを国民にやらせていた。
しかし、世界大戦以後は、国際暴力団が直接に自分の手で国民が嫌がることをするようになった。
世界大戦後は『暴力のない時代』になって、国際暴力団が国民を暴力で脅せなくなったから、自分で直接に国民の嫌がらせをやるようになったのである。
国際暴力団が直接に国民に嫌がらせをやるのも暴力だと思うが、今は国際暴力団の残党がヤケクソになって暴力を使って自分を滅ぼした国民に復讐[ふくしゅう]をしているのだ。
[11393] どうして世界大戦があったのか? h22.11.18
中世は、国際暴力団が国民を暴力で脅して国民に税金や戦争や宗教をやらせていた。
宗教とは、国際暴力団が国民を支配しやすくするために国民にまちがいを教えて国民を馬鹿に変えることである。
中世は、国際暴力団がヨーロッパの国民に宗教をやらせていたせいで、ヨーロッパの国民は馬鹿になり、ヨーロッパの文化は衰退し、ヨーロッパの国民が原始時代のように飢[う]えで苦しむようになった。
そこで、ルネサンス期に、ヨーロッパの国民は国際暴力団と戦って、国際暴力団に国民に宗教をやらさないことを認めさせた。
それで、近代以降は、国際暴力団は世界中の国民に宗教を強制しなくなった。国際暴力団は世界中の国民に学問の自由を認めた。
近代以降、国際暴力団は国民に税金と戦争をさせることしかできなくなった。
それで、国際暴力団は国民に宗教をやらせられなくなった腹いせに、盛大に世界中の国民に戦争をやらせたのである。それが世界大戦だったのである。
世界大戦では、世界中の国民があやうく国際暴力団に皆殺しにされるところだった。
そこで、世界大戦後、国民は再び国際暴力団と戦って、国際暴力団に国民に戦争や税金をやらさないことを認めさせた。国際暴力団に国民を暴力で脅すことを禁止させた。
それで、世界大戦後の国際暴力団は、国民に対して何もやらせられなくなったのである。
それで、今の国際暴力団は、国民を暴力で脅せなくなった腹いせに、自分の手で国民に嫌がらせをしているのである。テレビや新聞に載っている嫌な事件の大半は、国際暴力団が起こしたものである。また、国際暴力団は国民に宗教をやらさない代[か]わりに出版社にお金をやって国民を馬鹿に変える本を出させている。
しかし、今の国際暴力団は国民を暴力で脅して国民から税金を取れないから収入がない。今の国際暴力団はこれまでの貯金を使っているだけである。そのうち貯金がなくなったら国際暴力団は滅ぶだろう。
[11394] どうして国民は『今の国際暴力団が暴力で国民を脅すことができなくなっている』ことを知らないのか?☆
h22.11.18
今の国際暴力団は暴力で国民を脅すことができなくなっている。
しかし、そんなことを書いている本はどこにもない。
文部省の検定済み教科書にそんなことが書いていないのは当然のことだが、大衆向けの週刊誌にもそんなことは全然載っていない。
それは、出版社が国際暴力団とグルだからである。
国際暴力団が出版社や新聞社やテレビ局などにお金をやって、『今の国際暴力団が暴力で国民を脅せなくなっている』ことを国民に教えないようにさせているのである。
しかし、私のように自分で考える者にとっては、今の世界の様子[ようす]から自分で考えて『今の国際暴力団が暴力で国民を脅せなくなっている』ことがわかるから、いくら国際暴力団がお金で出版社や新聞社をブロックしても無駄[むだ]なのである。
つまり、実際にはすでにかなりの数の国民が政府(国際暴力団)に従っていないのだ。政府はその事実を必死で隠[かく]そうとしているが、国民には自分で考える力があるから、しょせんは無駄なあがきにすぎないのだ。
[11395] 国際暴力団は復活するか? h22.11.18
人類の歴史は国民と国際暴力団との戦いの歴史だった。国際暴力団は暴力で国民を脅[おど]して、国民に税金や戦争や宗教をさせてきた。
ルネサンスの時、国民は国際暴力団と戦って勝利を収めた。国民は国際暴力団に「国民に宗教を強制しないこと、国民が自由に学問できること」を認めさせた。
当時、日本では、ヨーロッパで国際暴力団が国民に敗[やぶ]れたことを聞いて、国際暴力団が弱いと思って、国家暴力団の江戸幕府が国際暴力団の日本政府に代[か]わって日本を支配していた。
しかし、その後数百年を経て、再び国際暴力団の力が強まった。再び国際暴力団が世界を支配するようになった。日本でも、幕府が政府に取って代[か]わられた。
今の世界では、世界大戦後に国民が国際暴力団と戦って勝利を収めて、国民が国際暴力団に「暴力で国民を脅さないこと」を認めさせている。だから、今の国際暴力団は国民に税金や戦争や宗教をさせることができない。[[11360]の図を参照。]
しかし、それはあくまでも“現在のところ”である。近代において国際暴力団が復活したように、今後再びまた国際暴力団の力が強まらないともかぎらない。
国際暴力団が強まっても国民にとって得になることは何もない。国際暴力団は暴力を使って国民からお金を取り上げて国民に嫌がらせをするだけだ。だから、国民にとってはこの世から国際暴力団がなくなったほうがいい。
そのためには、国民は国際暴力団の暴力を絶対に許してはならない。国民は国際暴力団(政府)の命令に絶対に従ってはならない。『ドラゴンボールZ』の魔人ブーのように、国民は国際暴力団を徹底的に潰[つぶ]して、国際暴力団をひとかけらも残さずに絶滅させねばならない。国民の力が強まっている今こそ、国際暴力団を葬[ほうむ]り去るべき時である。
もっとも、昔は人類の文化が低く人類みんなが頭が悪かったので、力の強い暴力団が尊敬されていたから、暴力団が国民を支配することができた。しかし、今では人類の文化が高くなり人類みんなの頭がよくなったので、力が強いだけで頭が悪い暴力団は軽蔑[けいべつ]されるようになり、暴力団が国民を支配することができなくなった。いくら武器が拳[こぶし]から核ミサイルに進歩しても、暴力団が暴力で国民を脅すかぎり暴力団はただの馬鹿だ。暴力を使うこと自体が馬鹿だと見られるようになったら、暴力団はおしまいだ。今後は暴力団の時代ではない。だから、暴力団の復活を心配する必要はないのかもしれない。人類の進化とともに暴力団は消え去る運命にあったのだ。
[11396] 私の理論の問題点☆ h22.11.18
『政府が国際暴力団であること』は絶対確実である。そんなことは、歴史の得意な人にとっては常識である。むしろ、政府が国際暴力団でないとするほうが無理である。
問題は、『今の国際暴力団がどんな状態にあるか?』である。私は現在の国際および国家情勢から、『今の国際暴力団は暴力で国民が脅せない状態にある』と考えた。つまり、今の国際暴力団は国民に税金や戦争や宗教をさせることができない。だから、政府は年々小さくなって国鉄や郵便局が民営化されたし、今の世界には戦争はないし、宗教をやる人が減っているのである。今では国際暴力団に付属の政治機関で騙[だま]された馬鹿な国民が国際暴力団(政府)に税金を払っているだけである。今の国際暴力団は、国民を脅せなくなったので、しかたなく直接に自分の手で国民の嫌がらせをしている。今の国際暴力団は税金による収入がないので、貯金がなくなれば国際暴力団は滅ぶ。
文明社会には暴力団は似合[にあ]わない。人類の歴史は暴力団が支配する段階を卒業したのだ。
[11397] 昔の国家宗教と今の国家宗教の違い h22.11.18
昔の国家宗教は、国際暴力団が国民を暴力で脅して国民に神と同じことをやらせていた。例えば、日本では、国際暴力団が国民に神武天皇と同じことをやらせて国民を殺人鬼[さつじんき]に変えて外国と戦争をやらせた。例えば、ヨーロッパでは、国際暴力団が国民にキリストと同じことをやらせて国民を何もできない馬鹿に変えていた。
しかし、今の国家宗教は、国際暴力団自身が神の情報を入れた犯罪を犯すだけである。例えば、日航機123便墜落事故や高知学芸高校上海列車事故は国際暴力団が神武天皇や私を神とする国家宗教で起こした事故である。今は『国際暴力団が暴力で国民を脅すことができない』から、国際暴力団が自分自身に国家宗教をやらせて犯罪を犯しているのである。それと、今の国家宗教は、国際暴力団が国民を馬鹿に変えるために文学(マンガやアニメや小説など)に力を入れていることである。今は知覚の時代だから、国際暴力団は国民に嫌がらせをするために知覚の時代と反対のことをやらせているのだ。
昔の国家宗教も今の国家宗教も国民にとっては迷惑である。早く国際暴力団がこの世からなくなって、国家宗教のない世界になって欲しいものだ。
[11398] オナニーについて h22.11.19
オナニーとは、自分の性器を自分の手で刺激して自分の心に性感(性器の感覚)を与えることによって自分の心の中にある性欲を満足することである。
正常な人間では、心が知覚や五感と噛[か]み合って動いている。知覚や五感は実在を認識する。つまり、心が実在と噛み合っている。だから、心が実在の法則に従ってまちがいを犯さず幸福に生きていける。[[4959]の図を参照。ただし、図中の“正しい道徳律”を“知覚や五感”に置き換えること。 ]
しかし、オナニーをした人間では、心が性感(性器の感覚)と噛み合うようになる。ところが、性感では実在が認識できない。だから、心が実在と噛み合わない。だから、心が実在の法則を犯してまちがいを犯してしまい不幸になる。例えば、たとえ『テレパシー器官とイライラ感情中枢を同時に働かせてはいけない』ことが知覚でわかっていても、オナニーをすると心がその認識に従わなくなって、心がテレパシー器官とイライラ感情中枢を同時に働かせてしまって精神分裂病に罹[かか]る。例えば、たとえ『犯罪を犯してはいけない』ことが知覚でわかっていても、オナニーをすると心がその認識に従わなくなって、心が犯罪を犯してしまって犯罪者になる。
だから、人間にとっては性感はいけないのである。オナニーをしてはいけないのである。
人間が麻薬をやってはいけないのも、同じ理屈である。人間が麻薬をやって心の中にある麻薬欲を満足すると、心が知覚や五感と噛み合わなくなって心が実在の法則を犯して取り返しのつかないまちがいを犯すからいけないのである。
人間の心は実在に従っているから幸福になれるのであって、人間の心が実在を犯すと不幸になってしまうのである。つまり、人間は実在がわかると幸福になり、実在がわからないと不幸になるのである。
音楽も実在認識ではない。だから、音楽を聞くのもほどほどにしないといけない。絵も実在認識ではない。だから、絵を見るのもほどほどにしないといけない。音楽や絵をやるよりも、実在を見て考えて実在を知るほうがいい。
[11399] 新しい世界の創造 h22.11.19
戦前の世界では、暴力を使ってもよかった。
戦後の世界では、暴力を使ってはいけなくなった。
国民が世界を作り変えたのだ。
国際暴力団に戦争をやらされて頭に来た国民が暴力団を甘く見るのをいっさいやめたのだ。
新しい世界の中では、もはや暴力団は生きられなくなった。
今後は、暴力団のない世界になる。
民営化された法律事務所や警察や学校がある世界になるのだ。
[11400] 文化大革命はどうしてあったか? h22.11.19
中国は昔から独自の国家暴力団が支配する国だったが、ついに文化大革命のときに国家暴力団が国際暴力団に負けた。つまり、中国の文化大革命は、日本の明治維新に相当する。
だから、文化大革命のときに、中国人が大量に虐殺されて、中国文化が破壊されたのである。
文化大革命は、アメリカやヨーロッパが中国を攻撃したのではなく、国際暴力団が中国の国民を攻撃したのである。
したがって、今の中国政府は国際暴力団である。
中国政府が川野教をやっていたのはそのためである。
しかし、最近は世界的に国際暴力団が潰れているから、中国政府もそのうちなくなるだろう。