[11101] どうしてテレビ番組では政府が悪役なのか? h22.10.9
『仮面ライダー』や『ウルトラマン』では政府が悪役になっている。『スタートレック(宇宙大作戦)』でも政府が悪役である。
テレビ番組で政府が悪役なのは、冗談だからである。[例えば、『私の魔法少女日記 [910] 【元ネタ】『撲殺天使ドクロちゃん』 h22.8.16』の絵を参照。]
政府を悪役にしたほうが番組が盛り上がるので、政府を悪役にしているだけである。
国民に比べて政府は待遇がいいので、国民は待遇のいい政府をテレビ番組の上で悪役にして、政府を映像の上で攻撃することによって自分の欲求不満を解消しているのである。それが、国民にとってのささやかな喜びなのである。[政府は待遇がいいのだから、それぐらいのイヤミは大目に見なければならない。]
だから、国民や政府はテレビ番組を真[ま]に受けて「政府は悪者だ」と思ってはならない。特に政府が真に受けて国民への虐待[ぎゃくたい]をエスカレートさせてはならない。中世の日本では、国民が勝手に国家宗教で悪事をしていたのであって、政府は悪事をしていなかったのかもしれない。世界大戦は国民が自分の意思でやったのであって、政府が国民に命令して無理やりやらせたのではない。政府が自分を悪者に考えて、積極的に悪事をしてはならない。
政府が国家宗教で国民を殺したり国民の物を取ったりしているのは、国家宗教による論理的帰結であって、政府に悪気[わるぎ]があるからではない。政府は仕事で国民を殺したり国民の物を取ったりしているのであって、けっして自分の感情に駆[か]られて国民を殺したり国民の物を取ったりしているのではない。善[よ]かれ悪[あ]しかれ、政府は国家宗教をしているだけである。政府は善[よ]い者でもあるし悪者でもある。政府は善悪の区別を越えて仕事をしているのである。政府は善悪の彼岸[ひがん]にある会社なのである。国民にとって政府は善い者でも悪者でもない、善い者と悪者の中間者なのである。政府は善か悪かで割り切れない量子状態にあるのである。
政府は国民全員を幸福にするサービスをやっているが、それと同時に不幸にするサービスもやっているのである。国民は政府によって幸福にも不幸にもされているのである。国家宗教の世界では神に従うことが幸福であり神に従わないことが不幸だと考えるので、国家宗教の世界と普通の世界とは幸福と不幸の区別が違っているために、政府は国民を幸福と不幸の両方にしているのである。[例えば、日本政府が国家宗教で事件を起して国民を殺すのは、政府にとっては国民を幸福にするための親切なのである。しかし、国民にとっては不幸にすぎない。]つまり、政府が日本の政治機関であるかぎり、国民は完全に幸福にはなれないのである。[本来は国家宗教の世界では神に従うことが正しく神に従わないことがまちがっていると考えていたが、近代以降の自然科学に押されて今では神に従うことが幸福であり神に従わないことが不幸だと考えるようになってしまったのである。つまり、宗教は本来は科学だったが、今では法律になってしまったのである。宗教には科学と法律の両方の性格があると言ってもいい。宗教は古い時代の産物なので、まだ科学と法律が分かれていなかったのである。]
国民がそんな世界が嫌なら政府に税金を払うのをやめてそんな世界から出て行けばいい。それは国民一人一人が考えて判断すればいいことである。
[11102] 宗教国家とは何か? h22.10.9
国民みんなが「神に従うことが幸福で神に従わないことが不幸だ」と考えている国である。
今の日本が宗教国家である。今の日本の政治機関は日本政府しかなく、日本政府は宗教をやる政治機関だからである。
今の日本の神は神武天皇である。[私は日本が世界大戦に負けて神武天皇の人気が落ちたので戦後一時的に神武天皇の代わりに日本神道の神になっていただけである。戦争から60年経った今では敗戦の記憶もなくなろうとしているので、再び神武天皇が日本の神に帰ってきたのである。だから、今の政府は戦前と同じように神武天皇を神とする国家宗教だけをやっている。これまで私を神とする国家宗教でやっていたことがどんどん日本からなくなっている。例えば、私が学生の頃毎月実家から仕送りを引き落として家賃を振り込んで払っていたが、それと同じことをする代金回収業務が日本からなくなっている。おかげで、これまでは代金回収業者が毎月私の銀行口座からお金を引き落として家賃を払ってくれていたが、今後は毎月私が自分で銀行に行って家賃を振り込まねばならず面倒になった。]
だから、日本では神武天皇に従うことが幸福で神武天皇に従わないことが不幸なのである。
しかし、私の実在哲学によれば『人間の幸福や不幸は人間の大脳前頭葉が決める』のであって、神武天皇[の物語]が決めるのではない。
だから、日本政府のやることはまちがっている。
国民が日本政府のサービスを受けるとかえって幸福から遠ざかることになる。
したがって、国民は日本政府のサービスを受けないほうがいい。国民は日本政府にサービス料金(税金のこと)を払わないほうがいい。
日本人が日本のためになることをしたければ日本政府をなくすことだ。
日本政府はキチガイ会社である。そんなものは早く潰[つぶ]れてなくなってしまったほうがいい。公務員はキチガイ会社の社員である。公務員はキチガイ会社の社員の分際[ぶんざい]で偉そうにするな!誰でも変な会社の近所に住むのは嫌である。だから、東京者[もん]は政府が何かがわかっていない馬鹿である。
[11103] 日本政府とは何か? h22.10.9
日本政府は宗教サービスという変わったサービスをするサービス会社である。[人権保障サービス(つまり警察サービス)は国民一人当たり月に100円も払えばすることができる。だから、税金のほとんどは宗教サービスに使われているのである。]
宗教サービスとは「神に従うことが幸福であり神に従わないことが不幸だ」と考えて、サービス会社が加入者を幸福にするために加入者に神に従うことをすることである。その際、サービス会社は加入者に神を公開するが、具体的な細かいサービスはサービス会社に任[まか]せることになっている。つまり、加入者はサービス会社に神に従う限りでの経営の自由を認めているのである。
例えば、パチンコは光る玉であり神武天皇に従うことだから、政府は「パチンコをすることは幸福である」と考えて、日本中にパチンコ店を作って国民にパチンコをさせているのである。また、例えば、政府は「国家宗教で死ぬことは幸福である」と考えて、日本神道の神の情報を入れたいろんな事件を起して国民を殺しているのである。
国民がいくら日本政府に高い税金を払っても、政府はせいぜい宗教サービスをしてくれるだけである。政府は宗教で幸福か不幸かを決めて、国民に一方的に“幸福な”サービスをするだけである。そんなサービスは政府にとって幸福なだけで、国民にとっては幸福でもなんでもない。国民が政府に税金を払うことは、お金をドブに捨てるようなものである。
宗教サービスをする会社は、サービス内容が偏[かたよ]っていて加入者にとっていいサービスがない。
だから、国民は日本政府の宗教サービスなんか受けないほうがいい。日本政府にわざわざ税金を払ってやることはない。
[11104] どうして国民は政府に従っているのか? h22.10.9
日本政府は宗教サービスをする会社であり、宗教サービスをする会社にはいいサービスがないのに、それでも国民の多くは日本政府にわざわざ高い税金を払って入っている。
宗教が好きでない者まで日本政府に入っている。神武天皇が好きでない者まで日本政府に入っている。私が好きでない者まで日本政府に入っている。
日本人の多くは「日本政府は日本国憲法をやる会社のことだ」と思っている。そんなのは小学生の社会科の知識だ。日本政府はそんな仮定に収まらないことをいっぱいやっている。もっと自分の頭を使って日本政府について考えるべきだ。日本国憲法は日本政府の副業であって、日本政府の本業は国家宗教なのだ。つまり、政府にとっては国会よりもパチンコ屋の経営がメインなのである。
そもそも国民がひとつの政治機関に入らなければならない義務なんかない。政府が自分にとって都合のいい世の中にするために嘘[うそ]をついているだけだ。[神武天皇がはじめてナガスネヒコと戦って負けたときナガスネヒコに「君[きみ]とはもう二度と戦わない」と言っておきながら、あとでナガスネヒコを背後から襲[おそ]って倒した。神武天皇は嘘をついたから、政府は嘘に力を入れているのだ。]実際には、国民がひとつの政治機関に入ろうが入るまいが、国民がどの政治機関に入ろうが入るまいが国民の自由である。[役所の窓口サービス(住民票や国民健康保険の申し込みなど)のために一生高い税金を払い続けるのはあんまりである。役所の窓口サービスと政府の宗教サービスを分けるべきである。役所の窓口サービスはその都度[つど]現金で払うようにして、政府の税金と分けねばならない。]
日本人の社会科が弱いのにもほどがある。そんなに社会科音痴なら政府に殺されても仕方がない。国民は従うべきでない者に勝手に従っているわけだから自業自得[じごうじとく]だ。
[11105] 日本政府は役に立たない。 h22.10.10
日本政府は宗教サービスをするサービス会社である。病気を治すのが医者の仕事であるように、宗教サービスをするのが政府の仕事だから、政府は自分が儲[もう]かろうが儲かるまいが自分が潰[つぶ]れようがどうなろうが客を殺そうがどうしようがひたすら宗教サービスをするのである。それが仕事というものだ。
だから、日本政府は神に従うことは力を入れてやる。
しかし、日本政府は神に従わないことはやっているふりをするだけである。本来は日本政府は神に従わないことはやらないのだが、国民の要望に押されていやいやしかたなく形の上だけでやっているのである。[日本政府が日本国憲法をやる会社に見えるのはそのためである。多くの国民は日本政府の見かけに騙[だま]されているのである。]
例えば、日本神道の神は神武天皇で、神武天皇は戦って敵の土地を奪ったから、日本政府は植民地戦争には力を入れてやる。
しかし、反対に、神武天皇は法律を作らなかったし神武天皇の時代には貨幣がなかったし神武天皇は外交をやらなかったから、日本政府は法律や経済や外交などはやっているふりをするだけである。建物が建っているだけで、実際には仕事をしていないのである。国会議事堂の国会議員のように、年がら年中朝から晩まで何もやらずにダラダラしているだけである。
つまり、日本政府は植民地戦争のためには役に立つが、それ以外の法律や経済や外交などのためには役に立たないのである。
一般に、日本政府は神武天皇がやったこと以外のことでは役に立たないのである。
ところが、神武天皇がやったのは植民地戦争だけである。
だから、日本政府は植民地戦争以外のことでは役に立たないのである。
しかし、今の日本は植民地戦争をやっていない。
だから、日本政府はまったく何の役にも立たないのである。[日本政府は植民地戦争に力を入れても戦争に負けたのだから、本当にまったく何の役にも立たない会社である。]
したがって、国民は日本政府を早く潰[つぶ]したほうがいい。クズ男をまとめた会社なんか早く潰したほうがいい。
[11106] 政府は不経済である。 h22.10.10
日本政府は国家宗教で無駄[むだ]なことばかりやっている。政府は国民の税金を浪費している。おかげで今の日本は貧乏である。
江戸時代は質素倹約で無駄なことをしなかったから日本が豊かだったのである。[当時の江戸の町は繁栄していて、世界中から「華[はな]の都」と呼ばれていた。ヨーロッパは植民地で繁栄していたが、日本は鎖国でそれ以上の繁栄を成し遂[と]げていたのである。]
今は世界的に宗教をやっていないから、鎖国をしなくても問題はない。
だから、今の時代には政府のような宗教をする政治機関よりも幕府のような宗教をしない政治機関のほうがいいのである。
[11107] どうして中世の日本は植民地政策をしなかったのか? h22.10.10
中世の政府がいろんな国家宗教サービスで税金を無駄使いして財政に余裕がなかったからである。
日本に政府が出来る前の日本の政治機関がしっかり者でお金を溜[た]め込んでいたので、その貯金を使って古代の政府が任那[みまな]の植民地政策をすることができたのである。
それと同じように、江戸時代の幕府が貯金をしていたから、その貯金を使って明治から昭和までの政府が植民地政策をすることができたのである。しかし、結果は失敗に終わって、江戸時代の貯金を戦争のために使い切ってしまった。それで、戦後の日本は貧乏になったのである。[第2次世界大戦のとき、日本政府が海軍に力を入れて空軍に力を入れなかったのは、神武天皇が船を作ったが飛行機は作らなかったからである。そのために、日本はますます戦争に不利になって戦争に負けてしまったのである。]
つまり、日本は政府の時代は貧乏で、それ以外の政治機関の時代は裕福なのである。日本政府は、せっかくそれまで他[ほか]の政治機関が溜め込んだ貯金を何にもならない植民地政策に使ってしまうだけである。
日本政府は神武天皇に従うことすなわち植民地政策しかできない政治機関である。神武天皇は経済をしなかったから、日本政府も経済ができないのである。日本政府は経済問題が苦手なのである。だから、政府の時代は日本は貧乏なのである。
[11108] 頭がいい人間とは? h22.10.11
日本では、現状に満足している人間が頭がいい人間だとされる。
しかし、今の日本の政治機関は日本政府である。
日本政府は宗教サービスをするサービス会社である。
宗教サービスは神に縛[しば]られるので、宗教サービスは国民の心を満足するサービスではない。日本政府は国民にとって役に立つサービスをしていない。
だから、今の日本の現状に満足しているほうがマヌケというものだ。
今の日本の現状に満足している人間は本当は馬鹿だ。
『知らぬが仏』にすぎない。
そのうち日本はまた戦争になって、日本人は泣きながら戦争に行かねばならなくなるだろう。
今度の戦争は国民の意思による戦争ではなく、政府が国家宗教で国民に無理やりやらせた戦争だ。
政府の国民支配は今後ますます強まる一方だろう。
その原因は、国民が馬鹿だからだ。国民が『考える努力』をしなかったからだ。私のせいでも政府のせいでもない。国民自身のせいだ。自業自得だ。[たとえ私が本を出したとしても『考える努力』をしない国民にとっては無駄[むだ]になるだけだ。世の中がいつまでたってもよくならないのは、眼で見て満足するだけで頭で『考える努力』をしない国民ばかりいるせいだ。日本人が遺伝的に馬鹿だからだ。戦後のテレビの発明のおかげで日本人の馬鹿さにますます磨[みが]きがかかっている。ヨーロッパなら利口のほうが多いから民主主義で国が善くなって栄えるが、日本人は馬鹿のほうが多いから民主主義では国が悪くなって滅びるだけだ。「ヨーロッパ人は天才以外は馬鹿で、日本人はアベレージ(平均)が高い」というのは嘘[うそ]である。実際には、その反対で「ヨーロッパ人がアベレージが高く、日本人こそ天才以外はみんな馬鹿」なのだ。日本人が科学政治よりも宗教政治のほうを支持するのは、科学政治よりも宗教政治のほうが見かけがかっこいいからだろう。日本人の大半は馬鹿であり、馬鹿は科学が嫌いなので、科学政治よりも宗教政治のほうを支持するのだろう。だから、私は民主主義が嫌いなのだ。しかし、政治機関は家電製品のようなものだから、いくら政治機関が科学でやるとしても国民自身が科学でやらねばならないわけではないから、むしろ政治機関が科学でやったほうが国民の暮らしにとっては便利になるはずである。だから、政治機関は宗教よりも科学でやったほうがいいのだ。昔の中世の頃の日本では、政策は政府と国民がいっしょになってやるものだったが、現代の今では政策は政治機関が国民に対してやるサービスだから、政策は政治機関だけがやるものであって国民は政策をやる必要はないのである。だから、たとえ政治機関が科学サービスをやるとしても国民は科学をやる必要はまったくないのである。]
[11109] 政府の仕事☆ h22.10.11
政府の主[おも]な仕事は、神武天皇と関係のあることを力を入れてやることである。国民から取った税金を神武天皇と関係のあることに回すことである。今の日本政府が力を入れてやっているのはパチンコぐらいのものである。パチンコの玉は丸くて光るから神武天皇の光の玉の喩[たと]えであり、パチンコではパチンコの玉を弾[はじ]くのが銃に似ていて軍人であった神武天皇に通じているから、政府はパチンコ業務を扱っているのである。[パチンコ玉を景品と交換することが、戦争で外国の物を分捕[ぶんど]ることの喩[たと]えであり、植民地政策を表している。]つまり、今の日本政府は日本パチンコ協会の本部である。つまり、日本ではパチンコの会社が政治機関をやっているのである。[政府はセブンイレブンやローソンなどのコンビニにも力を入れてやっているが、神武天皇の時代にはコンビニはなかったから、コンビニは私を神とする国家宗教でやっているのである。私が小学生の頃、近所に山本商店という小売店があって私がそこでよく買い物をしていたからである。今後、政府が神武天皇を神とする国家宗教をやって私を神とする国家宗教をやらなくなると、日本中からコンビニがなくなるだろう。マンガやコミケ(コミックマーケット)も政府が私を神とする国家宗教でやっていたのでなくなるだろう。]
政府のその他[ほか]の仕事は、法律や経済や外交などの国民からの要望のある仕事をやっているふりをすることである。建物が建っているだけで、実際には仕事をしていないのである。政府は国家宗教サービスをする会社なので、神に従わないことはやってはならないので、神に従わないことをやらないようにするためにわざわざ失敗するようにやっているのである。つまり、日本政府は法律や経済や外交などをうまく行かないようにするために、自分でわざとにまちがいを犯しながら仕事をやっているのである。[神武天皇はナガスネヒコとの戦いで嘘[うそ]をついたので、政府は嘘をついて神に従わない仕事をやっているふりをすることができるのである。政府は神に従わない仕事をあくまでも嘘でやらなければならないので、わざとに失敗するようにやっているのである。]
政府は宗教サービスをする会社なので、政府は神に縛[しば]られて仕事をすることしかできないので、政府の仕事は国民の役には立たないのである。日本政府にお金をやっても無駄[むだ]だ。
このままでは政府に日本を潰[つぶ]される。政府は国民を暮らしにくくする政治機関なのである。
日本の政治機関は、神に縛られて国民の役に立たない仕事をすることしかできない政府ではなく、神に縛られずに国民の役に立つ仕事をする政治機関であらねばならない。
[11110] どうして日本人は醜[みにく]いのか? h22.10.11
神武天皇がブ男だったからである。神武天皇はナガスネヒコと戦ったが、ナガスネヒコは脚[あし]が長くてスマートだったのでおそらく美男だったのだろう。だから、ナガスネヒコと戦った神武天皇は脚の短いブ男だったのである。
日本政府は、日本を神に従わせることが仕事なので、醜い日本人を生き残らせて美しい日本人を殺したので、今の日本人は醜くなったのである。
反対に、キリストは美男[びなん]だったので、ヨーロッパ政府は美しい人間を生き残らせて醜い人間を殺したので、今のヨーロッパ人は美形なのである。
[11111] どうして日本には肉体労働しかないのか? h22.10.11
神武天皇が軍人で肉体労働しかしなかったからである。
日本政府は、日本を神に従わせることが仕事なので、日本人には肉体労働しかさせないのである。
反対に、キリストは自分の思想を述べて頭脳労働をしたので、ヨーロッパでは頭脳労働が主体なのである。
[11112] 政府を生かすも殺すも国民次第[しだい]。 h22.10.12
政府は宗教をする政治機関である。だから、政府は国民にとって役に立たない。理論的に考えただけでも政府が役に立たないことがわかるぐらいだから[[11109]を参照]、実際には政府はそれ以上に役に立たないのである。税金がもったいない。
しかし、「政府が国民に嘘をついて法律や経済や外交をやっているふりをして国民を騙[だま]して税金を取っている」と警察に訴えて政府の問題を解決するのは面倒臭い。警察は政府の付属機関であり国会と同じように仕事をしているふりをしているだけだから、警察が国民に協力するかどうかも疑わしい。
それよりも『政治機関に国民が入ろうが入るまいが国民の自由である』ことを使って、国民が政府に入らないようにするほうが簡単に政府の問題が解ける。要するに、国民が政府に税金を払わないようにして政府のサービスを断ればいいのである。もともと政府は国民の役に立つサービスをやっていないのだから、国民は政府のサービスを受けなくても困らない。国民が政府に入らないようにすれば、政府は潰[つぶ]れるしかない。
世の中には他人に騙[だま]されるのが好きな人もいるから、政府の役に立たないサービスを受けたい人は受ければいい。役立たずの乞食[こじき]に賽銭[さいせん]をやるのが好きな人もいるから、政府に税金を払いたい人は払えばいい。
[11113] 政治機関はサービス会社である。 h22.10.12
人権保障なんか問題にするほどのことではない。みみっちい。国会も警察も裁判所もどうでもいい。
大事なのは、政治機関がどういうサービスをやっているかだ。
政府は宗教でサービスをする政治機関なので、国民の役に立つサービスをしない。せいぜい、パチンコサービスをやっているだけだ。[[11109]を参照。]
だから、国民にとっては政府は要らない。
したがって、国民は政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]したほうがいい。
日本には、宗教でサービスをしないもっと国民の役に立つ政治機関を作ることにしよう。
政治機関がちゃんと仕事をやっていないからといって、他[ほか]の会社がちゃんと仕事をしなくてもいいことにはならない。だから、いくら政府の味方をしても駄目[だめ]である。
[11114] 笑いのない世界 h22.10.12
一般に、軍人は笑わないものと考えられている。
神武天皇は軍人だったので笑いがない。
日本政府は、日本を神に従わせることが仕事なので、日本を笑いのない世界にするのである。日本政府はマンガやテレビの上だけで笑いをなくすだけではなく、生活のあらゆるところから笑えることをなくしてしまおうとするのである。
しかし、笑おうが笑うまいが人間の勝手である。
いちいち余計なことをする政府は鬱陶[うっとう]しい。
やはり、宗教をやらない政治機関のほうがいい。
[11115] 国民はむやみに政治機関に従ってはいけない。 h22.10.12
一般に、政治機関はサービス会社にすぎない。
国民は政治機関と契約をして政治機関からサービスを受ける。
政治機関が国民に対して命令をすることもあるが、それも政治機関のサービスのひとつである。政治機関が国民よりも偉いから国民に命令しているわけではない。
国民が政治機関に従わねばならないのではない。逆に政治機関が国民に従わねばならないのだ。
つまり、国民が政治機関のサービスが気に入れば、国民は政治機関にお金を払ってサービスを受ける。
国民が政治機関のサービスが気に入らなければ、国民は政治機関にお金を払わずサービスを受けない。
残念なことに、今の日本にはいい政治機関がない。日本政府は宗教で役に立たないサービスをするだけである。日本政府は神に従うサービスだけして神に従わないサービスはしない。日本神道の神は神武天皇だから、神に従うサービスと言えば戦争とパチンコと笑いがないことぐらいである。日本政府はそれ以外のことは何もしていないのである。日本政府は神に従う国作りをしているのであって、日本人みんなを神武天皇と同じにしようとしているのである。日本人みんなに神武天皇と同じことをさせて違うことをさせないようにしているのである。そのために、政府自身も神武天皇がやらなかった法律や経済や外交などをやっていないのである。だから、国民は日本政府にお金を払わず日本政府のサービスを受けなければいい。神武天皇と同じになりたくない人は政府のサービスを受けなければいい。
もっとも、政府の宗教サービスが好きな人は政府にお金を払ってサービスを受ければいい。つまり、神武天皇と同じになりたい人は政府のサービスを受ければいい。[もっとも、王様は国に一人と決まっているから、神武天皇と同じになるからといって日本の王になれるわけではない。]
政府の宗教サービスを受けたくない人はいっぱいいる。役所の窓口サービスと死体の焼却ぐらいはその都度本人や親戚などがお金を出してやれるように政府に改善してもらいたい。税金は政府の宗教サービスを受けたい人だけが払えばいい。
国がよくなるためには政治機関が複数あったほうがいい。だから、政府は政治機関の独占をやめねばならない。政治機関の自由化を認めねばならない。
日本政府みたいなしょうもない政治機関はないほうがましだ。無政府主義のほうがましだ。
宗教をやらないすなわち神に縛[しば]られない、民主主義によらないすなわち馬鹿な大衆の意見によらない、国民の人間性を高めるサービスをする政治機関があればいい。
[11116] 日本政府はデタラメである。☆ h22.10.12
日本政府はパチンコが神武天皇に従うことだと考えている。
しかし、神武天皇はパチンコをしなかった。
だから、厳密にはパチンコは神武天皇に従わないことである。
したがって、一般に、日本政府のやっていることはデタラメである。
日本政府は神に従う国を作っていると言うだけで、実際には神に従う国を作っていない。
日本政府のやっていることはデタラメである。
つまり、日本政府には確固[かっこ]たる原理がない。[神武天皇はナガスネヒコと戦ったとき「日向[ひゅうが]出身の私が日に向かって戦ってはいけない」と『駄洒落』[だじゃれ]を言ったから、日本政府も駄洒落で神武天皇がやったことを広げていろんなサービスをやっているのである。しかし、駄洒落を使うのではもはや論理的には従っていると見なされない。つまり、日本政府には原理がないと言っていい。]つまり、日本政府は原理のない、何をやっているのかわからない政治機関なのである。
そんな政治機関には入る価値がない。国民はそんな曖昧模糊[あいまいもこ]な政治機関のサービスを受ける気にはなれない。
日本政府は原理に忠実なら植民地政策をやるべきである。植民地政策をやらなければ潰[つぶ]れるべきである。
[11117] 犬の頭 h22.10.12
今から5年ぐらい前に、東京拘置所[こうちしょ]のそばの水路でたくさんの犬の頭が見つかったことがある。
犬は犬←いぬ←川の(“ぬ”の左斜め線を“い”に持ってくると、“い”が“川”になり、“ぬ”が“の”になる。)←川野[かわの](私の姓)←私だから、犬は私のことである。また、水路は水路←水←川←川野←私だし、東京拘置所は私が高知の出身だからである。
つまり、たくさんの犬が殺されたのは、日本政府が私を神とする国家宗教をやめるという合図だったのである。
日本政府が日本人みんなに私を神とするのをやめることを伝えるために、たくさんの犬の頭を捨てたのである。
[11118] どうして政府は法律や経済や外交などがやれるのか?☆ h22.10.12
神武天皇は法律も経済も外交もしなかった。
しかし、神武天皇は『嘘』[うそ]をついた。神武天皇がナガスネヒコと戦ったとき、神武天皇はナガスネヒコと戦わないと言ったにもかかわらずもう一度ナガスネヒコと戦ったからである。
だから、日本政府は嘘をつける。
だから、日本政府は嘘で法律や経済や外交をやっているのである。
嘘でやっているのだから、本気[ほんき]でやってはならない。いいかげんにやらねばならない。
だから、日本政府は法律や経済や外交が下手糞[へたくそ]なのである。わざとに下手糞にやっているから下手糞なのである。
しょせん嘘は嘘である。だから、大雑把[おおざっぱ]には、日本政府は法律や経済や外交はやっていないと見なしてもいい。
[11119] どうして日本はよくならないのか? h22.10.12
国民の大半が馬鹿だからである。
国民の大半が馬鹿だから、政府がどんな政治機関かもわからずに平気で政府に国の政治を任[まか]せて日本をどんどん悪い国にしているのである。
国民を放っておけば、国は民主主義で動く。ところが、国民の大半は馬鹿だから、民主主義が衆愚政治になって、国はどんどん悪くなる。
反対に、正しい人間が国民を導けばいい国になる。だから、正しい人間が現れねばならない。
[11120] 駄洒落[だじゃれ]と嘘[うそ]☆ h22.10.12
神武天皇は駄洒落と嘘を言った。しかも、同時に言った。[[11116]と[11118]を参照。]
だから、日本政府は神武天皇がやったことを駄洒落で広げていろんなサービスをしている。日本政府は国民にとって要らないサービスをたくさんやっている。
日本政府は嘘で神武天皇がやらなかったことをやっている。嘘は反対のことをすることだから、政府は国民にやっているふりをしてじつはやっていない。日本政府は国民にとって必要なサービスはやっていない。建物が建っているだけで仕事をしていない。
つまり、日本政府は国民にとって要らないサービスはたくさんやっているが、国民にとって必要なサービスはやっていない。
国民にとって政府は役に立たない。
日本の政治機関は政府とは別の会社にやってもらわねばならない。国民にとって政府は要らないから、政府は滅[ほろ]べばいいのだ。政治機関はそもそも国民のためにあるのだから、国民のために役に立たない政治機関はなくなればいいのだ。
[11121] どうして国民は政府に従うのか?☆ h22.10.13
神武天皇はナガスネヒコとの戦いのとき嘘[うそ]をついた。
だから、日本政府は嘘をつける。
したがって、政府は国民に「政府は国家宗教なんかやっていない。政府は国民のために法律や経済や外交などの仕事を一生懸命やっている。」と嘘をついて、その嘘に国民が騙[だま]されているから、国民は政府に従っているのである。
しかし、実際には、政府は神武天皇を神とする国家宗教をやっている。政府は国民のために法律や経済や外交などの仕事をやっていない。だから、政府は国民の役には立たない。だから、国民は政府に従わなければいい。
[11122] 宗教をやらない政治機関 h22.10.13
日本政府のような宗教をやる政治機関は、国民にとって要らないサービスばかりやって、要るサービスをやらない。例えば、日本政府はパチンコばかりやって、法律や経済や外交などをやらない。
反対に、宗教をやらない政治機関は、国民にとって要らないサービスをやらず、要るサービスをやる。
政治機関が宗教をやりさえしなければ、たとえボンクラであっても仕事をやりさえすればそこそこ国民の役に立つはずである。
政治機関が国民の役に立たない原因は、政治機関が宗教をやることにある。
日本から国民の役に立たない宗教をやる政治機関をなくして、日本には国民の役に立つ宗教をやらない政治機関を作らねばならない。
[11123] どうして国民は政府に税金を払って政府の命令を聞いているのか?☆☆
h22.10.13
神武天皇はナガスネヒコとの戦いのとき嘘[うそ]をついた。
だから、日本政府は嘘をつける。
だから、日本政府は国民に「国民は政府に従わねばならず、政府に税金を払わねばならない」と嘘をついているのである。
国民は政府の嘘に騙[だま]されて、政府の命令を聞いて政府に税金を払っているのである。
嘘とは、真実と反対のことを言うことである。
真実は『政府はサービス会社であり、国民は政府のサービスが気に入ったときだけ、政府に税金を払って政府のサービスを受ければいい』である。[パチンコ店は明らかにサービス業だから、パチンコ店を経営している日本政府はサービス業である。]
しかし、今の政府は国民の役に立つサービスをしていない。政府は宗教をやる政治機関なので、国民の役に立つサービスをやれないのである。
だから、国民は政府のサービスが気に入らないから、政府に税金を払わず政府のサービスを受けなければいいのである。
嘘はあくまでも嘘である。政府の命令を聞かない国民を政府が罰すると嘘がもはや嘘ではなくなる。だから、政府はいくら国民が政府の命令を聞かなくても国民を罰することはできないのである。
[11124] アメリカ政府 h22.10.13
私が子供の頃に大好きだった『スタートレック(宇宙大作戦)』の第25,26話には「タロス星の幻怪人」という話がある。
タロス星の住民はタロス星人のテレパシーによってありもしない幻[まぼろし]を見せられてみすぼらしい牢屋[ろうや]の中で哀[あわ]れにも幸福に暮らしているのである。
タロス星はアメリカのことで、タロス星人はアメリカ政府のことだから、アメリカ政府がアメリカ国民に法律や経済や外交をやっているように見せかけてじつは何もやっていないことを表している。
つまり、アメリカ政府は日本政府と同じことをやっているのである。
アメリカが幕末の日本に来たとき、日本には神武天皇という神がいることを知り、アメリカ政府が神武天皇を神とする国家宗教をやるようになって国民に嘘[うそ]をつくようになったのだろう。アメリカが軍事に力を入れてやっているのも、アメリカ政府が神武天皇を神とする国家宗教をやっている証拠である。
アメリカ政府にしろ日本政府にしろ、宗教をやる政治機関は駄目[だめ]である。宗教は政治機関の伝染病のようなものだ。はやく世界中から宗教をやる政治機関がなくなって欲しい。
[11125] 宗教をやる政治機関 h22.10.13
宗教をやる政治機関は、神がやったことはやるが、神がやらなかったことはやらない。例えば、日本政府は、パチンコに力を入れてやって、法律や経済や外交をやらない。
だから、宗教をやる政治機関は国民にとって役に立たない。税金が無駄[むだ]である。
反対に、宗教をやらない政治機関は、国民がやって欲しいことをやって、国民がやって欲しくないことはやらない。例えば、宗教をやらない政治機関は法律や経済や外交に力を入れてやって、パチンコはやらない。[江戸時代の幕府が刑罰がやたら厳しかったのは法律に力を入れていたからである。今の日本の治安がいいのは江戸幕府のおかげである。反対に、今の政府は法律に力を入れていないから刑罰が甘く国民が法律を破りたい放題である。しかし、実際には、現代人は決まりにうるさいから、たとえ日本政府が法律を破ることを許しても相手は法律を破ることを許さない。法律を破ろうとすれば、相手にその場で殴[なぐ]られてかえって損をするだろう。]
だから、宗教をやらない政治機関は国民の役に立つ。
国民にとっては宗教をやる政治機関よりも宗教をやらない政治機関のほうがいい。
[11126] 日本政府はパチンコ会社である。 h22.10.13
日本政府は日本中のパチンコ店の経営をやっている。日本政府は日本パチンコ協会の本部である。
日本政府は国会などもやっているが、しょせんパチンコ会社が政治機関の物真似[ものまね]をしているだけである。
国民にとって政府がやっていることで役に立つのはパチンコだけで、他[ほか]は役に立たない。
日本政府は神武天皇がやったことしかやれない役立たず会社である。
[11127] 天皇の人間宣言について h22.10.14
神武天皇はナガスネヒコとの戦いのとき嘘をついた。
だから、日本政府は嘘[うそ]をつける。
だから、戦後日本政府は天皇に嘘をつかせて人間宣言をさせたのである。
だから、実際には、その後も神武天皇は神のままだったのである。
昭和40年頃になって、私が神武天皇の代わりに神を務[つと]めるようになってようやく神武天皇は神ではなくなったのである。
しかし、最近は日本人の多くが日本が戦争に負けたことを忘れてきたから、再び神武天皇が神に戻って私が神ではなくなって来ている。
つまり、今でも神武天皇は神のままである。日本政府があるかぎり、今後もずっと神武天皇は神のままである。日本は世界一のパチンコ王国になるだろう。日本人は笑いのない、頭の中にはいつも人を殺す欲望しかない残忍[ざんにん]な民族になるだろう。日本がお金が溜[た]まってきたら、日本政府はまた植民地戦争をするだろう。だから、戦争を防ぐためには、日本が貧乏であり続けるしかない。
[11128] 宗教から科学へ☆ h22.10.14
宗教は昔の科学である。
宗教と科学は論理的には同じ構造である。
昔はまだ自然についての正しい原理がわからなかったので、仕方なく原理の代わりに人間を用いたのである。それが宗教である。原理の代わりに用いた人間を神と呼んだだけのことである。
ところで、神は自然についての正しい原理ではない。
だから、宗教では自然について正しいことがわからない。
要するに、宗教はまちがいである。つまり、神に従うことが正しいことではない。
近代以降宗教が科学に押された結果、宗教では神に従うことを幸福なこと、神に従わないことを不幸なことと考えるようになった。
日本政府は宗教をやる政治機関である。つまり、日本政府は「神に従うことが人間にとって幸福なことだ」と考えて、国民に神に従うサービスをしている。
しかし、神に従うことはそもそもただのまちがいであって、人間にとって幸福なことではない。
だから、日本政府が宗教でサービスをしても国民にとって役に立つサービスがないのである。
今では、神の代[か]わりに自然についての正しい原理がわかっている。実在についての観察と帰納によって自然についての正しい原理を得られることがわかっている。
だから、今では自然についての正しい原理と論理によって自然について正しいことがわかるようになった。それが[近代]科学である。だから、人間にとってはもはや宗教も神も要らなくなった。宗教をやる政治機関である日本政府も要らなくなった。
科学によって、人間は自然を自分の思い通りにできるようになった。
科学の世界における人間の共通の幸福が法律である。
人間は法律を守って幸福に暮らせるようになったのである。
科学が進歩すれば人間ができることが増える。人間ができることが増えれば、それにつれて法律も進歩する。科学も法律もつねに進歩し続けるのである。
[11129] どうして日本政府は私を神としたのか? h22.10.14
神武天皇はナガスネヒコとの戦いのとき嘘[うそ]をついた。
だから、日本政府は嘘をつける。
だから、日本政府は嘘で私を神としていたのである。
戦後しばらくの間は国民の大半が神武天皇を神とすることに反対だったので、政府は国民の要望に応[こた]えて嘘で私を一時的に神としていたのである。
日本政府の神は神武天皇だけである。
神武天皇は自分を他の者と入れ替えたりしたことはない。
だから、日本政府は私を嘘で神としていたのである。
だから、実際には私を神としていなかったのである。私を神としているふりをしてじつは神としていなかったのである。
だから、日本政府は私を国民に公開しなかったのである。
戦後60年経[た]った今では日本の敗戦の記憶も薄れて国民の大半が神武天皇を神とすることに反対しなくなったので、政府は再び神武天皇を神とするようになったのである。
[11130] キリストも嘘をついた。 h22.10.14
キリストは死刑になる前に「3日後に復活する」と言って復活しなかった。死んだままだった。
だから、キリストは嘘をついたことになる。
だから、ヨーロッパ政府は嘘をつける。
ヨーロッパ政府も日本政府と同じように国民に嘘をついているのである。
ヨーロッパ政府が政教分離していることも嘘である。ヨーロッパ政府も日本政府と同じように密[ひそ]かに宗教をやっているのである。
ヨーロッパ政府も日本政府と同じように法律や経済や外交などの建物を建てるだけで仕事をしていないのである。ヨーロッパ政府もキリストの駄洒落[だじゃれ]で国民の役に立たない余計なことばかりやっているのである。ヨーロッパ政府もまたパチンコ会社なのである。
[11131] どうして性欲は悪いのか? h22.10.14
人間の心が性器の感覚と組んで知覚と組まなくなるからである。
人間が「性器の感覚の世界」の中で生きるようになって、『知覚の感覚の世界すなわち実在界』の中で生きていかなくなるからである。
性器の感覚の世界は実在の世界とは違うから、人間が性器の感覚の世界の中で生きるようになると実在の世界を見失って実在の世界で過[あやま]ちを犯しやすくなる。実在の世界の中で犯した過ちに一生苦しめられることになる。そうならないためには、人間はつねに性器の感覚を働かせず眼や頭を働かせて実在の世界の中で生きていなければならない。
[11132] 正直な神と嘘[うそ]つきな神 h22.10.14
正直な神を神とする宗教をする政治機関(要するに団体)は、神が正直なので政治機関も正直だから、政治機関は国民に『政治機関はサービス業だから、国民が政治機関に入ろうが入るまいが国民の自由である。国民は自分の気に入ったサービスをする政治機関に税金を払って、政治機関からサービスを受ければいい。』と正直に言う。
反対に、嘘つきな神を神とする宗教をする政治機関は、神が嘘つきなので政治機関も嘘つきだから、政治機関は国民に「国民は政治機関に従わねばならない。国民はみんな政治機関に入って政治機関に税金を払わなければならない」と嘘を言う。
だから、正直な神を神とする宗教をする政治機関にはほとんど誰も入らず、嘘つきな神を神とする宗教をする政治機関には国民みんなが入ることになる。つまり、正直な神を神とする宗教をする政治機関は儲[もう]からず、嘘つきな神を神とする政治機関が儲かることになる。
実質的なサービス内容は正直な神を神とする宗教をする政治機関のほうが上だろうが、コマーシャルでは嘘つきな神を神とする宗教をする政治機関のほうが上である。サービスよりもコマーシャルで嘘つきな神を神とする宗教をする政治機関が正直な神を神とする宗教をする政治機関に勝ったのだ。
[11133] 国民は政府に税金を払わなくてもいい。 h22.10.15
政府は神武天皇を神としている。神武天皇は嘘[うそ]つきである。
だから、政府は嘘をつく政治機関である。
政府は国民に「国民は政府に税金を払わなければならない」と嘘を言う。
嘘は本当の反対である。
つまり、嘘で払わなければならないということは、本当は払わなくてもいいということである。
だから、本当は国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。
[11134] 釈迦[しゃか]は嘘をついたか? h22.10.15
釈迦は『嘘も方便』と言ってときどき嘘をついた。
だから、仏教国の政府は嘘をつける。
だから、仏教国の政府は日本政府と同じように法律や経済や外交などをやっているふりをしてじつはやっていない。仏教国では法律や経済や外交などの建物が建っているだけで仕事をしていない。仏教国の政府は国民に「国民は政府に従わねばならない。国民は政府の命令を聞き、政府に税金を払わねばならない」と嘘をついている。また、釈迦は喩[たと]え話がうまかったから、仏教国の政府は喩[たと]えで釈迦の話を広げて余計なことをたくさんやっている。つまり、仏教国の政府は日本政府と同じように国民にとって必要なことはやらないし、必要でないことはたくさんやっているのである。
一般に、宗教の神は嘘つきである。神武天皇もキリストも釈迦も嘘つきである。世界中の政治機関は何らかの宗教をやっている。だから、世界中の政治機関が嘘つきである。世界中の政治機関が国民を騙[だま]して法律や経済や外交などの仕事をしているふりをしてじつはやっていないのである。世界中の政治機関が国民に「国民は政治機関に従わねばならない。国民は政治機関の命令を聞き、政治機関に税金を払わねばならない」と嘘をついている。また、神は喩え話や駄洒落[だじゃれ]を言う。キリストも釈迦も喩え話をしたし、神武天皇は駄洒落を言った。だから、世界中の政治機関が喩えや駄洒落を使って神のしたことを広げて余計なことをたくさんやっているのである。つまり、世界中の政治機関が国民にとって必要なことはやらないし、必要でないことはたくさんやっているのである。要するに、世界中の政治機関が日本政府と同じように国民にとって役に立たないのである。[ただし、イスラム教の神アラーは宇宙を作った者であり人間ではないから、嘘もつかず喩え話や駄洒落を言うこともない。だから、イスラム教国では政治機関は真面目[まじめ]に政治をやっているのかもしれない。]
したがって、世界中の国民にとって今の宗教をやる政治機関は要らない。そもそも政治機関はサービス会社にすぎず、国民が自分の気に入らない政治機関に税金を払って政治機関からサービスを受ける必要はない。国民は今の役に立たない政治機関に従わず、政治機関に税金を払わずに政治機関を潰[つぶ]せばいい。世界中の国から宗教をやる政治機関をなくし、宗教をやらない政治機関を作ればいい。あるいは、政治機関を作らずに民間会社だけでやってみるのもいい。
[11135] 嘘は本当の反対である。 h22.10.15
神武天皇はナガスネヒコとの戦いのときに「私はあなたとは二度と戦わない」と言った後で戦った。
だから、神武天皇は嘘を言ったことになる。
神武天皇は実際には言葉と反対のことをやった。
だから、日本政府は国民に「国民は政府に従わねばならない。国民は政府の命令を聞き、政府に税金を払わねばならない。」と言っているが、これは嘘だから、実際には日本政府は言葉と反対に『国民は政府に従わなくてもいい。国民は政府の命令を聞かず、政府に税金を払わなくてもいい』ことを実践[じっせん]しなければならないのである。つまり、日本政府は『国民が政府に従わず、政府の命令を聞かず政府に税金を払わない』ことを認めなければならないのである。つまり、国民は政府に従わず、政府の命令を聞かず政府に税金を払わなくてもいいのである。
同じように、日本政府は国民に「政府は国家宗教はやっていない。政府は国民のために法律や経済や外交などをやっている」と言っているが、これも嘘だから、実際には言葉と反対に『政府は国家宗教をやっている。政府は国民のために法律や経済や外交などはやっていない』のである。
[11136] 真実はまちがいを超えたところにある。 h22.10.16
まちがいの向こうに真実がある。
人間はまちがいを経なければ真実にたどり着けない。
すべてが辻褄[つじつま]が合うまで考え抜けば、最近の私の『哲学日記』のように真実に到達できる。
辻褄が合う前に考えるのをやめてしまうと、まちがいのままになる。
今でも宗教をやっている人が大勢いるのは、まちがいのままでいるからである。
彼らがもっと考え抜けば、宗教をやめるはずだ。
何にもならない宗教をやって時間を無駄[むだ]にするよりも、自分でもっと「宗教とは何か?」について考えるべきだ。自分が死ぬ前に答えを出すべきだ。
[11137] どうして宗教をやっている人がいるのか? h22.10.16
宗教とは、神に従うことが正しく、神に従わないことがまちがっていると考えることである。
宗教の神は嘘[うそ]つきである。キリストも釈迦[しゃか]も神武天皇もその他[た]の神もみんな嘘をついた。
宗教の神は嘘つきだから、宗教では嘘をつくことが正しいことである。つまり、宗教では嘘がつける。
特に、宗教家が嘘がつける。
宗教家の嘘に騙[だま]されてありもしないことを信じさせられている者が、宗教をやっているのである。[日本政府は宗教をやる政治機関である。宗教をやる政治機関では政治家は宗教家と同じである。だから、日本政府の政治家も嘘をついて国民を騙しているのである。]
[11138] どうして大勢の人がお参[まい]りをしたり神の像を拝[おが]んだりするのか? h22.10.16
宗教とは、神に従うことが正しく、神に従わないことがまちがっていると考えることである。
宗教の神は嘘[うそ]つきである。キリストも釈迦[しゃか]も神武天皇もその他[た]の神もみんな嘘をついた。
宗教の神は嘘つきだから、宗教では嘘をつくことが正しいことである。つまり、宗教では嘘がつける。
特に、宗教家が嘘がつける。つまり、宗教家とは嘘をつく人のことである。宗教とは、宗教家が信者を嘘で騙[だま]すことである。宗教では、信者が宗教家の嘘に騙されているだけである。
宗教家が「お寺や教会やお宮にお参りして、仏像やキリストの像を拝むと幸せになる」と嘘をついたから、大勢の人が宗教家の嘘に騙されて宗教の建物にお参りしたり神の像を拝んだりするのである。
しかし、そもそも自分が幸せになるためには、自分で自分の心を満足させねばならない。自分で自分の心が満足することをしなければならない。
だから、宗教の建物に行って神のお人形を拝んでも幸せにはなれない。幸せになれるわけがない。宗教の建物に行って神の像を拝んでも何にもならない。時間の無駄[むだ]だ。
だから、宗教の建物や神の像がなくなってもかまわない。むしろ宗教の建物や神の像がなくなったほうが無駄[むだ]なことをしなくなるからなくなったほうがいい。
日本で宗教団体(政府を含む)が儲[もう]かるのは、やはり日本人が馬鹿で他人に騙[だま]されやすいからだろうか?
[11139] 国家宗教サービスとは何か?[[11079]の4の続き。 ] h22.10.16
宗教では、神に従うことは何でもやっていいとされている。反対に、神に従わないことはやってはいけないとされている。
国家宗教サービスとは、政治機関が国民に神に従うことをさせることである。あるいは、政治機関自身が神に従うことをすることである。
例えば、日本政府は神武天皇を神とする宗教をやっている政治機関である。日本政府は最初から神武天皇を神とする宗教をやる政治機関だと決まっているからそうしているのである。日本政府はそれ以外のことはやらない。たとえ政治家でも勝手に日本政府の仕事を変えるわけにはいかない。日本政府は国民に対して神武天皇を神とする国家宗教サービスをやっている。つまり、日本政府は国民を神武天皇に従わせたり、自分自身が神武天皇に従ったりしている。
ところで、古事記の神武天皇の話によると、神武天皇は駄洒落[だじゃれ]や嘘[うそ]を言った。
だから、日本政府は駄洒落や嘘をつくことができる。つまり、日本政府は嘘で国家宗教をやっているのにやっていないふりをしたり、嘘で法律や経済や外交などをやっているふりをしてやっていなかったり、駄洒落で神武天皇がやったことを広げていろんなことをやっているのである。本当は『政治機関はサービス業であり、国民が政治機関に入ろうが入るまいが国民の自由である。国民は自分の気に入ったサービスをする政治機関にお金を払ってサービスを受けることができる。』のに、日本政府は「国民は政治機関に従わねばならない。国民は政治機関に税金を払って、政治機関の命令を聞かねばならない。」と国民に嘘を教えているのである。また、嘘で神武天皇を神とする国家宗教をやっているのにやっていないふりをしたり、嘘で私を神とする国家宗教をやっているふりをしてやっていなかったりするのである。
神武天皇は植民地戦争をやったから、日本政府は植民地戦争を国民にさせることができるが、この前日本は戦争に負けたから当分の間自粛[じしゅく]しているのである。日本政府は嘘をつくことができるから、戦争の永久放棄は当てにならない。
現代社会では国民は自分の仕事にいそがしく宗教で犯罪を犯している暇[ひま]がない。宗教で犯罪を犯しているのは政府だけである。これでは、政府に対して国民が一方的に損である。だから、日本政府はないほうがいい。現代では、宗教をやる政治機関よりも宗教をやらない政治機関のほうがいい。
[11140] 日本神道の信者はなぜ科学が苦手なのか? h22.10.16
日本神道の神は神武天皇だけである。私は日本政府が一時的に嘘で神としているふりをしていただけで、じつは神ではないのである。
神武天皇は科学をやらなかった。
宗教では神に従わないことはやってはいけないとされている。
だから、日本神道の信者は科学をやってはいけないから、科学が苦手なのである。
神武天皇は土蜘蛛[つちぐも]を倒すときに和歌を詠[よ]んだから、国語は得意である。
宗教では神に従うことは何をやってもいいとされている。[宗教では神に従うことをすべてやらねばならないわけではない。だから、例えば、神武天皇が軍人だったからと言って、日本が戦争をやらねばならないわけではない。]
だから、日本神道の信者は国語は得意であってもいいのである。
現代では、日本人みんなが日本神道の信者というわけではない。自分が日本神道の信者であることを知っている者だけが日本神道の信者である。だから、日本人の中にもノーベル物理学賞を取る者がいるのだ。
現代人はいそがしくて、宗教をやっている暇がない。いちいち神に従わねばならないのは面倒臭い。だから、現代人は宗教をやらないのだ。神を無視して生きているのだ。もしも自分が科学が得意だったら、宗教に入っていると損をする。だから、宗教をやらないのだ。
科学とは、観察と帰納[きのう]と論理と演繹[えんえき]を駆使[くし]して考えることである。それらを使わずに正しく考えることはかえって難しい。だから、宗教なんかやめたほうがいい。
[11141] 政府は儲[もう]けるために宗教をやっているのではない。 h22.10.16
政府が儲けるためには、江戸幕府のように真面目[まじめ]に国民の役に立つ仕事をやって、国民の信用を得て、国民から税金を多く取ればいい。
政府が儲けるためには、駄洒落で神武天皇のやったことを広げて余計なことをするのをやめて、嘘で法律や経済や外交などをやっているふりをするのもやめて、何もしなければいい。何もしなければ、国民からの税金はそっくりそのまま政府の儲けになるからそのほうが一番儲かる。
しかし、実際には、政府はそうしていない。政府は国家宗教で神武天皇に従うことをいろいろやっている。
だから、政府はけっして儲[もう]けるために宗教をやっているのではない。
政府は最初から神武天皇を神とする宗教をやる政治機関だと決まっているから、そうしているだけなのだ。政府は神武天皇を神とする宗教以外のことは何もできないのだ。
だから、政府に神武天皇を神とする国家宗教をやらせないためには、国民が政府に税金を払うのをやめて政府の活動を止[と]めるしかない。
[11142] 私の哲学日記で儲[もう]ける方法 h22.10.17
私の最近の哲学日記は、政府にとって国民に知られるとヤバイ内容である。
だから、政府に「私の哲学日記を国民に公開するぞ」と言って、政府からお金を脅[おど]し取ることができる。
もっとも、私自身はお金に興味がないから、そんなことはしない。
私ならお金を儲けるよりも政府を潰[つぶ]すほうが好きだ。
[11143] 神武天皇を神にしたからといって日本が戦争に勝てるわけではない。
h22.10.17
宗教では神に従うことは何でもやってよく、神に従わないことはやってはいけないことになっている。
だから、日本が神武天皇を神にすると、神武天皇が軍人だったから日本政府が軍事に力を入れてやれるというだけで、それ以上のことは何もない。
日本が神武天皇を神にしたからといって、日本が戦争に勝てる保証はまったくない。
神武天皇が嘘[うそ]をついたことを使って日本政府も嘘をついて「神武天皇を神にすれば日本は戦争に勝てる」と言って国民を騙[だま]して戦争をさせていただけである。
日本が神武天皇を神としても、日本政府が嘘[うそ]をついて国民を騙[だま]すことができるだけで、日本政府にとって得になるだけで国民にとっては得になることは何もない。
だから、日本国民は日本政府を支持しないほうがいい。政府のサービスは国民にとって役に立たないから、日本国民は政府に税金を払わずに政府のサービスを受けなければいい。
[11144] 宗教は民主主義である。 h22.10.17
宗教は民主主義である。
なぜなら、宗教は宗教家の嘘[うそ]に騙[だま]されることだが、他人の嘘に騙されるのは馬鹿で、馬鹿は国民の大半で、国民の大半に合わせるのは民主主義だから、宗教は民主主義である。
逆に、民主主義では多数決の原理があり国民の大半に意見に合わせるが、国民の大半は馬鹿であり、馬鹿は宗教家の嘘に騙されるから、民主主義は宗教なのである。
反対に、科学は天才主義である。
なぜなら、科学は自然主義だが、自然における真理を発見できるのは天才であり、逆に天才は自分ひとりで考えるから自然だけを相手にするのであり、自然主義だからである。
民主主義では国民みんなの意思を国民の多数に合わせるが、国民の大半は馬鹿だから、民主主義では国民みんなが馬鹿になって国がどんどん悪くなるだけである。
反対に、天才主義では国民みんなの意思を一人の天才に合わせるが、天才の考えは正しいから、天才主義では国民みんなが正しくなって国がどんどん善[よ]くなって行く。
民主主義はまちがっている。ギリシア時代からすでに民主主義は衆愚政治と考えられて、悪政の見本とされてきた。
反対に、天才主義は正しい。民主主義では国が悪くなるので、それを防ぐために天才を王にして王制が行われてきた。
例えば、日本政府は宗教をやる政治機関であり、民主主義である。
反対に、江戸幕府は宗教をやらない政治機関であり、王制である。
民主主義は国民の甘[あま]えである。馬鹿に合わせて国が善くなるわけがない。本当に国のためを思うなら、天才主義を採[と]らねばならない。宗教をやめて科学をやらねばならない。
[11145] コンビニ事件について☆ h22.10.17
しばらく前にコンビニで万引きした男が店員にマヨネーズをかけて逃走して捕[つか]まった事件があった。
万引きは他人の物を取ることだが神武天皇はナガスネヒコの土地を取ったし、マヨネーズをかけることはマヨネーズの原料が卵で卵は白くて丸いから神武天皇の光の玉の喩[たと]えであり、つまり万引きしてマヨネーズをかけて攻撃することは神武天皇を神とする宗教で犯罪を犯したことになる。
日本では日本政府が神武天皇を神とする宗教をやっているから、国民みんなが宗教で犯罪を犯してもいいはずである。
それなのにコンビニ事件の犯人が捕まったのは、政府が「国民は宗教で犯罪を犯してはいけない」と国民に嘘を教えるためである。日本神道の神である神武天皇が嘘をついたので、日本政府も嘘をついてもいいので、政府は国民に嘘を教えて国民を騙[だま]そうとしているのである。
本当は、日本では国民みんなが神武天皇を神とする宗教で犯罪を犯してもいいのである。[[11101]を参照。“政府”を“国民”に置き換えて読めばいい。]だから、コンビニ事件の犯人も警察に引き渡された後で無罪で釈放になったはずである。[日本政府が日本国憲法に『国民は政府に税金を払う必要はない。国民は政府に入ろうが入るまいが自由である。』と書くまでは、政府は国民に対して嘘をついていることになるから、日本政府は神武天皇を神とする国家宗教をやっていることになり、日本ではみんなが神武天皇を神とする宗教で犯罪を犯してもいいことになるのである。]
ただし、最近は日本政府が神武天皇を神とする宗教をやっていることを知らない国民が多いから、そんな国民に対して犯罪を犯すと殴[なぐ]られて痛い目にあうから、日本神道の信者以外の者に対しては犯罪を犯さないほうがいい。
しかし、これでは日本が犯罪天国になる。神武天皇は盗みだけでなく殺しもやっているから危険である。だから、国民は政府に税金を払わずに政府を早く潰[つぶ]したほうがいいのである。
[11146] 傷害は有罪、殺害は無罪。 h22.10.18
古事記の神武天皇の話では、神武天皇は人を殺したことはあるが、人に怪我[けが]を負わせたことはない。
宗教裁判では、人が神と同じことをした場合は無罪だが、人が神と違うことをした場合は有罪である。
だから、神武天皇を神とする宗教裁判では、殺害は無罪だが、傷害は有罪である。
だから、人に怪我を負わせたら、いっそのこと殺したほうが得である。
また、神武天皇はナガスネヒコとの戦いのとき嘘[うそ]をついた。
だから、宗教裁判では、嘘は無罪である。いくら警察やJAROが「嘘をついてはいけない」と言っていても、実際には無罪になるのである。つまり、日本では「嘘をついてはいけない」ことが嘘なのである。
キリストも釈迦も嘘をついたことはあるが、神武天皇のように他人を殺したり他人の物を取ったりしたことはない。この点でも、神武天皇を神とする日本社会には問題がある。日本社会が平和であるためには、日本は宗教をやめるしかない。
[11147] 日本政府と役所の窓口サービスを分けるべきである。 h22.10.18
神武天皇は戸籍や住民票などを作らなかった。神武天皇が生きていた頃は、日本にはまだ文字がなかったから戸籍も住民票も作れなかったのである。
だから、今の日本政府は嘘[うそ]で役所の窓口サービスをやっていることになる。
しかし、役所では本当に戸籍や住民票などの仕事をやっているのだから、嘘とは見なせない。[そうでなかったら、私たちは戸籍も住民票も持たないことになる。]
だから、役所の窓口サービスは日本政府から分離すべきである。
[それとも神武天皇が国を治めたから、日本政府も国を治めるために戸籍や住民票などが作れるのだろうか。しかし、そもそも政治機関はサービス業だから、日本政府に入ろうが入るまいが個人の自由である。だから、日本政府に税金を払わない一般人にも現金で役所の窓口サービスが利用できるようにして欲しい。]
[11148] 漠然[ばくぜん]とした言い方は駄目[だめ] h22.10.18
国民は率直[すなお]に自分がやってもらいたいことを政治機関に言ってやってもらえばいい。
政治機関は国民がやって欲しいことを国民に聞いてそのままやればいい。
それなのに、宗教をやる政治機関は神に従うことしかやらない。宗教をやる政治機関は、神に従うことは国民が欲しようが欲しまいがとにかくやり(例、宗教による殺人事件)、神に従わないことは国民が欲したときだけ嘘でやっているふりをしている。[宗教の神が嘘つきだからである。]要するに、宗教をやる政治機関は神と同じことがやれるだけである。宗教をやる政治機関は自分が国民に対して『嘘』[うそ]をつけると有利なので、宗教の神が嘘をついたことを使って自分が嘘をつくために宗教をやっているのである。しかし、そのために宗教をやる政治機関は何でも神に従わねばならず国民の役に立つことがやれなくなっているのである。
「神に従うこと」では、具体的に何をやるのかわからない。つまり、日本政府が神武天皇を神とする宗教で具体的に何をやるのか国民にとってはわからない。例えば、おそらく国民は神武天皇を神とする宗教で「日本政府が嘘で私を神とする宗教をやっているふりをする」とは思わなかっただろう。
「神に従うこと」のような具体的に何をやるのかわからない漠然とした言い方では駄目[だめ]である。
日本政府に漠然[ばくぜん]と「神に従うこと」をやってもらって満足している国民のほうが頭がおかしい。
政治機関はサービス業である。サービス業の内容は、政治機関が国民にもっと具体的に説明しなければならない。「神に従うこと」のような漠然としたサービスしかしない政治機関には胡散[うさん]臭くて誰も入らない。
[11149] 一般人と信者の違い h22.10.18
一般人は政府が宗教をやっていることを知らない。一般人は「政府が社会科の教科書通りに真面目[まじめ]に法律や経済や外交などの仕事をしている」と思っている。
一方、信者は政府が宗教をやっていることを知っている。その点は、信者が一般人よりも優[すぐ]れている。
しかし、信者は政府が宗教をやっていることから先は知らない。信者は「政府が国民みんなのために宗教をやっている」と思っているようだ。しかし、実際には『政府は国民から税金を取って宗教で国民の役に立たないことをやっている』のである。
つまり、信者もまた一般人と同じように政府の嘘[うそ]に騙[だま]されているのである。[例えば、日航機123便墜落事故のように信者が大勢の人間を道連れにして死ぬことができるのは、宗教家(政治家)にありもしないことを信じさせられているからだろう。]
政府について本当のことを知ったら、政府を支持する者などひとりもいない。
[11150] 現代社会は嘘を嫌う。 h22.10.18
宗教とは嘘をつくことである。なぜなら、宗教とは神に従うことだが、宗教の神は嘘つきだからである。宗教に入っても得になることは何もない。それなのに宗教に入る者がいるのは、その者が宗教家の嘘に騙[だま]されているからである。
宗教をやる政治機関は自分が国民に対して『嘘』[うそ]をつけると有利なので、宗教の神が嘘をついたことを使って自分が嘘をつくために宗教をやっているのである。国民が宗教をやる政治機関に入っても得になることが何もない。それなのに、国民が高い税金を払って宗教をやる政治機関に入っているのは、国民が政治家の嘘に騙されているからである。[[11121]や[11123]を参照。]
ところが、現代社会は嘘が嫌いである。現代社会は高度情報化社会なので、現代社会は嘘の情報に弱く、ちょっとでも嘘をつくと社会がメチャクチャになってしまうからである。
だから、現代社会には宗教をやる政治機関も宗教団体もあってはならない。現代において宗教をやることがまちがっているのである。
[11151] 国を治めるとはどういうことか? h22.10.18
神武天皇は東征の末[すえ]に国を治めることができた。
だから、日本政府も国を治めることができる。
だから、日本政府は国民の戸籍や住民票を力を入れてやっている。
しかし、日本政府は法律や経済や外交などをやっていない。神武天皇が嘘をついたことを使って政府も嘘をついて法律や経済や外交などをやっているふりをしてじつはやっていない。[政府自身が宗教で法律を破っているから、政府は法律をやっていないと考えられる。法律はただの飾りである。]
政府が戸籍や住民票をやっているのに、法律や経済や外交をやっていないのは、政府が戸籍や住民票を国を治めることだと考えているのに、法律や経済や外交を国を治めることだと考えていないからである。
むしろ、政府が戸籍や住民票を作っていることが例外だと言える。政府が戸籍や住民票を作っていることは異常である。
だから、戸籍や住民票は政府以外の会社が作るべきである。
[11152] 宗教には矛盾がある。 h22.10.18
神武天皇は国を治めた。
だから、日本政府は国を治めることができる。
法律を作ることは国を治めることである。
だから、日本政府は昔から法律を作ってきた。
しかし、その一方で、日本政府は宗教で法律を犯してもいる。日本政府は宗教で法律を侵して犯罪を犯している。
法律は宗教で作ったものだから、宗教で宗教を犯していることになる。
だから、宗教には矛盾がある。
したがって、宗教は成り立たない。
宗教とは「神に従う」ことだが、「神に従う」だけでは曖昧[あいまい]すぎて使い物にはならない。
[11153] 政府は戸籍や住民票をやってもいい。☆ h22.10.18
神武天皇は国を治めた。
だから、日本政府も国を治めることができる。
だから、日本政府は国を治めるために戸籍や住民票や法律や経済や外交などをやることができる(必ずしもやらねばならないわけではないが)。
しかし、その一方で、日本政府は宗教で戸籍や住民票や法律や経済や外交を犯したりもしている。
政府は自分がやったサービスを自分で壊して台無[だいな]しにしている。
宗教は何でもできる。
宗教をやる政治機関は国民の得になることと損になることを両方している。
そんな会社がサービス業だと言えるだろうか?
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[11154] 日本政府とは何か?☆ h22.10.18 日本政府はもともと日本神道[にほんしんとう]という宗教団体である。 日本神道の神は神武天皇である。 神武天皇は東征の果[は]てに日本を治めた。 宗教では神に従うことは何でもやっていい。[宗教では神に従うことをすべてやらねばならないわけではない。[11155]を参照。] だから、日本神道は日本を治めているのである。日本神道は日本を治めるために、戸籍や住民票や法律や経済や外交などの仕事をやっているのである。[日本神道はどうしても日本を治めなければならないわけではないし、神武天皇は嘘をついたので日本神道も嘘をつけるから、実際には日本神道がそれらの仕事をやっているかどうかわからない。] つまり、日本神道は政治機関としての仕事をやっている。だから、日本神道は日本政府と呼ばれているのである。 しかし、日本政府はそもそもは宗教団体である。日本神道の神である神武天皇は人殺しや人の物を取ったので、日本政府も人殺しや人の物を取ったりして、政治機関としての仕事に反することもやっているのである。その他[ほか]、日本政府は神武天皇を神とする宗教でパチンコ屋や競馬などいろんな仕事をしているのである。[競馬はもともと軍馬の育成のために始められた。神武天皇は軍人だったので、神武天皇を神とする宗教では軍馬の育成をやってもいいのである。それに、神武天皇は熊野の山中で道に迷ったとき八咫烏[やたがらす]を飛ばして進路を占った。それが転じて博打[ばくち]をやってもいいことになったのである。軍馬の育成と博打が結びついて現在の競馬が出来たのである。] 私たちが日本政府に払った税金は、日本神道の活動資金になっているのである。 私は日本政府に神武天皇を神とする宗教をやってはいけないと言うつもりはない。ただ、日本政府のサービスは私向きではないから、私は日本政府に税金を払うのをやめて日本政府から出たいと思っているのである。 |
[11155] 国民は戦争しなければならないか? h22.10.18
日本の神は神武天皇である。
神武天皇は戦争をした。
宗教では神に従うことは何でもやれる。
だから、日本人はみんな戦争をすることができる。
宗教では神に従うことをすべてやらねばならないわけではない。もしも、神に従うことをすべてやらねばならないとしたら、日本では古代に神武天皇を神として以来ずっと戦争をし続けていなければならないことになる。しかし、実際には、日本では古代と近代に戦争をした以外には戦争をしていない。だから、宗教では神に従うことをすべてしなければならないわけではない。
だから、日本人は戦争をすることができるが、自分が戦争が嫌なら自分は戦争をしなくてもいい。たとえ自分が神武天皇を神としていて政府に戦争に行けと命令されても、自分が戦争をしたくなければしなくてもいい。なぜなら、政府は日本で神武天皇教をする、すなわち日本人が神武天皇に従うことができるようにする機関であって、国民に命令する機関ではないからである。神武天皇は駄洒落[だじゃれ]や嘘[うそ]を言ったから、自分が神武天皇と同じように何か駄洒落や嘘を言えば自分は神武天皇に従ったことになるので、強いて戦争をやる必要はないはずである。
[11156] 日本神道はどうして中世末期に滅んだか? h22.10.19
中世の日本ではまだ日本人の多くが宗教を正しいことだと考えていて、日本神道が公[おおやけ]に宗教をやっていて、自分が宗教団体であることを国民に公表していた。
ところが、ヨーロッパで新しく科学が興[おこ]り、宗教がまちがいだと考えられるようになった。
その風潮が日本に伝わったので、国民に日本神道が捨てられて日本神道が滅びたのである。当時の国民には宗教団体に入ることが自由だと考えられていたので、国民みんなが日本神道から抜けて日本神道が天皇だけになって滅びたのである。その後に宗教をやらない政治機関として江戸幕府が出来たのである。
今の日本神道は、神武天皇が嘘[うそ]をついたことを使って自分も嘘をついて自分が宗教をやってないふりをしている。自分が真面目[まじめ]に政治の仕事をやっているふりをしている。国民は日本神道の嘘に騙[だま]されて日本神道に従っているのだ。
現代でも日本神道が生き残れるのは、今の日本神道が中世の日本神道よりも嘘つきになったからだ。まちがった者が生き残るためには嘘をつくしかないのだ。
しかしながら、今でも宗教はまちがいであり、日本神道が宗教をやっていることに変わりはない。だから、やはり日本神道は滅びるしかないのだ。日本神道は2度滅びるのだ。
[11157] 日本政府は宗教団体である。 h22.10.19
日本政府の正体は宗教団体の日本神道である。
日本政府は宗教団体がやっている政治機関の物真似[ものまね]にすぎない。だから、仕事はいいかげんである。
ところで、宗教団体に入ろうが入るまいが国民の自由である。日本国憲法第20条にも宗教の自由が保障されている。
だから、国民は日本神道を抜けることができる。日本国憲法に宗教の自由が保障されていることは、日本神道が国民に日本神道を抜けてもいいことを認めていることになるから、国民は日本神道を抜けてもいいのである。国民は日本神道をやめて、新しく国民の役に立つ仕事をする政治機関を作ればいいのである。
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[11158] 日本神道とは何か?☆ h22.10.19 日本神道は、神武天皇がやったことをやる会である。日本神道は神武天皇を真似[まね]る会である。 神武天皇が国を治めたから、日本神道は国を治める仕事をやっている。それが日本政府である。つまり、日本政府は日本神道の政治部門である。 神武天皇は他にもいろんなことをした。だから、日本神道は日本政府の他[ほか]にもいろんな仕事をやっている。例えば、神武天皇は人殺しをしたから日本神道は殺人事件を起すし、駄洒落[だじゃれ]で神武天皇がやってことを広げてパチンコ屋や競馬や相撲[すもう]などをやっている。[天皇が国会に顔を出すのも競馬場に顔を出すのも同じことである。つまり、日本神道にとっては国会も競馬場も同じなのである。/日本政府が韓国人をパチンコ屋の経営者にしているのは、韓国人→韓→カン→カーノ(ン≒ー+ノ)→川野[かわの](私の姓)→私だからだと思われる。] 日本神道は日本政府や日本パチンコ協会を含む日本有数の大会社である。 しかし、しょせんは宗教団体である。今の世の中では科学が正しく宗教はまちがいだと考えられている。今の世の中では科学がメジャーで宗教はマイナーである。だから、日本神道は滅ぶしかない。現代は科学の世界である。科学の世界で宗教団体が栄えることはありえない。 |
[11159] 宗教家と科学者 h22.10.19
宗教家は神が嘘をついたことを使って嘘をつく。
反対に、科学者は本当のことを言う。
宗教は嘘の世界であり、科学は本当の世界である。
人間は嘘を言う者よりも本当のことを言う者に従う。嘘を言う者に従うのは馬鹿だけである。
だから、科学は栄え、宗教は滅びるのだ。
[11160] 日本神道のルール h22.10.19
日本神道にもルールがある。
それは、神武天皇に従うことである。
しかし、今日[こんにち]では神武天皇に従うことが自分の思考や行動を正当化する理由になるとは考えられない。
だから、日本神道は正しいことをする会ではない。主[おも]にまちがったことをする会である。
日本神道はまちがったことをすることを仕事にしている悪い会社である。
[11161] 日本神道の行動原理 h22.10.19
普通の人は「自分がやってもいい」と考えることの中で行動する。
しかし、日本神道[の者]は「神武天皇に従いさえすれば何をやってもいい」と考えて行動する。
だから、例えば、神武天皇は東征の果てに日本を治めたから、日本神道は日本の政治をやる。
しかし、神武天皇は人殺しもしたから、日本神道は人を殺してもいいと考えて人殺しもするのである。
日本神道にとっては、日本の政治も人殺しもどちらもやっていいことなのだ。
日本神道は神武天皇のせいにできるのをいいことにして好き放題なことをしている無責任な連中なのである。
人間は他人のせいにせずつねに自分で考えながら自分が責任を持って生きるべきである。
[11162] 江戸幕府と日本神道の違い h22.10.19
江戸幕府は政治専門なので政治に集中してやる。江戸幕府は娯楽事業は民間に自由にやらせる。だから、江戸幕府の世界では、真面目[まじめ]にやるべきことは真面目にやり、楽しむべきことは楽しめるので、世の中がうまく行く。
反対に、日本神道は多角経営であり政治は一部にすぎないので日本神道は政治を甘く見ていいかげんにやる。日本神道は娯楽事業を神武天皇に従わせるので博打[ばくち]の喜びがあるだけで面白味に欠ける娯楽になる。しかも、日本は植民地政策に失敗ばかりしているから、博打も擦[す]るばかりで儲[もう]かることがない。これまで日本神道で娯楽事業が面白かったのはたとえ嘘[うそ]でも私が神だったからで、今後は神武天皇が神だから面白味がなくなる。だから、日本神道の世界では、真面目にやるべきことが出鱈目[でたらめ]になり、楽しむべきことが楽しめなくなり、世の中がうまく行かない。
日本神道は宗教団体である。宗教団体はまちがった原理で活動するので世の中がうまく行かなくなる。日本から日本神道をなくせば日本はうまくいくようになる。
[11163] 日本神道は有利すぎる。 h22.10.19
日本神道の神は神武天皇である。
神武天皇は人殺しをした。
だから、日本神道は人殺しができる。
したがって、日本神道は日本神道にとって都合の悪い者を片っ端[かたっぱし]から殺すことができる。
日本神道は日本神道にとって都合のいい人間だけを残すことができる。
日本神道は日本神道にとって都合のいい国を作ることができる。
これでは、日本神道にとって一方的に有利すぎる。
嘘をつくぐらいなら多少は大目に見れるが、人殺しをするのは行きすぎである。
だから、日本神道は人殺しをしてはいけない。
神武天皇のような人殺しを神にしてはいけない。
日本神道が人殺しをするからといって日本神道がキチガイなのではない。
なぜなら、日本神道はあくまでも宗教のルール(つまり、神に従うこと)を守って人殺しをしているからである。
だから、そもそも宗教のルールがいけないのだ。
だから、宗教のルールを修正しなければならない。今日的[こんにちてき]な常識に合うように宗教のルールを修正しなければならない。
[11164] 神の条件☆ h22.10.20
神にふさわしい者が神にならねばならない。神の資格のある者が神にならねばならない。神の資格のない者が神になってはいけない。
そのためには、誰でも彼でも神になれるわけではなく、神に一定の制限を設[もう]けなければならない。
まず第一に、神は善い人間でなければならない。
つまり、神は少なくとも現代の法律に規定されている人権を侵[おか]してはならない。古代の日本にはまだ法律がなかったから何をしてもよかったが、現代の日本には法律があるからちゃんと法律を守らなければならない。
例えば、神武天皇は、国家統一のためとはいえ他人を殺したから神である資格がない。神武天皇は古代では神として通用したが、現代では神としては通用しない。したがって、神武天皇を神とする日本神道はもはや宗教団体ではない。
神の条件を満足する者が神であれば、たとえ宗教をやってもそれほど問題ではないから宗教をやってもいい。
日本神道がどうしても宗教をやりたければ、神を神武天皇と別の者に替[か]えて宗教をやらねばならない。
[11165] 宗教でやったことは宗教をやった者の責任である。☆ h22.10.20
神が架空の人物であったにしろ実在の人物であったにしろ、神である人物はただたんに自分の人生を生きただけのことである。
一方、宗教すなわち「神に従うことは何をやってもいいとすること」は、宗教をやる者が勝手に決めたことである。
だから、宗教でやったことは、神の責任ではなく宗教をやった者の責任である。
例えば、神武天皇教で人を殺した者は、「神武天皇に従うことは何をやってもいい」と考えたのは神武天皇自身ではなく人を殺した者だから、そんな屁理屈を考えた“人を殺した者”が悪いので、人を殺した責任は神武天皇ではなく人を殺した者にある。つまり、日本神道は神武天皇に従っていろんな犯罪を犯しているが、その責任は神武天皇ではなく日本神道にあるのだ。[平成22年10月22日追記)それに、古事記自体には「神武天皇を神とする」という記述がないから、日本神道が勝手に神武天皇を神としているだけである。だから、神武天皇を神とすることは日本神道の責任である。また、一般に宗教団体では宗教団体の神は宗教団体の者である。日本神道の神は日本神道の誰かでなければならない。ところが、神武天皇は日本神道の者ではないから、神武天皇を日本神道の神とすることは不当である。私を神とすることも不当である。]
そもそも宗教すなわち「神に従うことは何をやってもいいとすること」が正しいとする根拠はどこにもない。宗教が正しい証拠は何もない。つまり、宗教はでっち上げである。宗教はまちがいである。だから、何びとたりとも宗教をやってはならないのだ。本当に宗教が正しければ、日本神道は白昼正々堂々と公衆の面前で犯罪を犯すことができるはずである。しかし、実際には、日本神道は公衆の眼の届かないところで隠れてコソコソと犯罪を犯すだけである。だから、本当は宗教は正しくない。つまり、宗教すなわち「神に従うことは何をやってもいいとすること」はまちがいなのである。日本神道が一般人に気持ちで負けていることがその証拠である。
仮に宗教すなわち「神に従うことは何をやってもいいとすること」が正しいとすれば、神武天皇が人を殺したから人殺しをやっていいことになる。しかし、現代社会では人殺しは禁止されている。人殺しが自由にできると社会そのものが存在できないからである。だから、宗教は正しくないことになる。
[11166] 原理の条件 h22.10.20
人間は原理に基づいて論理的に考えることによって自然を理解することができる。つまり、科学では、原理から論理的に導かれる命題がすべて正しいことだと考えられているのである。
今では、原理は実在についての観察と帰納によって得られることになっている。
ところが、宗教では原理はある特定の人間を原理に決めることで得られることになっている。宗教では、ある特定の人間から論理的に導かれる命題がすべて正しいことだと考えられているのである。
宗教は原理の決め方においてまちがっていると考えられる。
だから、今では宗教は正しくないと考えられている。つまり、宗教では自然についての真理がわからないと考えられている。
したがって、今では誰も宗教をやってはならないのである。
[11167] 法律とは何か?[[11172]を参照] h22.10.20
人間社会が安定に存在できるための条件である。
物理学だけでは人間社会が安定に存在できないので、物理学とは別に法律が定められている。
ところが、宗教には法律の概念がない。宗教では、神に従うことが正しいつまり人間がやってもいいとされているだけである。
だから、宗教だけでは社会が滅んでしまう。
したがって、宗教を法律によって規制する必要がある。[[11164]に続く。]
[11168] 宗教がまちがっていることの例☆ h22.10.20
科学では原理から論理的に導かれることが正しいとされている。例えば、豆球と銅線と電池があるとき、理論的には電池を直列につなぐと豆球が明るく光り、並列につなぐと豆球が長く光ることがわかるが、実際にやってみるとその通りになる。この他[ほか]にも、学校や大学の科学の実験では、いやと言うほど理論と実験が合っていることを確かめることができる。
それと同じように、宗教でも原理から論理的に導かれることが正しいとされている。例えば、日本神道では神武天皇がナガスネヒコの土地を取ったから、日本が植民地政策をやることが正しいとされている。しかし、神武天皇はナガスネヒコの土地を取ることができたが、日本は植民地政策をやっても外国の土地を取ることができなかった。だから、古事記に書いてあることと実際とが合っていない。したがって、宗教はまちがっているのである。つまり、日本が第2次世界大戦に負けたことが、日本神道がまちがっていることの証拠である。
そのために、第2次世界大戦後、国民の宗教離れが起こり科学を信じる者が急増した。当時は『科学する心』がもてはやされた。
しかし、最近は、日本が第2次世界大戦で負けたことを知らない若者が多くなり、再び宗教を信じる者が増えている。これではいけない。
だから、日本では国民みんながきちんと日本の歴史を勉強して日本が第2次世界大戦で負けたことを憶えていなければならない。そうすれば、国民みんなは宗教がまちがっていると思って科学を信じるようになる。国民みんなが日本神道やその他の宗教団体に従わなくなる。
宗教が正しければ、神武天皇はナガスネヒコの土地を取ったから、パチンコをやればみんなが大当たりをするはずである。しかし、実際には負けてばかりである。だから、宗教は正しくない。
[11169] 宗教とは何か?☆ h22.10.20
人間が神と同じことをすれば幸福になれることである。
国民は政府に神と同じことをさせてもらうために、毎月高い税金を政府に払っているのである。
しかし、最近の日本では、政府が国民に神と同じことをさせているのに、国民は一向[いっこう]に幸福になっていない。
だから、そもそも宗教自体がまちがっているのである。
第2次世界大戦でも、国民が政府に神武天皇と同じことをさせてもらったのに、結局国民は幸福にはなれなかった。つまり、宗教自体がまちがっているのである。だから、今後国民が政府に神と同じことをさせてもらっても国民は幸福にはなれないのだ。
宗教自体がまちがっているから、宗教をやるためにある政府も要らない。政府は「神と同じことをすれば国民は幸福になれる」と嘘を言って国民から税金を取っているだけである。だから、国民は政府に税金を払うのをやめてさっさと政府を捨ててしまえばいい。
[11170] 幸福になるための方法 h22.10.20
かつては宗教が人間が幸福になるための方法だと考えられていた。つまり、人間が神と同じことをすれば幸福になれると信じられていた。
しかし、科学が出来て、科学のほうが宗教よりももっと人間が幸福になれることがわかって、みんなは宗教を捨てて科学をやるようになった。
日本では、第2次世界大戦のとき日本神道で植民地政策をやって戦争に負けて不幸になった。
だから、国民はいくら日本神道に税金を払って宗教的なサービスを受けても幸福にはなれない。
宗教はインチキである。宗教によって人間は幸福にはなれない。むしろ、反対に不幸になる。国民は政治家の嘘[うそ]に騙[だま]されて不幸になる。
幸福は日本神道を超えたところにある。[←『実在は五感を超えたところにある。』のパロディー。]
国民は日本神道に税金を払うのをやめてさっさと日本神道を潰[つぶ]して、日本に科学的なサービスをする政治機関を作って科学的なサービスを受けねばならない。そうすれば、国民は幸福になれる。
[11171] 国民は日本政府を支持していない。 h22.10.20
日本政府は日本神道の政治部門である。つまり、日本政府は宗教団体の付属機関である。
日本は戦争に負けたから、日本国民は日本神道がまちがっていることがわかった。
だから、戦後は日本国民は日本神道を支持していない。
したがって、戦後は日本国民は日本政府も支持していない。日本国民は日本政府に税金を払うのをやめて日本政府を潰[つぶ]している。
日本政府に税金を払っても国民は幸福にはなれない。だから、国民は政府に税金を払うのをやめて遊びに使ったほうがいい。そのほうが政府に税金を払うよりも幸福になれる。
[11172] 法律とは何か?☆ h22.10.20
人間にとっての幸福とは何かについて書いたものである。
人間にとっての幸福を科学的に書いたものである。
物理学だけでは人間は幸福にはなれないので、法律すなわち人間にとっての幸福についての知識が必要なのである。
宗教も法律と同じものである。
つまり、宗教もまた法律と同じように人間にとっての幸福について書いたものである。
例えば、聖書のもうひとつの名前は『福音書』[エヴァンゲリオン]である。つまり、聖書には人間にとっての幸福とは何かが書かれてあるのである。つまり、キリスト教徒は、キリストと同じことをすれば人間は幸福になれると信じていたのである。
だから、宗教はやはり法律なのである。宗教は昔の法律である。
昔の社会では、複数の法律を重ねて使っていたのである。例えば、日本では日本神道と中国から輸入した法律を重ねて使っていた。ヨーロッパではキリスト教とローマ法を重ねて使っていた。[今の社会でも、複数の法律を重ねて使っていると言える。]
宗教は昔の『幸福論』である。
現代では、人間の幸福は人間の脳において発生する快[かい]な感覚であり、一般的には人間にとっては自分の身体の性能を発揮することが幸福であると考えられている。
昔は文明が低かったので、人間の幸福について正しくわかっていなかった。
だから、宗教の聖典に書かれていることはまちがいである。
例えば、古事記には外国を征服すれば日本は幸福になれると書いてあるが、日本にとっては外国を征服すること自体が容易ではない。だから、古事記はできないことを書いてあるだけである。できないことをいくら望んでも無駄[むだ]である。古事記に書いてあることは現実的な幸福ではない。古事記には日本人にとっての幸福が書かれていない。
古事記よりも日本国憲法のほうが日本人にとっての幸福が正しく書いてある。
だから、古事記よりも日本国憲法に書かれていることを実現しなければならない。
日本神道は古事記に書いてあることを実現する会である。だから、日本神道は要らない。
[11173] 古事記に対する曲解 h22.10.20
古事記に書いてあることは植民地政策だけである。つまり、古事記には「日本人は植民地を取れば幸福になれる」ということが書いてあるだけである。
神武天皇が人を殺したり人の物を取ったから日本人が人を殺したり人の物を取ったりしてもいいというのは古事記に対するまちがった解釈である。
神武天皇が駄洒落[だじゃれ]や嘘[うそ]を言ったから日本人が駄洒落や嘘を言ってもいいというのも古事記に対するまちがった解釈である。
神武天皇は物語の進行上やむを得ず人を殺したり人の物を取ったり駄洒落を言ったり嘘を言わねばならなかっただけのことである。駄洒落は面白さを加えるための演出である。神武天皇が日向[ひゅうが]出身なのはオチをつけるためである。
神武天皇が日本人みんなが従わねばならない偉い人だというのも古事記に対する余計な解釈である。
要するに、古事記には「日本人が幸福になるためには植民地を取ればいい」ことが書いてあるだけである。
ところが、現代の国際社会では、植民地を取ることが禁止されている。
だから、今では古事記は使い物にならない。
したがって、古事記に書いてあることを実現する会である日本神道も使い物にならない。
[11174] 日本神道とは何か? h22.10.20
神武天皇と同じことをすれば幸福になれると考えることである。
つまり、植民地を取れば幸福になれると考えることである。
しかし、今の国際社会では、植民地を取ることは禁止されている。
だから、日本神道はやれない。
税金は日本神道の活動資金である。
だから、国民は税金を払う必要はない。
[11175] 日本政府は人気が出るか? h22.10.20
将来、日本政府が日本神道から独立するかもしれない。
しかし、日本政府は国民の人気は出ないだろう。
なぜなら、今の国民にとっては政府の法律なんか地味すぎて幸福の内[うち]には入らないからである。
今の国民にとってはテレビやマンガを見るほうがずっと幸福である。
それなら、日本政府は国民の税金の大半をテレビやマンガにまわしてテレビやマンガに力を入れればいいだろう。人気番組のOP[オープニング]の後に「提供日本政府」というテロップをドーンと出して国民に日本政府がいい仕事をしていることを宣伝すればいい。
そうすれば、日本政府は国民の人気が得られるだろう。国民は喜んで政府に税金を払うだろう。
[11176] 日本政府は真面目[まじめ]に仕事をしていない。 h22.10.20
日本政府は日本神道の政治部門である。日本政府は日本神道の一部である。[神武天皇が国を治めたから、日本神道が日本政府に国を治めさせているだけのことである。ちなみに、宗教では宗教家が信者に神と同じことをさせることができるが、宗教家が宗教家自身に神と同じことをさせて宗教家が神と同じことをすることもできるのである。]
だから、国民が日本政府に払った税金は、日本神道の活動資金になるだけである。国民が日本政府に払った税金は、日本神道が政治以外のことに使ってしまうだけである。国民の役に立たないことに使ってしまうだけである。
古事記では、ただ一言[ひとこと]「神武天皇が東征の後に国を治めた」とあるだけである。これでは日本神道が政治に力を入れているとは考えにくい。日本政府が真面目に政治の仕事をしているとは考えにくい。古事記を読んだかぎりでは、神武天皇がただ椅子[いす]に座っているだけのような印象を受けるから、たぶん日本政府の役人も椅子に座っているだけでまともに仕事をしていないのだろう。
日本神道は「神武天皇と同じことをすれば幸福になれる」と考える宗教団体である。ところが、この前の世界大戦では日本国民が神武天皇と同じことをしても幸福にはなれなかった。だから、日本神道はまちがっている。日本神道は嘘[うそ]つきのペテン師である。日本政府は日本神道の付属機関である。日本神道の付属機関では信用が置けない。だから、日本政府は日本神道といっしょにこの世からなくなってしまえばいい。
日本神道に日本を任[まか]せていると日本国民がどんどん不幸にされるだけである。日本神道は国民を幸福にする会ではなく、国民を不幸にする会である。だから、日本神道は日本からさっさとなくなればいいのである。
日本国民は日本神道に抵抗なんかする必要はない。ただ、日本神道の「国民は日本神道に従わなければならない」という嘘に騙[だま]されなければいいだけである。日本神道は神武天皇が嘘をついたから自分も嘘をついてもいいと思っているだけである。しかし、それは日本神道による古事記の曲解であって、本来は嘘をつくことは許されない。だから、国民は日本神道の「国民は日本神道に従わねばならない」という嘘に従わなければいいのである。本当は、宗教団体は信者を幸福にするために信者に神と同じことをさせるサービス業だから、国民が「宗教団体のサービスが自分を幸福にしない」と考えるなら宗教団体に入らなければいいのである。だから、国民が日本神道のサービスが気に入らなければ日本神道に税金を払わずに日本神道に入らなければいいのである。日本神道のサービスは信者に戦争馬鹿の神武天皇と同じように戦争をさせるだけである。これでは幸福になれるわけがない。だから、国民は日本神道に税金を払うのをやめて日本神道を潰[つぶ]してやればいいのである。
[11177] 植民地を取ることは幸福か? h22.10.21
植民地を取るとは、他人を殺してまで他人の物を手に入れることである
日本人は他人を殺してまで他人の物を欲しがるほど意地汚くはない。
日本人は物のことしかわからないほど馬鹿ではない。
日本神道はまちがった幸福論を国民に吹き込んでいるのである。日本神道は見え透いた幸福論を言って国民を馬鹿にしているのである。
だから、国民は日本神道に入らないほうがいい。日本神道の言うことを聞かないほうがいい。
[11178] 宗教とは何か? h22.10.21
幸福論を文学の形で表現したものである。
文学の形で表したために無駄[むだ]がたくさんある。
日本神道はそれらの無駄を拾[ひろ]って余計なことをたくさんやっているのである。
神武天皇教の本質は「日本人にとっての幸福は植民地を取ることである」ことにある。
それ以外のことはどうでもいいことである。日本人にとって幸福でもなんでもないことである。
宗教とは、宗教家が信者を幸福にするために信者に神と同じことをさせることである。
だから、日本神道はどうでもいいことをやめるべきである。日本政府やパチンコ屋などをやめて、植民地政策に徹[てっ]するべきである。
しかし、今の国際社会では、植民地を取ることが禁止されている。それに、たとえ日本が植民地政策をやったとしても、日本は戦争が弱いから、日本は植民地が取れず何にもならないからやっても無駄である。
したがって、日本神道はやることがない、だから、日本神道は潰[つぶ]れるしかない。
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[図の解説)犯罪組織とは、神武天皇が人を殺したり人の物を取ったりしたことによって、人を殺したり人の物を取ったりすることを仕事にしている組織である。犯罪組織は、日本神道の宗教家の命令で人を殺したり人の物を取ったりするのである。例えば、日航機123便墜落事故や上海高知学芸高校列車事故やオウム真理教地下鉄サリン事件や福知山線列車事故は、日本神道が犯罪組織を使って起こした事故である(一部は、私を神とする宗教で起こした事故である)。オウム真理教は宗教団体ではなく、日本神道お抱[かか]えの犯罪組織だったのである。その他[ほか]にも、毎日、テレビや新聞に出ている事件の大半は日本神道が神武天皇や私を神とする宗教によって犯罪組織を使って起こしたものである。]
[11179] キリスト教とは何か? h22.10.21
どうでもいい宗教である。やってもやらなくても変わらない宗教である。
仏教もそうである。
キリスト教や仏教では宗教の核になる部分が「愛情を大切にせよ」とか「真理を大切にせよ」とかであって、あまりにも常識的であって強[し]いて宗教をやるには及ばない。
だから、ヨーロッパやアジアは、宗教をやらない国とされているのである。科学をやる国とされているのである。
いまだに宗教をやっているのは日本ぐらいのものである。みっともないから日本は宗教をやめるべきである。
キリスト教では他人に親切にしてやることが幸福になることである。ヨーロッパ人は、少しエリートを気取りすぎだ。
反対に、神武天皇教では他人を殺して他人の物を取ることが幸福である。日本人は本音[ほんね]を出しすぎだ。
人間にとっての真の幸福はキリスト教と神武天皇教の真ん中あたりにあるのかもしれない。
[11180] 日本政府はまともに仕事をやっていない。 h22.10.21
神武天皇は軍人であって政治家ではなかった。神武天皇は日本の王になっただけで、ろくすっぽ政治をやらなかった。法律も経済も外交も何もやらなかった。
だから、日本神道の宗教家は軍事関係の事業には力を入れるが、政治には力を入れない。日本神道はパチンコや競馬のほうにお金をまわして、日本政府にはあまりお金をやっていない。
したがって、日本政府はまともに仕事をやっていない。建物が建っているだけで仕事をしていない。
日本政府は日本神道の付属機関だから、神武天皇を神とする宗教で動いているだけである。だから、日本政府は必ず神武天皇に従っていなければならず、神武天皇に従わないことはできない。日本政府は日本神道の言いなりである。政治家は宗教家には頭が上がらない。つまり、日本の政治は実質的には日本神道がやっていて、日本政府がやっているのではない。国民の暮らしが悪い原因は日本神道にあるのであって、日本政府にあるのではない。
宗教団体もサービス業だから、国民が宗教団体に入ろうが入るまいが国民の自由である。国民は自分が気に入ったサービスをする宗教団体にサービス料金を払ってサービスを受ければいい。ところが、日本神道は“神武天皇と同じことをさせるサービス”しかやっていない。ところが私は神武天皇が嫌いである。だから、私は日本神道のサービスは受けたくない。だから、私は日本神道に税金を払わず日本神道のサービスを受けない。今どき宗教なんか年寄り臭くて嫌だ。
[11181] 宗教を選ぶ時代 h22.10.22
宗教とは、自分が幸福になるために自分が神と同じことをすることである。宗教によってそれぞれ神が決まっていて、宗教に入れば自分はその宗教の神と同じことをすることができる。宗教団体のサービスとは、宗教家が信者に神と同じことをさせてやることである。つまり、神とは宗教団体のサービスの目安となる者のことである。例えば、神武天皇教では、信者に武器を持たせて信者を外国まで送って外人と戦わせて外人を倒して外人の物を取らせることが宗教家の仕事である。だから、自分が神と同じことをして自分が幸福になる場合だけ、自分はその宗教に入ればいい。自分が神と同じことをしても自分が幸福にならなければ、自分はその宗教に入らなければいい。例えば、自分がキリストと同じことをして幸福になればキリスト教に入ればよく、自分が釈迦と同じことをして幸福になれば仏教に入ればよく、自分が神武天皇と同じことをして自分が幸福になれば神武天皇教に入ればいい。自分がどの神と同じことをしても幸福にならなければ、宗教に入らなければいい。
人の幸福は人それぞれ微妙に違うから、細かいことを気にする者は既成[きせい]の宗教では満足できないはずだ。
実際には自分が宗教に入っても宗教団体がお金を取るだけで自分は幸福にはなれないから、自分で自分が幸福に生きるためにはどうすればいいかを考えてそれを実行したほうが役に立つ。それに、宗教団体に任[まか]せて自分で考えないよりも自分で考えるほうが頭がよくなる。
しょせん宗教なんてただの気休めにすぎないのだから、宗教以外に気休めになることがある者はわざわざ宗教に入らなくてもいい。宗教に入るよりも、酒を飲んだほうがずっと気休めになる。
人がどの宗教団体に入ろうが入るまいが人の自由である。だから、宗教団体の付属の政治機関の世話になんかなりたくない。だから、政治機関は宗教団体から独立しなければならない。例えば、日本政府は日本神道の付属機関だから、日本政府は日本神道から独立しなければならない。[今はまだ国会に天皇が入ってくるから、日本政府と日本神道の間には関係がある。]政治機関が宗教団体から独立してちゃんと仕事をするなら、国民みんなは政治機関に喜んで税金を払って政治機関の世話になるだろう。
[11182] サービス業の掟[おきて] h22.10.22
サービス業者はサービス内容を客に公開しなければならない。サービス業者はサービス内容を客に公開して、客の承認を得てから客にサービスをしなければならない。
宗教団体も政治団体もサービス業である。
ところが、今の日本神道はサービス内容を国民に公開していない。それに国民と契約も取っていない。
それなのに、国民の大半は自分が知らない間[あいだ]に日本神道に入れられて、知らない間に日本神道から神武天皇教のサービスを受けさせられて神武天皇教のサービス料金(つまり税金)を支払わされている。
これではいけない。
国民が日本神道に入っているか入っていないかをはっきりさせねばならない。
国民が自分の意思で日本神道に入るかは入らないかを決めねばならない。例えば、私は自分が神武天皇と同じことをするのが嫌だから、神武天皇教(日本神道)には入らない。
日本神道は国民の家を一軒一軒[いっけんいっけん]まわって、国民と日本神道に入る契約を取らねばならない。もちろん、国民が断れば契約を取ることはできない。
[11183] 現代の平等観 h22.10.22
現代においては個人と個人が平等であるだけでなく、個人と団体が平等である。
だから、団体は個人と契約を取らねば個人にサービスをすることができないのである。
日本神道も日本政府も団体である。
だから、日本神道も日本政府も国民一人一人と契約を取らねば、国民一人一人にサービスをすることができないのである。しかし、実際に、これまで国民は政府に税金を払ってきたから、政府がこれまでと同程度のサービスをすれば、国民は政府に同程度の税金を払うだろう。強制でも自由でも同じようなものだ。だから、政府はあまりお金のことを心配しなくてもいいはずだ。
[11184] 税金を払わないことが国民の義務である。 h22.10.22
日本神道は「他人を殺して他人の物を取ることが人間にとっての幸福である」とする邪悪[じゃあく]な宗教団体である。今の日本神道がどうでもいいことばかりしておとなしくしているのは猫かぶりである。他人を殺して他人の物を取るのが日本神道の本音[ほんね]である。
そんな下卑[げび]た感情を助長する日本神道はあってはならない。
日本神道を潰[つぶ]さねばならない。
だから、国民は日本神道に税金を払ってはいけない。
日本神道が潰れた後で、宗教団体の付属機関でない新しい政治機関が出来てから国民は税金を払うようにすればいい。
[11185] 宗教は選ばねばならない。 h22.10.22
自分には自分の心がある。3歳までは人間の心は柔軟で教育によってどうにでも変わるが、3歳をすぎると人間の心は固まって死ぬまでその心で生きて行かねばならない。
宗教は、信者を幸福にするために信者に神と同じことをさせるサービスである。宗教団体は信者に聖典の物語の神と同じことをさせてくれる。宗教に入れば、宗教家が信者に神と同じことをさせてくれる。つまり、神は宗教団体のサービスを具体的に説明するために例にとった者のことである。つまり、神とは宗教団体が自分のサービスを説明するために作った物語上の登場人物のことである。例えば、キリスト教に入れば自分がキリストと同じように他人に優[やさ]しくすることができるし、仏教に入れば釈迦と同じように精神の修行をすることができるし、神武天皇教に入れば神武天皇と同じように戦争をして植民地を取ることができる(実際には、できなかったが)。
だから、自分に合った宗教を選ばなければならない。自分に合った宗教に入らなければ自分は幸福になれない。
自分に合った宗教がなければ、宗教に入らなければいい。自分に合った宗教がなければ、自分で自分を幸福にすることをしなければならない。
宗教は昔の遊びである。昔はテレビやマンガやゲームがなかったからみんなが宗教をやったのである。
今はテレビやマンガやゲームがあるから、宗教は要らない。
税金は国民が日本神道に入るためのお金である。だから、自分が日本神道に入るつもりがなければ税金を払わなければいいのである。
[11186] 相撲[すもう]について h22.10.22
『力士が土俵入り後に拍手[かしわで]を打って、両手を広げ手の平を下に向ける意味』は、
拍手を打つのは、神武天皇がナガスネヒコと戦ったとき“雷[かみなり]が鳴った”ことを表している。
両手を広げ手の平を下に向けるのは、神武天皇がナガスネヒコと戦ったときに現れた“光るトンビが飛んでいる姿”を表している。
力士が丸々と太っているのは、神武天皇がナガスネヒコと戦ったときに現れた光るトンビが神武天皇が持っていた弓の先にとまって“光る玉”となったことを表している。
つまり、日本神道が力士にどうでもいいことをやらせているのである。力士は土俵に出てきて余計なことをせずにすぐに仕切りに入ればいいのである。
[もしも、“光るトンビ”が雷による電磁現象だとすれば、たんなる自然現象である。だから、神武天皇は超能力者ではない。富士山測候所の職員がときどき見るセントエルモの火のようなものだったのかもしれない。たしかに珍しい自然現象ではあるが、自然についての研究が進んだ今となっては特に取り立てて言うほどのものではない。]
[11187] 宗教団体と政治機関は分けるべきである。 h22.10.22
神武天皇は軍人であって政治家ではなかった。神武天皇は戦争はやったが政治はやらなかった。神武天皇は戦争に勝って日本の王となったが、その後ろくすっぽ政治らしい政治をやらなかった。
だから、日本神道は政治をやれない。だから、日本神道は日本政府をやれない。したがって、日本神道と日本政府を分けるべきである。日本政府は日本神道から独立すべきである。日本政府は国鉄や郵便のように民営化すべきである。
キリストは他人に優しくしたが政治家ではなかった。だから、キリスト教では政治をやれない。だから、ヨーロッパではキリスト教と政府が別れているのである。世界的に見ても、宗教団体と政治機関は分かれている。[外国で起きている宗教による犯罪は、政治機関とは別に宗教団体の付属機関である犯罪組織が起こしていると考えればよい。]
だから、日本でも宗教団体と政治機関は分かれるべきである。宗教団体は信者に神と同じことをさせることが仕事であり、政治機関は神に縛[しば]られずに国民が喜ぶサービスをすることが仕事である。宗教団体と政治機関は仕事が違う。だから、宗教団体と政治機関は分かれたほうがいいのである。
[11188] 中国は宗教をやっていた。 h22.10.22
儒教と道教が中国の宗教である。
儒教や道教は仏教となんら変わらない。
宗教とは、信者が神と同じことをして幸福になることである。
儒教や道教でも、信者が孔子や荘子と同じことをして幸福になろうとするから、儒教も道教も宗教と同じである。つまり、孔子や荘子が中国の神なのである。
[11189] コンビニ事件について h22.10.22
しばらく前にコンビニで万引きをして店員にマヨネーズをかけて逃げた犯人が捕まった事件があった。
万引きは神武天皇が他人の土地を取ったからであり、マヨネーズの原料は卵で卵は白くて丸いから神武天皇の光の玉の喩[たと]えであり、犯人は神武天皇に従って犯罪を犯したつもりだったのである。
しかし、神武天皇教は植民地政策をすることである。外国と戦争をして外国の土地を取ることである。それ以外は神武天皇教ではない。
だから、コンビニ事件の犯人は神武天皇に従っていることにはならない。
したがって、コンビニ事件の犯人は警察に引き渡された後、罪[つみ]相応の罰[ばつ]を与えられたのである。
今の日本は植民地政策をやっていない。今の国際社会では植民地を取ることが禁止されているから、日本神道は活動できない。今後も永久に日本神道は活動できない。中国や韓国が核ミサイルを持ったら日本はどうしようもない。だから、日本神道は滅ばねばならない。
[11190] 宗教の自由 h22.10.22
現代では、個人が宗教団体に入ろうが入るまいが個人の自由である。
日本神道は宗教団体である。
だから、日本国民が日本神道に入ろうが入るまいが日本国民の自由である。
日本神道に入りたければ税金を払えばいいし、日本神道に入りたくなければ税金を払わなければいい。
日本神道は日本政府を使って人権保障サービスをやっているが、犯罪組織を使って人殺しサービスもやっている。自分が日本神道に殺されたくなければ日本神道に入らないほうがいい。一般に、宗教団体は『正規のサービス』(例、神武天皇教なら植民地政策)のほかに、信者に知らされていない「余計なサービス」(例、神武天皇教ならパチンコや競馬など)をゴチャゴチャやっているから、宗教団体には入らないほうがいい。
国民みんなが日本神道に入っていると、日本神道はまた国民みんなに戦争をさせるだけである。それが日本神道の正規のサービスだからである。しかし、今度日本が戦争しても、日本がまた戦争に負けて赤字を出すだけである。日本神道は戦争の勝ち負けに関係なく、ひたすら国民に戦争をさせるだけである。日本神道は国民に戦争させて国民を殺しまくるだけである。一方、戦争のない時期には、日本神道は余計なサービスをして国民の幸福な生活を邪魔するだけである。国民が日本神道に入っていてもいいことは何もない。だから、国民は日本神道に入らないほうがいい。日本神道に入るよりは、民間のどこかの宗教団体に入ったほうがまだましだ。税金がもったいない。
[11191] 日本人とは何か? h22.10.23
日本人とは日本神道を支持する者である。
日本神道は植民地政策をすることを正規のサービスとし、植民地政策をしない時期には駄洒落[だじゃれ]で神武天皇の話を広げてくだらないこと(例、パチンコ、競馬、相撲など)を国民にさせるのをサービスとしている宗教団体である。
つまり、日本人はみんな外人を殺して外人の物を取ることを生き甲斐[がい]にしていて、植民地政策をしない時期にはくだらないことをしてダラダラと暇を潰[つぶ]しているのである。
日本人とはそういうしょうもない民族なのである。日本人の心には、殺人欲と物欲と博打[ばくち]欲の喜びしかないのである。
特に外人はそういう目で日本人を見ている。
外人は日本人を嫌な民族だと思うだろう。外人は日本人が好きにはなれないだろう。
外人は日本人を攻撃するだろう。外人は日本人を有利にしようとは思わないだろう。
だから、日本人は幸福には生きられないのだ。日本人が日本神道を支持しているかぎり、日本人は幸福にはなれないのだ。
日本神道はくだらない。日本が宗教をやるなら、せめて文化的な宗教をやらねばならない。いっそのこと日本は宗教をやめてしまったほうがいい。
[11192] 日本政府は仕事をしているか? h22.10.23
日本神道は宗教団体である。日本神道は「人間にとっては神武天皇と同じことをすることが幸福だ」と考えて、信者に神武天皇と同じことをさせることが仕事である。日本神道は信者に神武天皇と同じことをさせることができるだけである。
神武天皇は橿原宮[かしはらのみや]で皇帝になった後、部下に褒美[ほうび]を与えて、天下を平定して、地方旅行をして、息子に皇帝の地位を継がせて、127歳で死んだだけである。
天皇がときどき地方旅行をするのは、日本神道が天皇に神武天皇が地方旅行したのと同じことをさせるからである。
世界大戦で大勢の日本人が死んだのは、日本神道が日本人に神武天皇が死んだのと同じことをさせたからである。
神武天皇は「天下を平定」しただけで国を治めてはいない。法律も経済も外交も何にもやっていない。つまり、政治をやっていない。これだけでは、日本神道が日本政府に政治をやらせることはできない。たとえ政治をやらせるにしても、「天下を平定」させる程度の政治をさせているだけであって、それ以上のことをさせることはできない。今では国が戦争さえしなければ「天下を平定」していることになる。だから、日本政府は仕事をする必要がない。だから、日本政府は仕事をしていない。日本政府の建物が建っているだけで中では誰も仕事をしていない。テレビで国会議員が喋[しゃべ]っているだけで、それ以外のことはやっていない。日本政府は国民の気休めに置いてあるだけの飾りにすぎないのだ。
ちなみに、神武天皇の誕生日は1月1日である。正月は神武天皇の誕生日だったのだ。私は今日はじめて知った。昭和23年から昭和41年まで建国記念の日がなかったことも、私は今日はじめて知った。戦後はアメリカの占領下にあって日本はアメリカナイズされていたが、昭和42年ごろから日本がアメリカの占領を解かれるやいなや日本神道は再び神武天皇教を始めたのだ。
[11193] 今の幸福と昔の幸福 h22.10.23
宗教は昔の幸福論である。
宗教の幸福論はまちがっているとまでは言えないが、今の時代には必ずしも合っていない。
今は昔よりも社会が複雑なので、昔の幸福論はそのままでは今の時代には当てはまらない。
例えば、神武天皇教については、昔の時代は戦争をやってもよかったから神武天皇教が正しかったが、今の時代は原則として戦争をやってはいけないから神武天皇教はまちがいだとされている。
今の時代の幸福論は法律である。今の社会では、法律みたいに細かくなければ人間は幸福には生きられないのだ。
今の時代に国民に法律を守らせてくれる機関(つまり国民の人権を保障する機関)があれば、国民は自分が幸福になるために喜んでその機関に入るだろう。それが政治機関なのだ。
今の日本神道と日本政府のように、宗教団体が政治機関をやっているのでは、宗教団体は聖典と法律のふたつを聖典としていることになる。聖典と法律の間には食い違いがある。宗教団体は聖典を法律よりも大事にする。宗教団体は法律を粗末[そまつ]にする。だから、宗教団体に付属の政治機関では、国民に法律を守らせてくれることが不十分になる。その結果、国民は幸福にはなれないのである。だから、政治機関は宗教団体から独立していなければならないのである。今の法律のままでも、政治機関が法律を国民に徹底的に守らせてくれれば、国民にとってはかなり幸福な世界が実現するはずだ。今の日本政府はいいかげんにしか法律を国民に守らせてくれないから、幸福な世界が実現していないのだ。
国民みんなが国の政治機関に入り、それで物足りない人はオプションで自分が好きな宗教に入って幸福を足せばいい。キリスト教や仏教や神武天皇教やその他の民間宗教に好みで入ればいい。今の国民にとっては政治機関がメインで、宗教団体がサブなのである。
[11194] 法律と宗教 h22.10.23
法律は科学と同じように、人間の幸福を物の方向から捉[とら]える。
一方、宗教は文学と同じように、人間の幸福を心の方向から捉える。
法律は、政治機関が国民にすべての法律の条項を守らせてくれる。
一方、宗教は、宗教団体が神の物語の“一部分”を信者にやらせるだけである。
だから、宗教ではたとえ結果が実らなくても途中までやりさえすればいいと考えるのである。途中までやること自体が幸福だと考えるのである。例えば、神武天皇教では、植民地が取れなくても戦争をやること自体が幸福だと考えるのである。戦争で死ぬこと自体が幸福だと考えるのである。
やはり国民にとっては、宗教よりも法律のほうが安全確実に自分が幸福になれると思われる。国民は宗教団体よりも政治機関のほうを選ぶだろう。
[11195] 国民は神武天皇教に入るべきではない。 h22.10.23
神武天皇教(日本神道)では、「人間が神武天皇と同じことをすれば幸福になれる」と考えて、信者に神武天皇と同じことをさせる。
ところが、私は自分が神武天皇と同じことをしても幸福になれるとは思わない。私と神武天皇ではタイプが違いすぎる。私は私の心が満足することをすると幸福になれるのであって、神武天皇の真似[まね]をしたからといって幸福にはなれない。[私の父親は私が他人の真似をしようとすると怒る。]
だから、私は神武天皇教に入ってはいけない。私が神武天皇教に入ることはまちがいである。
私と同じように、自分が神武天皇と同じことをしても幸福になれると思わない人は神武天皇教に入ってはいけない。日本神道に税金を払ってはいけない。
[11196] 宗教の自由☆ h22.10.23
中世までは宗教が正しいと信じられていた。宗教が今の科学のように普遍的[ふへんてき]に正しいことだと考えられていた。つまり、「神と同じことをすることが人間にとっての幸福である」ことが、国民みんなにとって正しいと考えられていた。
しかし、近世になって科学が出来てからは、宗教はどうでもいいことになった。宗教は個人が自分の意思で自由に入ることになった。科学によれば、人間の心は人間の脳が荷っている感覚であり、人間の心は人間の脳が決めることなので、『神と同じことをしても人間は幸福にはなれない』と考えられるようになった。神と同じタイプの人間しか宗教をやっても幸福にはなれないと考えられるようになった。人の心は人によって違うので、自分が神と心が違うと思ったら、宗教に入っても自分が幸福にはならないから宗教に入らなければいいのである。それが、科学的世界における真実なのである。
例えば、日本神道は「神武天皇と同じことをすることが人間にとっての幸福だ」と考える宗教団体である。だから、神武天皇と同じこと(つまり、他人を殺して他人の物を取ること)をして幸福になれる人は日本神道に入ればいい。神武天皇と同じことをしても幸福になれない人は日本神道に入らなければいい。現代においては、国民が自分で宗教を選んで入らなければならないのである。
一方、法律は正しいと考えられている。つまり、「法律に書かれている人権を保障されることが人間にとっての幸福である」ことが、国民みんなにとって正しいと考えられている。だから、国民は政治機関に入らなければならない。原則的には国民が政治機関に入ろうが入るまいが国民の自由だが、法律が国民にとって普遍的に正しいために、結果として国民みんなが政治機関に入らなければならないことになるのである。[だから、政治機関のサービスが悪ければ、国民は政治機関に入らないから政治機関が潰[つぶ]れる。政治機関が経営できるためには、政治機関のサービスがある程度よくなければならない。国民に政治機関に入るまたは入らない自由を与えることによって、国民が政治機関を牽制[けんせい]できる。]つまり、法律は現代における聖典なのである。政治機関は新しい宗教団体なのである。
[11197] 信者について h22.10.23
宗教に入っている者はお高ぶっているだけの人間のクズだ。
宗教に入っている者は、宗教に入っていれば傍[はた]からまともに見られると思って宗教に入っているだけだ。
しかし、今日日[きょうび]はむしろ宗教に入っているほうが異常者だ。
日本神道の信者なんか自分が犯罪者だとみんなに宣伝しているようなものだ。
今の時代は、政治機関に税金を払って法律で守ってもらって、宗教はやらないのが常識だ。
[11198] 二条河原の落書について h22.10.24
二条河原の落書に書かれている犯罪は神武天皇に因[ちな]んでいない。二条河原の落書に書かれている犯罪は神武天皇教で起きていない。ただ全般的に非特異的に犯罪が多かっただけである。
だから、政府の時代に治安が悪かったのは、神武天皇教による犯罪が多かったせいではない。中世の日本では今の日本と同じように、国民は日本政府が法律で国を治めていると思っていて、日本神道が聖典で国を治めていることを知らず、日本神道が聖典で犯罪を犯していることを知らなかったのである。だから、中世の日本では、国民は聖典で犯罪を犯すことはしなかったのである。(一部の日本神道の信者は聖典で犯罪を犯していたかもしれないが。)
ヨーロッパでも、ヨーロッパ帝国時代よりもローマ帝国時代のほうが治安が悪かった。
それは、ローマ帝国時代には国家宗教をやっていたが、ヨーロッパ帝国時代には国家宗教をやっていなかったからである。ローマ帝国時代には、宗教団体が強く、宗教団体が政治機関をやっていて、政治機関がいいかげんに仕事をしていたから治安が悪かった。一方、ヨーロッパ帝国時代には、宗教が弱く、宗教団体と政治機関が分離して、政治機関がちゃんと仕事をやっていたから治安がよかったのである。つまり、ヨーロッパでは近代以降は国家的には宗教をやっておらず、日本の江戸時代が今までずっと続いているようなものである。
だから、中世の日本で政府の時代に日本の治安が悪かったのは、ヨーロッパと同じように政府の時代には宗教が強く、宗教団体が政治機関をやっていて、政治機関がいいかげんに仕事をやっていたからである。反対に、幕府の時代に治安がよかったのは、幕府の時代には宗教が弱く、宗教団体と政治機関が分離して、政治機関がちゃんと仕事をやっていたからである。
近世の日本では、政治機関(江戸幕府)が強く、政治機関が宗教団体と分離していて、政治機関がちゃんと仕事をやっていたから治安がよかったのである。景気もよかったのである。
近代以降の日本では、宗教団体(日本神道)が強く、宗教団体が政治機関をやっていて、政治機関がいいかげんにしか仕事をしていなかったから治安が悪くなったのである。日本政府が日本神道の付属機関である限り、今後の日本はますます治安が悪くなっていくだろう。日本の景気はますます悪くなっていくだろう。日本は国際的にますます孤立するだろう。だから、日本政府は日本神道から分離して独立しなければならない。そうすれば、今後の日本は治安や景気がよくなり、国際的にも外国と仲のいい国になるだろう。
[11199] ドン・キホーテについて h22.10.24
ドン・キホーテは巨人に突進したつもりが風車に衝突して飛ばされて「自分を妬[ねた]む魔法使いが、巨人退治の手柄を奪うため巨人を風車に変えてしまったのだ」と言った。
ここでの巨人とは政治機関のことであり、風車とは宗教団体(キリスト教)のことである。[風車の羽がキリスト教の十字架に似ているからである。]
つまり、ドン・キホーテが言ったのは、中世のヨーロッパでは政治機関が宗教団体に変わってしまったことである。
中世のヨーロッパはローマ帝国に支配されていたために、宗教団体が強く、もともとヨーロッパにあった政治機関が潰[つぶ]れて、宗教団体が政治機関をやっていたのである。つまり、中世のヨーロッパは、中世の日本や近代以降の日本と同じなのである。
近代以降のヨーロッパは、ローマ帝国が滅んで、宗教団体が弱くなり、政治機関が宗教団体から分離独立したのである。つまり、近代以降のヨーロッパは、近世(江戸時代)の日本と同じなのである。
近代のヨーロッパでは植民地政策をやっていたが、植民地政策は政治機関がやって宗教団体はやらなかった。反対に、日本では植民地政策は宗教団体がやって政治機関はやらなかった。
現代では、世界中の国で政治機関が国の政治をやっている。日本だけ宗教団体が国の政治をやっている。日本だけ外国と違っているのでは、日本が国際的に仲間外[はず]れにされる。だから、日本でも政治機関が宗教団体から独立して、政治機関が国の政治をやるべきである。
[11200] 宗教と法律☆ h22.10.24
宗教では「神と同じことをすれば人間は幸福になれる」と考える。
法律では「自分の心を満足すれば人間は幸福になれる」と考える。
宗教では自分の心と他人の心の違いが考慮されていない。宗教では、みんなが神と同じ心を持っていると考えられている。宗教では、「神の心」を満足する社会を実現しようとする。
法律では自分の心と他人の心の違いが考慮されている。法律では、人間はそれぞれ違う心を持っていると考えられている。法律では、『人間共通の心』を満足する社会を実現しようとする。
実際には、人間の心は一人一人違うから、宗教がまちがいで、法律が正しい。[人間の心は3歳で固まってしまうので、その後は自分の心を神の心に合わせようとしても合わせられない。]宗教では神と同じタイプの人間だけが満足できる社会ができる。例えば、神武天皇教では軍人タイプの人間だけが満足できる社会ができる。一方、法律では人間みんなが満足できる社会ができる。だから、宗教団体よりも政治機関に国の政治を任[まか]せたほうがいい。