[10801] 税金とは何か? h22.8.31
税金とは、政府が身分制で国民からお金を取ることである。
日本では、国民が支持する国家宗教や民主主義に乗っかって政府が身分制をやることが認められてきた。
国家宗教や民主主義と身分制とは相性[あいしょう]がよいために政府は国家宗教や民主主義に乗っかって身分制をやることができ、国家宗教や民主主義では政府が国民から税金を取ることが許されている。[神が他人の物を取ったことがあれば、国家宗教の命令では政府は税金を取れる。国民みんなが「政府が国民から税金をとってもいい」ことを認めれば、民主主義の命令では政府は税金を取れる。]
だから、これまで政府は税金を取れたのである。
しかし、現代では国民は自然主義を支持するようになっている。
自然主義では国民が人間なのに対し身分制では国民が動物であり自然主義と身分制は相容[あいい]れないので、政府は自然主義に乗っかって身分制をやることができない。
政府は身分制がやれない。だから、政府は税金が取れない。
これまで政府は身分制を使って国民から大目[おおめ]にお金を取ってきた。だから、税金が高かった。
政府が身分制を使えなくなりただの“法律を扱う会社”となれば、もはや国民から大目にお金を取ることができない。合理的な金額しか取れない。だから、国民にとってはそのほうが安上がりなのである。

[10802] 民主主義は古い。 h22.8.31
古代ギリシアはすでに民主主義だった。
プラトンが対話法で書いたのは、当時はみんなが民主主義だったからである。
しかし、今は自然主義である。
自然主義ではたとえ一人であっても正しいことがわかればいい。
だから、今はみんなが独話法で書くのである。
今では対話法で書く者はいない。だから、今は民主主義ではないのである。

[10803] 政府は国民に従わねばならない。☆ h22.8.31
政府が国民が支持する主義を決められるのなら、最初から直接に身分制でやればいい。そうすれば、政府は国民に対して何でも命令できるから、政府にとって最[もっと]も有利である。
しかし、実際にはそうではない。政府は国家宗教や民主主義に必ず従わねばならなかった。だから、政府は国民が支持する主義を決めることができないのである。
したがって、国民は自分が支持する主義を自分で決めることができる。

現代では、国民は自然主義を支持している。
たとえ政府が自然主義に反対でも、国民は自然主義を支持すればいい。

[10804] 政府は国民の一部である。☆ h22.8.31
政府は身分制をやる会社である。つまり、政府は“国民を動物扱いする命令”を作って国民を命令に従わせて自分の身分を上げることを仕事としている。
昔はみんなが国家宗教を支持していた。[国家宗教の聖典は、民主主義の法律のようなものである。]
だから、政府も国家宗教の中で身分制をやっていたのである。つまり、政府は国家宗教で“国民を動物扱いする命令”を作って国民を命令に従わせて自分の身分を上げていたのである。
近代からはみんなが民主主義を支持するようになった。
それで、政府は民主主義の中で身分制をやっていたのである。つまり、政府は民主主義で“国民を動物扱いする命令”を作って国民を命令に従わせて自分の身分を上げていたのである。[議会制民主主義なら、国会議員が「政府が国民を動物扱いしてもいい」ことに決めれば、政府は身分制をやることができる。間接民主主義なら、政府が国民を自由にできるので、政府が身分制をやりやすい。]
つまり、政府はそれぞれの時代においてみんなが支持していた主義の中で身分制をやっていただけである。国家宗教や民主主義では主義が甘かったので、政府に付け入る隙[すき]を与えてしまったので、政府が身分制をやれただけのことである。
現代ではみんなが自然主義を支持している。つまり、政府は自然主義で“国民を動物扱いする命令”を作って国民を命令に従わせて自分の身分を上げねばならない。しかし、自然主義では国民を人間として認めねばならず、国民を動物扱いすることができない。だから、政府は身分制がやれない。例えば、政府が身分制がやれなければ、政府は国民から税金が取れない。

[10805] 民主主義から自然主義へ h22.8.31
民主主義では、間接民主主義の下[もと]で政府が国民を自由にできるので、政府が身分制をやれた。政府が国民を動物扱いして、国民を殺したり国民の財産を奪ったりできた。つまり、民主主義とは、政府が直接に身分制をやることにほかならない。[もっとも、今の日本国憲法にはいくつかの人権に関する規定があるから、政府が真の意味で直接に身分制がやれるわけではない。だから、今の政府は国民にバレないようにしながら国民を殺したり国民の物を取ったりして密[ひそ]かに身分制をやらねばならないのである。つまり、民主主義の世界の中では、政府は身分制をやってもいいしまたやってもいけないのだ。政府が身分制をやる会社である以上、どうしても身分制をやらねばならないので、政府は多少の危険を犯してでも身分制をやっているのである。政府は自分が政府である以上いやがうえにも身分制をやらねばならないのである。兵隊が自分が兵隊だから戦争をやるしかないように、政府は自分が政府だから身分制をやるしかないのである。]
自然主義では、“法律を扱う会社”がやはり国民を自由にできるが、国民の人権を認めねばならないので身分制がやれない。法律を扱う会社は国民を殺せないし、国民の財産を奪えない。だから、法律を扱う会社は国民から税金を取れず、法律に関するサービスを国民に売って儲[もう]けねばならない。
政府はもともと身分制をやる会社である。だから、民主主義の世界においても身分制をやっているのである。政府は「間接民主主義」を考案して政府が国民を自由にできるようにして政府が身分制をやれるようにしているのである。[政府が国家宗教の世界の中で「神武天皇教」を考案して、神武天皇が敵を倒したり敵の土地を奪ったりしたことから政府が国民を殺したり国民の財産を取ったりできるようにして政府が身分制をやっていたのと同じことである。]
政府に身分制をやらせてはならない。そのためには、国民が自然主義を支持すればいい。そうすれば、もはや政府は身分制がやれずに潰[つぶ]れるしかない。
国民は自分が支持する主義を自分で決めることができる。[[10803]を参照。]国民が自然主義を支持すれば、政府に税金を払う必要がない。国民が自然主義を支持すれば、政府の国民の人権を無視する命令に従う必要もない。

[10806] 社会学とは何か? h22.8.31
星が動いているのを見て、天球が動いているとも考えられるし、あるいはまた地球が動いているとも考えられる。
それと同じように、人類の歴史を見て、そこからいろんな理論が考えられる。社会科の教科書には人類の歴史の観察記録が書いてあるだけであって、そこからの理論は自分で考え出さねばならない。
そのひとつが私の『政府が身分制をやる会社である』説である。
もっとも、すべての理論が正しいわけではない。理論の中で最もつじつまの合う理論が最も正しい理論である。
天文学に関しては天動説よりも地動説のほうがつじつまが合っていたので、天動説よりも地動説が正しいと考えられた。
それと同じように、政府学に関しては私の『政府が身分制をやる会社である』説が最もつじつまが合うので、私の『政府が身分制をやる会社である』説が最も正しいのである。

[10807] 民主主義でどうやって身分制をやるのか? h22.9.1
政府が民主主義で身分制をやるためには、政府が国民のためになることをしながら国民を動物扱いしなければならない。
例えば、戦争である。戦争は国民が外国を征服して外国の財産を奪えば国民が豊かになれるし、政府は国民に殺し合い(闘人[とうじん])をさせて国民を動物扱いすることができる。
政府が国民に戦争させるためには、国民に戦争させるための理由を作ればいい。国民を窮地[きゅうち]に追い込んで国民に戦争するしかないと思わせればいい。
世界恐慌は、ドイツ国民に戦争しなければならないと思わせた。
ドイツ軍の侵略は、ヨーロッパ国民に戦争しなければならないと思わせた。
日本軍の中国侵略は、中国国民に戦争しなければならないと思わせた。
ABCD包囲網は、日本国民に戦争しなければならないと思わせた。
真珠湾攻撃は、アメリカ国民に戦争しなければならないと思わせた。
つまり、世界大戦は、世界中の政府が協力して国民に戦争させて政府が自分の身分を高めるための計略[けいりゃく]だったのである。[インドは当時は帝国本国で通っていて、インド政府は十分身分が高かったから、インドはわざわざ戦争をする必要がなかったのである。]
民主主義では戦争以外には身分制をやるためのいい方法がない。最近の民主主義では国民の人権を保障しなければならないから、政府は身分制がやりにくい。[だから、政府はいまだに国家宗教にこだわっているのだ。]民主主義で身分制をやるとすれば、せいぜい税金を取ることぐらいである。
政府は身分制をやる会社である。最近しばらく戦争が起きていない。このまま政府を置いておけば、政府は身分制をするためにまた戦争を起こすかもしれない。いくら日本国憲法に戦争の放棄と書いてあっても、政府は国民が戦争しなければならない理由を作って国民に戦争をさせるだろう。だから、早めに政府をなくしたほうがいい。
戦後は世界的に国家宗教が禁止されたし、戦後は植民地がなくなってもはや国際的には身分制が通用しなくなっている。世界大戦は、先進国の政府が自分の身分を上げるためにやった戦争だったが、植民地の政府に先を越されてかえって独立を促す結果になった。先進国の政府が自国や他国の国民の命を犠牲にして高めた身分を使って植民地支配を強める前に、植民地の政府が独立してしまった。世界大戦は無駄[むだ]に終わったのだ。[世界大戦は植民地戦争ではない。いわば先進国同士のケンカである。世界大戦は、先進国の政府が自分の身分を高めるための芝居だった。ところが、植民地はそんなことまでして身分を上げようとする国が馬鹿だと思ったので従うのをやめて独立したのだ。あるいは、世界大戦は、戦争で政府の身分が上がるかどうかの実験だったのである。その結果は失敗だった。かえって政府の身分が下がってしまった。だから、戦後の政府は戦争で身分制をやるのをやめて、国家宗教や税金などで身分制をやることに変えたのである。国家宗教は身分制を助ける働きがあるが、その反対に身分制を防ぐ働きもある。だから、外国が国家宗教をやっている国を支持するのは、その国の政府が身分が高いからではなく、その国が身分制をやらない国と考えているからなのである。]
戦後の世界では国の間の身分制がなくなって、政府が国内的に身分制をやっているだけである。だから、国民にとってはいくら政府の身分が高くても得になることが何もない。国民にとっては政府は損なだけである。だから、国民は政府を倒して政府をなくしたほうがいいのである。
現代では、世界中の人類が自然主義を支持している。自然主義と身分制は相容[あいい]れない。だから、現代では世界的に身分制が通用しなくなっているのだ。自然主義の世界では政府は身分制がやれずになくなるしかない。政府がなくなれば戦争も起こらない。

[10808] どうして『神は死んだ』のか? h22.9.1
ニーチェは19世紀末に『神は死んだ』と言った。
当時のドイツ政府が国家宗教で身分制をやるのをやめたから『神は死んだ』のである。
当時のドイツ政府は国家宗教で身分制をやることから民主主義で身分制をやることに変えようとしていたのである。「民主主義で身分制をやれば、戦争で国民を大勢殺せるからそれだけ効率よく政府の身分を上げられる」と考えていたのである。当時は世界中の政府がそう考えていたのである。
しかし、結果はその反対だった。戦後、植民地が次々と独立したから、戦争ではかえって政府の身分が下がることがわかった。国外的にも国内的にも政府の身分が下がることがわかった。[戦後、ヨーロッパ諸国の植民地がなくなったのは、国外的に政府の身分が下がったからである。戦後、日本で国鉄や郵便が民営化されたのは、国内的に政府の身分が下がったからである。]
『過ぎたるはなお及ばざるが如[ごと]し』という。おとぎ話の『金の卵を産むニワトリ』のニワトリとは身分制のことである。政府は身分制をいじりすぎてかえって駄目[だめ]にしてしまったのだ。
戦後、政府は再び国家宗教で身分制をやるようになった。しかし、今の世界では国家宗教を支持している者が少ない。だから、政府が国家宗教をやること自体が難しい。政府は公[おおやけ]に開けっぴろげに国家宗教がやれない。だから、政府が国家宗教で自分の身分を上げることはできない。今の政府は税金で身分制をやることしかできない。しかし、今の世界ではみんなが自然主義を支持するようになっていて身分制が通用しない。だから、いくら国民が政府に高い税金を払って政府の身分を上げたところで無駄[むだ]である。身分制が通用しなければ政府は要らない。だから、国民は政府を倒して政府をなくさねばならない。

[10809] 政府の身分は国民の役に立つか?☆ h22.9.1
政府は国民が支持する主義の隙[すき]を突いて身分制をやって『国民から財産を取って』儲ける会社である。
だから、政府の身分が国民の役に立つわけがない。国民は政府に財産を取られるだけで、政府から財産をもらえることはけっしてない。[ローマやヨーロッパの国民の暮らしが豊かだったのは、国民自身の努力によるものであって、政府の身分が高かったからではない。ローマやヨーロッパでも、政府は国民から財産を取るだけであって、政府が国民の役に立つことはなかった。つまり、ローマやヨーロッパの国民が豊かだったのは、ローマやヨーロッパが国民の努力によって先進国だったからである。先進国は珍しい物を作って外国に高く売って儲けることができるからである。しかし、今は世界中の国がヨーロッパに追いついてきたので、以前に比べてヨーロッパは豊かではなくなりつつあるのである。]
政府の身分が国民の役に立つと思っている者は、おおかた政府の嘘[うそ]にだまされているだけである。政府は国民から財産を取るだけであって、国民に財産をもたらすことはない。政府は搾取専門の会社である。これまでは政府が国民が支持する主義の隙を突いて身分制をやって政府が国民を支配していたから、国民は泣く泣く政府に従わされてきたのである。
国民にとって政府は要らない会社である。国民が自然主義を支持すれば、もはや政府は身分制がやれない。政府が身分制をやれなければ、政府は国民の財産を取れない。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。

[10810] どうして私は政府を見る目が確かなのか? h22.9.1
私は子供の頃からテレビを見るときはアニメばかり見て政治ニュースを見ない。
だから、私は政治ニュースによる世論操作の影響を受けていない。
だから、私は政府について正しいことがわかるのである。
つまり、政府は『身分制をやる会社』である。

[10811] どうして政府に国会や行政機関があるのか? h22.9.1
国民に民主主義を支持させるためである。
そうすれば、政府は原理的には国民に戦争をさせることができる。
しかし、国民に戦争をさせると政府の身分が下がる。
だから、政府は国民に戦争をさせずに、国民から税金を取るだけに留[とど]めている。
それでは、政府は国民からお金をもらって経営している“法律を扱う会社”にほかならない。
ただし、政府は身分制を使って国民から税金を取っているので割高である。[税金を高く取ったほうが国民に対する嫌がらせになって国民を動物扱いすることになって政府の身分が上がるからである。]
それに、政府は密[ひそ]かに国家宗教で身分制(つまり、国民の嫌がらせや殺し)をやっている。
だから、国民としては身分制をやる政府よりも身分制をやらない“法律を扱う会社”のほうがいい。

[10812] 政府は永遠に身分制をやれるか? h22.9.1
今は国民の大半は自然主義を支持している。
国民の少数が民主主義や国家宗教を支持しているにすぎない。
それなのに、政府は平気で国民全体に対して国家宗教や民主主義で身分制をやっている。
自然主義では身分制をやれないはずなのに、政府は身分制をやっている。
国民の中に“たった一人でも”国家宗教や民主主義を支持する者がいれば、政府は国民全員に対して国家宗教や民主主義で身分制をやるつもりでいる。
これでは政府は永遠に国家宗教や民主主義で身分制がやれることになる。
今は自然主義の時代である。政府はこのへんでお開[ひら]きにしよう。
おそらくこれまでも政府はその時代における最[もっと]も進んだ主義の中で身分制をやってきたはずだ。今の時代の最も進んだ主義は自然主義だ。自然主義では身分制がやれない。政府は身分制をやる会社だから、政府はやめるしかない。
政府は『身分制をやる会社』である。つまり、政府は国民を動物扱いして国民を殺したり国民の財産を取ったりして国民の人権を否定する会社である。政府はそれぞれの時代に国民が支持している主義の中で身分制をやっている。だから、いつの時代にも国民にとって政府は敵である。したがって、国民は政府を倒すべきである。

[10813] 政府は自然主義にはかなわない。 h22.9.2
国家宗教とは神に従うことである。[実際には、政府が国家宗教を作ることによって、神に従うことを政府に従うことに変えている。]
民主主義とはみんなに従うことである。[実際には、間接民主主義によって、みんなに従うことを政府に従うことに変えている。]
自然主義とは自然に従うことである。[政府が宇宙を造[つく]るわけにはいかないから、もはや自然に従うことを政府に従うことには変えられない。]
政府は身分制をやる会社である。政府はそれぞれの時代に国民が支持している主義の中で身分制をやっている。
昔の国民は国家宗教や民主主義を支持していたから、政府は国家宗教や民主主義で身分制をやっていた。国家宗教や民主主義では国民を人間として扱わなくてもいいから、政府は国民を動物扱いすることができて身分制がやれた。
しかし、今の国民は『自然主義』を支持している。だから、政府は自然主義で身分制をやらねばならない。しかし、自然主義では国民を人間として扱わねばならないから、政府は国民を動物扱いできず身分制がやれない。だから、政府はもはや何もできずに潰[つぶ]れるしかない。

[10814] 妖怪サトリ h22.9.2
サトリは人の心を見透かすのが得意で、隙あらば人を取って食おうとするが、偶然に物がサトリにぶつかると、予期せぬことが起きたことを恐れて逃げて行くという。
サトリは政府の喩[たと]えである。[妖怪はたいてい政府の喩えである。]
政府は民主主義で身分制をやって国民を支配して国民を食い物にするが、自然主義では身分制がやれず国民を食い物にできないことを表している。
サトリは江戸時代中期にはすでにいた。
だから、昔から政府や幕府は民主主義をやっていたのだ。政府や幕府の弱点も人々に知られていたのだ。
サトリの話と私の哲学日記は同じことを言っている。昔の人はまだ学問的な言い方を知らなかったので、おとぎ話的な言い方になったのだろう。

[10815] 『泣いた赤鬼』 h22.9.2
『泣いた赤鬼』では、赤鬼がアメリカで青鬼が日本である。
アメリカが自分の工業製品を売るために、日本と組んで芝居で太平洋戦争をしたという話である。
つまり、太平洋戦争は芝居だったということである。
実際には、太平洋戦争は日本政府とアメリカ政府が自分の身分を上げるために国民にやらせた戦争である。結果は、アメリカが日本に圧勝したので、日本政府は身分が下がり、アメリカ政府は身分が上がった。そのために、アメリカの製品がよく売れるようになったのである。アメリカの工業製品が売れるようになったのは偶然の結果であって、最初から計画していたわけではない。
日本はけっして戦争に強い国ではない。日本が戦争すると日本が負けて日本政府の身分が下がる。日本政府の身分が国外的にも国内的にも下がる。だから、日本政府は戦争をやりたがらないのである。

[10816] 民主主義で法律を決めるな! h22.9.2
国会が民主主義で法律を決める限り、国民が民主主義を支持していることになる。
そこで、政府が民主主義で身分制がやれることになる。
つまり、政府が国民から税金を取れることになる。
だから、国民は国会に民主主義で法律を決めさせてはならない。
その代わりに、国民は学者に自然主義で法律を決めさせればいい。
そうすれば、政府は身分制がやれず、国民から税金が取れなくなって死ぬ。

[10817] どうして政府を支持する国民がいるのか? h22.9.2
政府が国民が支持する国家宗教や民主主義をやってくれるからである。国民が国家宗教や民主主義を支持しているので、国家宗教や民主主義をやっている政府を支持しているのである。[信者とはいまだに国家宗教を支持している者のことである。]
しかし、政府は国家宗教や民主主義の中で『身分制』をやっている。
政府の狙[ねら]いは国家宗教や民主主義にはなく身分制にあるのである。
政府の目的は身分制をやって、国民を政府の食い物にすることである。つまり、国民の財産を政府が奪うことである。
政府は国民の敵[てき]である。政府は国民の味方のような敵である。怪獣がウルトラマンの着ぐるみを着ているようなものである。だから、国民は政府を支持してはいけない。国民は政府と戦って政府を倒さねばならない。

[10818] どうしてローマやヨーロッパは豊かだったのか?☆ h22.9.2
中世にローマが豊かだったのは、ローマが強い軍事力で領土を広げてローマ帝国全土(ヨーロッパやアフリカ北部や中東にかけての地域)を領土にしたからである。ローマ政府はローマ帝国全土から税金を取ったので、ローマ政府はお金で膨[ふく]れ上がり、ローマ国民がローマ政府からの“おこぼれ”で豊かに暮らしていたのである。同じように、近代にヨーロッパが豊かだったのは、ヨーロッパが強い軍事力で領土を広げてヨーロッパ帝国全土(ほぼ全世界)を領土にしたからである。ヨーロッパ政府はヨーロッパ帝国全土から税金を取ったので、ヨーロッパ政府はお金で膨れ上がり、ヨーロッパ国民がヨーロッパ政府からの“おこぼれ”で豊かに暮らしていたのである。
だから、日本国民が豊かに暮らすためには、まず何らかの方法によって日本の領土を広げねばならない。日本の領土が広がらなければ、いくら日本政府があっても日本国民が豊かに暮らせることはない。日本国民は日本政府に財産を取られるだけである。今の日本では、日本政府が日本国民から税金を取って、日本政府のある東京都民が“おこぼれ”で若干[じゃっかん]豊かに暮らせるだけである。つまり、日本政府があって得をするのは東京都民だけである。それ以外の地方の田舎者[いなかもの]にとっては、日本政府はあっても損をするだけである。
今後も日本の領土が広がる見込みはない。だから、東京都民以外の日本国民は政府があっても豊かには暮らせない。だから、日本国民にとっては日本政府は要らない。したがって、日本国民は日本政府を倒して国民に法律に関するサービスを売って儲[もう]ける“法律を扱う会社”に代[か]えたほうがいい。
身分制とは要するに税金制にほかならず、身分制があって得をするのは政府自身と政府の“おこぼれ”にあずかることができる政府の近所に住んでいる者だけである。だから、大多数の者にとっては身分制があっても得にはならないのである。むしろ、政府に高い税金を取られて損をするだけである。したがって、身分制は要らないのである。つまり、政府は要らないのである。

[10819] どうして今の政府は国家宗教や民主主義で身分制をやっているか? h22.9.2
政府は国民に従わねばならない。政府は必ず国民が支持する主義の中で身分制をやらねばならない。それが『政府の決まり』である。
ところが、今の国民は自然主義を支持している。
だから、今の政府は自然主義で身分制をやらねばならず(つまり、政府は潰[つぶ]れねばならず)、国家宗教や民主主義で身分制をやってはならない。
それなのに、今の政府は国家宗教や民主主義で身分制をやっている。
それは今の政府が『政府の決まり』を守っていないからである。
つまり、今の政府はもはや政府でも何でもない。今の政府は得体[えたい]の知れない会社にすぎない。

だから、国民は政府に従う必要はない。国民は政府に税金を払う必要はない。
政府が国民を支配したければ、ちゃんと『政府の決まり』を守ってから国民を支配しなければならない。

[10820] 税金を取る会社 h22.9.2
身分制とは要するに税金を取ることである。
政府は身分制を使って国民から税金を取る会社である。
政府は国民から税金を取るために、政府が身分制をやれるようにするために、国民に国家宗教や民主主義を支持させるために、国家宗教でゲームやマンガなどをやって国家宗教の人気を取ったり、民主主義で国会や行政や警察をやって民主主義の人気を取っているのである。[法律は実際には学者が自然主義で決めているのである。民主主義の人気を取るために、法律を国会で決めているように国民に見せかけているだけである。]そのついでに、密[ひそ]かに国家宗教で事件を起して国民を殺したり国民に損害を与えたりしているのである。[ただし、政府が国家宗教で国民に対して嫌がらせをやりすぎると、国民が国家宗教を支持しなくなるのでほどほどにしなければならない。]
しかし、今は自然主義の時代である。国家宗教や民主主義の時代ではない。つまり、神に従ったり、みんなに従ったりする時代ではない。これからは神にもみんなにも頼[たよ]らず、自分で考えて生きる時代だ。そんな時代にあっては、政府は身分制がやれずに滅びるしかない。
国民は自分が支持する主義を自分で決めることができる。政府は国民が支持する主義を国民に押し付けることができない。[[10803]を参照。]だから、いくら政府が面白いことをやって国家宗教や民主主義の人気を取っているからといって、国民が国家宗教や民主主義を支持する必要はないのである。
身分制は政府と国民の両方でやることである。だから、政府が態度を変えなければ、国民が態度を変えればいいのである。例えば、国民が自然主義を支持して、政府に従わなければいいのである。
要するに、政府は税金を取る会社である。だから、政府がなくなれば、国民は税金分だけお金が儲[もう]かる。だから、国民にとっては政府がなくなったほうがいい。

[10821] 自然状態では人権があるか? h22.9.2
自然主義では人間に人権がある。
なぜなら、自然状態では人間に人権があるからである。
国家宗教や民主主義のために人間に人権がなかったのである。これまで人間に人権がなかったのは、国家宗教や民主主義のせいである。余計なことをやるから、人間に人権があることがわからなかったのである。
だから、国家宗教や民主主義は自然主義の敵である。自然主義の本当の敵は身分制ではなく、国家宗教や民主主義なのである。国家宗教や民主主義は自然から離れる主義であって、自然主義と対立する。
つまり、国家宗教や民主主義がまちがっている主義だから、国家宗教や民主主義では身分制がやれただけのことである。国家宗教や民主主義の世界では身分制がやれたから政府が国民を支配したのである。反対に、自然主義は正しい主義だから、自然主義ではもはや身分制はやれない。自然主義の世界では身分制がやれないから政府は存在できないのである。

[10822] 自然主義 h22.9.3
自然主義はそんなに古いものではない。
自然主義はガリレオ=ガリレイが考え出した。
それまでは民主主義や国家宗教しかなかった。
つまり、近世や近代の頃になって、人類はようやく『自然』の概念を考え出したのだ。近世や近代の頃になってようやく『自然主義』が生まれたのだ。
だから、古代や中世は、国民はみんな国家宗教や民主主義を支持していた。
近世や近代以降は、国民はみんな自然主義を支持するようになった。
政府は国民が支持する主義の中で身分制をやらねばならない。それが『政府の決まり』である。
だから、古代や中世では政府は国家宗教や民主主義の中で身分制をやることができた。
だから、今は政府は自然主義の中で身分制をやらねばならない。つまり、今はもう政府は身分制がやれずに滅びるしかない。
古代や中世では、政府が身分制がやれたので、国民は政府に従わなければならなかった。
現代の今では、政府が身分制がやれないので、国民は政府に従わなくてもかまわない。
現代の今では、政府の馬鹿が独[ひと]りで身分制をやっているだけだ。政府は今でも国家宗教や民主主義の人気取りをしているぐらいだから、おそらく頭の中は中世なのだろう。国民は政府の馬鹿に付き合わなくてもかまわない。政府には『政府の決まり』があるから、国民が政府に逆[さか]らっても政府は国民に文句が言えない。

[10823] 日本は国家宗教で豊かになれるか? h22.9.3
今でも世界には宗教を支持している人がいる。特に後進国にはたくさんいる。
だから、日本が国家宗教をやっていれば、宗教を支持している人にとっては日本の受けがいい。
宗教を支持している人は日本の製品を優先的に買ってくれるかもしれない。
だから、日本が国家宗教をすれば若干儲[もう]かる。
しかし、年々世界的に宗教を支持する人は減っているから、日本が国家宗教をやっても効[き]かなくなっている。
今の世界には自然主義を支持している人もたくさんいる。だから、日本がいち早く自然主義をやれば日本の人気が出て自然主義を支持している人が日本の製品を買ってくれるかもしれない。日本が儲かるかもしれない。だから、日本は自然主義をやったほうがいい。日本人は自然主義の国を作ったほうがいい。

[10824] 日本人は民主主義が嫌いである。 h22.9.3
日本人は、国を個人の集まりだと考えている。
日本人は個人主義である。
だから、日本人はみんなに従う民主主義が嫌いである。
だから、今でも日本では民主主義をやる国会が嫌われるのだ。国会を馬鹿にした週刊誌がよく売れるのだ。
実際には、民主主義を支持する者は不良である。不良は自分で正しいことがわからないから、キョロキョロみんなを見まわしてみんなの真似[まね]をしてみんなに従っているのである。日本人は自分で考えずに他人に囚[とら]われが多い者が嫌いである。だから、日本人は民主主義が嫌いである。

[10825] 日本人は国家宗教が嫌いである。 h22.9.3
日本人は古臭いことが嫌いである。
国家宗教は古代の主義である。
民主主義でさえ古代の主義であり、国家宗教は民主主義よりもさらに昔の主義だから、国家宗教は超古代の主義である。
国家宗教を支持している者は、原始人のようなものだ。
日本人は原始人が嫌いである。
だから、日本では国家宗教を支持している者が嫌われるのだ。
実際には、国家宗教を支持する者は不良である。不良は自分で正しいことがわからないから、神の言いなりになっているのである。日本人は自分で考えず他人の言いなりになる者が嫌いである。だから、日本人は国家宗教が嫌いである。[国家宗教を支持する者(信者)は、神の言いなりになっていて自分でまったく考えることができないから、飛行機や列車を運転して事故を起して他人を道連れにして死んだり、高いビルから飛び降りて死んだりするのである。そんな“とてつもない馬鹿”が今の世の中にもいるのである。人は見かけによらないから、信者はいくら外見はまともでも、中身は神の言いなりロボットなのである。信者は政府が怖いから政府の国家宗教の命令に従っているのではなく、神の言いなりだから政府の国家宗教の命令に従っているのである。]
明治から昭和まで日本人が国家宗教を支持していたのは、天皇が日本を統一した者の子孫だったからである。日本人が国家宗教を国家主義の代[か]わりに使っていただけのことである。当時は日本が後進国で近代化を焦[あせ]っていたので、日本は国家主義だったのである。
しかし、今は天皇についての研究が進んで神武天皇の話が嘘の作り話だとわかったから、もはや国家宗教を国家主義の代わりにしなくなった。[実際に日本が統一されたのは古墳時代頃だから、神武天皇が紀元前600年頃に日本を統一した話は嘘である。]日本は近代化を焦る必要がなくなったので、国家主義をやめたのである。

[10826] 日本人は自然主義が好きである。 h22.9.3
日本人は自分で考えずに、神(他人)やみんなの言いなりになるのが嫌いである。
日本人は自分で自然について考えて正しいことがわかるのが好きである。
だから、日本人は国家宗教や民主主義が嫌いであり、自然主義が好きなのである。
昔の人は正しいことがまだよくわからなかったので、神やみんなに頼らなければならなかった。それで、昔の人は国家宗教や民主主義を支持していたのである。[もっとも、神やみんなも正しいことがよくわからなかったが。つまり、神とは“頭がいいふりをしている人”のことだったのである。/民主主義とは正しいことがわからない場合に、やむを得ず多数決や雰囲気によって“確からしいこと”を決める方法である。しかし、今では社会科学の分野でも人間は正しいことがわかって来たから、もはや民主主義で国会が法律を決めなくてもいいのである。自然主義で頭のいい者が法律を決めればいいのである。]
今の人は正しいことがわかっているので、神やみんなに頼らず自分ひとりで考えて行ける。だから、今の人は自然主義を支持しているのである。
今では国家宗教や民主主義を支持している者は少数の例外にすぎない。
国民の大半は自然主義を支持している。

だから、政府も自然主義の中で身分制をやらねばならない。つまり、政府は身分制がやれなくなって潰れるしかない。

[10827] 新しい身分制 h22.9.3
国家宗教(一般に宗教)や民主主義を支持している者は、自分で正しいことがわからないので、他人に従うのが好きである。
反対に、自然主義を支持している者は、自分で正しいことがわかるので、自分で考えるのが好きである。
人間社会は、正しい者が支配するとうまく行く。
だから、人間社会をうまく行くようにするためには、国家宗教や民主主義を支持している者が自然主義を支持している者に従えばいいのである。


[10828] 政府は国民を神やみんなや自然に従わせることを仕事にしている会社である。 h22.9.3
昔の人は正しいことがわからなかった。
だから、昔の人は神やみんなに頼っていた。
それで、昔の人は宗教(神主義)や民主主義(みんな主義)を支持していたのである。
政府は国民が宗教や民主主義を支持していることを利用して、政府が自分で宗教をやって国民を神に従わせるための費用として税金を取ったり、政府が自分で間接民主主義をやって国民をみんなに従わせるための費用として税金を取っていたのである。つまり、昔の政府は国民を神に従わせたり、国民をみんなに従わせることを仕事にしていたのである。[昔の人は正しいことがわからなかったから、とにかく立派な人(つまり神)と同じことをして生きていけばいいと考えていたのである。それが、宗教である。だから、ヨーロッパでは、政府が国民にキリストと同じことをさせていたのである。日本でも、政府が国民に神武天皇と同じことをさせていたのである。昔の人は立派な人を見習ったり、みんなの意見に合わせたりすることによって実在の世界に適応しようとしたのである。]
しかし、今の人は正しいことがわかっている。
だから、今の人は神やみんなに頼らなくても、自分で自然について考えて自然を理解することができる。
それで、今の人は自然主義を支持しているのである。
政府は国民が自然主義を支持していることを利用して、政府が国民を自然に従わせるための費用として税金を取ればいい。つまり、今の政府は国民を自然に従わせることを仕事にすればいいのである。今の国民は神やみんなに頼らないから、今の政府は宗教や民主主義をやらなくていいのである。
もっとも、昔はまだ人間に人権があることがわかっていなかったから、政府が好き勝手に国民から高い税金を取ったり国民を殺したりしていた。
しかし、今は人間に人権があることがわかっているから、政府も国民も人間だから、政府は好き勝手に国民から税金を取ったり国民を殺したりすることができない。
今の世界では、政府は法律に関するサービス、一般に“国民を自然に従わせるサービス”を国民に売って儲[もう]けなければならない。
政府はいつまでも中世の世界にいてはいけない。政府は早く今の世界に慣れなければならない。

[10829] 政府に国民を支配する資格はない。 h22.9.4
政府は国家宗教や民主主義をやる会社である。
一方、国民は自然主義をやっている。
国家宗教や民主主義は自然主義よりも遅れている。
つまり、政府は国民よりも遅れている。
だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
むしろ、その逆に政府が国民に従うべきである。
だから、政府が国民に税金を払うべきである。
[『スタートレックボイジャー』第132話「超進化惑星の煌[きらめ]きーBLINK OF AN EYE」に似た話がある。つまり、政府は昔は国民の先を行っていたが、いつの間にか国民に先を越されてしまったのだ。]

[10830] 国民を支配する会社 h22.9.4
政府は国民を支配する会社である。
ただし、政府は国民が支持する主義の中で国民を支配しなければならない。[人間が自然を支配したければ自然に従わなければならないように、政府が国民を支配したければ国民に従わなければならないのである。]
今の国民は自然主義を支持している。
しかし、今の政府は国家宗教や民主主義で国民を支配している。[国家宗教や民主主義には人権の概念がないので、政府は国民の財産を取ったり国民を殺したりしていたのである。特に間接民主主義は政府主義にほかならないので、政府が国民をどうしようが政府の勝手なのである。]
だから、今の国民は政府の支配を認める必要はない。
政府が国民を支配したければ、政府は自然主義で国民を支配しなければならない。
政府がそれができるようになるまでは、国民は政府に従う必要がない。
政府が国民に文句があるなら、政府は法治会社(自然主義の政治機関)に訴えねばならない。

[10831] 政府は遅れている。 h22.9.4
政府はいまだに国家宗教や民主主義で国民を支配している。
政府は中世の国家宗教や民主主義の世界の中にいる。
一方、国民は近代以降の自然主義の世界の中にいる。
政府と国民では住んでいる世界が違う。
今の政府では国民の役には立たない。
今の政府は国民を支配しているのではなく、国民の足を引っ張っているだけだ。
政府は政治機関とは言えない。政府は国民のために仕事をしていない。
今の政府のしていることは中世なら仕事と言えるが、現代ではもはや仕事とは言えない。
政府は仕事をしていない。だから、国民は政府に税金を払ってやる必要はない。
税金は政府の仕事代である。昔は人権の概念がなかったから、政府が強制的に国民から税金を取っていたのである。昔は民間会社も客から料金を強制的に取っていたのである。[昔は押売りが通用した。]しかし、今では人権の概念があるから、民間会社は客から強制的に料金を取らない。だから、政府も国民から強制的に税金を取ってはならない。電気代やガス代や水道代も国民全員から取れるが、それは税金ではない。だから、政府も国民から仕事代を取れるが、税金として強制的に取ってはならない。

[10832] 政府は人権を無視する会社である。 h22.9.4
政府はいまだに国家宗教や民主主義をやっている。
それは、政府がいまだに中世の世界の中にいるからである。
中世の世界には人権の概念がない。
だから、政府は国民の人権を無視して国民から税金を取ったり、国家宗教で国民を殺したりしているのである。
しかし、現代の世界には人権の概念がある。政府のやっていることは現代の世界においては通用しない。だから、国民は政府に従わなくてもいい。国民は現代の政治機関には従うが、中世の政治機関には従わない。

[10833] 中世の世界をやる会社 h22.9.4
政府は中世の世界をやる会社である。
中世の世界では、国民は国家宗教や民主主義を支持していた。だから、政府は国家宗教や民主主義で国民を支配しているのである。
中世の世界では、人権の概念がなかった。だから、政府は国民から強制的に政治料金を取ったり国民を国家宗教で殺したりしているのである。
しかし、今は現代である。
現代の世界では、国民は自然主義を支持している。だから、政府は自然主義で国民を支配しなければならない。
現代の世界では、人権の概念がある。だから、政府は国民と契約して政治料金を取らねばならない。政府は国民を殺してはいけない。
政府は独[ひと]りだけ中世の世界にタイムスリップしている。政府は独りだけ遅れている。国民はもはや政府に従う気にはなれない。だから、政府は国民に無視されるだろう。政府が国民に従って欲しければ、もっとナウくならねばならない。

[10834] 国民を支配する会社☆ h22.9.4
政府は国民を支配する会社である。
しかし、いくら政府が国民を支配するといっても、政府が国民が支持する主義まで決めることはできない。国民が支持する主義は国民自身が決めるのであって、政府が決めるのではない。それがこの世の決まりである。[もしも、政府が国民が支持する主義まで決められるのなら、今の国民はみんな政府の人気取りに従って国家宗教や民主主義を支持しているはずである。世界は中世の世界のままのはずである。しかし、実際には、そうなっていない。だから、政府には国民の主義を決めることはできないのである。そもそも『政府よりも国民のほうが力が強い』から、政府は国民の支持する主義を決めることができず、政府が国民の支持する主義に従わなければならないのである。(下図参照)
だから、政府は国民が支持する主義の中で国民を支配しなければならない。
ところが、今の政府は国民が支持する主義の中で国民を支配していない。今の国民は自然主義を支持しているのに、政府は国家宗教や民主主義で国民を支配している。今の政府は国民を支配する会社ではなく、国民と別のことをする会社にすぎない。今の政府は国民の上にあるのではなく、国民と異次元の世界にあるのである。
だから、今の政府は政府失格である。人間が自然に従わなければ自然を支配できないように、今の政府は国民に従っていないから国民を支配できない。したがって、国民は今の政府には従わない。悪いのは、国民に従わない政府であって、政府に従わない国民ではない。だから、いくら国民が政府に従わなくても、政府は国民に文句が言えない。


[10835] どうして最近は宗教を支持する国民が減っているのか? h22.9.4
世界中に学校や図書館ができて、世界中のみんなが勉強して、自然についての正しい知識を身に付けたからである。
世界中のみんなが正しい知識を身につけて、自分で正しく考えることができるようになり、神やみんなに頼らなくなったから、国家宗教や民主主義を支持しなくなったのである。
そんな世界では、政府が国家宗教や民主主義で国民を支配するのは無理である。
近代以降国民が変わったから、政府も変わらねばならない。

[10836] 人権について h22.9.4
古代や中世はまだ人権の概念がなかったので、みんなが動物だった。政府も国民も動物だった。それで、政府は国民を動物扱いしていた。国民も政府を動物扱いしていた。ただ、政府は国民を支配する会社だったので、政府が国民に対して偉そうにしていただけである。
しかし、近代以降は人権の概念があるので、みんなが人間である。政府も国民も人間である。だから、政府は国民を人間扱いしなければならない。国民も政府を人間扱いしなければならない。それでも、政府は国民を支配する会社だから、やはり若干政府が国民よりも偉そうにできる。[物体に運動量があるように、人間には人権があるのである。]
つまり、政府が国民を動物扱いしていたのは、政府が国民よりも身分が高いからではなく、昔は人権の概念がなかったからである。人権の概念があれば、いくら政府が国民よりも身分が高くても、国民を動物扱いすることはできない。
近代以降は人権の概念がある。いくら政府でも人権の概念を認めないわけにはいかない。だから、政府は国民から税金を取ってはならないし、国民を殺してはいけない。しかし、政府は国民から税金を取っているし、政府は毎日国家宗教で事件を起して国民を殺している。テレビや新聞に載っている事件のほとんどは政府が国家宗教で起こしたものである。だから、政府が悪い。政府が悪いのだから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
世界の基準は国民であって政府ではない。政府は国民が支持する主義に従って国民を支配しなければならない。しかし、実際には、政府は国民が支持する主義に従っていない。だから、国民がやっていることはやってもいいが、政府がやっていることはやらないほうがいい。

[10837] 中世と近代以降の違い h22.9.4
中世は国民が正しいことがわからず神やみんなに頼って国家宗教や民主主義を支持していた。人権の概念がまだなく、人間は実質動物であり、みんながみんなを動物扱いしていた。みんなが殺しあったり物を取り合ったりするのが日常茶飯事[にちじょうさはんじ]だった。
近代以降は国民が正しいことがわかるようになり自分で自然について考えるようになり自然主義を支持するようになった。人権の概念が生まれ、人間がようやく人間となり、みんながみんなを人間扱いするようになった。みんながみんなの人権を認めて平和に暮らせるようになった。[人権は実在における人間の観察から帰納的に得られた(考え出された)概念である。もともと人間には人権があったのだが、近代になるまでなかなか発見されなかった。物体の運動量と同じことである。]
政府は国民を支配する会社である。ただし、政府は国民に従いながら国民を支配しなければならない。それが『政府の決まり』である。
中世の政府は、国家宗教や民主主義で国民を支配した。政府は国民を動物扱いして、国民から高い税金を取ったり、国家宗教で国民を殺したりした。
近代以降の政府は、自然主義で国民を支配しなければならない。政府は国民を人間扱いして、国民から税金を取ってはいけないし、国民を殺してはいけない。
しかし、いまだに政府は中世の政府のままである。それは、政府が政府でないからである。今の政府は政府のふりをしている偽者[にせもの]である。だから、国民は政府に従わなければいいのである。[最近の日本で蒸気機関車がよく走っているのは、政府が“時代遅れの政治機関”だからである。/オレオレ詐欺とは、今の政府が“偽者の政府”であることを表している。]
今の政府は『政府の決まり』を犯している。だから、もはや今の政府は政府ではない。政府でなければ、国民は従わなくてもいい。
政府は中世の政府から進歩していない。国民が政府に従わなくなったのは、政府の勉強不足のせいである。だから、政府が悪い。政府はもっと今の時代を勉強して国民のニーズに合ったサービスを提供しなければならない。今どき、国家宗教や民主主義のサービスをやっているようでは問題外だ。
政府が中世の政府から進歩しないのは、それ以上先に進むと政府が潰[つぶ]れるからではなく、たんに政府が怠慢[たいまん]だからである。政府がいちいち国民に合わせて自分の支配の仕方を変えるのが面倒臭いからである。政府にとっては毎日同じ仕事を繰り返していたほうが楽だからである。政府つまり国民を支配する会社は現代の自然主義の中でもやっていけるはずである。だから、政府は早く現代化して国民を支配しなければならない。
北海道の富良野線[ふらのせん]のトロッコ列車のように、今は客車が機関車の(つまり、国民が政府の)先を行く時代なのだ。今では国民が政府よりも進んでいる。だから、今では国民が政府を引っ張って行けばいい。国民が政府を支配すればいい。つまり、政府が自然主義に従っていなければ、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。政府が自然主義に従っているときだけ、国民は政府の命令を聞くようにすればいいのである。そうすれば、政府は国民に従わざるを得ない。


[10838] どうして日本政府がやっていけるのか? h22.9.4
政府は国民が支持する主義の中で国民を支配しなければならない。
そうしなければ、国民が政府の支配を認めない。国民が政府に従わない。それでは、政府がやっていけない。
国民が政府の支配を認めているから、政府が国民を支配できるのであって、国民が政府の支配を認めなければ、政府は国民を支配できない。国民が政府の支配を認めなくなれば、中国の文化大革命の四人組のように死刑にされる。国民が政府の支配を認めるためには、必ず政府は国民と同じ主義でなければならない。しかも、政府は国民が支持する主義を決められないから、政府が国民の主義に合わせるしかない。それが『政府の法則』である。[政府も物だから、『政府の法則』があるのである。]
今の日本政府がやっていけているのは、政府と国民が同じ主義だからではなく、今の国民が政府のことを知らないからである。
国民が政府を知ったかぶりしているから、政府がやっていけるのである。
今の国民が「国民が自然主義をやっていて、政府が国家宗教や民主主義をやっている」ことを知れば、国民は政府を支持しなくなって政府はやっていけなくなるだろう。これではまるで日本が別の国の政府に占領されているみたいだ。

今の日本では、国民が自然主義をやっていて、政府が国家宗教や民主主義をやっている。つまり、国民と政府では主義が違う。これでは、国民が政府の支配を認められない。だから、政府は国民を支配できない。つまり、国民は政府に従わない。したがって、政府はやっていけずに潰[つぶ]れるしかない。

[10839] メディチ家とは何か? h22.9.4
メディチ家は中世のイタリアの大金持ちだが、麻薬を売って儲[もう]けたのではない。
メディチ家が大金持ちだったのは、当時のヨーロッパがローマの支配をやめさせるために、メディチ家にローマ政府と張り合えるだけの大金をやったからである。
メディチとはもともと薬の意味である。ヨーロッパがローマの病原菌を退治[たいじ]するために、メディチ家を立てたのである。

[10840] どうして政府は国家宗教で国民を殺すのか?☆ h22.9.4
政府は国民を支配する会社である。だから、政府は国民を支配できれば十分である。わざわざ国民を殺す必要はないはずである。
それなのに、政府は国家宗教で国民を殺している。
それは、政府が国家宗教をやる会社でもあるからである。
昔の人は政府が国家宗教で国民を殺すと「政府はよく働いているなあ」と思ったのである。昔の国民は国家宗教を支持していたので、とにかく政府が国家宗教をやりさえすれば喜んだのである。国民が殺されようがどうなろうが、政府が国家宗教をやりさえすれば喜んだのである。昔は政府が国家宗教で国民を殺すのが公認[こうにん]だったから、政府は比較的公[おおやけ]に国民の面前[めんぜん]で堂々と国家宗教で国民を殺していたのである。
その頃の伝統で、今でも政府は国家宗教で国民を殺しているのである。政府は国民を喜ばせるために、国家宗教で国民を殺しているのである。
しかし、今の国民は国家宗教を支持していないから、政府が国家宗教で国民を殺しても喜ばない。むしろ、国民は「政府が自分とは違う主義だ」と思って、政府に対して反感を抱[いだ]くだけである。だから、政府は国家宗教で国民を殺さないほうがいい。

[10841] どうして政府は税金を取っているか?☆ h22.9.4
政府は国民を支配する会社である。
しかも、政府は民主主義をやっている。
税金は政府が間接民主主義で決めたことである。つまり、政府は間接民主主義をやって「国民から税金を取ってもいい」と決めたのである。
昔の国民は民主主義を支持していたから、政府に喜んで税金を払ったのである。たとえ自分が無一文になってのたれ死んでも政府に喜んで税金を払ったのである。
その頃の伝統で、今でも政府は民主主義で国民から税金を取っているのである。政府は国民を喜ばせるために、民主主義で国民から税金を取ってやっているのである。
しかし、今の国民は民主主義を支持していないから、政府が民主主義で国民から税金を取っても喜ばない。むしろ、国民は「政府が自分とは違う主義だ」と思って、政府に対して反感を抱[いだ]くだけである。だから、政府は民主主義で国民から税金を取ってはならない。
今の国民は自然主義を支持している。自然主義では国民の人権が保障されるから、政府が国民から税金を取ることができない。つまり、国民は政府に税金を払う必要はない。したがって、政府は国民にサービスを売って儲[もう]けねばならない。

[10842] 今の政府の仕事について☆ h22.9.4
政府は国民を支配する会社である。
しかも、政府は国家宗教と民主主義をやっている。つまり、今の政府の仕事は国家宗教で国民を殺したり嫌がらせたりすることと、民主主義で国民から税金を取ることの2つである。
もっとも、政府は国家宗教でゲーム(パチンコやテレビゲームなど)やマンガなどの面白いことをやって国民を喜ばせたり、民主主義で国会や行政や警察などの面白いことをやって国民を喜ばせたりもしている。
つまり、政府の仕事には善と悪の両面があるということだ。

しかし、今の国民は自然主義を支持している。だから、国民と政府とでは主義が違う。だから、今の政府に国民を支配することはできない。つまり、国民は今の政府に従わなくてもかまわない。
早く自然主義の政治機関が出来ればいい。自然主義の政治機関になら、今の国民は喜んで従うだろう。

[10843] 政府は国民を支配できない。 h22.9.5
国民は自然主義を支持している。
しかし、政府は国家宗教や民主主義をやっている。[一歩譲[ゆず]って民主主義は認めるとしても、国家宗教は認めない。今日的[こんにちてき]には、民主主義は国民の人権を否定することになるから民主主義も認められない。]
政府は国民と主義が違う。
だから、国民は政府を支持しない。
国民は政府の支配を認めない。だから、政府は国民を支配できない。
国民は政府に従わない。だから、政府は国民を支配できない。
今の国民は国家宗教も民主主義も支持していない。[中世の国民は支持していたが。]
政府が今の国民を支配するためには、政府は自然主義かせめて民主主義で国民を支配しなければならない。
今の政府は、『政府が国民と主義を合わせる』ことを考慮していない。これでは、政府は国民を支配できない。[[10838] を参照。]
国民も自分と主義が違う政治機関に従ってはならない。政治機関が自分と同じ主義になるまで政治機関には従わなければいい。国民が政治機関を支持しなければ、国民は政治機関に従わなければいい。
国民は自分の主義を自分で決めることができる。政府は国民の主義に従いながら国民を支配しなければならない。それが、『国民と政府の法則』である。だから、政府が国民の主義に従っていなければ、国民は政府に従わなければいいのである。例えば、今の政府は国民の主義に従っていないから、国民は今の政府に従わなければいいのである。国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしなければいいのである。国民が国民の主義に従わない政府に従わないことは正しいから、政府はたとえ国民が政府に逆らっても国民を罰することができない。むしろ、政府は自分を国民の主義に従うように改善しなければならない。

[10844] 人権の時代 h22.9.5
昔は人権の概念がなかったから、人間はまだ動物だった。みんながみんなを動物扱いしていた。自由に人殺しができた。自由に強盗ができた。政府も民間企業も税金を取っていた。
しかし、今ではもうそんなことはなくなっている。科学の進歩によって『人間に人権がある』ことがわかったからである。
今は人権の時代である。
ところが、国家宗教や民主主義は人権を否定することができる。
だから、今では国家宗教や民主主義は認められない。
したがって、今は自然主義しかない。今の人間は自然主義を支持するしかない。
今は人権の時代である。だから、税金は取れない。今では民間企業は税金を取らないのに、政府は今でも税金を取っている。だから、政府がまちがっている。したがって、国民は政府に税金を払わなければいい。人間は自然には勝てない。国民も政府も真理に従うしかない。だから、国民は『正しいこと』をすればいいだけである。たとえ政府でも、国民が正しいことをするのを止[と]めることはできない。

[10845] 支配の条件 h22.9.5
政府が国民を支配するためには、政府は国民と同じ主義でなければならない。それが『支配の条件』である。[政府は全知全能ではないから、政府が国民の主義を決めることはできない。政府は国民の主義に合わさねばならない。そもそも政府は“国民が自分を管理するために作った会社”だから、政府が国民の主義に合わせるのは当然である。]
しかし、今の政府が国家宗教や民主主義であるのに対し、今の国民は自然主義である。政府と国民は主義が違う。
だから、今の政府は国民を支配できない。
つまり、国民は政府に従う必要がない。だから、国民は政府に従わなければいい。
『支配の条件』は自然の真理である。だから、政府は『支配の条件』に逆らうことはできない。国民が国民と違う主義の政府に従わなくても、政府は国民を罰することができない。むしろ、政府は国民と同じ主義になるように改善すべきである。
政府がこれまで『支配の条件』に従わなかったのは、政府が『支配の条件』を知らなかったからである。私が人類の歴史を帰納して『支配の条件』を考えてやった。だから、今後は政府は『支配の条件』に従わねばならない。

[10846] 国民の進化 h22.9.5
政府は大昔に出来た。その頃の国民は正しいことがわからず神やみんなに頼っていたので国家宗教や民主主義を支持していた。そのために、政府は国家宗教や民主主義で国民を支配していたのである。
そののち、国民が正しいことがわかるようになり神やみんなに頼らず自分で自然について考えるようになり自然主義を支持するようになった。
国民は国家宗教や民主主義から自然主義に変わった。つまり、国民は進化したのである。
ところが、今の政府は国民の進化に対応できていない。今の政府はあいかわらず国家宗教や民主主義で国民を支配している。今のままでは、政府は国民を支配できない。政府が国民を支配するためには、政府はこれまでの政府を捨てて一新しなければならない。
今の国民は自然主義を支持している。だから、今の政府は自然主義で国民を支配しなければならない。

[10847] 人間は真理に従うものである。☆ h22.9.5
昔は国家宗教や民主主義が正しい主義だと考えられていた。それで、国民も政府もいっしょに国家宗教や民主主義をやっていた。政府は国民を支配する会社だから、政府は国民を国家宗教や民主主義で支配していた。昔はまだ人権の概念がなく、人間を動物扱いすることが正しいと考えられていたので、政府は国民を動物扱いしていた。
今は自然主義が正しい主義だと考えられている。だから、国民も政府もいっしょに自然主義をやらねばならない。政府は国民を支配する会社だから、政府は国民を自然主義で支配しなければならない。今は人権の概念があり、人間を動物扱いすることがまちがいだと考えられているから、政府は国民を動物扱いしてはいけない。
昔も今も人間は正しいことに従ってきた。国民も政府も人間だから、国民も政府も正しいことに従ってきた。政府が例外ということはない。つまり、政府が正しいことに従わなくてもいいということはない。例えば、今では人間に人権があることが正しいとされている。だから、政府は国民から税金を取ってはならない。政府は国家宗教や戦争などで国民を殺してはならない。つまり、国民は政府に税金を払わなくてもいいし、政府の国家宗教や戦争などの命令で死ななくてもいい。国民は『正しいこと』をしているのだから、政府はいくら国民が政府に従わなくても国民を罰することはできない。むしろ、政府が自分のまちがいを改[あらた]めるべきである。

[10848] 支配も仕事のうち h22.9.5
政府は国民を支配する会社である。つまり、政府は国民を管理する会社である。
国民はよりよい社会を作るために、国民を管理する組織として政府を作ったのである。政府が身分制をやって国民を奴隷[どれい]にして国を乗っ取ったわけではない。
だから、政府は真面目[まじめ]に国民を管理しなければならない。
昔は人権の概念がなく、国民が国家宗教や民主主義を正しいと考えていたから、政府はシッチャカメッチャカなことがやれたのである。政府は国民を動物扱いして民主主義で国民の物を取ったり国家宗教で国民を殺したりしていた。それでも当時の国民は政府が正しいことをしていると考えて喜んでいたのである。
しかし、今は人権の概念があり、国民が自然主義を正しいと考えているから、政府はもはやいい加減なことがやれない。政府は国民を法律できちんと管理して、人間社会を社会科学の法則にきちんと従わせて人間社会を上手[じょうず]に動かさねばならない。[自然主義で考えて、政府がどうしても国民や会社からお金を取る必要があれば、政府は国民や会社から税金を取るしかない。]政府は国家宗教や民主主義で国をメチャクチャにして遊んでいる暇[ひま]はない。今の国民は国家宗教や民主主義をまちがいだと考えているから、政府が国家宗教や民主主義をしていると政府がまちがったことをしていると考えて怒[いか]るのである。今は人類の文化が上がったから、国民も政府も国家宗教や民主主義をやってはならないのだ。

[10849] 今の日本政府は政治機関としては失格である。 h22.9.5
今の日本政府は国家宗教や民主主義をやっている。一方、国民は自然主義をやっている。国家宗教や民主主義はまちがった主義である。自然主義は正しい主義である。なぜなら、国家宗教や民主主義では正しいことがわからないが、自然主義では正しいことがわかるからである。だから、日本政府はまちがっている。国民が正しい。
まちがっている者が正しい者を支配することはできない。だから、今の日本政府が国民を支配することはできない。
政府が国民を支配するためには、政府は国民よりも正しくなければならない。しかし、今の政府は国民よりも正しくないから、政府は国民を支配できない。
だから、国民は政府に従わない。そもそも正しい自然主義で政治をやらない政府のほうが悪いのだから、いくら国民が政府に従わなくても政府は国民を罰することができない。[今は力が正義の時代ではない。正義が力の時代である。だから、政府は暴力で国民を脅[おど]して従わせることはできない。国民が政府よりも正しければ、政府は国民に従わねばならない。]
政府がまともに仕事がやれるようになってから、国民は政府に税金を払えばいい。それまでは、国民は政府に税金を払わなくていい。
 

[10850] 正しいことをする会社☆☆ h22.9.5
人間は正しい者には従うが、まちがった者には従わない。
国民が政府に従ったのは、政府が正しいことをする会社だったからである。

昔は人権の概念がなかったし、国家宗教や民主主義が正しいと考えられていた。
だから、昔の国民は、政府が国家宗教で人殺しをしたり民主主義で国民の財産を取るのを見て政府が正しいことをしていると考えて、政府に従った。
しかし、今は人権の概念があるし、自然主義が正しいと考えられている。
だから、今の国民は、政府が国家宗教で人殺しをしたり民主主義で国民の財産を取るのを見て政府がまちがったことをしていると考えて、政府に従わない。[今の政府は中世の政府と同じように国家宗教や民主主義をやるだけで自然主義をやっていない。]
政府が国民を自分に従わせるためには、政府は正しくしなければならない。つまり、政府は自然主義で政治をしなければならない。
まちがっている政府におとなしく従っている国民も悪い。だから、国民は政府に従ってはならない。
そもそも政府が中世の頃から一歩も進歩していないのが悪い。だから、政府は国民が自分に従わないからといって、国民を責[せ]めることはできない。むしろ、政府が国民に合わせて改善するべきである。

[10851] 税金を解消する方法 h22.9.5
政府は国民を法律できちんと管理して、人間社会を社会科学の法則にきちんと従わせて人間社会を上手[じょうず]に動かさねばならない。[自然主義で考えて、政府がどうしても国民や会社からお金を取る必要があれば、政府は国民や会社から税金を取るしかない。][[10848]より引用。]
しかし、税金は国民の人権の侵害になるので、なるべく税金は使いたくない。
そこで、政府は国民や会社から税金を取る代わりに消費税を取ればいい。政府は消費税だけを税金にすればいい。
そうすれば、世の中の景気がよくなれば政府は儲[もう]かるし、景気が悪くなれば政府は儲からなくなるから、政府はどうしても世の中の景気をよくしなければならなくなる。だから、政府は真面目[まじめ]に働かねばならなくなる。
政府もちょっとは仕事にスリルがあったほうが楽しく仕事ができるだろう。
[それよりも、政府が“国民と契約を取って”毎月国民から税金を取るほうがもっと現実的だろう。国民みんなが政府の必要性を認めれば、政府は国民全員と契約が取れるだろう。だから、政府は国民みんなが政府の必要性を認めるように、正しい仕事をしなければならない。今の政府では、国民は政府の必要性を認めず政府と契約しないだろう。だから、政府が国民と契約を取るためには、政府は国民の主義に合わせて自然主義で政治をしなければならない。]

[10852] 国民は政府が要らない。 h22.9.6
今の国民は、自然についての正しい知識を身に付けて、自分で自然について正しく考えることができる。今の国民は、自分で考えて生きている。
今の国民は自分で考えて正しいことがわかるので、今の国民にとっては神もみんなも要らない。今の国民は自分で考えて自然について理解できるので、今の国民は自然主義である。
それなのに、いまだに政府は神やみんなに頼って物事を決めている。政府は国家宗教や民主主義で“確からしいこと”を決めて国民に命令して実行させている。[つまり、神とは“正しいことがわかる人”のことである。もっとも、実際には頭がいいふりをしているだけのインチキ神ばかりだっただろうが。]
政府のやり方では正しいことがわからない。
だから、国民は政府に従ってはならない。
国民は政府に従わず、自分で考えていくしかない。
国民は政府が要らない。
例えば、政府は民主主義で「国民が政府に税金を払わねばならない」と決めたが、これもまちがっている。
自然においては人間には人権があるから、『国民が政府に税金を払わない』ことが正しい。
だから、国民は『政府に税金を払わない』ことを守りながら生きて行かねばならない。
人間は正しいことに従わねばならない。まちがったことに従ってはならない。
政府はまちがったことしかわからないオンボロ頭脳集団だから、政府は信用置けない。国民は政府に従ってはいけない。
だから、国民は政府に従う体制をやめねばならない。
今は政府よりも国民のほうが正しい。
だから、国民は政府に従わず、国民に従えばいい。[政府は自分自身がまちがっていることを知っているから、国民が政府に従わなくても国民を罰したりはしないだろう。政府はそこまで気が狂ってはいないだろう。政府は国民が正しく生きていくのを邪魔したりはしないだろう。]
当分の間、国民は無政府主義でやって行くしかない。
将来、自然主義の政治機関が現れるまで、国民は政治機関に従わなければいい。

[10853] 超人とは何か? h22.9.6
ニーチェは、『神は死んだ。超人が生まれた。』と言った。
『超人は大地の意志である。』とも言った。
つまり、神とは宗教(神主義)のことである。超人とは科学(自然主義)のことである。
19世紀末のドイツでは、国民が宗教をやめて科学に代[か]わった。つまり、神に従うことから自然に従うことに代わった。宗教よりも科学のほうが正しいことがわかるから、国民は宗教から科学に代えたのである。[宗教は道徳だけではない。宗教は森羅万象[しんらばんしょう]に及ぶ。だから、ガリレイの地動説も宗教裁判にかけられた。ガウスの非ユークリッド幾何学も宗教裁判にかけられそうになった。そもそも、プトレマイオスの天動説はキリスト教にかなっているから支持されたのである。[おそらく、キリストが自己中心的な性格で相対的な見方をしないからだと思われる。しかし、実際には天動説がまちがいだったのだから、国家宗教(神主義)そのものがまちがいだったことになる。]昔は、宗教が宇宙のすべてのことについて正しいかまちがっているかを決めていたのである。]
国民は政府とは無関係に、国民が自分自身で自分の支持する主義を宗教から科学に代えたのである。政府が宗教で身分制をやることから民主主義で身分制をやることに代えたために、国民が自分の支持する主義を宗教から科学に代えたわけではない。[[10808]の訂正。 ]
ドイツでさえ、国民の支持する主義が宗教から科学に代わるのに19世紀末までかかった。文化を根底から入れ替えるためにはそれだけ長い時間がかかるのだろう。
日本が太平洋戦争後に国民の支持する主義が宗教から科学に代わったとしても不思議ではない。
戦後の今は科学の時代である。つまり、自然主義の時代である。人権の時代である。
しかし、戦後も政府は国家宗教や民主主義をやっている。一方、国民は自然主義をやっている。
だから、戦後は政府の時代ではない。国民の時代だ。
したがって、国民は政府に従ってはいけない。国民は国民に従わなければならない。政府はまちがいばかりで国民が従う価値がない。国民にとってもはや政府は無用だ。

[10854] 政府の限界 h22.9.6
政府は国家宗教や民主主義で国民を支配する会社である。
政府は自然主義で国民を支配する会社ではない。
戦後に政府が自然主義で国民を支配する会社に代わることができなかったのは、政府が自分を自然主義で国民を支配する会社とはまったく別のものだと考えているからである。
政府は国家宗教の中で神を代えたり民主主義の中で内閣を代えたりすることはできるが、国家宗教や民主主義で国民を支配することから自然主義で国民を支配することに代えることはできないのである。
だから、いくら待っても政府が自然主義で国民を支配するようになるようにはならないのである。
政府は永遠に国家宗教や民主主義で国民を支配し続ける会社なのである。
しかし、国家宗教や民主主義は自然主義ほど正しいことがわからない。国民にとっては政府はまちがった命令を出す機関にすぎない。国民にとっては政府は迷惑だ。
だから、国民にとっては政府は要らない。国民は政府を潰[つぶ]さねばならない。政府がなくなれば、自然主義で国民を支配する会社が出来るだろう。
人間は正しい者に従うべきであり、まちがった者に従うべきではない。今では国民のほうが政府よりも正しいから、政府は国民が政府に従わなくても文句は言わない。むしろ、国民が政府に従わないことを政府は歓迎[かんげい]するだろう。政府は政府に税金を払わない国民を一人前の男と認めるだろう。

[10855] 戦前と戦後の違い h22.9.6
日本では、戦前は、国民も政府も国家宗教や民主主義を支持していた。
しかし、戦後は政府が依然[いぜん]として国家宗教や民主主義を支持しているのに対し、国民は自然主義を支持するようになった。
国家宗教や民主主義よりも自然主義のほうが正しい。
人間は自分よりも正しい者には従うが、自分よりもまちがった者には従わない。それが『人間の原理』である。

だから、戦前は国民が政府に従っていた。
しかし、戦後は、国民は政府に従ってはならない。
今でも国民が政府に従っているとすれば、それは国民のまちがいだ。
戦後は国民が政府に従うことがまちがいだから、国民は政府に従ってはならないのである。つまり、国民は政府の命令を聞かず、政府に税金を払わなければいいのである。
政府も国民も『人間の原理』に従わねばならないから、戦後は国民が政府に従わないことは正しいことだから、たとえ国民が政府に従わなくても政府は国民を罰することはできないのである。政府が国民を罰すると政府がまちがっていることになるから、政府は国民を罰することができないのである。『人間の原理』は日本国憲法以前の決まりであって、『人間の原理』は日本国憲法よりも強いから、たとえ政府でも『人間の原理』を犯すことはできないのである。人間が「1+1=2」を犯せないのと同じことである。
今の政府はまちがった命令を国民に出す機関にすぎない。今の国民にとっては政府は役に立たない。国民は『正しい命令を国民に出す機関』つまり自然主義の政治機関を作らねばならない。

[10856] 正しいことを決める方法☆☆ h22.9.6
宗教や民主主義は、昔の正しいことを決める方法である。確からしいことを決める方法である。
宗教では、神に従っていると見なされる物は正しく、神に従っていないと見なされる物はまちがいだとされたのである。
民主主義では、多数決の原理によって、みんなに従っていると見なされる者は正しく、みんなに従っていないと見なされる者はまちがいだとされたのである。
しかし、今では自然主義が正しいことを決める方法になっている。つまり、人間は自然を観察してそこから帰納して真理を得たり、逆に自分が考えた真理を実験で確かめることによって自分が考えた真理が本当に正しいかまちがっているかを判定することができる。
自然主義では、自然と同じことが正しく、自然と違うことがまちがいだとされる。
今では、宗教や民主主義よりも自然主義(科学)のほうが正しいことを決めるための優[すぐ]れた方法だと考えられている。宗教や民主主義よりも自然主義のほうが正しいことがわかるのである。
だから、人間は宗教や民主主義よりも自然主義を支持するようになったのである。宗教や民主主義を支持する者は正しいことがわからない者と見なされて、みんなから相手にされなくなって見捨てられるだけだ。だから、みんなと仲良くしたければ、自然主義を支持しなければならない。
政府はいまだに宗教や民主主義を支持している。一方、国民は自然主義を支持している。だから、政府は正しいことがわからない。国民は正しいことがわかる。だから、政府は国民に相手にされなくなって滅びるしかない。

[10857] これまでの歴史とこれからの歴史の違い h22.9.6
これまでの人類の歴史では、国民が政府に従ってきた。
しかし、これまでの歴史では、国民と政府が同じ主義だった。
これからの歴史では、国民と政府は違う主義である。
だから、これからの歴史では、国民は政府に従わない。
今の政府は国家宗教と民主主義を支持している。
一方、今の国民は自然主義を支持している。
国家宗教や民主主義よりも自然主義のほうが正しい。
だから、今では、政府よりも国民のほうが正しい。
今では、政府は国民にまちがった命令を出す機関にすぎない。
実力では、国民のほうが政府よりも強い。
だから、国民になめられた政府は終わりだ。

[10858] 世界大戦はどうして起きたか? h22.9.6
国家宗教と民主主義の世界には、まだ人権の概念がなかった。
他人の物を自由に奪うことができたし、他人を自由に殺すことができた。
そんな世界の中で、「身分」の概念が生まれた。
身分の高い者が身分の低い者に対して何でも命令することができた。例えば、身分が高い者が身分の低い者同士を戦わせて殺し合いをさせることができた。
近代後期は、インド皇帝が世界で一番身分が高かった。
それで、インド皇帝がインド以外の国に戦争させる命令を出したのである。
そのために、世界大戦が起こったのである。
インド以外の世界中の国は泣く泣く戦争をやらされたのである。
つまり、人間が娯楽のために闘牛や闘犬をするように、ローマ市民が娯楽のためにコロシアムで奴隷を戦わせたように、当時はインドの皇帝が娯楽のために世界大戦を起したのである。
しかし、戦後の世界は自然主義になった。
自然主義の世界には、『人権』の概念がある。
他人の物を奪うことができないし、他人を殺すこともできない。
自然主義の世界には身分の概念がないから、人間同士を戦わせる命令を出せる者なんかいない。
だから、もはや戦争はやれない。
要するに、戦争の原因は国家宗教や民主主義である。
世界大戦後の世界は自然主義になったから、もはや戦争は起こらないのだ。
[ただし、今後も人間は自分の人権を守るために(つまり自分が生き残るために)資源争奪戦を起こす可能性があるから、日頃から省エネ省資源を心がけねばならない。]

[10859] 世の中は憲法通りには行かない。 h22.9.6
世界大戦以前の世界は、まだみんなが国家宗教をやっていた。
国家宗教の世界には、人権の概念がない。
いくら戦前の憲法に人権のことが書いてあっても、実際には人権がなかったのである。
そのため、政府は国民から税金を取ったり、国民に戦争をさせたりしたのだ。
その反対に、いくら戦後の憲法に国家宗教のことが書いてなくても、実際には政府は国家宗教をやっている。
世界大戦以後の世界は、国民は国家宗教をやめたが、政府は国家宗教をやっている。
国家宗教の世界には、人権の概念がない。
だから、今の政府も戦前の政府と同じように国民の人権を侵[おか]して、国民から税金を取ったり、国民を国家宗教で殺したりしているのだ。
政府が憲法通りにしないのは、国家宗教の世界には“建前”[たてまえ]の概念があるからである。国家宗教の世界では、人間は正しいことがわからないから他人に嘘を言ってもいいので、建前が通用するのである。
政府は国民の前では嘘の建前を言って国民の機嫌[きげん]を取って、実際には別のことをやっているのである。
反対に、自然主義の世界には、建前の概念がない。人間は言葉通りにやらねばならない。
だから、自然主義の世界では、政府は憲法通りにしなければならないのである。

[10860] 今の政府は国民の政治機関ではない。 h22.9.6
『人間は正しい者には従い、まちがった者には従わない。』それが永遠不変の人間の法則である。
これまで国民が政府に従ってきたのは、国民と政府が同じ国家宗教や民主主義を支持していたからである。
つまり、国民から見て政府が正しかったので、国民は政府に従ったのである。
しかし、今は違う。
今では、国民は自然主義を支持しているのに、政府はいまだに国家宗教や民主主義を支持している。
自然主義は国家宗教や民主主義よりも正しい。
だから、今では、国民から見て政府はまちがっている。
だから、今では国民は政府に従わないのである。国民は政府に従うことができないのである。
国民は、国民と同じ自然主義の政治機関でなければ従えない。
しかも、政府は今後も自分の支持する主義を変えそうにない。[[10854]を参照。]
だから、新しく自然主義の政治機関が出来るまでは、国民同士で何とかやっていくしかない。
これまで国民は政府に頼りすぎた。そのために、国民は自分では何もできなくなってしまった。
たまには国民だけでやってみるのも悪くはないだろう。
そうすれば、政府がどれほど要らない会社であったかがよくわかるだろう。

[10861] どうすれば商品がよく売れるか? h22.9.6
今の国民は自然主義を支持している。
だから、自然主義で商品を作れば、今の国民によく売れる。
しかし、政府は依然[いぜん]として国家宗教や民主主義をやっている。
だから、政府の命令で商品を作ると国民に売れなくなる。
国民によく売れる商品を作るためには、政府に従わずに、自然主義で商品を作ればいいのである。

[10862] 医療保険は正当か? h22.9.6
医療保険は、政府が国家宗教か民主主義でやっている制度である。
自然主義では、医者だけに保険制度があるのはおかしい。
だから、自然主義では医療保険は廃止しなければならない。
医者が稼[かせ]ぎたければ実力で稼げ!

[10863] まちがい主義 h22.9.7
国民にはマンガや小説がよく売れる。
マンガも小説もまちがいを書いている。
だから、国民はまちがい主義だ。
一方、政府は国家宗教や民主主義だが、要するにまちがい主義だ。
だから、国民と政府は同じ主義だ。
だから、国民から見て政府は正しいから、国民は政府に従っているのだ。
一方、私は正しいことを考えてきた。だから、私は真理主義だ。
国民や政府と私とは主義が違う。
国民や政府から見て私はまちがっているから、国民や政府は私に従わないだろう。
だから、私は国民や政府に自分の考えを訴[うった]えたりはしないのだ。
政府が永遠にまちがい主義であるように、国民も永遠にまちがい主義だ。
だから、国民は永遠に政府に従い続けるだろう。
世の中には、真理を面白いと思う人間とまちがいを面白いと思う人間の2種類がいる。
国民も政府もまちがいを面白いと思う人間だから、仲良くやっていられるのだ。

[10864] どうして政府は国家宗教や民主主義のままなのか? h22.9.7
政府は国家宗教や民主主義をやる機関である。
国家宗教や民主主義と自然主義とは主義が違うので、国家宗教や民主主義から見ると自然主義がまちがいに見える。
人間はまちがいには従わないものである。
だから、政府は自然主義には従わないのである。
だから、政府は今でも国家宗教や民主主義のままなのである。
政府は永遠に国家宗教や民主主義のままなのである。

[10865] どうして国民は自然主義に代[か]わったのか? h22.9.7
昔は自然についての正しい知識がなかったが、今は自然についての正しい知識がある。
今の人間は自然についての正しい知識を身につけて、自分で自然について考えて自然を理解して自然に適応[てきおう]して生きることができる。
だから、国民は自然主義に代わったのである。
国民はわざわざまちがって考えるのが面倒臭いので、国家宗教や民主主義を捨てたのである。
自然主義から見ると国家宗教や民主主義がまちがいに見える。
政府は国家宗教や民主主義をやる機関である。
人間はまちがいには従わないものである。
だから、国民は政府に従うのをやめたのである。

[10866] 五感主義と知覚主義 h22.9.7
五感主義は、眼で見るだけで考えない。
知覚主義は、眼で見たことについてさらに頭で考える。
五感主義よりも知覚主義のほうが正しいことがわかる。
だから、人間は五感主義よりも知覚主義を支持するようになったのである。[[10856]を参照。]
五感主義では、眼で見えることを頭で考えることよりも大事にする。
知覚主義では、眼で見えることよりも頭で考えることを大事にする。
眼で見えることは、視覚で捉[とら]えられた自然の姿である。
自然自体と視覚で捉えた自然とは別のものである。
眼で見ただけでは自然について何もわからない。
眼で見えることは自然認識の出発点にすぎない。
頭で考えなければ、自然の本当の姿がわからない。
視覚よりも知覚のほうが自然がよく見える。
人間は知覚主義でなければならない。
真理への道はただひとつ、『眼で見たことについて頭でよく考える』ことだ。自分が見たことについて考えて、自分が考えたことについて考えて、さらに自分が考えたことについて考えることだ。そうすれば、しだいに真理が見えてくる。
例えば、頭で考えなければ、政府の本当の姿がわからない。
政府の正体は『国家宗教や民主主義で国民に命令を出す会社』である。
ところが、国家宗教や民主主義は古いまちがった自然認識の方法である。つまり、国家宗教や民主主義ではまちがったことしかわからない。
だから、今の政府は国民にまちがった命令を出す会社にすぎない。

人間はまちがいには従わない。
だから、国民は政府に従わない。

国民は政府に従うよりも自分で考えて行動したほうがいい。

[10867] 国民主義 h22.9.7
政府は国家宗教(神主義)や民主主義である。
一方、国民は自然主義である。
自然主義では正しいことがわかるが、国家宗教や民主主義では正しいことがわからない。
政府は今でも国家宗教や民主主義で命令を作って国民に出している。
政府はまちがった命令を出す機関にすぎない。
だから、国民は政府に従ってはならない。
国民は国民自身に従えばいいのである。

[10868] 愚連隊[ぐれんたい] h22.9.7
愚連隊とは、いくら数が多くてもまちがっていては駄目[だめ]だと言うことである。
例えば、今の政府は数が多いが、国家宗教や民主主義を支持していてまちがっているから駄目である。
今の政府では国民を支配することはできない。
政府は自然主義を勉強して正しい命令が出せるようになってから、国民を支配しなければならない。

[10869] 政府は正しい命令を出す機関だった。 h22.9.7
昔、政府が国民を支配することができたのは、政府が正しい命令を国民に出していたからである。
昔は、国家宗教や民主主義が正しい自然を認識するための方法だと考えられていた。
だから、政府は国家宗教や民主主義で命令を作って出していたし、国民は政府の命令が正しいと思って政府の命令に従っていたのである。結果がどうなろうが、とにかく国民は政府の命令が正しいと考えて政府の命令に従ったのである。
しかし、今では国家宗教や民主主義に代わって自然主義が正しい自然を認識するための方法だと考えられている。
だから、いくら政府が国家宗教や民主主義で命令を作っても、国民は政府の命令がまちがいだと考えて政府の命令に従わないのである。
日本では第2次世界大戦まではみんなが国家宗教や民主主義によって自然を認識していた。戦後になって、ようやく国民は自然主義で自然を認識するようになった。しかし、政府はいまだに国家宗教や民主主義で自然を認識している。
だから、今の日本では、国民はしだいに政府に従わなくなりつつある。
明日[あした]は、国民みんなが政府に従わなくなっているかもしれない。
早く国民全員が政府に従わなくなる時代が来なければならない。

[10870] 税金について☆ h22.9.7
税金は政府が民主主義で決めたことである。つまり、政府が間接民主主義で「政府が国民から税金を取ってもいい」と決めたから、政府は国民から税金を取っていたのである。[昔は、政府は国家宗教で税金を取っていた。神武天皇は他人の土地を奪った。国家宗教(神主義)では、神武天皇と同じこと(似ていること)をすることは正しいと考えられていたので、政府は神武天皇に倣[なら]って国民の財産を取っていたのである。]
しかし、戦後は国家宗教や民主主義がまちがいだと考えられて、自然主義が正しいと考えられている。
だから、今では税金は無効である。政府はもはや国民から税金を取ることができない。
自然主義では、政府と国民は“対等”[たいとう]である。
だから、政府が国民と『契約』[けいやく]を取れば、政府は国民から税金を取ることができる。[反対に、これまで政府が国民と契約を取らずに税金を取れたのは、みんなが国家宗教や民主主義を正しいと認めていたからである。]
しかし、実際には、政府はまだ国民と契約を取っていないから、政府は国民から税金を取ることはできないのである。つまり、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。
戦後は国民は政府に税金を払う必要はなかったのである。これまで国民はとんだ払い損をして来たわけだ(笑)。

[10871] 国家宗教や民主主義では政府がインチキをやりやすい。 h22.9.7
これまで政府は国家宗教や民主主義で政治をやってきた。つまり、政府は国家宗教や民主主義で国民に命令を出してきた。国民は国家宗教や民主主義が正しいと考えていたので、政府の命令が正しいと考えて政府の命令に従ってきた。
国家宗教では、神が他人の物を取ったり他人を殺したりしたことにすれば、政府が国民の物を取ったり国民を殺したりできる。
民主主義では、間接民主主義は政府主義にほかならないから、間接民主主義によれば政府が国民を好き勝手にすることができる。[もっとも、民主主義だから、ある程度は国民の了解[りょうかい]も必要だが。一方、国家宗教(神主義)では国民の了解が一切要らないから、政府は完全に一方的に国民を好き勝手にすることができたのである。]
しかし、戦後の今では国家宗教や民主主義はまちがいだと考えられている。戦後の今は自然主義が正しいと考えられている。
政府が真面目[まじめ]に自然主義で政治をやれば、政府はやって行けないことはない。国民は自分を管理するために政府を作ったのだから、国民が政府の必要性を認めれば政府は国民全員と契約を取って経営できるはずである。保険会社がやっていけるぐらいだから、政府もやっていけるはずである。
それなのに、政府は自分の欲に目がくらんで、このまま国家宗教や民主主義を続けることにして、自然主義をやることを躊躇[ちゅうちょ]したのだ。
それでは、政府は潰[つぶ]れるしかない。

[10872] 自然認識の方法 h22.9.7
国家宗教(神主義)も民主主義も自然主義もみんな自然を認識するための方法である。
今では、自然主義のほうが国家宗教や民主主義よりも優[すぐ]れた自然認識の方法だと考えられている。つまり、自然主義では正しいことがわかるが、国家宗教や民主主義では正しいことがわからないと考えられている。つまり、国家宗教や民主主義は自然主義よりも自然認識の方法としては劣るのである。
これまでは、国家宗教や民主主義の意義を誤解していたために、国家宗教や民主主義と自然主義を併[あわ]せてやっていたが、今後は国家宗教や民主主義をやめて自然主義一本でやらねばならない。


[10873] 政府の権力 h22.9.7
昔は政府が正しいとされていたから、政府に権力があったのである。昔は、みんなが国家宗教や民主主義を正しい自然認識の方法と考えていて、国民は政府が国家宗教や民主主義で作った命令が正しいと考えて政府の命令に従っていたから政府に権力があったのである。[教会についても同様。]
しかし、今は政府がまちがっているとされているから、政府に権力はない。今は、国民が自然主義が正しい自然認識の方法と考えていて、国家宗教や民主主義はまちがった自然認識の方法だと考えているから、国民は政府が国家宗教や民主主義で作った命令がまちがいだと考えて政府の命令に従わないから政府に権力がないのである。[教会についても同様。]
今の政府には権力がない。だから、国民は政府の命令に従わない。国民は政府に金を払わない。だから、今の政府は羽振りが悪くてピーピーなのだ。

[10874] 自然主義の時代 h22.9.7
ガリレイやニュートンが出ただけでは自然主義の時代になったとは言えない。
国民みんなが自然についての知識を身に付けて、自分で自然について考えて自然を理解して自然に適応して生きていけるようになってはじめて自然主義の時代になったと言える。
そうなるまでにはずいぶん時間がかかった。第2次世界大戦後になって、ようやく自然主義の時代になった。
政府は国家宗教や民主主義で国民に命令を出す会社である。
国家宗教や民主主義の時代では、政府は国民に正しい命令を出す会社だったが、自然主義の時代では、政府は国民にまちがった命令を出す会社にすぎない。そんな会社は国民にとって迷惑である。だから、国民はさっさと政府を潰[つぶ]せばいい。

[10875] 政府と国民の決別[けつべつ] h22.9.8
戦前は、政府も国民も国家宗教(神主義)や民主主義を支持していた。
政府は国家宗教や民主主義で命令を作って国民に出していた。
国民にとって政府の命令は正しかったから、国民は政府の命令に従った。結果がどうなろうが、国民は政府の命令が正しいと信じて政府の命令にひたすら従った。
しかし、戦後は、政府は国家宗教や民主主義を支持しているが、国民は自然主義を支持するようになった。
自然主義では正しいことがわかるが、国家宗教や民主主義では正しいことがわからないと考えられるようになった。
政府はあいかわらず国家宗教や民主主義で命令を作って国民に出している。
国民にとって政府の命令はまちがっているから、国民は政府の命令に従わなくなった。[“最初からまちがいだとわかっている命令”に従う者はいない。]
今では国民が政府に従うことがまちがっている。だから、国民は政府に従うのをやめねばならない。
政府は国民に命令を出す機関である。
これまで政府は国民に正しい命令を出してくれたから、国民は政府に命令代として税金を払っていたのである。
しかし、今では政府は国民にまちがった命令を出すだけだから、国民は政府に命令代として税金を払う必要はない。

[10876] どうすれば政府は国民から税金が取れるか? h22.9.8
今の国民にとっては、国家宗教(神主義)も民主主義も正しいとは思えない。自然主義だけが正しいと思える。
今の国民にとっては、神武天皇が他人の土地を奪ったから、政府が国民から税金を取ってもいいというのは理由になっているとは思えない。
同じように、今の国民にとっては、政府が間接民主主義で「政府が国民から税金を取ってもいい」と決めたから、政府が国民から税金を取ってもいいというのは理由になっているとは思えない。[間接民主主義は政府主義であり、政府の独断を認めるので国家宗教と変わらない。間接民主主義はみんなに従うのではなく政府に従うのだから政府主義にほかならない。]
一方、政府が国民と契約を取ったから、政府が国民から税金を取ってもいいというのは理由になっていると思える。
だから、政府は国民と契約を取ってから、国民から税金を取らねばならない。

[10877] どうして政府が日本を支配できたのか?☆ h22.9.8
政府が日本を支配できたのは、国民が政府を正しいと考えていたからである。
昔は、政府も国民もみんなが国家宗教や民主主義を正しいと信じていて、政府が国家宗教や民主主義で作った命令を国民が正しいと考えて政府の命令に従ったから、政府は日本を支配できたのである。
しかし、今は国民は国家宗教や民主主義を正しいと信じなくなった。国民は自然主義を正しいと信じるようになり、国家宗教や民主主義がまちがっていると信じるようになった。
それなのに、政府はいまだに国家宗教や民主主義で命令を作り続けている。
だから、今は政府の命令を国民がまちがっていると考えて国民は政府の命令に従わない。
したがって、政府は日本を支配できない。
今は国民が政府をまちがっていると考えているから、政府は日本を支配できないのである。
『人間は正しい者には従い、まちがっている者には従わない』習性がある。だから人間を支配するためには、正しくなければならないのだ。
今の政府は国民にまちがった命令を出す機関にすぎない。今の国民には政府に従う理由がない。
実力では国民のほうが政府よりも強い。だから、国民が政府に従わなくなれば政府は終わりだ。
今は国民が政府よりも正しいから、政府が国民に口出しする資格はない。
今では国民が政府を決めるのであって、政府が国民を決めるのではない。

[10878] 今の政府は国家宗教や民主主義をやっている。 h22.9.8
今の政府が国民と契約を取らずに税金を取っているのがその証拠である。
政府が自然主義をやっているなら、政府は国民とちゃんと契約を取って税金を取るはずである。
政府がそうしていないのは、政府が自然主義をやっていないからである。
今の政府は国家宗教や民主主義をやっている。今の政府は国家宗教や民主主義で命令を作って国民に命令を出している。
国家宗教や民主主義はまちがった自然認識の方法である。
国家宗教や民主主義では自然について正しいことがわからない。
だから、今の政府は国民にまちがった命令を出している。
したがって、国民は今の政府の命令に従ってはならない。
政府の命令はまちがっている。国民が政府の命令に従うと国がメチャクチャになるから、国民は政府の命令に従ってはならない。

[10879] 身分制はどうして出来たか? h22.9.8
昔は国家宗教や民主主義が正しいと考えられていた。
政府は国家宗教や民主主義で命令を作って国民に出していた。
国民は政府の命令が正しいと考えて政府の命令に従った。
こうして、政府が国民を支配するようになったのである。
人間の支配従属関係によって人間には「身分」があると考えられるようになった。
政府は身分が高く、国民は身分が低いと考えられた。
身分の低い者は身分の高い者に従わねばならないとされた。
こうして身分制が出来たのである。
国家宗教や民主主義から身分制が出来たのである。
徳川幕府は身分制だけで国民を治めていた。
当時は国家宗教(神主義)が古くなって廃[すた]れて、民主主義はまだ出来ていなかったので、身分制しかなかった。だから、徳川幕府は身分制で治めるしかなかったのである。
明治時代になって日本政府が民主主義を始めたついでに再び国家宗教をやるようになったのである。[国家宗教は後ろ向きだから、やらないほうがよかったが。]
しかし、戦後の今では自然主義があるから、もはや国家宗教も民主主義も身分制も全部要らなくなったのである。
今は世界中のみんなが自然主義をやっている。だから、日本でも自然主義をやらねばならない。日本は国家宗教や民主主義や身分制をやめねばならない。

[10880] 世界大戦はどうして起きたか? h22.9.8
世界を入れ替[か]えるためである。
日本では戦国時代にも戦争(内戦)があった。
戦国時代は、政府が支配する社会から幕府が支配する社会に入れ替えるためにあった。戦国時代は、国家宗教の時代から身分制の時代に代[か]えるためにあったのである。
それと同じように、世界大戦も政府が支配する社会から国民が支配する社会に入れ替えるためにあったのである。世界大戦は民主主義や国家宗教の時代から自然主義の時代に代えるためにあったのである。
この世には、世界を入れ替える際には、戦争をやって古い世界を破壊しなければならない決まりがあったのである。[将来はこんな決まりは廃止して欲しいが。]だから、世界大戦の時には、古い国家宗教をやっていた日本やドイツは特に激しく攻撃されたのである。日本では、江戸時代から明治時代に代わる時にもちょっと戦争があった。
もっとも、戦争が世界を入れ替えるのではない。戦争は世界を入れ替えるときの儀式にすぎない。だから、戦争が終わった後でも国民の手で世界を入れ替えていかねばならない。
今の政府は昔の世界の名残[なごり]にすぎない。だから、新しい世界にするために早く政府をなくさねばならない。

[10881] 日本人は自然主義が好きである。 h22.9.8
日本人は民主主義が嫌いである。
日本人は個人主義が好きである。
日本人は一人一人が正しいことが大事だと考えている。
だから、日本人には自然主義(科学)が受け入れられやすいのである。
それなのに、政府はいまだに国家宗教(神主義)や民主主義などまちがった主義ばかりやっている。
政府だけがまちがっている。政府だけが神やみんな(実際には政府自身)に従ってまちがったことをやっている。
今の政府は馬鹿である。国民は馬鹿に従うのが嫌である。だから、国民は政府を無視して国民だけでやっていくだろう。

[10882] どうして今でも国家宗教や民主主義を支持している者がいるのか? h22.9.8
極端に頭が悪いからである。
頭が悪い者は自然主義がわからないので、国家宗教や民主主義を支持しているのである。
政府は今でも国家宗教や民主主義をやっている。
だから、頭が悪い者は政府を支持しているのである。

[10883] 政府は国家宗教や民主主義をやることが仕事である。 h22.9.8
政府は国家宗教や民主主義で国民に命令を出すことが仕事である。
たとえ政府が神や内閣を入れ替えることがあっても、国家宗教や民主主義を他の主義と入れ替えることはない。
医者が病人を診[み]ることが仕事であって、電化製品を売るのが仕事ではないように、政府は国家宗教や民主主義で国民に命令を出すことが仕事であって、自然主義で国民に命令を出すことが仕事ではない。
政府は国家宗教や民主主義の中で仕事をするだけであって、国家宗教や民主主義の外[そと]の仕事はしないのだ。
昔から政府の仕事は「国家宗教や民主主義で国民に命令を出すこと」と決まっているので、政府はそれ以外のことは一切[いっさい]しないのだ。
政府は国家宗教や民主主義のプロフェッショナルなのだ。

[10884] 国家宗教は国民にとって有害である。 h22.9.8
国家宗教は身分制の制限となって国民の役に立ってくれたのではない。むしろ、国家宗教は身分制の生みの親である。[[10879]を参照。]
国家宗教(神主義)は、神に従うことが正しいことになって神に従わないことがまちがいになって、かえって世の中にまちがいを広めただけである。
例えば、キリスト教では、キリストが自己中心的な性格で相対的な見方をしなかったために天動説が正しいとされて地動説がまちがいだとされた。もしも、キリスト教がなければ、天動説がまちがいだとされて地動説が正しいとされて、近代科学の誕生が1000年以上早くなったかもしれない。今頃は、ロボットに働かせて、人間は遊んで暮らせるようになっていたかもしれない。
国家宗教はまちがった自然認識の方法である。国家宗教によれば、人間は自然を正しく認識することができず、自然に適応[てきおう]できなくなる。国家宗教は、人間の自然への適応を妨[さまた]げ、人間の暮らしをかえって苦しくする。
国家宗教は国民にとって有害である。国家宗教なんかないほうがいい。
反対に、自然主義は正しい自然認識の方法である。自然主義によれば、人間は自然を正しく認識することができ、自然に適応できるようになる。自然主義は、人間の自然への適応を促[うなが]し、人間の暮らしを楽にする。
自然主義は国民にとって有益である。自然主義があってよかった。
この世では、正しいかまちがいかがすべてである。自然に適応できた者は生き残り、自然に適応できなかった者は死ぬ。
自然主義は正しい自然認識の方法であり、国家宗教はまちがった自然認識の方法である。
自然主義では正しいことがわかるが、国家宗教では正しいことがわからない。
人類にとって、自然主義は有益であり、国家宗教は有害である。
人類は、自然主義をやって、国家宗教をやめるべきである。

[10885] 『ドン・キホーテ』 h22.9.9
『ドン・キホーテ』は、世界ではじめて相対的な視点で書かれた文学である。
それ以前は、絶対的な視点で書かれた文学しかなかった。
昔は、国家宗教(神主義)が正しいと考えられていたので、文学も神であるキリストに従わねばならないとされていた。キリストに従わない文学は書いてはならなかったのである。
キリストは自己中心的な性格で相対的な見方がなかったので、『ドン・キホーテ』以前の文学は自己中心的な絶対的な視点でしか書かれていなかったのである。
『ドン・キホーテ』の著者セルバンテスは世界ではじめて国家宗教を犯して文学を書いたのである。ドン・キホーテが風車に突撃したのは、自然主義者のセルバンテスが国家宗教を犯して『ドン・キホーテ』を書いたことを表している。[風車は十字架に似ているから、風車はキリスト教を表している。]
『ドン・キホーテ』は、文学における地動説のようなものである。つまり、『ドン・キホーテ』は世界で最初の自然主義文学なのである。
[ちなみに私は『ドン・キホーテ』を読んだことがない。私は中学生の頃に父親が持っていた世界文学全集の『ドン・キホーテ』を2〜3ページ読んだことがあるだけである。]

[10886] どうして日本文学には神武天皇の光の玉や私のことが出てくるのか? h22.9.9
日本文学が日本の神である神武天皇や私に従って書かれているからである。
つまり、日本文学が国家宗教(神主義)で書かれているからである。
そのために、日本文学には神武天皇の光の玉や私のことが出てくるし、日本文学は神武天皇や私の性格に合わせて書かれているのである。
日本では文学を国家宗教で書かねばならないのである。文学を神に従って書かねばならないのである。例えば、石川啄木が“われ泣きぬれてカニとたわむる”と言ったのも、文学が神武天皇に従わねばならなかったために、神武天皇のネタを入れたり神武天皇の性格に合った文学を作らなければならなかったので、啄木が煩[わずら]わしさのあまりノイローゼになっていたからである。[カニは色が赤くて形が丸くて足が放射状だから神武天皇の光の玉に似ている。だから、カニは天皇家の喩[たと]えである。]
しかし、国家宗教はまちがった自然認識の方法である。国家宗教は自然主義に比[くら]べて正しいことがわからない。国家宗教は自然主義よりも劣った自然認識の方法である。
だから、国民は政府の国家宗教にわざわざ従わなくてもかまわない。
だから、今後の文学は国家宗教ではなく自然主義で書けばいい。そのほうが、面白い文学が書けるだろう。

[10887] 政府とは何か? h22.9.9
政府は国民に命令を出す機関である。
昔は政府も国民も国家宗教(神主義)や民主主義を正しいと考えていたので、政府は国家宗教や民主主義で命令を作って国民に出していた。国民は政府の命令を正しいと考えて、政府の命令に従った。だから、政府は国民を支配することができた。
しかし、今は国民は国家宗教や民主主義がまちがいだと考えているので、政府が国家宗教や民主主義で命令を作っても国民は政府の命令に従わない。今は国民は自然主義が正しいと考えているので、政府は自然主義で命令を作って国民に出さねばならない。
政府は国民に命令を出す会社である。政府がやっていくためには、国民が正しいと考える命令を出さねばならない。そのためには、政府は自然主義で命令を作るしかない。

[10888] まちがった命令を出す会社 h22.9.9
政府は国民に命令を出す機関である。
戦前は政府も国民もいっしょに国家宗教(神主義)や民主主義を支持していて、国民も政府もいっしょにまちがっていた。まちがっている者にとってはまちがいが正しく見える。だから、国民は政府のまちがった命令を正しいと考えて政府の命令に従った。だから、政府は国民を支配できた。
しかし、戦後は政府は国家宗教や民主主義を支持しているが国民が自然主義を支持するようになり、国民が正しく政府がまちがっているようになった。正しい者にとってはまちがいがまちがいに見える。だから、国民は政府のまちがった命令をまちがいと考えて政府の命令に従わなくなった。政府は国民を支配できなくなった。
今の政府は国民にまちがった命令を出す機関である。
人間は正しい命令に従えば自然に適応できて幸福になり、反対にまちがった命令に従えば自然に適応できなくなって不幸になる。
政府の命令はまちがっているから、国民が政府の命令を聞くと自然に適応できなくなって不幸になる。だから、国民は政府の命令を聞いてはならない。
政府の命令はまちがっているから、政府の命令には何の価値もない。国民はわざわざお金(税金)を出して政府の命令を買う必要はない。
今の政府は国民を不幸にする機関である。国民にとってはそんな機関は要らない。国民にとって必要なのは国民に正しい命令を出す機関である。国民を自然に適応できるようにして国民を幸福にする機関である。だから、国民は国家宗教や民主主義でまちがった命令を出す政府をなくして、自然主義で正しい命令を出す機関を作ればいいのだ。
今は政府よりも国民のほうが正しい。今の政府は国民にまちがった命令を出す機関である。まちがった命令を出す機関なんかないほうがましだ。まちがった命令を出す機関がなくなれば、国民が自分で正しく考えて幸福に生きていける。だから、政府はなくなったほうがいい。

[10889] 政府は国民の人権を侵[おか]す会社である。 h22.9.9
政府は国家宗教(神主義)や民主主義(実際には政府主義)で命令を作っている。
国家宗教や民主主義には人権の概念がない。
だから、政府の命令は国民の人権を侵す命令であり、政府の命令に従うと国民が不幸にされるのである。
反対に、自然主義の政治機関は自然主義で命令を作る。
自然主義には人権の概念がある。
だから、自然主義の政治機関の命令は国民の人権を守る命令であり、自然主義の政治機関の命令に従うと国民が幸福になれるのである。

[10890] どうして国家宗教や民主主義が出来たか? h22.9.9
ギリシアの学者がもうちょっと利口[りこう]ならよかった。
ギリシアの学者がもっと利口だったら、彼らがガリレイやベーコンのように自然主義を考え出していた。
ギリシア時代に自然主義があれば、その後国家宗教(神主義)も民主主義も出来なかった。政府が最初から自然主義で正しい命令を出して国民を幸福にしていたはずだ。
ギリシアの学者が馬鹿だったために自然主義を考え出せず、その後国家宗教や民主主義が出来て、政府が国家宗教や民主主義でまちがった命令を出して国民が不幸にされたのだ。
しかし、今では自然主義がある。その後の学者が自然主義を考え出してくれたからである。今の国民は自然主義を支持している。今の国民には政府が国家宗教や民主主義で作った命令がまちがっていることがわかる。人間は正しい命令に従えば幸福になり、まちがった命令に従えば不幸になる。だから、国民は今の政府の命令に従ってはならない。国民は国民にまちがった命令を出す政府を倒して、国民に正しい命令を出す自然主義の政治機関を作ればいい。
昔は国民と政府が同じ国家宗教や民主主義を支持していて国民が政府よりも正しくなかったから、国民は政府の命令に逆[さか]らえず、政府の命令に従うしかなかった。しかし、今は国民が自然主義を支持していて政府が国家宗教や民主主義を支持していて国民が政府よりも正しいから、国民は政府の命令に逆らうことができる。だから、国民は自分を幸福にするために政府の命令に逆らえばいいのだ。国民が政府のまちがった命令に従って不幸にされるのが嫌なら、政府に逆らわねばならない。

[10891] なぜ最近テレビで韓国ドラマをやっているのか? h22.9.9
私が子供(幼稚園児〜小学生)の頃は、日本のテレビでアメリカドラマやアメリカアニメをよくやっていた。例えば、『スタートレック(宇宙大作戦)』や『巨人の惑星』や『トムとジェリー』や『チキチキマシン猛レース』や『ウッドペッカー』などをやっていた。
それは、当時、アメリカが強い国だったからである。
だから、今日本のテレビで韓国ドラマをやっているのは、韓国が強い国だからだと考えられる。
今では日本よりも韓国のほうが強いのだ。

[10892] どうして政府は国民を支配できたのか?☆ h22.9.9
昔は、政府も国民も国家宗教(神主義)や民主主義を支持していた。
政府が国民を支配できたのは、政府が国家宗教や民主主義に関しては国民よりも詳[くわ]しかったからである。政府が国家宗教や民主主義の専門家だったからである。
国民から見て政府のほうが国民よりも正しかったので、国民は政府に従った。だから、政府は国民を支配できたのである。
しかし、今は国民が自然主義を支持していて政府が国家宗教や民主主義を支持していて国民のほうが政府よりも正しい。だから、国民は政府に従わない。だから、政府は国民を支配できない。むしろ、政府のほうが国民に従うべきだ。
つまり、昔は政府が国民よりも正しかったから、国民は政府に従った。しかし、今は政府が国民よりも正しくないから、国民は政府に従わない。
『いつの時代にも国民は正しい者に従ってきた。』国民は自分が幸福になるために正しい者に従ってきた。今では国民のほうが政府よりも正しい。だから、国民は国民自身に従い政府に従うべきではない。
政府が国民に正しい命令を出してくれるのであれば、国民は喜んで政府に従い、政府に正しい命令を出してくれたお礼として税金を払うだろう。

[10893] どうして宗教をやると幸福になるのか? h22.9.9
宗教すなわち神主義とは、人間が神のことを知り神に従うことである。
昔は宗教(神主義)が自然を認識するための正しい方法だと考えられていた。
人間は自然について正しいことを知ると自然に適応できて幸福になれると考えられていた。
だから、昔の人は自分が幸福になるために宗教をやったのである。
昔の人が宗教をやったのは、今の人が自然主義(科学)をするのと同じことである。
自然主義とは、学校や本などで自然についての正しい知識を身につけて、自分で自然について考えて自然を理解できるようになることである。
今では宗教(神主義)よりも自然主義(科学)のほうが正しい自然認識の方法だと考えられている。
だから、今では人類は宗教をやるよりも自然主義をやるほうが幸福になれると考えて、宗教をやめて自然主義をやるようになっている。

[10894] 宗教の適用範囲について h22.9.9
現代では、自然主義(科学)が宗教(神主義)よりも正しい自然認識の方法であることがわかっている。
だから、宗教の適用範囲(つまり、宗教でやってもいいこと)は、自然主義でわからないことに限られる。
今では、自然科学や社会科学や哲学などが自然主義でわかっている。
例えば、社会科学には人権の概念があるから、宗教は人権を侵[おか]すことをしてはいけない。つまり、宗教は人間の人権を保障している現代法を犯してはいけない。
また、私の実在哲学は自然主義哲学であるが、性欲や麻薬欲は禁止されている。だから、宗教では性欲や麻薬欲を禁止しなければならない。
宗教をやりたければ、自然主義を犯さない範囲で宗教をやらなければならない。つまり、宗教は自然主義の縄張りを荒らしてはいけない。[民主主義についても同様である。]
政府は国家宗教や民主主義をやる会社である。政府は自然主義の縄張りを侵[おか]してはいけない。だから、政府の縄張りは年々狭くなっている。政府は社会科学の分野から手を引かねばならない。今では法律は社会科学つまり自然主義で扱うようになっている。だから、政府はもはや“法律を扱う仕事”をやってはいけないのである。“法律を扱う仕事”は政府とは別の会社にやってもらわねばならないのである。
政府は国家宗教や民主主義をやる会社である。しかし、今は自然主義の時代である。だから、政府は仕事がない。したがって、政府は潰[つぶ]れねばならない。『国家宗教や民主主義がまちがった自然認識の方法である』ことがわかった今となっては、もはや政府の出番はないのだ。『自然主義(科学)が国家宗教や民主主義よりも正しい自然認識の方法である』ことがわかった時点で政府の役目は終わったのだ。

[10895] 自然主義の時代 h22.9.10
今は自然主義の時代である。
ところが、政府は国家宗教や民主主義をやる会社である。
政府は時代に合っていないことをやっているだけである。
今どき、政府が国民に国家宗教や民主主義でまちがった命令を出すなんてあんまりだ。
今の時代は、国民のほうが政府よりも正しいのだから、国民が政府に従わなくてもかまわない。むしろ、政府が国民に従わねばならない。例えば、国民が政府に税金を払わなければ、政府は泣いて認めるしかない。[自然主義においては、「政府が国民と契約を取らないかぎり、国民が政府に税金を払わない」ことは正しいから、政府が国民と契約を取っていなければ国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。むしろ、払ってはならない。[[10852]の中ほどの“例えば、政府は…守りながら生きて行かねばならない。”を参照。]今の国民は自然主義を支持していて、政府は国家宗教や民主主義を支持している。自然主義は国家宗教や民主主義よりも正しい自然認識の方法である。自然主義のほうが国家宗教や民主主義よりも正しいことがよくわかる。だから、国民のほうが政府よりも正しい。『人類はこれまで正しい者に従ってきた』から、正しい者がまちがった者に従わなくてもかまわない。[[10892]を参照。]だから、国民が政府に従う必要はない。]
したがって、政府は潰[つぶ]れねばならない。

[10896] お互[たが]いさまだ。 h22.9.10
私は自分の考えを他人に言いたければ言うし、言いたくなければ言わない。
人類がどうなろうが私の知ったことではない。
他人に囚[とら]われないのが日本人の美徳だ。
たとえ地球が滅亡しても、私の心は動かない。
人類が私の役に立たないように、私も人類の役には立たない。
これで、お互いさまだ。

[10897] 宗教や民主主義はやれない。 h22.9.10
宗教(神主義)も民主主義も自然主義(科学)もみんな自然認識の方法である。
現代では、自然主義が正しい自然認識の方法であり、宗教や民主主義はまちがった自然認識の方法であることがわかっている。

だから、現代ではもはや宗教や民主主義はやれない。宗教や民主主義はやってはいけない。
例えば、政府は国家宗教や民主主義で国民に命令を出す会社である。だから、現代では政府はやってはいけない。政府は仕事をしてはいけない。政府は潰[つぶ]れるしかない。民間の宗教団体もやってはいけない。
デカルトは、「認識に正しい認識とまちがった認識があるだけではなく、認識の方法にも正しい方法とまちがった方法がある」と言った。
宗教(神主義)や民主主義は古臭いまちがった自然認識の方法であり、自然主義(科学)は新しい正しい自然認識の方法である。
だから、宗教や民主主義はやってはならない。自然主義をやらねばならない。
ただし、特別な場合については、今でも宗教(神主義)や民主主義が使われることがある。例えば、お祈[いの]りや占いのときには宗教(神頼み)が使われるし、学級の文化祭の出し物を決めるときには民主主義が使われている。

[10898] 神とは何か? h22.9.10
宗教は、自然を認識するためのひとつの方法である。
神とは、宗教(神主義)において物事の真偽を決めるときに使われる“基準になる者”のことである。
宗教では、神に従うことが自然において正しく、神に従わないことが自然においてまちがっているとされる。
例えば、神が豚肉を食べなかったら、自然においては豚肉を食べないことが正しく、豚肉を食べることがまちがいだとされるのである。
例えば、神が戦争をしたら、自然においては戦争をすることが正しく、戦争をしないことがまちがいだとされるのである。
しかし、今では自然主義(科学)が正しい自然認識の方法であり、宗教はまちがった自然認識の方法だと考えられている。
だから、今では宗教も神もどうでもいい。宗教も神も要らない。

[10899] 政府は国民を不幸にする会社である。 h22.9.10
政府は国家宗教や民主主義をやる会社である。
つまり、政府は国家宗教や民主主義で命令を作って国民に命令を出す会社である。
ところが、今では宗教や民主主義はまちがった自然認識の方法だと考えられている。宗教や民主主義では自然についてまちがったことしかわからない。
だから、政府は国民をまちがった命令に従わせて国民を自然に不適応にさせて国民を不幸にする会社である。
だから、国民は政府の命令を聞いてはならない。
政府は国家宗教や民主主義をやる会社である。一方、国民は自然主義をやる会社である。国家宗教や民主主義よりも自然主義のほうが正しい自然認識の方法である。国家宗教や民主主義よりも自然主義のほうが自然について正しいことがわかる。今では国民のほうが政府よりも正しいから、国民は政府の命令を聞くよりも、国民自身で考えて決めたほうがいい。そうすれば、国民は自然に適応できて幸福になれるだろう。

[10900] 政府は要らない。 h22.9.10
政府はこれまで長い間国家宗教や民主主義で国民にまちがった命令を出して国民を不幸にし続けてきた。
だから、今後政府が自然主義で国民に正しい命令を出すと言っても国民は政府を信用しないだろう。
国民は「政府はどうせ口先だけだ」と思うだろう。「政府は中世の世界をやる会社だから、中世の世界にはまだ真理の概念がなかったから、政府は国民に嘘をついてもいいと思って、やるつもりのないことを言っているのだろう」と国民は思うだろう。
政府と別の会社が新たに自然主義で国民に正しい命令を出すと言うなら国民はその会社を信用してその会社と契約してその会社に政治料金を払うだろう。


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