[401] アニメについて h16.2.10
アニメは絵だ(当たり前だが)。
絵は実在と空想のブレンド。例えば、人の絵は人であって人でない。つまり、人である部分と人でない部分とが入れ混じっている。
だから、いろんな味がある。

[402] エヴァンゲリオン h16.2.21
あの巨大ロボットは、魔法少女の魔法と同じで、本来どうでもいいことなのだよ、諸君。
ほんとうは、男の子の現実の日常生活を描きたかったのだ。
巨大ロボットはたんなる味付けにすぎない。
男の子が巨大ロボットに乗ることは、一種の変身で、女の子が魔法を使うのと同じことだ。
男の子は戦闘意欲が強いから、ロボットに乗って戦うのだ。
だから、エヴァについてどうのこうの議論したって、本来どうでもいいことなのだ。
魔法についていくら科学的に分析したって、もともとつくりごとだから仕方がないのと同じだ。
エヴァは男の子向きの魔法少女だ。
ガンダムは、あたかも“実在する戦車”のようだったが、
エヴァは、たんなる“空想上の産物”にすぎない。
ガンダムではロボットが本質的にストーリーに絡んできた(むしろ、そっちのほうがメイン)が、
エヴァではロボットがストーリーとは独立(無関係)で、非現実な面白さを加味しているにすぎない。シリーズ後半になるほどその傾向が増している。
エヴァではもはやロボットは大人の自由な空想における遊びと化している。だから、マジカルエミのステージショーのように、思いっきり派手(ただし、あくまでも無意味)なのだ。

[403] やっぱり美少女が好き h16.2.25
ミントー性格がFUNKY。美少女とまでは行かないが、スタイルがペルシャライクでかっこいい!
やっぱりペルシャは“美少女の基準”だ。
アニメヒロインの中で美があるのはペルシャだけ。
ユーミースタイルが舞ライクで失敗。
舞はデブで短足。不細工。美がない。
いいかげんマジカルエミで懲りたら、ペルシャに戻らんか。背景に凝るのは邪道だ。
ふたなり(男女、両性)であろうが、かわいくあろうが、ロリコンであろうが、…
そんなことはどうでもいい。
とにかく美があればいいんだ。

[404] スイートミントDVD-BOX3月3日発売 h16.2.27
他の人気タイトルと同時に発売してもけっして売れない力のない作品。画力が弱い。大人の目に適わない。子供だまし。
たのみこむで予約しているんだが、大丈夫かなぁ。忘れていないだろうなぁ。六本木のビデオショップにこれから買出しに行くんじゃないだろうなぁ。差額が1万円ぐらいあって、それで儲けてるんじゃないだろうなぁ。DVDの品質は大丈夫だろうなぁ。たのみこむに頼んでおいて、注文はもっと安いところでと言うのが今や常識。

[405] 話について h16.2.27
話作りの点から見ても、ペルシャは濃厚。現実的でありながら、作り話(空想)としての面白さにも富んでいる。
マジカルエミは軽薄。日常に徹したあまり、当たり前のつまらない話になってしまった。キャラもブスだし。顔がいつも怒っている。
ユーミはバカバカしいお笑いに走った。いいかげんエミでうんざりしているところに、バカバカしさでしらけてしまった。キャラも長く見ていると吐き気。
やっぱり、ペルシャが一番名作。キャラと話の両方で。
おまけ)スイートミントの話の質は、子供向けのペルシャと言ったところか。キャラクターのスマートなところがペルシャに似ている。顔があどけなくて、身体だけ成長している。いつも機嫌がよくて、顔も悪くない。

[406] デ・ジ・キャラットと魔法少女の対応関係 h16.3.3
でじこ←森沢優(丸顔)
ラビアン←ペルシャ(脚長)
ぷちこ←香月舞(髪の色)

性格がなんか似ていると思いませんか?
デ・ジ・キャラットは美少女不条理ギャグであって、
魔法少女シリーズのおもしろさをさらに一段と深く掘り下げたものと言える。(20年も経つもんなぁ〜)

[407] デ・ジ・キャラットにょ h16.3.4
#4『ラビアンローズとは呼ばないにょ』
おもしろさは海モモの比じゃない。
うさみみコプターは、
ドラえもんみたいだし、
うる星やつらみたいでもある。どっちでもいい。
昔のアニメのおいしいところがぐちゃぐちゃになって入っている。つまり、
デ・ジ・キャラットにょひとつあれば、
昔のアニメを全部見たことになる。
ブゲ団3幹部は、海モモのクックブック・チャーモ・ルピピなのでしょうか。

[408] 魔法のエンジェル スイートミント DVD-BOX h16.3.5
 詳細はこちら
テレシネに気合い。感動のあまり、2個買い。
テレシネしただけあって、DVDの出来が良い。極限の鮮明感。これがミントだよ、パパ。
LDでもDVDでもたいして変わらないうる星やつらとはずいぶん違いだ。
ミントを見習って、今後アニメのDVDは全部テレシネして欲しい。
それにしても、音声はモノラル?それとも、ステレオ?(OPはステレオみたいだが)
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[409] 今日のスイートミント h16.3.6
今日はミントの
第1話→第2話→第3話→第4話→第19話→第21話→第22話→第26話→第28話→第45話→第47話を見た。
珠玉のラインナップだ!!
テレシネに気合いが入っているので、おもしろい回はいっそうおもしろく、そうでない回もそれなりに見ることができた。おかげで他の特典がしょぼくなってしまったが。
ミントは、魔法少女(美少女アニメ)のミンキーモモに始まるシリアス路線からデ・ジ・キャラットに至るギャグ路線への転換期にある作品であって、けっして無視されるべき存在ではない。だって、おもしろいも〜ん。
作画においても、ミントは全身美形のペルシャには劣るかもしれないが、いつも不機嫌な顔つきをしている香月舞や生まれつき顔の悪い花園ユーミには引けをとらない“見て不快にならないキャラクター”である。
魔法少女の1,2位を競う作品であるといってもけっして過言ではないだろう。僕、おもしろいの好き。

[410] 実在哲学から見たギャグ h16.3.6
ギャグは心の余裕から生まれるのであって、シリアスしかわからないのは心に余裕のないやつだ。
ギャグがわかるのはギャグを作った人に共感できるからだから、ギャグをわかるのも心に余裕のある人であ〜る。
まじめにやっているから羽目をはずせるのであって、まじめでない奴ほど余裕がない。
理論的には、まじめな部分が意識であって、ふざけた部分が無意識になっている。ギャグは無意識の部分で楽しむことだ。まじめな部分は知覚だから無形無音だが、だからといって無意識と考えるのは間違いだ。むしろ、人間においては無形無音の知覚のほうが強い感覚の意識であって、眼で見たり耳で聞こえる五感のほうが弱い感覚の無意識なのだ。ギャグは無意識における楽しみでなければならない。女の子は知覚が弱いから、その分まじめにしなければならない。…
ギャグの道は厳しいですじゃ。

[411] 売れ筋 h16.3.23
テレシネ版魔法の妖精ペルシャ、テレシネ版魔法のスターマジカルエミ、テレシネ版魔法のアイドルパステルユーミ。
出してくれたらまた買う。今のDVDはヤフオクで売る。

[412] ぴよこのことば h16.3.26
らんま1/2を見て性転換しちゃったら、らんま2/2だぴょ〜ん。
らんまはお湯で男に変われるからいいぴょん。
おとこが性転換したらおばけ女に変わるぴょん。(林原めぐみにこんなこと言われたらおしまいだね。)
新宿のなんとかさんは例外ぴょん。
おばけ女が生きていくのは君よりずっと苦しいぴょ〜ん。
みんな後悔してるぴょん。
らんまに文句言いぴょ〜ん。

[413] 陸モモ h16.3.31
初代モモ(古モモ)が空モモ。
2代目モモ(新モモ)が海モモ。
古モモが死んで人間に生まれ変わったのが陸モモだ。つまり、海モモの空モモが陸モモだ。
もうひとつ、小学館の学習雑誌『小学2年生』に今年4月から連載される3代目モモが陸モモというらしい。

[414] 魔法少女キャラクターの味(国際派) h16.4.4
空モモー pretty
ペルシャーbeautiful(infant)
香月舞ーcool&simple(adult)
花園ユーミーbitter
スイートミントーsimple&cool(not sweet)
海モモーnot particular(特記すべきことなし、無味)

[415] 海モモがかわいそうだ h16.5.2
空モモと監督が同じだから、よ〜く見ると同じテイストだ。
絵がきれいになったぶん、前よりいいと思うが。
音楽だって、前のと較べるとずいぶんグレードアップしている。なんたって、小森まなみの歌うOPがいい!
ぴえろの魔法少女と較べると、ドタバタ感があって断然面白い。(美術はちょっとかなわないけれど。)
ミントと較べても、面白さにそんなに遜色ない。むしろ、海モモのほうが柔らかい暖かい感じがしていい気持ちがする。キャラクターのせいもあるが。
ミントの面白さはクールで荒(すさ)んでいる。お友達とのだらけた掛け合いが見所だ。
以上のことから、海モモが面白くない、つまらないというのは一部のファンの偏見に過ぎないことが判明した。海モモはけっして侮(あなど)れないぞ。

[416] ぴえろ魔法少女シリーズへの不満 h16.5.2
作画がきれいなことで有名だが、話が高学年狙いで難しすぎる。
夫婦喧嘩の話が面白かった以外は、正直言って何の話かわからなかった。
夫婦喧嘩の話は、話と作画が見事にマッチしていて面白かった。エミもマミも。
しかし、それ以外の話では、毎回必ずといっていいくらい、なにを言いたいのかわからないシーンが入っている。曖昧さを醸し出して、大人受けを狙ったのかもしれないが、なにを言いたいのかわからないので、見ていてもつまらない。ときには眠ってしまう。
例えば、珪石の話ではファントピーの森が出てくるが、どうして舞が森の中に入ることになったのか理由がさっぱりわからない。それに森の中に入ったって、ただごつごつとした岩があるばかりで、なにも起こらない。これでは、視聴者をバカにしているとしか思えない。
岬君が雪の妖精の子供と遊ぶ話も、雪祭りのシーンがなんとも退屈だ。ただ皆が雪像を黙々と作っているだけで、笑えるイベントが何にもない。学校の図工の時間みたいで、お祭りらしさがない。エミが岬の心を現実に呼び戻せたのもなぜだかまったくわからない。ムードでなんとなく納得させているだけだ。
このように、現実的を売りにしている割には、現実の素晴らしさや面白さを描くわけでもなんでもなく(むしろ退屈さつまらなさをよく描いている!)、肝心のところで話の展開に理由がなかったりと、お粗末なかぎりである。
そこが、このシリーズのいまいちなところだ。

[417] デ・ジ・キャラットからの発想 h16.5.3
主人公がおかま子供であろうがなかろうが、
とにかくかわいく見えればいい。

[418] 面白いアニメとは何か? h16.5.3
要は、自分と気が合うアニメを探して見ればよいことは言うまでもない。自分にとってわからないところはただ絵が動いているだけだ。そこで、自分と気が合うとはどういうことかが問題だ。年を取るとどうしても感性が実在的になる。これが実在の世界の中に生きる人間にとっての宿命だ。作り話はあほらしい。作り話で面白かったことはほとんどない。例えば、昨日見た『マジカルエミ』に関しても、雪の妖精やファントピーの森は空想的で実感しようがなく、つまらなかった。マジカルエミ後期は、スポンサーや局の意向で無理やり空想的に仕立てられた嫌いがある。反対に、夫婦喧嘩の話題は実在感があってよかった。話に実在感があって、その上に絵としての楽しさが加わるので、これ以上面白いものはない。
『うる星やつら』も、現実味のある話の回は面白い。このシリーズは絵がいいから、現実的な話の回になると抜群に面白い。もっとも、宇宙美少女4人組やお金持ちお坊ちゃんの話は、穴埋めにすぎない。この手の回は眼先の喜びしかなく、本音ではつまらない。やはり、わびさびが効いている回が面白い。わびさびとは要するに現実感だ。例えば、竜之介親子やテンと小鳥ちゃんや不細工なふぐの話が面白かった。話が空想的になるとつまらなくて、現実的になると面白い。現実の中にある面白さを描くと最高に面白いのだが、毎回そのようにすると、空想好きの子供の機嫌が取れなくなるので、大体2回にいっぺんは空想ネタを入れねばならない。しかし、そうすると、私のようなおっさんにはつまらなくなる。子供たちはまだ実在の勉強が足りず、また実在を勉強しなければならないことすらまだわかっていないので、そういう連中に受けるためには、泣く泣く話を空想的にしなければならないのだ。そのうえ、たとえ現実的だとしても、子供には子供にとっての現実があり、大人には大人にとっての現実がある。大人にとっての現実と子供にとっての現実とは縄張りが違う。だから、子供受けのする話はいくら現実的であっても大人にとっては退屈で、その逆もしかり。ベーゴマやメンコのアニメは私にはわからない。テレビ番組は視聴率をとらねばならないので、自分だけに面白ければいいというわけにはいかない。また、実際に見てみないと、話が現実的か空想的か微妙な違いがわかりにくい。現実に傾くと面白いが、空想のままだとつまらない。だから、どんなアニメにしてもところどころ面白いくらいで満足しなければならないのだ。
昔のアニメは子供をターゲットに作られていたが、今のアニメは大人もターゲットにしている。だから、今のアニメは大人が見ても面白いものが多い。
『デ・ジ・キャラットにょ』も、キャラクターが作りっぽい割には、話の内容は現実的だ。そこが面白い。デジキャラット星もどこかの田舎と考えれば、それで現実味が付く。どこかの田舎出身の美少女が都会でドタバタを繰り広げると考えればいい。現実的な内容に空想の衣装を着せているだけだ。
やっぱり、私にとってのアニメとは実在についての勉強なのだ。人間にとっては、一生が実在の勉強だ。アニメは教科書では出来ない実在の勉強なのだ。私が直接に体験する現実の世界はあまりにも狭く苦しい。アニメは、私の経験できない実在の世界を仮想的に体験させてくれる。現実の中にある美しさや幸せやおかしさを教えてくれる。反対に、空想は空しい。例えば、テレビゲームは現実の勉強ではないから、くだらない。もちろん、アニメにも下らないものが多いから、選んで見る必要がある。
文化としてのアニメは、実在の教育でなければならない。アニメはなんらかの真実を伝えるものでなければならない。味付けとしての絵や演出がいかに空想的であろうとも、実体としての話(脚本)は現実的でなければならない。ただ楽しければいい(テレ東)という方針では、人間にとっての善いアニメとはいえないだろう。
では、どうして私はアニメにこだわるのか。それは、特撮やドラマには面白いものがないからである。特撮は子供の世界すぎるし、ドラマは恋愛物が中心で、私は恋愛に興味がないので敬遠せざるをえない(だから、うる星やつらは私にはちょっと不向きである)。それに、アニメのキャラクターには現実を超えた美しさかわいさがある。ドラマの女優では限界があるだろうし、特撮ヒロインでは言うに及ばず。また、子供俳優では演技力に問題があるだろう。アニメでは、それも問題にならない。
おまけ)スタートレックは空想的な作り話とSF的な特撮で避けられがちだが、それは誤解だ。作り話や特撮の奥にある現実的なドラマこそが真の魅力なのだ。もちろん特撮もかっこいいけど。

[417] デジキャラットにょ h16.5.3
『不条理美少女ギャグ』とは言うけれど、私は条理だと思う。
デジキャラットの話はたとえギャグだとしてもすっきりしていてわかりやすいからだ。
不条理ってのは、もっとグニャグニャしたわけがわからんものを言う。
例えば、ノワールとかドットハックとかぴちぴちピッチとか、私の嫌いな面白くないものばかりだ。

[418] 三つの目 h16.5.6
アニメは実在でも見れるし、    最近は大人がアニメを見ることが多いから、実在性を取り入れている。
心でも見れるし、          例えば、『ど根性ガエル』はアホの祭典。心を客観的に見る練習にもなる。
絵でも見れる。(音もありますが。)  最近のアニメはずいぶん絵が美味くなってきたね。喜ばしいことだ。


[419] 空想界の経験 h16.5.8
空想とは、実在しないものを積極的・能動的に考え出すことである。
だから、空想は作り事だというだけで、面白いとは限らない。(私の『実在哲学概論Ver.2.7』はそこが間違っている。面白くない空想もあるからだ。)面白さは、その空想界の中でどれだけ面白いことをやるかによって決まるのであって、空想界自体が面白いわけではない。数学の世界だって、もともとは素朴な自然数しかない。そこに大勢の人間がいろんなアイデアを盛り込むことによって、広大な数学の世界が出来上がっているのだ(面白いかは別だが)。漫画家だって、面白いアイデアが尽きると、新キャラを入れて世界を広げたりする。
アニメは実在と空想の混合だ。広義には空想と言っていい。アニメの世界には空想があるぶん実在の世界よりも広がっている。そのぶん実在の世界よりも出来ることが多くて自由なのだ。広げた世界で新しい面白さを探す。昔の魔女っ子は、そんな風だったね。現代魔法少女では、魔法はすでに形骸にすぎず、実在の中にある面白さを主として描いている(大人が見るから)。絵も大人が見ても鑑賞に堪え得るように細かく描かれている。アニメを見て育った子供たちが大人になったせいだ。作品の大人性が、作品を評価する上で重要なポイントを占めている。大人性のある作品のほうが高く評価されるのが、世の常だ。ミントなんかじゃ、しょせん子供の伽(とぎ)にすぎない。でも、『ミント研究室』にすまないから、魔法の消極的な使い方と、三人組の掛け合いに大人性があると言っておこう。
空想界における五感・知覚・心とは、幻覚・妄想・煩悩(用語がちょっと古いけど)だ。アニメは醒めて見る幻覚のようなものだ。もっとも、実在の中で生きる人間にとっては、空想の世界に陥ることは許されない。空想を認めなければ空想に呑み込まれてしまう。空想を空想と認めることが、空想に陥るのを防ぐことになる。アニメを見る者にとっては、空想の概念が必要不可欠である。空想の意(こころ)をぜひとも会得しなければならない。実在ドラマを見るように、ただ眼を開いて鵜呑みにすることはけっして許されない。実在の中に閉じこもっていようとする者のほうが、かえって実在が何であるのかわかっていないものだ。

心が認識された実在界(つまり、五感+知覚)に対して感情を感じるように、心は空想界(つまり、幻覚+妄想)に対しても感情を感じる。妄想とは、幻覚に根ざした知覚の活動だ。人間は数学の数式にすら心で味を感じるものだ。数式のイデア(知覚)に対してか、数式の形(五感)に対してかはわからないけど。もっとも、心で味を感じなくても、正しければそれだけで価値はある。数学や科学の原理は無味であることが多い。
心が実在の世界を味わえるのなら、空想の世界を味わえないわけがない。味を感じないのは、空想の世界への踏み込みが甘いからだ。眼前にテレビを据えて五感に気合いを入れて見れば、もっと空想の世界へ踏み込めるはずだ。仕事や勉強で疲れているときは難しいけど。アニメは絵を見てわかればいいだけだから、いちいち読まなければわからない小説よりも世界に入りやすいはずだ。
もちろん、アニメには実在の要素もあるから、
アニメは実在の勉強にもなる。
やっぱり人間は実在の中で生きているので、たとえどんなに実在が辛くて苦しかろうが、実在の世界が一番面白いものなのだ。空想も行きすぎるとバカバカしくてつまらない。空想は実在を引き立てるための隠し味のようなものだ。いくら空想で粉飾されていても、アニメは本質的には実在を描くものでなければならない。そこにこそ真の感動があるのだ。ぴえろ魔法少女シリーズが毎日見ても見飽きが来ないと言われているのは、ひとえにそれが実在を描いているからだろう。実際の生活だって毎日同じようなことの繰り返しだ。絵の美しさだけでは、このシリーズに匹敵するものはけっして作れない。

[420] ギャグの質の違い h16.5.8
『快楽には量の違いだけではなく、質の違いもある(J.S.ミル)。』
うる星やつらのギャグは‘心のアホさ’にあり、デジキャラットのギャグは‘絵のおかしさ’にある。一般には、心が絵よりも見えにくいという点で、うる星やつらのほうが高く評価されるが、私はデジキャラットの軽快さも評価したい。なぜなら、うる星やつらの面白さがわかるには、実在についての知識が必要で、ある程度実在の中で生きてきた大人でなければならないが、デジキャラットのは見たままで予備知識が要らないから、バカな子供でも楽しめるからだ。それに、ここまで‘絵のバカさ’にこだわった作品はこれまでお目にかかったことがない。なにより新鮮味がある。とはいえ、うる星やつらのギャグのほうが眼に見えないぶん深い面白さがあることは否(いな)めない。
一方、魔法少女のギャグは、‘キャラクターの中性感’にある。男と女の中間のキャラクターなんて実在しないから、空想の産物だ。煩悩の具現だ。その代わり、世界の実在性と心の真面目さについては右に出るものがない。つまり、ヒロインがおかま子供であること以外には、さして面白味がない。ぴえろが将来の定期的な収入を当て込んで法外の予算を掛けて作ったんだろうが、残念ながら実在が本気で面白い人なんて一人もいない。人間の本音とは所詮そんなものだ。アニメやマンガの上でまで実在に縛り付けられてはたまらない。おかま子供と地味な魔法だけではあまりにも物足りない。面白くするためには、もっと心のアホさや絵のバカさ(オーバーなデフォルメ)を加えねばならないだろう。後世作られたミントにはその点が考慮されているようだが、いかんせんギャグがバカな子供向きで、大人の口にはちょっと合いにくい。うる星やつらのような渋い苦みばしったギャグじゃなく、味わいがソフトでかったるい。でも、中性キャラクターに萌える人(一体どんな人なんだ?)なら充分に楽しめるだろう。

[421] 面白さがわかるためにはどうすればよいか? h16.5.9
ここでは、アニメや漫画などの空想界の面白さがわかるためにはなにをすればよいかを考える。実在界でも空想界でも世界のルールが違うだけだから同じことだ。
面白さは、世界のルールの上に築かれる。だから、まず、世界のルールを知らねばならない。世界のルールとは、登場人物のキャラクターやそのキャラクターを包む世界だ。キャラクターを包む世界とは、例えばスタートレックだったら、転送装置やホロデッキなんかだ。魔法少女なら、魔法のコンパクトやステッキだ。魔法を使えることで、世界が広がる。でも、魔法でもなんでもかんでもできるわけではなく、一定の制約がある。なんでもかんでもできたら話にならない。ロボットものなら、そのロボットだ。ロボットによって、出来ることが違う。昔のスーパーロボのほうが出来ることが多かった。しかし、出来ることが多いからといって必ずしも面白いわけではない。魔法のステッキも巨大ロボットもしょせん人間が使う道具にすぎない。だから、キャラクターの個性をつかむことが大切だ。空想界を眼で見て頭で考えて記憶することで、空想界のルールが次第に掴(つか)めてくる。
空想界のルールがわかってきたら、今度は心を働かせて、その世界の上に築かれた面白さを心で感じるようにする。作り手がその世界の中に込めた面白さを自分の心で感じ取るようにする。作り手の心が面白いと感じたことを自分の心も面白いと感じるのだ。人間の心には普遍性があるってことかな。そもそも面白さがたくさん入った作品は面白いが、面白さが少ししか入っていない作品は面白くない。空想のほうが実在よりも世界が広く出来ることが多いから、空想の中に面白さを入れるほうが実在の中に面白さを入れるよりも容易であり、一般的には実在よりも空想のほうが面白いと言える。しかし、空想界が実在とは別の世界であるためルールを理解するのに時間がかかり面白さを充分に入れられないこと、実在界のほうが長年住み慣れているのため面白さがいれやすいことなど、空想か実在かの違いを問わず作品の面白さが面白さを入れる者(脚本家や演出家)の技量によることは言うまでもない。ぴえろ魔法少女と葦プロ魔法少女(ミンキーモモ、スイートミント)とは似たような世界なのに、葦プロのほうが面白いのは、葦プロのほうが積極的に作品に面白さを入れようとしているからに他ならない。世界が似たものであれば、面白さを入れる難易度も同じはずだ。これでは、ぴえろがわざとに面白くない作品を作っているとしか思えない。眼先の喜びを重視して、心の面白さを軽視するのは安っぽいと取られる虞(おそれ)がある。それに、人間それぞれ主義が違えば心も違うから、作品の全部の面白さが共感できるわけではない。共感できるところとできないところがある。共感できるところは面白いが、共感できないところはつまらない。例えば、私はエッチに興味がなくエロ本を読んだことがないから、エロ本を読むシーンは共感できず面白さがまったくわからない。共感するには限界がある。でも、たかが作り事のアニメやマンガごときに自分の大事な心を変えるわけにはいかないから、無理にわからなくてもいい。だから、面白さについては、自分がわかるところだけわかればそれで満足することにしよう。

[422] マジカルエミ h16.5.11
空想や面白さを廃した徹底した実在性と現象性(絵の美しさ)の高いアニメ。
ドラマですら実在に面白さを積極的に入れようとするのに、この作品は実在の中に心を積極的に入れようとしない。あくまでも、心は実在に従属するのみで、けっして心が実在を支配しようとはしない。心が実在に触れて幸や不幸を思うことはあっても、心の中で思いついた幸福を積極的に実在の中に入れようとはしない。これで人間が幸福になれようか、作品が面白くなれようか。否(いな)!実在に従属するだけの心では、人間幸福にはなれない。幸を選択し不幸を回避し、心が実在に能動的に働きかけねば、人間はけっして幸福にはなれない。もっとも、実在を知る以前の子供が自分の心を肯定するのは早計かもしれない。心の肯定は実在を知った後の大人になってからするものだ。
マジカルエミは、知覚と五感は強いが、心は弱い。ぴえろ魔法少女シリーズ全般について言えることだが、作品に面白さを感じないのは、心の強さを描いていないからだ。しかし、それがこのシリーズの性格であるといわれれば、それまでだが。それに較べて、葦プロ魔法少女シリーズは、作品に積極的に面白さを入れてくれているので、もう少し面白さがある。その代わり、絵の実在性(ディテールの細かさ)と現象性(美しさ)では多少劣るが。知覚(脚本)と五感(作画)と心(演出)が全部そろったバランスの取れた作品を作って欲しい。なんといっても、アニメの面白さの質がガキっぽいのが、大人の私にとっては甚だ(はなはだ)物足りない。大人が見れるためには、もっと大人の面白さのあるアニメでなければならないのだ(安易なエッチとかでは無しに)。

[423] 真楽美のスペクトル分析 h16.5.12
空想は面白さを入れるために考え出すことが多いので、広義には心の働きになる。
『真善美』と言うけれど、善とは実在に従属した心であるから、心本来の姿ではない。心で認識するのは善か悪かではなく、幸か不幸か(快か不快か)である。つまり、楽しいか楽しくないかである。したがって、『真楽美』となる。

ぴえろ魔法少女も葦プロ魔法少女も、魔法少女は絵のディテールから醸し出される現実味と絵自体の持つ美しさがあるのみで、話や絵の面白さが足りない。あるいは、面白さの質が子供向きで、大人にとっての面白さではない。(ミントは現実味や絵の美しさが足りないぶん、面白さで補っている。唯一の面白い魔法少女といえるかもしれない。)
うる星やつらは、現実味と美しさと面白さの3つが全部揃(そろ)ったパーフェクトな作品。面白さの質が大人向けで、大人にとっても充分面白い。
デ・ジ・キャラットにょは、実在にとらわれない自由な心、心本来の姿をいきいきと描いている。面白さの入れ方が濃いので、見ているだけで心の感受性が磨かれる。

[424] 美と楽 h16.5.21
マジカルエミは『絵の美しさ』にこだわった、いわばヨーロッパ風の喜びだ。
これに対し、スイートミントは『話の面白さ』にこだわった、日本古来の伝統文化を周到している。
かつて日本民族は形の美しさ(見た目の快)よりも話の面白さ(例えば、落語)のほうを尊んだ。物の豊かな江戸文化よりも心の豊かな大阪文化を“上方”と呼んで崇めたのもこの所以である。

[425] ぱにょぱにょデ・ジ・キャラット h16.5.29
デ・ジ・キャラットを見た後で、ぱにょぱにょを見るとうんざり来るが、
デ・ジ・キャラットにょの絵を見慣れた後で、ぱにょぱにょを見ると楽しめる。
にょの応用としてぱにょを見ると結構楽しめる。
#25〜28ゴーストバスターズと#41〜44スポーツあれこれがお勧めっ!(#33〜36昔話パロディもよかったネ)
作画監督が違うと、眼と眼の間の距離が変わって表情が微妙に違うから注意(でじことリンナが狙い目)。
優しい気持ちになれるぞぉ〜〜
(ノリのマル秘テクニック:OP・EDをカットして見たほうが本編が盛り上がるぜ!)OPやEDが同じだとマンネリだと思ってしまい、本編が始まる前に嫌気がさしてしまうからである。(にょのHeart Beatなんかは、毎回本編が始まる前に視聴者に嫌悪感を催させていた。)それに、カットして見たほうが時間の節約にもなる。

[426] マジカノミステキ h16.8.3
ぴえろ魔法少女の中では、
マジカルエミのみすてきだ。
それも、美術がいいだけだ。美監がノリノリ。
(ペルシャやユーミも同じ美監が担当しているが、手抜きだ。)

[427] グランゾートよりガンダムのほうがいい。 h16.8.28
実在の世界にちょっとだけ夢を付け足した作風が一般大衆には好まれる。
そのほうが大人ぽくって、かっこいいから。

[428] 人は何のためにアニメを見るか? h16.8.31
人がアニメを見るのは、実在の勉強のためではなく、やはり幸せになるためである。〔『幸せは実在を超えたところにある。』そりゃ、実在の中にある楽しみでもいいがお金が掛かるし、私のような貧乏人には手が出せない。同じ楽しさが得られるなら、実在であってもなくてもどうでもいい。ほんらい実在の世界は楽しみのためにあるのではなく、生活を維持するためにあるのだ。〕
うる星やつらやぴえろ魔法少女は見た後で苦々しい重たい気持ちになるから見るべきではない。
実在性が濃すぎるアニメや絵に凝りすぎるアニメは面白くないから見ないほうがいい。〔実在性が濃いアニメは、世界に入りやすいだけで、世界の中に居てもあまり楽しくない。絵に凝るアニメは、眼先で楽しいだけで、深い面白味がない。眼先の楽しさは飽きが来にくいかもしれないが、見て幸せになれるのはギャグアニメのほう。絵は凝りすぎなくても、面白さを損ねない程度で十分。それに、絵に凝りすぎたアニメの行く末はエッチアニメの世界だし。ギャグアニメのほうが素直でいい。〕
デ・ジ・キャラットについては、
TBSとOVAのは、わけがわからなすぎるし、絵が凝りすぎるからいや。〔アダルティなムードがいや。どことなくエッチなところが不潔でいや。その点、にょはエッチがないところが洗練されていていい。〕
にょは、絵はマアマアだが、無理に面白くしようとする不自然さがいや。〔『事実は小説より奇なり。』面白さとは心に自然なことだから、無理に奇を衒う必要はない。実際、にょを見ようとするには気合いがいるが、スイートミントくらいなら極自然に見たい気持ちになる(リアルだからすんなりと世界に入っていける)。毎日気軽に見れるのは、ミントのほう。それに、にょは面白さを売りにしているだけに、見て面白くなかった時の逃げ場がないが、ミントならリアルさ真面目さがあるのではずしても損した気があまりしない。〕
ぱにょぱにょくらいが丁度いい。
ミンキーモモについては、
博多で空モモを見たときはすごく面白かったけど、〔博多の雰囲気と空モモの雰囲気がよく似ている。〕
今見ると絵がボロすぎるので、面白くない。〔いくら絵に凝らないでいいとはいっても、ここまでボロいと見ても面白くない。〕
海モモは絵が固いし真面目すぎてつまらない。〔海モモの雰囲気と東京や京都の雰囲気が似ている?〕
魔法少女の中ではスイートミントがいい。〔奇を衒わない、自然な、心に忠実な面白さがある。絵も話の面白さを損ねない程度のレベルで必要十分である。〕

[429] ぴえろ魔法少女シリーズの功罪 h16.9.9
ぴえろはリアルなアニメを作った。その結果、空想が実在化され、また逆に実在が空想化されてしまった。つまり、空想と実在が相殺され、空想からは面白さが失われ、実在からはリアルさ(真面目さ)が失われることになった。これでは、空想界も実在界も大損害だ!
やはり、文学の世界と実在の世界を結び付けるべきではない。文学の世界は実在から離れた空想の世界であるべきだ。文学の世界は実在の世界を目指すべきではない。リアルなアニメなど作らなくていい。
そもそも、日本は実在の中に面白さを見出せるほど豊かな国ではない。だからこそ、空想の面白さが貴重な資源なのだ。それがなければ、人間が生きていけないほど貧乏な国なのだ。たしかに、実在は人間が生きていくうえには大事だ。しかし、だからといって空想の喜びを軽んじていいことにはならない。日本には実在の喜びが少ないから、空想の喜びで補わなければいけないのだ。

[430] キャラクターの実力 h16.9.21
ひさびさにマジカルエミを見た。
ミンキーモモ(空モモ)と較べて絵が細かいだけだと思った。[香港版のミンキーモモDVD-BOXを見て、意外に背景がきれいに見えたので。]
悪く言えば、“おじん臭い絵”といえなくもない。
ミンキーモモのように絵に若さがない。
ぴえろ魔法少女は劇画で、葦プロ魔法少女はマンガ絵だ。
そもそも香月舞ではあまりに地味だ。
それに較べてミンキーモモは、まるで夢のような可愛さだ。[ペルシャもかなりいいセン行っている。キャラクターに凝ると、絵が難しくなるので、自然とマンガ調になるのだろうか。してみると、キャラクターのいいアニメはみんなギャグアニメになってしまうことになる。]
キャラクターの実力の差だ。
デ・ジ・キャラット(でじこ)もそうだが、
いいキャラクターが立てば、それだけで番組が成り立つ。[ミンキーモモは半年間延長だったし、デ・ジ・キャラットもぱにょぱにょやにょがある。それに較べて、マジカルエミは短めだし、ユーミなんか途中で打ち切りだ。]
いかにいいキャラクターを作るのが難しいことか。[アニメのすごいところは、想像でいくらでもいいキャラクターを作れることだ。見て楽しければ、キャラクターが実在しようがしまいがどうでもいい。私には、アニメのキャラクターのほうがかわいく見える。]

[431] デ・ジ・キャラットにょ h16.10.20
『わかる人にはわかるが、わからない人にはさっぱりわからない。』
つまり、作った人と心が通じる(共通する)人には面白いが、通じない人にはつまらない。
というのは、心で面白いと思ったことをただ絵にしただけだからだ。
けっして〔裏番の鉄腕アトムのように〕真実(実在世界のルール)を教えているわけじゃない。
これをくだらないと言ってしまえば、それまで。
〔私にとっては、実在世界とは別の心の世界を教えてくれたからありがたかった。実在と複合しない“ありのままの心”を呈示してくれたことで、人間の心の無限の可能性を教えてくれた。エッチねたがない点では、現象性五感の危険性を考慮した、子供にも安心して見せられる慎重な作品作りだといえる。むしろ、裏番の鉄腕アトムのほうが戦前の天皇主義の歪んだ思想を反映していて危険である。/人間には“人間のルール”がある。科学では物のルールがわかるだけで、人間のルールはわからない。人間のルールを教えることも、文学やマンガ(アニメ)の大事な務めである。〕

[432] きれいVSおもしろ h16.10.25
眼先の綺麗さの喜びよりも絵や話の面白さの喜びのほうが大きい。
これは人間が生きていく上で重要なことだ。
眼先の綺麗さの喜びは薄っぺらで小さい。
絵や話の面白さの喜びは深くて大きい。
私の心にとってはそうだった。〔面白さに敏感なのは日本人独特の感性だといえる。それを活かさない手はない。外人は面白さの感性が鈍くて、面白さではあまり喜べないのかもしれない。〕
『にょ』(注:デ・ジ・キャラットにょの略)が出るまでは、ぴえろ魔法少女の綺麗な絵&真面目な話路線に押され気味で、絵の綺麗さだけで『うる星』や『モモ』『ミント』など他のアニメを見ていたが、『にょ』に出会ってからは面白さの感情に目覚めて、面白さのあるアニメを主として見るようになった。今では、面白さのないアニメを見る気にはなれない。

[433] 「するゲーム」から『見るゲーム』へ h16.11.13
パソコンのグラフィックやサウンドの質が良くなると、「ゲームをする」喜びよりも『ゲームを見る』喜びのほうがウエイトが高くなる。

これからは、「するゲーム」よりも『見るゲーム』の時代だ。

[434] デ・ジ・キャラットにょ h16.11.21
ラビアン=美しい&おっちょこちょい つまり、マジ&ギャグ
ぷちこ=可愛い
&ニヒル
でじこ=気高い
&意地汚い 女は男よりも気高いところがあるよねぇ 部分的にだけれど
女の子の良いところを3人で分け合っているんだね リボンの騎士だと三位一体だけど

[435] 私のパソコン歴 h16.11.21
1台目…NEC PC8001(1982年)20万円 国産第1号機パソコン。ラム16KB(2X4KB)の増設をやる(合計32KB。当時のラムは、今のHDDとラムを兼ねていた)。ひとつひとつ自分の手でチップをはめた。おそらく日本初の増設。WINDOWSとはまったく異なり、自分でBASICのプログラムを打ち込んで動く。
2代目…SOTEC PCSTATION M250(2000年) 13万円 大阪日本橋のニノミヤで買った。ただし、モニターは店員さんに頼んでSONY G250にしてもらった。初期不良はモデムボードの差込不良で、これは電話のサポートですぐに解決したが、1年後PanasonicのCD−RWをUSBにつないだら、あっけなく壊れた。ちなみに、CPUはセレロンの500MHz、CD/DVD−ROMドライブでした。 
3代目…富士通FMV DESKPOWER M7/1007(2001年) 20万円 T市ベスト電器で取り寄せで買った。CD/DVD-ROMとCD-RWのダブルドライブだったが、下のCD-RWが3ヶ月ぐらいで書き込み不能になった。(どうせすぐにドライブが壊れると思って、ダブルドライブにしたのだ。)しかし、それ以外の点では壊れていないのは、さすがに富士通。購入後、自分でRAM256MBとグラフィックボードGeforce5200(128MB)の増設をやった。ラム(メモリー)は問題なかったが、グラボのほうはビデオメモリーが増えたぐらいで肝心のGeforceは作動していない様子。CPUはアスロン1GHz(それでも発売当時は、「ギガヘルツパソコン」と言って持てはやされたものでした)。
4代目…ヤフオクで2週間前に購入した。個人による手作りの組立てパソコン。基本性能は、
CPU:intel Pentinum3.2EGHz Prescottコア
M/B:GIGABYTE GA-8IG1000-G CIA/MIB搭載 GTエディション 865PE FSB800 DualDDR400 AGP8X SATA

HDD:200GB MAXTOR 6Y200P0
RAM:1GB
DDR400 PC3200 (512MB×2)
ドライブ:日立LG製スーパーDVDドライブ HL-DT-ST DVDRAM GSA-4160B
これで落札価格7万5千円。これに追加オプションで、
VGA:MSI MS-StarForce Geforce6800 (NVIDIA GeForce6800)128MB
RAM:1GB(合計2GB)
電源:550W電源
Antec TRUEPOWER 550

ドライブ:DVD/CD−RWコンボドライブ MITSUMI DR-6800TE、
ドライブ:フロッピーディスクドライブ 

追加で、15万円ほど(総額22万円)。これでは、静音性に問題があるので、さらにメッシュケースとCPUクーラーを取り付けてさらに3万円追加(総額25万円)。これでは、家電メーカーのパソコンを買ったほうが安上がりだったかも。ただいま、静音化のために出品者さんのもとへ里帰り中。早く帰ってこ〜い。

[436] パソコンの静音化 h16.12.3
ついにパソコンが帰ってきた。でも、思ったほど静音化されていなかった。
CPUクーラー:COOLER MASTER HYPER6 KHC-V81-U1
ケース:sigma Cool Builders シルバー CB003SV

さすがの出品者さんも静音化は苦手のようで、アキバの専門家に頼んで直してもらっていた(改造費5千円)。
CPUクーラーは前よりは静かになっていたが、それでもファンが五月蝿(うるさ)かったので、自分でケースの蓋を開けてCPUクーラーのファンのコードとケースに付いている2つのファンのコードを電源のプラグから外して『FANのみ』と書かれた別のプラグに差し替えた。すると、ファンの回転が低速になり音が静かになった。さらに、グラボ(グラフィックボードの略)のファンのコードをグラボのボードから外して、『FANのみ』と書かれたプラグから出ているソケットに差し替えると、これまたファンの回転が遅くなり静かになった。CPUとGPUの温度は若干上昇したものの、おおよそCPUの平均温度が45℃(最高で50℃)、GPUが65℃(最高で70℃)で安定している。それでも、CPUの限界温度が70℃、GPUの限界温度が135℃なので、十分余裕がある。それで、この“静音化”を自分ではOKとした。それでも、CPUクーラーのファンが若干五月蝿かった。それで、このファンを引っ剥がして別の超静音ファンをボンドで取り付けてやろうかとも考えたが、電源のファンのほうがもっと五月蝿かったのでやめることにした。この電源は、ANTEC TRUEPOWER550(\15230-)と言って、静音のほうだが(30dBだそうだ)、パソコンでゲームなどやって電力消費が増えると嫌でも回転音が増え「ウ〜ンウ〜ン」と言うかなりな音を立てる。音が低いので耳障りとまでは行かないが。でも、ゲーム以外のときは、前の富士通のパソコンと同じくらい静かだ。ささやき声程度の五月蝿さで、アニメ見ててもほとんど気にならないくらい静かだ。それで、今のところはこの電源で満足することにした。なぜなら、現時点ではこれ以上静かな550W電源は売っていないから。今月下旬にSilenmaxとか言う18dBの電源が出るらしいが、この値はおそらくアイドリング時のもので実際には電力消費が増えるともっと五月蝿くなるだろう。なぜなら、ANTECの30dBがそうだったから。ANTECのでもアイドリング時は30dBでこれぐらいだとまったく五月蝿く感じないからあえて18dBにわざわざ変える必要はない。でも、五月蝿いときは40dBぐらいはあるかなあ。まあ、そういうわけで今のパソコンで当分はやっていこう。また、3年後、このパソコンのスペックが古くて弱くて使い物にならなくなったら買い換えよう。ゲーム界ではソフトとハードのいたちごっこで、ソフトとハードともに進化の止まるところを知らない。それに較べて、電気掃除機や電気冷蔵庫はいいよ。30年前から進歩していないから。同じものを作り続けているだけだ。ただ、今のゲームは絵ばかり凝ってて、自由度が以前より低くなっているのが不満だ。いくら絵の綺麗なゲームが売れるからといって、ただ一本道を進むだけのゲームではおもしろくない。そういうわけで、私にとって面白いゲームは、今のところ『FlightSimulator2004』と『Battlefield1942 WWUアンソロジー』の2つしかない。たった2つのゲームのために、わざわざパソコンを買い換えた自分っていったい?それでも、自分ではそれだけの価値のあるゲームだと思っている。それじゃ。


ギガバイ子ちゃん


[437] さらなる静音化 h16.12.4
それでもまだ電源の音がうるさい。電源が五月蝿いのは、電力消費が多いせいだから、電力消費を減らせばもっと静かになるはずだ。電力消費のもとはグラボだ。そこで、前の富士通のパソコンに取り付けたI/O DATAのGA-5200X/PCI(NVIDIA GeForceFX5200搭載)を富士通のパソコンから取り外して、今度のヤフオクのパソコンのGeForce6800と取り替えた。さすがに静かになった。問題は、これでゲームがスムースにプレイできるかだ。さし当たっては、私のお気に入りの『FlightSimulator2004』と『Battlefield1942 WWUアンソロジー』の2つがやれればよい。飛行機ゲームのほうは、もともと反応がスロウだから、グラボの性能が落ちて(マウスやキーボードの入力からディスプレイの出力が出るまでの)反応が鈍っても不自然さが現れにくい。設定で各項目全部最高にしてもフレームレート10以上は出せた。着陸のとき、都会の飛行場だと若干カクカク動きになるけれど、おおかた問題なし。フレームレート10以上だと、ほぼ動きが連続に見えるので、空を飛んでいるときはプカプカして気持ちがよい。BF(BattleField1942WWUアンソロジーの略)は、設定を決めるのに苦労したが、結局グラフィックのディスプレイモードを1152X864X32@85にすれば、3D酔いを解消できることがわかった。3D酔いはグラボの性能が低いためにマウスを動かしたとき画面がトビトビになる(つまり、枚数の少ないアニメの動画のように、モーションの初めと終わりだけがあって、途中の動画が少ない)ことによって起こるからである。これでだいたいゲーム最中でも20〜30dBってとこ。ゲームもできて満足。これならいんくるのFFM(7万円)でも買っときゃよかった?

[438] 静音化の果てに h16.12.9
GeForce5200は一日で焼き切れました。Windows Media Playerでクラシックを聴きながらFlight Simulatorで遊んでいると、音楽が切れ切れになって、それでも遊んでいると突然画面にこんな縦縞が現れました。


どうも、高性能のグラボから低性能のグラボに付け替えると、グラボに過剰な負荷がかかって傷むようです(後の祭り)。GeForce5200のグラボが壊れたので急遽もとのグラボGeForce6800に戻しましたが、画面にはプロンプトしか現れません(焦った)。そこで、以前どこかで聞きかじっていたセーフモードというやつでWindowsを起動したら、なんとかWindowsが再開して画面の四隅に「セーフモード」の文字が出たので嬉しくなって、今のパソコンは高級品なのだと確信しました。それから、2,3分間パソコンを出鱈目にいじっていて、なんとなく『システムの復元』をクリックしたら、難なくすべてが元に戻りました。画面が映らなくなったときには、またもう一台パソコンを買い直さねばならないなと思って苦笑いしましたが、最近のパソコンは本当によくできています。このパソコンを作ってくださった出品者さんからリカバリーDVD2枚組みをサービスで付けてもらっていたのですが、こんなの要りませんでした。
GeForce6800に戻すと若干五月蝿くなりましたが、どうせ30dB以下だからもはやどうでもよしとします。これで五月蝿いなら現代社会を生きられない。洗濯機は洗濯板よりは騒がしいし、掃除機は箒よりは五月蝿い。電化が進むと家の中は五月蝿くなるものだ。

[439] 実在主義的なアニメとゲーム h16.12.16
アニメやゲームは遊びである。
遊びにもルールがある。ルールを守らないと、楽しく遊べない。
『実在性五感しか用いない』ことが、楽しく遊ぶためのルールだ。
現象的なのはいけないから、エッチはだめ。
空想的なのはいけないから、魔法を派手に使ったり、美形キャラとか異形な怪物が出てくるのはだめ。
アニメやゲームにも、少ないけれど実在的なものがある。
アニメでは、『魔法少女シリーズ』や『デ・ジ・キャラットシリーズ』。
ゲームでは、『フライトシミュレーター』や『バトルフィールドシリーズ』。

これ以外のものはクズだ。

[440] 年齢別に見たゲーム&アニメ h16.12.22
マジンガーZや魔法のアッコちゃんやHalfLife2のような、空想性の強いアニメやゲームは子供向きだ。空想性が強いとは、生まれついた心の世界のまんまで無駄な作り事が多いことだ。
クリームレモンや恋愛アドベンチャーのような、現象性の強いアニメやゲームはヤング向きだ。現象性が強いとは、汚いエッチの世界に迷い込んでいることだ。
魔法少女アニメやバトルフィールドのような、実在性の強いアニメやゲームは大人向きだ。実在性が強いとは、経験的であるということだ。ヤングはまだ大人ではないわけだ。[いわば、GeForceは実在的で、Radeonは現象的。]

子供が現象性アニゲや実在性アニゲではまだ喜んで遊べないように、
大人は空想性や現象性では遊べないノダ。
もっとも、実在性の強いアニメやゲームは極少数しかないから、財布の節約にはなる。プレステの世界なんかに踏み込んだら、ソフトが多いから、一気に財布が空になってしまうだろう。大人はパソコンゲームで遊ぶべきものだ。

[441] 男気 h16.12.24
魔法少女やデ・ジ・キャラットは、女の子向きだから、かぶれると心が女の子のようになる。
アニメは他人が作ったものを見るだけなので受身的だ。ゲームは自分がやるので能動的だ。
仕事や勉強は、他人の命令に自分が従わなければならないので受身的だ。ほんらい男の世界は能動的なのだが、残念ながら今の世界には戦争がないので男気を発揮する好い機会がない。
バトルフィールドで遊べば男気が発揮でき、自分自身の心を取り戻すことができる。
男気はゲームで培え!

[442] 無音パソコン h17.1.1
これがuryus_7製ヤフオクパソコン(25万円)の実体だ!!(ヤフオクに再出品するつもりはない。)

左側の蓋を開けて、横から見たところ

性能は満足なんですけれど、音がややうるさいのが欠点。(うるさい→うりゅさい→uryus_7?)それでも、30〜40dBぐらい。騒音の原因は550WのANTEC“静音”電源だ。能書きには30dBと書いてあるから、実際には40dBぐらいだろう。電源をファンレス450Wか、14dBのSuperSilent600Wに変えてやろうと思ったけど、電源はコードがいっぱいあって出力が合わないと入れ替えが難しそうなのと、どうせ電源やグラフィックボードはファンレスで無音にできてもCPUファンのカラカラ言う音が若干残ってこれはもはやどうしようもない、自分で静音に改造しようとするとズルズルとお金が永遠にかかると思って、思い切ってOLIO.SPECのhush-ATXを買ってやったワイ!(もう、ヤケクソ)

ドイツ製だぞ。

仕様書)hush-ATX Silver(Front USBx2 IEEE1394x2)
CPU:Pentinum4 2.8CGHz(FSB800)Northwood
M/B:AOpen AX4SPE MaxU
Case:Hush ATX Silver
Memory:512MB PC3200 DDR SDRAMDIMMx4枚(total2GB)
VGA:Sapphire RADEON X800Pro 256MB※
Audio:SoundBlaster Audigy2ZSDigitalAudio◎
HDD:Seagate ST3200822A 200GB/7200rpm/8MBCache
CD-ROM:TEAC DV-W22E 薄型DVDマルチドライブ
OS:Microsoft WindowsXP HomeEdition日本語版
合計金額 \353,363(税込)(1年間の保障付き)
※ビデオカードは、ファンを取り外してヒートパイプを取り付けています。だから、ファンレスです。
◎サウンドカードを取り付けると、オンボードチップでは聞こえなかった効果音(弾丸の充填音、サイレン、凱旋放送など)が聞こえることがあります。また、Windows Media Playerなどの音楽の音質がぐっとよくなります。

完全ファンレス0dB。でも、厳密に言うと、TEACの薄型DVDマルチドライブの駆動音がする。これは、そもそもノートパソコン用で、普通のデスクトップのDVDマルチドライブと較べると音はずっと静か。それでも、私はちょっとでも音のするのが嫌なので『CD革命』を買って好きなゲームソフトを仮想化した。もはや、光学ドライブは使わないので音がしない。あと、それから、HDDの音がする。もっとも、“弁当箱”(金属製の密閉ケース)の中に入っているので、普通のパソコンのようにガリガリと言わず、下痢便のようにブリブリと小さく聞こえる。これ以外には、まったく音がしない。CPUファンもVGA(グラボ)ファンもない。熱は太いヒートパイプを通って外側のヒートシンク兼ケースに伝わって冷える仕組み。このケースだけでも11万円はする(この前ヤフオクで買ったuryus_7のは1万5千円だった)。このケースは全アルミ製で、インターネットやメールぐらいではケースが熱くなることはないが、さすがにゲームを連続12時間ぐらいやってケースを手で触るとお風呂ぐらいの熱さ(40〜50℃)になっている。中はもっと熱いだろうが。
買ってから1週間になるけど、今のところCPUもグラボも熱暴走することはない。ゲーム途中で動きがカクカクするのは、メールが届いたときぐらいだ。もっとも、グラボはともかく、CPUが2.8CGHzと若干遅いので、BattleFieldのシングルプレイの場合、人数は中(1942は200%、Vietnamは32)、グラフィック設定は高、ディスプレイモードは1280X960X32@85でやっている。人数が中なのは、マルチプレイを念頭においているためと、短時間で気軽に遊べるためと、パソコンの動きがよくなるためだ。グラフィック設定やディスプレイ設定が高いのは、絵が綺麗になるとゲームの味わいが深まるからだ。ちなみに、FFXIベンチ2では、6065-L(とてとて)、5759-H。FFXIベンチ3では、6438-L(とてとて)、4799-Hでした。

BattleField1942 Essen

さすがに、ここの大通りでは、
かなりなHi-Specのパソコンでも
動きがカクカクになる。

それにしても、いくら静音のためとはいえ、35万円とは高くついたものだ。10年寿命が縮んだ。
最後にひとこと言わしてくれ。
『金で物を買うのではない、満足を買うのだ。』
P.S.最近3Dゲームのやり過ぎで空間認識が発達している。スーパーの行きがけの現実の景色を見ても、以前よりもずっと立体的に見える。とくに夜中だと影に敏感になった。ゲームの世界を実在に当てはめて見ている。GeFoは色合いが地味だったが、Radeonは赤みがかって派手だ。最近GeFoからRadeonに変わったので、以前よりも実在の景色が“色っぽく”見える。


[443] なぜ人はゲームをやりたがるのか? h17.1.6
ゲームをすると右脳が働く。(ゲームは絵であって言葉ではないからだ。)
右脳が働くとエンドルフィンが放出される。
エンドルフィンが出ると、快感を感じる。
だから、人はゲームをやりたがるのだ。


[444] バトルフィールドの魅力を探る。 h17.1.7
魔法少女アニメが『絵だけアニメ』と言われるように、バトルフィールドは『絵だけゲーム』だ。(魔法少女アニメは、絵の美しさだけで勝負したいがために、あえてギャグの面白味を加えなかったのだ。マジカルエミではわざとらしいギャグを加えずに、人の心の本音に迫った。)
きれいな景色※を観賞することが、このゲームの最大の魅力だ。
ゲーム自体は大したことない。たんなる多対多の撃ち合いにすぎない。多対多だから、勝ち負けは自分ひとりの実力だけでは決まらない。勝負へのこだわりを捨てたことが、このゲームの新しさだ。(だから、ゲーム下手の人でも難なく遊べる。)
絵のいいゲームは面白い。この美しい世界の中にいるだけで楽しくなれる。

※きれいな景色の定義は人さまざまだが、私にとっては『リアルさに徹した、無駄も不足もない』ことが一番美しいのだ。
無駄とは、実在しない宇宙人やモンスターのことだ。これらの“妄想ゲーム”はお子様向けで、大人心はむしろ拒絶反応を示す。
不足がないとは、グラフィックのディテールが十分細かく、人の心に実在のように思わせることだ。


[445] ぴえろVS葦プロ h17.1.12
ぴえろは、同人誌レベルの漫画絵(例、キクチミチタカ)。面白くないネタで、絵がケバイだけ。
葦プロは、小学館の学習雑誌の連載漫画レベルの絵。絵がヘタウマだけど、面白さがある。
ぴえろはアマで葦プロはプロだから、葦プロのほうが絵が上手い。


[446] マリオとバトルフィールド h17.1.12
ファミコンのスーパーマリオブラザースにもゲームを‘する’楽しさはあった。
でも、グラフィックが弱いので、ゲームを“見る”楽しさはなかった。
パソコンのバトルフィールドにも、ゲームをする楽しさはあるが、なによりも
ゲームを“見る”楽しさにあふれている。
(今どき、PenV733MHzのプレステなんか買っても無駄だね。)


[447] ゲームの効用 h17.1.20
ゲームをすると、現実世界の中で溜まった“イライラが吹っ飛ぶ”(ストレス解消ができる)し、また剣道や柔道のように“闘気を養う”ことができる。
戦いそのものは現実(実在)の中で実行できないが、ゲームの中で培った闘気は現実世界の中で生きていくうえでも役に立つ。
このように、眼先の世界ではゲームと実在とは別れているが、心の世界ではゲームと実在とは繋がっている。


[448] ひさびさにスイートミントを見た感想 h17.2.9
マジカルエミを見た後にミントを見たんだが、動画の出来はスイートミントのほうが上だと思った。
とくに、第1話のあごの線にしびれた。
最近のアニメは画力が弱い。アニメは絵が一番大事だ。動画の葦プロ、美術のぴえろ。東映動画は会社の経営。 


[449] 現代アニメ事情 h17.2.10
どうして、最近のアニメは画力が弱くなったかと言うと…
おもちゃ屋さんが、ゲームばかりにお金を出すようになって、アニメにはお金が回ってこない。
日本のアニメーターは、みんな割のいいゲームの仕事に回って、アニメ界には作画マンがいない。
そのために、作画はたいてい中国任せになる。アニメのキャラクターが、みんな中国人の顔をしている。日本人の表情じゃない。
20年前なら、アニメの監督なら一戸建てに住めたけど、
今ではアパート暮らしだ。
(元ネタはぴえろのだれかさんからの『幻聴』)

[450] ビューティフルジョー最高! h17.2.14
『ビューティフルジョー』は毎回感動の山場があって頑張ってる。
こんなに感動させてくれると、自分が人間に生まれてきてよかった気になる。道徳の原点もここにある。デ・ジ・キャラットなんか、バカバカしいお笑いばかりで本当の感動がないのが寂しい。感動の喜びがあるからこそ一生懸命見るのであって、はじめから感動がないとわかっていたらいいかげんにしか見ない。そもそも感動があるから面白いのであって、感動しないものには嘘っぱちの面白さしかない。ここら辺で、絵の面白さや軽薄な面白さから離れて、文学の原点である純な心の感動に戻るべきだ。うる星やつらから後、魔法少女もいやらしい喜び(女の腐った汚い心)ばかりで、『ビューティフルジョー』のような心の純粋な喜びを忘れている。それを思い出させてくれるのが文学としてのアニメの役割だ。人間の心の中にある綺麗beautifulな感情を、絵や言葉で表現viewtifulして人々に思い出させ守り続けることが文学としてのアニメの使命だ。 

この作品のテーマは“男心”だ。すっきりした味わい。⇔魔法少女は女心。しっとりした味わい。男から見ると、女心は優しくて素敵だとは思うけど、女心でどんなに感じているかはわからない。いっそのこと、女の監督にしてみたら?(なぜか歴代の監督は男ばかり。)


[451] 隠れた名作『ゴクドーくん漫遊記』(1999年作品) h17.2.23
まるで起きながら夢を見ているみたいだ
(天才ですよ、この人は!)
夢は実在よりも面白い!
日本文化の奥深さを教えられた
でも、今は夢よりも実在…
随筆家に転向
(ガラ悪ぅ〜 アホ丸出し。実在と夢の区別がついていないんじゃないの? 実在と夢とじゃ向きが違うんだよ 面白くあろうがなかろうが真実は真実だ。 人は真実を発見するために考える。 反対に、夢は真実であろうがなかろうが面白くなければいけない。面白さは心でわかるものだ。実在の中にある心と、心の中にある実在とは違う。この人は心で物を見すぎる。心主義の末路は不幸だ。)
ギョーザ大王の元ネタは、『餃子の王将』(ラーメンが安い。200円)。福岡中に支店あり。
「ゴクドーくんね…“畜生炭田”って考えてたんだけど。差し止められた。」by幻聴


[452] 魔法少女の極意 h17.4.21
男=女
男であるか女であるかが問題ではない。
人間であるかないかが問題なのだ。
人間であれば、男も女もそんなに違う生き物ではない。
そもそも、男も女も同じ生き物だ。
歪んだ物の見方※に取り憑かれると、男と女が違って見えてくる。それは真の姿ではない。
歪んだ物の見方のために、性の違いで思い悩む羽目になる。それは真の姿ではない。
※性感による分裂気質や無知覚(ガリ勉)による躁鬱気質のこと[実在哲学参照]


[453] 魔法少女アニメの楽しみ方 h17.4.22
想像の世界(夢の国)で自分が女の子に生まれ変わったつもりで見よう。


[454] 魔法少女って何だ?
男の子にはいろんなタイプがある。
かわいい男の子を女の子に変えたのが魔法少女だ。


[455] いかにしてアニメヒロインを愛せるか? h17.4.24
『好き』とは気が合うことだ。
気が合うとは心の働き方が同じことだ。
人の心はみな同じだが、
心の働き方は何を幸福と考えるかによって違ってくる。
心は外見や言葉や行動に表現される。

自分にとってアニメのヒロインが好きかどうかは、自分とヒロインがわかりあえるか否か、つまり自分とヒロインと気が合う(気持ちが似ている)かどうかで決まる。
つまり、自分と性格が似ているヒロインは自分にとって好きで、自分と性格が似ていないヒロインは自分にとって嫌いだ。
自分が好きなキャラクターとは自分と共通性の多いキャラクターである。〔河合隼雄もそんなことを書いていた。『他人を好きになりたければ、他人と自分との共通点を探すことだ。』しかし、実際には共通点が1〜2個ぐらいでは相手を好きにはなれないだろう。共通点が“2本足で立って歩くこと”程度では。また、自分の都合だけで相手との相違点を無視してうまく行くとも思えない。したがって、相手を好きになるためにははじめから自分との共通点が多い(10個以上)ことが必要になるのだ。〕
アニメのヒロインが好きになりたければ自分と気が合う(心が似ている)キャラクターを探せ!
アニメの世界で自分が好きに思えるキャラクターは滅多にいない。〔本気で好きなキャラクターのいない者ほど、自分が好きなキャラクターをゾロゾロと列挙するものだ。〕しかし、アニメの宇宙は広大だから、本気で探せばきっと一人は見つかるハズだ。

≪魔法少女の性格分類≫

魔法少女
♂⇔♀
タイプ
空モモ かわいこぶりっ子
森沢優 いい子すぎ、親の言いなり 愛情がある、
好きな異性がいる
速水ペルシャ きれいっ子
香月舞 ふくれっ面、いつも怒っている
花園ユーミ ただのブス、顔面コンプレックス
ようこ ママっ子、貧乏人
スイートミント ニヒルで軽薄、ひょうきん者
海モモ しっかり者、自分がある

ミンキーモモはいくらかわいくても、私と似た要素がないので好きになれない。〔好きとかわいいは別。〕
ぴえろ魔法少女は、背景がきれいとか動画が細かいとか絵の技術的な面がいい(ちょっと楽しい)だけで、ヒロイン自体はかわいくないし、ヒロインのキャラクターに私と似た要素がないので好きになれない。〔ヒロインと似た要素がある人なら好きになれるだろう。きれいさとかわいさと好きとは別。〕
デ・ジ・キャラットは、話の面白さが主。〔話の面白さとキャラクターの好き嫌いとは無関係である。〕

自分が愛する対象が実在の世界の中にいなければ、アニメの世界の中で探せばいい。
〔でも、しょせんは絵の上だけの話。あまりマジになるな。〕

[456] 魔法少女アニメのトリック h17.4.24
魔法少女アニメは、キャラクターに対する『意味付けの遊び』だ。
魔法少女がことごとく自分と違う確率は、関与する要素数が増えるほど小さくなる。〔占いなんかと同じ理屈〕
∵1−(1−p)^n→1(∀p、n→∞)
ひとつでも自分と共通する要素があれば、その共通性が全体に拡張される。〔本当は相違点のほうがはるかに多いのに。〕


[457] 黙示録 h17.4.30
博多=渋谷=第三新東京市
流行歌促進本部=ゼーレ=政府の英才児調査機関
ようこ=碇シンジ=でじこ(妹ぷちこ登場)=ノーマッド
『男の戦い』柱のしみ
どういうアニメの作り方やねん?
言い逃れようもない。
ほんとは、さきさんとようこの顔は似とるんよ。
ほっきょん=飛鳥ラングレー
飛鳥は、やたら理数系が得意な人
小学生でドイツ語の論文が読めるような人
エンジェル=外国の天才児
日本人は、理数系が強いとは言ってもたかがしれよ
ラングレーはおそらく男と思うな よい子すぎると、女の子に変えられにょー
へたすると、一生女暮らしにょー
伝説を作った2人のアイドル“ERIKO&YOKO”
だれでも、デビューのころは女の子
これがアニメの世界の掟

[458] アニメ雑感(作品に思い入れのある方は、興ざめするので、読まないほうがよろしいかと。) h17.5.5〜

エヴァ『男の戦い』に出てくるどくろの顔した怪物は、私が昔住んでいた住宅の便所の柱に付いていた人の顔の形をしたしみだ。私はこのしみが怖くて、夜中に起きて一時間くらいしみとにらめっこをしたことがある。4月29日(金)22時03分/平成27年8月18日追記)この顔は『大空魔竜ガイキング』の頭の形と同じだ。

飛鳥ラングレーと碇シンジは、本当は同一人物だそうだ。21:03 2005/05/03

「でじこキラキラにょー」女神を作る方法

男のけじめー(PIKO☆PIKO)

エヴァ第1話「使徒襲来」は、じつはロードマンのパンクだ。

大鳥居つばめは、私の仲間のようだ。

ぴよこは、さきさんの10年後の姿だ。

はたして、ようこさんはさきさんの愛情を取り戻せるか?

アダムが実在哲学第1原理のことじゃないかな?

つばめは、男気が強く残りすぎる。(らんまはただの引き金)

少女革命ウテナにも私と私の妹が出てくる。

成恵の髪形がぷちこに似ている

なるたるの玉依シイナの声を真田アサミが当てている。佐倉明≒朝倉 母・美園=みその学舎(私が中1のとき通っていた塾) 貝塚=Q大医学部(声だって) 昭和39年は辰年 ☆彡?

ようこ=バリバリ?

森沢優の持っているコンパクトが、私が小学校の卒業アルバムに載せた連名書きの和のデザインに似ている。(このへんてこなデザインができたのは、ようこと昴[すばる]君がけんかして、ようこの機嫌が悪かったためである。)

私の小2のときのクリスマスプレゼントは、ブタの貯金箱だった。

ガンダム(高校のとき、友人のW君がよく私の前で、シャカはお金持ちのお坊ちゃんだと言っていた。)

あたるの性格が嫌い=天地無用 美星=さき(一目でわかった)&清音=ようこ

リュウ・ホセイというデブは、私が小学2年のときけんかした相手に似ている。このときは、図工の工作のことで級友が彼にいじめられていて、級友をかばうために私のほうが彼にぶつかって行ったんだが、私が痩せていたので、逆に私のほうが吹っ飛んでしまった。

ホセイ≒ホセ・メンドウサ(メンドウサ→冷めうどん、冷やしタヌキ、これが今から約5年前)

ようこ=かおりん(声が。渚カヲル→かおりん、単体でシンクロできるのは本人しかいない。首切られたけど。) ぷちこ=榊(捨て猫がかわいそうで、家に持ち帰ったが、さきさんが捨ててこいと言ったので、泣く泣く捨てた。なんとなくようこ似のあの性格は、姉妹ならでは。) 滝野=ひかるの娘さん 木村が高1のときの担任にちょっと似ている?(風邪ひいて出勤したときには、髪の毛がぼうぼうだった。) 谷崎ゆかり=高校のときの英語読本の先生(山⇔谷) 黒沢みなも=黒江+大野+その他大勢(私をいじめた奴ら) 私は猫に手を噛まれたことがあるし、犬に足を噛まれたこともある。イリオモテヤマネコ→東京ミュウミュウ(ようこ=桃宮いちご=ミンキーモモ+あずまんが大王+香月舞)

ぴたテンの世界 紫亜=シャー⇔美紗=ようこ≒ミルフィーユ 樋口湖太郎=マンション独り暮らしで両親とはなればなれのつばめさん 湖太郎の世界はこれ以上知らない (当時はそんなものが存在するなんて知らなかった。大鳥居つばめさん、鈍くてゴメン。お勤めご苦労様でした。隣の部屋に住めませんか?死にたくないっス。)

よつばと! 地元K大の体育補講のアーチェリーの授業で、四葉のクローバーを見つけたことがある。福岡で住んでいたけいあいビル(恵愛ビル?)は近所の日蓮像のせいで鳩害がひどかった。(Q大教養部時代にW君と1年間同居していたビルもKIビルと言った。ここの409号室に住んでいた。だから、空いていた。一階がスーパー寿屋になっていて、買い物に便利だった。家賃が月37500円の割には3LDKで広くて日当たりがよくて静かで環境もよかった。私は他人との応対が下手だが、W君の応対が上手いので、いい部屋を借りれた。佐賀で下宿を借りるときにもW君のお世話になった。突然尋ねたのに、少しも嫌がらず車で一緒に家を半日かけて探してくれた。いわば、私の母親役だ。) お隣さんのあさぎ 髪の色 風香(よいこ)、恵那(ぷちこ) 第2巻の水鉄砲は、乾電池のこと。ようこさんが14歳のとき引越しした先で投げて近所に復讐した。『さきさんのさきはおさき真っ暗のさき…。』予定外のハプニング。きりんが高知城の下の動物園にいた。

私の周りには、必ずお母さん役の人がいる。(しかも、2年前)

私は、じつは運動音痴で逆立ちができない。しかし、私の父は球技が得意で、スキーもできる。

東京ミュウミュウ 柳田もえ&本条みわ=Q大精神科の教授と助教授(リンク)胸のリボンがポイント ねこのアサノくん(ジャクリーヌとお幸せに)

らんま=ようこ 天道あかね=ぷちこ 良牙=ようこ(林道漠)

デジキャラットのザコキャラ=私の目付け?(今日もスーパーの自転車置き場の前に座ってお化粧直しをしていたおばさん アパートの階段でときどき合った刑事みたいなおじさん 以前隣室に住んでいてわざと私の睡眠を妨害していたM君のドアをある日突然1時間ぐらい激しく叩きに来てとうとうM君を追い出したおじさん)

ちびっ子怪獣ヤダモンを思い浮かべるとヤダモンができたし、マジンガーZみたいなアニメが見たいと思っているとエヴァンゲリオンができた。

納豆が好きなのは、じつはぷちこではなくようこさん。毎日2パックは食べていた。でも、血液検査で尿酸値が高いことがわかってからは、一切食べるのをやめにした。

思い出すと辛くなるから、忘れていたのに。(とてつもない忍耐力)

ツソデしう 子供の頃カタカナのンとソを書き分けできなかった。

ミント#1 最近の魔女は掃除機に乗っている

Q大って、そんなにだめな大学なんですか?

でじこ=きなこ=やすし(1人3役) 鉄腕アトムの裏番

魔法少女アニメの本当の目的は、反体制的な超能力者をおとなしいいい子に変えるためだ。(まんまとはめられた)

ニニンがしのぶ伝(ソドムとゴモラ)

ミトの大冒険 ランバン /南海奇皇ネオランガ ランガVSバンガ(虚神は、科学の力で‘過去の神’をよみがえらせたもの)

マジカルエミ こてまり台=高知市(トポロジー的に同型)

KEY THE METAL IDOL 兄と妹

ブルマ=谷脇さん

ギニューの決めポーズは、私が高校生の美術で作った下手糞な紙粘土細工のこと。牛頭骨のスケッチもした。

ギニューの「すきありっ」 私は運動音痴なので、“剣道”の試験のとき相手の畠山君にまともに面を食らってしまった。(教官が上海列車事故で死亡) 私は父親とけんかしたことがない。

にょ# 水ようかん=スーパーのわらびもち ゼリー錠=ゼリービーンズ かしわもち 私の子供時代の好物

ぷちこやき=わたしとさきさんが博多駅地下街で買ったお土産 私はすき焼きも好物。

にょ なぞなぞ センスいかん(カンちがい) 仁王像(ある人のあだ名) モルモット(中2のとき仲がよかった森本君)

ユーミ#1 花人形=14歳のとき引越しした新居 引越しした当日、弟とのけんかで壁を蹴って穴を開けてしまった。

ユーミ#最終話 不気味な昆虫(ヤスデとトカゲとクモ)は、若草町の県営住宅にいた虫のこと。

ララ#最終話 時間の魔法 魔法のペン=私が小学5〜6年の頃、上町1丁目のスーパーで買った450円のピンク色のシャープペンシル 朝倉農協前バス停で降りるとき、高知県交通バスの中に忘れた。

ペルシャの企画原案で、ペルシャがいたずらをしてドリームランドのライトを壊したとあるのは、じつは私が高校生の頃精神分裂病にかかって、近所の家に向けて乾電池を投げて窓ガラスを割りまくったことを意味している。そのとき、たまたま乾電池の一個が街灯に当たった。ペルシャストアのある夢見ヶ丘とは、高知県高知市福井町1721-91(今から25年前の私の住所)、通称城見台のことだ。

ようこがギニューになるのが嫌だったら、私の哲学日記を精読せよ。

昭和39年には東京オリンピックで光号が開通した。

東京←→高知 サンフラワー号(私も一度乗った。すごく酔ったけど)

はが錬(25年間も) はが錬の最終回でエドワードが列車の窓から上半身を出している。私が医学部学生のとき英彦山に登山に行ったが、行く途中の列車の中で窓から上半身を出していたら、車内放送で注意された。

ようこ(ぷちこ)の才能×さきさんの教育=ニュータイプ

ファンタジックチルドレン#13 ヘルガの描いた絵にも校章が使われている。

天地無用#11〜#13「天地開闢 時空道行」

エミ#1合わせ鏡=私が子供の頃、母親の鏡台で合わせ鏡をして遊んだ。

ペルシャのカッパ3匹の起源は、長尾山町のおばあさんがカッパ好きで、3匹のカッパの置物を飾っていたことによる。

〔朝倉にいたとき、ごつい車3台が家の前に止まった。小学1〜2年のとき、授業中に呼び出されて、大勢の大人から質問を受けたことがある。〕

ドラゴンボールZ 天津飯=三つ目が通る=手塚治のこと ところが、私は戦前の感性が濃い手塚マンガが嫌いだ。だから、私=ギニューの代わりに父親=ベジータが天津飯を殺した。

ドラZ セル=アメリカの超人(彼も時間を逆行できる) コールド=私の父方の祖父(すごくこわい人だったと、私の父が言っていた。)


マジカルエミ#10「高原列車UFOはどこ!?」 戸隠=大杉 雷=繁藤[しげとう]の土砂崩れ(なんかこじ付けっぽい) ぴえろ魔法少女シリーズでは、ネタが薄味で使われているので、どれも判然としない。UFO=UFO研究会(実質的には、ハイキング) 一般性の高いネタが強調して使われているうえに、細部のヒネリが多すぎて、自分の体験を淡く髣髴とさせるだけで、今見てもとても私のこととは思えない。キャラクターも変えられすぎているので、たとえ構造的には同じであっても、心では納得できない。つまり、香月陽一=父、‘陽子’=母、岬=弟、‘中森’洋輔=母方の父、晴子=母方の母、結城将=父方の親戚(キャラ似)。香月舞の服=同窓会のとき私が着ていた五輪のマークの付いた変なTシャツ(五輪が星に変えられている)。ミントもネタの使い方が薄い(後半は超能力ネタ)。デ・ジ・キャラットは、私のこととして意識しながら見てみると、いろんなところが見えてくる。ようことデジキャラットはネタが濃い、というか、同じネタをヒネリも利かさずそのまんま散りばめただけの作り方をしている。とくに、ようこはキャラクターまでまんまなので共感しやすい。(アニメでいつでも家族や親戚の人に会えてうれしい。)デ・ジ・キャラットは、キャラクターがちょっと変えられているが、私だと思って見れば私に見えるからいい(3等親以内の親戚だから遺伝的にも近い)。それにしても、よく調べたもんだ。

スタトレ)スポック→ピカード、ライカ、データ→ガルジュガット、オド→ドクター、チャコティ→タッカー、マルコム、フロックス

でじこ(鈴が3つ) でじことぷちこが一緒に香椎花園で遊んだことがある。

私が出演した主なアニメ作品
私ひとり…ガンダムシリーズ、魔法少女シリーズ(マミ〜ララまで、ただしマリーベルは除く。マリーベル=マリー(結婚した)+ベル(鈴)親戚のベレー帽がよく似合うかわいい女の子、私=タンバリン(妖精化)、リボン(犬化)、ジョージ(王子様)、ポーラ(星の妖精)、人魚の子、不死鳥など多数)、ミスター味っ子(味吉陽一=私⇔ライバル堺一馬(名前でわかる))
私と母…ようこ、エヴァンゲリオン(ようこがかわいかったのは2〜3才のとき受けた電気ショック療法?のせい。小学5年ごろから“眼ぎそが悪く”(母の言葉)なってギニューに似てきた。)
私と妹…デジキャラット(ただし、でじこはスキンの入れ替え、ゲマ=太陽=私)、KEY THE METAL IDOL(儡まわし)
私と弟…鋼の錬金術師(弟は白血病で死亡)
私と父…巨人の星?(私は野球が好きじゃない)、ドラゴンボールZ(ベジータ=父(公務員)、ギニュー=私、フリーザ=父の兄(戦死))
私と一馬(父の兄)…きんぎょ注意報!(わぴこと藤ノ宮千歳)、ミスター味っ子(味吉陽一と堺一馬)、マジカルエミ#15(舞とシェリー)、デジキャラットにょ#63「ご先祖様がやってきたにょ」(でじことガンマン)[一馬の力は絶大で、日本が太平洋戦争を始めるきっかけになったし、(日本がアジアの小国であるにもかかわらず)日独伊3国軍事同盟を結ばせる契機ともなった(→忍空)。私はギニューやようこになったので、日本はアメリカから見捨てられもとのアジアの小国に戻った。]

エミ=私 エミリー=父の兄

ベルダンディー=鈴男

魔法の妖精ペルシャとはーいステップジュン(野々宮潤、絵が上手い)とは中一のときのライバルだそうだ。(加納零=私)

バックスバニー=セル⇔ダフィーダック=ギニュー

スタトレネクスト)「未知なる大宇宙」 エンタープライズ(ピカード)⇔ボーグ(ボーグがはじめて同化できない種族と遭遇した話)

レインボーマン#2 ダイバダッタ=父の兄 やまとたけし=私 雷=2〜3才頃に受けた電気ショック療法

高知←たった2名のため 愛媛←私の妹

ナウシカ(風使い)=父の兄

人類補完計画=ニッポン放送鶴光のオールナイトニッポン(裏目に出た。私の知覚は人々の予想を超えて敏感だった。電気ショック療法のせいかも。父親と私とは違う。)[平成24年1月20日追記)笑福亭鶴光は昔(私が中学3年生の頃、今から33年ぐらい前)『3時のワイドショー』か『3時のあなた』かで高知市の針木[はりぎ]にロケに来ていた。鶴光が山の中で生中継をやっていた[生中継←生←ナマ←カフ(“マ”の下の斜め線を“ナ”に移す)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私]。その山は“カブト虫がいる木”がある山として子供たちの間で有名だった。私が時々虫を採るためにその山に登っていた(実際に、採れたことは一度もなかった)。当時の私はオールナイトニッポンで鶴光のことを知っていたが、針木の山に鶴光が来たのをテレビで見て“変な気”がしていた。人類補完計画とは、政府が再び昔のように神になって人間を完全に支配すること、政府が国民を自分の持ち物にすることだろう。]

ブゲ団誕生秘話
私が医学部学生だった頃、鬱病のせいでようこになったので、親に助けてもらおうと夏休みに帰省したら、家に戻るなり両親の咳払いで撃退された。私には、同級生の医学部の連中がテレパシーで私の悪口を言っているのを親が真に受けたためだとわかった。私はいたたまれなくなって、家を飛び出した。そのとき、私は心の中で「そんなに私が嫌だったら、医学部の連中に面倒見てもらえ。」と思った。そんなわけで、ぴよこの周りには獣医、歯科医、内科医の3人組が付くことになったわけである。(医学部同級生に似たキャラがいた。教養部では医学部歯学部共同クラスで同級生には歯学部生もいた。しかし、九大には獣医学部はない。じつは、私は医学部4回生のとき外科学の実習で犬の解剖をやらされたことがある(ネタ作り)。だから、おそらくリクは私のことだろう。)それから8年間実家へ帰らなかった(ひさしぶりに帰ったのは弟の葬式に出るため)。ぴよこの帽子にパンダの絵があるのは、福岡が中国に近いためだろう。

FC(ファンタジックチルドレン)ギリシア じつは私は幾何学よりも代数のほうが好きだ。なぜか確率は苦手だ。

ゲマ←ようことソフトクリームが上下ひっくり返し 校章とたけのこ

GA第4期最終話+コロッケ!#25→蘭花=弟 

あずまんが#9巨人の人形の背番号が3333なのは、北緯33度33分のこと。3=sun

マリーベル リボン(犬化) 三石琴乃(琴=大正琴、三石=光る石)

私は水が苦手だ。水泳の時間は決まって友達とズル休みをしていた。小学3〜4年の夏休み水泳教室でなんとかクロールで25メートル泳いだ。小学5年になって、やっと平泳ぎを体得した。(この回だけ、なぜかえり子が見たくなった(作為体験)。用事をしながらチラチラ見た。ちょっと可笑しかった。)

デジキャラット夏休みスペシャル#1アメリカでじこ 小学生のとき家族でバスに乗って宇佐の海岸に潮干狩りに行った。

マリーベル#3風船親子(風船は赤い風船)

鉄腕アトムの最終回

マリーベル#4

えり子 瀬山麻美 聖愛女学院=高知市立朝倉中学校 えり子=藤崎くん(彼とは朝倉のゴルフ場の防空壕へ探検に行った。ゲジゲジが頭の上に落ちてきたので途中で引き返した。)

『マンガ好きはいいけど、マンガばっかりはだめ。』(ただし、マンガ家は除く)

マリーベル#44「トゲトゲ草パニック」マリーベルは玉ねぎが嫌いだそうだ(変わってる)。私はニンジンが嫌いだ(食べ過ぎると頭が痛くなるから)。掃除機は薫的のおばあさん家にあるやつ(メーターが特徴的)。

マリーベル#21「星の国から来たポーラ」私の母は資生堂の化粧品が欲しかったけど、値段が高いからポーラー化粧品をしかたなく使っていた。ぼうずりゴシゴシ。

にょOP静岡県

ベル#43「雪の降る日の願いごと」スノーンの宮殿

ベル#44「トゲトゲ草パニック」生放送で見たときはたしかぷよぷよみたいだったのが、たまねぎ

まおちゃん マリーベルから見ると子供の頃の私にそっくり(笑)

マリーベル#36お城が隕石(乾電池)でボロボロ。

最初はつらかったが、見慣れると楽しくなってきた。

エルフェンリート◎ルーシーのキャラがいい 35番の真理子さん(別に嫌いじゃない。ただ、家の母よりは美人だし冷たいかなあ。女性を嫌うなんて男の恥。) 足をぴんこぴんこ 私は生まれつき足が弱いと母が言っていた。 キャラクターにいやらし気がないところがいい。

レン 髪型がようこと同じ

ギャラクシーエンジェル#13千歳の日記 私漢字が苦手(コンピューターは漢字を知らなくても書けるので便利) 小学生のとき「プロゴルファー猿」が好きでサンデーを毎週買っていた 任天堂のゲームボーイも持っている(8年前に買った) 会いたいですか?(暇な時間はけっこうあります) 他人に見られて悪いことをするな!(厳しい) ランファさんの髪飾りは浣腸?(→尿瓶[しびん]) 最近のテレビは大型(これしか娯楽がないもんで)

ミント#33寝袋

つばめさんは私よりもハンサムですね。

突然わかってしまった。アイドル伝説えり子 朝霧麗=谷脇さん 阿木星吾=秋沢くん 大沢洋=柴さん(ブラスバンド部) 松田くんとか神野とか(懐かしいなあ)

エリリンとかヨッキュンとかミントの持っている星のペンダントはウルトラマンのことだ(ずいぶん落ちた)。

間違っていました。えり子(色っぽすぎ) 朝霧麗=妹 阿木星吾=弟 美奈子=母 雄介=父 項介=原田俊雄 朝霧良子=これも母 大沢洋=これも弟 瀬山麻美≧ようこ(子供の頃はようこでよかったかもしれませんが、この歳(41歳)になると普通の人がいいです。) 中田晴子=ほっきょん(顎のライン) 冬美 カオリ(これ以上は、まだビデオ持ってないのでわかりません)



パパ

ママ
日本文化はすばらしい。こんな人たちが日本に居たことを憶えていてね。


マリーベル ケン=弟=魎呼

パステルユーミの世界 ユーミ=北村さん(そばかす) 恭平=健太=一郎=桃子=ダン吉=袋小路=国光=かき丸=ケシ丸=私 

私のネタは大方尽きたろうから(最近おもしろいイベントないし)、そろそろ岩手県の人を出したらどうかね。そっちのほうが元気があっていいだろうが(多少頭は劣るけど)。ハンサムな男の取り合いとか。今のアニメのやり方では、同じひとりの人間の顔を少しずつ変えてキャラクターを作っているだけだから、キャラクターが偏って絵の味が単調だ。(それとも、一般応募して出演料せしめましょうかにょ?)

マリーベル#33「マリーベルのパパとママ」自分が女の子にされた気分にょ〜

スイートミントに関しては、絵よりも声(音響)のほうが好い。

アニメの人へ 超能力ネタは見ると本人が発狂スレスレで泣き出すからあまり出さないように。まじめな話よりもふざけたおかしい話がいいです。例えば、ケツの底が破れたとか、ブッ細工とか、字が汚いとか、日常的な失敗談のほうがいいです。

魔法の妖精ペルシャ 後期OPおしゃれめさるな 私が小学4年生のとき、母親の真似をして口紅塗って遊んだことがある。初めてのデート=西森君が私を東京で三省堂やサンシャイン60のプラネタリウムや御茶ノ水女子大近くの橋のたもとにある喫茶店に連れて行ってくれたこと(1982年10月のこと)。

マリーベル#5「サニーベルの思い出の木」とは、九大本学西門から入ってすぐのところにある大きな銀杏[いちょう]の木のこと(→マジカルエミ#26「枯葉のシャワー」)。マリーベルは考え事をするときは逆立ちするそうだ(小さい頃に聞いた気がする)。ポップコーンが好きで薫的のおじいさんの家でも食べていた。

マリーベル#50シェルボー教授が聖なる木に投げているのは、TIGERのSAHARA。ところがこれを買ったのは、今から2年前。それ以前は、水筒を持っていくことはなかった。登山のときはポリタンクだし。マリーベルの放映は今から13年前。どうなってんの?

つばめさんにはすみませんが、大鳥居つばめは私の母です。それか、母の生まれかわりです。

平成17年6月8日 葦プロの葦の意味はストロー。

No.はNumberの略なのに、どうしてoに.なんだ?

「ぼく、ようこしゃんがすき。」それは光栄です。それじゃ、#36「猫子ちゃんのユウウツ」でも見せてあげるか。これでは物足りないので#1も見た。

6月9日 かえる←私が中一のとき通っていたみその学舎の森本先生の国語のテストの俳句を現代語に訳す問題で、わらべをかえるのことと間違えておかしな解釈をしてしまったことがある。あとで、先生に笑われてしまった。(難易度高すぎ)

elilin←もとはell(うなぎ) たしか中一のとき英語の担任の沢谷先生?が黒板に書いた。

6/14 エリリンは先代の私(2才頃の私)が今の私につけたニックネームだ。顔やスタイルがようこより良すぎるから、先代自身なのかも。[楽譜(4線譜…お父さんと今の私の下手な歌のイヤミ?)とか変な絵文字をスケッチブックに書いた記憶が今の私にもうっすらとある。]むかし父親が住んでいた長尾山町の小川では手づかみでうなぎが採れたそうだ。うなぎ→ell→elilin。[これは私の私見だが、ellは英語なのに、象形文字。ふつう英語はイデアやイメージを音で表現するのに、ellだけなぜかうなぎの形を表現しているところが特異的。]

土讃線とは、土佐を讃える[たたえる]こと。

6/16 NHKは、なぜNとKの間にHが入っているんだ。

6/17 未来少年コナンの三角塔は、こどもの科学別冊の紙飛行機の本vol.2の中にあった三角胴の飛行機に由来している。

あずまんが#13 神楽、かおりん=今の私 美浜ちよ=先代の私 大阪さん=漫画家自身(たぶん)おそらくこいつらとなら自分が美少女はれると思ったのだろう。とも「あんたよりはかわいい自信あるし」

6/18 紙飛行機は今の私が折ったのではない、先代の私が折ったのだ。

えり子 田村雄介=先代の私(私の父親ではない。)

ギャラクシーエンジェルズ 弟萌え

6/28 えり子#18[25メートルのファンタジー」夏休み子供水泳教室。たしか小学3年のとき、高知市営プールで夏休みのはじめ7月下旬に1週間くらい水泳の苦手な子供たちを集めて水泳の練習をやらされた。最終日25メートルをクロールで泳がねばならなかった。私は飛込みができなかったので、下からスタートした。なぜか、開始直前に1コーナー増えた。アニメではびりだったが、実際には8人中5〜6位ぐらいでした。なんとか泳ぎきった(1回ぐらい足着いたかな。)

7/7 地球上でようこをさらえるのは(@_@)君だけぴょ〜ん。

7/28 えり子#41「不死鳥の旋律」じつは私はスキーが滑れないのだ。そもそもスキーをしたことがない。インチキ!では、なぜ、えり子がスキーできるのか。それは、私のお父さんがスキーが上手に滑れるからなのだ。

7/30 勇者警察ジェイデッカーでは、主役の友永勇太が妹で、姉のあずきが私だ。兄弟の入れ替え。これには、妹のほうが早く気付いていて、放送当時からビデオを全巻持っていた。

8/3 ターンAガンダムのひげは、朝倉第2小学校の校章だ。
   とんでぶ〜りんにおいても、私と妹の入れ替えが見られる。(私=国府果林、妹=水野光一)
   国府果林(白鳥由里)の話し方が私に似ている。

8/4 勇者シリーズはエクスカイザーからダグオンまで一話も欠かさず見ていました。ファイバードの主人公(香取真吾)のキャラクター設定が“生真面目バカ”で自分がイメージしたキャラクターとうりふただったのが気になっていました。私と妹の入れ替えは最後までわからなかった(14型テレビが小さすぎたためか)。ガオガイガーははじめの10話ぐらいまで見て気に入らないから見るのをやめた(絵柄が重たすぎる)。


8/15 むかしヤフオクで千葉県のtyaharun(?チャハルン)さんから取引があったとき、おまけにヨッピー(千葉ではこう呼ぶ)のガシャポンフィギュアーを付けてくれた。今年の夏は実家に帰ってお母さんやお父さんにいろいろ訊いてみたけど、全然知らないと言った。私が「自分が小さいとき神様だったことはあるか?」と尋ねたら、父も母も「私が神様だったことはない」と言った。でも、それじゃ、この写真の後ろの哲学っていったい何ですか〜?OPのダイアリー♪と合わせると『哲学日記』になると思いますが。それに、NHK教育で昔あったピコピコポンの第2部最終回は、私が小学4年生頃に描いたマンガと同じオチだった(小4の頃はまだ分裂病にかかっていなかったから、念波が飛ぶこともない)。私が小学生のころ、浅野先輩が私に「肉団子にされる」とか「コバンザメ」とか言ったのを憶えている。また、実家のテレビでKABA.というハーフの芸人も見ました(KABAは私がバトルフィールドで遊ぶときのニックネーム)。ニュースキャスターのファッションもなんか変です。どうしてか、わかる人います?>メールください。


8/18 私が『アルプスの少女ハイジ』が嫌いなのは、母がハイジで私がクララだからではなく、人生の奇麗事ばっかり書いて汚いことを書かなかったからである。あんな奇麗事ばっかりしている人間は実在しない。生きているうちには汚いこともするが、最終的にそれをどう考えるかだ。

8/20 現代風マンガの見方(難しい)
アイドル伝説えり子「復活のアリア」全然復活じゃなかった。半ベソで歌っていた。これが事実だ。
魔法陣グルグル 第1巻だけおもしろくて、あとはつまらない。私の人生も子供のときだけ楽しくて、あとはつまらない。しかも、どう見たってギャグが他人の借り物。画力はまあまあ。

8/21 『ツインテール』
私が中学3年生のとき、私立高知学芸中学校の数学担当の山野上昭光先生(東京大学卒。かつて高知学芸中学校の学力テストで500点満点中495点を取った最高記録保持者。)が教壇で「ねこまた」と言ってニヤリとした。(ねこまたとは、しっぽが二つに分かれている猫の奇形のことで、女性の子宮のことを意味するらしい。)これが1979年頃で、おそらく『ツインテール』の元祖であろう。(ちなみに、帰ってきたウルトラマンに登場する不細工な怪獣は、関係ない。それにしても、「帰ってきた」とは何を意味するのだろう?)
参考>http://www.fuzzy2.com/words/twintail.html←この人もお目が高い!いろんなアニメをひとつの統一概念で見ているところが普通の人じゃない!

8/25 アイドル伝説えり子#22『夕陽の受難曲』カオリは自殺するために自転車に乗っているのではなく、じつは健康のためにサイクリングをしているのでした。医学部に上がって馬出(まいだし)に引越しした頃には、週末の土日になると、近所の立花山周辺へサイクリング+山登りに出かけていました。しかも、ダサダサの紺のジャージを着てです。赤信号でも自転車が止まらないのは、私が地元の高知で高知大学を辞めて浪人していた頃、高知市民図書館2階閲覧室で勉強していましたが、そのとき誰かに自転車のブレーキのワイヤーに切れ目を入れられて、昼食のために外出していたとき、県庁前の交差点で赤信号でブレーキをかけてブレーキワイヤーが切れて止まれなかったためです。ヒヤリとしましたが、なんとか無事でした。あとで図書館に戻って、近くの席にいたそれらしい2人組に「お前らがやったろう?ちょっとそこまで顔貸せ」と言いがかりを付けて、危うくケンカになるところでした。それ以後は、自宅でおとなしく勉強することにしました。

8/29 ネタを濃くすると、一部の人には受けがいいが、人気(視聴率)がなくなる。(えり子、ようこ、ギャラクシーエンゼル、デジキャラット路線)
反対に、ネタを薄くすると、人気は出るが、つまらない。(その他のアニメ)
マリーベルとかはその中間で、うまいと思う。

8/31 マリーベル#31『フラワードアで大混乱』ビビアンがはたきを掛けているのは、仏壇に飾ってある黄銅製の葡萄?。だから、色が黄土色をしている。たまには、掃除も手伝った。

9/16 えり子の最後の難関突破!!…えり子はピアニッシモとフォルテッシモの2匹の犬を飼っている。フォルテッシモとピアニッシモは家に仕掛けておいたゴキブリホイホイに捕まった哀れな2匹のゴキブリ…なのではなく、フォルテッシモが私の犬化で、ピアニッシモのショールがようこの伏線…なのでもなく、フォルテッシモもピアニッシモも九大精神科の私の同期生だ。つまり、ピアニッシモが東(ひがし)さんで、フォルテッシモが馬渡(もたい)さんだ!(わかるまでに、3ヶ月もかかった。)私が九大病院に勤めていた頃(平成2年)は、閉鎖病棟にプリンセスチュチュのヒロインと同じ名前の私とよく似た女性の患者さんが入院していた[ワルノリ]。

夢 h17.10.8
初代ミンキーモモの『夢』=高1のとき、私が和田君に、『自分の部屋の中で血まみれの生首が宙に浮いている』夢を見たことを話したことがある。
2代目ミンキーモモの『夢』=大学生の頃、ときどき哲学日記帳の中で自分が昨夜見た『夢』のことを書くことがあった。
3代目ミンキーモモの『夢』=私のHPの一般向け掲示板の『夢』。

ガンダムシリーズ* h17.10.31
私が小学中学年頃までは、ちょっとばかしかっこよく、アムロ=レイを張れていた。残念ながら、高1のときカミュ=ビダンになってしまったが。ZZのジュドーには、これまで会ったことがない(おそらく吉村?)。

平成17年11月2日
わぴこ…大学生時代、私は床屋に行くのが億劫[おっくう]で、3ヶ月に一度しか行かなかった。前髪が伸びてくると前が見えにくくなるので、部屋の中では前髪を輪ゴムでくくってとめていた。

[459] アニメがわかるとは? h17.12.13
アニメがわかるとは、絵の裏側に隠れている意味がわかることだ。
その点では、文字による読書と変わらない。
贅沢を言えば、絵の奥にある意味が、自分の心にしっくり来ることかな。
要するに、キャラクターの気持ちがつかめるってことだね。
たとえ姿かたちが自分と似ていなくても自分と性格が似ているキャラはわかりやすいし(例、えり子、タンバリン、みつきなど)、
反対に、たとえ姿かたちが自分と似ていても自分と性格が似ていないキャラはわからない(例、ようこ)。

明るい系よりも寂しい系のほうがリアルって気がする。
身近に明るい人ってあんまり居ないもんね。
(アニメの上だけの明るい人格も一概に否定はしませんが。)
常人離れした長所を持っている人や何の苦労もない普通の人よりも、
人間の持っている弱さをどうにかこうにかやりくりしている人のほうが好きだ。

[460] アニメは綺麗に見よう h17.12.23
人間は眼で見えるものに、自分が知覚に持っているイデアで意味を付けながら見ている。(カント)
だから、同じものに対しても、上品なイデアで意味付けながら見れば綺麗に見えるし、
反対に下品なイデアで意味付けながら見れば汚く見える。
眼が開いてさえいれば絵は誰にでも見える。
絵に対する意味付けにおいて、個人のセンスが問われるのだ。
ただ漫然と絵を見るのではなく、自分で絵の意味を考えながらじっくり見よう。
わざわざ汚い意味付けをして見るのはやめよう。(『主人公がブサイク』なんて、薄情な意味付けをして見ちゃダメよ。)

理系の人は絵の全部に対して意味付けをしなければならないと考えているが、
アニメなんかの創造物では在ることないこと混ぜこぜだから、
絵の一部に対する意味付けができればいいのである。
アニメはいろんな人に受けるように作られているので、
わざわざ下品な意味を拾わなくても、
上品な善い意味だけを抽出するようにして見ればよいのだ。
むしろ絵そのものの(細かい)意味なんかどうでもいい、
話の(大まかな)骨格が見えればいいのだ。
眼先の絵の美しさよりも、話の構造にこそ深い味わいがあるのだ。
アニメを見たあとで、アニメ感想文なんか書くといいかもねっ!
自分が頭の中で本当に感じたことを、自分で言葉にしてはっきりさせて確認するのは大事なことだ。[理系の人は、自分の心で思ったことを表すのが苦手(というか、そういう性格)だから、話の粗筋を自分の言葉で言い表すだけでもいい。そうすれば、ものに対する自分の見方が自分自身でわかるだろう。]
何に対しても、雑に見る習慣をつけるのはよくない。量よりも質。狭けれど深し。もっと丁寧に見よう。

[461] 私の性格 h17.12.24
『これが私の御主人様』の沢渡みつきちゃん(13)=小学生頃の私と性格がうりふた。
原則として、異性を好きになることがない。(ときどき同性を好きになることがある。)
友達はいてもいなくても平気。(幼稚園頃から独り言が多かった。)絶対に、自分から友達を作ろうとしない。
ようことサキさんは、とってもなかよし。

[462] 魔法少女アニメ(エリリン、ヨッキュンを含む)の見方 h17.12.25
性別や服装や髪型によらない抽象的な見方で見る。
そうすれば人間の本質が見えるであろう。
「こ、このアニメ、絶対元ネタありありって感じじゃん。」

[463] スイートミントの見方 h17.12.26
各話が“ある人”(つまり私)の主義、思想、性格、あるいは事実を表している。
だから、スイートミントを見ることは、“ある人”についての理解を深めることにほかならない。
このことは、一般に、魔法少女すべてについて当てはまる。

[464] AT−Xようこそようこ番宣CM h17.12.29
『子供が泣いていて、木に風船が掛かっている。』のはお約束で、頭の中でカット(無視)。
そういうシーンはストーリー展開のために用意されたウソの作り事で、事実ではない。
反対に、お約束では捉えきれない、意外性のあるところは事実だ(例、本庄美風のもずく好きとか)。

[465] えり子とようこ h18.1.2
コチコチした世界の中での面白さのほうが、
歌と踊りで心の世界に行ってしまった面白さよりも面白く感じる。
まじめおもしろだ。
漫才でも映画でもアニメでも変わらない。
背広で漫才するほうが面白い。
本当の面白さは、実在の中にあるのであって、
実在から遊離した心の中にあるのではない。
実在と心との噛み合いが大事だ。

ドリフの長屋コントとブロードウエイのミュージカルと、どっちが面白いと思うか?
一流評論家の評価よりも、自分の心だ。
ようこはガシャガシャして安っぽい。
本命はえり子だと思わんか?
ちゃんと仕事や勉強しとったら、まじめおもしろ以外わからんと思わんか?
なんもしとらん奴ならミンキーモモ(初代)でもわかるけど。

[466] えり子とようこの比較(その2) h18.1.2
絵から入りにくければ、
まず言葉から。
つまり、LDの裏とかムックをよく読んで、内容を言葉で理解してから絵を見る。
ようこの言葉は、重い、と言うか濃厚。(声優の声質が。)
内容も密い。喋ってばっかり。
えり子の言葉は、軽い。

[467] アニメヒロインの顔 h18.1.2
魔法少女の頃は、顔がみんな違う。
最近は、安定してきた。

[468] これからのアニメ h18.1.3
アニメも文学の端くれだから、
ただ面白いだけではなく、
子供(や大人)が『見てためになる』要素も取り入れなければならない。
娯楽性+実用性を狙おうか。

この世には、
数学や物理学の概念で書けない(書きにくい)“法則”もある。
そんな『人生の法則』を考え教えるのが文学の務めだ(人生学)。

[469] ようこそようこ h18.1.3
アニメにしては話が難しい。
かなり、高学年向きだ。
大学生以上の大人でないとわからないかも。
まさに、“大人の見るアニメ”だ。

[470] 『絵を見て話を見ず。』 h18.1.3
1)まず、DVD−BOX付属の解説ブックレットの“各話解説”を何度かよく読んで、話の粗筋(骨格)をしっかり頭に入れる。(各話解説のない解説ブックレットでは役に立たない。各話解説は長く詳しいほうがいい。)
2)実際に、アニメを見る。
これで、アニメの理解がいっそう深まることでしょう。

[471] アニメの見方 h18.1.4
アニメには絵とか歌(BGM)とかあるけれど、話を見るのが一番大事だと思う。
絵や歌にしか気が回らないのは大人気[おとなげ]ない。
台詞[せりふ]の細かいところにこだわるのも面白い。

[472] ようことえり子の比較(その3) h18.1.4
えり子のほうは、淡々と事実が積み重なって行く。
台詞よりも客観的な事実で語ろうとしている。
理系のセンス。
ようこのほうは、台詞の味が濃く、いかにも『文学している』って感じだ。
事実(絵)よりも言葉に積極的に気持ちを乗せようとしている。
文系のセンス。
いわば、ようこは、“絵よりも言葉で見るアニメ”であり、
そういう意味でも“大人の見るアニメ”だと言えよう。
[当時私は26歳で、いい年こいた大人だった。]
(GAINAX系アニメにも、その傾向がある。)

[473] 文系と理系 h18.1.4
初代ミンキーモモは文系のテイストで、
ぴえろ魔法少女シリーズなんかは理系のテイストがある。
(ぶらざあのっぽ系も理系である。)
初代ミンキーモモなんかは絵が心で、
ぴえろ系と後期葦プロ作品群は絵が物だ。

文系の世界では、物が心に従属している。心のほうが物より広い。

反対に、理系の世界では、心が物に従属している。心は物の中にある。

理系の人は、物だけ見て心を見ようとしない。
心に疎い。心に関する概念を知らない。
理系の人は、空想成分の表現に戸惑いを感じて、なかなか受け容れようとしない。

文系アニメの世界では、登場人物がみんなそれぞれの心の世界の中で生きているという約束がある。
心は必ずしも物の上に表現されず、言葉としてのみ表されることがある。
反対に、理系アニメの世界では、みんなが共通の実在の世界の中にいて、それぞれが特定の事柄に関心を持って得意であるという約束がある。
心はすべて物の上に表される。心は必ず物つまり絵(登場人物の姿や態度)として表さねばならない。だから、物だけ見ていれば、登場人物の心がつかめる。
理系アニメでは、物の上に表されない言葉だけの世界の存在は許されないのだ。

理系の人は、物を組合わせて(あるいは選択して)面白いことを考えるが、
文系の人は、面白いと思ったら、物になろうがなるまいが、言葉や絵で表そうとする。
理系の人も、実在しない空想的なものを考えることがあるが、専らその性質に注目するのであって、面白さに注目するのではない。

私、個人的には、文系よりも理系のほうがシックリ来るので好きだ。

[474]最近のテレビの傾向 h18.1.5
最近は、アニメでもドラマでも、言葉よりも絵(物)で見せることが多い。
昔のアニメやドラマでは、もっと言葉が活きていた。
“言葉の面白さ”があった。
絵や歌しかわからないでは、大人気[おとなげ]ない見方だ。
絵や歌や言葉の奥にある本質(つまり、心)が見えてないといけない。
形や音(つまり、絵や声)にとらわれて、物の実体(つまり、人の心)を見ることを忘れてはいけない。
もっと構造的に見ないといけない。
例えば、
ようこそようこ#1〜3、『いつもお母さんといっしょに行動する』性格(心の特性)。
ようこ#5「真夜中のライブ」、『他人の汚いうそを許せない。』
ようこ#6「響け!心のバイオリン」、『身分や地位にこだわらない。偉い人もそうでない人もいっしょだ。』
ようこ#8「すてきなハンズロフト」、リアカー『物を大切にする。』
ようこ#12「魔女は月の夜に」、『私はおばけが怖い。』
ようこ#22「公園通りの動物園」、『一晩寝ると、考えがコロリと変わる。行き当たりばったり』の性格。
ようこ#27「ようこそカレー行進曲」、『お母さんが作ったカレーが大好き。いつも3杯はお代わりする。』(まんま)[私が小学低・中学年頃はバーモントカレー(甘口)で、高学年頃はバーモントカレー(中辛)で、中学生以降はジャワカレー(中辛)だった。肉は、いつも鳥のモモ肉。]とか。

[475] アニメの見方のコツ h18.1.6
登場人物すべてが自分だと思って見ればいい。
アニメでは、絵よりも台詞に味がある。

[476] 子供から大人へ☆ h18.1.7
ようこ「楽しければ、それが素敵なことだと思います、ハイ。」
たしかに、私も子供の頃は、何でもただ楽しければいいと考えていた。[そう考えながら見ると、それほど変でもない。]
思春期になって、感情は当てにならないことを知った。
大人になると、感情には肯定してよいものといけないものの2種類があることを知った。
嫌なものを堪[こら]えることは子供の頃からあったが、好いものを堪えることが子供の私にはなかった。

[477] 台詞で読むアニメ h18.1.7
文学は面白さが基調だ。
面白さは心でわかる。
だから、文学は心で理解しないといけない。
アニメにおける絵は、実在における物と同じだ。
絵にこだわると、心が見えにくくなる。
心は必ずしも絵に表されない。
心は言葉に表される。
だから、言葉で見るようにしないといけない。(例、空モモ)

[478] ようこそようこ#36「猫子ちゃんのユウウツ」 h18.1.8
その意[こころ]は、『仕事と遊びの分離。』
私は、小学4年生頃から、仕事と遊びを統一しないことに決めた。
仕事は生活費を稼ぐためであり、
遊びは自分の心を満足するためであって、
両者は異なる活動である。
(もっとも、自分が大嫌いな仕事に就くと、自分が鬱病にかかるので注意。)
同じテーマを扱った作品としては、
スイートミント#33「情熱をスキーに乗せて」
スイートミント#46「希望をくれたほうき星」などがある。

[479] 歌について h18.1.23
歌とか絵とかは作品に対する最低の見方だ。そんなものがわかっても何の価値もない。
作品に内蔵されている『実在的真実』に注目することこそが、作品に対する正当な見方だといえよう。

[480] 『アイドル天使ようこそようこ』に見る私の生活水準 h17.2.7
衣…第9話『ステキなカンちがい』、第25話『ニュートレンディを探せ!』
食…第27話『ようこそカレー行進曲』
住…第3話『すてきなロフト』、第8話『すてきなハンズロフト』
要するに、“貧乏”ということだね。

[481] わかるということ h17.2.7
“わかる”とは、作品の内容が“自分の実生活の経験に照らして共感できる”ことだ。自分と共同体験できることだ。
例えば、『アイドル天使ようこそようこ』の
第12話『魔女は月の夜に』
第28話『ガラスの中のアイドル』
のような、“現実味のある一般性の高い話題”がいい。だれでも、人生で1度や2度は、“同じような思い”をしたことがあるだろう。
それ以外の話は、私の個人的体験にすぎないので、わかる人が少なかった(あるいは、いなかった?)。
とくに、第9話『すてきなカンちがい』や第10話『ようこそ湯ートピア』のような、ひとりだけで浮いているチャラチャラした内容では、他人の共感を寄せ付けないので絶対に駄目だ。だれが、こんな話と“同じ思い”をしたことがあるだろうか!?(私もありません。)[ギャグは、可笑しいだけで本当はわかっていない、そんな空しい世界だ。]

[482] どうして『アイドル天使ようこそようこ』はおもしろくないのか? h18.2.9
理由は、私が(他人にとって)おもしろくないから。
私のおもしろくなさまで、作風に入っているのだ(究極入れ)。

2006/02/15
ガンダムアイキャッチ「シュー」←田中周(たなかしゅう)(私が高知学芸高校2年3年F組のときの同級生。彼はドラゴンボールZのギニュー特選隊のバータのモデルにもなっている。ジースは、登山部でいっしょだった小松君だ。ジースが“パンツの履き替えが速い”のは小松君の得意技?ついでに、故手塚治虫の描いた『鉄腕アトム』の指が5本なのは、私が人間だから。…ということを私が知っているのがきっかけになって、最近鉄腕アトムがリメイクされた、と思う。私が昭和39年に生まれたこととも関係がある、かな。)

2006/02/17
ぱにぽにだっしゅ「オブ・ジ・イヤー」←Game of the year 2003受賞 CALL of DUTY

[483] 魔法の妖精ペルシャ h18.2.21
小さい子供が見てもわかるように、子供の概念だけを用いて(組合わせて)話しが作られている。
後期は、人気が出て視聴率が上がったのを配慮して、多少大人向きに大人の概念を混ぜて作って、大人っぽい世界になっている。

[484] ようこそようこ h18.2.21
『文学=元ネタ(事実)+脚色』
普通のアニメでは脚色が中心で元ネタをちょっと加えるだけだ(元ネタ≪脚色)が、『ようこそようこ』では元ネタが中心で脚色を控えめにして私ネタを組合わせて(例、裸(中2)+エプロン(33才)=裸エプロン)強引に話を作ってある(元ネタ>脚色)。
その結果、私の実生活を反映してわびしい悲しい物語になってしまった。

[485] えり子とようこ h18.2.22
えり子は絵と音楽だけで、話がない。キャラクターデザインが気合い(最高傑作)。えり子と私とは性格がなんとなく似ている。
ようこは絵は見て楽しいほどではないが、私のネタを使って話作りに苦心しているところがおもしろい。絵よりも言葉に注意しながら見ると面白い。私の暮らしぶりの雰囲気をそこはかとなく伝えている。

[486] ペルシャ#2『猫になったライオン』 h18.2.22
話の粗筋は、“ダンボール箱に捨てられていた子猫をペルシャが見つけて拾ってきて、一度は親に捨ててこいと言われたが、すったもんだのあげく家で飼ってもらえることになった”というよくある話である。
話があまりにも“女の子向き”で、男の気を魅く[ひく]要素がない。(第1話は面白かったが。)
私は、つまらないのでゲームをしていた。
男の子にも受ける要素がないともう見てやんないゾ。
なんか、『ペルシャ』は話数の奇偶で、男の子ネタ、女の子ネタをかわりばんこにやっているような…。
それに較べると、『パステルユーミ』なんか全話ことごとく男の子ネタで固めてあるし…。[どおりで、女の子には人気がないはずだ。私は面白かったが。]でも、男の子の人気はあったのかな?顔で見て嫌った人も多かったんじゃないかな。アニメのキャラクターでも実在の人間でも、『話さなければわからない。』顔で見るな、言葉で見よ。人間を顔で評価するなんてまちがっている。人間の価値を顔でしか評価しないなんて、あまりにも失礼だ。(顔で見るほうがバカ。)言葉使い(知覚)で評価しなければならない。私が朝倉第2小学校5年生から朝倉中学校1年生までKさんのことが嫌いだったのは、顔が悪かったからではなく、頭が悪かったからだ。

[487] 最近のアニメを応援します。 h18.3.3
真面目な(現実的な)アニメよりも、ギャグアニメのほうがいい。
『えり子』は顔は良かったが、歌以外は話が地味で盛り上がりに欠けた。
『ようこそようこ』は、顔も話も制約が強すぎて、顔が悪いうえに話が現実的になりすぎて面白さがなかった。(田中陽子さんは、あまり服を持っていないのですか。)
せめて、その現実がもっと楽しいものであったらよかったのだが…。(私が高1のとき分裂病に罹ってから、ろくな体験がない。)(私の現実を知りたい一部の例外者を除くと、とうてい見る価値がない。)
最近のアニメのほうが、話の制約が緩くて、自由に作り話ができるので、やはりおもしろい!
絵も“顔”がよくなっているし、見る楽しさも十分。。

【コラム】
・G.A.第2期OPでランファさんが吐いているのは、私のお母さんが作った『レモンティー』だ。(私には美味しかったが。)弟はいつもコーヒーか冷蔵庫で冷やした水ばかり飲んでいた。
・高知学芸中学高等学校の学力テスト→学と力(魔法の妖精ペルシャ)

[488] アニメは絵よりも言葉で見よう。 h18.3.3
絵の良し悪しは、画家にしか問題にならない。
画家以外の一般人にとっては、自分で絵を描く機会がないから、絵の上手下手なんかどうでもいい。
それに対し、言葉は誰でも容易に真似でき、一般人の思想・行動に与える影響が絶大である。
アニメだって、言葉の世界にちょっとばかし絵が付いただけだ。
昔やった『スタジオぴえろの魔法少女シリーズ』なんかは例外だ。
あんな感じで他のアニメなんか見れたもんじゃない。
もっと絵よりも言葉に寄った所でアニメを見よう。
そういう目で見ると、『魔法のエンジェルスイートミント』なんかも、素朴でいい味を出しているじゃないか。(絵も昔の小学館の学習雑誌の連載マンガみたいで好き。)
とにかく、『絵がヘボイから見る価値のない駄作だ』と決め付けるのでは、アニメに対して冷たすぎる。薄情すぎる。
絵は眼さえ開いていれば誰にでも見える。そういう意味では安請け合いだ。
もっと知覚を働かせて、作品中に使用されている言葉に敏感になって見ると、何か新しい発見がある(かもよ)。
それでこそ、『通の見方』だ。

[489] ゲームの醍醐味(BF;バトルフィールドの世界) h18.3.3
ゲームの面白さは、『自分で自分の気に入った戦略を立てて、自分がその通りに行動する』ことにある。
自分の、自分による、自分のための戦争。
いわば、自律だ。
私は、あまり“銃でバリバリ撃ち合う”の(戦争バカ)が好きじゃやない。
独りでのんびりやるのが好きだ。

[490] どうして私は女の子なのか? h18.3.4
まず、第一に考えられることは、『私が高1のときオナニーに耽って精神分裂病にかかった』のがあまりにも男として不甲斐ないから。
しかし、この仮説では、私が小学生の頃からあった『東映魔女っ娘シリーズ』とか『UFOロボグレンタイザー』とかの説明がつかない。
そこで、次に考えられるのが、私が小学1,2年生の頃、朝倉小学校から集団下校しているとき、途中のキャベツ畑のあぜ道で、私の隣に住んでいた1才年上の浅野耕太先輩から、何かの機会に「お前は女の子みたいだ。川野ノブ子だ。」とからかわれたことと関係があるのかもしれない。
たしかに、私は幼稚園の頃から内気で無口でおとなしい性格で、いわゆる“男らしさ”がなかった。たとえ身体が男でも心理的には女に近かったのかもしれない。でも、中学生になるまではずっと外で虫捕りやゴルフをして遊んでいたし、近所の遊園地のジャングルジムやブランコでよく遊んだし、戦艦や戦車のプラモデルを作るのが好きだったし、男の子らしいところも多分にあったことも事実だ。
けっきょく、私が女の子であることに大した根拠はなく、やはり『脚の毛を描かなくていいし、絵が簡単で済む』からではないだろうか。

[491] どうして私は女の子なのか?(その2) h18.3.5
非ユークリッド幾何学において、言葉(記号)に具体的図形を対応付けて意味づけたように(モデル化;中国的思考)、
アニメでは、絵に私の具体的経験を対応付けて意味づけねばならない。
例えば、絵で私が女の子なのは、子供の頃から私が“内気で無口でおとなしい性格”だからだし、
絵でかっこいい男の子に抱かれて照れている(スイートミント#42)のは、私が酔っ払って親友を“ちょっと”好きになったとか、背の高いかっこいい男を見て“ちょっと”ステキに思ったとかだからだし、具体的経験としてはほんのちょっとしたことを絵では大袈裟に表しているにすぎないのだ。
   
そもそも絵の意味は多様なので、絵だけからではその本当の意味はわからない。
絵を私の具体的経験と対応付けて意味づけることによって、はじめてその本当の意味が明らかとなるのだ。

[492] アニメの見方 h18.3.7
まんまなのはほとんど全部ウソで、少し考えてわかることが事実だ。
例えば、『これが私のご主人様』でいずみ(私)が借金しているのはウソだ。小さい頃から親から「他人からお金を借りてはいけない」といい聞かされているので、私は生まれてこのかた一度も他人にお金を借りたことがない。(高知学芸中学校2年の新入式の日に、和田君に昼食のパン代を借りようとしたが、彼は貸してくれなかった。)

【コラム】
・wを句点の代わりに用いるのは、川野(KAWANO)のWAのWだ。
・G.A.第3期(私が遊んだテレビゲームがネタになっている。)第1話『捜索おやじ風 創作おじや』☆
フォルテ「ヘイ、お待ち」…西森年彦(私が中1のとき、みその学舎で「ヘイ、お待ち」とよく言っていた。)
ランファ「美少女一丁」…孝雄(弟)
ミント「真の美少女一丁」…恵(妹)[お父さん似]
バニラ「変身」…延夫(私)[ただし、性格は小学高学年から中学生頃の私に似ている。]
ミルフィーユ「かわいさ百倍アップ」…「かすみちゃんかわいそう」(医学部同級生)[じつは、かわいさ2〜1.5倍アップぐらいだ。]
・おてんば魔女トワイライトマリーのトワイライト←♪街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ(ブルーライト・ヨコハマ)雰囲気がのんびりしていて好い。古賀メロディーの切なさも好い(→渋長のテーマ)。これらは私が小学3,4年生頃(1970年代前半)に好きだった唄だ。 しかし、これ以後私は自分の音痴を自覚して歌の世界と無縁になった。ちなみに私は子供の頃からタレントやアイドルに関心がなく、ドリフの『8時だよ全員集合』のコントの合間に出てくる人以外は知らなかった。今でも知らない。
若者が人を見かけでしか判断しないのは、タレントやアイドルなんかのテレビを見すぎているからでしょう。見かけでしか人を見ないなんておめでたいにもほどがある。そんなものが人間の幸福でいいのですか。人間の脳は何のためについているのですか。考えが足りません。友達と喫茶店で議論するか、自分独りで日記でも書いてもっと知覚を鍛えましょう。そうしないと大人にはなれませんよ。本当の勉強は大学を出てからが勝負ですよ。(宮本武蔵だって左手を鍛えるために左手で絵を描いたでしょう。)

[493] アニメおもしろさグラフ h18.3.12

私が小中学生頃のアニメは、話はおもしろかったが、絵が汚かった。(例、マジンガーZ、ゲッターロボ、あしたのジョー、タイガーマスク、ルパン3世など)
私が高大学生頃は、絵はきれいになったが、話がおもしろくなかった。(例、うる星やつら、ミンキーモモ、ぴえろ魔法少女シリーズなど)
今のアニメは絵のきれいさと話のおもしろさが両方あって実に贅沢である。(例、ギャラクシーエンジェル、デ・ジ・キャラットなど)

[494] 東映魔女っ娘シリーズ h18.3.14
『魔法使いサリー』は私が幼稚園頃の白黒の1作目も、私が大学生のときの2作目も全話見ました。

【コラム】h18.3.15
・イニシャルDやカペタの車のシーンがCGなのは、私が自動車の免許を持っていなくて車に乗れないからだ。
・『落語天女おゆい』のおゆい=(私+近所の女子高生)÷2
・前にも言ったかもしれないが、elilinの語源はell(うなぎ)にある。私が朝倉中学1年生の英語に時間に沢谷先生が「一番簡単に書ける英単語」と言って黒板に書いたことがある。

【コラム】h18.3.16
・アニメを0.5倍楽しく見る方法…アップのシーンは、たいてい実話だ。

【コラム】h18.3.17
・寝バック…私は小さい頃から寝相が悪く、よく寝返りを打つ。涎[よだれ]もよく垂れる。最近は、‘寝’ている間に‘頭のほうに’動いている。だから、寝バック。
・イケ面…福岡に住んでいた頃には、よく大学帰りに箱崎ダイエーで買い物をした。そこで、よく‘具っと麺’を買って家で作って食べた。‘具っと麺’とは丸い焼きそばの麺にキャベツとニンジンの千切りとコーンの具が付いていて、粉のスープを水で溶かして作るチャンポンだ。毎週1〜2回は食べていた。具っと→good→イケ、麺→面で、イケ面だ。

[495] 『ようこそようこ』の見方のコツ h18.3.19
1)絵よりも言葉で見よう。登場人物の身体よりも精神を理解しよう(じつは、これが『超能力への道』)。
2)元ネタを考えながら見よう。
3)まちがいにもちゃんと意味がある(例、#2のカリアゲや声の入れ替え)。まちがいだと言ってバカにしない。
4)アップは実話(例、#16冒頭、えり子#21ソフトクリームペロペロとか)。反対に、絵が手抜きっぽいところはウソ。
5)同じ画面に2人出てくるところは、ネタの入れ替え(#40、鳥好きは私の母だ、G.A.第3期#8のミントとノーマッドとか)。

【コラム】h18.3.20
・北斗神拳のルーツ…私が小学生の頃、母親の気が向くと「いちくり、にくり、さんくり、よんくり」と言いながら、私の横腹を人差し指で突付いてくすぐった。つまり、北斗神拳のルーツは私の母親にあるのだ。
・ケンシロウのお腹[なか]にある北斗七星の形をした7つの傷は、私の右腕にある私が幼稚園の頃に受けたDPT三種混合ワクチンの鉄砲注射の痕[あと]だ。クリリンのおでこの傷と同じものだ。鉄砲注射の痕は2列3段の合計6個あった。6と7は近い数だから7つの傷なのである。(平成23年10月5日追記)

《おもしろHP紹介》 h18.3.22
ツインテール萌え

[496] 私キャラの変遷 h18.3.30
私キャラは大別すると、ほぼ3つのパターンに分類される。
ようこ(幼稚園から小学低学年まで;痩せてヒョロヒョロ;まれ、というかようこだけ;懐かしい)
→えり子(小学中学年から中学1年まで;広顔で標準体型;ほとんど大部分がこれに属する;萌え)
→小野原麻美(3年前ぐらいから;丸顔のデブ;最近出てきた)
※ただし、似ているのは顔型だけで、眼玉ははめ込み。

【コラム】h18.4.4
富永みーなのみーなの語源は西洋風塩味せんべい『ロミーナ』¥100から。
京都大学の川本竜彦君が言ってたんだから保証します(今から約20年前)。

【コラム】h18.4.13
一休さん…「ともさん」「せっぱ」とは、お年玉のこと。福岡に住んでいる私の親戚の美鈴[みすず]ちゃんの妹の智[とも]ちゃんがお正月に薫的のおじいさん家に来ていて私といっしょにお年玉をもらったとき、おじいさんがくれた1万円札を私のお母さんが5千円札2枚にくずして(折半[せっぱん]して)、智ちゃんと私にくれたことがある。

【コラム】h18.4.21
ミステリーサークル←私が小学4年生頃、朝倉の子鹿園の東にあった井草畑の井草を踏みつけて迷路を作って遊んだ。そのとき、アシナガバチを踏みつけて、足の裏を刺された。

[497] 最近のアニメ(やマンガ)の作り方 h18.4.21
私の経験(体験と思考、間接入れ=私の眼前で他人がしたことも含む)を細かく砕いてバラバラの要素にして、それらの要素を適当に組み変えて、さらに多少の空想的要素を加えて、別の体験に作り上げる。
どれだけ自然でわかりやすくておもしろい(ためになる?)話ができるかは、演出家(や漫画家)の腕による。[ネタのせいにするな!]
年々、空想的要素や間接入れが減り、私自身の経験が増す傾向にある。
15年前の『アイドル伝説えり子』と『アイドル天使ようこそようこ』は、この方法で作られた最初のアニメである。実験作品であったため、今日的に見て筋立てがかなり荒削りでぎごちない。これ以後、次第に作品作りが巧みになってゆく。現在では、このやり方でかなり娯楽性の高い作品が作り出されている。

[498] 最近のキャラクターの作りかた h18.4.21
私の顔や身体の特徴(主に顔型)に、私が直[じか]に会った他人の顔や身体の特徴を混ぜ合わせて、さらに空想的要素を加えて作り上げる。
年々、空想的要素や他人の特徴が減り、私自身の特徴が濃くなっていく傾向にある。
←月島きらりちゃん

[499] 私キャラの私における好感度 h18.4.22

私の好きなキャラ
国分果林(とんでぶ〜りん)
日本アニメーション
私の好きじゃないキャラ
鉄子(まじかるぽか〜ん)
REMIC
cf.沢渡いずみ(これが私の御主人様)、
小野原麻美(奥さまは女子高生)

私は丸顔のキャラクターがあまり好きではない。鈍重な感じがするからだ。
細顔のほうが活動的で健康的で好きだ。
[鉄子[あいこ]は好きじゃないけど、アニメの『まじかるぽか〜ん』はこれまでのアニメにはない新味があって面白いです。]

【コラム】h18.4.25
ミスタースポック→天気予報の確率予想

[500] 限界越えキャラ h18.4.25
私キャラを狙って作られたにもかかわらず、私気がないキャラクターが存在する。
例えば、花の魔法使いマリーベルの第22話に登場するミッキーと言う名のキャラクターがそれだ。

声優は矢島晶子だから声優的に私のはずだし、得意のパンチラが入っているからなおさらだ。
それなのに、私っ気がまったく感じられない。なさすぎる(笑)。

【コラム】h18.4.29
Berkley物理学コース→バックラレ(何のこと?)、スタトレにも出てきた。

【コラム】h18.5.1
イワサキ→イワキ(一字抜き)


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