[1101] オナニーと幻聴 h15.12.6
オナニーとは、性欲中枢を(気合を込めて)興奮させることだ。
幻聴は、X器官を(気合を込めて)興奮させると聞こえてくる。
脳細胞を興奮させることにおいて
オナニーと幻聴とは共通している。
あえて言えば、勉強とは知覚を興奮させることだから、
勉強とも共通しているとも言える。
ただ、性欲中枢とX器官は人間にとって悪い中枢(=脳細胞群)で、
知覚は善い中枢だから、
どの中枢を(つまり、脳のどの部分を)活動させるかが問題なのだ。

[1102] X器官の特殊性 h15.12.6
耳や眼は身体の外側に付いていて、眼で見えるので存在がわかりやすいが、X器官は脳の中にあって身体の内側にあるので、存在が眼で見えずわかりにくい。
そのために、X器官(テレパシー=幻聴)の存在が無視されがちである。
X器官(テレパシー)が存在しないと思って、冗談にX器官(テレパシー)を使おうとしてX器官に気合を込めると、本当にX器官が働き出して幻聴が聞こえ始める。
そして、ひとたびX器官が働き始めると、幻聴が聞こえるたびに敏感になる(感度が増す)ので、なかなか止まらない。
X器官は指向性が低いので、自分がテレパシ−を伝えたい相手以外からも幻聴が聞こえるので、パニック(精神錯乱)に陥る。

[1103] Y器官(仮説) h15.12.6
X器官におけるテレパシーの通信は、幻聴においても因果律が成り立つつまり幻聴においても対話が時間的に順序立てて行われることから、時空間内における物理現象であると考えられる。
ともかく、人間の脳にはテレパシー通信を行うX器官という特殊な器官(脳細胞群)がある。
このX器官と同じように、感覚子の物理特性を利用した他の感覚器は存在しないだろうか?例えば、感覚子の特性を使って未来のことを予測する“Y器官”とか(やはり無理か)。感覚子が完全に時空間の中に入っていないとすれば、未来のことも予知できそうだ。
自分のY器官に気合を込めて活動させれば、未来のことがわかる…かも!?



[1104] 文化と精神病 h15.12.8
高知では『自分の心に対して一歩間(ま)を置いて見る』ことが生活に染み込んでいるので、自分の心に対して客観的(つまり、ニヒル)なので躁鬱病になりにくい(はずである)。
これと同様に、『テレパシーは実在するが、使ってはならない』ことが生活習慣に溶け込んでいる文化圏では分裂病になりにくい。(そんな文化圏は、まだないか?あればいいのになあ)

[1105] 実在主義 h15.12.8
実在主義は唯物論でも物心二元論でもない。(もちろん唯心論でもない。)
これまでにない物と心の分類のしかただ。
感覚子は唯物論の世界にも物心二元論の世界にもない。
感覚子の存在が新しい世界(つまり実在主義の世界)を切り拓く。

[1106] 幻聴 h15.12.9
EPRパラドックスは光子間に“時空間外相関”があることを示している。
アインシュタインが言ったように、時空間内相関は光速を超えることはないが、時空間外相関なら超光速でありうる。
感覚子間に時空間外相関があるとすれば、時間や空間を超えた認識が可能となる。
相対論によれば空間と時間とは同等だから、X器官が空間を超える感覚とすれば、Y器官は時間を超える感覚だ。X器官の位相を90度回転すれば、Y器官になる。X器官やY器官は人間に生まれつき備わっており、気合を込めれば活動を開始する。
ただし、これらの器官を用いるときには、同時に知覚を働かさなければ感覚波に呑まれてしまい、かえって混乱することになる。
人の乳幼児期に記憶がないのは、X器官やY器官が働いているために、時空間の構造が認識界にまだ取り込まれていないためである。

[1107] 幻聴を鎮める方法 h15.12.9
幻聴が感覚波を聞くこととすれば、幻声とは感覚波を出す(言う)ことである。(普通は、幻聴には感覚波を聞くことと出すことの両方の意味がある。)
幻声の目的は相手をからかうことにあるのだから、相手をからかってもおもしろくなければ幻声で相手をしなくなる。
自分が相手よりも感覚についての理解が深ければ、からかうことができないので、幻声を掛けてこなくなる。

[1108] 哲学第3原理(仮) h15.12.9
テレパシーは距離によらずに伝わることから、感覚波は時空間の外を伝播すると考えられる。
感覚子の一部分は時空間の外にあって感覚波と相互作用し【哲学第3原理】、他の部分は時空間の内にあって脳細胞と相互作用する【哲学第1原理】。

幻聴(X器官)による他者との会話が時間の順序に従うのは、X器官の感覚子とリンクする脳細胞以降の思考が通常の時空間の中で行われるからだと考えられる。
X器官は(通常の時空間で)遠方にある感覚波を感知し、Y器官は未来や過去の感覚波を感知する。これがテレパシー(遠隔知)と予言の原理である。X器官に気合を込めて活動させればテレパシーが可能であるように、Y器官に気合を込めて活動させれば予言が可能になる(かも?)。

[1109] 日本社会の構造 h15.12.9
管理職は他人の稼いだ金を分捕って遊んでばかりで働かない。
労働者は、そいつらにお金を取られて、いつも貧乏だ。

遊んでばかりで仕事をしない管理職を養うほどの余裕は今の日本にはない。
働かない管理職に就くために子供のころから勉強するのは病的だ。それでは、勉強が何の役にも立たない。
管理職を全廃すべきだ。
他人のお金で遊んで暮らす連中がいなくなれば、労働者の生活も今より豊かになる。


[1110] 言葉の限界 h15.12.11
言葉はイデア自体を伝えることはできない。
言葉はイデアに対応する記号や音声を伝えることしかできない。


[1111] 自分についての無知 h15.12.12
自分についての無知が具現化したのが精神病だ。
だから、精神病にかかる前からすでに病気だったのだ。
具現(具体的に表現)されるかされないかの違いだけで、本質的には変わらない。
自分について無知か知識があるかの違いこそが本質的だ。
だから、そこをまず直さなければならない。
いくら勉強や仕事の上の知識があっても、自分についての知識がなければ、人間として不十分だ。

[1112] 世界選択 h15.12.12
五感界か知覚界か心界か、はたまた幻聴界かの選択は個人の自由である。
ただし、『自分が人間である』ことを考慮すると必然的に知覚界を選択しなければならなくなる。
それは人類が地球上に誕生した百万年前からの人類にとっての宿命なのだ。

[1113] 実在とのつながり h15.12.20
実在とのつながりだけは失ってはならない。
実在とのつながりをつけるためには、知覚を働かせて実在を言葉で一生懸命に考えなければならない。

[1114] 出会い h15.12.22
認識を‘出会い’と考える立場では、既に在るものしか認識できないが、
認識を“脳細胞の興奮(による感覚の発生)”と考える立場では、想像で未だ無いものを創り出すことができる。

[1115] 神の居場所 h16.1.3
神とか悪魔とかは、
五感と五感に共役する(複合する)心の中にいる。
だから、知覚主義者には神がいない。
(スタートレックXを見て)

[1116] 心が大事 h16.1.17
感情的になることじたいが悪いのではない。
それより大事なのは、どの世界を選択したかだ。
実在に従属する心ならば積極的に肯定してよい。

[1117] イメージとイデアとの関係 h16.1.18
イメージとは視覚像、一般には五感像のことであり、
イデアとは概念、すなわち知覚像のことである。
‘一個のりんご’のイメージが、‘一個’と‘りんご’の二つの概念に分解される。

同様に、‘二個のりんご’のイメージが、‘二個’と‘りんご’の二つの概念に分解される。

このように、ひとつのイメージがいくつかのイデアに分解され、
逆にいくつかのイデアの組み合わせとしてひとつのイメージが構成される。
事物の個数性だけに注目したものが数学である。


[1118] 日本の思想 h16.1.19
日本の思想は、戦時中は軍部によって歪められ、
戦後はアメリカによって洗脳された。
日本の健全な思想は戦前にしかない。それらの思想はいまや滅びつつある。
日本実在主義共和国万歳!

[1119] どうしてサイコキネシスは出来ないのか? h16.1.19
答)感覚波と物質(脳細胞以外)の分子との間に相互作用がないからである。
感覚波と相互作用できるのはX器官(第六感器官)の脳細胞だけである。

[1120] 知覚主義は個人主義である。 h16.1.23
言葉は他人と共有できるが、
言葉の意味としてのイデア(やイメージ)は他人と共有できない。
たとえ他人が自分と同じイデアを持っていても、それを確かめる手段がない。共有できるのは表現された言葉だけである。
したがって、知覚主義は個人主義である。

[1121] 戦争に負けるとはどういうことか h16.1.25
戦争に負けた国は勝った国の文化を取り入れなければならない。
ところが、明治以降日本は積極的に外国の文化を受け入れてきた。
日本は戦う前から外国に負けているのだ。
それでも、取捨選択し自国において有利な文化だけを受容してきた。
しかし、戦後は自分が不利になる文化まで強制的に受け入れさせられた。
だから、今こそ再び取捨選択し、自国に有利な文化だけを残し、不利な文化は廃棄しなければならない。

[1122] 物欲 h16.1.27
物欲というと、いかにも汚らわしく聞こえるが、その本来の意味は「実在に従属する心」のことである。つまり、物欲とは、物すなわち実在に向かう心であり、人間にとって積極的に肯定すべき心である。
物欲のヨーロッパ的意味合いは以上の通り知的なのだが、日本的意味となるととたんに五感気(ごかんげ)を帯びて汚くなる。それは日本人の知覚の弱さを示している。
そもそも物すなわち実在はヨーロッパにおいては有だが、日本のような仏教国においては無だと考えられている(とくに田舎ではその傾向が強い)。これが日本における実在学すなわち自然科学の発達ひいては知覚の発達そのものを妨げてきた根本的原因なのかもしれない。
仏教の悪しき洗脳から日本はいつになったら抜け出せるのだろうか。

[1123] 女と男の感覚の違い h16.1.27
女は男よりも、言葉や視覚像に対するイデアによる意味づけの度合いが弱い。
女は男よりも眼先で記号を拾っているだけだ。
つまり、女は男よりも知覚的でない。女は男よりも知覚が弱い。
女は五感的で、男は知覚的である。男の感覚と女の感覚とは質が違う。
キュリー夫人もコワレフスカヤも五感を鍛えて伸ばしただけだ。
五感だけでも訓練すれば科学や数学ができるというわけだ。
東大生も必ずしも全員が知覚が発達しているわけではなく、なかには五感だけが異様に発達した者もいる。

[1124] 分裂病 h16,1.29
第六感を活動させたために幻聴が聞こえるようになった。
五感界が普通の人と違うから、知覚も心も違ってくる。
分裂病を治すには、脳手術や薬や精神療法などによって第六感を働かせないようにすればいい。
問題はX器官(第六感器官)が大脳のどの位置に存在するかだ。

[1125] イデアのイメージ h16.1.29
言葉の意味といえば、すぐに真っ暗けをイメージする。
その真っ暗けこそがイデアであり、知覚界の姿なのだ。

[1126] よりよい世界 h16.2.5
第六感のない世界より
第六感(X器官)のある世界の中で行動したほうが、
人間にとっては安全だ。
実在は隠しきれるものではない。
作りごとの世界ほど脆い[もろい]ものはない。

[1127] 16724 岩波新書『生きるとは何か』島崎俊樹著を読んで(ただし20年前) h16.2.10
この本の前書きに、東大を首席で卒業して結婚後気が狂った男の話がある。
これには2つの解釈がある。
1)自分の生きる方針を途中で変えるべきではない。
これまで知覚主義で生きてきたなら、死ぬまで学業に徹して結婚などすべきでない。自分の生きる道を踏み外した者の当然の末路だ。
2)そもそも人間は知覚主義では生きていけない。
結婚は誰でもすることだから、結婚したぐらいで気が狂うほうが悪い。その原因は、ガリ勉バカすなわち知覚主義にある。知覚主義をこの世からなくすべきだ。

[1128] 実在と実存(‘なかまのチャット’より抜粋) h16.2.12
実在哲学は私の命名なのだが。昔高校の倫理の時間にキルケゴールたちが提唱したのは‘実存哲学’と習った。だから、あえてそれに対抗するため‘実存[じつぞん]’ではなく‘実在[じつざい]’と名づけたのだ。それがいつの間にか‘実存哲学’の名はなくなって、かつての‘実存哲学’が‘実在哲学’と名乗っている。しかし、私の頭の中では両者は峻別されている。全然別のものなのだ。皆さんも誤解しないでいただきたい。

時代が経つと、ものの名前が変わるのは混乱を来たすから不便だ。しかも、反対の性格に変わるのは危険だ。このような言葉の使い方を絶対にしてはいけない。例えば、右が左に変わったら、世の中混乱することは必至だ。実存と実在しかりだ。注意してくれたまえ。

一言で言うと、実存主義は知覚主義への反動から生まれた感情主義(心主義)で、一方、実在主義は感情主義的傾向が蔓延する世の中における知覚主義への回帰を言うのだ。だから、両者は正反対の性格なのだ。

[1129] 個性 h16.2.13
実在する自分と他人とは違う。
これは紛れもない真実である。
それなのに、ヘーゲルの哲学理論では、人間がみな同じものと見なされ、自他の違いが無視されている。
ヘーゲルの哲学理論では実在する人間がとらえられない。
理論の中に人間の個性の違いを取り入れなければ実在と一致しない。
個性を無視した理論では実在する人間をとらえられないのだ。
これがキルケゴールの実存哲学の出発点であった。

私の実在哲学においては、
知覚、心、五感がみなそれぞれ人によって中身も強さも違うから、個性の違いが取り込まれ、実在する人間をとらえることができる。
例えば、女は男よりも知覚が弱いから、その分五感が心を強く支配している。女心は現象に歪められている。実在主義では、女と男の違いがわかる。

[1130] くしゃみ h16.2.14
他人のうわさをするとくしゃみが出るとよく言われる。
これは、X器官がくしゃみ中枢の近くにあることを意味している。X器官が感覚波を受けて興奮すると、関連性の興奮によってくしゃみ中枢も興奮するのだ。

あるいは、くしゃみ中枢の神経連絡を逆行染色法などによって解剖学的に調べることによって、X器官の部位を特定できるかもしれない。

[1131] 神経症 h16.2.14
神経症における無意識とは知覚のことである。
それは無形無音なので五感ではわからない。
フロイトにおける意識とは五感にほかならない。
フロイト、広くヨーロッパにおいては、五感が意識で知覚が無意識である。(実在哲学では、たとえ知覚が無形無音であっても、その感覚が強ければ意識と見なされる。たとえ五感でも感覚が弱ければ無意識である。)
幼児期におけるトラウマとは、実在についての誤解である。
親の誤解を子供に植え付けて、子供を実在に適応できなくしている。
人間は何も知らずに生まれてきて、周りの人間の振る舞いを見て、それをイデア化し自分の従うべき一般原理とする。自分の周りの人間がみな正しければ問題はないが、いつもそううまくはいかない。
トラウマの具体的五感的経験がイデア化されて知覚における無形無音の一般的普遍的原理となり、再び類似の状況に出くわすと、同じ反応が繰り返される。
その反応は実在に対する誤解に基づくので、実在への不適応となって現れる。
知覚における無形無音のすなわち無意識の誤解を正さないかぎり、実在への適応を取り戻せない。
まず誤解を眼に見える・耳で聞こえる言葉にして表現し、真理の認識によってそれを改めることができれば、実在への適応性を回復できる。

[1132] 神経症と相対論 〜相対論が理解できない原因について〜 h16.2.15
幼児期の具体的経験(五感的経験、イメージ)が知覚化(イデア化)される。
その具体的経験は実在に対する誤解である。
そのため、経験が普遍性・一般性を帯びる。
幼児期と類似の経験に再び遭遇すると同じ反応が繰り返される。
その反応は実在に対する不適応となる。

例えば、相対性理論が理解できないのは、
幼児期から古典力学を学び続けてきた結果、
知覚において時空間が透明な物体として誤解されているからである。
その誤解は無形無音のイデアであって、五感ではわからない。
知覚における誤解は無意識である。
自分の誤解を眼で見える言葉にして意識化しなければ、なにが誤解なのかわからない。たとえ間違いでも、言わないよりはましだ。
つまり、互いに相互作用しない無数の透明な物体(慣性系のこと)がある…と。リンク
知覚における時空間についての誤解を正さないかぎり、相対論は理解できない。
つまり、時空間は透明な物体ではなく実在しない言葉なのだ…と。
こうしてはじめて認識が実在と一致し、実在に適応できるのだ。

[1133] 登校拒否児 h16.2.15
子供の登校拒否の原因は感情主義(心主義)にある。
つまり、子供は『楽しいことはやっていいが、楽しくないことはやってはいけない。』と信じていて、学校は楽しくない所なので、学校に行ってはいけないのだ。
その子供にとっては、楽しくない学校に行かないことが正しいことなのである。楽しくない学校のほうが悪いのだ。
そもそもの原因は子供の親にある。親が心主義者で、子供は親の間違った主義をただ真似ているだけだ。
登校拒否を直すには、心主義から知覚主義(実在主義)に改めねばならない。つまり、『楽しかろうがなかろうが、とにかく正しいことはやらねばならない』と考えるようにならないかぎり、学校に行こうとはしないだろう。

[1134] 仕事について(‘みんなのチャット’から抜粋) h16.2.16
私は結婚していません。死ぬまでする気はありません。まず、女性が好きでありません。嫌いでもありませんが。それに、今の世の中では子供が生まれてきても幸福にはなれません。仕事しなければ生きていけない社会では。科学が発達して人間が労働から解放されないかぎり、人間は幸福にはなれない。そうなるまでは人類の不幸の時代です。子供も大人もかわいそうです。早く自由に勉強や仕事のできる時代が来て欲しい。
仕事や勉強をしないと生きていけないのが現実ですが、だからといって仕事や勉強を認めてしまってはいけない。人間本音が大事だ。早く勉強や仕事のない社会になって欲しい。それが私の願いだ。人間の精神は本質的に自由でなければならない。自由に勉強や仕事ができてこそ、人間の本来のあり方が実現されるのだ。そうなるまではこの世はまだまだ地獄だ。科学技術がもっと発展しなければならない。
私には、キリスト教かぶれた職業倫理観など存在しない。嫌なものは嫌だ。強制的に働かされてうれしい人間があるわけがない。誰でも奴隷になるのは嫌だ。人間は自由でありたい。人生の大半が仕事や勉強に食われてしまうのが不幸だ。私は仕事や勉強が嫌いだ。いくら勉強や仕事が良くできても、それは奴隷性を強めることに他ならない。だから私は小学生の頃からとっくに仕事を捨てていた。仕事なんてまともに相手にするもんか。
仕事の本質は、奴隷性にある。仕事や勉強は人間を奴隷に変えるだけだ。仕事や勉強をすればするほど人間は奴隷になって卑しくなる。勉強や仕事が良く出来る人間ほど、根性が卑しい。だから、私は仕事を捨てた。仕事を自分の生きがいなどにできるか!仕事は餌を食うためにするので充分だ。そこに私の生きる道はない。仕事なんか糞食らえ!!
天下をとりたいとか他人を支配したいなどと思うのも、勉強や仕事のしすぎによる奴隷根性のせいだ。奴隷だからそんなくだらないばかげたことを願うようになるのだ。
今の世の中は動物の心が満足されるだけで、人間の心が満足されない。だから、今の世の中で生きることは人間にとっては不幸なのだ。

[1135] 量子力学と実在哲学 h16.2.27
粒子と波を統一した概念(物質波)で見たら、金属の性質がよくわかった。
同様に、
物と心を統一した概念(感覚子)で見たら、人間(大脳)の性質がよくわかった。

[1136] 人間界は知覚界である。 h16.2.24
相対論において『現象=実体×時空間』であるように、哲学においても『現象(認識)=実体×感覚(知覚、心、五感)』が成り立つ。
実体は知覚界でも心界でも五感界でも変わらない。
『現象=認識されるもの×認識するもの』
感覚されるものにとらわれて感覚するもの自体を見失ってはならない。
人間に感覚できるものは知覚概念から構成された実体だけである。
人間の住んでいる世界は知覚界であって五感界ではない。

[1137] 私のやりたいこと h16.2.25
私の夢は、『自由に考えごとをしたい』ことだ。
だから、仕事はいけない。それは、仕事が人間に対する強制であるからだ。
仕事でやるかぎり自由ではないので、仕事をしないと生きていけない今の社会では私の夢は実現できない。

強制された勉強や仕事ではダメだ。
自主性に基づいた勉強や仕事でなければ。そこにこそ真の幸福がある。
そのためには、一刻も早く人類が勉強や仕事から解放されねばならない。
しかし、現時点では、まだほど遠い。
そのため、今の時代はいろんなところに歪みがある。
しかし、それらの歪みに負けてはならない。
現時点では、まだ人類が幸福に生きていけない。
したがって、今の時代は早く死んだ者の勝ちだ。
ただ死にたくないと思い込まされているだけだ。洗脳されているのだ。
本当は早く死んだほうがいいのだ。
死ぬことは寝ることと同じように、苦しみが無くなることだ。
なにをためらう必要があるか。

[1138] オナニーと幻聴の関係 h16.2.29
性欲中枢とX器官とは大脳において近接している。
そのため、オナニーで性欲中枢が興奮すると、関連性の興奮によってX器官も興奮しやすくなる。
つまり、オナニーすると分裂病にかかりやすくなる。
逆に、幻聴が聞こえるとX器官が興奮するから、
X器官の近くにある性欲中枢も興奮して、夜中に夢精したりすることがある。


[1139] イメージとイデア h16.3.1
イメージを得るには、とにかく経験すればよい。経験とは、五感(と記憶)を働かして実在を見ることである。
イデア(知覚概念)は、得られたイメージから思考によって作り出される。だから、イメージを得ることがまず必要であるし、また、思考しないかぎりイデアは得られない。

[1140] 知覚で見よう h16.3.1
数学や物理学で鍛えた知覚で、どうして他の物事を見ようとしないのか。
知覚が数学や物理学だけに限られてはならない。
自分の人生に現れる対象のすべてを、知覚で見ることに努めよう。

[1141] “君達は何のために生きるか” h16.3.3
現代人は自分が人間であることを忘れている。
自分が人間であることを思い出せば、おのずと道が拓ける。
君達は何のために生きるか?!
もちろん、自分が人間であるために生きるのだ。

[1142] 楽になること h16.3.4
(言葉の‘意味’とは、文字や音声とイデアやイメージとの‘対応’である。)
楽になることの意味は死である。
今の時代は、生きているかぎり苦しみ続けねばならない。
人間が仕事や勉強から解放されていない現代では、人間は幸福になれない。人間が人間らしく生きることがまだできていない。

[1143] どうして女は貯金したがるか? h16.3.9
それは、女が幸福だからだ。
幸福だから、生きたいと思うのだ。
生きていたいと思うから、生きるために貯金するのだ。
ところで、女と男とは生まれつき気が合わない。
したがって、女にとって幸福な今の社会は、男の私にとっては不幸なのだ。男の私がいくら今の社会の中で生きていても死ぬまで幸福になれないのだ。
私が幸福になるには、社会の外に出る、つまり無人島で生きるか死ぬかしかない。
そもそも女は動物で、男だけが人間だ。
人間の社会は、女にとって幸福であるよりも男にとって幸福であるように作られるべきである。

[1144] 私の夢(チャットより) h16.3.12
仕事や勉強のない社会ができたらいいなあ…というのが私の夢です しかし、人類の文明はそこまで進化していないので、今はまだ働かねば生きていけません だからといって、心までも奴隷根性になってしまってはいけない つまり、仕事や勉強を肯定しきってしまってはいけない 職業倫理とか唱える大人になってはいけないということです 仕事は眼先手先でやるだけでいい 心まで仕事人になってはいけない 仕事は奴隷の言い換えにすぎない

外人はほんとに物理や数学に強いですね 日本人のはお稽古事にすぎない それは、やはり外国が物の文化で日本が言葉の文化だからかな 日本人の勉強観はただテストの点がよければいいだけです ふざけている 遊びごとにすぎない 言葉と物の繋がりもない 言葉は冗談だらけで汚い 作り話ばかりしたがるノイローゼバカが多い 作り事ばかりするから心も幼稚で汚いままだ 無能なくせに有能ぶりたがる 外人のように本気で物事を考えない これが日本人なら情けないかぎりだ

いくら数学や物理の仕事や勉強ができても、普段の生活はそこいらの親父となんら変わらない 合理的精神がないのだ 眼先でまともぶっているだけで、心はまともじゃない まあ、そうだろうな 外人の有能さに較べたら、日本人なんて物の数じゃない あいつらは、ただ楽な仕事に就きたいから、研究者ぶっているだけだ それが当然のことのように思っている ふてぶてしいかぎりだ それでも人間の生き方か!? うわべの仕事が立派なだけで、中身はただのバカだ

しょせん数学も物理学も外国で生まれ育ったので、日本人の生きられる道じゃない 私だって、ただ数学や物理の先生がおもしろかったので、それらを勉強しただけだ 数学や物理が本当に好きなわけじゃない そんな気持ちが自分の心にないことは昔からわかっていた 私が今でも数学や物理を考えようとするのは、大学でわからなかったことをただわかりたかっただけだ いつまでもわからないままなのは不愉快だからだ でも、そんなのは動機と呼べるほどのものじゃない
 もっと積極性がなければ本当に物にはならないのだ でも、そんな心は自分の中にはない それが日本人だ 日本人として生まれた私の宿命なのだ だから、数学や物理を自分の仕事にしてはならない 

日本の文化の特性は、自分の負けを認めることによって最後に勝つこと 戦争やる前から負けてて外国の文化を平然と受け入れている 外国の文明を利用して外国に勝とうとしている それは、つまり外人が外人自身と戦っているのと同じことだ ただし、エネルギーや資源があれば こんなやり方では、そのうち日本は人類としての存在価値を失って滅ぶだろう

[1145] 最初の人間アダム h16.3.17
突然変異で知覚が大きくなった最初の猿、
それがアダムだ。
その結果アダムは否応なく実在を目指すことになった。
私たちアダムの子孫もまた同じ道をたどらねばならない。
それが人間に生まれついた者の宿命だ。

[1146] 不幸な世の中 h16.3.20
今の世の中、幸福な人間は一人もいない。
大衆は動物的快楽に身を沈めている。人間の心はとうてい満足されていない。
一方、数学者や物理学者は人間として正しい道を歩んでいるが、不愉快な顔をしている。心は満足に至っていない。知覚の進歩に心が追いつけないのだ。
結局、今の世の中には幸福な人間は一人もいないので、私の生きる道もない。
子供(小学2年生)の私は、そう考えた。
それで、将来の仕事について考えるのもやめた。
今でもこの考えは変わらない。

したがって、女性は子供を産んではいけない。人間が勉強や仕事を課せられ自由がない今の世の中では、生まれてきた子供が不幸だからである。(自分だって、不幸だろうが!)
子供を産むのは、勉強や仕事をしないでも生きていける社会が実現してからにしなさい。

今の世の中不幸な人間ばかりだ。ただし、少し不幸な人間とすごく不幸な人間との違いはある。だから、すごく不幸な人間から見ると少し不幸な人間が幸福に見えるだけだ。どっちみちみんな不幸だ。
今の世の中じゃ「やりたくてもやれない」ことが多すぎる!

[1147] 精神病の定義 h16.3.20
実在に従属しない五感(すなわちX器官、テレパシー器官)が活動している(働いている)状態が分裂病。
実在に従属しない感情が働いている状態が躁鬱病。
実在に従属しない知覚が活動している状態が神経症(ノイローゼ)。
まとめると、実在に従属しない感覚が活動している状態が精神病。

つけたし)知覚が真理を欲するように、心は幸福を欲し、五感(幻聴も含む)は快楽(耳目の喜び)を欲する。
実在が知覚で見て真実でない(なさすぎる)状態がノイローゼ。
実在が心で見て幸福でない(なさすぎる)状態が躁鬱病。
実在が五感で見て快楽でない(なさすぎる)状態が分裂病。
ただし、ここでの実在とは自分が置かれている身の周りの日常生活のことを指す。
知覚や心や五感が固まりすぎて実在に適応できなくなっているのがいけない。
知覚や心や五感などの認識と実在との不一致(による実在への不適応)が、精神病の本質である。

[1148] 神経症(ノイローゼ) h16.3.20
知覚で考えたことと実在とが一致しない状態が神経症(ノイローゼ)である[神経症の定義]。つまり、知覚で考えたことで実在に適応できない状態が神経症である。
したがって、例えば古典力学で黒体輻射や光電効果が理解できない状態も神経症(ノイローゼ)である。過去の幼児期の経験(トラウマなど)で今の眼の前の現実に適応できない状態もノイローゼである。両方の場合とも、過去の経験に基づいた一般的認識に誤解があるのだ。その誤解のために、過去の経験と食い違う眼前の現実に適応できなくなっているのだ。
ノイローゼになると、心がイライラする(不安)。

[1149] 他人の思考か実在か h16.3.21
X器官を働かせる(興奮させる、活動させる)と他人の思考が見える。
反対に、知覚を働かせると実在が見える。
他人の思考か実在かどちらを選ぶか、すなわちX器官か知覚かどちらを働かせるかは、個人の自由である。
しかし、自分が人間であるかぎり、実在へと向かわねばならず、したがってX器官を働かせずに知覚を働かせて、他人の思考よりも実在を選択せねばならない。

[1150] 女 h16.3.21
(こういうテーマにすると、すぐにGoogleの検索から外される。)
人間は知覚を働かせることによって実在の中に入る。
Let's JITUZA IN!
女は知覚が弱いから、一生実在の外で暮らすのだ。

[1151] 躁鬱分裂病 h16.3.21
人間には知覚・心・五感の3つの感覚中枢があるが、人によって発達している中枢が違う。感覚中枢の発達に偏りがある。つまり、知覚優位型・心優位型・五感優位型の人間がいる。
五感優位型の人間は五感で正しく判断するし(悟性)、
心優位型の人間も心で正しく判断する(道徳)。
ところで、心と五感の両方が発達している人の場合(知覚が発達していないことの言い代え)、実在が五感と心の両方に不一致である即ち実在が不快で不幸である(ありすぎる)と、分裂躁鬱病になる。

[1152] 不眠症 h16.3.21
不眠は、知覚が寝ていても働くために眠れなくなって起こる。
寝ていても知覚が働き続けるのは、考えても解けない問題を抱えているからである。
だから、不眠症は知覚病(ノイローゼ)に分類される。
心が常に不幸であるのを心病(躁鬱病)、五感が常に不快であるのを五感病(分裂病)、そして知覚が常に不安(イライラ感)であるのを知覚病(神経症、ノイローゼ)という。
不眠症では、このイライラ感のために眠れないのだ。
知覚は人間にしかないから、ノイローゼにかかるのは人間だけだ。

[1153] 気質[きしつ]と病気 h16.3.21
人間には認識の偏りがある。
知覚が優位な(発達している)のが神経質。
心が優位なのが躁鬱気質。
五感が優位なのが分裂気質。
気質と病気との違いは、気質ではいくら認識が偏っていても日常生活に適応しているが、病気では日常生活に適応していないことだ。

[1154] 分裂気質 h16.3.22
分裂気質の人は五感が主体(優位)なので、耳目(聞いた感じ、見た感じ)の快不快に惑わされやすい。五感界以外に世界がない。そのため、X器官を働かせて幻聴が聞こえ出すと、すぐそれに呑み込まれてしまう。
一方、知覚気質(神経質)だと、無形無音のイデアから成る知覚界が実在なので、いくら幻聴が聞こえても、それは実在ではないのだから問題にならない。幻聴で伝わるのは、あくまでも言葉(音声)であって、イデアやイメージではないからだ。知覚界すなわちイデア界に自分の主座がある以上、五感界がどんなに荒れても、知覚に従属する心は微動だにしない。〔イデアとは、例えば数のようなものだ。数字とは数のイデアを眼で見える文字に表したもので、数のイデアそのものではない。〕

[1155] 誤解 h16.3.22
私が医者になりたてのころ、私の指導医から『神経症は限局した分裂病だ』と聞かされた。(中井久夫がそう言ったとも言っていた。)そのせいで私は最近まで神経症を五感病(分裂病)だと誤解していた。正しくは、神経症は知覚病であり、分裂病は五感病であって、まったく別物だ。物理学で相対論のことを考えているうちに、やっとそれに気づいた。

[1156] 不安・不幸・不快 h16.3.22
正しくない知覚で実在を見ると不安になる(イライラする)。≡神経症(ノイローゼ)
正しくない(実在に従属しない)心で実在を見ると不幸になる(落ち込む、ガッカリする)。≡躁鬱病
正しくない(実在に従属しない)五感で実在を見ると不快になる(ムカムカする)。≡分裂病

[1157] 瞑想 h16.3.22
私が中学生のころ、朝のホームルームでクラスの全員が毎日一分間の瞑想をやらされた。
当時の私はただキマリだから目をつぶるだけで、メイソーの意味がわからなかった。
瞑想とは、『無形無音のイデアから成る知覚界こそが実在である』ことを、五感を働かさないことによって、確認することだ。

[1158] 知覚・五感型 h16.3.22
私は数学や物理が好きだが、一方でアニメも好きだ。つまり、知覚・五感優位型の性格だ。神経質・分裂気質とも言える。もりおんさんとかもそのようなので、この概念には普遍性がある。
昔の日本人は古い教育を受けて、心でみんなとわかり合えたそうだから、心優位型だ。
知覚・五感型は戦後に出現したニュータイプだ。

[1159] アホやバカでもメゲずに生きる方法 h16.3.22
知覚で考えて不安になるときには、心や五感を働かせて幸福や快楽を味わおう。
人間は知覚だけで生きるのではない。
かといって、知覚主体で生きるしかないが。

[1160] 他人の考えていないことを考えんといかんよ。(チャットより) h16.3.23
自分の問題は自分で考えて解決する。他人には他人の問題がある。自分は他人の考えていないことを考えればよい。本の上・言葉の上だけで他人と付き合ってはならない。他人の問題を自分に課したり、逆に自分の問題を他人に振り掛けたりしていけない。他人の生きる道と自分が生きる道とは違うのだ。他人の書いた(自分にとっては本来どうでもいい)本を読むよりも、自分で自分の問題について考えよう。そのほうが自分のセンスがよくなる。

[1161] 東大・京大は何のためにあるか?(チャットより) h16.3.23
日本は古来より外国の文化を受け入れることによって発展してきた。これが日本のやり方だ。だから日本では、思考よりも学習能力が重宝される。これが東大・京大の存在意義だ。

[1162] 音楽と絵の違い h16.3.24
音楽も絵も五感で見るものだが、
音楽のほうが自由度が高くて心に近く、
絵のほうが実在による制限が強くて知覚に近いようだ。
つまり、音楽はウエットで、絵はドライだ。
アニメは絵と音楽が複合しているからすごい!(例、デ・ジ・キャラットにょ)

[1163] 数学 h16.3.24
記号に秩序を与えるのはイデアであって、記号自体ではない。

[1164] 筆算 h16.3.26
暗算ではせいぜい2桁の足し算までだ。
筆算して五感の力を借りれば、もっと行ける。
これが悟性だ。
理性だけでなく、悟性や心の力を使え。
自分の持てるすべての力を使え。

[1165] 言葉 h16.3.31
言葉とは、イデアやイメージを記号に対応付けることである。
自分の考えを文字にして表現すれば、五感の力を借りることができる。
たとえ知覚が弱くても、五感の力を借りれば正しく考えられる(判断できる)。

[1166] 理性と悟性と意志 h16.3.31
理性とは演繹すること、すなわち知覚を強く興奮させて五感(や心)を知覚に従属させることであり、
逆に、悟性とは帰納すること、すなわち五感を強く興奮させて知覚(や心)を五感に従属させることである。
また、意志とは、心を強く興奮させて心が知覚や五感を支配することである。
知覚・五感・心の3つの力がそろってはじめて完全な人間になる。

[1167] 実在主義 h16.3.31
実在を認識するためには、手段や方法は問わない。
知覚はそのための一手段にすぎない。
知覚だけが実在を認識するのではない。
五感や心が実在を認識することもある。
例えば、車を運転するときには、知覚よりも五感を用いる。それも実在認識である。
知覚によろうが、五感によろうが、心によろうが、とにかく実在がわかればよいのだ。

[1168] ヘーゲル哲学 h16.3.31
『実在的なものは知覚的であり、知覚的なものは実在的である。』
当時はニュートン力学が唯一無二の真理と考えられていたから、このような言葉がまかり通ったものだ。
しかし、今から見れば、ニュートン力学の後に相対論や量子力学が出たから、
『知覚的なものは実在的ではなく、実在的なものは知覚的でもない。』
ことになる。
ヘーゲル哲学では、知覚≡実在とするが、これは強引すぎ。仏教思想の取り込みすぎ。
演繹(理性)だけで帰納(悟性)を廃するのは、たんなる理想化にすぎず、科学の実情に即していない。
レンズの発明なくして、ニュートン力学はありえないのだ。

[1169] セレネースの作用機序ーX器官の同定法 h16.3.31
セレネースはX器官に直接作用してX器官の神経興奮を抑え幻聴を聞こえなくする。
つまり、セレネースはX器官に集まる。
だから、セレネースを13C(炭素の同位体)でマーキングして脳内分布を見れば、X器官の位置を特定できる。

[1170] 『実在は五感を超えたところにある。』 h16.4.1
インド人はこの言葉を真に受けすぎたために、知覚しか使わなくなり、その結果ヨーロッパに2千年も遅れを取った。哲学バカだ。
場合によっては、五感のほうが知覚よりも正しいことがある。
望遠鏡や顕微鏡の発明なくして、ニュートン力学や西洋医学は生まれなかった。
五感界の拡大が知覚界に革命をもたらした。
すなわち、経験が理論に先立つ。

また、好奇心や探究心なくして実在を知ることはできない。(‘知る’ことは、‘知’覚だけの働きではないが。)
実在は知覚だけでは見えてこない。
知覚・五感・心のすべてを働かせて実在を認識しなければならない。

[1171] 遠当ての術 h16.4.2
私が中学生のころ、夜中に勉強していると、よくラップ音(ピシッ、パシッと柱がはじけるような音)が聞こえた。
これは、自分の脳の特定の部位に気合いを込めると、自分の身の周りの物体と相互作用できるためだと考えられる。
X器官(いわゆるテレバシー器官)を興奮させると感覚波が授受されるように、脳のどこかにある器官を興奮させると何らかの波動が出て、他の物体と相互作用できるのだ。
そのエネルギーを高めれば、一撃で岩石をも砕くことができるようになるかもしれない。

[1172] 他人 h16.4.3
頭の中に正しい認識を持っていない。
無価値だ。

[1173] 医者 h16.4.3
他人のアラ取りを生き甲斐にしているくだらない連中だ。
上辺では他人の役に立つけれども、動機がくさっている。
眼がいいだけで、心が汚い。
(たいてい頭も悪い。それでも入試に受かるのは、入試が五感のテストであって、知覚のテストでないからだ。たしかに、社会科は知覚ではわからないし、国語は心のテストだといえる。心が正常でないと、国語でいい点は取れない。国語の才能がある人と付き合っていれば、とくに国語の勉強をしなくても自分も国語でいい点を取れる。)

[1174] 精神病の理解の仕方 h16.4.3
ノイローゼ(神経症)が基本
→躁鬱病(神経症における知覚を心に置き換える)
→分裂病(神経症における知覚を五感に置き換える)

ノイローゼ(神経症)…知覚における誤解のために実在に適応できない状態。自分自身では、その誤解が具体的に何かまではわかっていない。それをわからせて、誤解を正解に訂正できれば直る。あるいは、不適応な実在から逃避するのも一手。例えば、量子力学や相対論がわからなければ、古典力学や電磁気学の研究を一生続けるとか。直せない間違いなら、その間違いを肯定するしかない。それでも適応できる実在があれば、生きていける。どうせ、人間は万能じゃないし。

躁鬱病…心における誤解のために実在に適応できない。これまでずっと心にとって幸福な状況で生きてきたのが、突然不幸な状況に陥ったため、心が実在に拒否反応を示したもの。そもそも人間は、実在と自分の心の両方に縛られて生きている。心は実在以上の実在である。何十年も自分の心で生きてきたなら、いまさら自分の心を変えるのは無理。実在のほうを変えるしかない。自分の心の存在を認め、自分の心にとっての幸・不幸が何かがわかり、思い切って幸福な状況に移れば治る。我慢は禁物(鬱はそもそも心の抑制であり、我慢は鬱を強めるだけだから絶対にいけない。「がんばれ」も同意。反対に、躁は実在と切り離れた(言葉の上だけの)心の肯定だが、それにも限界があり実在が見えてくると再び落ち込むことになる。)。

分裂病…分裂気質では心が五感に従属しているため、“X器官”(テレパシ−器官)が活動するとすぐに幻聴が心を支配してしまう。(テレパシーは特殊な五感、第六感と考える。)なんらかの方法(手術、薬、精神療法)でX器官の活動を停止できれば幻聴は消える。あるいは、知覚を活動させ、心が五感従属型から知覚従属型に変われば、たとえ幻聴が聞こえても苦しまずに済む。はたまた、幻聴が聞こえるのを自分の才能と考えて、それで飯を食って生きるとか(できればの話だが)。

[1175] テレビゲーム h16.4.5
実在の中に創った別世界。
見るだけでなく、行動することができる。(アニメは見ることしかできない。)
法則が簡単なため、味わいが非人間的なほど単純。(アニメにはもっと人間的な複雑な味がある。)

[1176] オナニーの治し方 h16.4.5
誰か他の人を好きになれば治る。

[1177] 向精神薬の適用について h16.4.5
一般的に、向精神薬の作用は脳細胞の興奮を抑制することにある。
神経症に対しては、知覚抑制剤を使う。神経症に伴う不安感に対しては、心抑制剤を使う。
鬱病に対しては、心に対する弱い興奮剤を使う。反対に、躁病に対しては心に対する抑制剤を使う。
分裂病に対しては、五感抑制剤を使う。できれば、X器官に特異性の高い薬がいいのだが、今のところまだできていない。分裂病に伴う不快感に対しては、心抑制剤を使う。

[1178] 実在への道 h16.4.6
人間には3つの道が与えられている。
実在への道、幸福への道、快楽への道である。
サルが人間に進化したとき、人間は実在への道を選択した。
実在への道だけが人間に許された道であり、それ以外は人道(人間にふさわしい道)ではない。
人間が人道を犯すことはできるが、そんなことしたら人間が人間でなくなる。

[1179] 自由の刑 h16.4.6
人間は、実在への道、幸福への道、快楽への道という、3つの道を選択する自由がある。
つまり、知覚、心、五感のいづれかを興奮させる自由がある。
しかし、実在への道以外は人道ではない。
人間が人間であることの自覚によって、自由の刑を免れることができる。

[1180] フロイト批判 h16.4.7
フロイトの無意識は無五感というべきだ。フロイトにとっての意識とは五感界に他ならない。
知覚界における誤解を五感界と対応付けていない、つまり誤解が言葉として表現されていないために、知覚界の誤解が何なのか具体的にわからないのだ。知覚の誤解を言葉で明らかにすることが精神分析である。つまり、精神分析とは、無形無音の知覚界を知ることなのだ。
『沈黙は金、雄弁は銀』というけれど、雄弁も大事なことなのだ。黙ってばかりいては、自分で自分の知覚界がわからなくなる。

[1181] 精神病の理論 h16.4.7
神経症とは、知覚における誤解によって実在に適応できない状態。幼児期の異常な経験(トラウマ)によって実在に対する知覚の誤解が生じ、それを抱えたままに成人し、知覚の誤解が適用できない事態(反例)に遭遇して実在への不適応(不安)に陥る。古典物理で、相対論や量子力学が理解できないのと同じ理屈。この病気を治すために、人類はノーベル賞級の知性を要した。今でも、高校までに古典物理を勉強しすぎて、大学で量子力学や相対論を理解できなくなる学生が後を絶たない。
躁鬱病とは、心における誤解によって実在に適応できない状態。幼児期の異常な経験(甘やかし)によって実在に対する心の誤解(心の偏見)が生じ、それを抱えたままに成人し(偏執・執着気質の助長)、心の誤解が適用できない事態(不幸な状況)に遭遇して実在への不適応(うつ状態、不幸)に陥る。
分裂病とは、五感における誤解によって実在に適応できない状態。幼児期の異常な経験によって実在に対する五感の誤解(幻聴のない世界)が生じ、それを抱えたままに成人し(心が五感に強く従属)、五感の誤解が適用できない事態(幻聴)に遭遇して実在への不適応(不快)に陥る。

いずれの場合にも、狭い経験に基づく実在に対する偏見(つまり誤解)が原因である。誤解を正解に直せば治るが、もうひとつの方法は、その誤解を温存して適応できる実在を選択することである。


[1182] 将棋 h16.4.7
将棋もスーパーマリオも同じだ。
自分がこう動けば、相手はこう動く。
相手がこう動くから、自分はこう動けばよい。
経験と思考の積み重ねだ。

神を相手にしているのではない。
頭やコンピューターの中にある有限のプログラムを相手にしているのだ。

[1183] 私の場合 h16.4.8
神経症…哲学を作っているとき、完成途中では、理論と実際つまり知覚(考えたこと)と五感(眼で見たことや耳で聞いたこと)とが合わなくて、イライラすることがあった。
躁鬱病…私は貧乏育ちなので金欲や物欲がない。医者はお金が儲かるが、医学は面白くない。反対に、医者の息子は裕福な育ちだから金欲や物欲が旺盛で、医者になればたとえ医学が面白くなくても満足が得られる。私が医学部に進学したのは、自分の心がわかっていないことによる間違いだった。自分を不幸に追い込んだのは自分自身だ。人間は自分の心を満足するために生きている。私が医者をやめたのは正解ではなかろうか。結局、心の誤解の直し方は私にはわからない。誰か他の人に聞いてください。そういう人が本当は偉い人なのだろう。
分裂病…言うまでもなく、実在哲学全体が分裂病対策みたいなものだ。要は、私が見たり聞いたりしているこの世界は私の脳における五感であって実在そのものではない。物体の位置の変化の原因として時間が考え出されたように、五感を生じさせる原因として実在が考えられる。実在は五感を超えたところにあって、それは知覚によって見ることができる。知覚界は無形無音のイデアの集まりである。反対に、幻聴は言葉(音)であって、五感にすぎない。実在でないものを相手にする必要はない。いわば、幻聴は日常生活において例外的存在であり、三面鬼や兎唇(みつくち)のようなものだ。(三面鬼や奇形児は見た目は気持ち悪いが、知覚的≡実在的には発生途上におけるたんなるトラブルにすぎない。三面鬼は作り物だから実在ではなく相手にならないが、奇形児は実在である。実在ではあるが、見た目のグロさにとらわれず、知覚に気合いを込めて純粋に医学的に見ることができねばならない。見た感じ聞いた感じにとらわれるのはガキの証拠だ。)つまり、私の場合の分裂病の治し方は、自分の気質を分裂気質(五感支配型)から神経質(知覚支配型)へ変えることだ。

[1184] 実在と心のつながり h16.4.8
躁鬱気質の人は心支配型なので、いったん実在と心のつながりが切れると、たとえ実在をもとに戻しても、心の機嫌はなかなか治らず、つながりは元通りにならない。
これに対し、神経質や分裂気質の人は、心が知覚や五感に従属しているので、一時的に実在と心のつながりが切れても、実在をもとに戻せば、つながりがすぐ元通りに治る。

[1185] 幻聴が聞こえるようになる原因について h16.4.9
現象は実在と感覚の相互作用だから、幻聴には二つの原因が考えられる。
ひとつは、自分のX器官を活動(神経興奮)させたこと。X器官は乳幼児期には働いていたが、成長して実在を選択してからは要らなくなった。自分の脳の中で長らく眠っていたX器官に気合いを込めてX器官を目覚めさせると、X器官が活動を再開して自分の思考が他人に伝わったり、逆に他人の思考が自分に伝わったりする。
もうひとつは、自分の環境が変わったこと。以前は自分の悪口を言う人が自分の周りにいなくて、たとえ自分に幻聴が聞こえていても気にならなかったのが、引越しなどで自分の環境が変わって、自分の周りに自分の悪口を言う人ができると、自分の気に障る幻聴が聞こえるようになる。
前者では感覚そのものに原因があるが、後者では環境に原因がある。その点では、神経症や躁鬱病と同じである。つまり、自分の経験不足による実在に対する誤解に問題があるのだ。

[1186] 『松明(たいまつ)は受け継がれる。』 h16.4.8
私の命もいつまで持つかわからない。
だれか、私の後を継いで、
1.感覚波の波動方程式
2.感覚波の発生実験
を完成させてくれ。たのむ。

[1187] コックリさん h16.4.10
コックリさんは、他人が思っていることを当てることができる。しかし、もちろんそんなことは不可能で、本当は自分がもう一人の自分を創って、それ(もう一人の自分)に自分の深層心理を語らせているにすぎない。
コックリさんが分裂病の原因になることも多い。コックリさんをした後で、幻聴で他人の悪口が聞こえ出した患者もいる。
分裂病の「分裂」の意味は、自分がもう一人の自分を自分の中に創って、そいつが自分の悪口を言ったりするところから来ている。統合失調症の「統合失調」の意味も同じだ。
プラトンの対話編も、自分がいろんなキャラクターを自分の中に創って、それらに討論させている。
しかし、プラトンは分裂病ではない。だから、自分の中に別の自分を創ることが分裂病の本質ではない。もし、そうなら、作家はみんな分裂病のはずだ。
コックリさんは、自分の脳の中にあるX器官を活動させる引き金なのだ。言葉や腕力によらず超能力で他人の思考を知ろうとしたり他人の思考を操作しようとすると、X器官が活動し始め、自分の思考が他人に伝わったり他人の思考が自分に伝わったりするのだ。
コックリさんはやらないほうがいい。

[1188] 分裂気質 h16.4.12
分裂気質は五感主義である。
五感主義者は、私が定義した‘感覚’の概念を嫌う。
それは眼で見たままの世界をそのまま肯定したいからである。

[1189] ガリ勉 h16.4.13
ガリ勉にとっては、眼で見えるテストの点数がすべてである。
ガリ勉すると五感が鍛えられるので、五感支配型の気質に変わる。

[1190] 動物の顔 h16.4.13
数学者岡清が『春宵十話』の中で述べた言葉。
最近の学生たち(特に京大生)はみな‘動物の顔’をしていると言う。
学生たちがガリ勉して五感支配型の気質に変わったせいである。
戦後の歪んだ教育を受けたせいだ。
アメリカは日本人の気質を堕落させようとしている。
このままでは日本が動物園だ。

[1191] 学校 h16.4.14
学校は子供にくだらないことを教えて気質を堕落させる。
学校では五感しか発達しない。
一方、私が子供のころよく遊んだダイヤブロックはよかった。
このおもちゃは遊んでいるうちに自然に知覚が鍛えられるので、私の気質を改善するのに役立った。
その他、小学館や学研の図鑑(昆虫・動物・宇宙とか)もよかった。この図鑑でアルデバランの直径が太陽の500倍あることを学んだ。
子供のうちは、写真か絵しかわからない。言葉とは音声や記号とイメージやイデアとの対応であり、言葉の本質がイメージやイデアであって、イデア(知覚の概念)がイメージ(五感の経験)から作られる以上、まずイメージを得なければならない。だから、図鑑がいい。いきなり最初から言葉だけを与えても仕方がない。できれば、図鑑よりも自然そのものに触れるほうがいい。いくら図や写真でも実物にはかなわない。それに、図や写真はトリックできる。子供のころはさんざん心霊写真に悩まされたものだ。マンガや心霊写真がある以上、もはや図や写真は信用置けない。結局、自分の眼と耳しか信用できないことが、大人になってわかった。
言葉の本では『雨はどうしてふりますか』を読んだが、小学低学年の私には慣性モーメントのところが当然わからなかった。でも、子供に手っ取り早く科学の常識を身につけさせるには適した本かもしれない。挿絵がよかった。
学研の『科学』の付録も実在感が濃くてよかった。なかでも電気の工作が楽しかった。『学習』は国語中心で言葉だけの世界なのでつまらなかった。
ダイヤブロックも図鑑も、親が私に買って与えてくれた。それぐらいの贅沢は必要。
学校の図書館にある学習マンガも借りて読んだが、あれは内容よりも絵のほうが面白いので、何にもならない。
今のテレビゲームはテレビの上だけの世界で、実在感がないのでくだらない。
遊びはただ面白ければいいというものではない。人間にとっての遊びは、知覚を育てるのでなければならない。
今の私にとってのダイヤブロックは、自分が定義した言葉(概念)を用いて作文を書くことだ。

[1192] 幸福 h16.4.14
人間にとっての幸福とは自由なことである。
自己実現も自由が前提になる。
仕事や勉強は人間から自由を奪う。
だから、今の社会では人間は幸福になれないのだ。

[1193] ラジオ h16.4.17
私が中学校に入学した祝いに、母親がラジカセを買ってくれた。
ある年の冬、風邪をこじらせて寝込んでいるとき、夜眠れずにラジオのスイッチを入れた。
鶴光のオールナイト日本をやっていた。
私はすっかりその世界にはまり、ずいぶんエッチなことを憶えてしまった。毎週葉書を出して‘銭の素’ももらった。
今から見ると、子供にラジオやテレビを買い与えるのは、有害な情報を与える危険が高いので不適切である。特にラジオは検閲が甘いので危険だ。
もっと情報管理のしやすいステレオかDVDプレーヤーのようなものがよいだろう。

[1194] 実在哲学概論Ver.2.4記録
2−3)キチガイの感覚界
上で見たように、人間には、知覚、五感、心の3つの認識の中枢があり、
正常な人間は知覚優位で、知覚は実在に近いので、実在によく適応して生きていける。
ところが、人間はみんなが知覚優位ではなく、キチガイと呼ばれる者がいる。
キチガイには精神分裂病とうつ病と神経症がある。
精神分裂病では自分の五感に力をこめて興奮させすぎたために、
精神分裂病は五感優位で、五感が知覚と心を支配している。ところが、五感界は実在と違うので、実在に適応できない。心も五感に従属し動物的になっている。五感にはもともとテレパシー能力が備わっているので、五感が意識される(感覚が強まる)と幻聴が聞こえるようになる。
治し方:五感が感覚であって実在ではない事実を認め、言葉を使って考えて知覚をトレーニングして(私の場合、コクヨの100枚の大学ノート88冊を費やして哲学を考えた)、知覚が五感を支配できるようにする。
うつ病では自分の心に力をこめて興奮させすぎたために、
うつ病は心優位で、心が知覚と五感を支配している。ところが、心(において愉快なこと)は実在と違うので、実在に適応できない。
治し方:自分の心が自分の知覚や五感と複合している事実を認め、自分の感覚を実在に近づけるように、言葉を使って考えて知覚をトレーニングし、知覚が心を支配できるようにする。
神経症では、ほぼ正常な成長を遂げたのだが、幼児期に特定の五感を興奮させすぎたために、
神経症は局所的な五感優位で、大部分は知覚優位である。局所的な分裂病と見なせる。
治し方:五感優位な部分に対して知覚で意味づけし直して、知覚で見れるようにする。

[1195] 実在哲学概論Ver.2.6記録
精神分裂病では自分の五感(とくにテレパシー器官)に力をこめて興奮させすぎたために、
精神分裂病は五感優位で、五感が知覚と心を支配している。ところが、五感界は実在と違うので、実在に適応できない。心も五感に従属し動物的になっている。五感にはもともとテレパシー能力が備わっているので、五感が意識される(感覚が強まる)と幻聴が聞こえるようになる。
治し方:テレパシー器官をなんらかの方法(手術、薬、精神療法など)で抑制して幻聴を聞こえなくするか、あるいは、五感が感覚であって実在ではない事実を認め、言葉を使って考えて知覚をトレーニングして(私の場合、コクヨの100枚の大学ノート約88冊を費やして哲学を考えた。これらのノートは今でも押入れに大切に保管している。)、知覚が五感や心を支配できるようにすれば、たとえ幻聴が聞こえても苦にはならない。
うつ病では、長年居心地のいい状況の中で暮らしてきたが、突然不幸な状況に遭遇し、心が実在への拒絶反応を示している。
うつ病は心優位で、心が知覚と五感を支配している。ところが、心(において愉快なこと)は実在と違うので、実在に適応できない。
治し方:何十年も自分の心で生きてきて、今さら自分の心は変わらないから、自分の心を肯定し実在を否定する。つまり、不幸な現状を思い切って捨てて、自分の心にとって幸福な実在を選択して生きて行く。あるいは、抗欝剤を飲んで、今の不幸な現状に耐え抜いて生きる。
神経症では、ほぼ正常な成長を遂げたのだが、幼児期に実在についての誤解を生じる経験をしたために、
神経症は知覚優位だが、間違った知覚があって、それが実在への不適応を起こしている。
治し方:誤解を訂正して実在への適応性を回復するか、誤解を温存して適応できる実在を選択する。

[1196] テレパシー器官 h16.4.19
テレパシー器官は乳幼児期には誰でも使っていたが、自分の眼と耳を使って物を見ることを選択してからは使わなくなった。他人の思惑にすがっては生きていけない、自分で実在を認識しなければならないことがわかってからは使わなくなった。
それが再び思春期以降に禁を犯して使ったものが分裂病である。せっかく安定した快適な五感界ライフをエンジョイしていたのに、愚かにも自分から五感界の禁を犯してしまったがために六感界で地獄の目を味あわねばならなくなったのだ。他人の内界(思考界)にはあまり深く関らないほうがよい。

[1197] 分裂気質と躁鬱気質 h16.4.19
分裂気質が他人の悪口(幻聴も含む)にとらわれやすいように、
躁鬱気質は自分の心にとらわれやすい。
躁鬱気質で自分の心の不機嫌がなかなか直らないように、
分裂気質で他人の悪口による不快感はなかなか直らない。


[1198] 甘え h16.4.19
甘えには2種類ある。
ひとつは、他人に対する甘え(受動的甘え)であり、
もうひとつは、自分の心に対する甘え(能動的甘え、わがまま)である。
他人に対する甘えは、自分が他人に従属したい欲求(奴隷根性)の表れであり、分裂気質に特徴的である。
自分の心に対する甘えは、自分の心に他人を従属させたい欲求(殿様根性)の表れであり、躁鬱気質に特徴的である。例えば、「おれの気持ちがお前なんかにわかってたまるか」と言うのが甘えなのだ。「甘えるな!」バコ☆
分裂気質は甘えの気持ちでよく勉強し成績もよく伸びるが、それはあくまでも他人の考えを学び取るにすぎない。
他人の学習とは別に、自分で考える気持ちを育てなければ、神経質すなわち一人前の人間の気質とはなりえない。神経質は孤独だ。自分で考える癖をつけることが、自分の内にある人間性を育てる。

[1199] 進学校 h16.4.25
私は中学2年のとき地元(高知県)の某有名私立進学校、高知G校に入学した。
しかし、同室のクラスメイトたちはみなガリ勉のウスラバカばかりだった。
小学校からの塾通いで紙の上の勉強だけで常識がないバカばかりだった。
奴らは知覚がなくて五感だけだ。五感の上の知識しかない。
私の運命は一挙に暗転した。
私立進学校なんかガリ勉バカの寄せ集めだから、近づかないほうがいい。
普通の公立の中学校のほうが明るくていい。

[1200] エライ人 h16.4.27
バカでアホで不細工で、いいところはなんにもない。
ただ他人に対して威張る喜びだけで生きている。


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