[11001] 税金の自由 h22.9.21
政府がいくら国民に命令を出す機関だからといって、政府が「国民が政府に税金を払わねばならない」命令を作って国民に税金を払わせるのは反則である。インチキである。よって、日本国憲法第30条(納税の義務)は無効である。
今のところはまだ、政府の仕事代を決める経済学の法則は出来ていない。
だから、国民が政府に税金を払おうが払うまいが国民の自由である。政府にいくら税金を払おうが国民の勝手である。
しかも、今の政府は国家宗教で国民を不幸にする命令を出している。
今の政府の命令に従う価値なんかない。
つまり、政府は国民のためにまったく仕事をやっていない。
だから、国民は政府にお金を恵[めぐ]んでやる必要はない。
戦前は国民が植民地政策を支持していて、政府が植民地政策を進める機関だったから、国民は有り金全部を政府に出したのだ。しかし、今の政府は国民が支持する政策とは反対の政策をやっているので、国民は今の政府に出す金はない。
[11002] 政府は国民のためにある。 h22.9.21
政府は国民の支持する政策を実現する機関である。
しかし、実際には、今の政府は国民の支持する政策を実現していない。
今の政府は「世界大戦が政府が国民を殺し合わせて楽しむ殺人ゲームだった」と誤解して、国家宗教で国民を不幸にする命令を作って国民を苦しめる政策を実現している。
国民は今の政府に協力してやる必要はない。国民は今の政府の命令を聞く必要はない。国民は今の政府に税金を払ってやらなくていい。まともに仕事をしない政治機関に税金を払う必要はない。
国民は今の政府を潰[つぶ]して、別のまともな政治機関に日本の政治をやってもらったほうがいい。
常識的に考えて、『国民を不幸にする命令を出している政治機関に国民が従わねばならない義務はない。』それでは、国民の自殺行為だ。何のために国に政治機関があるのかわからない。国民にとってそんな政治機関はなくなったほうがいい。だから、国民は今の政治機関に従わなくてもいい。国民は今の政治機関を潰して、別の政治機関に代えたほうがいい。現実よりも理屈のほうが大事である。だから、国民は政府をなくさねばならない。
日本の歴史によれば、日本では国民が政府よりも優位であると考えられる。だから、国民が政府を気に入らなければ政府を捨てて他[ほか]の政治機関に替[か]えればいいのである。これまで日本はそうしてやって来たから、これからもそうしてやって行けばいいのである。
[11003] 税金の自由(その2) h22.9.21
今のところ税金に関する理論はないので、国民に納税の義務はない。
税金を払うか払わないかは国民の自由である。
国民が政府の政策に賛成すれば税金を払うし、
国民が政府の政策に反対すれば税金を払わない。
つまり、国民の税金には政府の政策をコントロールする働きがある。そのほうが世の中がうまく行くから、そのように決めればいい。これまでにそんな決まりがなければ、新しく決めればいい。つまり、国民が税金とはそのようなものだと考えて実行すればいいのである。
戦前は、国民みんなが植民地政策を支持していて、政府が植民地政策をやっていたから、国民みんなが喜んで政府に税金を払った。
しかし、今の政府は国家宗教政策をやっている。今の政府は私や神武天皇に従う国作りを一生懸命やっている。
だから、今は、国家宗教政策を支持する国民だけが、政府に税金を払えばいい。
日本は江戸時代から宗教をやっていないから、政府の国家宗教を支持する国民なんかいないだろう。
だから、政府は国民から税金を取れないだろう。政府の税収はないだろう。したがって、政府は潰れるだろう。
[11004] 国民が政治機関に税金を払うための条件について h22.9.22
今は国民主権の時代である。国民が政府に税金を払おうが払うまいが国民の勝手である。
国民にとって自分が幸福であるために政治機関が必要なら、政治機関に税金を払うだろう。
しかし、反対に、国民にとって自分が幸福であるために政治機関が必要でなければ、政治機関に税金を払わないだろう。
今の政府は、国家宗教で国民を不幸にする命令を作って国民を苦しめている。
だから、今の国民にとって自分が幸福であるためには今の政府は要らない。
したがって、今の国民は政府に税金を払うべきではない。政府の命令を聞くべきではない。
政治機関が国民のためにあるのは当然である。リンカーンは馬鹿だ。
政治機関は国民を幸福にするための道具である。目覚まし時計が人間に早く起きろと命令を出すように、政府は国民を幸福にするために国民に命令を出す道具である。
政治機関が国民を幸福にするために役に立たなければ、そんな政治機関は要らないから捨てねばならない。
日本は国民のマナーが良くて治安がいい国だから、政治機関の働きは主[おも]に国民に命令を出すこと(行政)にある。今の政府は国家宗教で国民に不適切な命令を出しているから、今の政府は国民の幸福にとって役に立たない。だから、今の政府は捨てねばならない。[正常なら法律に従った命令が国民に出るはずだが、今の政府は裏[うら]で密[ひそ]かに国家宗教をやっているので法律に従わない命令が出ているのである。]
「政府が国民よりも上だ」と誰が言った!?国民にとって政府は道具にすぎない。道具は国民のために存在する。国民が道具をどうしようが国民の勝手だ。国民の役に立たない道具なんか捨てるだけだ。
[11005] どうして政府は国民に命令が出せるのか?☆ h22.9.22
政府が国民が支持する政策をやっているからである。
戦前は政府が国民が支持する『植民地政策』をやっていたから、政府は国民に命令が出せたのである。国民は政府の命令に従ったのである。
しかし、戦後の政府は国民が支持する『日本国憲法にある人権保障政策』とは違う「国家宗教政策」をやっている。戦後の政府は国家宗教で日本国憲法を犯して国民を不幸にする命令を作って国民を苦しめている。
戦後の政府は国民が支持する政策をやっていない。
だから、戦後の政府は国民に命令が出せないのである。国民は政府の命令を聞く必要はない。
政府は国民が支持する政策をやるためにある機関である。税金は政治機関が活動するための資金である。政府が国民が支持する政策をやっていなければ、政府は国民から税金が取れない。国民にとっては今の政府はなくなったほうがいい。だから、国民は今の政府に払う金はない。
どんな簡単な政策でも完全にやることは難しい。政府は余計な国家宗教政策をやるよりも、人権保障政策を完全にやるべきだった。それなら国民は喜んで政府に協力しただろう。すなわち、国民は喜んで政府の命令に従っただろう。
[11006] 繰り返しは力である。 h22.9.22
私は同じことについて何度も考えている。何度も考え直すことによって、自分の考えを進めている。
最近の人は教科書の読みすぎで、一度考えたらそれで終わりだと思っている。
人間は試行錯誤の生き物なので、最初に考えたことは十中八九まちがっていて、正しいことがわかるまでには何度も考え直さなければならない。
最近の人はそれをしないから、頭の中がまちがいだらけなのだ。頭の中がまちがいだらけだから、自分では何も考えられず、他人の言いなりになるしかないのだ。最近の人には頭で考える才能がない、眼で見る才能があるだけだ。
[11007] どうして江戸幕府が国民に倒されたのか? h22.9.22
江戸幕府は徳川家康が定めた「鎖国政策」をやるだけで、国民が支持した『植民地政策』をやろうとしなかった。だから、幕府は国民に倒された。
幕府が倒れた後で、『植民地政策』をやる日本政府が国民と協力して『植民地政策』を進めて行った。
それと同じように、今の政府は世界大戦に対する誤解から生まれた「国家宗教政策」をやるだけで、国民が支持する『人権保障政策』をやろうとしない。だから、政府は国民に倒されるだろう。[政府が「国家宗教政策」をやっているせいで、今の日本国民が「宗教政策」を支持していると思って、日本のあちこちに民間宗教団体が出来て政府と同じように神に従う地域作りをやるようになるだろう。民間宗教団体が日本の至る所で住民の人権を無視して暴れまわるようになるだろう。だから、国民は早めに日本政府を倒さねばならない。/今の政府は国家宗教政策をやって、国民の人権保障政策をやっていない。だから、いくら警察に電話しても警察が来てくれないかもしれない。]
政府が倒れた後で、『人権保障政策』をやる政治機関が国民と協力して『人権保障政策』を進めて行くだろう。
日本では政治機関が国民と対等なので、政治機関が国民が支持する政策をやらなければ、政治機関はすぐに国民に倒されて、新しい政治機関に代[か]わられるのだ。
[11008] 人権を守るべきか侵[おか]すべきか?☆ h22.9.22
宗教とは人間の人権を侵すことである。宗教では、神に従うことは何でも正しいから、神に従うことは何をやってもいいから、人権を侵してもいいのである。
要するに、宗教政策とは、人間の人権を侵す政策である。
反対に、人権保障政策とは、人間の人権を守る政策である。
今の政府は「国家宗教政策」をやっている。今の政府の政策は、国民の人権を侵す国を作ることである。民間宗教団体は政府の真似[まね]をして国民の人権を侵して汚いことをやって儲[もう]けている。
国民にとっては、人権を守る国と人権を侵す国とどちらがいいだろうか?
国民にとっては、人権を守る国と人権を侵す国のどちらのほうが住みやすいだろうか?
国民が人権を守る国を選ぶなら、国民は今の政府に反対しなければならない。
今の政府のやっていることは、国を壊[こわ]すことである。
今の政府は世界大戦に対する誤解のせいで、国を壊す機関になってしまったのである。
今の政府は日本にあってはならない。
国民は政府を倒して、国民の人権を守る新しい政治機関を作るべきである。[国民は国民一人一人の集まりである。だから、国民一人一人が政府に反対すれば、国民一人一人の力が集まって大きな力となって政府を倒すことができる。だから、まず国民一人一人が政府に反対することから始めねばならない。国民一人一人が政府に反対することが大事なのである。]
人権を侵す国を作るなら、そもそも政府は要らないはずである。人権を侵す国を作るなら、わざわざ政府を作らずに国民を放置すればいいだけである。したがって、人権を守る国を作るにせよ、人権を侵す国を作るにせよ、どちらにしても今の政府は要らないのである。
[11009] どうして戦後の日本政府は新しい国家宗教(川野教)を始めたのか?
h22.9.22
日本はアメリカを植民地にしようとしてアメリカに戦争をしかけた。
アメリカは自分が日本の植民地にされないために日本と戦った。
そして、日本はアメリカに負けた。
戦後、アメリカは日本を占領して日本が二度と植民地政策をしないように計[はか]らった。
アメリカは日本が植民地政策をしたのは日本に神武天皇教があったせいだと考えて、日本から神武天皇教をなくして、代わりに日本に新しい国家宗教を始めるように言った。
それで、日本政府は私を新しい神にして新しい国家宗教(川野教)を始めたのである。
しかし、日本政府は「世界大戦を政府による国民に対する嫌がらせだ」と誤解して、私を神とする国家宗教で国民の嫌がらせをし始めた。その後、日本政府は勝手に神武天皇教を復活させて、神武天皇教で国民の嫌がらせもし始めた。
日本は再び植民地政策をするかもしれない。これでは、アメリカが日本を占領した意義がない。日本も勝てない戦争をしたくはない。捕[と]らぬ狸[たぬき]の皮算用で大赤字になるだけだ。日本が今度戦争に負けて赤字を出すと日本は再起不能になる。[世界大戦で日本は大赤字を出したから、戦後の日本は戦前に比べて貧相[ひんそう]になったのである。]だから、日本政府に国家宗教をさせてはいけない。日本政府は国家宗教をやめないから、日本政府を倒さなければならない。
[11010] 宗教をやる国は国際的に有利になるか? h22.9.22
宗教とは人権を侵[おか]すことである。[[11008]を参照。]
だから、宗教をやる国は外国の人権を侵してもかまわない。
だから、宗教をやる国は外国の人権を侵して儲[もう]けることができる。
だから、世界中の国は宗教をやる国と付き合うと損をするので、宗教をやる国とは付き合わない。
また、宗教をやる国は、人権の概念がない後進国である。宗教をやる国は科学をやらない、できることがほとんど何もない馬鹿の国である。
だから、世界中の国は宗教をやる国を軽蔑[けいべつ]して無視して付き合わない。
したがって、宗教をやる国は国際的に不利になる。
だから、日本は宗教をやめるべきである。
[11011] 政府は国民に命令する機関ではない。 h22.9.22
政府は国民が支持する政策を実行するための機関である。
だから、政府が国民に命令することもある。
しかし、だからと言って、政府を国民に命令する機関だと考えてはいけない。
それは政府のひとつの属性であって、政府のすべてではない。
だから、やはり政府は国民が支持する政策を実行する機関でなければならない。それが政府の正しい定義である。
政府は国民が支持する政策を実行する限りにおいて国民に命令できるのであって、政府が国民に対して何でもかんでも命令できるわけではない。税金は政府が国民が支持する政策を実行する限りにおいて国民から取れるのであって、“いつでもかつでも”取れるのではない。[いつでもかつでも=どんな場合にでも。]例えば、今の政府は国民が支持する『国民の人権保障政策』とは違う「国家宗教政策」をやっているから、政府は国民に命令できないし、国民から税金を取ることもできない。
[11012] 国民は政府に従わなくてもかまわない。 h22.9.22
多くの国民は「国民は政府に従わなければならないものだ」と思っている。
しかし、これまでときどき政治機関が変わることがあった。
政治機関が変わったのは、国民が支持する政策が変わったからである。
国民が支持する政策が変わったので、政治機関が変わらなければならなかったのである。
したがって、本当は『政治機関が国民に従わねばならない』のである。それが、政治機関と国民の関係に関するルールである。これが、正しい社会科の法則なのである。
そもそも政治機関は国民が支持する政策をやるためにあるので、政治機関が国民に従うのが当然である。政治機関が自分勝手に独断で政策をやることはできないのである。
つまり、実際には、政治機関が国民に従わないかぎり、政治機関は国民に命令できないし、国民から税金を取ることもできないのである。
ところが、今の政府は国民に従っていない。今の政府は国民が支持する『国民の人権保障政策』とは別の「国家宗教政策」をやっている。今の政府は政治機関と国民の関係に関するルールを破っている。だから、今の政府はすでに政治機関ではないのである。今の政府は国民に従っていないから、逆に国民も今の政府に従わなくてもいいのである。すでに、国民の大半は今の政府に従わなくなっている。だから、君も今の政府の「国家宗教政策」に反対するなら、今の政府に従わなくていいのである。政府の命令を無視して政府に税金を払わないで[役所の窓口サービスだけを利用して]、自分で好き勝手に生きていけばいいのである。
今の政府は国民に従っていない。だから、今の政府が悪い。だから、今の政府が潰[つぶ]れるべきである。
これまで日本人は、国民に従う政治機関を作ることによって日本を善[い]い国にしてきた。だから、これからもそうすればいいのだ。
[11013] 日本は宗教の国ではない。 h22.9.22
宗教では、神に従うことが正しいこととされる。神に従うことは何をやってもいいとされる。
日本では、そんな宗教は江戸時代にも、飛鳥時代にも、古墳時代でさえもやっていない。
日本は、そんな宗教を一度もやったことがない。
ただ、今の戦後の政府がやっているだけである。
日本は神武天皇教を植民地政策としてやっただけである。
日本には、宗教をやる習慣がない。
日本人にとっては、宗教が正しいとは思えないから、宗教をやらないのである。
日本は昔から宗教の国ではないのである。
今の政府が外国にかぶれておかしくなっているだけである。
[11014] 今の国民は政府に従っていない。☆ h22.9.22
政治機関は国民が支持する政策を実行するためにある。
だから、政治機関が国民が支持する政策をやらなければ、もはや政治機関ではない。
例えば、今の政府は国民が支持する『国民の人権保障政策』とは別の「国家宗教政策」をやっている。[今の政府が国家宗教をやっていることは、テレビや新聞のニュースを見ればわかる。子供がわかっていないのは許せるが、いい歳[とし]した大人がわかっていないのは鈍感[どんかん]すぎる。今日[こんにち]では、政府が国家宗教政策をやっていることぐらいは常識である。政府は国家宗教で毎日何百万もの命令を作って国民に出しているのである。]
だから、今の国民は政府に従っていないのである。
もしも、君が今でも政府に従っているなら、君は時代に乗り遅れている。
[11015] 政治機関と国民の関係について☆ h22.9.22
政治機関は国民が支持する政策を実行するためにある。
だから、国民が政治機関に従わねばならないのではなく、逆に政治機関が国民に従わねばならない。
だから、国民が政治機関に従おうが従うまいが国民の勝手である。
国民は政治機関が自分の支持する政策をやるときだけ政治機関に従えばいい。
国民は政治機関が自分の支持する政策をやらなければ政治機関に従わなければいい。
だから、政治機関はなるだけ多くの国民が支持する政策をやらねばならない。そうすれば、いづれは国民みんなが政治機関の政策を支持して政治機関に従うようになるのである。つまり、国民が自由に政治機関に従うか従わないかを決められる場合、政治機関が儲[もう]けるためには「多数決の原理」に従ったほうがいいのである。もともと政治機関とはそういうものである。つまり、本来政治機関は自由加入制であって、強制加入制ではないのである。
税金に関する理論はまだない。
だから、国民は政治機関に自分がいいと思うだけお金をやればいい。自分にお金がないときはやらなくてもいい。国民は政治機関にあって欲しければ税金を払えばよく、政治機関にあって欲しくなければ税金を払わなければいいのである。
そもそも国民のほうが政治機関より数が多いのだから、国民のほうが政治機関よりも強く、政治機関は国民に逆[さか]らえないはずである。だから、国民は政治機関に対して自分の好き勝手にやればいいのである。
私が考えたことが正しいのであって、政府が言っていることは全部嘘[うそ]である。政府は政府にとって都合がいい世の中にするために一生懸命[いっしょうけんめい]に嘘を言っているのである。
例えば、戦前は国民みんなが植民地政策を支持していて、政府が植民地政策をやっていたから、国民みんなが政府に従って政府に税金を払ったのである。戦後は国民みんなが人権保障政策を支持しているから、政府は人権保障政策をやれば、国民みんなが政府に従って政府に税金を払うのである。ところが、実際には、今の政府は世界大戦についての誤解から国家宗教政策をやるようになったので、国民みんなが今の政府に従わなくなり税金も払わなくなったのである。今の政府は幕末の幕府や近世末期の政府のように潰[つぶ]れている最中[さいちゅう]なのである。今の政府は水飴[みずあめ]のようにゆっくりと潰れて行っているのである。
[11016] 日本が豊かな国になる政策 h22.9.22
日本国民の中には「日本が豊かな国になる政策」だけを支持して、いっさいの政治機関に協力しない者がいるかもしれない。
しかし、日本が豊かな国になるか貧しい国になるかは、日本人一人一人の才能にかかっている。
日本人一人一人が自分の才能を磨[みが]けば、日本は豊かな国になる。
反対に、日本人一人一人が自分の才能を磨かなければ、日本は貧しい国になる。
今の日本人は子供の頃にガリ勉をするだけで、真面目[まじめ]に自分の才能を磨いていない。だから、日本は貧しい国なのである。
だから、日本が貧しいのを政治機関のせいにしてはいけない。
政治機関は国民の人権を保障してくれれば十分である。それ以上のことは国民自身がやる。
[11017] 政府は滅んでもいい。 h22.9.23
政治機関の仕事には特殊な才能は要らない。
政治機関の仕事なんか誰でもできる。
政府の代[か]えはいくらでもある。
だから、政府は滅んでもいい。
[11018] 政治機関への加入の自由と税金の自由 h22.9.23
国民が政治機関に入ろうが入るまいが国民の自由である。
国民が支持する政策を政治機関がやっていれば、国民は政治機関に加入する。
国民が支持する政策を政治機関がやっていなければ、国民は政治機関に加入しない。
国民が支持しない政策を政治機関がやっていれば、国民は政治機関に加入しない。
国民が支持しない政策を政治機関がやっていなければ、国民は政治機関に加入する。
国民が政治機関に税金を払おうが払うまいが国民の自由である。
国民にとって政治機関が必要なら、国民は政治機関に税金を払う。
国民にとって政治機関が不要なら、国民は政治機関に税金を払わない。
以上のルールに従ってやっていけば、世の中はうまく行く。
「国民は政府に従わねばならない」ことと「国民は税金を払わねばならない」ことは、政府の嘘[うそ]である。そんな社会科の法則はこの世にはない。政治機関が交代することがその反例である。だから、政府の言っていることは成り立たない。政府はまちがった社会科の法則を国民に教えてはいけない。政府にこの世の法則を決めるほどの力はない。政府の言っていることはただのまちがいである。実際には、国民が政府に従わなくても、国民が政府に税金を払わなくても、政府は国民に指一本も手出しができないのだ。政府は口がでかいだけで本当は弱くて何もできないのだ。政治機関は国民が支持する政策を実現する機関であり、政治機関は国民に従わねばならないから、原理的には政治機関が国民に命令することはできないのである。[政府も幕府も本来は国民に命令することはできない。ただ、雰囲気で命令できるものだと国民に思わせているだけである。だから、キツネとタヌキの化[ば]かしあいと言うのだ。だから、侍[さむらい]はわざわざ重たい刀を差していなければならなかったのである。政府はテレビで偉そうにしているから刀を差さなくてもいいのである。今の政府が国民といちいち契約を取って税金を集めないのも、「国民が無条件に政府に従わねばならない」と国民に思わせるためである。しかし、国民もひたすら政府や幕府に騙[だま]されるほど馬鹿ではない。これまで国民が政府や幕府に従ったのは、政府や幕府が国民が支持する政策をやってくれたからである。今の政府のように国民が支持する政策をやっていない場合には、国民は政府に従ったりはしないのだ。]
国民が政治機関に従おうが従うまいが国民の自由である。国民が政治機関に税金(政治機関の活動費)を払おうが払うまいが国民の自由である。だから、政治機関は国民が支持する政策をやり、国民が支持しない政策をやってはならない。そうしないと、政治機関の経営が成り立たない。
今の政府の政策は「国家宗教政策」すなわち「人間の人権を侵[おか]す政策」である。そんな政策を支持する者はいない。[たとえいたとしてもわずかしかいない。]だから、今の政府は潰[つぶ]れるだろう。奇を衒[てら]いすぎた政策をやったのがいけないのだ。自業自得だ。
日本に日本政府があると、世界中の国から日本がガラの悪い馬鹿な国だと思われて、世界中の国が日本と付き合わなくなって日本が不利になる。だから、日本から日本政府をなくさねばならない。
[11019] 国民が政治機関が要るか要らないかを決める。 h22.9.23
税金は政治機関の活動資金である。
国民は自分にとって政治機関が必要なら、政治機関に税金(活動資金)を払って政治機関の命令に従う。
国民は自分にとって政治機関が不要なら、政治機関に税金を払わず政治機関の命令に従わない。
政治機関が要るか要らないかを決めるのは、国民一人一人である。
今の政府は「国家宗教政策」すなわち「国民の人権を侵[おか]す政策」をやっている。今の政府は、世界大戦を政府による国民の嫌がらせだと解釈して、それを一般化して国家宗教で国民の人権を侵して国民を不幸にする命令を作って国民を苦しめているのである。
私は今の政府の政策を支持しない。
私にとっては今の政府は要らない。
だから、私は今の政府に税金を払わず今の政府の命令を聞かない。
将来、『国民の人権を保障する政策』をする政治機関が現れるまで、私は政治機関に税金を払って政治機関の命令に従うことはない。
[11020] 国家宗教政策とは何か? h22.9.23
今の日本政府は、国家宗教政策をやっている。
国家宗教政策とは、人間の人権を侵[おか]す政策のことである。[今の国家宗教の神である私は一生の間にいろんなことをするから、私がしたことに“従えば”何でもできるから、人権を侵すこともできるのである。宗教では“従う”の意味が曖昧[あいまい]だから、私がしたことに“従えば”、何でもできることになるのである。]
政治機関は国民が支持する政策をやるためにある。
だから、政府が国家宗教政策をして、国民みんなが政府に従っていることは、国民みんなが国家宗教政策を支持していることになる。
つまり、今の国民みんなが人間の人権を侵す政策を支持していることになる。
今の国民は「他人の人権を侵せるほうが気分本位に楽しく生きていける」と思っているからである。[それなら、政府も警察も要らない。だから、税金を払わなくてもいい。]
しかし、この状態が長く続くと、日本人がしだいに馬鹿になっていく。
日本がアジアやアフリカの後進国と同じ状態になる。
だから、今の政府の国家宗教政策は日本を潰[つぶ]す政策である。安っぽい人気取りにすぎない。
長い目で見るなら、今の日本政府の国家宗教政策を支持してはいけない。
中世の日本政府は、神武天皇の国家宗教だけでは国がうまく行かないと考えて、中国から法律を輸入して法律に従う国を作っていたのである。
今の日本政府は中世の日本政府以下である。
今の日本政府は中世の日本政府を見習うべきである。
[11021] 中世のヨーロッパ文化 h22.9.24
中世の日本では、日本政府が神武天皇教の上に中国から輸入した法律を重ねてやっていた。[[10993]の図を参照。]
それと同じように、中世のヨーロッパでも、キリスト教の上にローマ法を重ねてやっていた。
キリスト教は科学である。キリスト教は教会が扱った。
ローマ法は法律である。ローマ法は政府が扱った。
教会と政府の間には密接な関係があった。ときには、教会と政府の間で対立することもあった。
中世のヨーロッパ文化は、キリスト教とローマ法の2つから成り立っていたのである。
近代以降のヨーロッパでは、キリスト教が科学に置き換わった。ローマ法が近代法に置き換わった。近代以降のヨーロッパは、科学と近代法をやるようになった。
現代の日本の文化は、科学と日本国憲法である。科学は学会が、法律は政府が扱っている。
[11022] どうして政治機関が変わるのか? h22.9.24
政治機関は、国民が支持する政策を実行するためにある。
だから、国民が支持する政策が大きく変わるとき、それに連[つ]れて政治機関も変わるのである。
国の政策は国民が決めるのであって、政治機関が決めるのではない。
古代の日本では、国民が植民地政策を支持するようになったので、それまでの植民地政策をやらない政治機関から植民地政策をやる政府に変わった。
中世末期の日本では、国民が科学政策を支持して国家宗教政策(実質的には植民地政策にすぎなかったが)を支持しなくなったので、国家宗教をやる政府から国家宗教をやらない幕府に変わった。
近世末期の日本では、国民が再び植民地政策を支持するようになったので、植民地政策をやらない幕府から植民地政策をやる政府に変わった。
世界大戦後の日本では、国民は無難な国民の人権保障政策を支持するようになったので、政府も国民に従って人権保障政策をやればよかったが、政府は世界大戦についての曲解のせいで国家宗教による人権侵害政策をやるようになった。
今の日本では国民が支持する政策と政府が支持する政策が正反対である。これでは、政府が滅びるのも時間の問題だ。政府もなにも滅ばなくても、国民となかよくいっしょに人権保障政策をやればよかったのだが。国家宗教は国民が支持する政策から作られるのだから、今の日本国民が人権保障政策を支持しているなら、日本政府は“人権保障の神話”を作って国家宗教の形式に則[のっと]って人権保障政策をやれたはずである。[古代の人々も、神武天皇やキリストが実在しない人物であることは知っていたはずである。だから、現代の人々にとって“人権保障の神”が実在の人物でなくてもかまわないはずである。]政府がそうしなかったのは、政府のやる気がなかったからだろう。それなら、さっさと政府とは別の会社に日本の政治を任[まか]せたほうがよい。
今の政府は宗教にこだわるだけで、政治機関としての目的を忘れてしまっている。政治機関は国民の支持する政策を実現するためにある。今の政府は独[ひと]りよがりで強引に宗教をやっているだけである。今の政府はたんなる宗教をやる機関にすぎず、国民の支持する政策を実現する機関ではない。今の政府は宗教団体として有能なだけで、政治機関には向いていない。だから、今の政府には日本の政治機関を辞[や]めてもらうしかない。政治機関が国民の支持する政策をやるなら、科学でやろうが宗教でやろうがどうでもかまわない。今の政府は宗教をやるだけで国民の支持する政策をやらないから政治機関としては失格なのだ。
[11023] 中世の日本について☆ h22.9.24
中世の日本では、政府が神武天皇教と中国から輸入した法律の両方をやっていた。『法律で科学でできることを制限する』というアイデアが当時はまだなく、神武天皇教と中国から輸入した法律の両方を同等にやっていた。[[10941]の図を参照。]
神武天皇教では、神武天皇がやったことは何でもやっていいので、人間の人権を侵す(他人を殺したり、他人の物を盗[と]ったりする)ことができた。
一方、中国から輸入した法律では人間の人権を守ることができた。
だから、政府は国民の人権を侵すことと人権を守ることの両方をやっていた。
国民も政府といっしょに国民の人権を侵すことと人権を守ることの両方をやっていた。
中世の日本では、神武天皇教と法律が互いにせめぎあっていたのである。
政府も国民も人権を侵したり人権を守ったりして、みんなが矛盾したことをしているわけのわからない世の中だった。[『二条河原の落書[らくしょ]』が当時の混沌[こんとん]とした世の中の様子[ようす]を伝えている。]
世の中が乱れる原因が神武天皇教にあると考えた者が神武天皇教のない世の中を作るために鎌倉幕府や室町幕府を起した。しかし、当時はまだ国民が神武天皇教を支持していたために、幕府の人気が上がらず幕府は倒された。
しかし、中世末期になると世界的に新しく科学が始まり国家宗教はまちがいだと考えられるようになったので、日本人みんなが神武天皇教をやらなくなった。国民が神武天皇教を支持しなくなったので、神武天皇教をやっている政府が倒れた。政府が倒れた後、日本は地方分権になり、その中で一番政治の才能がある徳川家が新しく日本の政治機関をやることになった。
日本では江戸時代以降は国家宗教はまちがいだと考えている。今の日本でも国家宗教がまちがいだと考えている。歴史は後戻[あともど]りしない。しかし、今の日本政府はかつての中世の日本政府のように国家宗教をやっている。だから、日本国民は今の政府を支持しない。したがって、今の政府は国民に倒されることになる。政府が国家宗教をやる政治機関である以上、国民は政府を倒さなければならないのである。
宗教とは人間の人権を侵[おか]すことである。昔の中世の国民なら人権を侵す政策を支持したが、今の国民は人権を守る政策を支持している。だから、今の国民は宗教をやる政治機関を支持しない。つまり、今の政府は日本の政治機関であることはできない。日本の政治機関は、宗教をやらない政治機関でなければならない。
[11024] 国民がいけない。 h22.9.24
幕府を政府に変えたのはまちがいだった。
なぜなら、日本が植民地政策に失敗したからである。
国民は馬鹿だから、「日本が植民地政策に成功する」と思って、幕府を政府に変えてしまった。
そういうのを、衆愚政治と言うのだ。
徳川家康は日本が井の中の蛙[かわず]であることを知っていたから、植民地政策をやらなかったのだ。
日本が幕府のままだとしたら、日本は今頃はヨーロッパやアメリカに引けを取らないすばらしい国になっていただろう。
今の日本では、国民が国家宗教政策をやっている政府を支持しているが、これもまた国民のまちがいである。おそらく、国民は宗教が何であるかがわかっていないから政府を支持しているのだろう。宗教をお祭りか何かだと勘違いをしているから政府を支持しているのだろう。
国家宗教政策は人権侵害政策であり、日本を人の住めない無法地帯にするだけである。日本はかつて植民地政策をやるために神武天皇教を始めたが、その後神武天皇教が暴走[ぼうそう]して日本では他人の人権を侵してもいいことになり、日本が犯罪が日常茶飯事[にちじょうさはんじ]の暮らしにくい国になってしまった。今の日本が犯罪が少ないのは、江戸幕府が国家宗教をやらなかったおかげである。今後、日本政府が続けば、日本が犯罪が増える可能性が高い。[中世の日本で犯罪が多かったのは、人々が神武天皇教に従って犯罪を犯していたからである。当時の日本では神武天皇教が正しいと考えられていたので、神武天皇教に従うことはやってもよかったのである。だから、国民は神武天皇教に従って犯罪を犯していたのである。精神異常者が暴れるのは例外として、普通の人が犯罪を犯すためには必ず“根拠”が要るのである。中世の日本には神武天皇教という根拠があったので、人々が犯罪を犯していたのである。人々は自分が犯罪をやるために神武天皇教を支持していたのではなく、神武天皇教があったのでその結果として犯罪をやっていただけなのである。人々は犯罪をやりたくてやっていたのではなく、神武天皇教があったせいで犯罪をやらされていたのである。ところが、近世になると科学が出来て神武天皇教がまちがいだと考えられるようになったので、犯罪を犯すための根拠がなくなったので、犯罪が減ったのである。だから、人々の暮らしにとっては科学(宗教)や法律がすごく大事なのである。]
国民にとって国家宗教政策は有利な政策ではない。
人間は正しい考えでやらねば死ぬことになる。
だから、国民は政府を倒して、政府を幕府(宗教をやらない政治機関)に変えねばならない。
今の国民は「国民は政府に従わなければならない」と思っている。これまた国民のまちがいである。実際には、政治機関は国民が支持する政策を実現するためにある機関であり、政府が国民に従わなければならないのである。だから、政府が国民に従わなければ、国民は政府を国の政治機関から外[はず]せばいいのである。他[ほか]の会社に国の政治機関をやってもらえばいいのである。
要するに、国民が馬鹿だから、国が悪くなるのである。国が悪くなるのは、国民が馬鹿なせいである。国民がもっと知能が高ければ、国は善[よ]くなるはずだ。そうなるのは、一体いつの日のことなのだろうか?
[11025] どうして政府は神をいいかげんに決めるのか? h22.9.24
宗教とは、人権を侵[おか]すことである。
国家宗教は、神が誰であっても、結局人権侵害政策になる。神がキリストであっても、釈迦[しゃか]であっても、神武天皇であっても、モハメットであっても、最後には人権を侵すことになる。
だから、戦後の日本政府も、最初から神は誰であってもいいと考えて、私を神にしたのである。
つまり、政府にとっては国家宗教は人権を侵すことであり、神は国家宗教をやるために必要な者にすぎないのである。
政府は国民の人権を侵すために、神を決めただけなのである。
政府は人殺しや人の物を盗[と]るのが好きなので、人権を侵せる国を作りたいのである。
政府は植民地政策が終わって暇[ひま]になったので、今後は国民の人権を侵してひと儲[もう]けしようと企[たくら]んでいたのである。
しかし、今どき科学よりも宗教を信じる者はいない。だから、国民は政府に反対すればいいのである。国民は政府を国の政治機関から追放すればいいのである。他[ほか]の会社に国の政治機関を任[まか]せればいいのである。
[11026] どうして日本の首相が殺されたのか? h22.9.24
戦前は、伊藤博文[いとうひろぶみ]や原敬[はらたかし]や犬養毅[いぬかいつよし]などの首相が殺された。
これらの首相は日本における民主主義を進めるのに貢献した者たちである。
国家宗教にとっては、国民の人権を保障する法律は敵[てき]である。[明治維新のときは、まず日本は国家宗教から始まった。その後で日本は西洋から民主主義(近代法)を輸入した。だから、国家宗教にとっては民主主義が敵だったのである。]
だから、日本神道の者がこれらの首相を殺したのである。
戦後の日本政府は、国家宗教をやっている。
だから、戦後の首相は日本神道の者に殺されないのである。
[11027] 政治機関は国民に従わねばならない。 h22.9.24
古代では、日本政府は国民が支持した植民地政策に従っていた。
中世では、日本政府が国民が支持した国家宗教政策に従っていた。
近世では、徳川幕府が国民が支持した科学政策(国家宗教をやらない政策)に従っていた。
近代では、日本政府が国民が支持した植民地政策に従っていた。
ところが、現代では、日本政府は国民が支持している人権保障政策に従っていない。政府は国家宗教で人権侵害政策をやっている。
現代だけ、政治機関が国民に従っていない。
例外のある法則はない。
だから、今の日本政府は国民に滅[ほろ]ぼされるだろう。
国民が人権保障政策を信じていれば、そのうち政府は滅んで、人権保障政策をやる政治機関に変わるだろう。そうすれば、日本は江戸時代のように再び豊かになる。政府は日本の貧乏神だから、さっさといなくなればいい。
『自然科学では自然が人間の認識を決めるが、社会科学では人間の認識が自然を決める。』(ハイデッガー)。つまり、国民の支持する政策が政治機関を決めるのだ。だから、国民は政治機関の扇動[せんどう]に踊[おど]らされず、自分自身で自分の意思を決めねばならない。自分が政治機関に動かされるのではなく、自分が政治機関を動かさねばならない。
[11028] 信者とは何か? h22.9.24
信者は宗教を支持している。
宗教は人権を侵[おか]すことである。
だから、信者は人権を侵す者である。
つまり、信者とは犯罪者である。
[11029] 公務員とは何か? h22.9.24
政府は人権を侵す国を作る会社である。
公務員は政府の社員である。
公務員は日本を悪い国にするクズ会社の社員である。
[11030] 現代と中世の違い h22.9.24
日本では現代も中世も政府が国家宗教をやっている。
中世は、国民が国家宗教を自然界の真理と考えて支持していた。だから、政府が政治機関をやれた。
しかし、現代では、国民が国家宗教を人権侵害政策と考えて支持していない。だから、政府は政治機関をやれない。
中世では、政府が安定に存在できたが、現代では政府が安定に存在できない。今後政府は潰[つぶ]れるのみだ。今後国民は政府が潰れていくのを見ることになるだろう。日本はすでに次の政治機関を用意しているのかもしれない。
[11031] どうしてアメリカ政府が生き残れるのか? h22.9.24
アメリカ政府は悪者[わるもの]である。アメリカ政府は国民から税金を取って国民を虐[いじ]めている悪者である。
ところが、アメリカ人は悪者が好きである。アメリカは不良の国である。
だから、アメリカ人はアメリカ政府を支持している。
だから、アメリカではアメリカ政府が生き残れるのである。
同じように、日本政府も悪者である。日本政府は国民から税金を取って国民を虐[いじ]めている悪者である。
ところが、日本人は悪者が嫌いである。日本は良い子の国である。
だから、日本人は日本政府を支持しない。
だから、日本では日本政府は生き残れないのだ。
[11032] 政治機関とは何か? h22.9.25
政治機関は国民を支配する機関ではない。
政治機関は国民が支持する政策を実行する機関である。
国民が政治機関に従おうが従うまいが自由である。
国民が政治機関に税金(活動資金)を払おうが払うまいが自由である。
国民は自分が支持する政策をやる政治機関の命令を聞き政治機関に税金(活動資金)を払えばいい。
国民は自分が支持しない政策をやる政治機関の命令を聞かず政治機関に税金を払わなければいい。
だから、政治機関は多くの国民が支持する政策をやらねばならない。そうしなければ、政治機関が経営できないからである。
今の政府は国民みんなが政府に従わねばならないみたいなことを言っているが、それらは全部嘘[うそ]である。常識的に考えて、そんな政治機関はこの世にはない。政府は自分が有利になるように都合のいいことを言っているにすぎない。だから、国民は政府の嘘に騙[だま]されてはいけない。
今の国民は人権保障政策を支持している。ところが、今の政府は国民が支持しない国家宗教政策すなわち人権侵害政策をやっている。だから、国民は今の政府の命令を聞かず今の政府に税金を払わない。今の政府は早く潰[つぶ]れたがっているとしか思えない。それなら、国民は政府に協力して政府を潰してやらねばならない。
[11033] どうして坂本龍馬[さかもとりょうま]は殺されたのか? h22.9.25
坂本龍馬は政府を支持して幕府を倒そうとしたために幕府を支持する者によって殺された。
坂本龍馬は幕府を倒そうとしたから殺されたのである。
政治機関に入ろうが入るまいが個人の自由だから、黙って幕府を抜ければ、殺されずに済んだのだ。
大勢の者が幕府を抜ければ、わざわざ幕府を倒さなくてもひとりでに幕府は倒れたのだ。
政治機関が国民が支持する政策をやらない場合、国民は政治機関を抜けて税金(政治機関の活動資金)を払わなければいい。
政治機関が国民が支持する政策をやる場合にだけ、国民は政治機関に入って税金を払えばいいのである。
これが、政治機関と国民の正しい関係である。
[11034] 日本人は良い子である。 h22.9.25
古代では、戦争をして植民地を取ることが正しいことだと考えられていたから、日本人は植民地政策をやった。
中世では、国家宗教で犯罪を犯すことが正しいことだと考えられていたから、日本人は国家宗教をやった。
近世では、国家宗教をやらないことが正しいと考えられていたから、日本人は国家宗教をやらなかった。
近代では、戦争をして植民地を取ることが正しいことだと考えられていたから、日本人は植民地政策をやった。
現代では、人間の人権を守ることが正しいことだと考えられている。だから、日本人は国家宗教をやってはならない。それなのに、日本政府は国家宗教をやって犯罪を犯している。日本政府は悪者である。日本人はこれまでずっと良い子だった。それが日本の文化だ。だから、日本政府は日本人ではない。日本政府を日本からなくさねばならない。
[11035] 天皇をやめるべきである。 h22.9.25
日本に天皇を置くことは、日本が国家宗教をやっていることになる。日本人は言葉よりも物を重視するので、たとえ天皇が人間宣言をして神であることを辞[や]めたとしても、実際に皇居に天皇を置いているかぎり、日本は国家宗教をやっていることになる。たとえ、日本が植民地政策をやっていなくても、日本が国家宗教をちょっとやっていることになる。
ちょっとやるのもすごくやるのも、やることに変わりはない。日本人は物事を割り切るのが好きなので、やるかやらないかで物事を区別するので、ちょっとでもやるといくらでもやっていいと考える傾向がある。だから、例えば、日本人は麻薬をいっさいやらないが、お酒を飲む人は底なしに飲むのである。
だから、日本がちょっとでも国家宗教をやると、すごく国家宗教をやるようになる。日本は国家宗教で人権を侵すようになる。日本では政府と国民がいっしょになって国家宗教で犯罪を犯すようになる。
だから、日本はちょっとでも国家宗教をやってはならない。
江戸時代のように、日本はきっぱりと国家宗教をやめねばならない。
そのためには、天皇家を断絶するか、天皇を政府から遠く離れたところ(京都など)に住ませるようにしなければならない。国会に天皇を入れたりしてはならない。
[11036] 日本政府とは何か?☆ h22.9.25
日本政府は国家宗教をやる団体である。
日本政府は古代に出来たときからずっと国家宗教一筋[ひとすじ]でやって来た。[ただし、江戸時代は除く。]
日本政府は国家宗教で植民地政策をやったり人権侵害政策をやってきた。今の日本政府は植民地政策をやらずに、主[おも]に人権侵害政策をやっている。日本の国家宗教では植民地政策か人権侵害政策のどちらかしかやれないので、植民地政策がやれなくなった今となってはもはや人権侵害政策をやるしかないのである。
日本政府は外国から法律を輸入して法律もやっているが、日本政府にとっては法律はただの“飾り”にすぎない。政府にとっては、民主主義も国会も外交もすべて“飾り”である。政府の本気は国家宗教だけである。日本政府はもともとそういう性格の会社なのだ。日本政府は中世も現代の今も同じことをやっているのである。[中世の日本では国家宗教のせいで犯罪を犯すことが正しいことだと考えられていたので、国民も政府もいっしょになって犯罪を犯していた。国家宗教政策においては行政法も私法も伊達[だて]にすぎず、政府も国民もみんなが法律を守っていなかった。/国家宗教政策においては法律は飾りだと決まっているから、政府も国民も法律を犯していいのである。だから、日本国憲法第30条(納税の義務)を犯して政府に税金を払わなくてもいいのである。もともと国民が政治機関に税金を払うか払わないかは国民の自由である。だから、憲法第30条のような法律はないのである。憲法にもまちがいはある。[そもそも民主主義なら、国民は税金を払うのが嫌だから税金は只[ただ]になるはずである。]『色即是空』の心で見れば、日本国憲法第30条は存在しないのだ。]
しかし、日本政府は宗教団体である前に日本の政治機関である。日本の政治機関である以上、日本人が支持する政策をやらねばならない。今の日本人は人権保障政策を支持している。だから、日本政府はもはや日本の政治機関ではありえない。日本政府は日本から出て行け!
[11037] 政治機関の条件 h22.9.25
政治機関は国民が支持する政策を実行するためにある。だから、政治機関は国民が支持する政策をやらねばならない。
国民は政治機関が自分の支持する政策をやらなければ、国民は政治機関に協力する必要はない。国民は政治機関の命令を聞かなくていいし、政治機関に活動資金(つまり税金)をやらなくてもいい。
今の政府は国家宗教政策すなわち人権侵害政策をやっていて、今の国民が支持する人権保障政策をやっていない。だから、今の国民は今の政府に協力する必要はない。
日本では昔から政府は国家宗教をやるものと決まっている。植民地政策や人権侵害政策をやるものと決まっている。それが政府の定めだ。ところが今の国民は人権保障政策を支持している。だから、国民は政府を倒すしかない。政府とは別の団体に人権保障政策をやってもらわねばならない。それも日本の決まりだから、政府も国民もその決まりを守らなければならない。つまり、今の日本では国民が政府の命令を聞かないことが正しいのである。だから、国民は政府の命令を聞かないことを実行しなければならない。国民は今の政府が早く倒れるように、政府の命令を聞かずに政府に税金(活動資金)を払わないようにしなければならない。政府も今の国民が政府を欲していないことを知っているから、国民に危害を加えずにおとなしく滅[ほろ]ばねばならない。政府自身も今どき人権侵害政策をやるのはまちがいだとわかっているはずだ。だから、政府はおとなしく滅ばねばならない。[中世の日本では、幕府が政府を倒したのではない。国民が政府を倒したのだ。国民一人一人が国家宗教を支持しなくなって政府に活動資金(つまり税金)を払わなくなったから政府が滅んだのだ。今の日本では、国民が国家宗教政策すなわち人権侵害政策を支持していない。だから、国民一人一人が政府に活動資金(つまり税金)を払わなくなって政府は滅びるのだ。]
[11038] 国民と政治機関とどっちが上か? h22.9.26
政治機関は国民が支持する政策を実現するためにある。【政治機関の定義】
だから、国民が政治機関よりも上である。政治機関は国民よりも下である。
国民は自分が支持する政策をやる政治機関に税金(活動資金)を払って命令を聞けばいい。
国民は自分が支持しない政策をやる政治機関には税金を払わず命令を聞かなければいい。
政治機関が儲[もう]けるためには、政治機関はなるべく多くの国民が支持する政策をやらねばならない。[それなら、今でも日本の政治機関は植民地政策がやれるかもしれない。]
つまり、政治機関は国民による寄付金制の会社なのである。仕事のないやつが作った企画会社なのである。
もともと政治機関とはそういうものである。これまで国民は政府にまちがいを信じさせられていたのだ。
[11039] 日本政府はすでに潰[つぶ]れている。 h22.9.26
政治機関は国民が支持する政策をするためにある。
それなのに、今の日本政府は国民が支持する政策をやっていない。今の国民は人権保障政策を支持しているのに、今の日本政府は国家宗教で人権侵害政策をやっている。
国民が政治機関に従うのではなく、政治機関が国民に従わねばならない。だから、国民が政治機関をどうしようが国民の勝手である。国民が支持する政策をやろうとしない政治機関のほうが悪い。
国民は自分が支持する政策をやっている政治機関は残すが、自分が支持する政策をやっていない政治機関は滅ぼす。
だから、国民は今の政府を滅ぼす。
税金は政治機関の活動資金である。
だから、国民は今の政府に税金を払っていない。
したがって、今の政府は潰れている最中[さいちゅう]である。
日本はすでに次の政治機関を用意しているのかもしれない。
[11040] 国民は人権保障政策をする政治機関に入らなければならない。 h22.9.26
今の政府は国家宗教で人権侵害政策をやっているが、政府の次の政治機関は人権保障政策をするだろう。
国民が政治機関に入ろうが入るまいが国民の自由である。つまり、国民が政治機関に税金を払って政治機関の命令を聞こうが、国民が政治機関に税金を払わずに政治機関の命令を聞くまいが国民の自由である。
国民が人権保障政策をする政治機関に入らないことは、人権保障政策を支持していないことになる。
だから、人権保障政策をする政治機関に入らない国民が警察に逮捕されて牢屋[ろうや]にぶち込まれても文句は言えない。なぜなら、国民が人権保障政策をする政治機関に入らないことは自分の人権を認めていないことになり、牢屋に強制的に入れられることを認めていることになるからである。国民が人権保障政策をする政治機関に入らないことは自分の人権を認めていないことになるから、他人に殺されたり他人に物を取られたりしても文句は言えない。[反対に、今の政府は人権侵害政策をやっているから、今の政府に入っていない国民は人権保障政策を支持していることになるから、警察はその国民を牢屋に入れることはできない。むしろ、今の政府に入っている者は政府の人権侵害政策を支持していて自分の人権を認めていないから、今の政府に入っている者を牢屋に入れることができる。今の政府に入っている者は政府の人権侵害政策を支持していて自分の人権を認めていないから、自分が殺されたり自分の物を取られたりしても文句は言えない。だから、政府が信者を使って政府に入っている国民を殺しているのである。政府の見解では、政府に入っている者は政府の人権侵害政策を支持している者であり、人権侵害政策を支持している者とは自分が他人の人権を侵害できるだけでなく他人が自分の人権を侵害できることを認めている者のことである。だから、政府は政府に入っている者の人権を侵しているのである。つまり、政府自身も人権侵害政策を支持しているのである。[『二条河原の落書』から察すると、人権侵害政策においては身分の上下は利[き]かなかったと考えられる。つまり、日本人みんなが国家宗教政策すなわち人権侵害政策を支持している場合、身分の低い者が身分の高い者の人権を侵してもいいのである。国家宗教政策では何でもできるので身分もへったくれもないのだ。だから、政府に入っている国民が政府の人権を侵してもいいのだ。]したがって、政府に入っていない者は人権保障政策を支持している者であり、人権保障政策を支持している者とは自分が他人の人権を保障するだけではなく他人が自分の人権を保障する者のことである。だから、人権侵害政策を支持している者は人権保障政策を支持している者の人権を侵害することはできないのである。また、人権保障政策を支持している者は人権侵害政策を支持している者の人権を侵すこともできないのである。もちろん、人権保障政策を支持している者が他の人権保障政策を支持している者の人権を侵害することはできない。人権侵害政策を支持している者が他の人権侵害政策を支持している者の人権を侵すことができるだけである。]
だから、国民は自分が牢屋に入れられたくなければ、人権保障政策をする政治機関に入らなければならない。国民は自分が他人に殺されたり他人に物を取られたりされたくなければ、人権保障政策をする政治機関に入らなければならない。
しかし、そうすると人権保障政策をする政治機関は国民からいくらでも高い税金を取るかもしれない。税金は政治機関の活動資金だから、早く合理的に税金の額を決める公式を作って、政治機関は国民からやたらに高い税金を取ってはいけない。
[11041] 宗教をなくさねばならない。 h22.9.26
宗教とは人権を侵[おか]すことである。つまり、犯罪を犯すことである。宗教では、神に従うことが正しく、神に従うことは何をやってもいいが、宗教では“従う”の意味が曖昧[あいまい]なので、実際には宗教では何でもやってよく、人権を侵すことができるのである。
ところが、今の人類は人権を守ることを支持している。昔は科学がなかったので、人々は宗教を信じて人権を侵さなければならなかったが、今は科学があり科学は宗教よりも正しいから、人々は宗教を信じなくなって人権を侵すのをやめて人権を守るようになったのである。つまり、今では人権を侵すよりも人権を守るほうが正しいから、人類みんなが人権を守るようになったのである。
だから、今の人類は宗教をなくさねばならない。キリスト教や仏教や日本神道やイスラム教やその他の民間宗教をこの世からなくさねばならない。特に、日本では日本神道をやる日本政府をなくさねばならない。
それに、宗教に入っていると人権侵害政策を支持していて自分の人権を認めていないと見なされて、宗教に入っている者から人権を侵されることになる。宗教に入っている者に殺されたり物を取られたりして損をする。だから、宗教に入らないほうがいい。
最近の日本が不景気なのも、日本が宗教をやっている外国から物を取られているせいかもしれない。だから、日本も宗教をやめたほうがいい。日本政府をなくしたほうがいい。[反対に、江戸時代の日本は国家宗教政策すなわち人権侵害政策をやっていなかったから、外国から物を取られずに豊かだった。国家宗教(すなわち人権侵害政策)をやっている国が国家宗教をやっていない国の人権(国権)を侵すことはできないので、江戸時代の日本は外国から人権を侵されることがなかったので豊かだったのだ。一方、国家宗教をやっている国同士の間では、外国の人権を侵すことができるので外国の物を取ることができるのだ。[[11040]を参照。]]
[11042] 人間は知覚の生き物である。 h22.9.27
宗教では、人間である神を原理と考えて、神に従うことが真理だとされる。神に従うことは何をやってもいいとされる。宗教では“従う”の意味が曖昧[あいまい]だから、実際には何をやってもいいとされる。人権を侵してもいいとされる。
中世の頃国家宗教のために悪事が流行[はや]ったとき、みんなは国家宗教が嫌[いや]だと思ったが国家宗教をやめなかった。
それは、当時は国家宗教以外に自然認識の方法がなかったからである。
当時はまだ経験を基[もと]にして帰納的に真理を発見したり、自分の知覚が正しいかまちがっているかを実験で確かめたりする科学の方法が生まれていなかったので、たとえどんなに嫌であっても国家宗教をやるしかなかったのである。みんなは心の中で泣きながら、頭で国家宗教を正しいと考えて無理やり悪事をやっていたのである。
しかし、今では科学がある。科学のほうが宗教よりも正しいと考えられている。
だから、今では宗教をやってはならない。科学をやらねばならない。
いつの時代にも人間は自分が正しいと考えることをやって来た。だから、今でもそうしなければならない。
[11043] 政治機関は国民に従わなければならない。 h22.9.27
政治機関は国民が支持する政策を実行するためにある。
だから、政治機関は国民に従わなければならない。国民が政治機関に従わねばならないのではない。
今は科学の時代である。
だから、国民は科学が正しく宗教がまちがいだと考えている。
だから、政治機関も国民に従って科学が正しく宗教がまちがいだと考えなければならない。政治機関は科学をやって宗教をやめなければならない。
ところが、日本政府は昔から国家宗教をやる会社である。日本政府は国家宗教で植民地政策や人権侵害政策をやる会社である。それ以外の何者でもない。そのことは日本の歴史を勉強すればわかるはずだ。[日本政府がやった人権侵害の例としては、日航機123便墜落事故や上海高知学芸高校列車事故やオウム真理教地下鉄サリン事件などがある。]
だから、日本政府を日本からなくさねばならない。
政府に代[か]わって『宗教をやらない政治機関』が日本の政治をやらねばならない。
今どき、国家宗教をやる政治機関(政府)が国の政治をやってるのは世界中でも日本だけである。みっともないから早く政府をやめさせねばならない。
政治機関は国民に従わなければならない。だから、国民が政府になくなって欲しいと思えば、政府はなくならねばならない。
[11044] 日本はすでに無法地帯になっている。☆ h22.9.27
政治機関は国民が支持する政策を実行するためにある。政策は政治機関と国民がいっしょになってやるものである。
今の日本の政治機関は日本政府である。
日本政府は国家宗教政策をやっている。国家宗教では何をやってもよく、人権を侵してもかまわない。
だから、今の日本はすでに人権を侵してもいい国なのである。自由に他人を殺したり他人の物を取ってもいい国なのである。警察の要らない国になっているのである。
今の日本には人間が住めたものではない。だから、今の日本を終わらせることが今後の日本の課題である。
日本政府は昔から国家宗教をやるものと決まっている。日本政府は国家宗教をやることが仕事である。だから、いくら国民が政府に国家宗教をやめるように訴えても、政府が聞くわけがない。
日本政府に国家宗教をやめさせるためには、日本政府を潰[つぶ]すしかない。
本来政治機関は国民が支持する政策を実行するためにあるので、政治機関は国民に従わねばならないから、国民が政府を残そうが潰そうが国民の自由である。
税金は政治機関の活動資金である。
だから、日本政府を潰すためには、国民が日本政府に税金を払わなければいい。
早く日本政府を潰して、国家宗教をやらない政治機関に代[か]えねばならない。
[11045] 人権侵害か人権保障か h22.9.27
政治機関は国民が支持する政策を実行するためにある。だから、政治機関は国民に従わねばならない。したがって、政治機関を残すも潰[つぶ]すも国民一人一人の自由である。
日本政府は国家宗教政策すなわち人権侵害政策をやっている。
あなたが人権侵害政策を支持しているなら、日本政府に税金を払って政府に従えばいい。
あなたが人権保障政策を支持しているなら、日本政府に税金を払わず政府に従わなければいい。
今後の日本は、一人一人のあなたの判断にかかっている。
[11046] 政治機関はないほうがいいいかあるほうがいいか? h22.9.27
政治機関はないほうがいいだろうか、それともあるほうがいいだろうか?
よくわからなければ、実験してみればいい。
ひとまず政治機関を作らずにやってみて、それでうまく行けばそのままやればいい。
うまく行かなければ、政治機関を作ればいい。
[11047] 幕府と政府とどっちがいいか? h22.9.28
江戸幕府は国家宗教政策をやらなかった。江戸幕府は科学で政治をやって、日本をヨーロッパやアメリカのように物質的に豊かな国にした。
一方、日本政府は国家宗教政策をやる。日本政府は国家宗教で植民地政策や人権侵害政策をやる。政府はいつも植民地政策に失敗している。近代の政府は幕府がせっかく溜[た]め込んだ貯金を植民地政策に使い込んでいっさいパーにしてしまった。政府はその後も国のために何にもならない人権侵害政策をダラダラやってお金や時間を無駄[むだ]にしているだけである。
江戸時代に幕府が政府のイヤミを言っていたのは、幕府が政府よりも政治の才能があったからである。
幕府が政府よりも成功したのは、政府が宗教で政治をやるのに対し幕府が科学で政治をやったからである。
つまり、幕府が政府に勝ったのは、科学が宗教に勝ったからである。科学が宗教よりも自然のことが正しくわかるからである。
日本の政治を政府に任[まか]せても無駄である。
政府は人権侵害政策をやるだけで国の役には立たない。
早く政府を潰して、他の政治機関に代えたほうがいい。
今は世界的に科学で政治をやっているから、日本も世界に合わせて科学で政治をやったほうがいい。
中世の国民もそう考えて政府を捨てて幕府を選んだ。だから、今の国民もそうしなければならない。
[11048] どうして私は本を出さないのか? h22.9.28
私が出版社の連中が嫌いだからである。
お金で人の考えを買えると思っている連中が嫌いだからである。
そこが関門[かんもん]である。
いくら金を出しても私は自分の考えを売るつもりはない。
そうなると、私はまたお金を稼[かせ]ぐためにつまらない仕事に就[つ]くことになる。[最悪の場合は、仕事に就けなくて死ぬことになる。]
私は食べて糞[くそ]をして年を取って死ぬだけだ。
何も実[みの]りはしない。
しかし、それは仕方[しかた]がない。
私は生まれつきそういう性格だからだ。
たとえ私が自分の考えを本にしなくても、すでに“頭のいい人”が政府を潰[つぶ]しにかかっているはずだ。新しい政治機関を用意しているはずだ。
だから、特に私が言わなくても、日本や世界は大[たい]して困りはしない。
[11049] 政治機関は偉くない。☆ h22.9.28
政治機関は国民が支持する政策を実行する機関である。
そのために、政治機関は国民に命令を出すことがある。
政治機関が国民に命令を出すのは政治機関の仕事である。
政治機関が偉いから国民に命令を出しているわけではない。
それなのに、馬鹿な国民が「政治機関が国民に命令を出すのは政治機関が偉いからだ」とまちがって考えてしまったのである。「政治機関は偉いから、国民は政治機関の命令を聞かねばならない」とまちがって考えてしまったのである。そのために“身分”の概念が出来てしまったのである。身分制が出来てしまったのである。しかし、実際には政治機関は自分の任務を果たすために国民に命令を出しているのであって、けっして国民に威張[いば]るために命令を出しているわけではない。だから、政治機関を偉いと考えてはいけない。
政治機関は国民が支持する政策を実行する機関である。
だから、政治機関は国民に従わねばならない。
だから、国民が政治機関を残すか潰すか決める権利がある。
国民が政治機関に税金を払うか払わないか決める権利がある。
国民が自分にとって都合のいい世の中にするために政治機関に税金を払っているだけである。
だから、国民は自分が支持する政策をやる政治機関には税金を払うが、自分が支持する政策をやらない政治機関には税金を払わないのである。
今の日本にはたまたま政治機関がひとつしかないが、本来は政治機関は国にいくつもあるものであって、国民が自分の気に入った政治機関に税金を払って活動させればいいのである。
だから、今の日本には政治機関は日本政府のひとつしかないが、国民は自分が日本政府の政策が気に入らなければ日本政府に税金を払わずに日本政府を活動させなければいいのである。国民は自分が気に入った政策をする政治機関にだけ税金を払えばいいのである。国民は国に自分が気に入った政策をする政治機関がなければ税金を払わなければいいのである。
[11050] 警察は政府から独立せよ! h22.9.28
警察は人権保障政策をやる会社である。
しかし、今の日本政府は国家宗教で人権侵害政策をやっている。今の日本政府は日本を人権が侵害できる国にしている。
政府と警察は政策が矛盾している。
政府にとっては警察は要らない。人権が侵害できる国では警察が要らないからである。
だから、警察は政府から独立して人権保障政策をする会社を作ればいいのである。
そうすれば、国民は政府ではなく警察に税金を払うだろう。だから、警察は今の2倍儲[もう]かることになるだろう。
[11051] 政府をなくさなければならない。 h22.9.28
政府は国家宗教をする会社である。
つまり、政府は植民地政策や人権侵害政策をする会社である。
政府は昔からそういう会社だと決まっている。[もっとも、今の政府は植民地政策をやらずに、専[もっぱ]ら人権侵害政策をやっている。]
だから、日本に政府があることは日本が人権侵害政策をやっていることを意味する。日本人みんなが人権侵害政策を支持していることを意味する。[国会でのナントカ党のナントカ議員の発言なんかどうでもいことである。]
日本に政府があると、日本では自由に犯罪を犯してもいいことになる。
日本に政府があるせいで、日本が犯罪者の国になってしまう。
このままでは、日本が人間が住めない国になる。
国家宗教の神が誰であろうが、神がいようがいまいが、とにかく日本に政府があるだけで日本ではどんな犯罪でもやっていいことになるのである。[国家宗教の神は人間だから、人間であるかぎり一生に1度や2度は悪いことをするから、国家宗教では悪いことをやってもいいことになるのである。政府は国家宗教の専門家だから神に従っていることを比較的よく守って悪事をやるが、国民は国家宗教の素人[しろうと]だから神に従っていることを気にかけずにとにかく何でも悪事をやるのである。/江戸時代には天皇はいたが政府がなかったので国家宗教をやれなかった。国家宗教をやるためには政府がなければならないのである。]
だから、日本から政府をなくさねばならない。国民が政府に税金を払わないことによって政府が活動できないようにしなければならない。
政府には3つの顔がある。つまり、政府には国家宗教をやる会社と植民地政策をやる会社と人権侵害政策をやる会社の3つの顔がある。しかし、今の国民にとってはどの顔も要らない。今の国民は宗教よりも科学を信じているし、植民地政策をやらないし、人権保障政策を支持している。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。日本には、今の国民が支持する政策に合った『国家宗教をやらない植民地政策をやらない人権保障政策をやる政治機関』を作らねばならない。そうすれば、国民みんながその政治機関に入るから、政治機関は儲[もう]かるだろう。
今の日本政府のように、政治機関は最初に自分がやる政策とやらない政策をはっきり決めて、その中で仕事をしなければならない。
[11052] 国はどうやって作られるのか?☆ h22.9.28
政治機関は国民が支持する政策を実現するためにある。
国民には政治機関に入るか入らないかを決める自由がある。国民には政治機関を選ぶ自由がある。
国民は自分が支持する政策をやる政治機関に税金(活動資金)を払う。
政治機関は国民が支持する政策を実現する。
そうすることによって、国民が自分にとって都合のいい国を作ることができる。
国に政治機関が複数ある場合、加入者が少ない政治機関よりも加入者が多い政治機関の政策に適[かな]った国になる。
そうやって国は作られていくものなのだ。これまでもこれからもずっとそうなのだ。
[11053] どうして最近の日本では暴力団がなくなったか? h22.9.29
[この章は、誰かが私にテレパシーで伝えた内容である。]
暴力団は他人にたかって生きている。他人のおこぼれにすがって生きている。
昔の日本は景気がよかったから、国民の財布[さいふ]に余裕があったので、暴力団が多かった。
しかし、最近の日本は景気が悪いから、国民の財布に余裕がないので、暴力団が減ったのである。
最近の日本が景気が悪いのは、日本政府が国の経済をほったらかしで国家宗教で人権侵害政策ばかりやって遊んでいるからである。
つまり、最近日本で暴力団が減ったのは、日本政府のおかげである。
こうなったら、暴力団は政治家の腕を1〜2本へし折ってやるしかない。
[11054] どうして最近の日本人は馬鹿になったのか? h22.9.29
[この章も、誰かが私にテレパシーで伝えた内容である。]
馬鹿は眼で見たことしかわからない。だから、馬鹿は格好[かっこう]付けにこだわるのである。
馬鹿は人間的な才能がないから、お金が儲[もう]かる仕事に就[つ]けず貧乏である。
つまり、馬鹿は貧乏人である。
逆に、貧乏人は人間的な才能を磨[みが]く余裕がないから馬鹿である。[人間の才能は磨けば発達する。反対に、磨かなければ発達しない。]
つまり、貧乏人は馬鹿である。
したがって、馬鹿は貧乏人であり、貧乏人は馬鹿である。つまり、馬鹿と貧乏人は同じである。
最近の日本は政府が国の経済をほったらかしで国家宗教で人権侵害政策をやって遊んでいるせいで貧乏である。
つまり、最近の日本人は貧乏である。
貧乏人は馬鹿だから、最近の日本人は馬鹿なのである。
最近の日本人は貧乏と馬鹿をグルグル回る悪循環に陥[おちい]っている。
最近の日本人が格好付けにこだわるのも、最近の日本人が貧乏馬鹿[びんぼうばか]だからである。
たしかに、昔の日本にも貧乏馬鹿はいた。ただし、それは例外だった。今の日本はみんなが貧乏馬鹿だ。そうでないのが例外だ。
医者は馬鹿だから貧乏が似合[にあ]いである。だから、医療保険制度は廃止しなければならない。
[11055] 学生時代にわかっておくべきこと h22.9.29
高校までは、とにかく憶[おぼ]えることが多い。
しかし、大学生にもなれば、自分で考えることができるようにならねばならない。大学生にもなれば、自分で考えたことを言葉にして述べることができねばならない。
大学を卒業するまでには『論理的に考える』ことがわからなければならない。人間として生まれたら『論理的に考える』ことができねばならない。[私の場合、論理的に考えることがわかったのは28才の頃だった。]
大学を卒業したら、あとは臨機応変に自分に与えられた課題について論理的に考えて理解して行けばいい。その中で『新しい発見』があるかもしれない。
例えば、政治機関は国民が支持する政策を実行するための機関だから、(中略)、国民は今の政府に税金を払わなければいい。[[11044]を参照。]これが論理というものだ。子供にはまだ論理の正しさがわからなくても、大人になればわかるようになる。
[11056] 政府よりも幕府のほうが日本が楽しい国になる。 h22.9.29
政策は国民と政治機関がいっしょになってやるものである。政治機関は国民から税金(活動資金)をもらって、国民が支持する政策をやる。つまり、政治機関とは『政策をやる会社』のことである。[国民は仕事があっていそがしいから、政治機関にお金をやって、自分の代わりに政治機関に政策を実行してもらうのである。例えば、日本政府の政策は人権侵害政策であり、今の国民は仕事がいそがしくて自分が犯罪を犯せないから、代[か]わりに政府に犯罪を犯してもらっているのである。中世の頃は国民が暇だったので、国民も政府といっしょになって人権侵害政策(つまり犯罪)をやっていたが、今は国民が仕事でいそがしいので政府だけが人権侵害政策をやっているのである。けっして、政府が国民よりも“身分が高い”から政府が国民を殺しているのではない。(平成22年10月15日追加→)中世の国民は暇だったから自分で考え事をする時間があったので、自分で政府について考えて政府が法律をやっているふりをして裏で国家宗教をやっていることを突き止めて、自分でも国家宗教をやって法律を犯していたのである。]
今の日本の政治機関は政府である。
政府は国家宗教政策をやっている。日本では、政府は国家宗教政策をやるものと決まっている。
国家宗教政策では、政府や国民が何をやってもいい。犯罪をやってもいい。
国家宗教政策は人権侵害政策だから、政府も国民も人権が保障されない。
国家宗教政策では、国を神に従わせる。
国を神に従わせると、政府や国民の自由がなくなる。
しかも、日本の国家宗教の神である神武天皇は性格が暗い。
だから、日本を神武天皇に従わせると、日本が暗い国になる。日本が娯楽のない国になる。
一方、幕府は科学政策をやる。国家宗教政策をやらない。
科学政策では、科学は物が得意だから、日本が物質的に豊かな国になる。
科学政策では国家宗教政策をやらないから、幕府や国民の人権が保障される。
科学政策では国を神に従わせることはしないから、幕府や国民に自由が与えられる。
幕府や国民は人権が保障されながら、自由であることも許される。
だから、幕府が日本の政治機関であったほうが日本が楽しい国になる。日本が娯楽の多い国になる。国民だけでなく、政治機関にとってもそのほうがうれしいはずだ。
正しいことは楽しいことである。反対に、まちがっていることは不愉快[ふゆかい]なことである。とにかく宗教よりも科学のほうが正しい。だから、日本には幕府のように科学で政治をやる政治機関を置けばいいのである。
[11057] 日本人は政府に税金を払ってはいけない。 h22.9.29
日本政府は国家宗教政策すなわち人権侵害政策をする会社である。日本政府は昔からそういう会社だと決まっている。
税金は政治機関の活動資金である。
だから、日本人が日本政府に税金を払うことは、日本政府に国家宗教政策すなわち人権侵害政策をやってもらうことになる。日本政府に日本を犯罪者の国にしてもらうことになる。
日本がそんな国になったら、国民も政府もとても暮らせたものではない。
だから、日本人は日本政府に税金を払ってはいけない。国民も政府も日本政府に税金を払ってはいけない。
[11058] 芸能人の仕事 h22.9.30
政治機関は一定の政策をやる。例えば、日本政府は国家宗教政策(すなわち植民地政策と人権侵害政策)をやるものと決まっている。幕府は科学政策をやるものと決まっている。政治機関はまず最初に自分がやる政策を国民にはっきりと提示しなければならない。
政治機関の政策をよしとする国民が、その政治機関に税金(活動資金)を払って政治機関に政策をやってもらう。
国民にとって政治機関の仕事(政治活動)が満足行かなければ、国民は政治機関に税金を払うのをやめる。
国民にとって政治機関の仕事が満足行くときだけ、国民は政治機関に税金を払う。
芸能人も政治機関と似ている。
芸能人はファンからお金をもらって芸を見せる。
ファンにとって芸能人の芸が満足行かなければ、ファンは芸能人にお金をやるのをやめる。
ファンにとって芸能人の芸が満足行くときだけ、ファンは芸能人にお金をやる。
芸能人が人気が出なければ、芸能人を辞[や]めねばならない。
しかし、芸能人がある程度人気が出れば、一生芸能人としてやっていける。
それと同じように、政治機関も人気が出なければ潰[つぶ]れる。
しかし、政治機関が人気が出れば、永遠に政治機関としてやっていける。
芸能人も政治機関も人気で持っている。人気は上がったり下がったりして不確実ではっきりしないものである。
しかし、芸能人は人気の不確実さを乗り越えてがんばって稼[かせ]いでいるのだから、政治機関もがんばって稼ぐべきである。芸能人にできて政治機関にできないことはないはずだ。
政治機関に対する税金は、その政治機関に対するファンからの“差し入れ”のようなものである。だから、政治機関は、自分のファンのためにがんばって仕事(政治活動)をしなければならない。
芸能人は売れれば大金持ちになれる。それと同じように、政治機関も売れれば大金持ちになれる。だから、政治機関は自分が国民に売れるように仕事に励[はげ]まねばならない。
[11059] 日本人と私の違い h22.9.30
日本人は、文学書が好きで文学書をよく読む。
だから、日本人は、他人の言葉を真実ではなく作り事として読むし、自分の言葉を真実ではなく作り事として書く。
ところが、私は子供の頃から科学書が好きで科学書をよく読んでいた。
だから、私は他人の言葉を作り事ではなく真実として読むし、自分の言葉を作り事ではなく真実として書く。
今度の日本政府の例[れい]でもわかるように、実在はわかったつもりでいるだけで実際にはわかっていないものである。
人間はわかっていないことがあるからこそ、考えてわからねばならない。
最初からわかることを諦[あきら]めて、どうでもいいことばかり考えている者に進歩はない。
実際には、文学者は政府の指示で、作品にまちがいを入れて、国民を政府に対する誤解に導くように仕向けている。だから、文学書を読んでも真実はわからない。かえって、まちがいを憶[おぼ]えて馬鹿になるだけだ。日本人の頭の中では、政府はいつも玉座[ぎょくざ]に座って国民を見下ろしているのだ。国民は政府の忠実なしもべなのだ。
私はマンガもテレビもほとんど見ないし、自分で考えるのが好きだから、政府について正しいことがわかったのだ。
[11060] 日本は宗教をやめたほうがいい。 h22.9.30
宗教では何でもできる。宗教では何をやっても許される。
だから、宗教をやっている国同士では、相手の国を殺したり相手の国の物を取ったりすることができる。一方、宗教をやっていない国は人権保障政策を支持している国だから、宗教をやっている国が宗教をやっていない国を殺したり国の物を取ったりすることはできない。[昔中国が世界中の国から狙[ねら]われたのは、世界大戦以前は宗教とは無関係に戦争をやってもよかったからである。しかし、世界大戦以後は戦争をやってはいけないことになった。今では、戦争をやってもいいのは宗教をやっている国の間だけである。]
今の日本の政治機関は日本政府だから、今の日本は宗教をやっている。日本以外にも宗教をやっている国はある。
しかし、日本が一方的に相手の国から物を取れるわけではない。相手の国も日本から物を取れる。
宗教をやっている国の間では、人殺しや泥棒の才能のある国ほど有利なことになる。つまり、戦争の強い国ほど有利なことになる。ところが、日本は軍事力が弱いから、人殺しや泥棒の才能がない。
日本は相手の国から物を取られる一方である。
だから、日本は宗教をやめたほうがいい。日本政府を政治機関にしないほうがいい。
[11061] 国民は政府に税金を払ってはいけない。 h22.9.30
政府は国家宗教政策すなわち人権侵害政策をする会社である。つまり、政府は、政府に入っている者同士(政府自身も含む)が互いに自由に人権を侵せるようにする会社である。
国民が政府に税金を払うことは、国民が人権侵害政策を支持していることになる。
しかし、実際には、国民が人権侵害政策を支持しているかどうかはわからない。
たぶん、国民は人権侵害政策を支持していないだろう。
それなら、国民は政府に税金を払ってはいけない。[税金は政治機関の活動資金だからである。]
[11062] 刑罰における被害者優先の法則☆ h22.9.30
一般に、国には複数の政治機関があり、国民はその中のどれかに自由に入ることができる。政治機関に入らなくてもかまわない。
国民は自分が支持する政策をする政治機関に入って、政治機関に活動資金として税金を払って政治機関に自分が支持する政策を実現してもらう。
異なる政治機関に入っている者の間で犯罪が行われた場合、被害者の側の法律の罰則に従うことにする。[国籍が違う者の間で犯罪が行われた場合と同様である。]例えば、人権侵害政策をする政治機関に入っている者が人権保障政策をする政治機関に入っている者を殺した場合、殺害者は人権保障政策をする政治機関が定めた刑法の罰則に従って罰せられることとする。つまり、牢屋に入れられたり死刑にされることになる。人権保障政策をする政治機関に入っている者を害するとあとで加害者が罰を受けることになるので、人権保障政策をする政治機関に入っている者を害することができない。だから、自分の身を守るためにわざわざお金を出して人権保障政策をする政治機関に入るのである。逆に、人権保障政策をする政治機関に入っている者が人権侵害政策をする政治機関に入っている者を殺した場合、殺害者は人権侵害政策をする政治機関が定めた刑法の罰則に従って罰せられることになる。つまり、無罪になる。政治機関に入っていない者が殺された場合も、殺害者は無罪になる。
今の日本の政治機関は、国家宗教政策すなわち人権侵害政策をする日本政府しかない。だから、日本人は日本政府に入っているか、どの政治機関にも入っていないかのどちらかしかない。だから、日本人の間で犯罪が行われた場合、犯罪者はみんな無罪になる。これでは、日本では犯罪が犯したい放題である。今のままの日本ではいけない。
日本に早く『人権保障政策をする政治機関』が出来て欲しいものである。善[い]い政策をする政治機関ほど加入者が増えて儲[もう]かるのだから、政治機関は善い政策をやればいい。
[11063] 政治機関の役立たずを治す方法 h22.9.30
日本政府が国家宗教政策と飾りの民主主義政策をやる政治機関のままだと、民主主義は議会制民主主義で政府主義にほかならないから、政府が国民にとって役立たずの政治機関になるだけである。日本政府が自分自身のまちがいを直すことは永遠にない。日本政府が永遠に国家宗教(植民地政策や自分の国の国民に対する人権侵害政策)をやる政府主義の会社になるだけである。
しかし、本来政治機関は国民が支持する政策をやるためにあるはずである。
だから、国民に政治機関に入るか入らないかを決める自由を与えねばならない。国民に政治機関を選ぶ自由を与えなければならない。[国民が政治機関を選べば民主主義になる。]
そうすれば、政治機関は国民が支持する政策をやる機関になり、政治機関本来の働きを取り戻すことになる。政治機関が国民のために役に立つ機関になる。
そもそも政治機関は国民が支持する政策をやる会社なのだから、国民は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されず、正しいことをやればいいのである。
世の中は正しい方向に動いているから、今どき政府がまちがいを国民に押し付けることはできない。政府の考えでは政治機関が政治機関ではなくなってしまう。だから、国民は政府のまちがった考えによらず、私の正しい考えによればいいのである。
[11064] 政治機関は正しくなければならない。 h22.9.30
古代の日本政府は植民地政策をやっていたので、国民にとって正しく見えた。
中世の日本政府は国家宗教政策をやっていたので、国民にとって正しく見えた。
近世の江戸幕府は科学政策(自然主義政策)をやっていたので、国民にとって正しく見えた。[日本にはもともと自然に従う思想があるので、近世の日本人は当時のヨーロッパで広まっていた自然主義をすんなりと受け入れたのである。私には自然主義のほうが日本人にとってサマになると思う。国家宗教はバタ臭すぎて嫌[いや]だ。]
近代の日本政府は植民地政策をやっていたので、国民にとって正しく見えた。
しかし、現代の日本政府はいまだに国家宗教政策をやっている。国民にとっては今の日本政府は正しく見えない。政治機関の“政”は正しさを取り締[し]まるという意味である。今の日本政府は政治機関の資格がない。だから、国民は今の日本政府を政治機関として認めない。国民は政府に税金を払わずに政府を活動できなくすればいい。税務署や警察が文句をつけに来たらぶん殴[なぐ]ってやればいい。
政治機関は面白くないからこそ、せめて正しくなければならない。[面白いことは民間のテレビ局や芸能人などに任[まか]せて、政治機関は正しいことをすればいい。]しかし、今の日本政府は正しくない。だから、日本政府は長くない。そろそろ次の政治機関の出番だ。
[11065] 明治時代の国民が悪い。 h22.10.1
今の日本政府は国家宗教で人権侵害政策をしていろんな事件を起して自分の国の国民を苦しめている。[テレビや新聞の事件の大半は、日本政府が国家宗教で起こしたものである。]
今の日本政府は自分が国家宗教をやる機関であるという理由で、何の目的もなく惰性[だせい]で事件を起しているだけである。
今の日本政府は、明治維新のときに国民が選んだものである。
だから、今の国民の不幸の原因は明治時代の国民にある。明治時代の国民が眼先の欲望に駆[か]られて植民地政策を支持して日本の政治機関を日本政府にしたのが悪い。
しかし、明治時代の国民のまちがいをそのままいつまでも受け入れている今の国民も悪い。
だから、今の国民が政府を倒すべきである。今の国民が日本の政治機関を政府から人権保障政策をやる政治機関に変えるべきである。今の国民が政府に税金を払わずに政府を潰[つぶ]して、新しい政治機関が出来やすくすればいい。そうすれば、日本は明るい未来が開ける。
今の日本は明治時代に政治機関の選び方をまちがったせいで病気にかかっている。早く日本の病気を治して、日本を健康にしなければならない。
[11066] 宗教とは何か? h22.10.1
国家宗教にしろ民間宗教にしろ、宗教とは人権侵害政策である。なぜなら、宗教では神に従うことが正しく、神に従うことは何をやってもいいが、宗教では“従う”の意味が曖昧[あいまい]だから、実際には宗教では何をやってもよく、人権を侵[おか]してもいいからである。つまり、宗教では、自由に人を殺していいし、人の物を取ってもいい。
宗教に入るとは人権侵害政策を支持していることである。だから、宗教に入れば、自由に人を殺せるし、自由に人の物を取ることができる。ただし、人権侵害政策を支持することは他人の人権を認めないと同時に自分の人権を認めないことでもある。だから、他人に自分が殺されたり自分の物を取られたりする危険もある。『刑罰における被害者優先の法則』[[11062]を参照]があるから、宗教に入っている者は自他の人権を認めないから、たとえ自分が犯罪にあっても犯人は無罪である。だから、宗教に入っている者は、周[まわ]りの連中からつねに犯罪を犯される危険がある。要するに、宗教に入るとは自分の人権を認めないことである。だから、宗教に入ることはすでに死んだも同然である。宗教に入ることは自殺行為である。宗教に入ると周りのみんなから石を投げつけられるのはそのためである。
反対に、人権保障政策をする政治機関に入ることは自分の人権を認めることである。『刑罰における被害者優先の法則』によって、人権保障政策をする政治機関に入っている者が犯罪にあうと犯罪者は罰せられる。だから、宗教に入っている者が人権保障政策をする政治機関に入っている者の人権を侵すと罰せられる。だから、宗教に入っている者は人権保障政策をする政治機関に入っている者の人権を侵すことはできない。宗教に入っている者同士[どうし]で人権を侵すことができるだけである。
しかし、実際に今の日本にはまだ人権保障政策をする政治機関が出来ていない。だから、今の日本人は宗教に入るか入らないかのどちらかしかできない。だから、今の日本人はみんな自分の人権を認めていない。したがって、今の日本人は他人の人権を侵したい放題である。つまり、日本ではあらゆる犯罪が許される。国家宗教で人殺しをしている政府が無罪なのはそのためである。日本では、法廷で自分の有罪を認めた者だけが有罪なのである。有罪を認めなければ無罪なのである。
早く日本にも『人権保障政策をする政治機関』が出来て欲しいものである。それまでの間は、日本人はみんな無防備である。他人に何をされても文句は言えない。外国が日本に攻[せ]めてきて日本人が皆殺しにされても文句は言えない。日本人は自分が生きたいと思うなら、『人権保障政策をする政治機関』を作らなければならない。『人権保障政策をする政治機関』に入って、自分の人権を守らなければならない。宗教に入っている者のように、自分の人権を認めない、いつも死にたがっている者になってはならない。宗教に入っている者のように自暴自棄[じぼうじき]になってはならない。
[11067] 会社の権利 h22.10.1
人間に人間の権利(人権)があるように、会社にも会社の権利(会社権)がある。
人権保障政策をする政治機関は、会社の権利も保障する。
人権保障政策をする政治機関は、会社から税金(政治機関の活動資金=会社の権利の保障費)をもらって会社の権利を保障する。
人権保障政策をする政治機関は、全国の会社を客にできるからかなり儲[もう]かる。
ところが、今の日本政府は国家宗教政策すなわち人権侵害政策をやって人権保障政策をやっていない。だから、会社の権利も保障しない。日本は個人にとっても会社にとっても無法地帯である。今の日本の景気が悪いのも、政府が会社の権利を保障していないからである。
したがって、会社は日本政府に税金を払っても仕方がない。そんなお金があったら、社員にボーナスでもやって機嫌[きげん]を取ったほうがましである。
[11068] 君は日本政府に税金を払うか、それとも払わないか? h22.10.1
一般に、国には政治機関がいくつあってもいい。政治機関によって政治機関のやる政策が決まっている。
今の日本には政治機関は日本政府しかない。今の日本政府は人権侵害政策をやっている。日本政府は国家宗教政策すなわち植民地政策か人権侵害政策をやる会社である。今の日本政府は植民地政策をやっていないから、人権侵害政策をやっているのである。
税金は政治機関の活動資金である。国民は政治機関に税金を払うことによって政治機関に政策をやってもらう。
国民には政治機関に入る入らない自由がある。国民には自分が入る政治機関を選ぶ自由がある。国民は政治機関に入らなくてもかまわない。
君が人権侵害政策を支持するなら、日本政府に税金を払えばいい。
君が人権侵害政策を支持しないなら、日本政府に税金を払わなければいい。
しかし、そもそも人権侵害政策を支持することは、自分の人権を失うことである。だから、そんな馬鹿はいないはずだ。自殺志願者以外は日本政府に税金を払わないはずだ。したがって、国民みんなが人権侵害政策を支持せず日本政府に税金を払わないはずだ。
[11069] 文化大革命とは何か? h22.10.2
日本政府が国家宗教政策で国民を殺すようなものである。
つまり、当時の中国政府は“まちがった政策”をやっていたために大勢の中国人を殺したのである。
政治機関は時々成り行きでまちがった政策をやることがある。
そのとき、大勢の国民が政治機関に殺されるのだ。
政治機関自身は国民に対して悪気[わるぎ]があるわけではなく、ただ自分の“仕事”を忠実にやっているだけである。国民がいくら大勢死んでも、そんなことはおかまいなしに政治機関は自分の“仕事”をひたすらやり続ける。
だから、国民は政治機関がまちがった政策をやらないように目を光らせていなければならない。
政治機関は必ずしも正しい政策をやるわけではない。
だから、国民は政治機関の言いなりになってはいけない。
国民が政治機関の政策が正しいかまちがいかをよく考えねばならない。
政治機関の政策がまちがっていれば、国民はまちがった政策をやる政治機関から出て、まちがった政策をやる政治機関を潰[つぶ]して、正しい政策をやる政治機関を新しく作って、正しい政策をやる政治機関に入らねばならない。
[11070] どうして日本国民は日本政府を支持しているのか?☆☆ h22.10.2
日本国民が日本政府のことを詳[くわ]しく知らないからである。
日本政府は国家宗教をする政治機関である。それが日本政府の定義である。
日本政府にとって法律は“飾り”である。つまり、日本政府は法律(例、日本国憲法)を置いてあるだけである。日本政府は法律を飾りとして置いておくだけで、実際には国家宗教ばかりやっている。中世の日本でも最初の頃は中国から法律を輸入して日本風にアレンジしてやっていたが、いつの間にか日本は国家宗教ばかりやって法律は形骸[けいがい]と化してしまったのである。[『二条河原の落書[らくしょ]』を参照。]そのために、日本政府はいつでも法律を飾りと見なすようになったのである。それが日本政府の伝統である。明治政府も日本帝国憲法をたんなる飾りだと考えていたし、現代の日本政府も日本国憲法をたんなる飾りだと考えているのである。
日本の国家宗教は、植民地政策や人権侵害政策のことである。植民地政策とは外国を征服して外国の物を分捕[ぶんど]ることであり、人権侵害政策とは人々がお互いに殺し合ったり財産を奪い合ったりすることである。[国家宗教では神に従うことは正しく、神に従うことをしなければならないとされている。日本の国家宗教の神は神武天皇で、神武天皇はナガスネヒコの土地を奪ったから、日本人は植民地政策をやらねばならないとされている。また、国家宗教では神に従うことが正しく、神に従うことは何をやってもいいとされているが、国家宗教では“従う”の意味が曖昧[あいまい]だから、実際には国家宗教では何でもやっていいとされている。だから、日本人は他人の人権を侵[おか]してもいいのである。つまり、日本人は人権侵害政策を支持していることになる。]もっとも、今の日本政府は植民地政策をやっておらず、人権侵害政策だけをやっている。
つまり、今の日本政府は人権侵害政策をやる政治機関である。今の日本では、政府が自分の国の国民を殺したり国民の財産を取ったりしている。テレビや新聞に出ている事件の大半は、日本政府が起こしたものである。[本当は国民も人権侵害政策をやってもいいのだが、国民は自分の仕事がいそがしくてそんなことをやる暇がないので、実際には政府だけが人権侵害政策をやっているのである。]今の日本が不景気なのも、政府が国民の人権(生存権や財産権など)を侵すためにやっているのである。
日本国民が日本政府のことを正しく知れば、日本国民は日本政府を支持しない。日本国民は日本政府に反対する。
幸い、日本には、国民が政治機関に自由に入ったり出たりできる文化がある。日本の歴史を勉強すれば、そのことがわかる。[江戸幕府が天皇を殺さなかったのも、江戸幕府が政府の存在を許していたからである。つまり、国には複数の政治機関があってもいいのである。江戸幕府が政府に入る人がいないのを見て政府のイヤミを言っていたのである。だから、ひとつの政治機関が国民全員から強制的に税金を取って政治機関に入れることはできないのである。今の日本政府が国民に嘘[うそ]を言って国民を騙[だま]しているのである。天皇を生かしておくのは、将来もしかしたら国家宗教が有利な世の中になるかもしれないからである(可能性としては低いが)。]
だから、日本国民は今の日本政府から出て、日本政府を潰[つぶ]して、人権保障政策をやる政治機関を新しく作って、人権保障政策をやる政治機関に入らなければならない。
[11071] 宗教よりも科学が正しい。 h22.10.2
今の日本の政治機関は日本政府であり、日本政府が国家宗教で人権侵害政策をやっている。
今の日本は中世の日本と同じことをやっている。
しかし、中世の日本では国民が宗教よりも科学を信じるようになって国家宗教をやる日本政府を支持しなくなって日本政府に税金を払わなくなって日本政府が倒れた。
だから、現代の今の日本でも国民が宗教よりも科学を信じれば日本政府は倒れるはずである。[中世にできたことは現代でもできるはずである。]
近世以降の世界では、宗教よりも科学が正しいことが常識となっている。
だから、近世以降は、日本政府が日本の政治機関となることはできないのだ。日本政府は、近代の日本の植民地政策のために一時[いっとき]日本の政治機関になっていただけなのだ。
[11072] 鎌倉幕府とは何か? h22.10.2
源頼朝が「宗教が日本を悪くしている原因だ」と考えて宗教をやらない国を作ろうとした。
それで、源頼朝が宗教をやらない政治機関として鎌倉幕府を作ったのである。つまり、幕府とは宗教をやらない政治機関のことである。武家とは宗教をやらない人のことである。当時の日本の都は宗教を信じている者ばかりだったので、日本の田舎[いなか]の鎌倉に幕府を作ったのである。鎌倉幕府は最初の頃は地元の住民だけを客にしていたが、その後全国に展開して全国の国民を客にするようになった。
しかし、当時はまだ国民には宗教が正しいと信じられていたために、国民には鎌倉幕府の宗教をやらない政策が受け入れられなかった。
だから、国民は鎌倉幕府を支持せず鎌倉幕府に税金を払わなかったので鎌倉幕府は倒れたのである。
室町幕府も同じ理由で倒れたのである。[当時はまだ宗教が正しいと信じられていたので、天皇に任命されないと将軍にはなれなかった。]
しかし、徳川幕府の時代になると、国民が宗教(神主義)よりも科学(自然主義)が正しいと考えるようになったので、国民は徳川幕府を支持して徳川幕府に税金を払うようになったから徳川幕府は日本の政治機関となりえたのである。
今の国民も宗教よりも科学が正しいと信じている。だから、今の国民は国家宗教をやる日本政府を支持せず日本政府に税金を払わないから日本政府は倒れるのだ。いつの時代にも、国民の支持を得られない政治機関はやって行けないのだ。
[11073] 信者とは何か? h22.10.2
信者とは、宗教(神主義、つまり人権侵害政策)を支持している者のことである。
信者とは、国家宗教や民間宗教を支持している者のことである。
だから、信者は日本政府や民間宗教団体を支持して日本政府や民間宗教団体に税金やお布施[ふせ]を払って日本政府や民間宗教団体に宗教活動(つまり犯罪)をさせたり日本政府や民間宗教団体の命令に従ったりしている。また、信者は自[みずか]らも宗教活動(つまり犯罪)を行っている。つまり、信者とは犯罪者や不良のことである。[信者は自分の仕事がいそがしいから、日本政府や民間宗教団体にお金をやって自分の代[か]わりに日本政府や民間宗教団体に犯罪を犯してもらって喜んでいるのだ。つまり、信者は犯罪マニアなのである。信者は世の中で犯罪が起こると大喜びするような心のすさんだくだらない連中なのである。犯罪マニアは自分でも犯罪を犯すことが好きなので、日本政府の命令で飛行機や列車を運転して大勢の客を地獄への道連れにするのである。]
しかし、今は宗教よりも科学が正しいことが常識である。
信者は常識を受け入れようとしないからわがままである。
信者は例外者である。
国民がどんな政治機関に入ろうが入るまいが国民の勝手である。国民は自分が支持する政策をやる政治機関に税金を払って政治機関に自分に対するサービスをやってもらうだけである。例えば、信者は日本政府に税金をやって日本政府に国家宗教でいろんな犯罪を起こしてもらって自分の目を喜ばせているのである。つまり、日本政府は犯罪マニアのために犯罪事件を起すサービスをする会社なのである。植民地政策をやっていない今の日本政府にとってはそんなサービスをするしか他[ほか]に仕事がないのである。
だから、信者は日本政府や民間宗教団体を支持して日本政府や民間宗教団体に税金やお布施[ふせ]を払って日本政府や民間宗教団体に宗教活動(つまり犯罪)をさせたり日本政府や民間宗教団体の命令に従ったりすればいい。また、信者は自[みずか]らも宗教活動(つまり犯罪)を行えばいい。
しかし、信者以外の国民は、日本政府や民間宗教団体を支持せず日本政府や民間宗教団体に税金やお布施[ふせ]を払わない。信者以外の国民は、宗教をやらない政治機関を支持して宗教をやらない政治機関に税金を払って宗教をやらない政治機関に自分の人権を守ってもらう。
最初の頃の鎌倉幕府のように、宗教を信じる者同士が集まって日本の一画[いっかく]に小さな国を作って、その中で好きなように宗教をやればいいだろう。それは、個人の自由だから、誰にも止[と]められはしない。
[11074] 政治機関とは何か?☆ h22.10.3
政治機関とは政策をやる会社である。政策とは、政治機関にお金を払った者に対して政治機関がやる特定のサービスのことである。
国民が政治機関の政策が気に入ったら、政治機関にお金を払って政治機関に自分に対するサービスをやってもらう。
例えば、江戸幕府の人権保障サービスや、日本政府の国家宗教で殺人事件を起すサービスなどがある。日本政府は武器を持たせてくれて外国と戦争して戦争に勝てば外国の物を自由に取り放題のサービスをやってくれることもある(ただし、現在は休止中)。
国民が政治機関に入ろうが入るまいが国民の自由である。
お金がない人は、政治機関のサービスを受けられない。人権保障サービスを贅沢[ぜいたく]だと思う人は、政治機関に頼らずに自力で生きてみるのもいい。
[11075] 共産主義の政治機関 h22.10.3
国には政治機関がいくつもあってもいいい。
だから、共産主義の政治機関があってもいい。
共産主義のサービスを受けたい者は、共産主義の政治機関に入ればいい。
共産主義のサービスを受けたくない者は、共産主義の政治機関に入らなければいい。
日本の一画[いっかく]に共産主義の小さい国を作って、共産主義を支持する者がその中で暮らせばいい。
資本主義を支持する者はその外で暮らせばいい。
共産主義が嫌になれば共産主義の小さな国から出て行けばいいし、反対に資本主義が嫌になれば共産主義の小さな国に入ればいい。
今日[こんにち]では国民には主義や思想の自由がある。
主義や思想の数だけ政治機関がある。
国民が自分が支持する政治機関に自由に入って暮らせるような国がいい。
そうすれば、国民が自分が生きたいように生きることができるし、国民が政治機関を選ぶので悪い政治機関がなくなるだろう。国民にとって善い政治機関ばかりになって国民にとって住みやすい国になるだろう。
[11076] 日本人は民主主義が嫌いである。 h22.10.3
日本人は天才が好きである。
日本人は大勢の愚民[ぐみん]のまちがった判断よりも一人の天才の正しい判断に従う。
日本人はとにかく正しいことが好きなので、どんな方法でも正しければいいのである。[特に政治機関の場合、政治機関は芸能会社ではないから、面白いことよりも正しいことが優先されるので、政治機関は正しければいいのである。]
ところが、民主主義ではまちがった判断を下[くだ]しやすい。
その例が、明治時代の国民が植民地政策を支持して日本政府を日本の政治機関にしてしまったことである。[たとえ植民地政策を支持するとしても、国家宗教は要らないから、日本政府とは別の政治機関にすればよかった。はたして日本国民は国家宗教の意味がわかっているのだろうか?]
世の中には利口よりも馬鹿が多い。馬鹿は眼先のことしかわからないので、まちがったことしか考えない。
まちがった判断を避けるためにも、民主主義は採[と]るべきではない。
民主主義を採らない、天才主義を採る政治機関を私は支持する。
国民の大半は愚鈍[ぐどん]な馬鹿だから、民主主義でやると国がどんどん悪くなっていく。だから、政治機関は民主主義によらず天才主義によらねばならない。
[11077] 刑罰における被害者優先の法則の補則 h22.10.3
一般に、犯罪があった場合、加害者は被害者の加入している政治機関の刑法に従って罰せられる。
ただし、刑罰があまりにも重すぎる場合がある。
例えば、人前でオナラをしただけで死刑にされてはたまらない。
だから、加害者が判決の内容に異議がある場合、異議を受け付ける機関が必要である。
個々の政治機関を超える普遍的[ふへんてき]な裁判所が必要である。それなら、それを作ればいい。
[11078] もしも江戸幕府が残っていたらどうなったか? h22.10.3
明治維新のときに、日本人が『一つの国に複数の政治機関があってもいい』ことを知っていたら、江戸幕府は残れたかもしれない。
そうすれば、江戸幕府に入っていた者は戦争に行かなくても済んだはずだ。
日本政府に入っていた者だけが戦争に行って負けて赤字を背負[しょ]い込めばよかったのだ。
世界大戦後は、日本国民の大半が幕府に入って天下泰平の世の中が実現していたかもしれない。
日本政府に入っている者の間だけで勝手に殺し合いや物の取り合いをやって悪の心を満足して喜べばいい。
[11079] 日本政府とは何か?《これまでのまとめ》☆ h22.10.4 日本政府を理解するためには、まず宗教について理解しなければならない。 1)宗教とは何か? 宗教とは昔の自然科学である。科学における原理が宗教における神(架空または実在の特定の人間)である。宗教では神に従うことが自然の真理だとされている。ただし、宗教では“従う”の意味が曖昧[あいまい]である。だから、宗教では大雑把[おおざっぱ]に言って何をやってもいい。だから、他人の人権を侵[おか]すこともできる。[10963]を参照。つまり、宗教とは他人の人権を侵すことである。犯罪を犯すことである。これが浦島太郎の玉手箱の中身なのだ。 2)日本神道とは何か? 日本神道とは、植民地政策と人権侵害政策である。[11070]の中頃にある解説を参照。 3)政治機関とは何か? 政治機関とは、一定の政策サービスをする会社のことである。国民は自分が気に入ったサービスをする政治機関に税金を払って政治機関に自分に対するサービスをやってもらう。[11074]を参照。 4)日本政府とは何か? 日本政府とは、法律を飾りにしながら、国家宗教サービスをする会社である。[11036]を参照。 宗教が何かがわかれば、日本政府が何かがわかる。日本政府が何かがわかっていないのは、宗教が何かがわかっていないからである。つまり、宗教が何かがわかっていないから、国民は政府の言いなりになっているのである。宗教や政治機関について理解すれば、もはや国民は政府の言いなりではない。[[10901]あたりから読んでいけば、おおよその理解は得られるだろう。] 今の日本政府は「国家宗教で[自分の国の]国民を殺したり国民の財産を奪ったりするサービス」をする国民にとって役に立たないくだらない会社である。だから、国民は日本政府に税金を払わずに日本政府にサービスをやってもらわなければいい。そのうち日本政府は倒れるだろう。その後に、どんな政治機関が出来るのか今から楽しみだ。 |
[11080] 中世と現代の違い☆ h22.10.4
中世は国民みんなが国家宗教を正しいと考えて国家宗教を支持していた。だから、政府は公[おおやけ]に天皇を置いて天皇を国民に公表することができた。当時の政府は表では天皇や法律を置いておとなしく真面目[まじめ]に政治をしているふりをしながら、裏では一部の国民といっしょに人権侵害政策(つまり犯罪)をやって国を乱[みだ]していた。
しかし、現代の今では国民みんなが国家宗教を正しくないと考えて国家宗教を支持していない。だから、今の政府は公に私を置くことができず私を国民に公表することができない。今の政府は表向きは国家宗教をやっていないふりをしながら、裏では国家宗教をやっている。政府は国家宗教でいろんな事件を起して自分の国の国民を殺したり[自分の国の国民の]物を取ったりして国民を苦しめている。[政府は国家宗教で国民の物を取っているが、税金は政府が国家宗教で国民から取った物ではない。税金は国民が政府の国家宗教サービスを受けるために政府に払うお金である。私も以前は勘違[かんちが]いをしていた。]
今では国民みんなが国家宗教を正しいと考えていない。それなのに、今でも日本政府は国家宗教サービスをやっている。それは、日本政府が昔から国家宗教サービスをやる会社だと決まっているからである。一般に、政治機関というものは最初に決めたサービス内容をそのままずっと続けるものなのである。途中でサービス内容を変えることはできないのである。だから、日本政府は永遠に国家宗教サービスしかやらないのである。日本政府にとって法律は飾りであって機能しないのである。徳川幕府も最初に鎖国をすると決めたから植民地政策をすることができず植民地政策を支持した幕末の国民に倒されたのである。
国民は政治機関を自由に選ぶことができる。国民は自分が気に入った政治機関に税金を払ってサービスを受けることができる。反対に、国民は自分が気に入らない政治機関に税金を払わずサービスを受けない。今の日本政府は国家宗教サービス(つまり自分の国の国民を殺したり物を取ったりするサービス)をやっている。そんなサービスを気に入る国民はいない。だから、国民は日本政府を選ばない。したがって、国民は日本政府に税金を払わずサービスを受けない。日本政府は倒産するしかない。その後で、今の国民の気に入るサービスをする政治機関が出来て、国民みんながその政治機関に入って、その政治機関が儲[もう]かるだろう。国民も政治機関もともに幸せに暮らすことができるだろう。
[11081] 私の考えは新しい。 h22.10.4
これまでに私と同じことを考えて発表した者はまだいない。
なぜなら、もしも、これまでに私と同じことを考えた者がいて自分の考えを発表していたとしたら、すでに日本から日本政府はなくなっているはずである。
しかし、実際には、日本政府は残っている。
だから、これまでに私と同じことを考えて発表した者はいないのである。[もっとも、私と同じことを考えた者はいたかもしれないが。発表しなかったのだろう。]
私の考えは新しい。だから、発表する価値はある。
ただ、政府の検閲[けんえつ]に引っ掛かる恐れがある。私の考えが広まると、政府の税収が激減するから、政府は私の考えを広めさせないのである。
私は煩[わずら]わしい問題が嫌いなので、自分の考えを発表しないのである。
それに、私はお金儲[もう]け本位の出版社が嫌いなので、私は自分の考えを本にしないのである。
幸いインターネットには検閲がないから、私はこうして自由に自分の考えを述べることができる。
[11082] 現代の神 h22.10.5
宗教とは昔の自然科学である。宗教の神とは科学の原理のことである。
だから、現代の神とは、シュレーディンガー方程式や相対性原理のことである。
昔は宗教の神に絶大な権威があったように、今ではシュレーディンガー方程式や相対性原理に絶大な権威がある。
昔の人が宗教の神を拝[おが]んでいたように、今の人はシュレーディンガー方程式や相対性原理を拝まねばならない。
昔の人が宗教の神に従って生活していたように、今の人はシュレーディンガー方程式や相対性原理に従って生活しなければならない。
つまり、現代の宗教は自然科学にほかならないのである。
だから、日本政府は日本文化の近代化や現代化を推し進める政策をすることになる。
[11083] 私は日本政府のサービスを受けない。 h22.10.5
国民は自分が受けたいサービスをする政治機関に税金を払ってサービスを受ければいい。
国民は自分が受けたくないサービスをする政治機関に税金を払わずサービスを受けなければいい。
今の日本政府は「国家宗教でいろんな事件を起して加入者を殺したり加入者の財産を奪ったりするサービス」をやっている。
私はそんなサービスを受けたくない。だから、私は日本政府に税金を払わない。
もう少しマシなサービスをする政治機関は日本にはないものか。
[11084] 仏教とは何か? h22.10.5
仏教の神は釈迦[しゃか]である。
釈迦は自分の考えを述べた。
宗教では、神に従うことが正しいとされる。神と同じことをすることが正しいとされる。
だから、仏教では、自分の考えを述べることが正しいとされる。仏教では、何でも自分の考えを述べさえすれば正しいとされる。仏教では、考えそのものが正しかろうがまちがいだろうが、とにかく自分の考えを述べることが正しいことなのである。
だから、日本の仏教では、無意味なお経を唱[とな]えることが正しいとされるのである。
つまり、仏教には教えはない。みんながただ釈迦と同じことをしているだけなのである。だから、仏教に入っても、正しい教えが授[さず]かれるわけではない。時間が無駄[むだ]になるだけである。[いい歳した大人が、そんなことをやっても何にもならないことがわからないのだろうか?具体的に正しいことがわからないかぎり何にもならないことがわからないだろうか?ぼんやりした雰囲気がわかるだけで知覚的に考えることを諦[あきら]めた者は人間をやめてさっさと死ね!そいつらは日頃真面目[まじめ]に仕事をしているのだろうか?]私も子供の頃に日蓮宗に入っていたが、何も教えが得られたわけではなく、中学3年生の頃には平気でオナニーをしていた。そのせいで高校1年生のときに精神分裂病に罹[かか]ってしまった。私が大人になって自分で考えた実在哲学のほうがよっぽど正しかった。宗教に入って自分で哲学を考えないよりも、宗教に入らずに自分で哲学を考えたほうがいい。
仏教も宗教だから、宗教では神に“従う”の意味が曖昧[あいまい]だから、仏教でも日本神道と同じように何でもやっていい。仏教でも他人の人権を侵すことができる。仏教でも犯罪を犯すことができる。仏教の信者は表向きはおとなしく真面目[まじめ]に「自分の考えを述べている」が、裏では人を殺したり人の物を取ったりしているのである。例えば、中世の日本では僧兵が暴[あば]れまわって近所の民家を襲って殺害や強奪[ごうだつ]を繰り返していたのである。
一般に、日本神道でも仏教でもキリスト教でもイスラム教でもその他の宗教でも、信者は表向きはおとなしく真面目に信仰をしているが、裏ではやりたい放題で犯罪を犯しているのである。しかし、この世には『犯罪における被害者優先の法則』があるから、被害者が人権保障サービスをする政治機関に入っている場合には加害者が罰せられる。信者は真っ先に容疑者として疑われる。それに、現代では(近世以降は)『科学が正しく宗教がまちがっている』と考えられている。宗教に入っている者はそれだけでまちがった者なのである。現代の今では、宗教に入っていない者が正しく、宗教に入っている者がまちがいなのである。人間は正しく生きるものである。だから、現代人は宗教に入らないようにしている。いまだにまちがいに縋[すが]って卑怯[ひきょう]に生きようとしている弱者が宗教に入って汚い人生を送っているのだ。宗教に入っていることは、「自分が悪人だ」とみんなに宣伝しているようなものだ。
[11085] どうして日本政府は年々衰[おとろ]えているか? h22.10.5
今の日本の政治機関は日本政府である。
日本政府の政策は人権侵害政策である。つまり、殺人や強盗をすることである。
政策は政治機関と国民がいっしょになってやるものである。政治機関はサービス業だから、サービス業の立場上、国民のほうが政治機関よりも上である。
だから、今の日本では政府が国民を殺したり国民の物を取ったりしているが、逆に国民が政府を殺したり政府の物を取ったりもしている。[例えば、民間宗教団体の羽振りがいいのは、勝手に国有地を売って儲[もう]けているからではないだろうか。民間宗教団体に限らず、国民なら誰でも政府の物を売って儲けることができるのである。]
したがって、政府は年々衰えているのである。最後には、政府の財産はすべて国民に取られてなくなってしまうだろう。そうやって、中世の日本政府も滅びたのかもしれない。反対に、江戸幕府が栄えたのは、幕府自身の財産を守るために人権保障サービスを徹底してやったからかもしれない。
[11086] 最近畳[たたみ]が少なくなった訳[わけ] h22.10.6
畳は、幕府と同じく、たたむ=やめるの意味があるから、畳があると政府がやめることになるので、政府が日本中の大工に命令を出して日本中から畳をなくしているのである。あるいは、フローリング←フローリ←フーリ+ロ←フ川(ー+リ=川)+○←川ブ+○←川野延夫[かわののぶお](私の名前)+神武天皇の光る玉←私+神武天皇で、日本を神に従わせるためには日本家屋の床をフローリングにしなければならないからである。政府はこういった命令を国会によらずにたくさん出しているのである。[ついでに、今から20年ぐらい前に政府が米の管理をやめたのも、米が神武天皇の光の玉に似ていて、当時の政府が私を神として神武天皇を神としなくなったからである。私は私→川野延夫[かわののぶお](私の名前)→川ブ→ブ川→ブッ→ブレッドだから、近頃の政府は若干[じゃっかん]パンに力を入れているのだ(私はほとんどパンを食べないが)。政府が国鉄や郵便をやめたのも、政府が神武天皇を神としなくなったからである。国鉄は蒸気機関車が客車を引く様[さま]が神武天皇が家来を引き連れて遠征をした姿に似ているからだし、郵便は神武天皇がふるさとの母に手紙を出したからである。私については私の名前を使って国家宗教をやる以外はあまりやらないようである。ちなみに、政府が学校をやっていたのは神武天皇が子供の頃に母から東にあるすばらしい土地の話を聞いたからであり、一方私の名前と学校は関係がつけにくいから、政府が神武天皇を神としなくなれば政府が学校をやめていたかもしれない。私の名前は川野延夫[かわののぶお]略して川ブまたはカブだから、政府は“株”式会社の民間企業もやっているのである。つまり、政府が日本の民間企業を支配下に置いているのである。神武天皇の時代には株式会社はまだなかったから、神武天皇の国家宗教では政府は民間企業をやる(支配下に置く、つまり命令を出す)ことはできない。会社を法“人”として捉[とら]えて、会社を人に変えてはじめて政府が会社を支配下に置くことができるのである。それは、神武天皇が遠征の後で日本の王となって人を支配したからである。[しかし、会社は会社であって人ではなく、“法”人はこじつけだから、本当は政府が民間会社を支配下に置くことはできない。つまり、神武天皇を神とする国家宗教の世界の中では、民間会社は政府に支配されることはないのだ。]こうしてみると、私が神に選ばれたのは、名前で多くの物と関係がつけられるからだと思われる。[スウィフトの『ガリバー旅行記』の第3篇ラピュタには“活字をランダムに組み合わせて真理を発見する装置”が登場するが、私を神とする国家宗教がまさしくそれである。]もっとも、最近の政府は私を神とせず神武天皇だけを神として国家宗教をやるようにまた変わったようである。]
私が学生の頃まで(32歳の頃まで)はずっと畳の部屋に暮らしてきた。
しかし、最近は硬い床のフローリングの部屋ばかりだ。
畳があれば畳の上に直[じか]に座ったり寝転んだりして楽に暮らせるが、フローリングでは座椅子[ざいす]がないと座れない。しかも、座椅子は見た目はやわらかいが、中に金属製の硬い骨が入っていて、これでフローリングの床が傷つく。私の部屋の床もすでに鑿[のみ]で削ったように派手[はで]に傷ついている(大屋さんゴメン)。フローリングの部屋で暮らすためには、絨毯[じゅうたん]が要るので面倒臭い。
[11087] 政府を止[と]められるのは国民だけである。 h22.10.6
政府には自由度がない。
いくら国民が政府に文句を言っても、政府は国民に対して聞く耳を持たない。
政府は自分の政治をやるだけである。政府は国家宗教政策をやるだけである。つまり、政府は国家宗教の神である神武天皇や私に関係のあることに力を入れて仕事をする。例えば、神武天皇については古事記の話から植民地を取るための戦争や鉄道や郵便や高齢者医療や厚生年金(神武天皇が長生きしたから)などに、光の玉に似ているお金や米やパチンコなどに、私については私の名前の川野延夫の“の”の字がクルクル回っている感じがするのでリサイクルや風力発電や回転寿司やスロットなどに、政府は力を入れて仕事をする。また、政府は国家宗教でいろんな事件を起して国民を苦しめている。政府は国家宗教で国民の役に立つこともするが、害になることもする。
自由度があるのは国民だけである。
国民は政府に税金を払うか払わないかを自由に決めることができる。
国民が政府に税金を払わなくなれば政府は活動できなくなる。
大雑把[おおざっぱ]には政府の政策はいいかもしれないが、細かく見ると嫌である。政府が国家宗教を理由にして、やるべきことをやらず、やるべきでないことをやるのがいけない。
政府が国家宗教で国民を苦しめることをするのはやっぱりいけない。
だから、国民は政府に税金を払わないことにしよう。
[11088] どうして私は宗教や政府のことについて考えたのか? h22.10.6
私は「自分が宗教や政府のことについてわからないまま死ぬことができない」と考えたからである。
それで、私は自分が仕事に就[つ]くのをほったらかしで約2年かけて宗教や政府のことについて考えたのである。
幸い、自分が死ぬ前に問題が解けた。
私が自分の望みを達成できたのは、両親の協力のおかげである。
謎を解く以外のことは、私には興味がない。
[11089] 政府は検閲ができるか? h22.10.6
政府は国家宗教をやる政治機関である。
政府は国家宗教の神と関係のある物を扱うことができる。つまり、政府は古事記にある神武天皇の記述や光る玉に似た物や私の名前と関係ある物を扱うことができる。
だから、例えば、硬貨は神武天皇の光の玉に似ているが紙幣は似ていないから、政府は硬貨は扱えるが紙幣は扱えない。だから、硬貨は政府が作っているが、紙幣は政府とは別の日本銀行が作っている。
一般に、紙物[かみもの]は政府が扱わない。
だから、本も政府が扱わない。
したがって、政府は本の検閲はできない。[もっとも、私の名前は川野延夫で川野延夫→川ブ→カブ→株式会社だから、政府は株式会社を扱うことができる。だから、株式会社の出版社は政府が検閲させることができる。しかし、それはあくまでも国家宗教の中の理屈である。出版社が政府に税金を払わなくなって国家宗教の外に出ると検閲を受けずに済[す]むのだが、そんな出版社はないだろうか?]
[11090] どうして最近神武天皇が神に戻ったか? h22.10.6
日本の国家宗教の神は神武天皇と私である。
神武天皇は遠征の後で日本の王となって人々を支配した。
しかし、今の私は人々を支配していない。私は子供のころは調子がよかったが、思春期に分裂病に罹[かか]ってからは調子が悪くなって出世できなかった。
もしも、私が出世して大勢の人々を支配する者になっていたら、私を神とする国家宗教でも政府が国民を支配することができただろう。
しかし、実際には私は出世しなかったから、私を神とする国家宗教では政府が国民を支配できない。[私の名前(川野延夫[かわののぶお])をいじっても、国民を支配できそうにない。私を神とする国家宗教の世界の中では、政府は株式会社は支配できても、国民は支配できないのだ。しかし、それでも国民は政府に税金を払わなければならない。なぜなら、税金は国民が政府から国家宗教政策のサービスを受けるために支払うサービス料金だからである。もっとも、政府の国家宗教サービスを受けたくない者は政府に税金を払わなければいい。]
そこで、政府は国民を支配するために、私の代わりに再び神武天皇を神とするようになったのである。[植民地戦争が起こらなければいいが。]
しかし、それはあくまでも国家宗教の中の理屈である。国家宗教の外では、政府は国民を支配できない。国民が政府に税金を払わなくなって国家宗教の外に出ると、国民は政府に支配されずに済む。
[11091] 政治機関はサービス業である。 h22.10.6
そもそも政治機関は、国民からお金を集めてそれで事業をやって国民にサービスを与える会社だった。[けっして政治機関は国民に「逆らえば神の祟[たた]りがある」と言って脅[おど]して国民からお金を集めたわけではない。そんなことで金を出す馬鹿な国民はいない。]
初期の株式会社が、国民からお金を集めて貿易をやって儲[もう]けを国民に分配したのと同じことである。[Wikipedia『株式会社』の歴史の「株式会社の起源と大航海時代」の項を参照。]
つまり、政治機関は株式会社と本質的に同じものである。
だから、国民が株式会社に出資しなければならない義務がないように、国民は政治機関に税金を払わなければならない義務はない。国民は政治機関に入って政治機関のサービスを受けねばならない義務はない。
今の日本政府は政治事業を独占するために国民に嘘[うそ]をついて騙[だま]しているのだ。
キリンビールが「国民はみんなキリンビールを飲まねばならない。キリンビール以外のビールを飲んではいけない。」と言っているようなものだ。
[11092] 政府に入っている者は馬鹿である。 h22.10.7
日本政府は国家宗教サービスをする会社である。
国家宗教サービスとは、日本政府が日本神道の神である神武天皇や私に従う国を作ることである。つまり、日本政府が神武天皇の神話や私の名前に引っ掛けたことに力を入れた世界を作ることである。善いことでも悪いことでも神に従う世界を作ることである。例えば、民主主義や法律や外交は、神武天皇はやらなかったし、私の名前をいじっても関係がつかないから、政府はそれらに力を入れずにどうでもいいことと見なしていいかげんにやっているのである。
日本政府のサービスは、国民にとってふさわしいサービスではない。こんなサービスの仕方で国民が幸福に暮らせるわけがない。よっぽど駄洒落[だじゃれ]が好きな者以外は、こんなサービスでは満足しない。
だから、おとなしく日本政府に税金を払って日本政府に入っている国民は馬鹿である。
日本政府も政府に入っている国民を馬鹿だと思っているだろう。政府に入っていない国民のほうが頭がいいと思っているに違いない。家電メーカーの社員が自分の会社で作った製品をオンボロだと思って買わないように、日本政府の社員も政府のサービスが嫌だと思って政府に税金を払わず政府のサービスを受けていないのだろう。
日本政府は政府に入っている国民は生きる価値がないと思って国家宗教で順番に殺しているのだろう。
次は君の番かもしれない。
[11093] 政府は要らない。 h22.10.7
政府が人権保障サービスをしないのは、神武天皇が人権保障サービスをやらなかったし、私の名前をいじっても人権保障サービスと関係がつかないからである。
政府は神武天皇がしたことや私の名前をいじって関係がつくことに力を入れるが、国民にとっていいサービスがない。[[11087]を参照。]政府が力を入れているのは、どうでもいいガラクタみたいな仕事ばかりである。大して役に立たないサービスばっかりである。正直言って全部要らないサービスである。
だから、政府がなくなってもかまわない。国民にとって必要なサービスは、強[し]いて政府がしなくても、どこかの民間企業がするだろう。
もっと科学的に国民のニーズ(要求)を分析して、適切に国民のニーズに応[こた]えられる政治機関でなければならない。国民のニーズを無視して、一方的に神に従うサービスしかしない政治機関なんか全然駄目[だめ]だ。
[11094] どうして政府は民間企業に命令を出すのか? h22.10.7
今の日本では、民間企業は政府に税金を払って政府の国家宗教サービスを受けている。
国家宗教サービスでは、政府が神に従う国作りをやっている。
今の日本の国家宗教の神は神武天皇と私である。
政府は神武天皇がやったことや私の名前と関係がつくことを扱うことができる。
神武天皇は民間企業をやらなかったから、神武天皇を神とする国家宗教では政府は民間企業を扱えない。
一方、私の名前は川野延夫[かわののぶお]だから、川野延夫→川ブ→カブ→株→株式会社→民間企業で民間企業と関係がつく。
だから、私を神とする国家宗教では政府は民間企業を扱うことができる。だから、政府は民間企業を自分の支配下に置いて、民間企業に命令を出しているのである。
しかし、サービス業ではサービス内容が消費者に公開されていることが原則である。ところが、私が神であることは国民には公開されていない。だから、政府は私を勝手に神とすることはできないはずである。政府が私の名前をいじって関係がつくことに力を入れて国作りをしていることも公開されていない。だから、民間企業は政府に従う必要はない。
政府は宗教で国民にサービスをする会社である。
宗教は神主義である。
だから、政府は神を見て民間企業や国民を見ていない。
だから、政府のサービスは民間企業や国民のためにはならない。
民間企業も国民も政府のサービスを受けないほうがいい。政府に税金を払わないほうがいい。
[11095] 宗教の政治機関と科学の政治機関 h22.10.7
宗教は神主義である。宗教では神に従うことは正しいとされる。
宗教は昔の自然科学である。宗教の神は科学の原理である。つまり、神とは宗教において原理とする架空または実在の特定の人間のことである。つまり、神とは原理人間である。[昔の人は、論理はわかっていたが、ニュートンの運動の法則のような自然についての正しい原理がわかっていなかったので、しかたなく人間を原理にして自然についての認識をしていたのである。それが宗教である。つまり、科学の原理の替わりに人間を使ったのが宗教である。/神とは、教養のある人にとっては科学の原理に相当する人のことだが、教養のない人にとっては偉い人に思えるのだろう。だから、今でも神を崇[あが]める人がいるのだ。]
科学の実験で結果が合わないときに仮説が捨てられるように、宗教でも一人の神でうまくいかない場合神を入れ替えることがある。いわゆる「捨てる神あれば拾う神あり」である。科学でも宗教でも同じことをやるのである。
日本は明治維新以降神武天皇を神とする国家宗教でやっていて第2次世界大戦で戦争に負けたから、戦後は神を神武天皇から私に入れ替[か]えたし、最近は私を神とする国家宗教でも日本の運命が好転しないから神を私から今の天皇に替えてやっているようである。
しかし、いくら宗教の中で神を入れ替えても無駄[むだ]である。
そもそも宗教は神主義で自然から浮いているからうまく行かないのである。自然から切り離れているからうまく行かない。
自然のことは自然でせよ。自然にとって神は余計な存在である。だから、神を取り除いて自然だけでやればいい。それが科学すなわち自然主義である。
だから、日本には政府のような宗教の政治機関ではなく、幕府のような科学の政治機関があったほうがいい。国民は宗教の政治機関よりも科学の政治機関に入ったほうがいい。
せっかく今では便利な科学技術があるし、それを活かすためにも宗教の政治機関よりも科学の政治機関のほうがいい。
中国も最近は科学(自然主義)でやるようになったし、日本がいつまでも古臭い宗教でやっていると日本は中国に負けるだろう。日本が世界中の国に負けるだろう。
一歩譲[ゆず]って、宗教が好きな人は宗教の政治機関(政府のこと)に入って宗教のサービスを受ければいい。しかし、今の日本人はそれほど宗教が好きではない。宗教が嫌いな人は科学の政治機関に入って科学のサービスを受けれるようになっていなければならない。
日本人はモラルがいいから人権保障政策はどうでもいい。日本では法律を守るのが常識である。だから、政治機関が人権保障政策以外にどんな政策をやるかによって、政治機関の価値が決まるのだ。宗教の政策よりも科学の政策のほうが現実的である。宗教の政策よりも科学の政策のほうが国民はもっと幸福になれる。余計な神がいなくなったほうが国民の心がよく満足される。だから、日本には宗教の政治機関よりも科学の政治機関があったほうがいい。
[11096] 宗教の政治機関と科学の政治機関 h22.10.8
日本政府のような宗教の政治機関は、宗教が神主義だから、神に従うどうでもいい政策をたくさんするだけである。あまり国民にとって役に立つ政策がない。中には、事件を起して国民を殺すことまである。
一方、江戸幕府のような科学の政治機関は、科学が自然主義だから、自然に従う合理的な政策をやってくれるはずである。国民の生活にとって役に立つ政策をいろいろやってくれる。
政治機関は国民が満足できるサービスをやればいいだけである。
日本政府のようにわざわざ宗教で“ふざけたサービス”をやって国民が満足できないサービスをやる政治機関は要らない。国民はそんな政治機関のサービスは受けたくない。だから、国民は日本政府には税金を払わず日本政府のサービスは受けない。
日本政府を支持する者は、“ふざけたサービス”が目当てなのだろうか?つまり、パチンコ店や回転寿司の店に行く者が日本政府を支持しているのである。私はパチンコも回転寿司も面白いとは思わない。パチンコや回転寿司は田舎[いなか]臭いとしか思わない。私はこれまで一度もパチンコ店にも回転寿司の店にも入ったことがない。[私が以前住んでいた兵庫県朝来市和田山町[ひょうごけんあさごしわだやまちょう]にもパチンコ店「キコーナ」と回転寿司店「しーじゃっく」があった。]そんなことはチャラけた民間企業がやればいいことであって、政治機関がやるべきことではない。フニャけた娯楽は各個人が適宜[てきぎ]補[おぎな]ってやればいいことであって、国家的にあまり盛大にやるべきことではない。田舎には娯楽施設がないほうがいい。そのほうが都会に行く喜びがある。田舎には余計な娯楽施設がないほうが静かで田舎らしくていい。だから、政府が田舎にパチンコ店や回転寿司店を作らなくてもいい。政府自体なくなったほうがもっといい。パチンコ店や回転寿司店に行きたい奴[やつ]は政府に税金を払えばいい。しかし、私は行きたくないので払わない。
[11097] 宗教の政治機関と科学の政治機関☆ h22.10.8
要するに、政治機関は国民が喜ぶサービスをすればいいだけである。
ところが、宗教には神がいる。科学には神がいない。
だから、宗教でサービスをすると神に縛[しば]られる。宗教でサービスをすると、神に制限されたサービスしかできないので、国民にとって十分に満足が行くサービスをすることができない。
反対に、科学には神がいないから、科学でサービスをすると神に縛られない。科学でサービスをすると、神に制限されない自由なサービスをすることができて、国民にとって十分に満足が行くサービスをすることができる。
したがって、国民にとっては宗教の政治機関よりも科学の政治機関のほうがいい。宗教の政治機関は税金の無駄使いである。
ところが、今の日本には、宗教の政治機関である日本政府しかない。
だから、国民は政府から出て、科学の政治機関を早く作って科学の政治機関に入ればいい。
あるいは、今日[こんにち]では個人の自由が認められていて、国民共通のやりたいことがないから、いっそのこと政治機関を作らずに民間企業だけでやればいい。もっとも、国民全員が入っている民間企業はあってもいい。例えば、人権保障サービスを受けたい国民が人権保障サービスをする会社と契約して人権保障サービスを受ければいい。そのほうが、国民は自分にとって要らないサービスを受けなくてもいいから、安上がりである。
[11098] 貿易の自由化 h22.10.8
神武天皇は貿易をしなかったし、私の名前をいじっても貿易と関係がつかない。[今の天皇は皇居の中にいるだけだから貿易とは関係がない。]
だから、日本政府は貿易に力を入れていない。建物が建っているだけで、実際には仕事をやっていないのだ。[宗教の政治機関は、神に従うこと(つまり、神武天皇がやったことや、私の名前をいじって関係がつくこと)は扱えるが、神に従わないことは扱えない。宗教の政治機関は、神に従うことはやろうとすればやることができるが、神に従わないことはやっているふりをしてやらないことしかできないのである。神に従わないことは、形の上でやるだけであって、実質的にはやってはならないのである。それが宗教の決まりだからである。国家宗教には国家宗教の理屈があり、国家宗教を支持する者は国家宗教の理屈に従わねばならないのである。例えば、国会は神に従わないことだから、政府は本来国会をやってはならないのであり、そのために国会はいつもダラダラとやる気がなさそうに会議をしなければならないのである。また、法律は神に従わないことだから、政府は本来法律をやってはならないのであり、そのために日本政府はときどき日本国憲法を破らなければならないのである。神に従うことは限られていて、神に従わないことはたくさんあり、政府では扱えないことがたくさんあるから、日本には政府とは独立に多くの民間企業が存在しているのだ。(ただし、“カブ”で政府と民間企業とは関係がつくが。[11086]を参照。)]
だから、日本は実際には貿易が自由である。つまり、日本ではすでに貿易が自由化されているのである。
今でもすでに、外国の安い製品は国内に入ってきて売られているし、外国の高い製品も売られている。
だから、貿易に関しては日本政府があってもなくても変わらない。
だから、貿易に関しては日本政府がなくなっても困らない。
[11099] 宗教に入ると不自由になる。 h22.10.8
宗教には神がいるが、科学には神がいない。
宗教では神に従わねばならないが、科学では神に従わなくてもかまわない。
だから、科学は自由であり、宗教は不自由である。
自然に従わねばならないことは、宗教でも科学でも変わらない。自然に従わねばならないことは、この世に生きている者にとっては常識であり、言うまでもない。
宗教に入って入る者同士の間では理論的には犯罪を犯せるが、現代では国民は仕事にいそがしいから犯罪を犯す暇[ひま]がない。犯罪を犯す暇があるのは政府だけである。これでは、政府が国民に対して犯罪を犯すだけである。[日本では、国民は実際には宗教をやっていないに等しい。]
つまり、科学では自然に従えばいいが、宗教では神と自然の両方に従わねばならない。宗教のほうが従わねばならないものが多いぶん不自由である。
したがって、自由を求める人間は宗教に入ってはいけない。科学に入らねばならない。
[11100] 日本政府はいい政治機関ではありえない。 h22.10.9
いい政治機関とは、国民が喜ぶサービスをする政治機関である。
ところが、国民が喜ぶサービスは、神武天皇がやったことがないし、私の名前をいじっても関係がつかないことが多い。
だから、日本政府は国民が喜ぶサービスをやることができない。
したがって、日本政府はいい政治機関ではありえないのである。
実際には、日本政府は国民が喜ばないサービスをやることしかできないのである。日本政府は国民にとっていい政治機関ではないのである。
宗教をやらない政治機関のほうが、神による余計な制限がないので国民が喜ぶサービスをすることができる。たとえ政治機関が民間会社に先を越されていても、政治機関が国民が喜ぶサービスをする民間会社にたくさんお金をやって力を入れればいいので、政治機関は国民が喜ぶサービスをすることができるはずである。