[10601] 身分制の世界 h22.7.24
政府や税金や国家宗教や戦争は、身分制の世界の中にある。
政府や税金や国家宗教や戦争は、身分制の世界の中で生まれたことである。
身分制の世界の外には、政府も税金も国家宗教も戦争もない。
数学の世界の中に、その数学の独自の概念があるのと同じことである。
身分制について知らないと、政府のやっていることが理解できない。→政府は自分が国民よりも身分が高いことを使って、国民から一方的に強制的にお金を取ったり(税金)、国民や民間会社に神に因[ちな]んだ命令を出したり(国家宗教)、国民に武器を持たせて殺し合いをさせたりする(戦争)。[神とは政府が神に決めた者のことであり、神はただの人間または架空の人物のことである。ジャンケンで鬼ごっこの鬼を決めるように、政府は特に理由もなくある者を神と決めるのである。神は政府が国家宗教をやるために決めた者であり、政府がなければ神もない。政府は身分制で出来た会社だから、身分制がなければ神もない。]
身分制について知らないと、そもそも政府がどんな会社なのか理解できない。→政府は身分制をやる会社である。政府は自分が国民よりも身分が高いことを使って、国民にいろんな命令を出す会社である。身分制を知らないと、政府が民主主義をやる会社だと誤解してしまう。政府は自分が身分制でやっていることに対して民主主義的な理由をつけることによって、国民に政府が民主主義でやっていることだ(つまり、国民のためにやっていることだ)と思わせて、国民を政府の命令に従わせている。[[10592] の赤字のすぐ後[あと]を参照。]
今は身分制を知っている者が少ないから、政府のことが理解できる者も少ない。

[10602] 税金は民主主義で決めたことではない。 h22.7.24
政治機関は国民にとって必要である。だから、政治機関は民主主義で決めたことである。
しかし、税金は国民にとって一方的に不利である。だから、税金を民主主義で決めることはありえない。税金を民主主義で肯定するのは無理である。税金が政府にとって一方的に有利なのは、税金が政府が身分制で決めたことだからである。税金は古墳時代の政府が身分制で決めたことであり、それを近代以降の政府が民主主義的な嘘[うそ]の理由をつけて使い続けているのである。[民主主義とは、身分が高い政府よりも身分が低い国民を有利にする主義である。つまり、民主主義とは反身分制のことである。ところが、議会制民主主義は民主主義ではない。なぜなら、国会は政府の付属機関だから、国会は政府のためにあるのであって国民のためにあるのではないから、国会は民主主義をやらないからである。国会は、政府が身分制でやっていることを民主主義でやっているように見せ掛けるために存在しているだけである。そもそも政府と国民の対立の図式こそがおかしいのであって、そもそも身分制がなければ政府と国民が対立することもないはずである。昔は政府も国民も身分制が正しいと考えていたから、政府と国民がいっしょになって身分制をやっていた。だから、今は政府も国民も身分制がまちがいだと考えているから、政府と国民がいっしょになって身分制をやめるべきである。政治機関は法律の違反者を取り締まる機関であればいいのである。]
したがって、税金のない政治機関が民主主義で決まることになる。
だから、利用者からその都度[つど]利用料金を取って経営する政治機関にしなければならない。[[10498] 税金をなくすことができるか?☆ h22.7.5 を参照。]
とにかく『身分制はまちがっている』から、身分制のない社会を作らなければならない。今でも身分制をやっている政府がまちがっているのだから、国民は政府と戦って政府を倒さなければならない。これまで人類は正義のために戦ってきたのだから、これからもそうしなければならない。それが人類の宿命なのだ。

[10603] 三島由紀夫はどうして国会に殴[なぐ]り込みをかけたか?
国民が政府に抵抗しても無駄だということを国民に教えるために政府が三島由紀夫にやらせたパフォーマンスである。切腹は「自分が悪い」ということだから、政府に逆らった者が悪いことの宣伝にほかならない。
浅間山荘事件や小林多喜二虐殺事件もその類[たぐい]の事件である。
政府はまちがっている身分制と嘘[うそ]の民主主義で持っているひよわな会社なので、時々テコ入れをしないと潰れてしまうのである。
それで、ときどき政府が自殺志願者にパフォーマンスをやらせているのだ。[作家は“作り事をする者”だから、政府が作家に芝居をやらせることが多いのだろう。作家は現実嫌いが多いから、いつも死にたい気持ちでいるのだろう。]
実際には、国民が政府に抵抗しても無駄ではない。だからこそ、政府が必死になってその反対のことを国民に教えようとしているのだ。

[10604] どうして国民は政府の命令を聞くのか? h22.7.24
古来より国民が政府の命令を聞いてきたからである。
しかし、それは身分制のためである。身分制では、政府は国民よりも身分が高いので、国民は政府の命令を聞かねばならなかったのである。昔の人は身分制を正しいと信じていたから、国民は自分の命を犠牲[ぎせい]にしてでも政府の言うことに従った。だから、政府は国民から死ぬほどお金を奪って大儲けできたのである。
しかし、今では、身分制はまちがいだと考えられている。今では『身分制のない社会』が人間社会の真の姿だと考えられている。
今では政府は身分制呆[ぼ]けした時代遅れの役立たずの会社にすぎない。
だから、もはや国民は政府の命令を聞いてはならないのである。

[10605] 政府は存在してはならない。 h22.7.24
政府は自分が身分制でやっていることに対して民主主義的な理由をつけることによって、国民に政府が民主主義でやっていることだ(つまり、国民のためにやっていることだ)と思わせて、国民を政府の命令に従わせている。
政府は国民に民主主義的な嘘[うそ]の理由を言って国民のために政治をしているふりをして、実際には身分制をやって国民を自分よりも身分が下の者として軽蔑[けいべつ]して奴隷扱いしているだけである。政府が国民に税金や国家宗教や戦争をやらせているのは、政府が身分制で国民を奴隷扱いしているからである。
しかし、身分制はまちがっている。
だから、政府はまちがったことをしている。
したがって、政府は存在してはならない。

[10606] どうして徳川家康は天皇を殺さなかったのか? h22.7.25
ローマ帝国が復活するかもしれなかったからである。
あとでローマ帝国が復活したとき、天皇がいないと日本がローマ帝国から外[はず]されて、日本政府の身分が低くなって日本で身分制がやりづらくなるので、幕府は日本における身分制を維持するために念のために天皇を殺さずに置いておいたのである。

[10607] どうしてニーチェは『神は死んだ』と言ったのか? h22.7.25
当時の世界を支配していたインドの皇帝がキリスト教が嫌いだったからである。
インドの思想とキリスト教とは馬が合わなかったので、インドの皇帝はヨーロッパにおけるキリスト教を禁止した。それで、『神は死んだ』のである。
一方、インドの思想と日本神道は馬が合ったので、インド皇帝は日本で日本神道をやるように命じたのである。
インド皇帝は宗教の好き嫌いに関わらず、インドを除く全世界の人々に戦争をやらせたのである。

[10608] どうして税金は高いのか? h22.7.25
政府が「身分制」を使っているからである。
身分制では、身分が高い者が低い者に対して何でも命令できるので、政府が国民から死ぬほどお金を奪えるから、税金が高くなるのである。[政府は国家宗教の命令以外にも国民に命令している。その例が、税金と戦争である。政府は国家宗教の命令以外にもいろんな命令を国民に出しているのだろう。つまり、国家宗教の命令は政府の命令の一部にすぎないのである。だから、政府は神の身分が高いのではなく自分の身分が高いことを使って国民に命令を出しているのである。国家宗教の命令は、身分の高い政府が身分の低い国民に嫌がらせをするために出しているのである。心ない人間が動物を虐[いじ]めて遊ぶのと同じことである。奴隷になるのが好きな人が虐められて喜んでいるだけである。馬鹿な国民が、政府が本当は『身分制』で国家宗教をやっているのに、政府が身分制を隠すために考えた国家宗教に対する“嘘の民主主義的な理由付け”に騙[だま]されて、国家宗教が自分にとって得になることだと思い込まされているのである。戦争が本当は『身分制』で政府が国民にやらせたことなのに、政府が「外国を占領すれば国民の暮らしが豊かになる」と言って国民に戦争をさせていたのと同じことである。税金が本当は『身分制』で政府が国民からお金を取っていることにすぎないのに、政府が「国民の幸福な暮らしを守るために政府は日夜懸命に働いている」と言って国民を騙[だま]して国民に税金を払わせているのと同じことである。(下図参照。)
身分制がなければ、『仕事の報酬』の考えだけになるから、その仕事に見合う合理的な料金が設定される。
だから、たとえ将来政治機関が国民全員から料金を強制的に取ることになっても、少なくとも今の税金よりは安くなるはずだ。
しかし、国民全員から料金を強制的に取ることは合理的ではないと考えれるから、やはり利用者だけからその都度[つど]料金を取ることになるだろう。どうしてもうまく行かなければ保険制のようになるだろう。
とにかく『身分制はまちがっている』から、身分制を使ってはならない。身分制を使わないようにしながらうまく行く方法を探[さが]さねばならない。政府のようなまちがった「身分制」を使ってボロ儲[もう]けをするふざけた会社は現代社会にはふさわしくない。


[10609] どうして国民は政府に従ってきたのか? h22.7.25
これまで国民が政府に従ってきたのは、政府が無条件に偉いからではなく、『身分制』があったからである。
身分制があったから、身分制の下[もと]では政府は国民よりも身分が高かったから、国民は政府に従ってきたのである。
しかし、今では身分制はまちがいだと考えられている。だから、身分制は無効である。
したがって、今後は国民は政府に従わない。国民に命令を出すしか能[のう]がない政府は何もできずに滅びるしかない。
これまで身分制があったのは、身分制が好きな国民が自主的に政府に従ってきたからである。今度はそんなふざけた態度は慎[つつし]まねばならない。
政府が自分の命令に従わない国民を罰することができたのは身分制があったからである。[政府にとって民主主義は嘘[うそ]にすぎないから無視してよい。]しかし、今では身分制が無効である。だから、今の政府は自分の命令に従わない国民を罰することができないのである。つまり、今は身分制がない時代だから、国民が政府の命令に従わなくても罰せられることはないのである。

[10610] なぜ政府は川野教を密[ひそ]かにやっているのか? h22.7.26
戦後は身分制が弱くなって、政府も国民も公[おおやけ]に身分制がやれなくなったからである。
そんな状況で政府が川野教(国家宗教)をやるためには、政府は川野教を密かにやらざるを得ないのである。
戦前に政府や国民が神武天皇教を公にやっていたのは、戦前は身分制が強かったからである。[戦前も戦後も政府が国民に国家宗教でやらせていることは同じである。戦後政府は国民に国家宗教の命令を出して犯罪をさせているが、戦前も政府が国民に国家宗教の命令を出して犯罪をさせていたのである。昔は身分制が強かったから、昔は今よりももっと派手[はで]に政府が国民に犯罪をやらせていたのである。[例えば、『二条河原の落書』に記されている犯罪は、当時の政府が国民に命令してやらせたことである。興味のある方は他[ほか]にも自分で調べてみるといいだろう。]]
戦後の政府は自分が国民から税金を取るためにどうしても『身分制』をやらねばならず、ひとたびやってはいけない身分制をやってしまった以上、やけくそになってついでに国家宗教もやっているのである。[そのうち戦争も起こりかねない。]
国民としては、戦後公[おおやけ]に身分制をやらなくなったから、政府は国民から税金を取らずにおとなしくなくなって欲しい。
政府がなくなった後に、民営の(つまり税金制でない)法治会社を建てればいい。これが一番スッキリしていい。
身分制をやっていいかいけないかは多数決で決めることではなく、理屈で決まることである。理屈では身分制はまちがっている。[[10517]や[10556]を参照。 ]だから、政府はいちいち国民の顔色を伺[うかが]わずに、スパッと身分制をやめるべきである。

[10611] 「今の日本がいい。」 h22.7.26
国民みんなは今の日本に満足している。
国民みんなは「今の日本がいい」と言う。
しかし、そもそも今の日本がいいのは、今の日本では『身分制』が弱まっているからである。
戦前は身分制が今よりも強かったから、政治家(政府の中にいる身分の高い人。国会議員とは違う。)の生活だけがよくて、国民の生活は今よりも悪かった。
身分制とは、身分の高い者が身分の低い者に嫌なことを命令してやらせることであって、身分の高い者が身分の低い者の役に立つことはない。だから、身分制は国民にとって不利なだけである。国民がいくら政府の命令を聞いても政府が国民を出世させてくれることはない。政府は身分制で国民に命令を出しているのであって、身分制には報酬の概念がないから、政府は国民に報酬を与える必要がないからである。国民は只[ただ]で政府の命令を聞かされているだけである。[政治家が国民に命令するとき、たとえ政治家が「あとでよくしてあげるから」と言ったとしても、その言葉は嘘[うそ]である。身分制は身分の違いによって身分の高い者が身分の低い者に命令しているだけであって、報酬がないのが原則だから、国民が報酬を当てにして命令を聞いても実際には何もないのである。今は身分制のない時代だから、そもそも国民が政治家の命令を聞く必要はないのである。国民が報酬を当てにして政治家の命令を聞こうとするのが悪いのである。政治家は頭の中で「騙[だま]されるほうが悪いんだ」と思っているにちがいない。/宗教界も身分制で持っている世界である。だから、宗教界でも信者がいくら幹部の命令を聞いても幹部が信者を出世させてくれることはない。]
身分制が強まると悪い国になり、身分制が弱まるといい国になる。だから、日本をいい国にするためには、日本から身分制をなくせばいい。そのためには、国民から税金を取って国民に国家宗教や戦争をやらせる政府をなくして、民営の法治会社を建てねばならない。

[10612] まちがいはまちがいだ。 h22.7.26
まちがいを言い訳[いいわけ]して正当化してもしょせんまちがいである。
身分制はまちがいである。
だから、政府が身分制でやっていることにいくら民主主義的な嘘の理由をつけてもしょせんまちがいである。
政府はまちがっている。まちがいを実在の世界の中でやることは悪いことである。
政府は見苦しい言い訳をせずにさっさと潰[つぶ]れろ!

[10613] 今の世界には帝国はない。 h22.7.26
身分制では、「この世にピラミッド型の人間間の支配従属関係がある」と考える。そして、世界中の人間をピラミッドの枠組[わくぐみ]に入れて各人の身分の高さを決める。[たぶん、各人の身分の高さはインチキで決めたのだろう。昔は盟神探湯[くがたち]で有罪か無罪かを決めていたように、身分の高さもインチキな方法で決めたのだろう。ひとたび身分の高さが決まったら、あとは血縁で子孫に身分の高さが受け継がれていくだけである。]
ピラミッドの頂上にいる人が世界で一番身分が高い者(世界皇帝)である。
世界で一番身分が高い者が住んでいる国が帝国本国である。
世界で一番身分が高い者は一般には血縁で子孫に身分が受け継がれるが、ときどき他の家系に交代することがある。そうやって、ローマ帝国がヨーロッパ帝国に、ヨーロッパ帝国がインド帝国に交代して来た。
世界大戦以前は身分制が強くて公[おおやけ]に身分制がやれたから、世界地図にも帝国本国がはっきりと記されていた。
しかし、世界大戦以後は身分制が弱くなって公に身分制がやれなくなり、政府や国民が密[ひそ]かに身分制をやるようになった。たとえ今の世界に帝国本国があったとしても、密かに存在しているだけで世界地図には帝国本国が記されていない。[私は今の帝国本国がどこの国かは知らない。帝国本国があるかないかも知らない。]
世界大戦後は身分制が弱くなって世界で一番身分の高い者がいなくなり、帝国本国もなくなってしまったのだろう。今では、世界中の国で国内的に身分制をやっているだけである。つまり、世界中の国で、身分の高い人が政府に就職して身分制を使って身分の低い国民にいろんな命令を出しているのである。
とにかく、今では身分制はまちがいだと考えられている。ピラミッドの枠組が外[はず]れたら、みんながバラバラになって身分の高さが決まらなくなる。だから、今どき身分が高い人なんかがいてもしかたがない。空威張[からいば]りをしている人なんてかえってみっともないだけだ。
今では身分制が薄れすぎて、身分制をやってもやらなくても変わらない。だから、いっそのこと身分制をやめてしまったほうがいい。そのほうが、物事がはっきりしていい。

[10614] 地位と身分 h22.7.26
仕事で有能な者に高い地位を与えることは日常的によく行われている。
しかし、地位で得られた権限をあちこちに広げることはよくない。
それでは、俗悪な身分制と同じである。
仕事で得た地位は節度を守って使わねばならない。

[10615] 政府はまちがっている。 h22.7.26
政府は身分制でやっていることに民主主義的な嘘の理由を付けて民主主義でやっているかのように見せ掛けている。
で、身分制はまちがっている。
だから、政府がまちがっている。
したがって、政府はなくならねばならない。
ちなみに、国会は「政府が民主主義をやっている」(つまり、「政府が国民のために仕事をやっている」)と国民に思わせるためにあるだけである。[市役所も「政府が国民のために仕事をやっている」と国民に思わせるためにあるだけである。実際には、政府の大部分は国民のために仕事をせずに、ただ机[つくえ]に座ってじっとしているだけである。]
だから、国会も政府といっしょになくなればいい。[市役所もなくなればいい。]

また、よっぽどの大金持ち以外は強盗が襲わない。だから、普通の国民は警察がなくなっても心配は要らない。

[10616] 政府はどうして偉いのか? h22.7.26
身分制があるからである。
身分制の下[もと]では、政府が国民よりも身分が高いので、政府が国民よりも偉いのである。
だから、反対に、身分制がなければ、政府は偉くもなんともないのである。
今では、身分制がまちがいだと考えられている。だから、政府は偉くないのである。国民はもはや政府に従わなくてもいいのである。

[10617] 身分制がなくなると世の中が正しくなる。 h22.7.27
世界中の人類がピラミッド型の人間関係をしているとは考えられない。
たとえ日本だけで考えてみても、ピラミッドは当てはまらない。なぜなら、身分制ではピラミッドの頂上にいる者が他人に何でも命令できることになるが、実在の人間社会に“他人に何でも命令できる者”がいるとは考えられないからである。
だから、身分制はまちがっている。身分制をなくさなければならない。
身分制がなくなれば、身分の高い者がいなくなる。
すると、もはや身分の高さによって他人に命令することができなくなる。[今どき“身分の高さ”で他人に命令する者もいないと思うが。]
そこで、他人に命令するためには『正しいこと』を言うしかなくなる。
すると、世の中が『正しいこと』で動くようになり、世の中が健全になる。世の中が健全になると、人類が幸福になる。[人間は実在に近づくほど幸福であり、実在から離れるほど不幸である。だから、身分制がなくなって、世の中が正しいことで動くようになると、人類は幸福になる。[[4959]を参照。]]
反対に、身分制があると身分の高い者が身分の低い者に何でも命令できるから「まちがったこと」でも命令できて、世の中が不健全になって、人類が不幸になる。例えば、身分制があると、政府が国民に税金や国家宗教や戦争の命令をして国民が不幸にされる。身分制があると人類は不幸になる。だから、身分制をやめねばならない。

[10618] 知覚による立法 h22.7.27
人間は心よりも頭(知覚)によらねばならない。
人間の才能は知覚にあるからである。
人間が他の動物を支配できたのも、人間に知覚があるからである。
民主主義は大衆人間主義であり、心による立法である。
自然主義は知覚主義であり、知覚による立法である。
知覚は実在が見えているが、心は実在が見えていない。
これからの立法は民主主義ではなく自然主義によらねばならない。法律は国会議員ではなく社会学者が作らねばならない。
そもそも民主主義は「政府が国民のために仕事をしている」と国民に思わせるためのイカサマである。だから民主主義は早くなくなったほうがいい。[ただし、民主主義を反身分制の意味で使う場合はOKである。]

[10619] 日本人の取り柄[とりえ] h22.7.27
日本は物ではなく言葉の文化である。
だから、日本人は眼よりも頭がいいのである。
日本がアジアや世界を制[せい]してきたのは、日本人が頭がいいからである。
日本人の取り柄は大切にしなければならない。
日本人は概念が見える民族である。
だから、日本国民は政府のトリックに騙[だま]されてはいけない。

[10620] 会社の事務はふざけるな! h22.7.27
身分制はまちがっているから無効だ。政府はないも同然だ。
今月から税金がなくなったから、今後は毎月ボーナスが出るはずだ。
さっそく自分の車を新車に買い換えた者もいるかもしれない。
しかし、実際には今月も先月と給料が同じだ。
それは、会社の事務が軟弱[なんじゃく]だからだ。軟弱で政府に逆[さか]えないからだ。
会社の事務は口先で「会社の利益」と言うだけで、本気で会社の利益を考えていない。
そんな事務なんかいても無駄だ。さっさと首にしろ!

[10621] 政府の原理は三権分立ではなく身分制である。 h22.7.27
政府は身分制をやる会社である。政府は身分制でやっていることに民主主義的な嘘の理由をつけて民主主義でやっているかのように見せかけているだけである。[民間宗教の場合にも、政府の場合と同じように“民主主義的な嘘の理由”を付けて信者の機嫌[きげん]を取っておいて信者に身分制で嫌なことをさせているのだろう。]
身分制では、身分の高い者が身分の低い者に嫌な命令を出すだけで、身分の高い者が身分の低い者の役に立つことがない。
政府は身分が高くて、国民は身分が低い。
だから、政府は国民に嫌な命令を出すだけで、政府は国民の役に立つことをしない。
したがって、国民にとって政府は要らない。
今日では身分制はまちがっていると考えられている。だから、政府はなくならねばならない。
社会科の教科書には、政府の三権分立の図各省庁の組織図が描[か]かれているが、それらはすべて嘘である。[最近の三権分立の図には天皇の出番がない。私が高校生の頃(今から30年ぐらい前)は必ず天皇が出ていた。]
政府の正体は身分制をやる会社である。政府は、身分制が禁止されている現代においていまだに身分制をやっている。政府は、税金や国家宗教や戦争などのように民主主義の世界にないことをやっている。反対に、政府は、政府の命令を聞いた者に報酬を与えないように民主主義の世界にあることをやっていない。
政府だけが現代社会の摂理[せつり]から外[はず]れたことをやっている。だから、政府はなくならねばならない。


[10622] 暇[ひま]があっても私のような政治学は出来ない。 h22.7.28
私は私の政治学を完成させるまでに約3年半の時間を費[つい]やした。[[10572]を参照。]
しかし、これまでに私の他[ほか]にもそれぐらいの時間をかけられる人は大勢いたはずである。
しかも、政治はポピュラーな話題だから、私の他にも政治について考えた人はたくさんいたはずである。
しかし、私はこれまでに『戦後の政府が身分制をやっている』ことを書いた本をまったく読んだことがない。
だから、たとえ暇があっても私のような政治学は他人には出来ないのである。
私の政治学は私にしか出来ない。
このチャンスを逃したら、今後1000年待っても私のような政治学は現れないかもしれない。

[10623] どうして政府は警察と組んでいるのか?☆ h22.7.28
昔は身分制が正しいことだと考えられていた。
一方、警察も正しいことだと考えられていた。
政府はその名の通り“政”すなわち正しさを取り締[し]まる“府”すなわち機関だから、政府が身分制と警察の両方をやっていたのである。だから、政府の中に警察が入っているのだ。[警察は身分制が出来る前から日本にすでにあった。身分制が日本に伝わったとき、日本に身分制をやる機関として政府が出来た。その後政府が大きな機関になって警察を取り込んだのである。]
しかし、今では警察は正しいことだが、身分制はまちがったことだと考えられている。
だから、正しさを取り締まる機関としての政府は身分制をやってはならないのである。
政府は身分制をやめて、民営の警察や立法機関やその他の機関に代[か]わらねばならない。[警察は政府が出来る前からあったから、警察の民営化は原理的には可能だと考えられる。政府が出来なければ、警察は政府の付属機関とならずに、最初から今までずっと民間で経営されてきたのだ。]
[平成22年7月29日追記)身分制がなければ、政府が出来ず、税金も国家宗教も戦争もなかったのだ。人類は古代の学者にとんだまわり道を食わされたものだ。]

[10624] 政府は有罪である。 h22.7.28
政府にとって民主主義は嘘である。政府は身分制でやっていることに民主主義の嘘の理由をつけて民主主義でやっているように見せかけているだけである。例えば、日本国憲法もそのようにして出来ている。[日本国憲法は大日本帝国憲法をより民主主義的に言い換えただけである。つまり、今の日本国憲法は大昔の身分制の法律を民主主義の嘘の理由をいっぱい付けて民主主義っぽく言い換えて作ったものである。ちょうど戦争が、実際には政府が身分制を使って国民に殺し合いをさせることなのに、政府が「外国を占領すれば豊かな暮らしができる」と言って国民を戦わせるのと同じことである。つまり、政府にとって大事なのは納税の義務について記した日本国憲法第30条だけであって、その他の条項は憲法第30条から身分制臭さを消すためにあるだけの民主主義の嘘にすぎないのである。だから、今の日本国憲法から憲法第30条を除けば、ほぼ完全な民主主義の憲法が出来るのである。つまり、日本政府は『身分制』を民主主義の言い訳[いいわけ]で固めまくって出来た政治機関なのである。]
政府の正体は身分制をやる会社である。政府は身分制を使って国民に命令して、国民から税金を取ったり、国民に国家宗教や戦争などをさせたりしている。
ところが、今の時代は身分制がまちがいだと考えられて、身分制が無効である。
だから、政府は国民からお金を強盗したり、国民を殺したり傷つけたりしている犯罪者にほかならない。
したがって、政府は現代の法律に違反しており、政府は有罪である。政治家(政府の中にいる身分が高い者)は当然死刑だ。

[10625] 非ユークリッド幾何学 h22.7.28
憲法第30条はまちがいである。
憲法第30条の否定が人間社会についての正しい命題である。
ユークリッド幾何学の第5公準を否定した非ユークリッド幾何学のほうがむしろ実在の世界に当てはまるのと同じことである。
だから、日本国憲法の第30条を否定した“非日本国憲法”に基づいて日本の社会を作らなければならない。

[10626] 信者の誤解 h22.7.28
信者は日本政府について詳[くわ]しいから、信者は日本政府が身分制を使って国民に税金や国家宗教や戦争をさせていることを知っている。
ただし、信者は身分制が正しいことだと思っている。信者は身分制が正しいから、政府がやってもいいことをやっているのだと思っている。[つまり、信者とは神や国家宗教を信じる者のことではなくて、身分制を信じる者のことである。]
しかし、実際には身分制は正しくない。「人間社会にピラミッド型の支配従属関係がある」というのはまちがいの作り事である。身分制は古代の学者が考え出した余計なまちがいである。古代の学者は実在の人間社会にないことを考え出してしまったのである。昔の人がオバケや幽霊を考え出したのと同じことである。
だから、政府のやっていることはまちがいである。政府のやっていることは許されないことである。
信者は、そこのところを誤解しているのである。
政府は身分制を使ってやってはいけないことをやっているから、必ず民主主義の嘘の言い訳で繕[つくろ]わなければならないのである。

[10627] 信者の身分 h22.7.28
信者とは、政府が作った国家宗教の命令を特別に聞く者のことである。例えば、信者は国家宗教の命令でビルの高いところから飛び降りたり、飛行機や列車を運転して墜落事故や脱線事故を起したりする。
信者の身分は普通の人間以下である。
なぜなら、信者は政府が作った国家宗教の命令を聞かねばならないが、普通の人間は政府が作った国家宗教の命令を聞かなくてもいいからである。[政府が作った国家宗教の命令を聞いても身分が上がるわけではない。しかも報酬もない。信者は『身分制』が正しいと信じているから、政府が国家宗教で作った命令に自分の好き嫌いに関わらず従っているのである。身分制では、身分の低い者は身分の高い者の命令を聞くのが務[つと]めだから、信者は何の見返りも求めずにひたすら政府の命令に従わなければならないのである。
国家宗教においては、信者が政府よりも身分が低いだけで、信者以外の普通の人間には国家宗教的な身分はないのである。つまり、[たとえ政治的には普通の人間は政府より身分が下であっても、]国家宗教的には普通の人間は政府と同じ身分なのである。
今は身分制がまちがいだと考えられている。まちがいを信じる者など人間の恥[はじ]だ。

[10628] 日田[ひた]と湯布院[ゆふいん] h22.7.28
BSフジ『全国百線鉄道の旅』の「みどりの特急 ゆふいんの森に乗って 久大[きゅうだい]本線」を見た。ゆふいんの森号は途中日田駅と湯布院駅に停[と]まる。
日田も湯布院もヨーロッパに習って作られた町である。
日田は江戸時代にヨーロッパを真似[まね]て作られた町で、湯布院は戦後にヨーロッパを真似て作られた町である。
昔の人は心でわかったことを日本にある物を使って表現したが、今の人は眼先と手先で上っ面[つら]を真似るだけだ。
私は湯布院よりも日田が好きだ。

[10629] 日本は面白本位 h22.7.29
日本は面白本位の国である。
だから、日本ではマンガや小説のような「面白さを書いた文」が売れる代わりに、私の作文のような『真理を書いた文』は売れないのだ。
日本がヨーロッパのような真理主義の国だったとしたら、私の作文が売れて私が儲[もう]かったかもしれないのに。
日本もローマと同じように人間主義すなわち心主義の国なのではないだろうか?日本人にとっては真理よりも自分の心のほうが大事なのだろうか?
だからこれまで誰も政府のことについて真剣に考えずに何だかわからないままだらしなく政府の命令に従って税金を払い続けたり国家宗教をやり続けたりしているのだ。

[10630] どうして人間は神に従わねばならないのか? h22.7.29
身分制があるからである。
政府が身分制を使って国家宗教で神に因[ちな]んだ命令を作って国民に出しているから、国民は神に従わねばならないのである。[国家宗教の命令を作ったのは神ではなく政府だから、実際には国民は神ではなく、神に因んだ命令を作った政府に従っているのである。]
一般に、国民が政府に従わねばならないのは、身分制があるからである。政府が国民よりも身分が高いから、国民が政府の税金や国家宗教や戦争などの命令に従わねばならないのである。
しかし、身分制はまちがいである。だから、国民は政府に従わなくてもいい。
政府が国民から税金を取っているかぎり政府は身分制をやっていることになる。だから、政府は国民から税金を取るのをやめねばならない。逆に、国民が政府に税金を払っているかぎり国民は身分制をやっていることになる。だから、国民は政府に税金を払うのをやめねばならない。

[10631] 民主主義に税金はない。 h22.7.29
身分制なら、国民が政府に税金を払わねばならない。
民主主義なら、国民は政府に税金を払わなくていい。[民主主義なら、利用者がその都度[つど]料金を払うからである。[10498] を参照。[10623]も参照。つまり、身分制が生まれなければ、政府は出来ず税金もなく、すべての会社が民営だったのだ。]
だから、今の世の中が民主主義なら、国民は政府に税金を払わない。
これまで国民が政府に税金を払い続けてきたのは、国民が世の中が身分制だと思っていたからである。
しかし、最近私が身分制がまちがいであることを証明したから[[10517]や[10556]を参照。]、もはや国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。[政府がどうしても身分制があると言い張るなら、その根拠を示さねばならない。]
『身分制は税金の母』だから、身分制がなくなれば税金もないのだ。
政府も政府の付属機関もみんな身分制に乗っかっているから全滅である。

[10632] うさぎとかめ h22.7.30
自分が正しいことに満足して自分で考えようとしない者よりも、
自分が正しいことに満足せずつねに自分で考えようとする者のほうが先に進むことができる。
そもそも正しいかどうかは相対的なものであり、正しいことにはかぎりがなく、考えて行けばいくらでも正しくすることができるので、すぐに自分が正しいことに満足する者には大[たい]した者がいない。
自分の正しさにこだわる者よりも、いつも自分で考え続ける者のほうがいい。

[10633] 新しい原理 h22.7.30
普通の人はテレビや新聞でおなじみの国会の観点から政府を捉[とら]えて『政府が民主主義の政治機関である』と考えているが、
私は自分が国家宗教の神にされていることから出発して考えて、国家宗教の観点から政府を捉えて『政府が身分制の政治機関である』ことを明らかにした。
夜空の星の動き見て、天動説か地動説かのふたつが考えられるが、惑星の動きを説明しやすい地動説を真理としたように、
政府のやっていることを見て、政府が民主主義の政治機関か身分制の政治機関かのふたつが考えられるが、国家宗教を説明しやすい身分制の政治機関を真理としたのである。
私が発見した原理のほうが、政府を正確に理解することができる。
今では身分制がまちがいだと考えられているから、政府はもうじき滅ぶだろう。もうすぐ身分制のない人間社会が実現するのだ。
政府がなくなれば国家宗教による事件もなくなって、私の説が正しいことが証明されるだろう。
政府が身分制を弱めて身分制がなくなるのを待つよりも、無から新しく身分制のない法治会社を作ったほうが、身分制のない社会の実現が早い。だから、早く国民で法治会社を作って政府を捨てよう。
政府が仕事をやめれば、それに合わせて国民もやり方を変える。政府は国民にとって要らない仕事をやっているだけである。だから、政府はなくなってもいい。

[10634] 身分制とは何か? h22.7.30
人間には身分の高い人間と身分の低い人間の2種類の人間がいる。身分は血縁で子孫に受け継がれる。[君主(身分が一番高い者)は必ずしも必要ではない。身分の高い者と身分の低い者の2種類の人間がいさえすれば、とにかく身分制はできる。]
身分の高い人間は身分の低い人間に対して何でも命令できる。身分の低い人間は身分の高い人間の命令に必ず従わなければならない。
政府は、身分の高い人間が身分の低い人間に命令を出すために作られた機関である。
政府は、身分の低い国民に対して、税金や国家宗教や戦争などの命令を出している。国民は自分がいくら損であっても、ひたすら政府の命令に従わなければならない。[民間宗教も身分制で出来た組織であって、幹部は身分が高く信者は身分が低いので、信者はいくら自分が損であってもひたすら幹部の命令に従わねばならない。世の中には自分がお金を出してでも他人の命令に従いたい変わった者(ロボットになりたい人間)がいる。その者たちのために民間宗教があるのだ。(何も知らない者は幹部が信者に偉そうに命令を出しているのを見て、宗教に入れば自分の身分が上がって他人に命令できるようになると勘違いするかもしれない。しかし、じつは信者が幹部の命令に従いたいだけであって、宗教に入っても他人に命令できるようになるわけではないのだ。)他人の命令に従いたい者は例外者であって、普通の人は他人の命令に従いたくない。昔の人が身分が上の者の命令に従っていたのは、身分制が正しいと思っていたからであって、けっして本心ではないのである。/外国は政府と教会が分離しているので、外国の国家宗教は日本の民間宗教と同じだと考えればよい。]
古代から近世にかけては、みんなが身分制を正しいと考えていたので、政府は開けっぴろげに身分制をやっていた。
しかし、近代以降は、みんなが身分制をまちがいだと考えるようになったので、政府は民主主義で偽装[ぎそう]しながら身分制をやるようになった。
政府は今でも身分制をやっている。
身分制は古代の学者が考え出したまちがった社会理論である。
政府はまちがった身分制をやるためにある機関である。
だから、政府は滅ばなければならない。

[10635] どうして女は気分が落ち込むのか? h22.7.30
社会的に女に押し付けられた役割りがある。
それらの役割りは人間的に面白くないものばかりであって、それらの役割りを守っていると心が落ち込んでくるのだ。つまり、人間は知覚が働くと気分が高揚し、五感が働くと気分が落ち込むように出来ている。女は五感の仕事ばかり押し付けられているから、気分が落ち込みがちなのだ。例えば、女は化粧をするから心が落ち込むのだ。
だから、女は自分の心が落ち込まない程度に、それらの役割を守らなければならない。守りすぎは心の毒だ。女は男よりもほんの少しだけ五感的であればいいのだ。
要するに、人間は男も女も自分が面白いと思うことをすればいいのだ。

[10636] 盟神探湯[くがたち]のトリック h22.7.30
お風呂[ふろ]を沸かすときに、お風呂の上の方だけ熱くて下のほうがまだ冷たい水のことがある。
だから、盟神探湯[くがたち]をするときに、釜[かま]の水をかき混ぜずに沸かすと上の方だけ熱くなるが、釜の水をかき混ぜながら沸かすと全体が熱くなる。しかも、見かけの上では両方とも上の方から湯気[ゆげ]が出ているから両者を区別できない。
上の方の水だけ熱くなった釜に手を入れても熱くないが、水全体が熱くなった釜に手を入れると熱い。
こうして、盟神探湯[くがたち]で都合のいい者だけを有罪にすることができる。
昔の人は、 盟神探湯[くがたち]で身分の高さを決めたのかもしれない。
最近盟神探湯[くがたち]がやられなくなったのは、盟神探湯[くがたち]のトリックがばれてしまったからだろう。

[10637] どうして国民は政府に税金を払っているのか?☆ h22.7.30
戦後は身分制が廃止になった。国民は身分制に従う必要がなくなった。
だから、今の国民が政府に税金を払っているのは、国民が政府に税金を払いたいからである。[[10634]の中頃にある補足を参照。]
つまり、今は国民が自由に政府に税金を払うか払わないかを決めていいのである。
だから、政府に税金を払いたくなくなれば、払わなければいいのである。自分が政府の命令に従いたくなければ、従わなければいいのである。

[10638] 昔と今の違い h22.7.30
昔は身分制が通用したから、政府の身分の高い政治家が身分の低い国民に「だれそれを殺せ!」と命令して国民がだれそれを殺しても無罪で済[す]んだ。政治家も国民も両方とも無罪で済んだ。国民みんなもそれで納得した。
しかし、今は身分制が廃止されているから、政府の政治家が国民に「だれそれを殺せ!」と命令して国民がだれそれを殺したら有罪になる。政治家と国民の両方とも有罪になる。国民は他人に従いたい欲望が強いだけで精神異常者ではなく、政治家はその国民が他人の命令に従うことを知っていて命令したのだから、両方とも有罪である。身分制が廃止されたら、政府はもはや民間の宗教団体となんら変わらない。

[10639] 国民はなぜ政府に従っているか?☆ h22.7.31
国民がいまだに「身分制が正しい」と信じているからである。
国民が「身分制が正しい」と信じているから、いくら自分が損になってもひたすら自分よりも身分が高い政府の命令に従っているのである。江戸時代の町人[ちょうにん]のように、役人のいじめに一途[いちず]にじっと耐えているのである。
しかし、私がこの前『身分制がまちがいである』ことを証明した。[[10517]や[10556]を参照。]
だから、今後は国民は政府に従う必要はない。国民は政府の税金や国家宗教や戦争の命令に従わなくてかまわない。
身分制は古代の学者が考えたまちがった社会理論である。政府はまちがった身分制をやるためにある会社である。政府は本来この世に生まれて来るべきではなかった会社である。[[10623] を参照。]だから、政府は早くこの世からなくならねばならないのだ。

[10640] 国民はなぜ政府に従っているか?(その2)☆ h22.7.31
戦後の今は身分制がない。だから、今の国民が政府に従っているのは、国民が政府に従いたいからである。[[10637]を参照。]
しかし、身分制ではいくら国民が政府に従っても国民にとって損になるだけで得になることがない。
それなら、国民は政府に従いたくない。だから、国民は政府に従わなければいいのである。
政府は国民にとっていい会社ではない。身分制がなければ政府はただのクズだ。

[10641] どうして国会は国民のためにならない法律ばかり作っているか? h22.7.31
それは、国会が政府の付属機関だからである。
政府は身分制をやる機関なので、国民の役に立とうとしない。
国会は政府と組んでいるから、国会も国民の役に立とうとしない。
それで、国会は、国民の役に立たない国民を損にする法律ばかり作っているのである。
法律は政府の付属機関である国会よりも社会学者が作るべきである。

[10642] 政府は国民のためにあるのではない。 h22.7.31
国民が政府に従っているのは、国民が「政府が国民のためにある機関だ」と勘違いをしているからである。
しかし、これまで国民が政府に従ってきたのは、国民が『この世に身分制がある』と思っていたからであって、政府が国民の役に立っているからではない。
身分制では、国民がひたすら政府に従わねばならないだけであって、政府が国民の役に立つことをしない。
ところが、私がこの前身分制がまちがいであることを証明した。[[10517]や[10556]を参照。]だから、国民が『この世に身分制がある』と思っているのは誤解である。
もちろん、『政府は身分制をやるためにある会社だ』から、政府が国民の役に立つことはない。
だから、国民はもはや政府に従わなくてもいいのである。

[10643] どうして国民は政府に従っているか? h22.7.31
国民が政府に従うのは、国民が「政府が国民のためにある機関だ」と思っているからである。
しかし、実際には、『政府は身分制をやるためにある会社』であって、政府は国民にとって損になる税金や国家宗教や戦争の命令を出すだけであって、政府は国民の得になることをしない。
だから、国民が「政府が国民のためにある機関だ」と思っていることはまちがいである。
あるいは、国民が政府に従うのは、国民が「この世に身分制があって、国民は身分が高い政府に従わねばならない」と思っているからである。
しかし、身分制は古代の学者が考え出したまちがった社会理論であって、この前私が身分制がまちがっていることを証明した。[[10517]や[10556]を参照。]
だから、国民が「この世に身分制があって、国民は身分が高い政府に従わねばならない」と思っていることもまちがいである。
したがって、国民が政府に従う理由はない。
したがって、国民は政府に従わなくてもいいのである。国民が政府に従うことがまちがいであって、国民が政府に従わないことが正しいのである。

[10644] 政府はどうしてこれまで経営することができたか? h22.7.31
政府がこれまでやってこれたのは、これまではみんなが身分制が正しいと思っていて、国民は自分が嫌なのを我慢[がまん]して身分が高い政府の税金の命令に従って、政府に税金を払ってきたからである。
けっして、政府が国民の役に立つことをしてきたからではない。政府は身分制をやるためにある会社だから、政府は国民の損になる命令を出すだけで、政府は絶対に国民の得になることはしないからである。要するに、身分制とは、国民が損をして政府が得をする制度である。身分制の下[もと]では、国民は一方的に損をするだけである。
しかし、この前私が身分制がまちがっている証明をした。つまり、身分制はまちがっている。だから、国民は政府を無視してもいいのだ。国民は政府の税金の命令に従わず、政府に税金を払わなければいいのである。だから、今後は政府は経営できずに潰[つぶ]れるしかないのである。
この世は正しいかまちがっているかがすべてである。身分制はまちがいである。政府は身分制をやるためにある会社である。だから、政府は潰れるしかない。
これまでは身分制が正しかったから、国民は政府に従って政府を残してきた。しかし、これからは身分制がまちがいだから、国民は政府に従わず政府を潰[つぶ]さなければならない。

[10645] どうして国民は政府に従っているか? h22.7.31
政府は身分制をやるためにある会社である。政府は自分が国民よりも身分が高いことを理由にして、国民に税金や国家宗教や戦争などの命令を出している。政府は民主主義の冗談を言うだけで、実質的には身分制をやっている。
だから、国民が政府に従うのは、国民が身分制を正しいと思っているからである。
国民が身分制を正しいと思わなければ、国民は政府の身分制ごっこに付き合う必要がないからである。
実際には、身分制はまちがっている。
だから、国民は政府に従わないのが正しいのである。
昔の国民が身分制が正しいと考えていたから自分がいくら嫌でも政府に従ったように、今の国民は身分制がまちがいだと考えているから自分がいくら嫌でも政府に逆[さか]らわねばならない。
政府は昔も今も身分制をやる会社である。昔はみんなが身分制を正しいと考えていたが、今はみんなが身分制がまちがいだと考えている。だから、昔はみんなが政府に従わねばならなかったが、今はみんなが政府に逆らわねばならないのだ。政府を取り巻く状況が昔と今では正反対なのだ。

[10646] 役立たずの会社 h22.7.31
政府は身分制をやる会社である。
身分制では、身分の高い政府が身分の低い国民にとって損になる税金や国家宗教や戦争などの命令を出すだけで、政府は国民の得になることをしない。[村祭りは身分制がないからみんなが楽しいが、国家宗教は政府が身分制でやっていることだから政府にとっては得だが国民にとっては損なだけである。国家宗教は政府にとって楽しいだけで国民にとっては嫌なだけである。昔の国民は「身分制が正しい」と考えていたから自分が嫌なのを我慢して政府に従っていただけである。つまり、人間は自分の損得で動くものではなく、自分が正しいかまちがいかで動くものなのである。]
だから、政府は国民にとって役立たずの会社である。
昔はみんなが身分制を正しいと考えていたから国民が自分が嫌なのを我慢して政府に従ったから政府のような役立たずの会社でも生き残れたが、今はみんなが身分制をまちがっていると考えているから国民は自分が得にならないかぎり政府には従わないから政府のような役立たずの会社は生き残れない。
身分制がなければ、国民が政府に従う義務はない。だから、国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由である。今は政府に従いたい国民だけが政府に従っているのである。だから、国民が政府に従いたくなければ、政府に従わなくてもいいのである。

[10647] 民間宗教とは何か? h22.7.31
政府の真似[まね]をしている民間団体のことである。
だから、民間宗教では、幹部は信者に対して身分制を使っていろんな命令を出す。例えば、幹部が信者からお金を取ったり、幹部が民間宗教の神に因[ちな]んだ命令を作って信者に出したり、幹部が信者に人殺しの命令を出したりする。つまり、民間宗教の命令は、民間宗教の神に因[ちな]んだ命令だけではないのである。幹部は身分制を使って信者に対してありとあらゆる命令を出すのである。
ただし、民間宗教は国民の自由意志で入信するのである。つまり、信者は自分が幹部の奴隷になりたいから入信するのである。世の中には“他人に従う喜び”が強い者がいるから、そういう者が“他人に従う喜び”を満足させるために民間宗教に入るのである。つまり、民間宗教とはマゾヒストの会である。私は民間宗教は悪いこととは思わない。

[10648] 身分制のストライキ h22.7.31
政府を倒すのは難しくはない。
国民みんなが身分制のストライキをやればいいのである。つまり、国民みんなが政府の命令を無視して政府の命令に従わなければいいのである。
そうすれば、政府は身動きが取れなくなってすぐに潰[つぶ]れる。命令するだけが取り柄[とりえ]の会社が命令できなくなれば何もすることがなくなって潰れる。政府が潰れれば、民主主義の世界が実現する。
国民は税金が儲[もう]かって一石二鳥だ。

[10649] 『身分制』は政府のたったひとつの支えである。 h22.7.31
身分制では、身分の高い政府が身分の低い国民を好き勝手にできる。身分の高い政府が身分の低い国民に一方的に命令できる。身分の低い国民はいくら自分が嫌であっても身分の高い政府に従わねばならない。
だから、身分制は、政府にとっては得だが国民にとっては損である。身分制は政府にとって楽しいだけで国民にとっては嫌なだけである。
昔の国民は「身分制が正しい」と考えていたから、自分が嫌なのを我慢して政府に従っていただけである。
反対に、今の国民は「身分制がまちがいだ」と考えているから、自分が嫌なら正直に政府に従わなければいいのである。
『身分制』が政府のたったひとつの支えである。世界大戦後は身分制が滅びたから、政府は崩壊しなければならないのである。
政府におとなしく従い続けている国民のほうがむしろ意地悪[いじわる]だ。国民が政府に従うかぎり政府が生き残り、この世から身分制がなくならない。この世に身分制があるかぎり、政府が身分制を使って国民を嫌な目にあわせ続ける。だから、国民は政府に従うのをやめて、早く政府を潰して、民主主義の世界を実現しなければならない。

[10650] 不完全民主主義 h22.8.1
今の社会は不完全民主主義である。
政府は民主主義の冗談を言って、じつは身分制をやっている。国民や民間会社は政府の民主主義の冗談に騙[だま]されて政府の言いなりになって政府といっしょに身分制をやっている。
つまり、今の社会は実質的には江戸時代の頃と同じ身分制社会なのである。
政府は身分制をやる会社である。
しかし、身分制はまちがっている。身分制は古代の学者が考えたまちがった社会理論であり、本来身分制は生まれて来なければよかったのだ。身分制が生まれなければ、政府が出来ず、政府が出来なければ人間社会は税金も国家宗教も戦争もない平等で平和な社会のままだった。人間社会は平等で平和な状態を保ちながら順調に発展できたはずだ。
早く政府を倒して、身分制のない完全な民主主義の社会を作らねばならない。
今後の世界では、政府があるのが後進国で、政府がないのが先進国となるだろう。

[10651] 政府が悪い。 h22.8.1
今は民主主義の世の中である。
しかし、政府だけが今なお身分制をやっている。
だから、政府が悪い。
したがって、政府をなくさなければならない。
戦前は身分制が正しいとされていたから、政府が国民に税金や国家宗教や戦争をさせることが正しかったが、戦後は身分制がまちがいとされているから、政府が国民に税金や国家宗教や戦争をさせることはまちがいなのである。
身分制は昔から国民にとって損である。ただ、昔の国民は「身分制が正しい」と思っていたから、じっと我慢[がまん]をしていただけである。今の国民は「身分制がまちがっている」と思っているから、我慢をしなくていいのである。つまり、昔の国民は政府に従わねばならなかったが、今の国民は政府に従わなくてもいいのである。

[10652] 他人の誤解で儲[もう]ける仕事 h22.8.1
霊媒師[れいばいし]は1回数千万円のお金をもらって悪霊に取り付かれた者から悪霊を除霊する。
しかし、実際には悪霊なんかはいない。私の『実在哲学第一原理』によれば、脳から離れた精神だけの存在はありえないからである。
霊媒師は「この世に悪霊がいる」という他人の誤解を利用してお金を儲ける仕事である。
それと同じように、政府は「この世に身分制がある」という国民の誤解を利用してお金を儲ける仕事である。
実際には、この前私が証明したように、もともとこの世には身分制はない。[[10517]や[10556]を参照。]
だから、国民が政府に従わなければいいのである。
昔の迷信を信じて損をしているなんて愚[ぐ]の骨頂[こっちょう]だ。

[10653] 他人の誤解で儲[もう]ける仕事(その2) h22.8.1
政府は「政府が民主主義の政治機関である」という国民の誤解を利用してお金を儲けている。
実際には、政府は身分制の政治機関である。
政府は自分が国民よりも身分が上であることを使って国民から税金を取って、国民にとって損になる国家宗教や戦争などの命令を出すだけの機関である。政府の仕事は身分制をすることだから、自分が国民に対して威張[いば]るだけで、政府は国民の役に立つことを何もしない。国民が政府の命令を聞けば聞くほど、国民は損をするのである。昔の国民は「身分制が正しい」と考えていたから、いくら自分が損であっても我慢[がまん]して政府に従っていたのである。とうてい、政府は民主主義の政治機関ではありえない。そもそも、民主主義の政治機関が国民から一方的に強制的に税金を取ったりするはずがない。民主主義の政治機関なら、民間会社と同じように利用者だけからその都度[つど]料金をもらって仕事をするはずである。政府の付属機関である警察も消防も学校もそのようにして民間で経営できるはずである。しかし、政府にお金を払って国家宗教や戦争などの命令を出してもらう国民はいないから、政府は民間で経営できないだろう。つまり、政府は最初から国民のためにある会社ではないのである。それはつまり、政府が身分制をやる会社であることの証拠である。政府が国民に国家宗教や戦争などの命令を出していたのは、政府が身分制で出鱈目[でたらめ]な仕事をやっていただけのことである。
しかも、身分制は今日[こんにち]ではまちがいだと考えられている。だから、政府が身分制を使って国民に命令してはならない。
だから、「政府が民主主義の政治機関である」と誤解していた人は、政府に税金を払わなくていい。政府の命令を聞かなくてもいい。

[10654] 今の国民はまちがっている。 h22.8.1
身分制が正しければ、政府は国民に命令できる。
反対に、身分制がまちがっていれば、政府は国民に命令できない。
戦前は身分制が正しかったが、戦後は身分制がまちがいになった。
だから、今の政府は国民に命令する資格はない。
戦前までずっと政府は身分制で国民に命令してきた。
だから、戦後に身分制がなくなれば、政府は国民に命令できないはずである。
したがって、国民は政府に従わなければいい。[たとえ戦後に政府が残っても、戦後に身分制がなくなれば、戦後は国民は政府に従わなくてもいい。特に、この前私が身分制が成り立たないことを証明したから[[10517]や[10556]を参照]、今後は国民は政府に従わなくてもいい。
今の国民はまちがって政府に従っているだけである。
まちがいは直さなければならない。
今は身分制がない時代である。あるのは『正しさ』だけである。
だからこそ、なおさらまちがいを直さねばならない。

[10655] 日本国憲法とは何か?☆ h22.8.2
人権の概念は身分制の中でも出来[でき]る。
国民に人権があると考えても、身分制とは矛盾しない。
それは、身分の高い者が身分の低い者の人権を侵[おか]すことはかまわないが、身分の低い者同士が人権を侵すことはいけないと考えればいいからである。
実際に、個々の人権は、身分制のある社会の中で徐々[じょじょ]に作られて来たのである。
だから、日本国憲法は国民の人権を保障しているけれども、だからと言って必ずしも民主主義(反身分制)の憲法とは言えないのである。つまり、政治家(政府の中にいる身分の高い者)が国民の人権を侵すことは許されるのである。[だから、これまで政治家が国家宗教や戦争などの命令を出してさんざん国民を殺して来たのである。]
しかも、納税の義務を記した憲法第30条は明らかに身分制を表している。だから、日本国憲法はじつは“身分制の憲法”なのである。
日本国憲法は日本政府が身分制で作った憲法なのである。
だからこそ、私が身分制がまちがっていることを証明した今となっては[[10517]や[10556]を参照]、日本国憲法は無効なのである。[ただし、日本国憲法から身分制を除いたものは正しいから、それは守らなければならない。/ちなみに、日本国憲法第1章には天皇の特権が記されているけれども、だからと言って天皇の身分が高いわけではない。政治家が日本国憲法で天皇の特権を定めただけであって、政治家がいなければ天皇には特権がない。天皇は政治家によってはじめて特権階級になることができる。だから、天皇自身が身分が高いのではなく、天皇は身分が高い政治家によって特権階級の者とされているにすぎないのである。しかし、私がこの前身分制がまちがっていることを証明したから、政治家はもはや身分が高くなく国民と同じだし、天皇ももはや特権階級ではなく一般庶民と変わらないのだ。政府は国民よりも身分が高くないから、政府が国民に命令を出すことはできないのだ。

[10656] どうして国民は政府に税金を払っているか?☆ h22.8.2
国民が「身分制が正しい」と思っているからである。[国民が実際にやっていることから逆算するとそうなる。つまり、国民は無意識のうちに「身分制が正しい」と思っているのだ。国民が政治家が国民を殺していることを知っていても文句を言わないのは、心の奥で「身分制が正しい」と思っているからである。]
国民は「身分制が正しい」と考えているから、身分が高い政府の税金や国家宗教や戦争などの命令におとなしく従っているのである。
しかし、この前私が『身分制がまちがっている』ことを証明した。[[10517]や[10556]を参照]
だから、今後はもはや国民は政府の命令に従わなくてもいいのである。
身分制は古代の学者が考え出した“まちがった社会理論”である。まちがいは修正しなければならない。だから、国民は政府の命令に従ってはならない。『政府のない社会』こそが人間社会の真の姿なのだ。

[10657] 大企業と政府の違い h22.8.2
民間の大企業は人気で強い。
政府は身分で強い。
ところが、身分制はまちがっている。
だから、大企業は強いが、政府は強くない。
政府は余計な邪魔者だ。

[10658] なぜアニメ会社は潰[つぶ]れたか? h22.8.2
アニメ会社が政府の命令で作ったアニメが売れなかったからである。
アニメ会社は政府からお金をもらってアニメを作っているのではなく、政府の命令でアニメを作らされているだけなので、作ったアニメが面白くなくて売れなければ倒産するのである。つまり、政府はアニメ会社に命令を出すだけで、金は出さないのだ。
政府はアニメ会社よりも身分が上なので、作らせたアニメが売れなくても責任を取らない。[第2次世界大戦の損害も、政府は国民の責任にして自分の責任にしなかった。]
一般に、民間会社にとって政府は国家宗教などで余計な命令を出すだけで役に立たない。
ところが、身分制はまちがっている。だから、民間会社には政府の命令に従わねばならない義務はない。
だから、民間会社は政府に従わなければいい。
身分制に従って損をするよりも、身分制に逆[さか]らって得をするほうがいい。
科学のために幽霊がいないと思われるようになったように、科学のために身分制が通用しないと思われるようになったので、近世以降は身分制が徐々[じょじょ]に弱まって来ていたのである。そして、私がこの前身分制が成り立たないことを証明したから、今後は身分制はいっさい通用しない。だから、政府が身分制を使って国民や民間企業に命令を出すことはできない。つまり、今後は国民や民間企業が政府の命令を聞かなくていいのである。

[10659] 身分制が成り立たないことの証明 h22.8.3
人間社会においては、劣った者は優れた者に従わなければならない。
人間が優れているか劣っているかは、人間をひとつの“尺度”で測ってはじめて決まる。
ところが、人間を測る尺度はたくさんある。無数にある。
だから、人間が優れているか劣っているかの評価もたくさんある。無数にある。ひとつの才能においてAがBより優れていてBがAに従わなければならなくても、別の才能においてBがAより優れていてAがBに従わなければならないことがある。つまり、人間社会はいろんな尺度によってそれぞれの支配従属関係が決まっていて、人間社会はいろんな支配従属関係が交錯[こうさく]して複雑に出来ているのである。
だから、単純に人間を身分で区別して身分の高い人間が身分の低い人間を支配するように人間の支配従属関係を決めることはできない。人間社会はそんなに単純には出来ていないのである。
だから、身分制は成り立たないのである。
[他にも証明があるかもしれない。暇な人は考えてみられたい。/残念なことに、日本には個人の才能を活かせる環境がない。政府が“身分”で人間を測って人間を身分が高い人か低い人かを決めるように、日本には“わけのわからない尺度”で人間を測って人間をいい人か悪い人かに決める習慣がある。もっと個人を才能で見る習慣が日本になければならない。]

[10660] 先進国には政府が2つある。 h22.8.3
先進国は政教分離である。つまり、政府と教会が分かれている。
教会は政府とは別の『身分制』を持っている。教会も政府と同じように身分制を使って国民にいろんな命令を出している。国家宗教に限らず、ありとあらゆる命令を出している。[[10647]を参照。]
要するに、外国は先進国だから、政府が2つあるのである。国民は2つの政府に命令されて、さぞかし忙[いそが]しいだろう。
日本は政府がひとつしかなくてよかった。

[10661] 人間は正しいことしかやれない。☆ h22.8.3
人間は正しいことしかやれない。政府も人間だから、たとえ政府であっても正しいことしかやれない。
戦前は「身分制が正しい」と考えられていたから、政府は平気で命令を出して国民を殺す(つまり戦争をさせる)ことができたのである。国民も政府には文句を言わなかった。
戦後は「身分制がだいぶまちがいだ」と考えられるようになったから、政府は密[ひそ]かに命令を出して国民を殺すようになった。国民も政府にはまだ文句を言わない。もはや政府が国民に戦争をさせることはできなくなった。
さらに、この前私が『身分制がまちがっている』ことを証明したから、今後は政府は絶対に身分制をやってはいけない。政府はヤクザではないから、政府は正しいことしかやれないから、まちがった身分制はやれない。今度政府が身分制を使ったら、国民は政府に文句を言うだろう。
私の哲学日記を読む人が多ければ多いほど政府が身分制をやりづらくなる。だから、みんなに私の哲学日記(特に、[10659] の身分制が成り立たないことの証明)を読むように勧[すす]めよう!

[10662] 幽霊と身分制 h22.8.3
「幽霊がいる」と信じる者は霊媒師[れいばいし]に高いお金をやって悪霊を除霊してもらうが、『幽霊がいない』と信じる者は霊媒師なんか相手にしない。
それと同じように、「身分制がある」と信じる者は政府の命令に従うが、『身分制がない』と信じる者は政府の命令に従わない。
今では『幽霊がいない』ことや『身分制がない』ことは証明されている。
したがって、誰も霊媒師なんか相手にしないし、誰も政府の命令に従わない。

[10663] 戦争の原因は身分制だけではない。 h22.8.3
戦争は身分制によって起こるとは限らない。
将来、自国が生き残るために他国の資源を強奪[ごうだつ]するために戦争が起こるかもしれない。
そうならないためにも、今から省エネ省資源を心がけよう。

[10664] どうして政府は国家宗教で国民を殺すのか? h22.8.4
それが『正しい』ことだからである。
『正しい』ことはやってもいいからである。
政府が国家宗教で事件を起して国民を殺しても政府は1円も儲[もう]からないが、身分制においては身分の高い政府が国家宗教で身分の低い国民を殺すのは『正しい』ことだから、政府はやってもいいと考えて国民を殺しているのである。
政府はその名の通り“正しいことを取り締まる(←政)機関(←府)”なので、正しいことしかしないのである。まちがったことはしないのである。
昔は「身分制が正しい」ことだと考えられていたので、政府が身分制を使って国家宗教や戦争などで国民を殺すことが『正しい』ことだったので、政府は『正しい』ことを理由にして国民を殺してきたのである。人間には正しいことをする習性があるので、政府はそうしてきたのである。政府は“正しいことを取り締まる機関”なので、政府は国民に正しいことのお手本を示すために国家宗教や戦争などで国民を殺してきたのである。
しかし、世界大戦後は「身分制がだいぶまちがいだ」と考えられるようになって政府は国民を殺すのを控[ひか]えめにしてきたし(現[げん]に戦争は起こっていない)、この前私が『身分制がまちがいである』ことを証明したから[[10659]を参照]、今後は絶対に政府は身分制を使って国家宗教や戦争などで国民を殺してはならない。

[10665] どうして私は自分の考えを本にしないのか? h22.8.5
日本で売れる本は正しい本ではなく、マンガや小説などの面白い本である。
私は正しいことを書いただけである。
だから、私が本を書いても売れないのである。
したがって、私は本を出さないのである。
日本人がもっと正しいことを大事にしていれば、私は本を出したかもしれない。

[10666] なぜ政府は国家宗教をやっているのか? h22.8.5
歴史的伝統のためである。
日本各地に祭りはあるが、祭りをやらねばならない理由があってやっているのではない。
昔から祭りをやっているから、今でも祭りをやっているだけである。
それと同じように、政府は江戸時代を除いて昔から国家宗教をやってきたから、今でも国家宗教をやっているのである。
政府は身分制をやってきたから、そのひとつの例として政府は国家宗教をやって、国民に神に因[ちな]んだ命令を出して実行させてきたのである。
政府は身分制をやる機関なので、政府は国民に命令を出すのが仕事だから、神に因んだ命令を作って国民に出してきたのである。信者に命令して殺人事件を起してきたのである。
政府は歴史的伝統に則[のっと]って国家宗教をしてきただけであって、政府が国家宗教をやらねばならない論理的必然性は何もない。[私は個人的には歴史的伝統にこだわるのは好きではない。だから、祭りも好きではない。私は祭りのようなどうでもいいことにハマる奴[やつ]は好きじゃない。まぁ、祭りが好きな人もいるだろうから、祭りを禁止せよとまでは言わないが。]
そもそも現代では身分制がまちがいだと考えられている。だから、政府はどうでもいい国家宗教なんかやっている暇があったら、今後の自分の身の振りについて真剣に考えたほうがいい。国民も祭りがやりたければ、政府を潰[つぶ]してからあとでやればいい。

[10667] 政府は身分制をやる機関である。《まとめ》 h22.8.5
政府は身分制をやる機関である。
政府は国民よりも身分が高いので、国民に対して税金や国家宗教や戦争などの命令を出している。
政府は身分制でやっていることに民主主義的な理由をつけて国民を騙[だま]している。[[10592]の中ほどを参照。 ]
ところが、今では身分制はまちがいだと考えられている。[[10659] を参照。]
だから、国民は政府の命令に従わなくてもいい。国民は政府を無視して生きて行けばいい。

[10668] 国家宗教の神は実在しない。 h22.8.5
キリスト教は、昔世界で一番身分が高かったローマ皇帝が作った宗教である。当時は世界中のみんなが身分制を信じていて、ローマ皇帝が世界で一番身分が高かったから、ローマ皇帝以外の者がローマ皇帝に逆[さか]らって勝手に宗教を始めることはできなかったからである。ローマ皇帝がキリスト教を作って、ヨーロッパの人々に無理やりキリスト教をやらせていたのである。身分制は論理的に突っ込まれると弱いので[[10659] を参照]、ローマ皇帝は身分制を保護するために人々を馬鹿に変えるために人々に無理やり国家宗教をやらせたのだろう。[国家宗教は人間を馬鹿に変えるためにあるのだから、馬鹿になりたくなければ国家宗教をやってはならない。ヨーロッパに教会をたくさん建てねばならなかったのは、それだけヨーロッパ人が賢いからである。]
ところが、キリストは実在しない。なぜなら、キリストは超能力が使えたが、『超能力者が実在するはずがない』からである。つまり、キリストは架空の人物である。
キリスト教以外の国家宗教も、昔世界で一番身分が高かったローマ皇帝がキリスト教に倣[なら]って外国に作らせたものである。
だから、他の国家宗教の神も実在しないと考えられる。つまり、他の国家宗教の神もすべて架空の人物である。
ただし、神のモデルになった者は実在したかもしれない。
もっとも、現代の国家宗教の神である私は実在する。実在しない人間が考えたり言葉を書いたりすることはできないからである。

[10669] 民間宗教とは何か? h22.8.5
外国では政教分離である。つまり、教会が民営化されている。
外国の教会が民営化されているのに生き残っているのは、教会が政府とは別の身分制を使って国民から税金(宗教税)を取っているからである。
外国の教会も政府と同じように身分制を使って国民に国家宗教に限らずいろんな命令をしているのである。国民に損をさせているのである。
日本の民間宗教も外国の教会と同じようなものである。
日本の民間宗教も政府と同じように身分制を使ってお金を儲[もう]けている。
日本の民間宗教は政府のように直接国民からお金を取ることはないが、何らかの方法でお金の流れに介入することによって儲[もう]けているのである。[マゾヒストの会では、マゾヒストがあまりいないから儲からないと考えられる。[10647]を参照。]つまり、民間宗教は自分の身分が高いことにして身分制を使って卸業者[おろしぎょうしゃ]などに「お金を出せ」と命令してお金を取って儲けているのである。民間宗教は、“身分制を信じる者”に対しては命令が効[き]くので、こんなやり方で儲けることができるのである。[“身分が高い”ことに定義なんかないから、誰でも自分の身分が高いことにできるので、民間宗教は自分の身分が高いことにして身分制を使っているのである。霊媒師[れいばいし]の資格がないので誰でも霊媒師になれるのと同じことである。“身分制を信じる者”が大企業の社長だったりすることがある。政府も同じ手が使える。]“身分制を信じる者”が民間宗教にお金をやった分だけ商品の値段を上げるから、結局損をするのは末端の消費者である国民であることになる。
しかし、この前私が身分制が成り立たないことを証明した。[[10659] を参照。]
だから、今後は政府も民間宗教もやっていけないのである。政府や民間宗教などの身分制で持っている会社は潰[つぶ]れるしかないのである。[同じように、外国の国家宗教(教会)もやっていけず、潰れるしかない。]

[10670] キリスト教とは何か? h22.8.6
キリスト教を信じれば、人間が死んだ後で天国で幸福に暮らせるようになると言うことである。
だから、人間が生きている間は政府や教会の命令に従って苦しく暮らさねばならないのである。
西洋には死後の世界の概念があるが、日本には死後の世界の概念がない。
だから、日本では、マンガや小説などの作り話で幸福に暮らして、現実の世界では政府の命令を聞いて苦しく暮らさねばならないのである。
どこの国でも、政府や教会がある限り、現実の世界では国民は苦んで暮らさなければならないのである。だから、国民が幸福に暮らすためには、政府や教会をなくさなければならないのである。

[10671] 書き方は人それぞれ h22.8.7
私には私の書き方がある。
他人には他人の書き方がある。
私がいくら私の書き方でうまく行ったからといって、他人が私の書き方の真似[まね]をしてもうまく行くとは限らない。
私が私の書き方でうまく行くのは、私が子供の頃から分裂気質[きしつ]だからである。脳全体が『知覚優位』に働いているから、私のような知覚的な書き方になるのである。
だから、他人が私の書き方の真似をしても“付け焼刃”[やきば]になる恐[おそ]れがある。かえって、脳全体の働きを損なう恐れがある。
人間には、知覚的な書き方や、感情的な書き方や、五感的な書き方などがある。例えば、宮本武蔵の『五輪の書』は知覚的に読んでも意味がわからないが、宮本武蔵には実績があるから“何か”を書いていることには違いない。知覚的な読み方とは違う読み方で読めば意味がわかるかもしれない。だから、知覚的な書き方や読み方を絶対視してはいけないのである。
人間は、自分に一番合った書き方をするべきであって、他人の書き方を真似るべきではない。
私の書き方は、私が長年自分で日記を書くことによって培[つちか]われたものであって、けっして他人の真似ではない。だから、他人も自分で日記を書くことによって自分自身の書き方を発見すればいい。

[10672] 頭のいい人間を活かす社会制度を作ろう。 h22.8.7
他人に言いたがる者には、頭のいい者がいない。
他人に言いたがらない者に、頭のいい者が多い。
そのため、巷[ちまた]には、どうでもいいことを書いたくだらない本ばかり売られている。
他人に言いたがらない者を他人に言いたい気にさせる社会制度を設[もう]けねばならない。
そうすれば、みんなが自分で頭を使って考えるようになって、ますますいい社会になる。

[10673] 日本は役立たず馬鹿の国だ。 h22.8.7
日本には役に立つ仕事がない。
日本にはどうでもいい仕事しかない。
日本には眼先手先でする仕事しかない。
日本人みんなが役立たず馬鹿の国で役立たず馬鹿な仕事をしているだけだ。
日本人に生まれたら一生死ぬまで役立たず馬鹿な仕事をしなければならない。
日本人は何も役に立つ仕事をせずにただ無難[ぶなん]に自分の生活費を稼[かせ]いで飯[めし]を食って歳を取って死ぬだけだ。まるで独活[うど]の大木のようだ。
日本人がいくらあくせくして汗水流して働いても、根[ね]は怠慢[たいまん]である。頭で考えないから、そのぶん身体を動かしているだけだ。本質的には何の努力もしていない。

[10674] 仕事の給料 h22.8.7
仕事の給料は、その仕事をした者が生きるために与えるのである。
仕事の給料は、仕事そのものに与えるのではなく、その仕事をした人間に与えるのである。
仕事の給料は、仕事そのものの価値ではなく、仕事をした人間の価値である。
だから、自分で考えた者に給料をやらずに、他人の考えを書き写す者に給料をやってはならない。
いくら他人の考えを書き写す者がいても、自分で考える者がいなければ、新しい考えは出来ないからだ。
出版社も書き手がいなければ本が出来ずに儲[もう]からない。
だから、出版社が書き手よりも威張[いば]るのはおかしい。本を機械で大量生産するよりも、原稿を書くほうが難しいから、出版社は書き手に対して威張ってはならない。

[10675] 特許 h22.8.7
いくら特許を取っても、自分で工場を建てて物を作らなければ金にはならない。
特許は他人の真似[まね]を封[ふう]じるためにあるだけだ。
それと同じように、いくら新しい考えがあっても、自分で出版社を建てて本を作らなければ金にはならない。
著作法は他人の真似を封じるためにあるだけだ。
幸い、日本は『言葉の国』だから、特許には甘くても著作法には厳しい。

[10676] 暴力団はいけないが政府はいい。 h22.8.8
暴力団は法律を犯す。
政府も法律を犯す。
暴力団がいけないとされているのは、暴力団が身分が高くないからである。
政府がいいとされているのは、政府が身分が高いからである。
暴力団と政府の違いは身分が高くないか高いかの違いである。つまり、政府とは身分が高い暴力団である。
しかし、そもそも身分制はまちがいだから、最近は政府もいけないとされている。

[10677] 多数決はいいかげんである。 h22.8.8
多数決は根拠がなくても強引に物事を決める方法である。
多数決では議員が起立しさえすればまちがったことでも決めることができる。
文化祭のクラスの出し物は多数決で決めてもいいが、
大事な法律をいいかげんな多数決で決めるな!
法律はもっと論理的にきちんと決めて欲しい。

[10678] 暴力団とは何か? h22.8.8
暴力団とは、政府とは別の身分制で出来た組織である。
昔は身分制が正しいと考えられていたから、暴力団が身分の低い国民を自分の好き勝手にすることができたのである。暴力団が自由に国民からお金(ショバ代)を取ったり、国民を殺すことができたのである。
しかし、今は身分制がまちがいだと考えられているから、暴力団の身分制は認められなくなっていて、暴力団も一般の国民と対等になっているのである。
暴力団が逮捕されるようになったのは、身分制がなくなっている証拠である。
暴力団も民間宗教と同じように、“身分制マニア”(いまだに身分制が正しいと信じている人)からお金を取って儲[もう]けているのかもしれない。

[10679] 政府よりも国民のほうが強い。 h22.8.8
政府にとっては身分制があったほうが有利である。
それなのに、身分制は年々なくなって来ている。
それは、国民が身分制をまちがいだと考えるようになって来たからである。
身分制があるかないかは人類みんなで決めることであって、政府だけで決められることではない。

[10680] 民間宗教とは何か? h22.8.8
暴力団の別名である。
暴力団では人聞きが悪いので、ソフトなイメージにするために名前を変えて民間宗教と言っているのである。
だから、民間宗教も暴力団と同じように、政府とは別の身分制を使って身分の低い国民を自分の好き勝手にしている。
民間宗教にとって神とか宗教とかは自分の正体を隠すための隠れ蓑[みの]にすぎず、その実体は『身分制』を使う団体にすぎないのである。民間宗教は暴力団と同じように身分制を使って国民からお金を取ったり国民を殺したりする団体なのである。[民間宗教や国家宗教の信者は、暴力団の組員と同じである。暴力団の組員が組長の命令で動くように、民間宗教の信者は幹部の命令で動き、国家宗教の信者は政治家の命令で動くのである。]
しかし、今は身分制がまちがいだと考えられているから、民間宗教の身分制は認められなくなっていて、民間宗教も一般の国民と対等になっているのである。
民間宗教が逮捕されるようになったのは、身分制がなくなっている証拠である。
民間宗教や暴力団が付け上がるのは、国民がおとなしく政府に従っているからである。だから、これ以上民間宗教や暴力団をのさばらせないためにも、国民は政府に従ってはならない。国民が政府に従わないことが、身分制全般を滅ぼすことになる。[今では一般の国民は民間宗教や暴力団の命令に従わないから、民間宗教の信者や暴力団の組員が民間宗教の幹部や暴力団の組長の命令に従わねばならないだけである。つまり、民間宗教や暴力団の内部で身分制があるだけである。国家宗教についても同じことが当てはまる。つまり、一般の国民は政府の国家宗教の命令に従わないから、国家宗教の信者が政府の政治家の命令に従わねばならないだけであり、国家宗教の内部で身分制があるだけである。だから、民間宗教や暴力団や国家宗教に入ったからといって、自分の身分が上がるわけではないのである。[民間宗教や暴力団や国家宗教に入って自分の身分が上がったのは、みんなが身分制を正しいと考えていた世界大戦までである。戦前はみんなが自分の身分の高さを確保するために何らかの宗教団体に入っていた。だから、宗教団体は儲かっていた。]今では国家宗教の信者が自分の意思で国家宗教に入っているだけである。だから、政府の身分制も実際にはなくなっているのだ。“身分制マニア”(今どき身分制が正しいと思っている時代遅れの人)が国家宗教(つまり政府)や民間宗教や暴力団の言いなりになって金を取られたり殺されたりしているだけなのだ。]


[10681] 身分制は国民のためにあるのではない。 h22.8.8
昔は身分制が強かったから国境を跨[また]いで身分制が通用した(つまり、人類全体で身分制をやっていた)が[それでも、日本は帝国本国ではなかったから日本は下っ端[したっぱ]の国にすぎなかったから、日本は帝国本国の命令に従わされて損をしただけだった。]、今は身分制が弱いから国境を跨いで身分制が通用するほどのことはない。今は世界中の国で国内で身分制をやっているだけである。だから、今の世界には帝国本国がないのである。
だから、今では身分制で得をするのは政府だけであって、国民ではない。
「身分制は国民のためにある」と言うのは、政府が自分を有利にするために身分制を保護するためについた嘘[うそ]である。国民は政府の嘘に騙[だま]されてはいけない。

[10682] コンビニ万引き事件について h22.8.8
少し前に、コンビニで万引きをした男がレジの店員にマヨネーズを掛[か]けて逃走して捕まった事件があった。
犯人は政治家の命令で万引きをしたのだろう。そうでなければ、わざわざ店員にマヨネーズを掛けて逃走したりするはずがない。そんなことをすれば、かえって店員が頭に来て全力疾走[ぜんりょくしっそう]になるだけだ。[マヨネーズは卵が原料で、卵は白くて光るから神武天皇の光の玉の喩[たと]えであり、店員にマヨネーズをかけることは神武天皇に“因[ちな]んだ”犯罪なのである。ちなみに、私は小学3年生のときに友達といっしょに近所のスーパーで万引きをしたことがある。だから、コンビニで万引きをすることは、国家宗教の神である私に“因んだ”犯罪である。]
その犯人は有罪になったから、今ではたとえ政府でも逮捕されるようになったと言うことである。
だから、今では政府の身分制も認められていないのである。今ではすべての身分制が認められなくなったのである。したがって、国民は政府の税金や国家宗教や戦争などの命令に従わなくてもいいのである。

[10683] 梶井基次郎『檸檬』[かじいもとじろう、れもん] h22.8.9
『檸檬』の主人公が古本の上にレモンを置いたのは、日本がヨーロッパよりも上だということである。古本がヨーロッパの、レモン(←神武天皇の光の玉)が日本の喩[たと]えである。
日本がこれから戦争で戦おうとする敵国よりも上だということである。
当時のインド皇帝がヨーロッパよりも日本贔屓[びいき]だったから、梶井基次郎は当時の社会の雰囲気を読んで日本がヨーロッパよりも上だと思ったのである。
しかし、実際には日本はヨーロッパやアメリカに負けた。
さすがのインド皇帝も、いざとなれば日本をヨーロッパやアメリカよりも有利にすることはできなかったのである。いくらインド皇帝でも、世界の先進国のヨーロッパやアメリカを敵にまわすことはできなかったのである。いくら世界で一番身分が高い皇帝でも、世界が完全に自分の思い通りになるわけではなかったのである。
身分制がこの世のすべてではない。だから、いくら身分制でもできることには限界がある。だから、たとえ世界で一番身分が高い皇帝でも、一国の国民全員を皆殺しにする命令などは出せないのである。

[10684] 身分制は社会のためにあるのではない。 h22.8.9
身分制があっても、身分の高い者が身分の低い者からお金を取って身分の低い者に国家宗教や戦争のような何にもならないくだらない命令を出すだけである。要するに、政府はバカ殿である。[政府をバカ殿と思わない者はよっぽどのバカである。]
身分制があると、社会がうまく行かなくなる。経済も道徳もメチャクチャになる。
だから、身分制がなくなったほうがいい。暴力団も民間宗教も政府もなくなったほうがいい。
暴力団も民間宗教も政府の真似[まね]である。政府が民間宗教や暴力団の生みの親である。だから、まず政府を倒さねばならない。

[10685] 『身分』の価値 h22.8.9
戦前はみんなが身分制が正しいと考えていたから、身分に価値があった。
しかし、戦後はみんなが身分制がまちがいだと考えるようになったから、身分に価値がなくなった。
民間宗教や暴力団や国家宗教(つまり政府)は身分を売って儲[もう]ける仕事である。例えば、国民が政府に払う税金は、毎月の自分や家族の“身分代”[みぶんだい]である。政府に税金を払わない非国民よりは、政府に税金を払う国民のほうが身分が上というわけである。つまり、人間は政府に税金を払って身分を買ってはじめて人間になるのである。[一方、人権は生まれつき人間に備わっていると考えられている。]
しかし、戦後は身分の価値が暴落したから、民間宗教や暴力団や国家宗教にわざわざお金を払って身分を買う者もいなくなった。民間宗教や暴力団や国家宗教は売る物がなくなって潰[つぶ]れてしまった。今では時代遅れの身分制マニアに使い物にならない身分を売って細々[ほそぼそ]と儲けているだけである。[暴力団が弱くなった時期と政府が弱くなった時期がほぼ一致するのは、両方とも『身分制』で出来た組織だからである。暴力団と民間宗教と政府は“名前”と“規模”が違うだけで、やっていることは同じなのだ。]

[10686] 国防会社 h22.8.9
国防会社とは、民営化された軍隊のことである。
国民が国を守るために軍隊が要ると考えていれば、国防会社にお金を払う。
国民が国を守るために軍隊が要らないと考えていれば、国防会社にお金を払わない。
こうして、国民の必要意識に合わせて軍隊の規模を調節すれば、国防会社も経営できる。つまり、軍隊も民営化できるのだ。[しょせん、日本の軍隊なんてお飾り程度だが。]日本が核ミサイルだって配備できるのだ。[侵略まで行かなければいいが。]
国民が国防会社にお金を払うか払わないかを決めることができるから、国民ひとりひとりが考えながら政治をしていることになる。国民みんなが政治家になる。政府の付属機関を民営化すれば、直接民主主義が実現される。

[10687] 政府はすでに潰[つぶ]れている。 h22.8.9
暴力団や民間宗教が一般の国民からお金を取れないのは『身分制』がなくなっているからである。
身分制がなくなっていれば、政府も国民からお金を取れない。
だから、政府は潰れている。
時代遅れの馬鹿な国民がいまだに政府に自主的に税金を払っているだけである。

[10688] 今の政府はツナギである。 h22.8.9
今の政府は、戦前の身分制の政府から未来の民主主義の法治会社へのツナギである。いっときの間に合わせである。
だから、今の政府があまり長い間政治をしてはならない。
国民は過去よりも未来を選ばねばならない。
つまり、国民は今の身分制の政府を無視して潰して、早く民主主義の法治会社が建つようにしなければならない。

[10689] 民間宗教の実体 h22.8.10
市販されている民間宗教の本に書いていることは、民間宗教が他人面[ひとづら]を良くするための宣伝[せんでん]である。
民間宗教の本に書いてあることを勉強するために民間宗教があるのだったら、民間宗教は学校と変わらない。
そんなことをやったって面白いわけがない。民間宗教に入る人がいるわけがない。
だから、民間宗教はそんなことをするためにあるのではないのである。
実際には、民間宗教は身分を売って儲[もう]けている。
民間宗教で身分を買うと、自分の身分が上がる。
身分が上がれば、身分が低い者からお金を取り放題、身分が低い者を殺し放題ができる。
それが目当てで、みんなが先を競[きそ]って民間宗教で身分を買うのである。[「宗教に入れば幸せになれる」というのは、身分の低い者から金を取ったり身分の低い者を殺したりすることの言い換えである。]
しかし、今では身分制はまちがっていると考えられて、身分の価値がなくなっている。
だから、民間宗教で買った身分はその民間宗教の中でしか通用しない。お金を取り放題、殺し放題は、その民間宗教の中だけに限られているのである。
今では民間宗教は身分が欲しい者(いまだに身分制が正しいと考えている者)に使い物にならない身分を売って騙[だま]して儲けているのである。

[10690] 暴力団は正義の味方 h22.8.10
暴力団は見るからに他人面[ひとづら]が悪い。
これでは、まるで『身分制がまちがっている』ことをみんなに宣伝しているようなものだ。
暴力団は、身分制の実体を国民に教えてくれた。
暴力団は、政府や民間宗教が裏でやっていることを表に出した。
暴力団のおかげで、政府や民間宗教の正体がわかった。
暴力団のおかげで、身分制がなくなって来ている。
暴力団はじつはいい人なのかもしれない。

[10691] みんな頭が死んでいる。 h22.8.10
人間として生まれたら、頭を使って生きるべきだ。
人間の取り柄[とりえ]は頭しかない。
人間が頭を使わなかったら、2本足で立っている動物にすぎない。
人間が頭を使わなければ、もはや人間ではない。
頭しか取り柄のない動物が頭を使わなかったら何の取り柄もない。生きる価値もない。
頭を使って物を見る人間が少ないから、政府のような見掛け倒しの偽善の会社が生き残れるのだ。
政府に従う人間は、頭で物が見えない人間だ。
『身分制がまちがった社会理論である』ことがわかれば、政府に従う人間はいないはずだ。[なぜなら、国民が政府に従うのは、政府が国民よりも“身分が高い”からである。だから、身分制がまちがっているのであれば、国民が政府に従う理由はない。身分制がまちがっていることの証明は[10659]を参照。一方、身分制が正しい証明はひとつもない。人類は古代の学者が考え出した身分制を眼先で直感的にやっていただけである。身分制はまじないや生贄[いけにえ]と同じような迷信である。生贄とは神に人間の命をささげて神に願いをかなえてもらうことである。生贄も昔の学者が考え出したまちがった理論だったのである。しかし、『神がいない』と考えられるようになったために、生贄はやらなくなった。『神がいない』ことは『幽霊がいない』のと同じように、私の哲学第一原理によって証明することができる。つまり、脳から離れて精神(つまり感覚)だけが存在することはないから、神も幽霊もいないのである。身分制も生贄もまちがいである。政府もかつての神官と同じようなイカサマ野郎なのだ。大昔の政府は生贄で出来た会社だったのだ。政府の神官が国民を支配していたのだ。未来社会では、人間がコンピューターの言いなりになり、コンピューター技師が人間から税金を取るようになるのかもしれないが。]
人間はいいかげんで馬鹿をやめねばならない。人類は2000年以上もまちがった身分制を続けてきた。もうこの辺でまちがいをやめねばならない。

[10692] 世界の3大モンスター h22.8.10
狼男は、政府が国民の見えるところと見えないところ(→昼と夜)で態度を変えることを表している。つまり、政府が国民に見えるところでは民主主義をやっているが、国民に見えないところでは身分制をやっていることを表している。
フランケンシュタインは、政府の国家宗教のやり方を表している。つまり、政府は国家宗教の神がやったいろんなことをつなぎ合わせて命令を作って信者に国民を殺させている。[平成22年8月16日追記)フランケンシュタインを作ったフランケン博士は国家宗教の命令を作っている政府の政治家のことだ。フランケン博士はフランケンに襲われるようになったから、国民が政治家を真似[まね]て国家宗教の命令を作って逆に政治家を殺すようになったのだろう。つまり、これまで政府が国民に対してやったことは、逆に国民が政府に対してやってもいいのである。たとえ今の政府が私の情報を国民に隠しながら国家宗教をしていても、とにかく政府が国民にやったことは国民が政府にやってもいいのである。]
ドラキュラは、政府の税制を表している。ドラキュラが人の血を吸うのは、政府が国民から高い税金を取ることを表している。
つまり、世界の3大モンスターはすべて政府の喩[たと]えである。
昔は身分制が正しいと考えられていたので、身分制をやっている政府をうかつに攻撃することができなかった。それで、政府をわざわざモンスターに喩えて政府を攻撃しなければならなかったのである。しかし、今は身分制がまちがいだと考えられているので、身分制をやっている政府をモンスターに喩えたりせず直[じか]に攻撃してもいいのである。

[10693] 政府は形骸[けいがい]にすぎない。 h22.8.11
政府があるのではない。身分制があるのだ。
政府は身分制に乗っかって儲[もう]けているだけだ。
政府は身分制で商売をしている店なのだ。
しかし、今では身分制がまちがいだと考えられていて、身分制はなくなっている。
だから、政府は乗っかるものがない。
今の政府には国民から税金を取れる『根拠』がない。
だから、今は政府に従いたい国民が自主的に政府に税金を払っているだけだ。
政府に従いたくない国民が政府に税金を払わなくても罰せられることはない。
身分の高い者は身分の低い者に嘘[うそ]をつくことができる。今の政府は国民に対していまだに身分制があるふりをしている。つまり、今の政府は言葉の上で身分制を使うだけであって、物の上では身分制を使わないのだ。今の政府は国民に嘘をつくことができるだけで、それ以外は何もできない。それ以上のことを政府がやると、政府が悪いことになる。[民間宗教や暴力団や政府は本質的には同じものである。みんな『身分制』で出来た団体である。[10680]の図を参照。今の民間宗教や暴力団の『身分制』を国家宗教に当てはめると、一般の国民は政府に従わなくてもいいことになる。つまり、暴力団がショバ代を取れなくなったように、政府も税金を取れなくなったのだ。つまり、暴力団がショバ代を取れなくなったのは身分制がなくなったからであり、身分制がなくなったから政府は税金を取れなくなったのである。今は身分制がないから、今の政府は偉くない。もはや国民は政府にペコペコしなくてもいいのだ。]
現代における身分制とは“その程度”のものだ。要するに、今は身分制のない時代だ。

[10694] 馬鹿が政府の支えである。 h22.8.11
人間を身体で見るような、会社を建物で見るような馬鹿が政府の支えである。
馬鹿は、政府の建物が戦前と戦後で変わらないから、国民は戦後も戦前と同じように政府に従わねばならないと考えているのである。
しかし、実際には戦前は『身分制』があったが、戦後は『身分制』がなくなったから、戦後の政府は建物だけが立派で中身が空[から]っぽなのである。戦前の国民は政府に従わねばならなかったが、戦後の国民はもはや政府に従わなくてもいいのである。
馬鹿は眼先で見るだけで頭で理屈を考えないから、戦前と戦後の違いがわからないのだ。身分制そのものは理論であって眼で見えないものなので、馬鹿は戦後に身分制がなくなったことがわからないのだ。
そんな馬鹿が戦後も自主的に政府の命令に従って政府に税金を払い続けているのだ。だから、政府は戦後すぐになくなったはずなのに、いつまで経[た]ってもなくならないのだ。
反対に、考える者にとっては、今が身分制がないことがわかる。今では国民が政府に従わなくてもいいことがわかる。考える者は真実の世界が見える。だから、自分で考えられない馬鹿は考える者の見た世界に従えばいい。

[10695] 国民の犯したまちがい h22.8.11
戦後は身分制がない。
それなのに、これまで国民が政府に従って来たのは、国民のまちがいである。
国民はもうこれ以上まちがいを犯してはならない。
これからは、国民は政府の命令を聞かずに正しくやらねばならない。

[10696] 今の政府は嘘[うそ]すらつけない。 h22.8.12
戦前は身分制があったから、政府がいくら国民の人権を侵[おか]しても政府が悪いことにはならなかった。しかし、戦後は身分制がないから、政府が国民の人権を侵すと政府が悪いことになる。例えば、日航機123便墜落事故も高知学芸高校上海列車事故もオウム真理教地下鉄サリン事件も福知山線列車事故も政府が国家宗教でやった可能性が極めて高い。[国家宗教は政府以外にやる者がいないから、政府がやったと断言してよい。]だから、政府はほぼ有罪が確定である。
戦前は身分制があったから、身分の高い政府が身分の低い国民に嘘をつくことができた。政府が本当は身分制でやったことを国民に嘘をついて民主主義でやったことにしていた。例えば、戦争は本当は政府が身分制で国民にやらせていただけなのに、政府は国民に「日本が戦争するのは国民の生活を豊かにするためだ」と言っていた。しかし、今は身分制がないから、政府は国民に嘘をつくこともできない。
これでは、政府が潰[つぶ]れるのも時間の問題だ。

[10697] 私は何のために考えているか? h22.8.12
私は正しいことがわかるために考えているのだ。
正しいことがわかっていなければ人間の恥[はじ]だ。
昔は『身分制』があったから、国民は身分の高い政府に従った。
しかし、今は身分制がないから、国民は政府に従わなくていい。
政府は身分制で儲[もう]けてきた会社だ。政府は身分制に乗っかって自分の身分が高いことにして国民からお金を取って儲けてきた会社だ。
今は身分制がないから政府は潰[つぶ]れるしかない。

[10698] 政府は有罪である。 h22.8.13
戦後は身分制がない。暴力団の身分制も民間宗教の身分制も政府の身分制もぜんぶない。
それなのに、政府はいまだに税金や国家宗教をやっている。
国民が政府に税金を払うのは、国民が自主的にやっていることだから政府が悪いことにはならない。惰性[だせい]で税金を払い続けているまぬけな国民が悪いのである。[犯罪行為とは言えないが。]
しかし、国民が国家宗教で殺されるのは、政府が信者(いまだに身分制が正しいと信じている者)を使ってやっていることだから有罪である。そもそもいまだに身分制が正しいと信じている信者が悪いが、そんな信者に国家宗教で(つまり身分制で)命令を出した政府も悪い。地下鉄サリン事件では、命令を出したオウム真理教の幹部と命令に従った実行犯の信者の両方が有罪だったから、国家宗教による事件でも、命令を出した政府の政治家と命令に従った実行犯の信者の両方が有罪である。[指名手配されているオウム真理教の幹部の顔が、私の小中学校の頃の友達と似ている。オウム真理教の教祖麻原彰晃[あさはらしょうこう]は顔が丸いから神武天皇の喩[たと]えである。一方、アーレフの教祖上祐史浩[じょうゆうふみひろ]は顔が私が中学1年生のとき高知市旭[あさひ]にあった学習塾みその学舎[がくしゃ]で英語を習った河野[かわの]先生に似ているから私の喩えである。ちなみに、私が高校生の頃放課後に友達とよく通っていた高知市帯屋町[おびやまち]中ノ橋通りにある金高堂[きんこうどう]書店の2階の参考書売り場の棚[たな]の片隅にはオウム社とアレフ社の参考書が置いてあった。つまり、オウム真理教は政府が作らせた民間宗教であって、純粋な民間宗教ではないのである。]

[10699] 今の国家宗教は民間宗教である。 h22.8.13
民間宗教とは、国民の一部が信者である宗教のことである。
ところが、今の国家宗教の信者は、いまだに身分制が正しいと信じている者であり、国民の一部にすぎない。
だから、今の国家宗教は民間宗教と同じである。
戦前は国民みんなが国家宗教の信者だったから、国民全員が政府の国家宗教の命令に従わねばならなかったが、戦後は国民のうちのごく限られた者(つまり、いまだに身分制が正しいと信じている者)だけが政府の国家宗教の命令に従うのみである。だから、今の国家宗教は名前に“国家”が付くだけで実質的には民間宗教と同じである。
[国家宗教の神である私に関する情報は一般には知られていないから、政府の国家宗教の命令が本当に国家宗教に適[かな]っているかどうかは信者にとってはわからない。だから、信者は国家宗教の命令に従うと言うよりも、政府の命令に従っているのだ。だから、信者とは国家宗教や神を信じる者というよりも、身分制を信じる者のことである。]

[10700] 民間宗教とは何か? h22.8.13
戦前はみんなが身分制が正しいと考えていたから、民間宗教は身分を売って儲[もう]けていた。
民間宗教の信者は民間宗教で身分を買って自分の身分を高くして、身分の低い国民からお金を取ったり身分の低い国民を殺したりしていた。
しかし、戦後はみんなが身分制がまちがいだと考えているから、民間宗教は自分の教団の中だけで身分制をやるようになった(局所身分制)。いまだに身分制をやりたい者が自分の意思で民間宗教に入って身分制をやって身分制のある世界に満足しているのである。つまり、身分の低い者が身分の高い者にお金を取られたり、身分の低い者が身分の高い者に殺されたりして喜んでいるのである。
同じことが暴力団や政府にも当てはまる。
だから、戦後は暴力団や政府も自分の団体の中だけで身分制をやっているのである。いまだに身分制をやりたい者が自分の意思で“暴力団や政府に入って”身分制をやって身分制のある世界に満足しているのである。
つまり、今は政府に従いたい者だけが自分の意思で“政府に入って”政府の命令に従えばいいのである。政府に従いたくない者は“政府に入らず”政府に従わなくてもいいのである。たとえ政府に税金を払っていなくても、いざとなれば10万円出せば警察に電話して警察に来てもらえるのだ。[政府の付属の警察がそうしてくれなければ、民間で新しく警察を作ってそうして欲しい。捕[つか]まえた犯罪者に農作業でもさせれば、ある程度儲かるかもしれない。]実際には、そういう世界にすでになっているのである。
国民が政府に入っていることは、国民が大きい民間宗教に入っているのと同じことである。だから、戦後も政府は宗教で信者である国民を平然と殺してきたのである。政府に入って政府に税金を払って政府に国家宗教で殺されるよりも、政府に入らずに政府に税金を払わずに犯罪者に殺されたほうがいいと思わないか?政府があるよりも政府がないほうがいいと思わないか?[戦後の政府は民間宗教すなわち民間企業である。もともと民間企業だったものが、わざとらしく国鉄や郵便の民営化をやっていたのである。]


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