現実と心
平成13年5月20日
人間にとってもちろん現実は大事だが、自分の心に目を向けることも忘れてはならない。
‘現実だけ’になってはいけない。現実のことだけしか考えられなくなってはいけない。
“現実にばかり目を向けて自分の心に目を向けないと鬱病にかかりやすく、反対に自分の心にばかり目を向けて現実に目を向けないと分裂病にかかりやすくなる。”
現実と心の両方に目を向けて、両者を互いに他に従うようにさせるとよい。
動物の心(例、性欲)を活動させて知覚が働かなくなると、(現実に対する)自分の心にばかり目が向くようになる。このとき、分裂病になりやすい。
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平たく言えば、“認識が感情的になりすぎる”ことが分裂病の原因である。
認識が感情的になりすぎるかどうかは、その人自身の問題であって他人のせいではない。
反対に人間の心が働いているときは、認識が知覚的で知覚が働けば現実がよく見えるから、自分の心よりも現実のほうに目が向いていて、分裂病にはなりにくい。しかし、いっぽうで自分の心が無視されやすく、知らず知らずに自分にとって不快な人生を選択してしまう。
“認識が現実的になりすぎる”ことが鬱病の原因である。
知覚が働くと現実がよく見え、知覚が働かないと現実に対する自分の心の反応しか見えない。
女がワガママなのは、知覚がよく働かないために現実が見えず、自分の心の反応しか見えていないからである。
男が女に対して寛大になれるのは、女がバカだと思ってやれるからである。
女は現実よりも自分の心のほうに目が向きやすく気が狂いやすいから、女には優しくしなければならないのだ。
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自分の心が向かうべきものは現実の世界であって、空想の世界ではない。現実の中に生きねばならない人間にとって、現実を逃避しても真の幸福は得られない。空想の世界における幸福は、かりそめの幸せにすぎない。
人がケンカするのは、自分の心を不快にする原因を取り除き、自分が感じる不快感を減らすためである。
ところが、分裂病にかかる直前には、自分が不快であるとき、その原因を取り除こうとする合目的的な行動を取らずに、反対にわざわざ自分の不快感を自分で高めようとする。
その結果、自分の認識が感情的になり、感情が自分でコントロールできる限界を超えてしまい、感情に歯止めが利かなくなって暴れまわる。
よーするに、“人間が感情的になりすぎた”のが分裂病である。
分裂病では現実よりも自分の心を肯定している。
人間というものは、つねに自分の感情に対しては冷静であらねばならぬものなのだ。
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