[10701] 政府から出る。☆ h22.8.13
戦前はみんなが身分制を正しいと考えていたから、身分の高い政府が身分の低い国民を強制的に政府に入らせていた。政府は国民全員を政府に入れることができた。それで、政府は国家宗教だったのである。
しかし、戦後はみんなが身分制をまちがいだと考えるようになったから、政府が国民を強制的に政府に入らせることができなくなった。政府は国民全員を政府に入れることができなくなった。政府は政府に入りたい国民だけを政府に入れることしかできなくなった。つまり、戦後の政府は民間宗教なのである。
今では国民は“政府から出る”自由がある。国民は“政府から出る”ことができる。
今の政府は民間宗教だから、国民が自分の判断で勝手に政府に出たり入ったりすることができる。
[10702] 戦後の状況☆ h22.8.13 戦後は身分制のない時代である。 政府は身分制をやっている『民間宗教』である。政府は民間宗教だから、身分制がない時代でも身分制がやれるのである。民間宗教では、幹部と信者の同意の下[もと]で身分制をやっているのである。 今の政府は国民を強制的に政府に入れることはできない。だから、国民は自分の意思で政府に入って政府の命令に従っていることになる。 政府は『自分がやっていることを正直に国民に説明しない』以外には悪いことをしていない。政府はテレビや新聞で自分がしていることを毎日国民に見せているから、あえて説明の必要はないと考えているのである。 ところで、戦後の国民は自分で政府に入るか入らないかを決める自由がある。 国民が政府に入っても、政府にお金を取られて宗教で殺されるのを待っているだけである。 国民は自分が政府の身分制の犠牲[ぎせい]になる前に政府を出たほうがよい。政府を出るためには、政府に税金を納めなければいいのである。信者はさらに国家宗教の命令を聞かなければいいのである。 |
[10703] 国際会議なんかどうでもいい。 h22.8.14
日本政府はときどき外国の政府と国際会議をやっている。
しかし、宗教団体である政府にとっては国際会議なんかどうでもいいことである。
いくら日米平和条約があっても、日本はそれを破ってアメリカと戦争をしたではないか。
政府は宗教団体である。
宗教団体にとっては、国際会議や条約なんか最初からどうでもいいことである。
国民に政府が何か立派なことをやっていると思わせて国民を馬鹿にしてからかっているのである。
[10704] 日本国憲法とは何か? h22.8.14
日本政府に入った者(信者)が守らねばならない約束である。日本政府は身分制をやる民間宗教だから、日本国憲法は身分制を帯[お]びているのである。[[10655]
日本国憲法とは何か?☆ h22.8.2 を参照。]
反対に、日本政府に入らない者は日本国憲法を守らなくてもいい。
ただし、今の社会には“人権”の概念があるから、それを侵[おか]すと罰せられる。
だから、他人の人権を侵さないようにすれば、問題はない。
とにかく、政府は『民間宗教』以外の何者でもない。政府はいわゆる政治機関ではない。宗教団体の政府にとっては、政治や経済はただのお遊びにすぎない。実際には、何もやっていない。なぜなら、身分制では身分の高い者(政府)は身分の低い者(政府に入った国民)の役に立つことはしないからである。
だから、人間社会を円滑に営[いとな]むためには、本格的な法治会社を新たに作る必要がある。
[10705] キリスト教とは何か? h22.8.14
キリストはローマ皇帝に逆らって十字架に掛[か]けられて殺された。
だから、キリスト教とは、「ローマ皇帝に逆らうな!」という国民に対する脅[おど]しである。「ローマ皇帝に逆らうと、キリストのように殺される」という脅しである。
しかし、今はローマ帝国は滅んで、ローマ皇帝はいない。
だから、今はもうキリスト教をやる必要はないのだ。
キリストは新しい民間宗教を作ろうとしてローマ政府に殺された。このことは、ローマ政府がキリストが作ろうとした民間宗教と同じ宗教団体であることの証拠である。一般に、世界中の国の政府は宗教団体なのである。
一般に、キリスト教は「政府に逆らうな」という脅しである。「身分制に逆らうな」という脅しである。しかし、今は身分制がまちがっているとしてなくなっているから、もはやキリスト教はやってもしかたがない。今は国民が政府に逆らってもいい時代なのである。この世からキリスト教がなくなることがキリストの本当の願いだったのである。
[10706] 身分制のない社会 h22.8.14
戦後は身分制がない。
だから、身分制のない社会を作っていかねばならない。
ところが、政府や民間宗教や暴力団は隠れて身分制を使っている。
だから、政府や民間宗教や暴力団を社会から追放しなければならない。
[10707] 法律とは何か? h22.8.15
身分制のある世界においては、法律とは「政府の国民に対する命令」である。
政府は国民に対して税金や宗教や戦争などの命令を出す機関なので、国民に対する命令である法律を作る国会や法律違反を取り締まる警察が政府の付属機関なのである。政府は国民に対して法律以外にもいろんな命令を出していて[国家宗教は政府の命令の一部にすぎないと考えられる。]、法律は政府の国民に対する“特殊な命令”と見なされるので、政府の中に国会があると考えられるのである。[もっとも、鉄道や郵便も政府の付属機関だったから、政府の付属機関が“国民に対して命令する仕事”に限られているわけではない。つまり、政府の付属機関である条件は特にない。]
身分制のない世界においては、法律とは『人間社会における人間の運動法則』である。
人間社会においては人間は人間社会や自分自身を保護するために法律を守って行動しなければならず、法律を犯した者は人間社会の外すなわち刑務所や死の世界に出なければならないのである。国会(立法機関)や警察は人間社会や人間自身を保護するためにあるのである。
現代の世界は身分制のない世界だから、法律に対する解釈も前者から後者に変わっている。
身分制のある世界では、身分の高い者が身分の低い者に「命令」を出せればいいだけである。人間社会や自分自身がどうなろうが、とにかく「命令」を出すことができさえすればいいのである。
[10708] 民間宗教は何のためにあるか? h22.8.15
民間宗教は身分制をやる会である。つまり、身分の高い幹部が身分の低い信者からお金を取ったり信者を殺したりして信者をいたぶっている。
今でも民間宗教に入る者が絶えないのは、不幸になりたい国民がいるからである。彼らは「幸福が人を不幸にする」と考えているので、「自分を不幸にすれば幸福になれる」と考えて、自分が幸福になるために民間宗教に入って幹部に自分を不幸にしてもらうのである。根本的には、民間宗教に入っている者は民間宗教が好きだから民間宗教に入っているのである。
今の政府も民間宗教である。
政府が国民にいろんな命令を出して国民をいたぶっているのは、政府が国民が不幸になりたいと考えて国民に不幸のサービスをしているからである。[国民が政府の命令をどの程度まで聞くかは人それぞれであり、政府の命令を特によく聞くのが信者である。]
だから、政府にいたぶられるのが好きな国民だけが政府に入っていればよく、政府にいたぶられるのが嫌な国民は政府から出て政府と縁[えん]を切ればいいのである。
[10709] 実力本位の社会にせよ! h22.8.15
具体的にいい仕事をした者に出世させよ!
具体的にいい仕事をしていない者に出世させるな!
才能のある者に出世させよ![学歴や経歴は才能ではない。具体的にやった仕事だけが才能だ。]
才能のない者に出世させるな!
人間には才能に見合った地位を与えよ!すなわち人間には具体的にやった仕事に見合った地位を与えよ!
アメリカ占領下の日本が急激に発展したのは、当時の日本がアメリカと同じ『実力本位制』を採っていたからである。日本はもっとアメリカの合理性を見習うべきだ。
[10710] くだらない物を作るな!売るな!買うな! h22.8.16
日本では、くだらない作文(小説)やくだらない絵(マンガ)ばっかりよく売れる。空想を書いた作文や絵がよく売れる。
売るほうが売るほうなら、買うほうも買うほうだ。
くだらない作文やくだらない絵ばっかり買うな!現実逃避のバカの癖[くせ]がうつるぞ。
お金を出して買う価値があるのは、正しいことを書いた本だけだ。
小説やマンガを買う金があったら、現実のことを書いた図鑑や理論書を買え!
空想を楽しむのは、現実の問題が片付いてから後[あと]でいい。
[10711] 日本は外国に征服されるか? h22.8.16
日本が軍隊を持たなければ外国に征服されるかもしれない。
しかし、身分制がなくなり人間の平等意識が浸透した現代では、外国を征服しても外人を本国の人間と平等に扱わねばならない。
だから、例えば、日本がアメリカに征服されれば、日本がアメリカのように豊かになれる。
中国も将来が期待されるから、日本が中国に征服されれば、日本が中国にように豊かになれる。
反対に、外国にとっては日本のような貧乏国を征服したほうが損である。
だから、実際にはなかなか外国は日本を征服してくれないものなのだ。
外国も今で手一杯なので、これ以上領土を広げることができないのである。
だから、たとえ日本が軍隊を持っていなくても、わざわざ外国が日本を征服したりはしないのだ。
[10712] 日本人は身分制が嫌いである。 h22.8.16
日本人は政府に入っているが、民間宗教に入っていない。
日本人が民間宗教に入っていないのは、日本人が宗教すなわち身分制が嫌いだからである。
日本人は身分制が好きではない。
ただ昔は「身分制が正しい」と考えられていたから、いやいや付き合ってやったまでである。
それで、しかたなく政府に入っていたのである。
しかし、今では『身分制がまちがいだ』と考えられている。
しかも、今の政府は民間宗教である。[[10701]を参照。]
だから、日本人はもはや政府にも入る必要はない。
日本人は政府から出て政府をやめて、身分制のない政治機関を作って、自由に暮らすようになるだろう。
[10713] 今の政府は信用置けない。 h22.8.16
今の政府は民間宗教すなわち国民の一部の者で身分制をやる会である。
ところが、身分制はまちがっている。
だから、まちがった身分制をやっている政府の発行する証明書なんて信用置けない。
だから、政府とは別に『身分制をやらない政治機関』を作らなければならない。
[今の政府は『身分制をやらない政治機関』へのツナギの機関だから、たとえ税金を払わなくても実費を払えば書類を作成してくれる。]
[10714] 人間社会のルール h22.8.16
人間社会には、『必ず正しいことの中で物事をやらねばならない』という決まりがある。
だから、昔は身分制が正しいと考えられていたから、身分の高い政府が身分の低い国民を動物のように好き勝手に扱えたが[アニメ『撲殺天使ドクロちゃん』のOPを参照。私の魔法少女日記の[910]を参照。]、
今は身分制がまちがいだと考えられているから[[10659] を参照]、もはや政府は国民に手出しができない。政府は身分制で動いているだけだから、身分制がなくなれば政府は身動きが取れないのである。身分制は政府の生みの親だから、身分制がなくなれば政府も消える。
人間は頭が大きくて正しさを尊[たっと]ぶ生き物だから、『正しいことしかしてはいけない』のが人間社会の大原則なのだ。たとえ政府でも人間だから大原則を侵[おか]してはならないのだ。
[10715] 日本人は麻薬が嫌い。 h22.8.16
麻薬は気持ちがよくなるが、麻薬をやると現実世界を無視して非行に走ってまちがいを犯す。[[4959]を参照。]つまり、麻薬をやると心が楽しくなるが、頭がまちがいになる。
『日本人は自分が楽しいことよりも正しいことを大事にする』ので、麻薬をやらない。[外人は、この反対である。しかし、それは、外人の認識不足である。]『日本人は正しいことが好きで、まちがっていることが嫌い』なので、麻薬をやらないのである。『日本人は正しいことの中で楽しいことをする』のである。
ところで、今では身分制はまちがいだと考えられている。
だから、日本では身分制をやってはいけない。たとえ自分が身分制が好きであっても身分制がまちがいだから身分制をやってはいけない。つまり、たとえ民間宗教であっても身分制をやってはいけない。もちろん政府も身分制をやってはいけない。[民間宗教や政府は今でも身分制があると思っているから、いまだに身分制をやっているのである。それは、民間宗教や政府の誤解だから、民間宗教や政府が悪い。]
政府は身分制をやる会社だから、政府は消えるしかない。
国民が政府に従うことはまちがいであり、国民が政府に逆[さか]らうことが正しいことである。
日本人は正しさを大事にする民族である。
だから、日本人は政府に逆らって政府を倒さなければならない。
今の政府は何も偉くないのに偉そうにしているだけである。だから、国民は政府に従ってはならない。
昔の人が身分制を正しいと考えて必死で身分制を守ったように、今の人は身分制がまちがいだと考えて必死で身分制に逆らわねばならないのだ。
[10716] 日本国憲法は正しくない。 h22.8.16
憲法は政府が作ったものである。
政府は身分制をやる会である。
身分制はまちがっている。
だから、憲法はまちがっている。日本国憲法はまちがっている。
憲法は、まちがった身分制をやる政府が作ったものだから、特に守らねばならないことはない。
日本国憲法はまちがっているから、日本国憲法に基づいて日本社会を作ってはならない。
日本国憲法から身分制を取り除いて、日本国憲法を改正しなければならない。
[10717] 日本人は個人主義である。 h22.8.17
昔から民主政治は衆愚政治と言われるように、民主主義では大勢の馬鹿に合わせることになってまちがいに陥りやすい。また、民主主義では多数決決定を悪用してまちがったことを決めることができるので信用が置けない。
ところが、日本人は『正しさ』を重んじる民族である。
だから、日本人は民主主義ではない。日本人は民主主義が嫌いである。
つまり、日本人は個人主義なのである。日本人は自分で考えることが好きであり、日本人は正しければ個人の独断を認めるのである。
だから、日本人は民主主義で法律を決める国会が嫌いである。政府といっしょに国会もなくなって欲しいのである。[国会で作っているのは国民を不利にする“身分制の法律”ばかりである。だから、国会はなくなったほうがいいのである。]
つまり、日本人は『身分制をやらない政治機関』で社会学者が理性で客観的に法律を決めるほうがいいのである。
政治機関が税金制を廃止して、国民が政治機関が自分の気に入った法律を決めたときだけ自主的に政治機関にお金を払うことにすれば、自然に国民を有利にする法律が決まることになる。そうすれば、政治機関は法律を作ることによってお金を稼[かせ]ぐことができる。[うまく行くかどうかは、実際にやってみなければわからない。身分制がなくなれば、税金もなくなる。だから、税金によらずに政治機関を運営する方法について考えねばならないのである。そろそろ、そのことについて真剣に考えねばならない時期に来ているのである。]
[10718] 宗教の命令 h22.8.17
政府は宗教の命令を作って国民に出している。
一方、日本のアニメは私の情報を使って作られている。アニメのキャラクターやストーリーなどに、政府の宗教の神である私の情報が少し使われている。私が40年間生きていてようやく自分の情報が使われていることがわかる程度に少しだけ私の情報が使われている。
政府が作っている宗教の命令も日本のアニメと同じである。
つまり、政府は宗教の命令に神である私の情報を少し使っており、私の情報を使った命令ならどんな命令でも国民に出せると考えているのである。
もっとも、政府は身分制で自分の身分が高いことによって命令を出しているのであり、宗教の命令に限らずどんな命令でも出すことができる。いわば、宗教の命令は政府の遊びである。実際に、政府は宗教の命令以外にもたくさんの命令を出しているのであり、宗教の命令は政府の命令のほんの一部にすぎないのである。
政府は戦後の世界にも「少しだけ身分制がある」と考えて、私を神とする宗教を少しだけやっていたのである。しかし、実際には戦後の世界には『身分制がまったくない』。だから、政府は私を神とする宗教を少しでもやってはならなかったのである。政府は国民に一切命令を出すことなく、すみやかに消えるべきだったのである。
[10719] どうして信者は身分制を支持するのか? h22.8.17
信者は「この世に身分制があれば自分たちが有利になる」と思っている。
それは、信者が政府と国民の間にある身分だからである。つまり、信者の身分は政府よりも低いが国民よりも高い。だから、この世に身分制があれば、信者は国民を自由にできる。信者が国民から金を取ったり、国民を殺したりできる。
しかし、実際には今の世の中には身分制はない。
だから、今の世の中では信者は国民よりも有利ではない。政府も国民よりも有利ではない。
[10720] どうして昔は身分制が通用したのか? h22.8.17
昔は、人間には理性がなかった。
それで、昔の人は正しいかまちがいかを区別することができなかった。
そのために、昔の学者が考え出した身分制を鵜呑[うの]みにしてやっていたのである。
しかし、今は、人間には理性がある。
それで、今の人は正しいかまちがいかを区別することができる。今の人は知覚で正しいことを考えることができる。例えば、私の哲学日記の『[10659]
身分制が成り立たないことの証明 h22.8.3』を考えることができる。
そのために、身分制がまちがいだとわかって、身分制をやらなくなったのである。
要するに、昔の人は馬鹿だから身分制をやっていた。今の人は利口だから身分制をやらないのだ。
[10721] 国民が悪い。 h22.8.17
今でも国民が政府に税金を払っているのは、「政府が民主主義をやる政治機関だ」と思っているからである。
しかし、実際には、『政府は身分制をやる政治機関である』。
だから、国民が政府を誤解している。政府を誤解している国民が悪い。
したがって、国民は自分の誤解を直して、政府に税金を払ってはいけない。[もちろん、会社も政府に税金を払ってはいけない。]今の世界には身分制がないから、国民は政府の命令に従う必要がなく、政府を無視して生きて行けばよいのである。
[10722] 政府とは何か? h22.8.18
政府は身分制をやる会である。今の政府にとって、政治とは身分制をやることである。身分制とは、政府を有利にして国民を不利にすることである。
国会は身分制の立法をするし、警察は身分制の司法をするし[警察が政治家を逮捕しないのはそのためである。]、内閣は身分制の行政をする。
政府はそのほかにも宗教や戦争などの身分制の命令をたくさん国民に出している。
政府のやることはすべて身分制に基づいている。
だから、身分制がなくなれば政府も潰[つぶ]れるのだ。
[10723] 学校について h22.8.18
義務教育は、政府が身分制を守るために、子供を馬鹿に改造することである。
だから、義務教育は要らない。
思考力は『人間自身が積極的に思考する』ことによって身に付くものである。
だから、「子供に受身で勉強させる」義務教育は、子供を馬鹿に変えることである。
大事なのは、子供が一人前の思考力を身に付けることである。
会社は入社試験をやって、子供にちゃんと思考力があることを確認すればいい。
思考力の身に付け方は子供の自由である。
子供が自由に通える学校を建てればいい。
親が教育費を払える場合は、親が払えばいいし、
親が教育費を払えない場合は、子供の出世払いのツケにすればいい。
そうすれば、子供全員が学校に通うことができる。
もっとも、学校に行きたくない子供は自分で勉強してもいい。勉強の仕方は子供の自由である。
[10724] どうして政府は活動をやめないのか? h22.8.18
政府は身分制をやる会であり、身分制はまちがいだから、政府は活動できないはずである。
それなのに、政府は今も活動している。
それは、政府が民間宗教だからである。身分制はまちがいだが、一歩譲[ゆず]って国民の同意があれば身分制をやってもいいと政府は考えているのである。酒は本来飲んではいけないが、飲みたい人は飲んでもいいのと同じ理屈である。[お酒を飲んでも死ぬほどでなければ飲んでもいいように、政府が身分制をやっても日本社会を滅亡させるほどでなければ身分制をやってもいいと政府は考えているのである。]
でも、民間宗教なら国民が入ろうが入るまいが国民の自由である。
だから、国民が政府に入るのが嫌なら政府に入らなくてもいい。国民が政府に入らなければ、国民は政府の命令を聞かなくてもいい。政府に税金を払わなくてもいい。[『日本人は他人には寛大』なので、自分に迷惑をかけなければ他人が何をやってもいい。例えば、他人が麻薬をやってもいい。だから、自分に迷惑をかけなければ、他人が民間宗教に入って身分制をやってもいい。他人が政府に入って身分制をやってもいい。ただし、自分に迷惑がかかるのなら、他人が民間宗教や政府に入って身分制をやるのには反対である。そもそも民間宗教や政府があること自体に反対である。]
政府はあくまでも民間宗教団体(つまり、身分制をやる会)である。だから、現代的な『身分制をやらない政治機関』は政府とは別に新しく作らなければならない。
[10725] 戦争は終わっていない。 h22.8.18
戦争は終わっていない。
ただ、今一時[いっとき]日本は戦争を休んでいるだけのことだ。
資源がなくなれば、人権どころではない。世界中の国が資源を奪い合って殺し合いの戦争をするだろう。その事態を避けるために、今から省エネ省資源を心がけねばならない。
また、たとえ身分制がなくなっても、貧乏な国が豊かになるために軍事力でお金持ちの国を脅[おど]して自分の国をお金持ちの国の一部にさせることはあるかもしれない。[[10711]を参照。]実際に、今の世界がすでにそうなっているのかもしれない。今は、『身分制のない世界でどうすれば自分が有利になれるか』を考える時代なのだ。今どき身分制をやっている国は、世界中から「時代遅れ馬鹿」呼ばわりされて軽蔑されるだけだ。先進国では、すでに『身分制をやらない政治機関』が国民の寄付金で国を軍事化しているのかもしれない。これからは、“軍事兵器を持っている馬鹿の国”が有利に生きていけるのである。今の世界はすでに政府とは別の論理で動いているのである。だから、政府は役に立たない。この世は政府がすべてではない。政府はすでに除[の]け者だ。
[10726] 政府は要らない。 h22.8.19
政府は身分制をやる会である。
政府は身分制の考え方しかできない。
一方、今の世界は身分制では動いていない。今の世界は民主主義(身分制をやらない主義)で動いている。
だから、今の世界では政府は役に立たない。
だから、政府は要らない。
[10727] 人間社会の法則 h22.8.19
人間社会にはいくつかの法則がある。[私は社会科に詳[くわ]しくないのであまり知らない。平面図形の世界にユークリッドの5つの公準があるのと同じことである。[近代になって、第5公準を否定しても無矛盾な平面図形の世界ができることをロバチェフスキー・ボーヤイ・リーマンたちが発見した。つまり、非ユークリッド幾何学とは相対性理論のことだと考えればよい。平面や空間にはいろんな距離の決め方があると考えればいいのである。]物理の世界にニュートンの原理(F=ma)と相対性原理(物理法則は観測者の運動状態によらず同じである。だから、法則を同じにするように、時間や空間を決めねばならないのである。マクスウェル方程式を不変にすることを考えるのは面倒なので、マクスウェル方程式を不変にすることを簡略化して光速度不変の原理にする。光速度不変の原理から時間と空間の変換則がわかるのだ。)と不確定性原理(物理量は一般に確定値を取らない。)があるのと同じことである。今のところ、社会学はそこまで体系化されていないようである。]
昔の人は身分制を人間社会の法則だと考えた。つまり、人間には“上の人間”と“下の人間”の2種類がいて、上の人間が下の人間を支配するものだと考えた。
しかし、それはまちがっていた。
だから、身分制のない人間社会を考えねばならない。つまり、現実の人間社会には身分制はないのである。たとえ人間に人種や民族による区別はあっても、身分の上下による区別はないのである。
だから、『身分制のない人間社会』の中で自分が有利に生きて行くことを考えねばならない。それが現実的な物の考え方である。例えば、政府は身分制をやる会だから、『身分制のない人間社会』の中では国民は政府に従わないほうがいいのである。身分制のない人間社会で身分制をやらずに出世した人に頭を下げるのならわかるが、身分制のない人間社会で身分制をやる人間(政府のこと)に頭を下げるのはわからない。人間はまちがいをする人間を尊敬するようにはできていない。身分制のない社会では身分制のない考え方をしなければならない。
[10728] どうして戦争と宗教は同時になくなったのか? h22.8.19
第2次世界大戦後、身分制がなくなったからである。
政府は身分制で国民に税金や宗教や戦争の命令を出していたので、戦後身分制がなくなったために政府は国民に税金や宗教や戦争の命令を出せなくなったので、宗教や戦争が同時になくなったのである。
戦後の政府は国民に税金の命令も出せなくなっている。
だから、国民は政府に税金を払う必要はない。
これまでずっと政府に税金を払い続けていた国民が馬鹿だったのだ。
政府に払う金があったら私にくれ!
私が仕事をやめてから約3年になろうとしている。そろそろ親の仕送りも限界に達しようとしている。親の仕送りが途絶えたら、私は考えることをやめねばならなくなる。私はまたつまらない手作業の仕事をして少しばかりのお金を稼[かせ]がねばならなくなる。仕事に就[つ]けなければ、死なねばならない。そうなれば、政府の思う壺[つぼ]だ。だから、私に金をくれ![振込先は、私の哲学日記『[3804]
超能力者に与える報酬について h19.11.27』を参照。振り込み金額は任意[にんい]である。]
[10729] 政府の民営化 h22.8.20
国には法律が要る。“法律を扱う会社”が要る。
ただし、今は『身分制がない世の中』だから、“法律を扱う会社”が国民や会社から強制的に税金を取ることはできない。[もちろん、宗教や戦争の命令を出すこともできない。]国民が“法律を扱う会社”に税金を払うと、法律を扱う会社が身分制全般をやることを承認したことになるから、国民は法律を扱う会社に絶対に税金を払ってはいけない。[民間企業はどんなに経営が苦しくても国民から税金を取ったりはしない。だから、法律を扱う会社もそうしなければならない。]
JRが利用者だけから運賃を取るように、法律を扱う会社も利用者だけから料金を取らねばならない。
法律を扱う会社が国民から利用料金を取れるようないろんなサービスを考え出せばいい。
犯罪者の逮捕サービス(10万円)や高級住宅街パトカー巡回サービス(1回1万円)だけではなく、法律に関する相談を受け付けたり、企業や国民に新しく出来た法律の紹介をしたりしてお金を稼[かせ]げばいい。行政(法律を具体的に実行すること)に関する仕事もやるとかなり儲[もう]かる可能性がある。政府は民営化しても十分やっていけると予想される。
[10730] 身分制があると嫌[いや]な世の中になる。 h22.8.20
身分制があると、不良がのさばる。不良が自分を身分が高いことにして身分が低い国民を好き勝手にする。国民から金を取ったり国民を殺したりする。つまり、不良が犯罪をやりたい放題になる。
ところで、不良の生き甲斐[がい]は見栄欲と性欲と食欲だけである。不良には人間としての才能がない。人間としての心がない。不良には人間性がない。不良は「形」だけが人間で『中身』は人間ではない。
だから、不良が社会を支配すると面白くない世の中になる。[今の世の中がちょうどそんな状態である。]
だから、身分制がない世の中のほうがいいのである。
[10731] 今の政府は少ししか身分制をやっていない。 h22.8.20
今の政府は国民から高い税金を取っている。
しかし、それは政府が少ししか身分制をやっていないほうである。
政府が本気で身分制をやると国民が餓死[がし]するぐらい税金を取る。一揆[いっき]が起こるぐらい税金を取る。
だから、今の政府でもまだ身分制を控[ひか]えめにやっているほうなのだ。今の政府は控えめに宗教をやっているし、控えめに戦争をやっているのだ。
しかし、身分制はまちがっている。少ししかやらなければやっていいというものではない。
だから、政府が少しでも身分制をやることはまちがっている。政府は一切[いっさい]身分制をやってはならない。
[10732] スーパーで売られている食材について h22.8.20
納豆[なっとう]やもやしは一年中手に入るが、ジャガイモや玉ねぎは夏場が来ると必ず品薄[しなうす]になる。品不足の穴を埋めるために、食べると頭痛がするようなとうてい売り物にならないゴミを置いていることがある。
それは、最近の日本人が食べ物をなめているからである。
人間にとっては食べ物が一番大事である。人間がいい仕事をするためには、まずいい食べ物を食べねばならない。
人間にとっての幸福のもとは食べ物にある。特に貧乏人にとっては食べ物が幸福のすべてである。
たとえ政府が農業に力を入れていなくても、国民で農業に力を入れて、日本中でいい食材が手に入るようにしなければならない。
政府は身分制をやる会社であって、国民を幸福にする会社ではない。だから、国民が政府の言いなりだと、国民は不幸にされるだけである。国民が幸福になるためには、政府に反逆しなければならない。
[10733] 日本国憲法は無効である。 h22.8.20
日本国憲法は身分制の上で作った憲法である。
ところが、身分制はまちがっている。
だから、日本国憲法は無効である。
身分制のない社会には身分制のない憲法が要る。
身分制のない憲法を作らねばならない。
[10734] 身分制のある社会は面白くない。☆ h22.8.20
身分制のある社会では身分の高い者しか幸福にはなれない。
しかも、身分の高さは“身分の高い振る舞い”をすることによって決まる。つまり、他人を動物扱いして他人から金を取ったり他人を殺したりすればするほど身分が高いことになる。つまり、身分制のある社会では、強盗犯や殺人犯ほど身分が高いことになるのである。[だから、政府は自分の身分の高さを維持するために、国民から高い税金を取ったり、宗教や戦争などで国民を殺したりしなければならないのだ。]
反対に、いくら真面目[まじめ]に努力しても身分が高くはなれない。
身分制のある社会では、悪いことをする者ほど幸福になり、善いことしかしない者は不幸になるのである。
身分制のある社会では、“身分の高い悪者”が社会を支配している。
身分の高い悪者には人間性がない。身分の高い悪者には悪いことをする才能があるだけで、人間としての才能がない。人間の心がない。
だから、身分制がある社会は面白くない。日本人が頭の鈍[にぶ]いボンクラだらけなのも、身分の高い悪者が日本社会を支配しているからである。
身分制のない社会、つまり人間性のある人間が支配する社会でなければ面白くない。
[10735] 身分の高さはどうやって決まるのか?☆☆ h22.8.20
身分が高いとは、他人を動物扱いすることである。つまり、他人から金を取ったり他人を殺したりすることである。
だから、身分の高さは他人を動物扱いすることによって決まる。他人を動物扱いすればするほど、身分が高いことになる。つまり、他人からお金を取れば取るほど、他人を殺せば殺すほど身分が高いことになる。
しかし、そもそも身分制はまちがっている。つまり、身分の高い者なんかいない。だから、いくら他人を動物扱いしても身分が高いことにはならない。ただの強盗犯や殺人犯がいるだけのことである。例えば、政府がいくら国民から税金を取ったり国民を殺したりしても、政府の身分が高いことにはならない。実際には、政府が犯罪集団であるだけのことである。人間はまちがったことをする者に従ってはならない。だから、国民は政府に従ってはならない。[身分制は犯罪者を身分の高い者に変える。だから、魔法と呼ばれるのだ。身分制があるから犯罪者が身分の高い者になるのであって、身分制がなければ犯罪者は犯罪者にすぎないのだ。身分制があると、犯罪者に有利になりすぎる。[『宇宙刑事シャリバン』の幻夢界発生マシーンのようなものである。]犯罪者を犯罪者にするためには、身分制をなくさなければならないのだ。]
[10736] 身分制のある社会 h22.8.20
国民が政府に従わねばならないのは、政府が国民よりも“身分が高い”からである。
政府が国民を動物扱いすればするほど政府の“身分が上がる”。[人間と動物の関係を、身分の高い人間と身分の低い人間の関係に持ち込んだのが身分制だからである。つまり、身分制とは、政府が国民を動物に変えることである。]つまり、政府が国民を税金や宗教や戦争などの命令に従わせば従わせるほど政府の身分が上がる。つまり、政府が国民のためにならないことをすればするほど政府の身分が上がる。政府が国民の暮らしを不幸にすればするほど政府の身分が上がる。政府が国民を軽蔑[けいべつ]すればするほど政府の身分が上がる。[政府は自分の身分を上げるために、国民に税金や宗教や戦争などをさせるのである。]
それが、「身分制のある社会」における法則である。
昔は身分制があると考えられていたが、今では身分制がないと考えられている。
今の人間社会は『身分制のない社会』である。
そもそも身分制がなければ、身分の低い者が身分の高い者に従わねばならないこともない。
だから、国民は政府に従わなくてもいい。
身分制がなければ、政府が国民に税金や宗教や戦争などをさせても政府の身分が上がらないから無駄[むだ]である。
だから、政府は自分の身分を上げるのを諦[あきら]めて、国民と対等にやって行くしかない。
身分制がなくなったのは、身分の高い者の正体が「他人を動物扱いする者」にすぎないことがわかったので、みんなが身分の高い者に従うのをやめたからである。
身分制があると、他人を動物扱いする者(つまり犯罪者)が国や世界を支配するようになってみんなが暮らしにくくなるから、みんなで身分制をやめたのである。
[10737] 政府は犯罪組織である。☆ h22.8.21
政府の正体は犯罪組織である。政府は国民から金を取ったり国民を殺したりしている犯罪組織である。
身分制は、犯罪者を身分の高い者に変える。
身分制がある時代には、政府は身分の高い会社で、国民は政府に従わねばならなかったが、
身分制がない時代には、政府はただの犯罪組織にすぎず、国民は政府に従う必要はない。
昔は身分制があったが、今は身分制がない。
昔は身分制があったから、国民の目が曇[くも]っていてありもしない幻影に惑[まど]わされていたが、
今は身分制がなくなったので、国民の目が醒[さ]めてありのままの真実が見えるようになった。
[政府が宗教を使って犯罪をするのは政府が馬鹿だからである。]
[10738] 身分制の魔法 h22.8.21
昔は身分制があって、人間には身分の高い人間と身分の低い人間の2種類がいて、身分の低い人間は身分の高い人間に従わねばならないと信じられていた。
しかし、今では身分制は嘘[うそ]の作り事だと考えられている。つまり、今は身分制がなく、人間には1種類しかなく、人間が理由もなく他の人間に従う必要はないと信じられている。
身分制の下[もと]では、他人を動物扱いする者ほど身分が高いことになる。つまり、他人から金を取ったり他人を殺したりする者ほど身分が高いことになる。
身分制は犯罪者を身分の高い者に変身させる魔法である。
政府は国民から金を取ったり国民を殺したりしている犯罪組織である。
昔は身分制があったから、政府は国民よりも身分が高い会社であり、政府は国民を自分の意[い]のままにできたが、
今は身分制がないから、政府はただの犯罪組織にすぎず、政府は国民に嫌われて国民に攻撃されるだけである。
昔は身分制があったから、身分の低い国民は身分の高い政府に従って政府は楽に食って行けたが、
今は身分制がないから、国民は政府に従わず政府は餓死[がし]するしかない。
[10739] 『狭けれど深し』 h22.8.21
数学の帝王ガウスは、数学の極意[ごくい]を『狭けれど深し』と言った。
つまり、限られた対象についていろんなことを考えることが、数学のコツなのだ。数学に限らず、一般に学問のコツなのだ。
いろんなことを考えているうちに新しい発見があるのだ。
だから、時間をかけていろんなことを考えることが大事なのだ。
他[ほか]の遊びに気を取られて時間をかけて考えない者(つまり、やる気のない者)には新しい発見もないということだ。
[10740] 幽霊の正体見たり枯れ尾花 h22.8.21
幽霊がいると思っているから、ただの枯れ尾花(枯れたすすきの穂[ほ])が幽霊に見えるのだ。
それと同じように、身分制があると思っているから、ただの犯罪者が身分の高い者に見えるのだ。つまり、犯罪者は他人の物を取ったり他人を殺したりして人間を動物のように扱うから、身分制のある世界では犯罪者が身分の高い人間に見えるのだ。
幽霊がいないと思えば、枯れ尾花は枯れ尾花にしか見えない。
それと同じように、身分制がないと思えば、犯罪者は犯罪者にしか見えないのだ。例えば、政府は国民から金を取ったり国民を殺したりする犯罪者にすぎない。政府は身分制があれば国民よりも上の者だが、身分制がなければただの犯罪者にすぎない。国民は身分が上の者には従うが、犯罪者には従わない。だから、国民は政府には従わない。
[10741] デカルトの演繹法[えんえきほう] h22.8.21
『簡単なことでもわかっていないことはたくさんある。だから、簡単なことを馬鹿にしてはいけない。複雑なことは簡単なことの組み合わせである。複雑なことがわからないのは、簡単なことがわかっていないからだ。』とデカルトは言った。
その例が、「政府の正体は犯罪組織だが、身分制によって国民よりも上の者に見えている。」ことである。
知覚界において『身分制』の概念を発見すれば、それを政府に適用する(当てはめる)ことによって政府の正体がわかるのだ。[『感覚』の概念を発見すれば、認識の正体がわかるのと同じことである。]
これまでに政府の正体がわからなかったのは、『身分制』の概念がなかったからである。
小学生の頃に外で遊んでいれば、十分な「経験」が得られる。あとは、それらの経験を素[もと]にして知覚で考えていろんな『概念』を作り出せばいい。いい概念が出来れば、それを具体的な物に当てはめることによって、具体的な物を理解することができる。[田舎[いなか]よりも都会のほうがいろんな物があるから、それだけ多くの経験が得られる。田舎者よりも都会っ子のほうが頭がいいのはそのためだろう。]
[10742] どうして私は本を出さないのか? h22.8.22
まず、そもそも私は自分の文を売り物にするために書いたのではない。私は真実を考えるために自分の文を書いたのであって、他人に売るために自分の文を書いたのではないから、私は自分の文を売るのが嫌[いや]である。
次に、私の文は政府の検閲[けんえつ]に引っ掛かる。私の文には政府にとって不利な情報が多く含まれているので100%引っ掛かる。だから、本になる可能性がない。出版社も政府にペコペコするヤサ男ばかりで、自分のおまんまのために危ないことをしたがらないから、本になる可能性はない。
最後に、日本では(世界でも?)作り事を書いたマンガや小説ばかりよく売れて、真実を書いた本は売れない。お金が儲[もう]からなければ動機にはならない。
したがって、私は本を出さないのである。
だからこそ、インターネットがあるのかもしれない。とにかく、他人が読めさえすればそれでいい。
政府に反逆する際に公務員に理由を説明する程度なら、無断で無料で私の文を使ってもいい。
ただし、私の文を勝手に売り物にしてはいけない。私に断[ことわ]った上でならいい。私の了承を取った上でならいい。出典を明記するなら、私に無断で無料で私の文を使ってもいい。例えば、引用文の最後に、“川野延夫著『哲学日記』(2010年8月)より。”と書いておけばいい。絶対に、私が考えたことを「自分が考えました」と嘘[うそ]をついて発表してはならない。学問の世界においては絶対に嘘は許されないからである。
[10743] 国家とは何か? h22.8.22
国民の集まりが国家である。例えば、日本人の集まりが日本である。
戦前は身分制があったために、政府が国民よりも身分が上の者だと考えられていたから、国民は政府に従っていた。国民と政府が一体であった。国民と政府を合わせたものが国家であった。
しかし、戦後は身分制がなくなったために、政府は犯罪組織にすぎなくなったから、国民は政府に従わなくなった。国民にとって政府は邪魔者である。国民だけが国家であって、政府は国家ではない。政府は犯罪組織だから、国家の外に出さねばならない。[[10707]を参照。
]国民はさっさと汚[きたな]い政府を倒して、国民だけからなるきれいな国を作らねばならない。
[10744] 今の世の中はどうして面白くないか? h22.8.22
政府のような犯罪集団が社会を支配しているからである。
政府は国民を動物扱いする。国民の財産を奪ったり国民を殺したりする。国民を馬鹿にして嘘[うそ]をついて騙[だま]したりする。
動物扱いされてうれしい人間はいない。
だから、今の世の中は面白くないのである。
[10745] 政府は法律を扱う会社ではない。 h22.8.22
政府は身分制で成り上がった犯罪組織であって、そもそも法律を扱う会社ではない。
政府は犯罪組織であって、法律の専門家ではない。
政府の本業は犯罪であって、法律の仕事は副業でやっているだけである。
今の世界には身分制がないのに、政府はいまだに自分の身分を上げるために犯罪を犯しているのである。
つまり、政府は犯罪を犯す会社である。
だから、法律を扱う会社は政府とは別に建てねばならない。
[10746] 税金とは何か? h22.8.22
政府の身分を上げるために、国民が政府に払うお金である。
いや、むしろ、国民が身分制を支持するためのお金である。
日本ぐらいの小国では、いくら国民が協力して政府の身分を上げたところで政府の身分はたかが知れたものである。
そこで、日本は昔から帝国本国(世界で一番身分が高い国)に気に入られることによって自分が若干[じゃっかん]得をするようにしてきた。日本人は他人にペコペコするのが上手[うま]いので、帝国本国に気に入られるのが得意だったのである。つまり、日本はすねかじりが得意な国だったのである。
それで、日本国民は身分制を支持しているのである。
しかし、残念ながら、世界大戦後の世界には身分制がない。世界大戦は世界中の人間に身分制を嫌[きら]いにならせて、身分制をやめさせるための戦争だったのである。それに、そもそも身分制は作り事の嘘[うそ]である。人間に身分の高い人間と身分の低い人間の2種類いて、他人を動物扱いするほど身分が高くなるなんて馬鹿げている。それでは、犯罪者が支配する面白くない世の中になるだけである。身分制があると、みんなが自分の身分を上げるために犯罪ばかり犯すようになる。そんな国にはとうてい住めたものではない。だから、身分制はなくなったのである。(身分制が成り立たないことの証明その2。)
だから、いくら国民が身分制を支持しても身分制は甦[よみがえ]らない。
したがって、国民は政府に税金を払わなくてもいい。いくら税金を払っても無駄[むだ]になるだけだから払わないほうがいい。
[10747] どうして犯罪者は罰せられるのか? h22.8.23
中世の身分制が強かった時代(いわゆる暗黒時代)には、犯罪者は身分の高い者と見なされて罰せられることはなかった。むしろ、犯罪者は身分が高い者としてみんなから畏[おそ]れられていた。
現代では身分制がなくなっているので、犯罪者は犯罪者にすぎないので罰せられるのである。
つまり、近代以降は身分制が弱まったので、犯罪者は犯罪者と見なされて罰せられるようになったのである。
[10748] 神聖ローマ帝国 h22.8.23
神聖ローマ帝国とはドイツとイタリアのことである。[神聖ローマ帝国は、その形から“一本足の唐傘[からかさ]オバケ”に喩えられる。]
ドイツとイタリアは身分制を支持した。
かつてローマ帝国が身分制で儲[もう]けたので、神聖ローマ帝国はローマ帝国を真似[まね]て自分も身分制で儲けようとしたのである。
しかし、そのために、第2次世界大戦では神聖ローマ帝国は枢軸国にされ、身分制を支持しない連合国からメチャクチャ攻撃された。
日本も枢軸国だった。つまり、日本も身分制を支持する国だった。日本もかつてのローマ帝国のように身分制で儲けようとした。
第2次世界大戦は、身分制を支持する枢軸国と身分制を支持しない連合国との戦いだった。
そして、枢軸国は連合国に敗[やぶ]れた。
それで、戦後の世界は身分制を支持しない世界になった。身分制のない世界になった。
そもそも身分制は嘘[うそ]の作り事の理論だし、身分制があると犯罪者が支配する暗い社会になるので、身分制がなくなったほうがいい。世界大戦は、世界中の人類に身分制がまちがっていることを教えるためのデモンストレーションだったのだろう。
だから、今後の世界は『身分制がない』ことを推[お]し進めていけばいいのである。そのためには、まず政府を倒して税金を廃止しなければならない。『身分制がない』ことは世界(世界中の人類)が決めたことなので、いくら政府でも逆らえないのである。
今の日本のように、たんに見た眼の雰囲気がいい者に出世させるとボンクラ馬鹿が支配するダラダラした面白くない社会になる。“実際に具体的にいい仕事をした者”を、たとえ本人が嫌がっても強制的に出世させる社会がいい。人間社会は人間性のある者に支配させるといい社会になり、反対に人間性のない者に支配させると悪い社会になる。身分制があると、犯罪の才能しかない人間性のない者が人間社会を支配するから悪い社会になるのである。だから、身分制がないほうがいい。
[10749] 身分制と戦争 h22.8.23
身分制があると、外国を侵略した国が外国の物を取ったり外国の人間を殺したりするほど国の身分が高くなるから、いくらでも外国の物を取ったり外国の人間を殺したりすることができる。身分制があると、外国を侵略した国が外国の物を取ったり外国の人間を殺したりすればするほどその国の身分が上がって、国際的にその国の立場が有利になる。つまり、身分制があると、戦争に強い国が有利になる。つまり、戦争とは国が犯罪を犯すことである。[日本は太平洋戦争のとき時代遅れの大艦巨砲主義の戦艦ばかり作って効率の悪い戦争をして戦争に負けた。これでは、とうてい日本が戦争の才能のある国とは思えない。だから、たとえ身分制があっても日本に有利にはならないだろう。だから、日本にとってはもともと身分制は要らないのだ。]
反対に、身分制がないと、外国を侵略した国が外国の物を取ったり外国の人間を殺したりするとその国が悪いことをしたことになる。その国が犯罪者と見なされて国際的に罰せられることになる。身分制がないと、戦争に強い国が不利になる。
今は身分制のない世界である。だから、国がうかつに外国に戦争を仕掛けることができない。だから、今の世界には戦争がないのだ。
[10750] どうしてローマ帝国は滅びたか? h22.8.23
古代においては、ローマは戦争が強かった。
身分制では、戦争が強い国ほど国の身分が高い。
だから、古代においてはローマの身分が高かった。
ローマが他の国を支配していた。
ローマは古代においては戦争が強かったが、中世末期になるとヨーロッパ各国の軍事力のほうがローマに勝るようになった。
身分制では、外国の物を取ったり外国の人間を殺した国が身分が高いことになる。
だから、中世末期にはヨーロッパ各国の身分がローマの身分よりも高くなってローマ帝国は滅びたのである。[それを真似[まね]て、中世末期の日本でも幕府軍が政府軍を戦[いくさ]で倒して政府に代わって幕府が日本を支配した。]
近代にかけてはヨーロッパ各国の軍事力が強かったので、ヨーロッパ各国の身分が高く、ヨーロッパ各国が世界を支配したのである。
ヨーロッパの中でも特にイギリスの軍事力が強かったので、イギリスの身分がもっとも高かったのである。
近代初期にはイギリスがインドよりも軍事力が強かったためにイギリスはインドを支配したが、後[あと]になるとインドのほうがイギリスよりも軍事力が強くなった。インドはイギリスの物を取ったりイギリス人を殺したりするようになった。インドもやるときはやるのだ。それで、インドのほうがイギリスよりも身分が高くなったのである。ヨーロッパに代わってインドが全世界を支配するようになったのである。
しかし、それではヨーロッパやアメリカが面白くないので、その頃からヨーロッパやアメリカでは身分制そのものをなくそうと考えるようになった。そのため第2次世界大戦では世界中の国が身分制を支持する枢軸国と身分制を支持しない連合国とに分かれて戦った。連合国が枢軸国を倒すことによって、身分制そのものを世界からなくしたのである。ヨーロッパやアメリカが世界中の人間に「身分制が負けた」と思わせることによって世界中から身分制をなくさせたのである。こうしてインドによる世界支配は終わった。世界中から植民地がなくなったのだ。
こうして、世界大戦後の世界には身分制がなくなった。そもそも日本は軍事力が強くない。[日本はローマやヨーロッパのような文明の先進国ではないし、インドのような大国でもない。それに、日本は四方を海に囲まれていて外国と戦争をした経験がほとんどない。だから、日本が戦争に強いわけがない。]日本のような非力[ひりき]な国にとっては身分制があってもしかたがない。身分制があっても日本は帝国本国の尻[しり]に敷かれるだけである。身分制がなくなって、日本にとってはちょうど都合がよかった。
[10751] 文化大革命とは何か? h22.8.23
中国政府による社会主義を使った国民に対する嫌がらせである。中国政府は国家宗教をやらないので、代わりに社会主義を使って国民を嫌がらせる命令を出したのである。
中国政府は国民を動物扱いすることによって自分の身分を上げようとしたのである。中国政府の政治家は始皇帝のように大勢の国民を殺すことによって自分の身分を上げて、全世界を自分の意のままにしようと企[たくら]んでいたのである。
しかし、当時(1965年〜1977年)はすでに世界的に身分制がなくなっていたから、首謀者[しゅぼうしゃ]の4人組は身分が高い者ではなく犯罪者と見なされて逮捕されて死刑にされた。[毛沢東や4人組は文化大革命をやらなければ地位が高いだけで身分は高くはなかった。毛沢東や4人組は文化大革命をやって国民を動物扱いして国民を殺したり嫌がらせたりすることによって自分の身分を高めようとしたのである。/政治家は身分制を知っているが、国民は身分制を知らない。だから、国民は政治家が何をやっているのかわからずに、てっきり政治家が国民のために「社会主義」をやってくれているものと思って、大勢の国民が政治家の言いなりになって殺された。国民は政治家が何をやっているのかわからなかったので、政治家の逮捕が遅れたのである。日本でも「民主主義」で国民が政治家に騙[だま]されている。民主主義はまだいいほうである。日本では今でも「国家宗教」をめでたいことだと思っている馬鹿な国民が大勢いるので、政治家はいまだに「国家宗教」で国民を騙しているのだ。]
今どき国民を殺して身分を上げようとする中国政府のやり方は通用しなかったのだ。
どこの国でも、身分制ボケした政府は国民にとって邪魔者だ。知恵遅れの政治家は国民にとって迷惑だ。
今のところ政府はおとなしくしている。しかし、いつ暴れ出すかわからない。そんな危ない政府は早めになくしてしまったほうがいい。政府はもともと『身分制をやる会社』である。政府はときどき身分制を強くやることがある。だから、そんな会社があってはならないのだ。
政府は『身分制をやる会社』である。身分制においては、政府が身分が高く国民は身分が低いので、政府が国民を使うだけで、国民が政府を使うことはない。政府にとって国民が役に立つだけで、国民にとって政府は役に立たない。政府にとって国民が使えるだけで、国民にとって政府は使えない。だから、政府にとっては国民が要るが、国民にとっては政府は要らない。したがって、国民は早く政府をなくしてしまったほうがいい。
[10752] 国家宗教はめでたいか? h22.8.24
国家宗教がめでたいとは、国家宗教が国民を幸福にしてくれるということである。
しかし、国家宗教は政府が自分の身分を上げるための方法である。
政府は国家宗教で国民を殺す命令を作って国民を動物扱いして自分の身分を上げているのである。政府の政治家は国民を殺して自分の身分を上げることによって、全世界を自分の意のままにしようと企[たくら]んでいるのである。[日本ぐらい小さな国では無駄[むだ]だと思うが。]
だから、国家宗教は国民を幸福にしない。つまり、国家宗教は国民にとってめでたくない。
[10753] 政治家は死刑だ。 h22.8.24
政府は身分制をやる会社である。つまり、政府は国民を虐待[ぎゃくたい]することによって自分の身分を上げることを仕事にして来た。政府は政府自身のためにそうして来た。
しかし、今の世界には身分制がない。
中国の文化大革命では、中国政府の政治家が国民を7000万人殺しても身分が上がらずに逮捕されて死刑にされた。
だから、日本政府の政治家がいくら国民を虐待しても政治家の身分は上がらずに逮捕されて死刑にされる。
現代では、政府がいくら国民を虐待しても政府の身分は上がらない。だから、国民は政府に一方的に従わなくてもいい。
現代では、政府と国民は平等である。だから、国民は政府の命令を聞く必要はない。
[10754] 日本を有利にする方法 h22.8.24
第2次世界大戦で身分制を支持する枢軸国が身分制を支持しない連合国に負けたように、現代では身分制をやっている国が不利にされる。
ということは、反対に『身分制をやらない国』ほど有利になる。
だから、日本が身分制をやらないほど日本は有利になるのである。
つまり、日本から政府をなくして税金を廃止すれば、日本は世界の人々から善[よ]い国だと思われて、日本は有利になるのである。
日本政府の政治家は意地悪[いじわる]だから、日本を世界の人々に悪い国だと思わせて日本を不利にするために必死で身分制をやっているのである。
[10755] 政府の悪あがき h22.8.25
文化大革命のとき、中国政府は「社会主義」の名目で身分制をやった。
中国政府は「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」と嘘をついて、国民を虐待して自分の身分を上げようとした。
それと同じように、日本政府は「民主主義」の名目で身分制をやっている。
日本政府は「国民のために政治をしなければならない」と嘘をついて、国民から税金を取って自分の身分を上げようとしている。
また、日本政府は「国家宗教」の名目で身分制をやっている。
日本政府は「国民が神に従う習性がある」のを利用して、国民に国家宗教をやらせて自分の身分を上げようとしている。[身分制では、他人の物を取ったり他人を殺したり痛めつけたりすると身分が上がるので、政府は自分の身分を上げるために国民からお金を取ったり国民に国家宗教の命令を出して殺したりしているのである。]
政府は『身分制をやる会社』である。政府の目的は自分の『身分』を上げることしかない。政府は自分の身分を上げるために、社会主義や民主主義や国家宗教などの“いろんな嘘”をついて国民を利用しているだけである。
しかし、現代では身分制そのものがないので、いくら政府がそんなことをしても政府の身分は上がらない。
だから、国民は政府に従わなくてもいい。国民は政府の命令を聞かなくてもいい。
[10756] 政府はなぜ国家宗教をやるのか?☆☆ h22.8.25
政府は『身分制をやる会社』である。政府[の政治家]にとっては自分の『身分』を上げることだけが目的である。政府の身分が上がれば、国や世界を政府の意のままにできるからである。[例えば、ローマやヨーロッパの皇帝は世界中の財産を独[ひと]り占めにできたし、インドの皇帝は世界中の人間に戦争をさせることができた。身分制では皇帝や政治家だけしか儲[もう]からない。身分制では皇帝や政治家が私的な欲望をかなえるだけである。ローマやヨーロッパが豊かな国だったのは、身分制のためではなく、ローマやヨーロッパが先進国だったからである。ローマやヨーロッパは“世界のリーダー”としての人気で儲[もう]かっていたのだ。]政府は自分の身分を上げるために国民を利用しているだけである。
政府は自分の身分を上げるために、“国民を動物扱いする命令”を国民に出す。つまり、国民の財産を取ったり、国民を殺したり痛めつけたりする命令を出す。
ところが、政府が直接にぶっきらぼうに国民に“国民を動物扱いする命令”を出しても、国民は政府の命令をなかなか聞いてくれない。
そこで、政府は自分の命令に国民をよく従わせるために、「国民が神に従う習性がある」ことを利用して、政府が神の意思に即[そく]して命令を作ったことにして国民に命令を出しているのである。[実際には、政府は神の意思に即して命令を作っているのではなく、政府は神がやったことをただ適当に混ぜて命令を作っているだけである。だから、政府は本当は国家宗教で命令を出していないのである。政府は自分の身分を上げるために、“国民を動物扱いする命令”に国家宗教の“嘘の理由”をつけて国民に出しているのである。/最近の政府が国家宗教(川野教)を控[ひか]えめにやっているのは、最近は国民の文化が高くなって神の命令に従う者が減っているからだろう。]
また、政府は自分の命令に国民をよく従わせるために、「国民が民主主義を支持している」ことを利用して、政府が民主主義で命令を作ったことにして国民に命令を出している。しかし、実際には、政府は民主主義の命令を出しているのではなく、“国民を動物扱いする命令”を出しているだけである。
政府は自分の身分を上げるために、“国民を動物扱いする命令”に国民をよく従わせるために、「国家宗教」や「民主主義」を利用しているだけなのだ。
しかし、現代では身分制自体がない。政府は無駄[むだ]な努力をしているだけである。政府はさっさと自分の身分を上げることを諦[あきら]めて、国民と平等に付き合って真面目[まじめ]に仕事をすることを考えるべきである。
[10757] 江戸幕府の欠点 h22.8.25
江戸時代は、幕府は国家宗教をしなかった。幕府は戦争もしなかった。
しかし、その分幕府は国民から税金を多く取った。
幕府が自分の身分を上げるためには、なんらかの形で国民を動物扱いして苦しめねばならなかったからである。
人間はあんまり“変な命令”には従わない。
だから、政府が国民に出せる命令は国家宗教か戦争か税金のどれかに限られるのだ。[中国人は社会主義が好きだから、中国人には社会主義の命令が通用するが、日本人は社会主義が嫌いだから、日本人には社会主義の命令は通用しない。日本人は自分と他人を区別する個人主義者なのだ。それは、日本が島国で、日本人が田舎者[いなかもの]だからだろう。]
ところが、最近は国家宗教や戦争の命令を聞いてくれる者が減っている。だから、今後は政府の命令は税金の命令に絞[しぼ]られるだろう。つまり、今後は江戸時代のように税金が高くなっていくだろう。
最近は国家宗教の命令を聞く者が減っている。そのために、政府は国民に国家宗教の命令を出さなくなっている。つまり、政府は国民が納得して聞く命令しか国民に出せないのである。国民は自分が納得しなければ政府の命令を聞かなくてもいいのである。実際には、政府は自分の身分を上げるために、“国民を動物扱いする命令”に国家宗教や民主主義などの“嘘の理由”を付けて国民に出しているだけである。国民は政府に利用されているだけである。国民にとっては政府の命令を聞くと損をするだけである。それでは、国民は納得いかない。だから、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。政府の命令の内容をよく分析して、民主主義よりも国民を動物扱いする(つまり、国民の人権を否定する)性格が強ければ、政府の命令を聞かないことにすればいいのである。例えば、税金は政府が一方的に国民の財産を取ることであり、民主主義よりも国民を動物扱いする性格が強いから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。じつは、今の世界には身分制がないから、政府には自分の命令に国民を従わせるだけの強制力がないのである。だから、国民は政府の命令を聞かなければいいのである。
[10758] 身分制はなくなっている。 h22.8.25
身分制は眼先ではやれる。直感的に見よう見まねではやれる。
しかし、身分制は知的にはまちがっているから、知的にはやる気がしない。
国民の文化は年々高くなっている。国民は年々知的になっている。
だから、身分制をやる者が年々減って来ている。
だから、最近では身分制がなくなっているのだ。政府や民間宗教や暴力団がなくなっているのだ。
[10759] 法律は政府が扱うべきではない。 h22.8.25
政府は自分の身分を上げるために、国民に“国民を動物扱いする命令”を出す。
ところが、法律は“国民を人間扱いする命令”である。
だから、法律は政府の管轄[かんかつ]ではない。つまり、法律は政府が扱うべきではない。
法律は政府とは別の機関が扱うべきである。
今の日本では政府と“法律を扱う機関”(立法・司法・行政機関)が合体している。
政府と“法律を扱う機関”を分けるべきである。
今の国会議員にお金の喜びしかないのは、自分の仕事が面白くないからである。
政府と“法律を扱う機関”を分けたら、国会議員(立法者)の仕事がもっと面白くなるだろう。
[10760] 神はいるか? h22.8.25
神とは人間を超えた生き物である。人間よりも上の生き物である。
しかし、言葉だけの抽象論ではつまらない。
神がいるなら、神を引っ張って来て、俺[おれ]の眼の前に連れて来い!
まず、具体的な神を見てから、神についての話を始めねばならない。
それまでは、神についての話は一切無用だ。
宗教とは、神に従うことである。
だから、そもそも神がいなければ宗教は始まらない。
具体的な神が現れるまで、宗教はやらなくてよい。
[10761] 今の国民はどうして政府に従っているのか? h22.8.26
政府が「民主主義」で国民に命令を出していると思っているからである。
昔の国民が、政府が「国家宗教」で国民に命令を出していると思っていたのと同じことである。
しかし、実際には、政府は自分の身分を上げるために国民に“国民を動物扱いする命令”を出しているだけである。
つまり、政府は「民主主義」で国民に命令を出していない。
それなら、国民は政府の命令を聞かなければいい。
[10762] この世は国民の態度で決まる。 h22.8.26
国民が身分制があると思って行動すれば、身分制のある世の中になる。政府が国民を動物扱いする世の中になる。税金や似非[えせ]民主主義や似非国家宗教や戦争のある世の中になる。[これではまるで政府が『仮面ライダー』のショッカーみたいだ。]
反対に、国民が身分制がないと思って行動すれば、身分制のない世の中になる。法律を扱う会社が法律に関するサービスを売って国民からお金をもらう世の中になる。税金や似非[えせ]民主主義や似非国家宗教や戦争のない世の中になる。
ところで、身分制はまちがっている社会理論である。人間が身分で分かれているなんて嘘[うそ]のでっち上げにすぎない。人間と動物の関係を、人間と人間の関係に持ち込むのはおかしい。[[10736]を参照。]天動説がまちがっている天文理論であるために今の世の中で天動説がやられていないように、身分制も今の世の中でやってはならない。
だから、国民は身分制をやめればいいのである。たとえ政府が反対しても、この世界が国民の味方だ。
『人間は真理には勝てない。』いくら占い師が天動説をやめるのに反対しても結局天動説がやまったように、いくら政府が身分制をやめるのに反対しても結局身分制はやまるのだ。だから、政府はこれ以上悪あがきをしてはいけない。
[10763] 政府のやっていることは無駄[むだ]である。☆ h22.8.26
政府は身分制をやる会社である。政府にとっては自分の身分を上げることが仕事である。政府は自分の身分を上げるために国民を動物扱いしている。
しかし、今の世の中には身分制自体がない。
だから、いくら政府が国民を一生懸命に動物扱いしても政府の身分はちっとも上がらない。政府のやっていることは全部無駄である。
政府は今の世の中に身分制があるふりをして国民を動物扱いして自分の身分が高くなっているふりをしている。しかし、実際には、今の世の中には身分制がなく政府の身分は高くないのである。おとぎ話の『裸の王様』の王様が“存在しない立派な服”を着て威張[いば]っているのと同じことである。今の政府は国民の命を無駄に犠牲[ぎせい]にしているだけである。今の政府はただの殺し屋である。
今の政府は身分が全然高くない。だから、国民は政府に従わなくてもいい。[これまで国民は政府が「民主主義」をやっていると誤解していたから、政府に従っていたまでである。]例えば、政府と国民は平等だから、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。政府はさっさと民営化すべきである。
今の政府はただの犯罪者にすぎない。だから、国民は政府を罰しなければならない。
政府は身分が眼で見えないことをいいことにして今でも自分の身分が高いふりをしている。しかし、実際には、身分なんてものはとっくの昔になくなっている。だから、国民は政府に騙[だま]されて政府の命令を聞いてはいけない。
[10764] 人類の文化は進歩する。 h22.8.26
昔の社会で身分制が通用していたのは、昔はまだ人類の文化が低かったからである。
昔は「人間が神に従う」のが常識だったから、身分制があってもけっして不思議ではない。
しかし、今は人類の文化が高くなった。
人間が神に従うのがまちがいだと考えられるようになったし、身分制もなくなった。
つまり、昔の人は眼先で宗教や身分制をやっていて神や身分の高い者の“意味”がわからなかったから宗教や身分制がやれたのである。
しかし、今の人は頭で物を見ていて神や身分の高い者の“意味”を考えるから宗教や身分制がやれなくなったのである。[[10765]を参照。]
政府は身分制をやる機関である。
政府はまちがいを国民に強制してはいけない。
だから、政府は気の毒だが潰[つぶ]れるしかない。
人類の文化は進歩するので、まちがいはいつかは滅びる。
宗教団体や政府はそのための犠牲者[ぎせいしゃ]なのだ。
「神」も「身分の高い人」も実在しない余計な概念だ。
余計な概念がなくなったのが人類の進歩の証[あかし]だ。
『正義は勝つ。』まちがった政府が正しい国民を支配することはできない。政府はおとなしく国民に倒されるしかない。
[10765] 神がいないことの証明と身分制がまちがいであることの証明 h22.8.26
神は人間と同様に意思を持つ。
つまり、神は感覚を持つ。
神が感覚を持つためには、神は神経細胞を持たねばならない。
つまり、神は生物でなければならない。
神とは人間よりも高等な生物である。つまり、神とは『人間よりも知能の高い生物』である。[神とは『知能の高い生き物』である。例えば、超能力で空を飛んでも飛行機で空を飛んでも空を飛ぶことに変わりはない。だから、飛行機で空を飛ぶことがすでに超能力なのである。旧約聖書のエゼキエル書第1章にも、空を飛ぶ不思議な物体に乗った輝く人のことが書かれている。超能力でやろうが、科学の道具でやろうが、やれることが同じならいっしょである。だから、神とは『知能の高い生物』なのである。]
しかし、人間よりも知能の高い生物はいまだに発見されていない。アインシュタインでさえ人間だから、そこら辺[へん]の人間はみな人間である。
だから、実際には『神はいない』。[神とは『人間よりも知能の高い生物』である。人間自身が長い時間をかけて神に進化していると考えてもよい。]
宗教とは神に従うことである。
神がいなければ宗教はやれない。
だから、『宗教はやらない』のが正しい。『宗教団体がない』のが正しい。[あえて言えば、頭がいい者の正しい考えに従うことが宗教である。つまり、宗教とは学問にほかならない。]
それと同じように、身分制すなわち「身分の低い者が身分の高い者に従う」ことも正しくない。 身分の高い者とは、人間を動物扱いする者にすぎない。つまり、人間の人権を認めずに他人の物を取ったり他人を殺したりする犯罪者にすぎない。 犯罪者は人間社会の外に出すべきであって、人間は犯罪者に従うべきではない。 だから、「身分の低い者が身分の高い者に従う」ことすなわち身分制はまちがいである。つまり、『身分制はやらない』のが正しい。政府は身分制をやる機関である。だから、『政府がない』のが正しい。(身分制がまちがいであることの証明その3。) |
人間社会においては真理が実現されていなければならない。だから、宗教団体も政府もなくさねばならない。
[10766] 政教分離 h22.8.26
宗教とは人間が神に従うことである。昔の人間は神の命令には何でも従った。
一方、政府は自分の身分を上げるために、国民に“国民を動物扱いする命令”を出す。
だから、宗教団体と政府は本来別のものである。
政府は自分の身分を上げるために、“国民を動物扱いする命令”に国民をよく従わせるために、ニセの国家宗教で“国民を動物扱いする命令”を作って国民に出していた。つまり、政府は自分の身分を上げるために宗教を利用していたのである。
ヨーロッパで政教分離したのは、国民が神を信じなくなって、国民がニセの国家宗教の命令に従わなくなったために、政府がニセの国家宗教をお払い箱にして、ニセの民主主義で命令を出すようになったからである。つまり、政府が教会を捨[す]てて代わりに国会を拾[ひろ]ったのである。
一方、日本ではヨーロッパに比べて文化が遅れているので、太平洋戦争までは国民が神を信じていたために、政府がニセの国家宗教で国民に“国民を動物扱いする命令”を出していたのである。日本政府は今でもニセの国家宗教で国民に命令を出している。ニセの民主主義よりもニセの国家宗教のほうが“国民を動物扱いする命令”が出しやすいので、日本では政府が国民よりも身分が高く、政府と国民が不平等なのである。
ヨーロッパでは政府がニセの民主主義で“国民を動物扱いする命令”を出さねばならないので、国民を動物扱いしにくく、それだけ政府と国民の身分差が小さく、政府と国民が平等になっている。[ニセの民主主義では、国民を殺す命令は戦争のとき以外には出せない。ニセの国家宗教では、飛行機事故や列車事故の命令のようにいつでも出せる。つまり、ヨーロッパの政治家よりも日本の政治家のほうが身分を上げやすいのだ。]
もっとも、今では世界的に身分制がまちがいだと考えられて身分制自体がなくなっているので、西洋でも東洋でもいくら政府が国民に“国民を動物扱いする命令”を出しても政府の身分が上がらなくなっている。今では世界的に政府と国民が平等になっている。だから、政府は国民から税金を取れずに潰れるしかない。政府の後に、法律に関するサービスを国民に売って儲[もう]ける“法律を扱う会社”を作らねばならない。
[10767] 身分制をなくそう! h22.8.27
身分制があると、犯罪者が支配する悪い社会になる。
身分制がないと、善[よ]い人間が支配する善い社会になる。
だから、みんなで身分制をなくす運動をするべきである。
政府は身分制をやる機関である。
だから、身分制をなくすためには政府をなくせばいいのである。
政府をなくすためには、国民が政府に税金を払わずに、政府の命令に逆らえばいい。場合によっては、政府の役人を殺してもいい。
[10768] どうして神は黙[だま]っているか? h22.8.27
民間宗教の神はたいてい黙っている。
一方、本来神とは『人間よりも知能の高い生き物』である。
黙っていれば馬鹿がバレない。
だから、民間宗教の神は黙っているのである。
民間宗教の神はただの馬鹿親父である。神でもなんでもない。
信者は眼先で宗教をやっているから宗教がやれるだけである。
頭で物を見る者にとっては宗教なんかやれたものではない。
宗教とは、本来『人間が神すなわち人間よりも知能の高い生き物から正しい教えをもらうこと』である。
神が黙ったままで教えをくれなければ、宗教でも何でもない。
ちなみに、日本政府が作っている国家宗教の命令は、神すなわち人間よりも知能の高い生き物が国民に授[さず]けた正しい教えではなく、実際には政府が自分の身分を上げるために、政府が神に決めた者(つまり、神武天皇や私)がやったことを混ぜて作った“国民を動物扱いする命令”にすぎない。 だから、政府が作った国家宗教の命令なんか国民が従う価値はないのである。 ついでに、日本政府が作っている民主主義の命令(法律や政令)も、国民の役に立つ命令ではなく、実際には政府が自分の身分を上げるために国民を馬鹿にして国民を嫌がらせるために作った“国民を動物扱いする命令”にほかならない。 政府は自分の身分を上げて自分の私的な欲望をかなえるために国民を利用しているだけである。 |
ところで、税金は民主主義でもなく国家宗教でもない。[民間企業は国民から税金を取っていないから、民主主義では税金はやれない。]税金は政府が『身分制をやる会社』であることを如実[にょじつ]に表している。おそらく、税金は政府がニセの国家宗教の命令で自分の身分を高めてから始めたのだろう。身分制では、身分が高くなるほど出せる命令の範囲が広がるのである。
[10769] 身分制 h22.8.27 国民は身分制を知らないが、政府は身分制を知っている。[私は政府のことについて考えるなかで帰納的に『身分制』を発見したのである。『[10474] 帝国本国の政府 h22.7.1』頃に『身分制』を発見したのである。] 政府はこれまでずっと国民に知られないようにしながら身分制を用いてきた。 政府は密[ひそ]かに身分制を用いて国民を動物扱いすることによって自分の身分を上げて自分の私的な欲望をかなえてきた。[身分制では、他人を動物扱いした者ほど身分が高くなり私的な欲望をかなえられることになっている。] 国民は政府が何のために国民を動物扱いするのかわからなかったので、政府のやることを容認[ようにん]してきた。 国民が政府が身分制をやっていることを知っていたなら、国民は政府を許さずに政府を倒していただろう。 国民が支持したのは国家宗教や民主主義であって、身分制ではけっしてない。国民は国家宗教や民主主義を正しいと信じていたから、政府が作ったニセの国家宗教やニセの民主主義の命令にも従ったのである。国民は身分制をやっている政府を絶対に許さないだろう。 |
[10770] 政府はどうして事故で国民を殺すのか? h22.8.27
政府はときどき飛行機事故や列車事故を起して国民を殺している。政府は国民にニセの国家宗教の命令を出して事故を起させて大勢の国民を殺させている。
政府が国民を事故で殺してもお金が儲[もう]かるわけではない。むしろ国民の数が減るから税金が減るので損をする。
政府が国民を事故で殺しても政府が面白いわけではない。政府はそれほど愉快魔[ゆかいま]ではない。
じつは、政府は自分の身分を上げるために事故を起して国民を殺しているのである。政府が政府であるためには政府の身分が高くなければならず、そのためには事故を起して国民を殺して国民を動物扱いして自分の身分を上げねばならないのである。政府はノルマで事故を起しているのである。つまり、政府は自分の身分が高いから事故を起しているのではなく、自分の身分を上げるために事故を起こさなければならないのである。
最近しばらく大きな事故が起きていない。政府の身分もかなり下がっているはずだ。だから、そろそろまた大きな事故が起きるかもしれない。
[10771] 政府は正直である。 h22.8.27
政府は身分制をやる会社だから、身分制については正直にやっている。政府は『実際に』国民の物を取ったり国民を殺したりして国民を動物扱いしているし、国民を動物扱いした量に応じて精確[せいかく]に自分の身分を上げている。
一方、国家宗教や民主主義はもともとインチキだから、ニセの国家宗教やニセの民主主義でもいいのである。[だから、政府の後[あと]の法律を扱う会社は民主主義でやってはいけない。自然科学と同じ自然主義で客観的必然的に法律を決めねばならない。]
だから、政府は国民に対して“国民を動物扱いする命令”を出すときに、ニセの国家宗教やニセの民主主義を使っているのである。
総[そう]じて、政府は正直に自分の仕事をやっているといえる。
しかし、知覚的に見ると身分制自体は嘘の作り事である。だから、実在的にはいくら政府が身分制を正直にやっても、政府の身分が上がることはない。だから、今後は政府は身分制をやめるべきである。
[10772] 浦島太郎の玉手箱の意味☆☆ h22.8.27 浦島太郎の玉手箱は政府の喩[たと]えである。玉手箱とは『政府は外見[がいけん]は立派だが、中身はえげつない殺し屋集団だ』ということである。 政府は身分制をやる会社なので、政府がやって行くためには、いやがうえにも自分の身分を上げるために国民の物を取ったり国民を殺したりして国民を動物扱いしなければならないのである。 昔の誰かが身分制というまちがった社会制度を考え出してしまったために、政府という身分制をやる会社が出来てしまった。 しかし、今では『人権』という概念が出来て、他人の人権を侵した者は犯罪者ということになっている。だから、今の世界では政府は犯罪者だ。 昔はまだ人権という概念がなかったから、身分制によって犯罪者が身分の高い者と見なされて人間社会を支配したのである。 「身分制」と『人権』では、人権のほうが正しい。だから、身分制はまちがっている。したがって、身分制はやめねばならない。政府は身分制をやる会社だから、政府はなくならねばならない。 |
[10773] 税金とは何か? h22.8.28
政府が国家宗教や民主主義をやるための費用である。国民は国家宗教や民主主義を支持しているから、政府が国家宗教や民主主義をやるために税金を払っているのである。
しかし、それは国民の誤解である。
実際には、政府は身分制をやる会社であって、国家宗教や民主主義をやる会社ではない。
政府は身分制をやるために国家宗教や民主主義を利用しているだけである。政府が国家宗教や民主主義で命令を出したことにすれば、国民に“国民を動物扱いする命令”が通りやすく政府の身分がよく上がるからである。
税金は、政府が身分制をやるための費用である。[つまり、政府は身分が高いから国民から税金を取っているのではなく、政府が国民に国家宗教や民主主義をやると言って国民から集めた金を身分制に使っているだけである。もともと国家宗教や民主主義はインチキであり国家宗教や民主主義に本物と偽物[にせもの]の区別はないから、国家宗教や民主主義で“国民を動物扱いする命令”を作って国民に出しているのである。つまり、国家宗教や民主主義ではまちがいでも何でも決められるので、政府は身分制をやるために国家宗教や民主主義を利用しているのである。つまり、政府は国家宗教や民主主義をやりながら身分制をやっているのである。]
国民は国家宗教や民主主義は支持するが、身分制は支持しない。だから、国民は政府が身分制をやるために税金を払わない。
[10774] 政府は民間企業である。 h22.8.28
税金は政府が強制的に国民から取っているのではなく、国家宗教や民主主義を支持する者が政府に国家宗教や民主主義をやってもらうために政府に税金を払っているのである。しかし、実際には政府は国家宗教や民主主義をやりながら身分制をやっているのである。
政府は国民を動物扱いした分だけ身分が上がるが、政府の身分が上がったからといって政府が国民に命令できるわけではない。そもそも政府には国民を政府の命令に従わせる強制力はない。国民は自分の意思で政府の命令に従っているだけである。国民は国家宗教や民主主義には賛成だが身分制には反対なので、政府は直接に身分制をやることができず、国家宗教や民主主義に隠[かく]れて身分制をやらねばならないのである。[いくら政府が身分を上げたところで政府にとって得になることは何もない。日本人は身分制に反対だから、政治家の身分の使い道がない。身分はままごと以外に使えない“子供銀行のお金”のようなものである。政府は国民に隠[かく]れて自分だけで身分制をやっているのである。これでは、政府が何のために身分を上げているのかわからないが、とにかく政府は国民を動物扱いして自分の身分を上げる会社なのである。政府にとっては自分の身分を上げること自体が目的なのである。政府にとっては、何の使い道もない“身分の高いこと”がよっぽどうれしいのだろう。]
政府はもともと民間企業である。国民が勝手に政府を国営企業だと思っているだけである。政府に国家宗教や民主主義をやって欲しい者が、自主的に政府に税金を払っているだけである。しかし、政府は本当は政府自身のために身分制をやっているのである。国家宗教も民主主義ももともとインチキだからやらないほうがいい。そもそも政府に国家宗教や民主主義をやって欲しいと思う国民がまちがっているのだ。
政府は『身分制』をやる会社であって、法律を扱う会社ではない。政府があろうがなかろうが、『日本の法律』は日本にある。今のところ日本には法律を扱う会社がないので、日本に法律を扱う会社ができるまでの間政府が法律を扱う会社の代理を務めているだけである。早く日本に法律を扱う会社を創[つく]らねばならない。日本人が日本に法律が要ると思っている限り、法律を扱う会社は経営できるだろう。
[10775] 政府はなくならねばならない。 h22.8.28
政府は身分制をやる会社である。政府は身分制をやるために国家宗教や民主主義を利用しているだけである。身分制は政府と国民の両方が納得しなければできないから、政府は国民を納得させるために国家宗教や民主主義を利用しているのである。国民は身分制に反対であり、政府は身分制そのものを国民に押し付けることはできないから、政府と国民がいっしょになって身分制をやるためには、政府は国民が支持している国家宗教や民主主義を利用するしかなかったのである。
ところが、身分制はまちがっている。身分制よりも人権が正しい。身分は古い概念であり、人権は新しい概念である。[[10772]を参照。身分がまちがった概念であったために、身分制の下[もと]では政府という犯罪組織が社会を支配することになったのである。反対に、人権は正しい概念だから、人権の下では人間的な才能のある善良な人間が社会を支配することになるのである。]
だから、政府はなくならねばならない。政府の代[か]わりに『人権をやる会社』を建てねばならない。
税金制は、政府が身分制でやっている制度だから、廃止しなければならない。税金制の代わりに、人権をやる会社が法律に関するサービスを国民に売って儲けるようにしなければならない。
[10776] 日本人はもっと頭を使わねばならない。 h22.8.28
宗教とは、人間が神に従うことである。
ところで、神とは何か?
神とは人間を超えた生き物である。つまり、神とは人間よりも知能が高い生き物である。
そんな生き物はまだ見つかっていない。
宗教とは『人類が神の正しい教えに従って幸福に導かれること』だが、そんなありがたい神はまだ見つかっていない。
だから、宗教はやれない。
民主主義とは、大勢の意見に従うことである。
しかし、大勢の意見が正しいとは限らない。
むしろ、利口よりも馬鹿のほうが多いから、民主主義ではまちがいが決まるだけである。
だから、民主主義はやれない。
法律は民主主義で決めるよりも、頭のいい学者が決めたほうがいい。
頭で考えれば、宗教も民主主義もやれないことがわかるはずである。
日本人がいまだに宗教や民主主義を支持しているのは、日本人が頭で考えないからである。日本人が頭で考えずに眼先で見るだけの馬鹿だからである。
日本人が政府に従っているのも、日本人が馬鹿だからである。政府は身分制をやる機関であって、日本人は身分制には反対だから、日本人は政府に反対しなければならないはずである。政府が直接に身分制をやれば日本人は政府に従わないのに、政府が国家宗教や民主主義をやりながら身分制をやれば日本人が政府に従うのは、『朝三暮四』でサルが餌[えさ]の順番を変えれば納得したのと同じことである。
日本人はもっと頭を使って考えねばならない。
[10777] 日本人は身分制に反対である。 h22.8.28
日本人は昔から身分制に反対である。世界大戦以前も世界大戦以後も反対である。弥生時代も現代も反対である。
ただ、日本人は国家宗教や民主主義には賛成である。
政府が国家宗教や民主主義をやりながら身分制をやっていたので、国民は政府に従ったまでである。政府は世界大戦以前は国家宗教をやりながら身分制をやっていたが、世界大戦以後は民主主義をやりながら身分制をやるようになっただけである。
しかし、政府の正体は身分制をやる会社である。日本では国民は身分制に反対である。だから、国民は政府に反対しなければならない。国民は政府に従ってはならない。
最近、西洋の社会学者が発見した人権の概念によって身分制がまちがっていることが明らかにされた。[[10772]を参照。]日本人の山勘[やまかん]が正しかったことが証明されたのである。
[10778] 政府は身分制をやる会社である。 h22.8.28
政府は身分制をやる会社である。
世界中の政府がそうである。
ただ、身分制のやり方が国によって違っている。
例えば、中国では直接に身分制がやれたが、日本やヨーロッパでは国家宗教をやりながら身分制をやっていた。近年では、民主主義や社会主義などが身分制をやるために用いられるようになった。
しかし、今では身分制がまちがいだとわかっている。
だから、世界中の政府がなくならねばならない。
その後に、『国民の人権を守る会社』を創[つく]ろう。
[10779] 実在の中で生きる者 h22.8.28
男は実在の中で生きる者である。
女は文学の中で生きる者である。
宗教や身分制や民主主義はまちがっている。宗教や身分制や民主主義は嘘[うそ]の作り事である。
だから、男は宗教や身分制や民主主義をやらない。
最近は女も実在の中で生きるようになっている。
[10780] 宗教とは何か? h22.8.28
宗教とは人間が神に従うことである。
神とは『頭がいい人』のことである。例えば、四国では弘法大師(空海)が神だとされている。
だから、宗教とは『頭がいい人の正しい教えに従って幸福に導かれること』である。
昔はまだ学校がなく頭のいい人が少なかったから、頭がいい人を神と呼んだのである。
つまり、宗教とは勉強のことである。昔は勉強のことを宗教と言ったのである。
[10781] 国民はどうして政府に税金を払っているか? h22.8.28
国民は政府が民主主義をやっていると思っているからである。
国民は政府に民主主義をやってもらうために政府に税金を払っているのである。
しかし、実際には、政府がやっているのは民主主義ではなく、身分制である。[国民から見ると政府が民主主義をやるから税金を払うが、政府から見ると自分が身分制をやるから国民から税金を取るのである。]
政府は自分の身分を上げるために国民を動物扱いしているのである。
それなら、国民は政府に税金を払う必要はない。政府に潰[つぶ]れてもらうしかない。
日本人は身分制を支持しないから、日本では身分制をやる会社は経営できない。政府の正体は身分制をやる会社だから、政府は潰れるしかない。
[10782] 消防保険と警察保険 h22.8.29
国民が火事にあうことはめったにないから、消防署は民営化すると経営できない。
消防署が民営化すると、1回の出動費がメチャクチャ高くなる。
だから、消防署と国民の間に保険会社が入って、国民が保険会社に毎月あるいは毎年保険費を払って、保険会社が消防署に出動費を払うようにすればいい。
警察も民営化すると、1回の出動費がメチャクチャ高くなる。
だから、警察と国民の間に保険会社が入って、国民が保険会社に毎月あるいは毎年保険費を払って、保険会社が警察に出動費を払うようにすればいい。
こうすれば、税金によらなくても、消防署や警察が経営できる。
[10783] どうして戦後日本では国家宗教をやめたのか?☆ h22.8.29
神聖ローマ帝国(ドイツとイタリア)は、“神聖”の名の通り、宗教が強い国である。
日本でも戦前は神武天皇の国家宗教を強力にやっていた。
神聖ローマ帝国や日本では、国民が宗教を支持しているので、政府が国家宗教をやりながら身分制をやることができる。
国家宗教は民主主義よりも自由に命令が出せるので、政府が身分制をやりやすい。
政府が自分の身分を高めるために、大勢の国民が犠牲[ぎせい]になる。
政府が自分の身分を高めたところで、国民は身分制に反対だから身分の使い道がなく、政府の『自己満足』にすぎない。[[10774]の中ほどにある補足を参照。]
政府の自己満足のために大勢の国民を犠牲にするのは行き過[す]ぎである。
だから、政府の行き過ぎた身分制を抑[おさ]えるために世界大戦をやって、神聖ローマ帝国や日本で政府が国家宗教をやることを禁じたのである。
世界大戦は、神聖ローマ帝国や日本の国民のためにやった戦争だったのである。
[10784] 人権の時代 h22.8.29
現代は人権の時代である。
人権と身分は相容[あいい]れない。[[10772]を参照。]
だから、現代では政府のような身分制をやる会社はやって行けない。
政府が身分制をやりたければ江戸時代に行ってやってくれ。
[10785] 国民は国家宗教や民主主義を支持するな!☆ h22.8.29
日本では国民は国家宗教や民主主義を支持している。戦後の今でも国家宗教を支持している。それは、日本が田舎[いなか]の国だからである。
政府は国家宗教や民主主義に便乗[びんじょう]して身分制をやっている。つまり、国民は国家宗教や民主主義の命令なら何でも従うので、政府は自分の身分を上げるために国家宗教や民主主義で“国民を動物扱いする命令”を作って国民に出している。
政府は国民に直接身分制の命令を出すことができない。それは、日本国民が身分制に反対だからである。
だから、日本国民が国家宗教や民主主義に反対すればいいのである。
そうすれば、政府は一切[いっさい]国民に命令を出すことができなくなって潰[つぶ]れる。
国家宗教や民主主義ではまちがいでも何でも決めることができるので、人間である国民を動物扱いすることができるのである。本来人間であるはずの国民を動物にすることができるのである。国家宗教では、神の前では人間は動物同然だから国民が自分が動物であることを認めたことになり、民主主義では、国会議員が「国民を動物にする」ことに賛成して起立すれば、国民を動物にすることができるのである。
日本国民が自然主義(実在主義)を支持することにすれば、人間である国民を人間として認めねばならないので、政府は国民を人間扱いしなければならなくなり、国民を動物扱いすることができないから、政府は身分制がやれなくなる。
そもそも政府は自分の身分を上げて自分が喜ぶために命令を出しているだけだから、国民にとっては政府の命令を聞いても何にもならない。国民が政府の自己満足の遊びのための犠牲[ぎせい]にされるだけである。
国民が政府を支持する理由は何もない。だから、国民は政府に反対して政府を倒せばいいのである。
[10786] 政府と国民は平等である。☆ h22.8.29
政府は国民が支持している国家宗教や民主主義で“国民を動物扱いする命令”を作って国民に出しているだけである。国民は自分が国家宗教や民主主義を支持しているから、政府の命令を聞いているだけである。[国民が国家宗教や民主主義を支持することは、自分が動物扱いされることを認めたことになる。[[10785]を参照。]だから、国民は自分がいくら政府に動物扱いされても文句を言わないのである。]
政府は使い道がない自分の身分を上げて独[ひと]りで喜んでいるだけである。[日本国民は身分制に反対なので、政府がいくら身分が高くても国民は政府に従わないから、政府の身分の使い道がない。いくら政府の身分が高くても、政府が国家宗教や民主主義で作っていない命令に対しては国民は従わないのである。そのため、政府は本来身分制をやる会社なのに、いつの間にか国家宗教や民主主義をやる会社だと思われるようになったのである。]
だから、日本では、政府と国民は最初から平等である。
しかし、政府の独[ひと]り娯楽のために、国民が犠牲[ぎせい]にされるのは割に合わない。[独楽[こま]は上から見ると白くて丸いから神武天皇の光の玉の喩[たと]えである。つまり、独楽は政府の身分制のことである。政府は自分の身分を上げて自分“独”りで“楽”しんでいるだけなので、“独楽”というのである。]
国民は政府の犠牲になるのが嫌[いや]だから、政府の命令を聞かないことにしよう。
国民は政府の趣味に付き合ってやらなくてもいい。
政府には、もっと他[ほか]のことで遊んでもらうようにしよう。
税金も政府の“身分制ごっこ”の一環[いっかん]だから、国民は政府に税金を払わないことにしよう。
今は人権の時代だから、身分制はまちがっている。だから、国民が政府の身分制に付き合わなくても、政府は国民に文句は言えない。
[10787] ローマの人間主義 h22.8.29
江戸時代に死刑囚をさらし首にしたのは、ヨーロッパの公開処刑の真似[まね]である。
ヨーロッパは自然主義だから犯罪者には厳しかった。それで、江戸幕府も犯罪者には厳しかった。
反対に、ローマは人間主義なので犯罪者に甘かった。ローマの人間主義では、人間は自分がやりたいことをすればよかったので犯罪の概念がなかった。近代ヨーロッパにおいても教会はローマの支配下にあったので、犯罪者が教会に逃げ込めば無罪にされたのである。
日本の中世末期は幕府と政府がしょっちゅう交代していた。幕府はヨーロッパ制であり、政府はローマ制だった。そのため、幕府が日本を支配したときには犯罪者が厳しく罰せられたが、政府が日本を支配したときには日本人みんなが犯罪のし放題だったのである。例えば、『二条河原の落書』は政府が支配していたときの京都の町の様子を表している。日本の中世において政府の支配下で国民が犯罪のし放題だったのはローマ文化の影響であって、国家宗教や身分制とは関係なかったのである。
[10788] 国民は税金制を支持するな!☆ h22.8.29
国家宗教や民主主義だけではなく、国民が税金制を支持することは国民が身分制を認めたことになる。つまり、国民が自分が動物扱いされることを認めたことになる。なぜなら、税金は国民が一方的強制的に財産を取られることであり、国民が自分の財産権を否定されて、国民が動物扱いされることにほかならないからである。国民がお金を取られることを認めていることを一般化して広げていけば、国民からいくらでもお金を取れるようになるし、国民の人権のすべてを否定することができるようになる。国民が自分が動物扱いされることを認めていれば、そのうちまた政府のように“国民を動物扱いして自分の身分を上げて楽しむ会社”が出来る。[例えば、日航機123便墜落事故でほぼ全員の乗客が死んだのは、乗客みんなが政府に税金を払っていたからである。]
だから、国民は税金制を支持してはならない。
国民は、たとえ費用が今よりも高くついても、『税金制のない社会』を作らねばならない。[[10782]を参照。]
国民が政府に税金を払うことは、国民が税金制を支持していることになる。だから、国民は政府に税金を払ってはならない。
[10789] 民間宗教とは何か? h22.8.29
国家宗教と民間宗教とに関わらず、宗教とは自分が動物扱いされることを認めることである。
なぜなら、神の前には人間も動物同然だから、神を信じることは自分が動物であることを認めたことになるからである。
宗教団体の幹部は信者に「宗教に入れば神に近づくから人間よりも上の者になれる」と説明しているが、それは嘘[うそ]である。
実際には、その反対に宗教団体に入れば人間よりも下の動物扱いされるだけである。宗教団体の幹部は信者を動物扱いして信者の物を取ったり信者を殺したりして儲[もう]けている。
だから、国家宗教を民間宗教とに関わらず、宗教団体には入らないほうがいい。
[10790] 政府に身分制をやらせない方法 h22.8.29
政府は身分制をやる会社である。
ただし、政府が身分制をやるためには国民の承認が必要である。つまり、政府は国民が「政府が自分に対して身分制をやっていい」と認めた場合にだけ、その国民に対して身分制をやることができる。
国民が国家宗教か民主主義か税金制のどれかを認めれば、その国民に対して政府は身分制をやることができる。つまり、政府はその国民の物を取ったりその国民を殺したりしてその国民を動物扱いすることによって自分の身分を上げることができる。[政府の法律は、国民に民主主義を認めさせるための道具にすぎない。]
反対に国民が国家宗教と民主主義と税金制のすべてを認めなければ、政府はその国民に対して身分制をやることができない。つまり、国民が政府に自分に対して身分制をやらせないためには、国民が政府の命令に逆[さか]らえばいいのである。政府は自分に逆らう者に対しては一切[いっさい]手出しができないのである。
政府は身分制をやる会社であって、“国民を法律で管理する会社”ではない。だから、国民が“国民を法律で管理する会社”が欲しければ、政府とは別に建てねばならない。
[10791] 政府が自分の身分を上げるためには… h22.8.30
政府が自分の身分を上げるためには、政府が国民を動物扱いすればいい。
政府が国民を動物扱いできるためには、国民に政府が自分を動物扱いすることを認めさせればいい。
国民に政府が自分を動物扱いすることを認めさせるためには、国民に国家宗教や民主主義や税金制を支持させればいい。
国民に国家宗教や民主主義や税金制を支持させるためには、政府が国家宗教で面白いことをやったり、学校の社会科で民主主義を教えたり、「国民はちゃんと税金を納めましょう」という政府広報コマーシャルを流したりすればいい。
だから、政府の身分制をやめさせるためには、国民が国家宗教や民主主義や税金制を支持しなければいいのである。
政府は身分制をやる会社であって、国民を法律で管理する会社ではない。だから、国民がいくら法律を犯しても、その国民が身分制を認めていなければ、政府はその国民に手出しできないのである。[犯罪者の大半は身分制を認めているから、政府に捕[つか]まって罰せられるのである。反対に、犯罪者が身分制を認めていなければ、何をやっても政府に捕まらず罰せられない。“身分制を認めていない犯罪者”は、『政府が法律を扱う会社でない』ことの証拠である。]
政府は身分制をやる会社である。しかも、政府は国民が自分に対して身分制をやってもいいと認めた場合にだけ、政府はその国民に対して身分制(つまり動物扱い)ができるのである。国民が自分に対して身分制をやってもいいと認めなければ、政府はその国民に対して身分制ができないのである。だから、国民が国家宗教や民主主義や税金制を支持しなければ、政府は国民に一切[いっさい]手出しできないのである。つまり、国民が政府の国家宗教や民主主義の命令を聞かず、政府に税金を払わなければ、国民は政府に手出しされることがなく、政府と縁[えん]を切って人間らしく生きていけるのである。[今の政府ははっきりと国家宗教をやっていないから、国民の大半は政府が国家宗教をやっていることを知らないから、いくら政府が国家宗教で面白いことをやったからといって、国民が国家宗教を支持していることにはならない。[私自身も最近まで政府が国家宗教をやっていることを知らなかった。]だから、政府がいくら国家宗教をやっても無駄[むだ]である。戦後は世界中で国家宗教をやることが禁止されているから、政府は国家宗教をやってはならないし、国民も国家宗教を支持してはいけない。また、今の政府は民主主義よりも自然主義で法律を作るようになっている。だから、国民も民主主義よりも自然主義を支持するようになっている。だから、国民が政府に税金を払いさえしなければ、国民は身分制を支持していることにはならない。今の政府が国民を動物扱いしているのは、すべて税金のせいなのである。政府が国民を動物扱いすることによって自分の身分を上げているように、国民は政府に税金を払うことによって政府に自分を動物扱いさせているのである。だから、政府に国民を動物扱いさせないためには、国民が政府に税金を払わなければいいのである。つまり、国民が政府に税金を払わないと国民が警察に捕[つか]まるのではなく、政府が国民に手を出せなくなって警察が国民を逮捕することができなくなるのである。]
政府は身分制をやる会社であって、国民を法律で管理する会社ではない。だから、今でも法律を破っている者がたくさんいるはずである。これではいけない。だから、早く政府とは別に国民を法律で管理する会社を建てねばならない。
[10792] 中国と日本の違い h22.8.30
中国では、国をひとつの生き物と考えている。中国人は自分を国の細胞だと考えている。
だから、中国では昔は皇帝を国の頭脳だと考えて国民を国の手足だと考えて身分制を支持したのである。今でも国をひとつの生き物だと考えて社会主義を支持しているのである。そもそも中国が大きい国なのは、国をひとつの生き物と考えているからである。
一方、日本では、国を個人の集まりだと考えている。日本では、政府と国民は別々であって、政府はただの身分制をやる会社にすぎない。政治家は自分の自己満足のために自分の身分を上げているにすぎない。国民は自分が国家宗教や民主主義を支持しているから、政府が作った国家宗教や民主主義の命令に従っているだけである。日本が小さな国なのは、国を個人の集まりだと考えているからである。
日本が中国の一部にならなかったのは、日本が中国と思想が違うためである。日本は個人主義である。日本人は他人を助けもしなければ、他人に助けられもしないのだ。
[10793] 国家宗教や民主主義と身分制は別である。 h22.8.30
国民が国家宗教や民主主義を支持していても、身分制を支持していることにはならない。
もしも、国民が国家宗教や民主主義を支持しているだけで身分制を支持していることになるのなら、政府は直接に身分制で国民に命令が出せたはずである。
しかし、実際には、政府は国家宗教や民主主義に乗っかって命令を出していた。
だから、国民がいくら国家宗教や民主主義を支持していても、それだけでは身分制を支持していることにならないのである。
日本政府は必ず国家宗教や民主主義に乗っかって身分制をやらなければならなかった。国民は国家宗教や民主主義の命令以外は聞かなかった。政府は独[ひと]りで身分制をやっていただけである。政府は、国民には国家宗教や民主主義に見え政府には身分制に見える二面両立の命令を作って国民に出さねばならなかった。
したがって、国民は身分制に躊躇[ちゅうちょ]することなく、国家宗教や民主主義を支持していいのである。
しかし、最近の国民は国家宗教を支持していないし、民主主義から自然主義に変わりつつある。自然主義では国民に人権を認めねばならない。だから、政府は身分制がやれなくなっている。
したがって、民間宗教でも信者に人権を認めねばならず、民間宗教とは『神すなわち頭がいい人の正しい教えに従って信者が幸福に導かれること』である。けっして、幹部が信者を動物扱いして儲[もう]けることではない。[社会科に弱い人が宗教を誤解して宗教をやるから犯罪になって捕[つか]まるのだ。]
税金は、国民から見れば政府が国家宗教や民主主義をやるための費用だが、政府から見れば身分制で国民から財産を取ることである。しかし、最近の国民は自然主義に変わりつつあり、政府は国民に従う限りでしか国民に命令が出せないから、政府は身分制がやれなくなっていて、もはや政府が国民から一方的強制的に税金を取ることはできない。だから、政府は民営化して“法律を扱う会社”となり、保険会社が国民と“法律を扱う会社”の間に入って、国民が保険会社に保険金を払えばいいのである。
[10794] 命令の自由度 h22.8.30
政府は身分制をやる会社である。政府は国民に“国民を動物扱いする命令”を出す会社である。
直接の身分制では、政府が国民に完全に自由に命令を出すことができる。
国家宗教に乗っかった身分制では、国家宗教による制限があるから、直接の身分制ほど政府が国民に自由に命令を出すことができない。だいたい、直接の身分制に比べて50%しか命令を出せない。
さらに民主主義に乗っかった身分制では、民主主義による制限があるから、ますます政府が国民に命令が出しづらくなる。直接の身分制に比べて10%しか命令を出せない。
自然主義に乗っかった身分制では、自然主義では国民に人権を認めねばならないから、政府が国民に一切[いっさい]命令を出せない。0%しか命令を出せない。
政府は年々命令を出しにくくなっている。つまり政府は年々身分が低くなっている。最近は国民が自然主義になっているから、今の政府はほとんど潰[つぶ]れている。だから、国民は政府に税金を払わなくてもいい。
[10795] 小林多喜二暴行事件 h22.8.30
小林多喜二は小説『蟹工船』[かにこうせん]で天皇家をバカにした。
政府は天皇家のために小林多喜二をリンチで殺した。
当時の国民は国家宗教を支持していたので、政府の人気が上がった。[日本人が国家宗教を支持しているのは、日本人が「神(自分よりも上の者)に従う」のが好きだからである。だから、日本人は昔から先進国の文化を好んで取り入れてきたのである。天皇家は日本を統一した神武天皇の子孫だと考えられていたから、日本人にとっては神だと考えられていたのである。[ただし、最近では神武天皇が日本を統一したのは嘘[うそ]だと考えられているから、もはや天皇家は神ではない。]同じように、日本人が民主主義を支持しているのは、日本人が「みんなに従う」のが好きだからである。今は世界的に国家宗教をやらなくなっている。だから、日本人も国家宗教をやってはならない。]
政府は自分の人気を上げて日本が戦争をやりやすくするために、小林多喜二暴行事件を起したのである。小林多喜二は、政府の人気を上げるための出汁[だし]だったのだ。
[10796] 政府は待遇がよすぎる。☆ h22.8.30
政府は国家宗教や民主主義で“国民を動物扱いする命令”を出して自分の身分を上げている。
ところで、日本では国民は身分制に反対だから、政府の身分は使い道がない。つまり、いくら政府が身分が高くても、国民は政府に従わない。政府の身分は使い物にならない“自分だけの身分”である。政府の身分は“形の上だけの身分”である。
つまり、日本では政府は実質的には身分が高くない。
だから、政府の待遇をよくする必要はない。
日本では実質的には政府と国民は平等だから、政府は国民と同じ待遇にすべきである。
[10797] 政府に身分制をやめさせる方法 h22.8.30
政府は身分制をやる会社だが、政府は国民に従う限りで身分制がやれるだけである。
自然主義では国民の人権を認めねばならないので、政府は身分制がやれない。
だから、政府に身分制をやめさせるためには、国民が自然主義を支持すればいいのである。
国民は政府が何[なに]主義で作ったのかわからない命令には従わなければいいのである。
[10798] 日本政府は何のために国家宗教で面白いことをやっているか? h22.8.30
日本政府は国家宗教で国民が喜びそうなことをいろいろやっている。例えば、ゲームとかアニメとかやっている。
それは、政府が国民に国家宗教を支持させるためである。
民主主義よりも国家宗教のほうが政府が自由に命令を出すことができて身分制がやりやすいので[[10794]を参照
]、そのために政府は国民に国家宗教を支持させようとしているのである。政府は民主主義で“国民を動物扱いする命令”を出すのが難しいので、国民になんとかして国家宗教を支持させようとしているのである。
しかし、世界的には世界大戦後はどこの国でも国家宗教をやってはならないことになっている。日本政府はいけないことをやっている。だから、日本国民は日本政府に乗せられて国家宗教を支持してはならない。
[10799] 国民は政府に税金を払う必要があるか? h22.8.30
日本では、政府が国民が支持する国家宗教や民主主義に乗っかって身分制をやることが認められてきた。
国家宗教や民主主義と身分制とは相性[あいしょう]がよく、国家宗教や民主主義では税金を取れないが、身分制では税金を取れるので、政府は国民から税金が取れたのである。[神は金欲がないから国家宗教の命令では税金を取れない。民主主義では政府よりも国民が優位だから民主主義の命令では税金を取れない。一方、身分制では、政府が国民を動物扱いして国民の人権を認めないから、政府は国民から税金を取れるのである。]
しかし、現代では、日本国民は自然主義を支持している。自然主義では国民の人権を認めねばならず、身分制では国民の人権が認められず、自然主義と身分制は相容[あいい]れないので、もはや政府が国民が支持する自然主義に乗っかって身分制をやることはできない。
だから、現代ではもはや政府は国民から税金を取ることができないのである。つまり、現代では国民は政府に税金を払う必要がないのである。
[10800] 民主主義で身分制をする方法 h22.8.30
国家宗教で身分制をするためには、「神に関する言葉」を混ぜた“国民を動物扱いする命令”を作って国民に出せばいい。
それと同じように、民主主義で身分制をするためには、「流行[はやり]の言葉」を混ぜた“国民を動物扱いする命令”を作って国民に出せばいい。
普通の国民はそんな命令には従わないが、流行[りゅうこう]に異常に敏感な頭のおかしい国民は従うだろう。
それなら、民主主義で身分制をするのもできないわけではない。
しかし、国家宗教の命令に従う人間は多いが、民主主義の命令に従う人間は少ない。
だから、やはり国家宗教で身分制をするのに比べて民主主義で身分制をするのは難しいだろう。