[301] アニメの楽しみかた h14.5.27
アニメの世界を現実でやろうとするからおもしろくないんだよ。やれるわけない。
アニメは頭の中だけでおもしろければいいんだよ。空想の遊びだ。
アニメの中では
自分が自分以外の人になれる。

アニメのおもしろさが人生の支えにもなる。

[302] ぼくの中の女の子 h14.5.27
女らしさとは五感だけで見ることだ。
男らしさとは知覚で見ることだ。
実在の人間は完全者ではない。
だから、どうしても五感だけで見る部分ができてしまう。
そこがぼくの中の女の子の名残だ。
ぼくはできれば完全な男になりたいんだが、
女の子の部分がどうしても取り除けない。
一般に人間には男の部分と女の部分とがある。
だからたまには女の部分も喜ばせてあげなければならないのだ。

[303] 形に対する感情 h14.5.28
知覚でアニメを見るとアニメの味がわからなくなる。
だからアニメは五感で見ないといけない。
あえて知覚を働かせずに絵を直感的に見る。
形に対する直接の感情を感じ取るのだ。
現象の遊びだ。
実存的だなあ。existence=animal-like.

いくら遊びは実存的でも、仕事は実在的だ。
仕事の時には頭を働かして知的に物事を見る。
人間は遊ばなくても生きてはいけるが、仕事しないでは生きられない。
だから人間の本質が実存的だというのは当たらない。

[304] 背景 h14.5.29
美しい背景は五感の喜びを与えてくれる。
ペルシャのLD−BOX2の背景はBOX1よりも凝っていて美しい。
はじめて見たときには、まるで別の番組を見ているようだった。
マジカルエミの背景も美しかったが、DVDで見るとますます美しくなった。
「テレビの生放送を見ているみたいだ。DVDを買ってよかった!」
それにしても、香月舞が動画だと背景がいちだんと引き立ちますなあ。

[305] 背景その2 h14.5.30
フジテレビのうる星やつらに動画ではかなわないけど、背景ではこっちのほうが上だネ。
冗談はさておき、いくらうる星やつらの絵がうまくても、魔法少女にはうる星やつらにはない魅力がある。
うる星やつらのテーマは男女の恋愛だが、私は自分の思想上の理由から男女の恋愛は認められないのだ。
その点魔法少女は愛のない世界で、ヒロインが自分独りでかわいくて、私と気が合うアニメだ。

[306] 男女(おとこおんな)かかわいコちゃんか h14.5.30
賢明な諸君はすでにお気づきのことだと思うが、
魔法少女の表番すなわち森沢優と香月舞はキャラが地味で男女(おとこおんな)だ。
それに対し、魔法少女の裏番すなわち速水ペルシャと花園ユーミはキャラがハデで純粋なかわいコちゃんだ。
それから最近ではファンシーララの篠原みほも男女に属する。
クリィミーマミとマジカルエミのときは動画が下手でそのぶん背景が美しかった。
それに対し、ペルシャとパステルユーミのときは動画がメインでそのぶん背景は手抜きだ。
つまり、マミとエミは背景を楽しむためのアニメだ。
ペルシャとユーミは動画を楽しむためのアニメだ。
クリィミーマミとマジカルエミの世界は大人向けだ。絵も話も大人っぽい。とくにマジカルエミが話も絵もいい!
ペルシャとユーミの世界は幼児向けだ。絵も話も幼稚臭い。いい年こいてこんなので喜んでるのは変態だ。

優も舞も真面目そうないい子だ。
ペルシャには女の子のかわいさがいっぱい詰まっている。こんな女の子がいたらいいなあと思う気持ちをそのまま形にしたような少女だ。
キャバレーにでも勤めているのかナ?
ユーミは…。
アニメを見ているときには誰でもヒロインになってアニメの世界の中で楽しい気持ちを味わいたいんだ。一生テレビの世界の中で楽しく生きていったらええやろ。
ユーミはみんなからもてないし、マンガ以外には才能がないし、きれいな大人にもなれない。
こんなやつになってもしかたがねえ。
こんな女の子になりたい人、日本中さがしても一人もいねえよ。

おまけに、同じ絵がらで4年もやってりゃ、そりゃあきられてしまうわ!!

[307] アニメの楽しみかた h14.6.1
マンガやアニメは頭の中だけで楽しむのが原則だ。
頭の中だけで楽しむからマンガやアニメを見ることが許されるのだ。
大人は頭の中の世界と頭の外の世界を区別できる。
アニメを実在の世界の中で楽しもうとするコスプレなんか邪道だ。

[308] マジカルエミDVDコレクションボックスの感想 h14.6.3
今日でマジカルエミDVDをすべて見終わった。DVDはLDよりも細かいところまでよく見えて眼に優しい。長時間見ても眼が疲れない。DVDは色も形も音もすべて美しい。これまでおもしろくなかった第3話、第6話、第8話、第17話、第18話までもおもしろく見れた。
第3話「あいつの好きなボクシング」LDのとき△→DVDのとき○
第6話「スターの輝きを秘めて」△→○
第8話「海辺のベストキッド」△→○
第17話「気分はゆれて学園祭」×→◎
第18話「魔法の光に夢を」△→○
これまで5年間おもしろくなかったものを一瞬にしておもしろく変えたのはすごい発明だ。私のような趣味の少ない男にとっておもしろいものが増えたのは実にありがたいことだ。DVDを買ってよかった!

[309] アニメの話の出来について h14.6.3
アニメはヘタなドラマだ。
脚本にしろ演出にしろ、ドラマに回れなかった人たちがアニメの世界に送られたのだ。
ドラマのほうが予算が多いし、アニメは紙代しかなくて貧乏だ。
マジカルエミの話はたしかに大人っぽくていい話もあったが、それでも相当思い込んで見ないと感動がない。ペルシャなんかになると絵がかわいいだけで、話で感動したことはこれまでいっぺんもない。話がつまらなさすぎる!!
話がヘタなぶん、絵でカバーしているとしか言い様がない。

このように、お話に関してはアニメはまったく問題外だ。
アニメがドラマに負けないのは絵だけだ。
私が「おたくはつらいよ」で作画監督のことしか言わなかったのも、こういう理由があったからだ。
「あしたのジョー」をもっと見習え!

[310] 魔法少女のキャラクター h14.6.4
優と舞は‘はじめからいい子’だ。
優は俊夫といつもベタベタしているふしだらな子。ませガキ(オバンくさい)。
舞はわがまま。自分勝手。他人のこと何も考えてない。意地っ張り。下手の横好き。弟思いの優しいお姉さん。ちょっと将が好き。いつも集団(マジカラット、家族、お友達とか)の中にいる(ザコキャラみたい)。
ペルシャとユーミは‘いい子になる’って感じがある。
ペルシャは自分から進んで他人のために何かしてあげる愛にあふれる優しい親切な子。一時代昔のキャラクターって感じ(こんないい人絶対いないよう)。
ユーミはもてなくていつも一人でさびしい子。お花が好き。マンガを描くのが好き。他人のことは考えない。恭平さんに憧れている(でも、心の中ではダメということがわかっている)。人間関係がエミと似すぎ。ドジばっかりでみんなの笑い者(まちゃに似ている)。
篠原みほはいつもヘラヘラしていて楽観的。軽薄。無責任。学校。(まだあまり見ていないので、よくわからない。)他人のことはあまり考えない(最近のキャラクターはみな愛がない。優とペルシャしか愛がない。でも優の愛は下品だ(エッチがみえみえ)。私に言わせてもらえば、女の子はどうせパーなんだから、五感界の中で一生生きていかなければならないので、五感界における善の心である愛がなければならないのだ[哲学日記参照]。)

[311] LDとDVDの比較 h14.6.8


LD DVD
濁って汚ない。 澄んで美しい。
とくにキャラクターの肌色がきれいに見えてゴキゲン♪
線の太さが一様で、味気ない。 線の太細まで区別できて、線に味がある。
プレーヤーの
値段
高い(8万円)わりに画質が低い。 安いわりに画質が高い。
2万円台のプログレッシブ対応で上等。
ディスク 大きくて邪魔。 小さくてかわいい。
濁って汚ない。 澄んで美しい。
LDで聞こえない音まで入っている。
絵も音も濁って汚ないので、話を味わうところまで行かない。 絵も音もいいので、つまらない話にも感動。
総合評価 △DVDが出るまでの一時の間に合わせ。 ◎買ってよかった。\(^o^)/

[312] 魔法少女各論 h14.6.13
クリィミーマミとマジカルエミでは‘魔法少女’と銘打っているだけで、実際には‘魔法’がストーリーとかみ合って使用されることはない。
ストーリーは‘魔法’を持たないふつうの少女の日常生活を描いている。
クリィミーマミでは、まだ森沢優がクリィミーマミに変身して人気アイドルになるところが濃くて幼稚ぽかったが、マジカルエミではエミがちょっと舞台に立つだけでエミの存在は薄い。クリィミーマミは、魔法がメインになるペルシャとサブになるエミの両方の要素を合わせ持った中間的な作風だ。
マジカルエミはLDで見たときはつまらなかったけれど、DVDで見ると絵や音がきれいで思わずストーリーにはまってしまった。
これに対し、ペルシャとユーミでは‘魔法’がモロに効いている。
ペルシャのパターンは、困っている人がペルシャの前に現れて、ペルシャが‘魔法’で助けてあげるというもの。
つまり、ミンキーモモのキャラ替えだ。
話の内容は魔法が効くので幼稚だが、このパターンをつかんで見ていけば安心して気持ちよく見ていられる。
パステルユーミのパターンは、自分や他人のピンチを魔法で切り抜けるというもの。
話の出来はいいが、役者が物足りない。
美少女感があって欲しいとまでは言わないが、せめて不快でないくらいのキャラであって欲しかった。

クリィミーマミの性格を二分したのがペルシャとマジカルエミである。
したがって、ペルシャとマジカルエミは性格が正反対の作品であって、
ペルシャがマジカルエミの‘踏み台’なのではなく、
クリィミーマミこそがマジカルエミの踏み台なのである。

エミのあとユーミで小人嗜好に戻ったのが下手い。
ガンダムシリーズのように大人嗜好で貫いたほうがよかった。

[313] 最近の私の魔法少女観 h14.7.1
・エミ…まじめでくら〜いアニメ。冗談がなくてつまんない。一生懸命見ている自分がバカみたいに思えた。こういうアニメが楽しめるのは、やはり冗談がわからない特殊な人間なんだろうな。分裂気質な観念論者のドイツ人に受けるだろう。(安濃監督はジメジメしたノリがお上手ですね。)
・海モモ…冗談のおもしろさがイキイキしている。アニメは現象の世界における冗談なんだから、おもしろければなんでもいい。空モモも見たくなったな。
ただ空モモは宿命感(『私は人間だ』みたいなもの)があったからリアルな方に行ってしまって話が重くなっていた。海モモでは自由になってますます現実とは無関係なところがいい。ラブリードリームがペルシャの後半になって消えてしまったのと通じるところがある。
真のアニメ通なら、現実の苦しさしかないぴえろ魔法少女よりも、冗談の楽しさのある海モモを選ぶべきだろう。(ただし、ペルシャは設定が海モモとうりふたなので特別にゆる〜す。)
・ペルシャ…大人になって変身して活躍するところが取り柄。マンガっぽい世界観(カッパ3匹、美男のふたご、アフリカなど)が冗談ぽくて楽しい。
キャラクターに色気があって、浮いた感じがするのがいい。(反対に、ユーミは沈んだ感じがする。メゲメゲ。)

ペルシャは吸血鬼とかタイムマシンとかの話があって空想性が強いので、ミンキーモモとの共通性がある。
ララ(もちろんファンシーララ)は‘お笑い系’魔法少女なので、ミンキーモモとの共通性が認められる。

世界観が変わると、アニメの見方も変わるところが人間のこわいところだ。
その人の世界観によってどんなアニメが面白いかが決まり、逆にどんなアニメが面白いかによってその人の世界観がわかる。つまり、分裂気質(五感優位型世界観)の人は冗談がわからないから現実的なぴえろ魔法少女が面白く、反対に正常気質(知覚優位型世界観)の人は冗談がわかる余裕があるから海モモが面白い。

[314] 魔法は誰のためにある? h14.7.2
マジカルエミ第1話『ふしぎ誕生魔法のスター』のすばらしい所は、マジカラットのみんなが困っているのを魔法で助けてあげたいという女の子ならではのやさしい気持ちにあるのだ。しかし、他の話では魔法が将来マジシャンになりたいという自分の欲求満足のためにしか使われていないので冷たい。友達のためとかお父さんお母さんのためとか、もっと他人のために使われることでこそ、魔法のすばらしさが発揮されるのだ。
ペルシャの第1話なんかでも魔法が自分のピンチを救うためにしか使われていない。でも第2話以降は他人のために使われている。最後のほうではペルシャが自分の夢をかなえるためにいくらでも魔法でなんとかなりそうなのに(第2話参照)、強引に魔法ではどうしようもないことに作者が決め付けてしまっている(笑)。
他人のため→自分のため→魔法ではどうにもならない、というのが魔法の使用目的の移り変わりである。

[315] 最近のアニメについて考える h14.7.3
最近のアニメは現象性の濃いもの(つまり、眼で見る面白さが強いもの)ばかり作って、アニメ本来のドリフのコントのような冗談話としてのブッ飛んだ面白さが足りない。
アニメを作る側も見る側も分裂気質(五感優位型世界観)の人が増えてしまったためだろうか。最近の仮面ライダーが美男子なのはそのせいかな。
分裂気質(五感優位型世界観)の人は、五感が実在になっているから、冗談は知覚でやるしかないが、知覚で実在に反することを考えると気が狂うから、冗談がわかる余裕がない。だから、現象的でリアルな話をやるしかない。過剰な受験勉強が、眼先でわかって頭の中でわかっていない五感優位型世界観(分裂気質)の人間を増加させているのだろう。
反対に、正常気質(知覚優位型世界観)の人は、知覚が実在で五感が現象だから、五感界で冗談がやれる。五感が現象であることを理解していれば、五感界ではなんでもやれる。だから昔はドリフのコントがゴールデンタイムに堂々とONAIRできた。リアルな話は知覚で考えるべきことだから、五感界のアニメなんかではやらなくていい。アニメではむしろ実在=知覚から離れた(これを『客観的』と言う人もいる)面白い作り話をやってもらいたい。そのほうが、日常生活では得られない貴重な(?)経験が得られて値打ちがある。
いや、そもそもアニメを実生活から切り離すことがよくない。
アニメを実生活に役立てよう。
『これを見ておけば一生幸福な生活を送れる』ようなアニメを作ることにしよう。
例えば、プラトンの対話篇をアニメ化すればどうかな(視聴率を無視して)。

[316] アニメの楽しみ方 h14.7.8
絵を通して絵の裏(というか奥)にある意味を読み取ることが、アニメを見ることにほかならない。
つまり、考えながら見ることがアニメの見かたの奥義である。
考えながら見るからこそ深い感動が味わえるのだ。
アニメの絵じたいはどうでもいいことなのだ。絵の奥に潜む意味こそが真の姿だ。
その意味は自らことばを用いて考える者だけが見ることができる。例えば、マジカルエミ第1話『ふしぎ誕生魔法のスター』の真意は、将君だけにしか目にすることができなかった舞ちゃんのふっくらしたパンツではなく、困っているみんなを助けてあげようとする女の子の優しさだ。
最近のアニメは眼先の絵だけが面白くて、絵の奥にある意味がつまらないものが多い。考えないで見るだけで終わるのが最近のアニメの悪い癖である。

[317] ミンキーモモ h14.7.8
ぴえろ魔法少女は話が正直すぎる。実在であった話(いわゆる元ネタ。アニメは文学だから、一歩譲って現象性は許すことにする。もっとも、実在においては空想性も現象性も共に許されない。)に空想性(例えば、UFO,ネッシー、モアイ、ピラミッドとか)を加えてこそエンターテイメントとなりうるのだ。
つまり、現象+空想=エンターテインメント。
しかし、見る側としてはそれだけで終わりにしてはならない。
エンターテイメントとしての作り話から空想性を取り除き、実在であった話(元ネタ)に戻して現象の意味を味わうことが、アニメを見る者にとっての務めなのだ。
エンターテイメントー空想=現象。

[318] 宮崎駿アニメ h14.7.9
日本人の平均層を狙った作風がいかにもしたたか。
偽善者風で芝居臭さがプンプン。
ウソ臭い。実感がない。
紙の上バカ。
だから、素直に喜べない。気持ち悪い。
ポリシーはないのか、ポリシーは!?
他人に受けることよりも、自分の言いたいことを正直に言え!
それがないならアニメを作るな!!
(劇場版ばっかりだから、しかたがないか)

[319] 見方によって面白いアニメが変わる。 h14.7.10
分裂気質(五感優位型世界観)で見れば、ぴえろ魔法少女や海モモやうる星やつらなどが面白いが、
正常気質(知覚優位型世界観)で見れば、空モモやニャンキーやトムとジェリーなどが面白い。
分裂気質では絵そのものに意味があり、正常気質では絵そのものは無意味である。
分裂気質では絵の世界が実在であり、正常気質では絵の世界は冗談(実在の反対)にすぎない。
自分の見方(気質・世界観)をコントロールできれば、両方のアニメを楽しむことができる。

[320] 動物アニメの楽しみ方 h14.7.10
動物アニメではキャラクターがみんな動物だが、動物をそのまま動物として見てはいけない。
動物を人間(とくに自分)として見ることによって、はじめて意味(現象的意味、すなわち現象と現象に複合する心)がわかるのだ。
つまり、動物キャラは見かけは動物だが、中身は人間なのだ。動物キャラは動物の皮をかぶった人間なのだ。
動物アニメの元ネタは人間どうしのイザコザにあるので、動物アニメを理解するには動物を人間に置き換えて見ないといけないのである。
動物アニメでは、空想で人間を動物に変身させることによって表現に自由を持たせ(実在の人物ではないので言いたい放題)、内容に軽み(実在=知覚からの遊離感)と面白さ(エンターテイメント性)を与えているのだ。
例えば、「トムとジェリー」「山ねずみロッキーチャック」「キャッ党忍伝てやんでえ」などがおすすめである。
もっとも、アニメは文学だから、どんなに感動が激しくても、しょせん現象にすぎない。実在認識には及ばない。

[321] 魔法少女アニメの楽しみ方 h14.7.10
絵が美しいから現象的に見れる。絵の美しさがすでにひとつの味わいである。
自分を主人公に置き換えて見ることで、自分の日常では経験できないことが、アニメの世界で経験(現象的経験)できる。
ただし、ほんらいが女の子向けなので、自分がヒロインと一体化して得られる喜びの質がおっとりしていてなまぬるい。まじめでおとなしくて元気がない。男のスポ根アニメやロボットアニメみたいに突き上げるような勝利の激しい喜びがない。ギャグアニメみたいに思わず吹き出さずにはいられないおかしさもない。
話の内容をことばに直して考えてみても、おおかたたわいない。ただ見た目の絵が美しいだけに尽きる。
それでもいいなら、見る価値あり。しょせんアニメの世界は現象界(つまり五感界)だ。アニメの喜びも現象界と複合する心だから、しょせんはたわいないものだ。
アニメとは別のところで実在界の経験もやらねばならない。自分が本当に生きている世界は、五感で見た現象の世界ではなく、実在の世界である。実在の世界は人間の知覚でのみ見ることができる。アニメは現象の世界であって、自分が本当に生きている実在の世界ではないことをつねに忘れてはならない。

[322] トムとジェリー h14.7.11
日本のアニメは動画といっても目パチ口パクばかりで、会話の合間にたまに身体が動くだけだ。インチキ動画だ。
その点トムとジェリーは番組の始めから終りまで全身動きっぱなしで、本物の動画だ。
アニメファンなら必帯ですよ。

[323] 空想と実在 h14.7.12
実在(現実ともいう)であったことに空想を付け加えることによって、話としてのエンターテイメント性(つまり面白さ)が高まる。実在の世界では犬や猫が口をきくことはないが、アニメの世界では日常茶飯事である。空想を付け加えることによって、実在=知覚から切り離され、表現が自由になる。しかし、作者が本当に言いたいことは、視聴者が作り話から余計な空想性を引き去ることによってはじめて見えてくるのだ。

[324] 現象界における理想のキャラクター h14.7.12
現象界に暮らすのは現象的な人間がもっともふさわしい。
現象的な人間とは、女であって、子供であって、動物的であること、
つまり、『ペットを連れた女の子』が一番お似合いだ。
そもそもアニメじたいが‘動く絵’であって、現象性の強いものだ。
ターヘルアナトミアや現代物理学が実在認識の人類最高の表現であるとすれば、魔法少女アニメは現象認識の表現におけるひとつの傑作だといえる。
とにかく、絵を見るだけで心がなごむのが、魔法少女のいいところだ。

[325] マジカルエミ第35話「妖精の森にようこそ!」を見て考えたこと h14.7.12
石に関する知識(融点や硬さなど)に人間の夢や希望を入れることによって、ガラスや鉄板が作られた。
だから、ガラスは石の夢ではなく、実際にはガラスを作った人間の夢だ。
一般に、夢(実在を知らないうちはまだ漠然としている)をかなえるためには、まず実在についての知識を得なければならない。
自分が得た実在についての知識に自分の心を働かせて自分の願望を入れることによって、はじめて自分の夢が実現されるのだ。
例えば、自分がパソコンを欲しいとする。その段階ではパソコンのイメージはまだあいまいである。次に本屋でカタログ(これが実在についての知識!)を買う。自分の財布の中身と相談しながら、カタログを見ているうちに自分が欲しいパソコンのイメージが具体的に固まる。つまり、メーカーと機種が決まる。それから近所の電気屋に行って注文する。3週間ほどで家に届く。こうして自分の夢がひとつ実現されたことになる。
また、例えば、自分が仕事に就きたいとする(就かざるを得ないが)。この段階ではまだ仕事のイメージがあいまいである。次に、自分の学歴や親のコネと相談しながら、自分の適性を考えているうちに、自分の就きたい仕事のイメージが具体的に固まる。つまり、会社と職種が決まる。それから会社の面接に行って試験を受ける。3週間ほどで合格する。こうして自分の夢がひとつ実現されたことになる。
☆★☆★☆★☆★
おじいちゃんも言っている。「宝石なんかよりもガラスのほうがずっと大事なんじゃよ」と。
舞もうなずいて納得した。「現象よりも実在のほうが大事なんだ」と。
こうしてラスト3部作のテーマへとつながってゆくのである。
最後のトポを抱きしめるシーンは、トポ(現象)との別れを暗示しているようだ。

[326] 怪獣特撮番組 h14.7.15
人間を怪獣に置き換えてやりたい放題だ。痛めつけ放題、殺したい放題だ。怪獣ならいくら殺しても誰も文句を言わない。根本的には暗いノリだ。ウルトラマンが本当に“正義の味方”なら、力ではなく言葉で悪の怪獣を説得できるはずだ。いくら自分の気に食わない人間を怪獣に変えて“客観化”して実在から切り離したからといって、力まかせに殺すのはあんまりだ。
『キャッ党忍伝てやんでえ』のような根本的には明るいハチャメチャな楽しさのほうがいい。

[327] ペルシャ第38話「疑惑のおじいさん」を見て考えたこと h14.7.15
いくら娘のペルシャがおじいさんを気に入って大喜びしているからといって、大人の速水秀樹が、子供のペルシャの言いなりになってはいけない。秀樹がおじいさんを追い出したければ、すぐ追い出せばいい。
一般に、『感覚の知覚的な者が善人であり、五感的なものが悪人である。善人が悪人に従ってはならない。』のだから、男親の秀樹が善人で、女親の久美や娘のペルシャが悪人だから、絶対に悪人のペルシャに善人の秀樹が従ってはならないのだ。娘のペルシャの心なんかに何の価値もない。娘がいくら喜んでいても、娘の気持ちなんか大事にしなくていい。どうせバカの目には真実など見えていないのだ。案の定秀樹の読み通り、おじいさんの正体はただの泥棒だった(おーこわ)。ここはひとつ、秀樹が男親として、娘のペルシャに厳しくして、たとえ娘がワンワン泣き叫んでも、さっさとルンペンのおじいさんを家から追い出すべきだったのだ。そうしていたら、おじいさんだって結婚記念の時計なんか盗んで泥棒にならずに済んだはずだ。

[328] イキのいいアニメを求む! h14.7.15
最近のアニメは昔のアニメのような活気(無意味な元気よさ)がない。
昔のアニメなんか見ているだけでこっちまで元気がのりうつって来ていた。アナログ的な荒々しさが大事なんじゃ。
今のアニメは絵はコギレイになったけど、人間にとって一番大切な元気さが足りない。なんだか、かったるい。
今の若い人たちは、絵のカタチにこだわりすぎて、おもしろさじたいを見る目がない。
でも、私だって買ってまで見たいアニメは、やっぱり絵のきれいなアニメのほうだ。
アニメを買って見るようなやつらが、絵だけきれいなアニメを流行らせた原因なのかもしれない。

[329] ファンシーララ h14.7.17
ファンシーララには、タイマイのはくせいとか下駄箱のまねき猫とか、くだけたギャグがいっぱいちりばめられていた。昔の魔法少女にはなかったことだ。やはり日本テレビとテレビ東京の社風の違いのせいか。テレ東のアニメ見るときは自分の将来の出世をあきらめよう。

[330] パステルユーミは面白くない h14.7.19
面白いものを面白くないとし、面白くないものを面白いとすると、快と不快の区別がなくなり、心が死ぬ。
面白いものを面白いとし、面白くないものを面白くないとすることによって、道が拓ける。
パステルユーミについては長いこと私も面白いとして来たが、勇気を出して面白くないものを面白くないとすることによって、真の面白さとは何かを会得できたような気がする。
P.S.パステルユーミのDVDが出たら長年の付き合いということで買うけど、1〜2回見たら押入れにしまう予定。

[331] 私の選んだ名作アニメ h14.7.22
昨日NHKで見た本気アニメ『老人と海』で目が醒めた。
クリィミーマミ◎…絵は素晴らしい。特に表情と背景が絶品。ただし、森沢優が個人的には好きじゃない(キャラクターがブスとまでは行かないが、デブであんまり)。話も凝っててなかなか面白い。この絵と話のレベルでキャラがペルシャ並みだったら言うことなかったのに。
ペルシャ○…絵がヘタ。話も幼児向きすぎてあいまいでようわからん。話の出来が大雑把で内容が薄い。A.N.氏曰く『一筋縄ではいかない』というのは、つまり話がグチャグチャでいいかげんだということではないか。キャラクターだけ色気があっていい。
マジカルエミ◎…絵が素晴らしい。いつも俊夫といっしょの森沢優とは違って、香月舞が孤独である。話は当たり前すぎてつまらない。内容が薄い。
ユーミ×…絵はマアマア。でも、マミやエミに較べると手ぬき。ユーミがブスすぎて見るに耐えん。
ファッションララ△…気の抜けた少年マンガみたい。だるこい。
ファンシーララ◎…絵はマミやエミにはちょっと敵わないけど、十分楽しめる出来である。話もかなり凝っていて笑える要素がふんだんに取り込まれている。篠原みほも親しみが持てるキャラクターだ。現代版クリマミってとこか。
空モモ&海モモ○…どっちもぴえろ魔法少女シリーズに絵は及ばず。面白さを話の空想性で補っている。でも、人間の本音では空想がバカバカしく実在が好きだから、実在志向のぴえろのほうが面白いと感じているはずだ。
ぴえろ魔法少女シリーズの中で名作といえるのは、やはりマミとエミの2作だ。
でも、魔法少女シリーズは(モモも含めて)女の子向けなので、女の味しかない。男の味のするアニメも大事だと思う。そこで、最近私がはまっているのが、
キャッ党忍伝てやんでえ◎◎…ギャグありシリアスあり、男の子向けと女の子向けのバランスがいい。絵もかなり細かく味がある。絶対お勧め。!
残念ながらビデオしか出てない。しかも途中(第20話)までしか。私の持っているのはそのうちの3巻だけ。でも、前にテレビで後半だけ見たことがある。そのとき「こんな面白いアニメ生まれてはじめて見た」と言うぐらいすごく面白かった。見れば必ず面白いので、ぜひDVD化してもらいたい。みんなで応援しよう(初代たのつく発案者からの提案)。

[332] クリィミーマミを見て考えたこと h14.7.23
今日は、クリィミーマミをいっぱい見ました。
第7話「大親分に花束を!」やくざの子供の声がヘン(サイボーグ009の007みたい)で絵に似合わない
第9話「真夏の妖精」妖精がきれいでよかった
第11話「パパは中年ライダー」この話が面白いと感じるのは私も歳だろうか
第12話「スタジオは大停電!」幽霊のキャラがへたくそで眠たかった
第15話「虹色の天使」マミがビーノとステッキでチャンバラ
第23話「星のパラソル」魔法で樹を動かしていた 変身だけじゃない
第29話「ロープウェイ・パニック」ネガの出番が強引
第34話「スネークジョーの逆襲」話が凝っている
第36話「銀河サーカス1984」ピーター・ラインナーと言うのだ
第38話「ときめきファンクラブ」お金持ちってほんとにこんな遊びをしているのでしょうか 私にはわかりません
第43話「走れ優!カメよりも速く」優のだんなは色黒だった
第44話「SOS!夢嵐からの脱出」世界観がすごかった 都会も崩れていた
眠かったのは、第12話「スタジオは大停電!」のヘンな幽霊が出てきてから後だけだ。間が抜けすぎて内心ガッカリしたのか。他は全部楽しく見れた。
背景が実に美しい。まるで絵本を見ているようだ。マジカルエミ以上だ。マジカルエミのはちょっとアバウトさがある。マミのほうがクッキリしていて気持ちがいい。美しい背景とマンガチックな動画とのギャップがちょっとおかしい。
話も細かい機転が利いていて始めから終りまで退屈させない。マジカルエミのはテンポがゆっくりで少々退屈だ。マミはエミに較べると空想的な話が多いが、現実性との混ぜ方がうまかったので面白かった。特にビーノの話なんかでは現実的な世界に突然異様な生物が現れて違和感がおかしかった。エミは現実的になりすぎて当たり前すぎて、かえってバカバカしさを感じる。
キャラも、『美少女感があって欲しいとまでは言わないが、せめて不快でないくらいのキャラであって欲しい。』程度に制限を緩めると十分許容範囲内だ。顔の表情は脇キャラも含めてよく出ている。マジカルエミよりも表情がハッキリしている。もっとも、線の細さはエミのほうが上だが。でも、マミのほうがそのぶん線がハッキリしていて見やすいとも言える。マミではマンガチックなキャラが現実的な背景の中にあって独特な味わいを出していた。ペルシャ・エミ・ユーミでは背景と動画がよくマッチしていた。
キャラクターだけでは明らかにペルシャや舞のほうがいいけど、絵全体を見ればマミのほうがよく出来ているように見える。私がこれまでペルシャやエミのほうがよく見えたのは、キャラクター中心的な見方で見ていたからだ。ぴえろ魔法少女のキャラクターは確かに美しいが、あまり美少女にこだわらないほうが幅広くアニメを面白く見られるんじゃないでしょうか(それでも、ユーミはブスすぎて没だったが)。

[333] アニメは絵だけじゃないっ!! h14.7.23
『特に美少女でなくても、見て不快でなければいい。』
これはキャラクターだけではなく、背景についても言える。
近ごろ絵の美しさにばかりとらわれて、話の面白さを見逃してはいないか。ぼくが子供の頃(30年前)のアニメなんか美しいアニメなんかひとつもなかったけど、楽しいアニメはいっぱいあったよ。今のアニメなんか絵がきれいなだけで、話があんまり面白くない。時代は変わった…。
『絵は特に美しくなくても、見て不快でないくらいでいい。』程度に制限を緩めて、絵の汚さを大目に見れば、楽しめるアニメがきっと増えると思うゾ(それでもムリ?)。

[334] アニメにおける実在と空想 h14.7.23
ドラマは実写だから根は実在だ。反対にアニメは絵だから根は空想だ。実在の世界は法則だらけで、空想の世界は自由だ。アニメは空想から出発し、実在へと向かう。空想と実在の間に数多くの物語が分布している。
かつて安濃高志氏がアニメの終着点としての実在をアニメで描こうとしたのは間違いだった。アニメは空想から実在への“動きじたい”を描くべきなのだ。それが時間の表現なのだ。
ぴえろ魔法少女では、実在の中にいる子供が一時的に空想の世界の妖精から魔法をもらって自分の夢をかなえるが、けっきょくは魔法を妖精に返すことで実在の世界へと再び帰ってゆくのだが、これはおかしな話だ。ふつうの子供の成長過程は、空想から実在へと一方向に向かうのであり、実在を知らない子供が次第に実在を知る中で自分の夢を実現しようとするものだ。はじめから実在の中にいる子供なんかいないはずだ。子供がはじめから実在の中にいるなんて十年早い。安濃監督も、なにも子供の頃からアニメの監督になりたかったわけではないはずだ。かと言って、ミンキーモモのように何の報酬も得られないのに、他人におせっかいを焼く少女の存在も嘘っぽい。
そこで私の考えた魔法少女は…『夢の国に少女がいる。夢の国では魔法の力でなんでも思いのまま。ある日、いたずらをして1年間地上の世界に降ろされることになる。はじめは地上の世界でわがままを言うだけで何も出来なかった少女が、次第に実在の世界にあるきまりを知りそれを守ってゆく中で自分の夢を実現する喜びを感じるようになる(ペルシャだったら、アフリカに行った学を追いかけようとして、飛行機代のために必死でおこずかいを貯金するとか)。この“いい子に変わり感”がなんともたまらない!』ようなことをアニメで描けないものだろうか。

[335] 空想と実在 h14.7.25
実在に空想を加えるのではなく、空想に実在を加えるのだ。
人間の認識は本質的に空想であって実在ではない。
空想とは人が生まれつき持っている実在認識だ。
空想は生まれつきの心と複合する。
空想だけで生きていければ苦労はない。
人は空想の世界の中ではどうにもならない実在に対してはそれを受け容れるしかない。
受け容れて自分の考えや心を変えることで前進するのだ。
自分の心でなんでも出来ていた少女が、
自分の心ではどうしようもない実在に出会い、
自分の考えを変えることで新たな実在の心を得る。
魔法とは科学やドラえもんの道具のように人間のわがままな心の実現能力を高めるものだ。
たしかに、魔法や科学やドラえもんの道具があれば人間にできることが増えるが、
のび太がドラえもんの道具を使いこなせなかったように、
たとえ魔法があってもどうにもならないことだってあるのだ。
それは魔法だってゼウスのように万能全能ではないからだ。
魔法にも出来ることと出来ないことがある。
魔法でうまくいかないことがあったら、自分の考えを変えればよいのであって、なにも魔法自体を捨てる必要はない。
ペルシャの最後は、ペルシャが魔法で学と分かれずにすむと思って油断しきっていたところを、急にカッパたちが魔法を持って帰ってしまってどうにもならなくなって、魔法でではなく将来自分が大人になって飛行機で学に会いに行くと決心するとしたほうがよい。方法が実在的になっただけで、自分が学といっしょになる夢は絶対にあきらめないのだ。
マジカルエミの最後は、無理に終わらせただけだと思う。苦労するのがリッパだから便利な魔法を捨てるという考えはあまりにも封建的すぎる。苦労するのが楽しい人間なんていない。わざわざ自分が苦労しなければならない道を歩むなんて自虐的人生観にすぎない。要するにペルシャの最終回を生半可にまねただけだ。

[336] ペルシャの△や×を楽しく見る方法 h14.7.26
△や×の意味については、当H.P.おたくはつらいよ うる星やつら(後期)を参照のこと。
ペルシャの◎や○については、これまで通りキャラクター中心の見方(ヒロインの美少女感中心の見方)でいい。
ペルシャの△や×については、『絵(動画および背景)は美しいとまでは行かなくても、見て不快でなければいい』程度に制限を緩めて見るようにすれば、絵の裏にある話の面白さが見えてきて楽しめる。
クリマミはこれで楽勝。
パステルユーミはユーミがブスすぎて‘見て不快’なので、この方法でも無理。‘見て不快’なアニメに対しては、この方法の限界を超えるので、致し方ない。

[337] ぴえろ魔法少女の比較 h14.7.27
クリマミは、絵・話・音楽すべてがきれいで上品に仕上がっている。特に背景がすごいのひと言だ。大して重要でない穴埋めの回まで背景がけっこう凝っている。動画も表情がはっきり出ているし、線がきれいに仕上がっている。LDで見たクリマミのほうが、DVDで見たマジエミよりもきれいに見える。作品の出来栄えは魔法少女で最高だと言っていい。
ペルシャは、絵・話・音楽すべてが荒削りでガサツだ。でも、動画はかわいさ強調で少しHが入っていていい。クリマミとは一味もふた味も違う魅力がある。
マジエミは、絵・話・音楽すべてがそこそこいい感じに仕上がっている。クリマミほどきれいではないがペルシャよりはきれいだ。ペルシャと同じかわいさ路線の上にあるが、クリマミよりもきれいでなく、ペルシャほど美しくない。
パスユーは、絵・話・音楽のレベルは十分だったが、一番肝心のユーミの顔がきれいでも美しくもかわいくもなくブスいだけだったので完全にヒロイン失格だ。
ファンララは、絵・話・音楽のレベルは十分で、ヒロインがオカマ顔なのが笑える。ヘラヘラした声がさらにおかしさを煽[あお]っている。

[338] ぴえろ魔法少女 h14.8.3
クリィミーマミは人‘間’を描いている。{優、俊夫、みどり}、{橘、めぐみ、木所}は、いつもいっしょに画面に出てきて、いっしょに行動している。文学部出身の人でないと到底こんな難しいの書けない。
ペルシャ以降は‘個’人を描いている。画面の中心にはいつもヒロインの女の子がいる。いろんな状況に置かれた女の子が、どういう反応をするかを観察しているのだ。力場の中に置かれた粒子の運動を見ているようだ。
ペルシャは単純明快。ギャグマンガのノリ通りに安っぽく動いている。国語の答案としては0点だ。そこが人気の秘訣だろう。
舞はもっと高級。大人っぽく考え深げにシリアスに行動している。
ユーミはワリと普通に動いている。

[339] ぴえろ魔法少女とワタルのヒミコとの比較 h14.8.4
ワタルのヒミコはかわいいな。いつも活き活きしていてなんでも心のままだ。心で思ったことを忍法でなんでもかなえてしまう。いつも愉快なことを積極的に考えようとしている。とにかく‘心がある’って感じだ。
ぴえろ魔法少女は形だけが美しくて心がないかのようだ。いつもおとなしくて自分の心を表に現さない。せっかく魔法があるんだから、もっと自分のしたいことをやったらいいじゃないですか。ぴえろ魔法少女たちは自分から楽しいことを考えたがらないようだ。魔法の出し惜しみをするな。
ぴえろ魔法少女も東映魔女っ子も、魔法をトラブルの解決だけに使って魔法の使い方が地味で消極的だ。もっとヒミコを見習って、生活を楽しくするために魔法をバンバン使ってもらいたい。おもしろ半分に使った魔法であとで困ってヒーヒーするのは、ドラえもん落ちだ。でも、私はそういう魔法の使い方のほうが好きだ。

[340] 絵のレベル h15.5.29
やあ、諸君、ひさしぶりだね。
最近、私、香港製の『とんがり帽子のメモルDVD−BOX TV全話』を買ったね。
以前、ヤフオクで、メモルのビデオテープ買ったけど、画質が悪くて、絵がよく見えなかったね。
それで、驚いたね。
メモルDVDと較べると、ぴえろ魔法少女の絵なんか落書きだね。声優も、メモルのほうが芸が細やか。話も、メモルのほうが機転が利いておもしろい。
まあ、大目に見て、エミとユーミの絵はなんとか見れる程度だけど、
マミとペルシャは汚い絵だね。見ていると気持ちが悪くなる。声優も、ペルシャなんかガラガラ声ね。あれじゃ、東映動画には出られないね。
調子に乗って、ペルシャのDVD−BOX1と2両方買っちゃったけど、今では自分がバカだったと後悔してるね。

[341] スイートミントはどうしておもしろいのか? h15.6.5
ミンキーモモ(新)に較べてスイートミントは“顔がニコニコしている”(または、顔がニコニコしているように見える)。
視聴者が主人公と共感した場合、顔がニコニコしているほうが幸せ気分になれる。
例えば、ペルシャは舞よりも顔がニコニコしている。舞はいつもプンプンしている。だから、舞よりもペルシャのほうが主人公と共感して得られる幸福感が強い。
例えば、ユーミはブスすぎて笑顔が決まらなかったから、人気がなかったのだ。
一般に、話の中で主人公の女の子が明るく楽しんでいる様子を描けば、視聴者も主人公と同じ気持ちになって楽しむことができる。(ペルシャでは視聴者と主人公が一体だが、マジカルエミでは、視聴者が主人公を距離を置いて見る作り方をしているようである。つまり、ペルシャは喜劇で、エミは悲劇なのだ。)

[342] ミントと海モモ h15.6.16(39才)
ミントは、話はまあまあおもしろいけど、絵のクタクタさに問題がある。
絵(とくに色合い)が汚いので、見たあとのすがすがしさがない。(絵の具に不純物が多いせいかな。)
それに較べて、海モモには絵としてのおもしろさがある。
海モモは、話の面白さは空モモ並みだし、絵の綺麗さはぴえろ魔法少女並みだし、意外と名作かも。

[343] 経営戦略 h15.6.22
東映は流行ったマンガをアニメ化することで経営を安定化させた。
ぴえろは流行ったアニメをアニメ化することで経営を安定化させた(セコい!)。
つまり、ぴえろは東映の方法じたいをパクったのだ。

ついでに、少年ガンガンは流行ったマンガをマンガ化することで経営を安定させた(これまたセコい)。

[344] ピースストーン創世記 h15.6.26
『光と闇が相反したとき、
あとには四つの自然素が残った。
火、水、土、風である。
火は無理やり土に働きかけ金を誕生させた。
それに対抗するため、
土は水と協力し樹を生んだ。
風は黙って何もしなかった。』
(バトシーラー第一話より)


[345] どうしてスイートミントは放映されたか? h15.6.27
♪パステルユーミから4年も経つのに、スイートミントは絵がヘタだ。
スイートミントより海モモのほうが絵がうまい。
しかし、さすがの海モモでもパステルユーミにはかなわない。
だから、パステルユーミのあとにいきなり海モモをぶつけると、海モモの絵がどうしても見劣ってしまう。
それで、海モモの前にわざとに絵の‘ダサい’(死語)スイートミントを置いて、緩衝材にしたのだ。
いわば、スイートミントは葦プロ経営のための犠牲なのだ。(大人は汚えなア。)

魔法少女は、モモに始まりモモに終わる。
しかし、中性キャラは今でも終わらない。

[346] ペルシャとエミ h15.7.8
絵はエミのほうがペルシャより確かにうまい。
しかし、キャラデザでは、ペルシャがマンガを原作にしているだけあって、
ペルシャのほうがエミよりもいい(剛健は例外)。
キャラデザは、ペルシャのほうがエミよりも明るく楽しい雰囲気がある。香月舞は地味すぎる。
背景についても、ペルシャのほうがエミより楽しさがある。エミは青(ブルー)すぎる。
話についても、キャラデザと同様に、
ペルシャは浮いて明るく楽しい。が、現実性で多少重みを加えている。
一方、エミは沈んで暗く苦しい。
マジカルエミは、感性を統一しすぎだ。楽しさがなさすぎる。
ぴえろは画風が堅苦しいから、キャラデザか話かで柔らかさを補うべきだ。

[347] 母を訪ねて三千里 h15.7.16
マルコの父親は、1日30分たし算をやっただけで、あとは病院の中をブラブラしている。
自分はろくすっぽ仕事をしていないのに、女房子供にきつい肉体労働をさせている。
なんてひどい父親だ。
昔は医者だと思っていたけど、この前のテレビダイジェスト版でたんなる病院の経営者であることが発覚した。
経営者面して威張るだけで、本当は能無しの役立たずだ。
こいつが一番の悪者だ。こいつが家族の不幸の原因だ。
フランシスコ・メレリも、昔は赤の他人と思っていたけど、実は親戚のおじさんだった。
母親の給料をくすねていた張本人だ。
この意外性こそが世界名作なんだよ。
最終回の最後で、父親が「病院の経営も軌道に乗った」と嬉しそうに言ってたけど、ただ本人がおめでたいだけじゃないの?夢と現実が区別できてないんじゃないの?
病院の経営がうまくいかなさすぎて、とうとう気が狂ったん(躁病)じゃないかな。

[348] フィギュア17つばさ&ヒカル第1話
『子供のころから北海道でパン屋をやる』ことが、父親の夢?
ほんとうは、会社をクビになったんやろうが。
子供の手前、本当のことを言うわけにはいかんか(トホホ)。

[349] 非実在感 h15.8.1
ミントを見ながら思った。
「こんな子いないなあ〜」と。
マンガにとってはキャラクターの非実在感が大事なんだ。
キャラクターが実在しないから、やりたい放題ができる。
昔は、アッコちゃんの時代は、超かわいいだったけど、
今は、おと○お○なで非実在感(実在を超えている感じ)を出している(絵ベタ)。

[350] ペルシャの画風 h15.8.1
ペルシャの絵は一見雑なように見えるが、よく見るとどことなく豪華だ。
そんじょそこらのアニメと一味違う。
絵が、あからさまに上手くないところが渋い。
一方、マジカルエミの絵はあからさまに豪華で誰にでもわかる。

[351] DVD化の条件 h15.8.2
スイートミントは線が太い。要するに絵がぼろい。
アイドル伝説えりこは線が細い。多少の絵心がある。
えりこはDVD化されたけれど、ミントはボツだった。
(今日のえりこはケロッグのチョコクリスピーを食べていた。)
みんな線が太ければテープの録画で十分と考えているんだろう。
だから、線の細いことがDVD化の条件だ。
でも、ファミリー劇場でミンキーモモ(空)をやっているのを(つまり、録画じゃなくて)見たけれど、
ミンキーモモ(空)も線が太いけど、LDで見たときより背景の色合いの微妙さがよく出ていた。
背景がきれいに見えたので、おもしろさ倍増だった。
ミントだって背景がきれいに見えれば、きっとおもしろさが…
だって、第22話『夢見鳥を追いかけろ』のミントくらい色っぽいのは他にいないでしょうが!!
DVD化絶対希望。

[352] ミルク姫からのメッセージ h15.8.3
「アニメの中だったら、あなただってかわいいヒロインよ。」 

[353] 絵の綺麗さと上手さ h15.8.8
最近のアニメの絵は綺麗だが上手くはない。
例えば(最近のアニメじゃないけど)、(画材の発達などにより)海モモは空モモよりも絵は格段に綺麗になったが、絵の上手さ(画力)では大差ない。

[354] 花園ユーミ h15.8.13
ブス気が濃すぎ。 これでは現実の自分と同じなので楽しくない。
かわいさだけではダメ。 かわいさは心について言うのであって、眼で直接見えるのは顔や身体の美しさだけだ。
もっと美しさを取り入れないと。 背景ばっかり引き立っちゃって
見てて“いい気持ち”になれないと、
男性ファンは満足しない。美しく見える範囲内で男にも女にも見えるようにしてくれ。

[355] 絵の世界 h15.8.14
マジカルエミを見てもちっともおもしろくなかった。
顔や身体がリアルすぎるからである。描写の細かい点では評価できるけど。
現実と絵とは別の世界だ。
しょせんアニメは絵なので“絵としての旨さ”が大事だ。
絵は絵の世界(五感界;現象界)の法則に従わなければならない。
いくらキャラクター(動画)が現実的になっても、そのぶん“絵としての旨さ”が減るのではかえって損だ。
ミンキーモモやペルシャに人気があるのはそのせいだろう。俺も結構‘葦プロ系’?

[356] DVDプレーヤー h15.8.14
東芝のDVDプレーヤーSD-3500(2万円)は、アニメの色合いがブレて美しくないので、
パイオニアのDV-S858Ai(9万円)に変えることにした。[link]
東芝のSD-3500でペルシャやエミを見るよりも、CSのANIMAXで見たほうが色がきれいに見えた(ショック)。
SD-3500だと画面がガザガザして見づらい。
PICTURE SETTINGで自分で調整してみても、うまくいかなかった(ヤッパリ)。
DVDビデオはよく見るので、思い切って買い換えることにした(キッパリ)。
DVDは画質が高いからといって、いいかげんに安いプレーヤーを買うと、あとで後悔するぞ。

[357] ペルシャ h15.8.15
な〜んか、あったか〜い。話の味わいや、とくに絵の色使いがいい

[358] ファンシーララ h15.8.18
絵がきれいなだけ 画材がいいだけ 
絵がへた 画力はないな 色使いも地味

[359] マジカルエミ h15.8.19
つまらない話をめいっぱい絵で味付け 小幡洋子って中性やったんか

[360] マジカルエミ h15.8.21
1話に1回、これでもかと言わんばかりの背景の見せ場がある
いったいなんの番組なんだ? バカバカしいほどにすごい

[361] パステルユーミ h15.8.23
絵のレベルはぴえろ魔法少女の中でも最高 
動画と背景のバランスが良い 

[362] ペルシャ h15.8.24
ボロいAV機器で見ても、いいAV機器で見ても、画質が変わらない
いくら、いいAV機器を買っても、これではムダだ おもしろくないな

[363] ミント h15.8.25
テープで十分 サラダ十勇士トマトマン並みの絵のレベルだ
テープで見てもDVDで見ても画質は変わらんと思うよ

[364] ぴえろと葦プロ魔法少女の対応関係 h15.8.25
クリィミーマミ  ⇔ 空モモ
ペルシャ    ⇔ スイートミント どちらもDVD化難しそう 嫌われ者
マジカルエミ  ⇔ 海モモ     絵が凝っている 最高傑作
パステルユーミ ⇔ マリーベル  どっちもお花絡み かわいい系

[365] マジカルエミ h15.8.27
テレビで楽しむ動く絵画鑑賞会 絵の面白さを実感

[366] ペルシャ h15.8.27
安価なAV機器ほどいい味が出る 大衆娯楽の決定版 じつは面白くない

[367] マジカルエミ h15.8.28
日本アニメ界の最高峰(のひとつ) DVDでは背景の微妙な色合いまでバッチリ決まってグー

[368] パステルユーミ h15.8.28
美術監督は花の絵が苦手みたいね お花屋さんの取材費が出なかったせいかな 絵の勉強が足りんな

[369] パステルユーミ h15.8.29
マジカルエミのすごさを逆に引き立ててしまった… 背景がなんかボロい

[370] エミ&ユーミDVD h15.8.29
いいソフトにはいいハードがなくっちゃ
ペルシャなんか東芝のSD-3500(2万円)で十分 全然変わらん

[371] 背景 h15.8.30
クリィミー
マミ
× 色使いが陰気臭い 病気っぽい 嫌い
ペルシャ かきわり ドベ塗り 全体的に手抜き でも、ところどころ上手いところがある
マジカル
エミ
濃厚 上手い 日常的な風景で親しみが湧く ペルシャの背景を丁寧にしたような感じ
パステル
ユーミ
淡白 ライト 劇画調でかっこいい イラスト風

《考察》エミとユーミが本命なのに短命で終わってしまったのは、当時のAV機器の性能ではアニメの繊細な色合いが十分に再現され得なかったためであると考えられる。当時は、まだ大型テレビが今ほど安くなかった。
絵は『見て美しいと感じること』がすべてだが、AV機器が悪いと絵の美しさが十分に出ず、いくら見ても全然面白くないのである。

[372] 蓼食う虫も好き好き h15.9.1
『出来の悪い子ほどかわいい。』
ペルシャファンもミントファンも似た者同士だ。

[373] うる星やつらとらんま1/2の対応関係(副題:マンガとアニメの違いについて) h15.9.5
ラム ⇔らんま(非現実)すなわち、現実の外にいる人
あたる⇔あかね(現実)←自分(うる星やつらは男の子に人気が、らんまは女の子に人気があったことが理解される。女の子じゃ、あんまりお小遣いない。)
名前の第一音が同じなのは、いわゆるジンクスでしょう。(小山‘茉美’→クリィミー‘マミ’なんかと同じ理屈。)

キャラの中性感なんてものはどうでもいい。どうせ、非現実だし
大事なのは“絵の美しさ”だ。
マンガには絵の美しさはない。マンガは質の悪い再生紙に安物のインクで印刷してあって、線がガタガタ それに、色がない
絵の美しさがあるのはアニメだけだ。ただし、安価なAV機器だと、見ても美しさが十分に出ないことがある
マンガとアニメでは喜びの質が違う。
マンガの喜びは(現実にはありえないことの)おもしろさにあり、アニメの喜びは(絵としての)美しさにある。これが、私流アニメの定義 現実にありえないことのおもしろさがわかるのは子供のうちだけだ 大人には現実が否応なく圧し掛かる
例えば、うる星やつらのアニメは、絵そのものにはこだわっていないからマンガだ。
アニメと呼べるのは、ぴえろ魔法少女シリーズ、なかでも魔法の妖精ペルシャ魔法のスターマジカルエミと魔法のアイドルパステルユーミだけだ。 

[374] マジカルエミ h15.9.6
絵の出来は最高。
シリーズものでこれだけの画質を維持するのは驚異的!
DVD-BOXは一生ものの買い物だと言っていい。

[375] スイートミント h15.9.6
顔やスタイルも結構かわいいが、見える部分 絵はマジカルエミにはかなわないけど(常套句)
とりわけキャラクター作りが巧み。見えない部分
いつもバカみたいなわりには、いざと言うとき頼りになる。魔法で変身できるせいもあるけど
優しさに強さがある。 ‘女らしさ’を感じさせる ちと純朴すぎるが 『人間優しさが大事』ということの教え (悟空と反対 悟空は強さに優しさがあった) それに比べて、ぴえろ系の女の子はみんなどこか突っ張っている ミントのような素直な優しさがない ミントは感情がそのまま(アホなくらい明け透けに)顔に出る ぴえろ系の女の子のほうが現代の女の子気質なのかな? 男の都合だけで時代遅れなキャラを作るな!(いいえ、ほんとはありがとう)
俺って‘女らしさ’に飢えているのか?

[376] ナッツ h15.9.6
髪の毛を後ろから見ると形が落花生に似ているので、ナッツと言う。

[377] マジカルエミ h15.9.8
これほど自己主張の強い背景はない。背景が前面に出すぎて
まるで動画が背景のようだ。

[378] 男の都合 h15.9.9
現代の女の子気質の研究成果(理解)を取り入れるのはかまわない
むしろそういうもののほうがたんなる空想よりも価値が高い ぴえろ魔法少女シリーズやエヴァンゲリオンとか(現代の男の子気質かな?) 女の子の共感が得られやすいだろう 例えば、海モモは声優が林原めぐみだったり、なんとなく突っ張っている(クールな)ところが現代的なのだ それに比べれば、小山モモはドロドロです(絵柄とお似合い)  『現実(実在)を理解し表現するのは人間にとって素晴らしいことだ
一方、男の都合だけでどれだけおもしろいものが作れるかにも興味がある ミントのことだよー 男の心の中にある‘かわいいイメージ’そのままだ 安っぽいが、男にとってはそのほうがおもしろかったりする こんな女の子いたらいいなあ 

[379] 愉快になれない h15.9.10
声優は歌が下手
その訳は、実物が嫌われ者だから

[380] 魔法少女の分類について h15.9.11
魔法少女は、リアル系とマンガ系に分類される
リアル系はぴえろ魔法少女シリーズで、その最高峰はマジカルエミ 絵(とくに背景)の美しさを特徴とする
マンガ系には昔の東映魔女っ子やモモやミントなどがある とくに、ミントはマンガ色が濃い 非現実的なストーリー展開と、それに見合ったデフォルメされた派手な表情が特徴
主人公
リアル系 人間の女の子 日常的な当たり前の話 現実的な落ち着きのある風景画と、
その中に置かれた等身大の少女
マンガ系 魔法の国の王女様 非現実的なあり得ない話 人間離れしたデフォルメされた顔
オーバーな感情表現

[381] 私流アニメ観 h15.9.12
絵の下手なアニメでも一度目は好奇心で見ることができる。
でも、2度目以降はネタバレで見る気がしない。
絵の上手いアニメならリピートできる。
絵の上手さにもマンガ絵としての上手さとリアル絵としての上手さがあるように、
一本の軸の上に並べることは出来ない。
シリーズものの中には絵の上手い回と下手な回とがあり、
一律に楽しく見れるものではない。
OVAは前半はおもしろいが後半はつまらない。

[382] アニメの柱 h15.9.13
動画と背景はアニメの二本の柱だ。
動画が下手でも背景が上手ければ支えられる。
逆に、動画が上手い回は背景が若干手抜きのように思われる。
動画も背景も下手な回は眠くておしまいまで見られない。
例えば、パステルユーミの第8話や第24話は背景がいい。 よく見ると、ユーミも結構かわいい。
例えば、スイートミントの場合、予算不足から背景代をケチったために、背景が支えにならず、動画だけで支えられている。だから、動画が下手な回は途中で眠らざるを得ない。動画がダメなら、全部ダメ。

[383] 絵の世界 h15.9.13
絵の世界は実在の世界とは独立無縁だ。
絵のおもしろさは絵だけで決まるのであって、実在の世界に依存しない。
“マンガ絵”の存在がそれを裏づけする。
中性感も絵のおもしろさを出すためのひとつの工夫にすぎない。

[384] 次元 h15.9.13
音楽は1次元で、絵は2次元だ。
アニメは時間があるから3次元だ。(音楽も時間があるから、実は2次元である。)
次元の高いほうが表現が多様になるからおもしろい。
すると、実写のほうがおもしろいってわけか。4次元だから。

[385] 買う価値のあるアニメとは? h15.9.14
1回目は話と絵の両方を見ているが、
2回目以降は絵しか見ない。 話がネタバレだから そりゃ、忘れた頃に見直せば、また楽しめるけど… 子供の頃『いなかっぺ大将』のマンガとかはそうやって3ヶ月毎に読み直して楽しんでいた
くりかえし見るなら、絵のいい(絵に味がある)アニメを選べ。
“飽きの来ないアニメ”は、絵のいいアニメである。

[386] パステルユーミ h15.9.20
洞沢由美子はかわいい子供のつもりで作ったんだけど、
どう見ても嫌われ者の顔だ。

[387] ミンキーモモ 夢にかける橋 h15.9.30
『特筆すべき美術、繊細にして流麗な作画、そして情感溢るる演出、ゴージャスにして超一級の音楽。 それがこの“モモ”だ!!』(LD帯より)
正直言って、ミンキーモモのキャラが話と全然合っていない。
強引すぎる。

[388] 魔法少女アニメの見方の違い h15.10.5
貧乏人の見方:動画の中性感に感動 男女(おとこおんな)への憧れ 
ビンボー人の貧相なAV機器では美しい背景がぼやけて汚く見え、粗い動画しかまともに見られない そのおかげで、おかしな世界に入り込んでしまった 
お金持ちの見方:背景の美しさに感動
 高級DVDプレーヤーにして、はじめて体験できる世界 10万円程度のDVDプレーヤーを買って、ようやくこの聖地(サンクチュアリ)にたどり着けた
でも、私に言わせりゃ、汚い絵ほど見甲斐がある。
最近‘お金持ちの見方’に移行してしまったため、以前ほど楽しく見れなくなってしまった。

[389] 顔 h15.10.17
花園ユーミは顔がダラ〜として知恵遅れの気がある。
そのうえ、そばかすがあって遺伝病の疑いが濃い。
香月舞やペルシャは顔が引き締まってイカすのに。

[390] 海モモとミントの違い h15.10.28
海モモの話は、一見空想的であるが、現実との関係がある(名作の条件)。例えば、エコロジー、リサイクル、東西対立、南北問題、宗教、大気汚染とか…。
一方、ミントの話は完全にマンガであって、現実との関係がない。くだらない。

補足:ぴえろ魔法少女で、安濃高志がリアル路線といったから、海モモもリアルな話にしたんだろう。

[391] 空モモと海モモの比較 h15.10.30
海モモは空モモよりも、
・絵を見る楽しさがパワーアップされている。
・話がより現実的なものになっている。
P.S.海モモの顔って香月舞に似ていると思いませんか?

[392] 魔法少女の中性度の比較 h15.11.10
葦プロ系
絵としての面白さ
ぴえろ系
等身大の少女絵
A級 ミンキーモモ
このデザインに勝る者なし
速水ペルシャ
めいっぱい派手  
B級 スイートミント
画力の割には健闘 男っぽ過ぎ
森沢優、香月舞
無難なキャラだ ちょっと退屈
C級 花園ユーミ
かわいさあまってブスさ百倍
顔がブスすぎ 失敗作

[393] 祝!スイートミントDVD-BOX発売決定 h15.11.19
アニ○イトで予約すると、今ならこんな特典がついてきます。

 スイートミント ラミネートカード(売れ残り)

[394] 魔法少女の産みの親は鳥山明 h15.11.22
モモが車に轢かれて死ぬのは、アラレが車に当たって車を跳ね飛ばしたことのパロディでしょう。
海モモ新OPで空飛ぶ帆船が登場したのも、Dr.スランプアラレちゃん新OP「わいわい行進曲」があったからだ。
アラレが人気出たのも、中性キャラにあったわけだし。中性だから男の子にも女の子にも人気があった。
アラレちゃんがいたから、ミンキーモモができた。
いわば、
ミンキーモモは芦田風則巻アラレだ。
香月舞は岸義之風則巻アラレだ。



[395] 母を訪ねて三千里(その2) h16.1.5
最終回でマルコの兄トニオが鉄道会社に採用されて父親が喜ぶシーンがある。はたして、
鉄道員の初任給程度で病院が立ち直せるのか?!鉄道員のほうが医者よりよっぽど高給取りなのか??

[396] デ・ジ・キャラット h16.1.12
言うまでもなく、デ・ジ・キャラットは魔法少女を分析し、再構成したものだ。良い点を残し、物足りない点を補っている。
安濃高志がやり残したこと、やりたくてもやれなかったことを試みている。
『魔法の妖精ペルシャ』のマンガ版の路線上にあると言ってもいい。
魔法少女はおとなしくてまじめなのが特徴である。
一方、デ・ジ・キャラットは激しくてふざけている。
魔法少女がアニメと現実との会合を目指すのに対し、
デ・ジ・キャラットはアニメの現実からの乖離を目指しているとさえ言える。
魔法少女との対応で言えば、ラビ・アン・ローズがペルシャで、
でじこが香月舞に相当する。
ぷちこは幼稚すぎて過去の番組では出番がなかったキャラだ。しかし、それだけに新鮮である。
おそらく、ぷちこ単独では番組として成り立つまい。幼児の反応が単純すぎるからだ。
ラビアンはきれいで、ぷちこはかわいい。しかし、彼らは素人受け狙いだ。
本命は、やはりでじこで玄人好みだといえる。
魔人ガッパはラブリードリームの河童で、
でじこの‘眼からビーム’は香月舞の‘アッカンベー’だ。
怒った女の子もかわいいものだ。しかし、この点を描くことはマジカルエミでも十分に成功しなかった。
怒った香月舞の顔がブスくなり過ぎたため、視聴者に不快感を催させたからだ。
キャラクターデザインをもう少し考えてもらいたいものである。
でじこは女の子からきれいさとかわいさを抜き去った残りカスのように見られがちだが、
本当はそこにこそ深い味わいがあることを思い知るべきであろう。
でじこの‘眼からビーム’をそのまま受け入れるのは危険だ。
女の子の形態が有する独特の優しさで和らげることを忘れてはならない。


[397] デ・ジ・キャラットとの出会い h16.1.17
少し前ANIMAXでぱにょぱにょをやっているのを見ましたが、別にどうってことはありませんでしたねぇ…録画して見てませんでしたし…たまたま夜中にやっているのを流して見ていただけです…憶えているのは、『出動!子猫レスキュー隊』だけです
昨年9月からにょがAT-Xで始まりました。番宣CMででじこのアップが‘ふたなり’っぽいのが印象的で、それに釣られて見てしまいました…でも、第1話でダウンしました…そのあとは、一応毎週録画はしていましたが、録画はしても見ずにしまった回も多かったです…それだけ、あの世界に入りづらかったんですね
 男の子っぽいでじこ
でも、にょ第25話『プリンセス修行はいい調子にょ』を見てから、私のにょ観は大きく変わりました。この回のでじこは、絵に気合が入っていて、(身体の輪郭だけですが)ほんとにいい動きをしています。つづく26話、27話、28話もいいですね。当然第25話のカセットテープは永久保存版となりました(今でも、大切に持っています)。
その後、香港製のDVD-BOXをヤフオクで買ってにょを第1話から見直しましたが、ますます気に入ってしまいました。それで、国内正規品を買い直しました。香港製のは残念ながら音声がステレオではなかったのですが、こちらは値段が高いだけあって、しっかりステレオです。デ・ジ・キャラットシリーズは音の効果が大きいので、国内正規品でなければ満足できません。
それから、ヤフオクで劇場版『星の旅』やTBS全9巻のやぱにょぱにょ全4巻を買い足しました。劇場版やTBSのは絵がきれいですが、やっぱり、にょが一番いいですね。
テレビ東京は規制がゆるいので、自由度が高い。それでバカがやれる。事実、こんなにばかげたアニメはこれまで一度も見たことがない。まさしく、バカのデパート。貴重ですねぇ。絵はTBSのに較べて手抜きですが、それが逆にバカさをあおっていい効果になっています。すばらしい。これはすごい。これは本命だ。(つづ…かない)

[398] 大人にとってのアニメの喜びとは? h16.1.18
子供は魔法少女や魔女っ娘が荒唐無稽な魔法を使うのを見て喜ぶが、それは子供がまだ実在と空想の区別ができていないからだ。
大人は実在と空想の区別が(ほぼ)できているので、魔法に関しては喜べない。
では、大人はアニメのなにを喜べばいいのか?
それは、絵の美しさだ。(美しさといっても、いろいろあるが…大事なのは、受身ではなく自分の心で能動的に意味づけすることだ)
大人にとっては絵の意味よりも絵そのものに価値があるのだ。

[399] ミンキーモモ(とくに海モモ) h16.1.26
ミンキーモモの良いところは、ギャグとシリアスの両方あることだ。
ぴえろ魔法少女はシリアスだけでギャグがないから物足りない。
ギャグとシリアスをいっしょにした‘おもしろまじめ’な話ではなく、
ギャグな話とシリアスな話が交互にあるといい。「いなかっぺ大将」みたいに。
実際の人生もそんなもんだ。
絵については、
海モモなんかは、今のアニメを見慣れた目で見ても、ちっとも古さを感じさせない。
その点は、ぴえろ魔法少女も同じだ。
空モモは、今のアニメの目で見ると、どうしても絵が古くてぼろく感じられる。
それに、空モモは純粋にかわいい女の子だが、
海モモは中性(日テレはこればっかし)なので、キャラクターの味が根本的に違う。

[400] ラクガキ h16.2.3
旧ミンキーモモもファーストガンダムも落描き絵だ。
いくら話(ストーリー)がよくても、絵がアレじゃあダメだね。
満足できない。
買って見るアニメとしてふさわしくない。


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