真説スイートミント 失礼ですが、ミントはひとことで言うと『つまらないアニメ』だ。
理由は、当時の私がいやいや医者をやっていたからだ。
私の名前がキャラクターによく似合っているとか。(平成18年頃記)
しかし、今では低予算の割りには面白いアニメだと思っている(平成20年記)。

ミント=ナッツ=プラム=タクト=ワッフル=ぜんぶ私 ミントはキャラクターとしては失敗作(かわいくないから)。ナッツは自然体でかわいい。ミント=私、ナッツ=私の母、プラム=私の父、タクト=私の弟、ワッフル=私の父、デイジー=私の妹、ハーブ=私(ハーブ←川ブ(ハー≒川、マッチ棒パズルの要領[ようりょう])←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私)。 スイートミント←私が小学生の頃大好きだったグリコのお菓子『スカイミント』から。(当時はアーモンドグリコ(キャラメル)なんか、『1粒で2度おいしい』とまで言われたもんだ。豆が私の好物だった。)(平成23年2月18日追記:スイートミント←ミント←MINT←MINとT←私と天皇(MIN←川ノノ(M≒川、mの筆記体が川に似ている。I≒ノ、N←ノ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。T←TENNNOU←天皇)だから、ミントは厳密には私と天皇の両方である。通常の回は私ネタだが、たまに天皇ネタの回がある(例、第22話「夢見鳥を追いかけろ」)。) ワッフル←小塩節先生のドイツ語の参考書『初級ドイツ語』(同学社)にあった挿絵から。または、就職活動のとき博多〜羽田までの飛行機の中で出たお菓子から。ワとフルは、私の名前(川野延夫、カワノノブオ)に由来する。ライム王妃=私の母、コーン王=母親が飼っていたセキセイインコ、トラッディー=私、ビネガー大王=薫的のおじいさん(母の父)
スイートミントが私であることは、以前父親が友達から聞いて知っていたらしい。(たぶん父親は(母親も)私の全部を知っている。)
・前期OPのネガ原版が紛失したのは、私が4歳以前の記憶がないため。私が超能力(念動力)を使ったのは私が1〜2歳頃のことだから、私は自分が超能力を使った憶えがない。ただし、母から昔鴨部に住んでいたとき家で不思議な現象が起こった話(夜中に突然ガラガラ(天井から吊り下げるベッドメリー)が回りだしたとか、家の中にある物がときどき動くことがあったとかの話)を聞いたことがある。前期OPがないのは、先代の私(つまり、2歳半頃までの私)の記憶が消されてしまったため。(だから、本当はネガ原版のフィルムはどこかにある!)
えり子を仮面ライダー1号とすれば、ようこが2号で、ミントは美形の仮面ライダーV3だ!
・DVD-BOXの販売元?であるSTARCHILDは、私が高知市立若草幼稚園の七夕で『星の子』の劇を演じたから(→『星の子チョビン』)。

←スイートミントOP「不思議の国のスイートミント」の一場面。ワッフルの後ろにある“紙のテープ”は、私が小学3〜5年頃(西暦1972年頃)、高知市若草町の南団地の西の一番北の棟[むね]にある住宅の北側の狭い道路に捨てられていたコンピューターの小さい穴がいっぱいあいた紙テープだ。
他に、OP冒頭の“薔薇の絵”は、私が高知市朝倉の県営住宅に住んでいた頃、母親がティッシュペーパーの内職をしていたとき、ティッシュペーパーの箱に薔薇の絵が描いてあったから。
←コンパクトで自分の顔を見たところ。私が子供の頃、母親の鏡台[きょうだい]に置いてあったコンパクトで自分の顔を見たことがある。
新OPのチンクシャ顔のミントよりも、旧OPのミントの顔のほうが優しくていい。それは、子供の頃の私のほうがかわいかったからである。

話数 サブタイトル 内容(元ネタ)
本日開店魔法ショップ ・ミントが大通りで奇声を張り上げるシーンは、小学生の頃私が弟とけんかするとき、私が怒ってありったけの大声を出して騒いだことから(ヒステリー気質)。
・住所は魔法の国1丁目1番地…1丁目1番地←11←111←川←川野(私の姓)
・パンチラは、小学低学年の頃の私はまだ短パン(半ズボン)を履いていて、時々短パンの足の穴からブリーフの裾[すそ]がはみ出して見えていたことによる。
・ミントの電話がつながらないのは、小3まで自宅に電話がなかったため。
・魔法で店が新しくなったのは、私が2才3ヶ月の頃に高知市朝倉曙町東町[あけぼのちょうひがしまち]の木造の家から、高知市朝倉若草町のコンクリート製の県営住宅23号に引越ししたことを表している。
魔女熱でたいへ〜ん! ・魔女熱とは、私の性格がおっちょこちょいなことの喩[たと]えである。私は今でも気分が動揺すると、ジャンバーを裏返しに着たりすることがある。[私が38歳のとき但馬松下を首になって、借りてからまだ一ト月も経ってなかった家を出て行かなければならなかったとき、ショックでジャンパーの表裏をひっくり返して着ていた。]
・ミントが店の手伝いをする。…私が小学3〜4年生頃、母が家でティッシュの箱を作ったり、チャックのスライダーを作ったりする内職をしていた。私もときどき手伝った。
・ミントが乗って遊んでいる塀[へい]は、若草町の県営住宅にあったブロック塀。私は、この上を歩くのが好きだった。
・サバラン先生←バラン(私が物理学科の学生の頃、実家に帰省したとき、妹に「これ何と言うか知っちゅう?」とスーパーのお弁当に入っていたバラン(緑色の草の形をしたプラスチックの飾り)のことを訊いたら、当時妹はスーパーに勤めていたのであっけなく正解を答えられてしまった。)サバランは“サボランではない”から、本当はサボっていたのである。私が九州大学で研修医をしていたときには、朝早く起きなければならなかったのでお昼ごろには眠くなって、講堂の裏の倉庫にあった寝台でよく横になって寝ていた。毎週水曜の午後にはやることがなかったので、勝手に早引けして帰っていた。
・プラムが自転車に乗れないのは、プラムが私の父親の喩えで、自転車が私の父親が若い頃に乗っていたバイクのカブの喩えだからである。私の父親は公務員だったので、仕事の上の付き合いで夜遅くお酒を飲んで家に帰ることが多かった。それで、お酒を飲んでバイクに乗ると飲酒運転になるので、プラムは自転車に乗れないのである。
・サイクリング公園に置いてあった自転車の色が赤から青に変わったのは、日本政府が神武天皇の神制度(神武天皇→光の玉→太陽→赤)から私の神制度(私→川野延夫→のぶお→ぶ→ブルー→青)に代わったことを表している。
・ミントのヘルメットのmiの字は、mi→川ノ→川野(私の姓)を表している。『魔法のステージファッションララ』のみほの服にmihoと書いてあるのも同じ理由だ。ho→ほ→ふお→ぶお→延夫[のぶお](私の名)。だから、そのぶん、顔が私に似てない。
すてきな街は何の色? ・冒頭のミントの棒ずりは、私が中3の頃のオナニーの喩えと、昔朝倉にいた頃畳を箒で掃除していたことから。
・このハーブおばさんの絵が実物の私に最も近い。今でも似ている(平成20年2月現在)。
←うりふた☆☆☆
・自動車の斜めの引きは、私が小学6年生のとき描いた絵と構図が同じ!絵柄は、鳥山明に似ていたけど。(もとの絵は、どっかにはあると思うけど、手元にはない。)

・第“3”話の絵が下手なのは、私の名前が3本線なのと、中1頃から絵を描くのが面倒くさくて絵が嫌いになったためだ(マジカルエミ#3も)。(絵は描くのに時間を食うわりには、見る者の思うところが少ししかない。字で書いたほうが思想が効率よく伝わるのでよい。)
・ハーブおばさんが新しいディスコダンスのステップを憶えている=私が中学2〜3年生の頃、県営住宅の2階の自室で勉強している時、1階で家族が見ているテレビの音がうるさくて、足をどんどん踏み鳴らしていたことがある(→タップダンスにも喩えられる)。
・サフランさんは、福岡市東区筥崎宮の通りを挟[はさ]んで南側にあった眼鏡屋さんのおばさんだ。(髪型がうりふた)[平成19年10月7日:眼鏡屋さんは道路拡張のためなくなっていた。]

・ミントが木から滑[すべ]ってパンツが見えている=私が小学1〜2年生の頃裾[すそ]の短い半ズボンをはいていたので裾からブリーフがはみ出して見えていた。特に木登りをするとき脚[あし]を上げるとよくはみ出していた。
・第3話の絵が下手なのは、私が小学生頃に描いたマンガの絵のレベルに合わせたためであるとも考えられる。
・絵が駄目ならセリフで見よう。アニメは“概念的”に見なければならないものなんだね^^。
はばたいて きらめき鳥 ・クレアとミントは同一人物つまり私だ。クレア(声優矢島晶子)とミントが同じ顔をしているのが、その証拠だ。↓

・きらめき鳥は、若草町の遊園地のビー玉遊び場のこと。自分たちが適当に空いている所に穴を掘って作った。雨が降った後は、穴が埋まって浅くなるので、掘り直した。あるいは、小学校の給食で使った先割れスプーンのこと。
・引越しして行った男の子(エルム)は、私が小3〜4のとき、大阪に引っ越しして行った友達の町田良一[まちだりょういち]君だ。
・ミント予告編の最後「おたのしみにね」=私は小学4年生頃、浅野耕太[あさのこうた]君に「片目だけつぶれる?」と言われて、風呂場の鏡を見ながら片目だけつぶろうとしたことがある。しかし、できなかったので、すぐにやめた。私はそういうことには器用ではない。
すてきなパイはいかが ・小学4年生の頃、お母さんにりんごの皮むきの練習をさせられたことがある。失敗したパイは、お母さんがおやつにためしに1回だけ作ってくれたもので、「形が変になった」(母談)けど、美味しかった。
・セーラは私である。一般に、“ケーキ作り”は、ケーキが白いからケーキはノートの喩えであり、つまりケーキ作りとは勉強の喩えである。セーラが急にケーキを作らなくなったのは、私は医学が苦手で医学部に入ってから成績が不振だったからである。マイクは私が研修医の頃、私の面倒を見てくれた森本先生(当時講師)である。
迷犬ドンの物語 ・ノエルが以前飼っていたジョニーは名犬ラッシーにそっくりだ。名犬ラッシーはわんぱくフリッパーと同じ時期に高知放送?で水曜日?の夕方6時から放送されていた作品で、どちらも私の喩えだ。(じつは、私はほとんど名犬ラッシーもわんぱくフリッパーも見たことがない。)つまり、名犬ラッシーは私の子供の頃の喩えである。それに対して、ドンは高1のとき分裂病に罹ったきりで大人になって太ってしまった私である。ドンが呑[の]まれそうになったダムは、高知市城山町にあった神田川[こうだがわ]の堰[せき]。私はダムに呑まれそうになったことはないが、私が若草町の県営住宅に住んでいたとき妹が近くの農業用水路に落ちて堰(ここでは別の川の下をくぐる水路の立体交差のこと)に呑まれかけたことがあったそうだ(母談)。(→浅野りん著『CHOKOビースト』第1話のちょーこの「流れる〜」)
魔法の世界へ大冒険!? ・ダウジングロッドは、私が小学中学年頃に読んだオカルトの本に書いてあった。ちょっと興味があったが、実際に使ったことはない。
・洞窟については、私が中学1年生のとき、朝倉中学校の同級生だった藤崎君とかしざき?君といっしょに南海ゴルフ場の下のミカン畑の中にある昔防空壕として使っていたらしい洞穴に入ったことがある。洞穴の天井からゲジゲジが藤崎君の襟元に落ちてきてパニックになった。外に出てみると上にあるゴルフ場から大人2人がこちらのほうを見ていた。次に行ってみたら、洞穴がすっかり塞[ふさ]がれていた。
・「プリプリ」←プリ←フリ←フ”←ブ←ぶ←のぶお←川野延夫(私の名前)と、私の名前に“の”の字が二つ続いているので、プリを二つつなげてプリプリ。あと、私が小学2〜3年生のとき、小学校の大便所の壁にあるタヌキやキツネに似ているシミが怖くてウンコを家に帰るまで我慢していて、家に帰ってくるなり玄関でウンコを垂れたことがあるからプリプリ。私の通っていた小学校は、築百年近くになる木造の古い校舎だったので、便所が校舎とは別の渡り廊下にあって、いっそう不気味さを醸[かも]し出していた。
・女性のタクシードライバーは、私が病気になって近所の国立病院に行こうとしたが途中で母親が私に何度も「国立病院でいいがかえ?いつもの富田さんがいいがやない?」と問いただしたので、国立病院に着いてからいつものかかり付けの升形の富田小児科に行くことに急に変更になったとき、国立病院の近くの電話ボックスからタクシー会社(高南タクシー?)に電話をかけたら、珍しく女性の運転手のタクシーが来た。ただ、女性なので運転が乱暴で急ブレーキが多かったのでいつもより車に酔ってしまった。後にも先にも、女性のタクシードライバーを見たのはこのときかぎりだ。
・タクトと博士が記憶喪失になったのは、タクトと博士が魔法の国に行ったことが、私が1〜2才頃に超能力が使えたことに対応しているとして、タクトと博士が雷に打たれて記憶喪失になったし、今の私も自分が小さい頃に超能力を使えた記憶がないから[ただし、私が小学低学年頃、薫的のおじいさんの家の縁側で小さな木の板を手でひねって何度もコマのように回そうとした記憶がある。]、誰かが小さい頃の私の脳にショックパドルでも当てて私の記憶を消したとでも言うのだろうか?
がんばれ豆ピアニスト
変な顔のミント(その1)☆☆☆
しかも、アップ。その理由は、いつものミントの顔が門田君で、この絵にかぎり私(川野君)の顔だからである。ミントの顔の色がいつもより黒いのは、子供の頃の私が毎日外で遊んでよく日に焼けていたからである。
隣にワッフルがいるのは、ミントとワッフルがじつは同一人物(つまり私)であることを表している。
ミントが塀をよじ登って覗[のぞ]いているのは、朝倉の県営住宅にブロック塀があったことと、私が中1のときみその学舎(旭にあった塾)に通っていたとき、ある日塾の帰りに、西森年彦君や田村直信[なおのぶ]君や加志崎君たちと一緒に英語の河野[かわの]先生の下宿を覗きに行ったことがあるからだ。河野先生は福岡出身の高知大学の教育学科の学生で、下宿で同棲しているという噂[うわさ]があったので、それを確かめに行ったのだ。しかし、けっきょく部屋の中はカーテンで見えず、わからずじまいだった。
ミントが魔法使いサリーの服を着ているのは、この話では、クララが私でミントが魔法使いサリーすなわち私の母だからだ。サリーは私の母の若い頃に似ている。私は恥ずかしがりやでナイーブなので、母が私の根性をたたき直しているところ。
・私がピアノを弾けるって?小学生のとき、おもちゃのピアノがあっただけだ(ようこ#2の安)。
逆転!いたずらボーイ ・小さい頃の私は、よく嘘をついた(『うる星やつら』のラムのように)。
10 それゆけトアルナイツ ・私は運動音痴なので、野球が下手だ。だから、応援しかできない。
11 こんにちは小さな天使 ・小さな天使は、私が3つのとき生まれた私の弟のことだろう。
←ミントの左にいるのは『ようこそようこ』のムーだ。つまり、この絵は、ミントとようこは同一人物であることを示している。
12 風をつかんだ夏の海・・・ ・小学生の頃は、夏になると家族総出でバスに乗って宇佐の海岸へアサリの貝掘りに行った。高知新聞で干潮の時刻を調べてから行った。アサリがよく採れた。ところが、私はヤドカリが好きで、ヤドカリをタライいっぱい取ってきたが、使い道がなく、家の玄関の横に放置して全部殺してしまった。すごく臭かった。(→『LOST☆UNIVERSE』第4話「ヤシガニ屠[ほふ]る」)
・海の風が夕方止むのを凪[なぎ]と言う。中学3年のとき「凪」の字が読めたのはクラスの中で谷脇さんだけだった(→天地無用の那岐[なぎ]…魎呼のライバル)。
・最後にミントが「もうやめてぇ〜」と言いながらウインドサーフィンにしがみついているのは、私が本当は運動が苦手でウインドサーフィンができないからである。その直前にミントがぎこちなく笑うシーンがあるのは、私が本当は冷静沈着で笑わない性格だからである。
13 ようこそ絵本ワールド ・私は図鑑は好きだったが、絵本をあまり読まなかった。読んだのは、『日本の神話』(日本武尊や天照大神が出てくるやつ)ぐらい。小さい頃から、私は作り話が好きじゃなかった。
・グリフィンの町の住民の中にエリリン(田村えり子)がいる。
14 木馬がくれたおもいで
←女の子のナッツが、子供達みんなに混じって一晩外で野宿できたのは、ナッツが本当は男(私)だからである。ナッツは本来は私の母だが、私と私の母は似ているので私がナッツになることがある。[私が山岳部に入ったのは、そもそも高知学芸中学3年C組の同級生の和田高明君の誘いがあったからだが、私が中学3年生の当時はまだワンダーフォーゲル部と呼んでいた。それは、女子部員がいたからである。私が中3のとき和田君と一緒に入部して、春休みに高知市の北の土佐山村にある工石山[くいしやま]に登ったときには、女子部員が一人いて、彼女一人が別のテントに泊まって寝た。もちろん、監督の先生も同伴した。その後、たった一人の女子部員が辞めてから、クラブの名前が山岳部に変わった。山岳部の担任は最初は生物学の羽方[はかた]先生だったが、高2頃から数学の寺尾幹夫[てらおみきお]先生に代わった。寺尾先生は九州大学のバトミントン部で主将として活躍したことがあるそうだ。]
・公園をつぶしてビルを建てたらみんながお金儲けができるが、公園をつぶしたら幸せそのものがなくなってしまうのではないか?と思った。
15 おかえり大好きなパパ ・ジュン=安岡勘助[やすおかかんすけ]君(私が、九大医学部を受験するために自宅で受験勉強しているとき、和田高明君の紹介で週に1〜3回夜中に家庭教師のバイトをやっていたが、そのとき私が数学を教えた追手前高校1年生の男子生徒。英語が得意だった。将来ジャーナリストになりたいと言っていた。早見優に似ていた。勘助君のおじさんは高校のとき英語が苦手だったが九大工学部在学中に博多に住んでいる外人のところへ自分から出かけていって英語で話しているうちに英語をマスターして、卒業後アメリカへ留学して飛行機の設計の仕事をしているそうだ。サンダーバード2号にも用いられている“前進翼”(主翼が前方へ突き出している翼、超音速で機体が安定するそうだ。)は安岡君のおじさんの発明だそうだ。勘助君が夏休みにアメリカのおじさんの家に遊びに行ったとき、射撃場で本物の銃を撃ったことがあるそうだ。勘助君のお父さんが800万円ぐらいする高級バイクを持っていて私に見せてくれた。高くて細長いハンドルで後ろにのけぞるようにして乗るバイクだった。安岡君のお父さんは慶応義塾大学卒業で銀行の支店長をしておられた。)
・ジュン「おっす、ドレス買いに来たぜ。」(笑)
16 街で出会った王子さま ・王子様=私(アニメを見慣れた人なら、顔でわかるはずだ。)
・最後に王子が「パリエルレムリンスイートミント」と言っているのは、じつは王子とミントが同一人物(つまり私)であることを言わんとしているのだ。
・もうひとつの解釈は、王子様=天皇だ。私が中学1年生のとき、旭にあったみその学舎という塾に通っていたが、ある日塾が終わって西森君や立野君や岩本君や加志崎君たちといっしょに電車通り(土佐電鉄の電車が走っている国道33号線のこと)で天皇の乗っている車を見たことがある。大勢の人たちが通りに出て天皇の乗っている車に手や旗を振っていた。
今にしてみると、クープ王子が日本の神とされていた天皇なのはわかるとしても、もう一人の女男(ミントのこと)が神だというのは私自身の目から見ても異様すぎてこんな奴が神なのかと思うとなんか嫌だ。
アニメーターが宗教の者に脅[おど]されながら絵をかわいく描かされていたような気がする。
・ミント「また来てね」…ミントとクープ王子の別れのシーンは、私が高校1年生の始めの春休みに和田高明君といっしょに正連寺の山を御免[ごめん](地名)の辺りまでサイクリングしたとき、別れに五台山の麓の浦戸湾[うらどわん]の堤防の上で「また今度」と挨拶をして別れたことがもとになっている。
17 幽霊船がやってきた!? ・私が小学生の頃よく読んでいた『天才バカボン』のバカボンギャグが入っている。
・幽霊船の元ネタは、私が小学3〜4年のとき薫的のおじいさんの家に住んでいた亨[とおる]のおんちゃん(母の弟)が持っていたボトルシップ(ガラス瓶の中に作られた帆船のプラモデル)。亨のおんちゃんはステレオを持っていてレコードの収集もやっていた。私が小学4年の頃、亨のおんちゃんの結婚式に出席したことがある。
・私は小学生の頃、心霊写真が怖くて一晩中眠れなかったことがある。
・この話のテーマはジャン・パンプキン船長のカルチャーショックだが、私が高知大学の数学科にいた頃、夏休みに早稲田大学理学部物理学科に受かった西森年彦君が高知市朝倉若草南団地の北にある農業用水のそばの道路(→真説ようこそようこ第33話右上の写真を参照)を私といっしょに自転車に乗りながら話していたときに「高知は『キン肉マン』が半年遅れてやっている。カルチャーショック(笑)。」と言ったことがある。
・ジャン=パンプキンが酒場ミス=ジョッキーで「いつもの親父を出せ」と言った後に別のシーン(ジャン=パンプキンが幽霊船から降りてくるシーン)がもう一度出てくるが、これはジャン=パンプキンが『自分のまちがいだ』と気付いたことを編集のまちがいで表しているのである。
18 タクトの探偵大作戦!? ・この回では、ぶらざあのっぽの面子[めんつ]が知能犯として登場する。つまり、ミントやナッツやプラムなど他の登場人物も実在の人物(つまり私)がモデルになっていることを言いたかったのだろう。
右のボス=日本神道の幹部(日本政府の誰か)
左上の部下1=小山高生
左下の部下2=広井王子
・ミントやPPG[パワーパフガールズ]のバブルスが動物と話ができるのは、私の母親が動物好きでよく家で飼っている鳥や犬に話かけることがあるからである。私は動物には全然興味がないが、小学生の頃は虫が好きで家の近所にいるセミやバッタやテントウムシやマメコガネやトンボなどを捕まえて薫的のおじいさんが鳥かごを改造して作ってくれた虫かごに入れて遊んでいた。
・デイジー=小さい頃の私(つまり、デイジーとは、小さい頃の私を女の子に喩えたアニメのキャラクターであるということ。もっとも、タクトも私だが。私はあまり女には興味がないので、アニメに登場するアベックはほとんどすべて私一人を男と女の二人に分けたものだ。だから、いつも二人がいっしょにいることになる。)
←ミントのバナナ目(その1)
私はバナナ目なんかできない。
これができたのは、私の知り合いの中でも、私が朝倉第2小学校5〜6年生頃の同級生だった門田守[かどたまもる]?君だけだ(名前の門田のほうは確かだが、守のほうは確かではない)。
スイートミントの顔の雰囲気は確かに門田君に似ている。(とくに、スイートミントカルタの絵がよく似ている。)
したがって、スイートミントのモデルは門田君である。
ただし、性格とかネタは私のものであることが多い。
19 ミラクルカーの大脱走 ・私は自動車免許を持っていないので、車に自分で走ってもらわないといけない。赤ん坊の頃の私が水をガソリンに換えられたかは不明。私が使えた超能力は、1〜2歳頃にあった念動力だけで他にはない。(この手の話は作り話が多い。私が自分の赤ん坊の頃のアルバムを見た印象では、いろんなことがやれたというより、ほんのちょっと普通の人にやれないことがやれただけのようだ。)
・この回の作画はミントの顔に感情がこもっていてレベルが高い。絵がうまい。
・私が小学生の頃遊んでいた正岡淳之[あつし]君が「窪川でお父さんの車をちょっと運転させてもらった」と話したことがある(身代わり入れ)。「窪川に行く途中にはすごい坂道がある。」とも行っていた。(→PCゲーム『BattleField2』のドラゴンバレーの発電所の近くの坂道。)
・マック=私(ミラクルカー←奇跡の川野(カー←川←川野)←超能力者の川野。マック←クマ←カワ(クの左斜め線を右にずらすとカになる。マの下の斜め線を左上に移すとワになる。)←川←川野。)。不良=日本政府の政治家。マックを好きな男の子=子供の頃の私。つまり、この話は、日本政府の政治家によって、高1のとき精神分裂病に罹らされて不良みたいになってしまった私だが、心の奥は子供の頃の私のままであるという話である。
20 宝石泥棒をつかまえろ
・ヒゲ男(声:緒方賢一)が「わあぉ宝石は無事じゃねえか、神様サンキュー」と言っているが、絵では宝石が消えている!これは、じつはミントが宝石を盗んだからである。私は宝石は盗んだことがないが、小学3年生のとき2人の友達(正岡淳之と白石芳樹[よしき])といっしょに誕生石の写真が載っている手帳をスーパーで万引きしたことがある。あとで、ヒゲ男がミントの魔法によってラジコン飛行機で頭の真ん中を剃られているが、これは私が中学2年のとき私立高知学芸中学校へ編入したとき、校則によって坊主頭にしなければならなかったため、近所の床屋でバリカンで刈られたためである。つまり、ミントとヒゲ男とはじつは同一人物(つまり、私)なのだ。
・プラムとタクトがデパートのベッドの上で寝ているのは、私が九州大学医学部付属病院の研修医だった頃、朝起きるのが早くていつも寝不足で仕事の合間に病院の講義室の裏の倉庫のベッドで寝ていたからである。ある日、突然講義室と倉庫の間の扉が開いて、私の寝ている姿が講義を聞いていた学生達にさらし者になってしまったことがある。
泥棒がけっきょく警備員に捕まったのに、ミントのセリフによれば「ごめんなさい。もうしません。」だけで済んでいる。ミントのセリフをどう聞いても、牢屋送りになったとは思えない。普通、ここまで大きな犯罪を犯せばたとえ死刑とまでは行かなくても牢屋送りは当然だ。それは、この泥棒が私であって、私が小学3年生のとき、同級生の正岡淳之[まさおかあつし]君や白石芳樹[しらいしよしき]君といっしょに鴨部のスーパーで万引きしてスーパーの店員に万引きしている現場を見つかって大あわてで必死に逃げて白石君が捕まって、あとで家に学校の先生が来て母といっしょにスーパーに謝りに行ったとき、私が「ごめんなさい。もうしません。」と言って泣いて謝ったからである。スーパー側も子供がやったということで大目に見てくれてこれまでに万引きした商品(子供の自供)の代金を払っただけで少年院送りにならずに済んだ(と言うよりも、最初から日本政府によるヤラセだったので、当然子供達は悪くない)。実際、このとき以来私は店で万引きしたことがない。
21 ママはとんでる17歳 ・母親がかわいいのは確かだ。
・ママがSANPYOの新型の掃除機に感動して、自動車のボンネットを踏み台にして道路を渡るとき、最後に“オート3輪”の荷台を踏んでいる。←たしか、私が小中学生のとき高知新聞の小さな欄に、どこかの子供が新車の自動車の屋根に登って遊んで20〜30台の自動車を売り物にならなくした記事が出ていたのを見たことがある。“オート3輪”は私が小学4〜6年生頃、家の近くの子鹿園東通りのバス停通り(→私のホームページのなんでも写真館の平成18年夏高知の2日目の32枚目の写真を参照)で走っているのを見かけたことがある。
←変な顔のミント(その2)
マーブル・E・フォックスを見て「なかなかかっこいいね」と言ってるミントの顔がいつもと違うのは、いつものミントの顔が門田君で、この場面のミントの顔が私に近いからだ。[けっして、アニメーターの絵が下手だからではない。]
・撮影所の屋根が711の形をしている。711←川(形が似ている)←川野(私の姓)。コンビニのセブンイレブンも私の川の字から来ている。
・私が九大理学部の学生だった頃、福岡市営地下鉄箱崎九大前駅のホームで柱にもたれていると緑のスラックスに白いペンキが付いて履けなくなってしまったことがある。
・スイスイスーダラダッタスイートコーン♪のスイスイスーダラダッタの部分がスーダラ節なのは、植木等が私に似ているからだ。
22 夢見鳥を追いかけろ 夢見鳥は私の喩えである。(昔と今では世界観が違うから、当時大勢の新聞記者が超能力が使える私のことを書きたてても、あまり騒動は起こらなかったと思うが。)
・夢見鳥は、神武天皇の弓の先にとまった鳶[とんび]のことである。この話では、ミントが天皇であり、ミントが読んだ禁断の書とは日本国憲法のことである。つまり、ミントが魔法を失ったのは、天皇の人間宣言の喩[たと]えである。最後にミントは魔法を取り戻したから、今でも神武天皇の主制度は残っているのである。
・この話が本当に言いたいことは、ナッツ(つまり私)が現実志向型でけっして夢見鳥を追いかけないことである。
23 おもちゃたちの大反乱
24 ドラキュラ大パニック
25 月曜日のステキな伯爵 ・私は小学5、6年生頃から自分の顔に自信がもてなくなったので、散髪屋に通うのが嫌だった。今でも、ずっと嫌なままである。
・私が九州大学に合格して独り暮らしをするようになってから、近所のスーパーと床屋以外には行く所がないからこんな話ができたわけだ。
・ハーブが伯爵に「私があなたに魅かれたのは、あなたの地位や身分じゃなくて、あなた自身に魅かれたのです。」と言っているが、それは私が他人をけっして地位や身分で評価しないからである。いくら大臣や博士でも、人間が面白くなければダメなのである。
・ライ伯爵とは、政治家のことである。今の政府が偉くないので、政治家は床屋にすぎないのである。h24.10.19
26 魔法使いトラッディ ・私が高知学芸高校の2〜3年生のとき、川田紀生[のりお]君が「夜中に鏡川の河川敷の公園を自転車で走っていたら真っ暗で何も見えなかったので鎖(川岸に立ててある柵の間に渡している金属製の鎖)にひっかかってもうちょっとで川にこけそうになった。」と話していた。
スイートミントとトラッディは同一人物である。だから、ミントがトラッディのマントを着ている。トラッディこそ真の主役だともいえる。トラッディ=医学部時代の私(22〜27才)。ミントはトラッディの小学生時代の姿だ。
・アルも私である。つまり、ミント=トラッディ=アル=私である。
・博多は冬の朝冷え込むと霧がよく発生する。
15年後
ミント
小学生時代
10〜12才
トラッディ
医学生時代
24〜26才
・ミントのデカ手=中学生頃から私はACROMEGALY(末端肥大症)だ。

・「ママはとんでる17歳」(私が母親を連れて福岡の町案内をしたこと)や「魔法使いトラッディ」(私が医学生であったこと)や「天使は綿雲のむこうに」(私が高校1年生のときから九州大学医学部の教養部の頃まで登山をしていたこと)などの回で、いつもよりミントたちの顔が固くいびつで老[ふ]けた感じがするのは、それだけ私ネタを濃く入れているからである。
27 南極から来たペポリン ・ペポリン=私(政治家すなわち日本神道の幹部にとっては超能力者である私が現人神[あらひとがみ]だから価値が高いのである。)
・南極は、高知の喩え。
・ミントが口を開けずに「だめったらだめです」と言っているのは、実際には私が「だめったらだめです」と話したことがないからである。つまり、私が他人に頼まれたら断れない性格だからである。
・ミントたちが大勢の記者に追いかけられるシーンで、絵と効果音が合っていないのは、実際には私が大勢の記者に追いかけられたことがないからである。
28 へんてこ博士の大発明 ・『天才バカボン』ネタ。私が小学中〜高学年の頃、『天才バカボン』の1〜8巻ぐらいまでを精読してギャグのセンスを身に付けた。タクトがハッピーの中に入っているのは、タクトとバカボンのパパが同一人物(つまり私)であることを表している。じつは、ハッピーは私をモデルにして作られているのだ(だから、デザインがダサい)。
・トーマス博士「もちのロンロン」←私が高校2〜3年生のとき和田高明が言っていた口癖「もちコース」←オフコース(東工大出のバンド)
・私が中学生のころ、風邪[かぜ]で寝込んで布団[ふとん]の中で仰向[あおむ]けになって文庫本を読んでいたとき、文庫本が重くてページをめくりづらかったので、「自動にページをめくってくれる本立てがあればいいのになあ」と思った。それで、トーマス博士が「自動ページめくり機」と言っているのである。(平成27年12月5日追記)
←ミントのバナナ目(その2)
こんなバナナ目ができるのは、数ある私の友人の中でも、私が朝倉第2小学校5〜6年生頃同級生だった門田君だけだ。
1度、門田君の家で一緒に遊んだ(班の話し合いだったかな?)ことがある。[ついでに、耳たぶを動かす芸ができたのは、私が朝倉第2小学校5〜6年生のときの同級生だった佐竹治君だけである。わざわざ私に休み時間に耳たぶを動かすところを見せてくれた(→『ギャラクシーエンジェル』のミント・ブラマンシェ)。](つづく↓)
←これでも、きれいどころ?!
(↑つづき)したがって、私によく似ているのは、ナッツのほうである。顔とか身体の雰囲気とかがよく似ている。プラムもタクトもハーブおばさんもみんな私がモデルだが、私はとくにナッツによく似ている
ミントの第1話でナッツがミントを「うらやましいほど元気な子」と言っているのは、私が体育が苦手で門田君が上手に体操するのを見てうらやましく思ったことがあるからと、私が医学部の頃に自分の陰嚢を紐で縛って睾丸を虚血状態にしてしまったため、その後元気がなくなってしまったためである。
29 プラムのミクロ探検隊 ・小学生のとき、父親に誘われて(誘導?)テレビで見た『ミクロの決死圏』がすごく面白かった。夜の11時まで起きてテレビを見たのはこのときが生まれてはじめてだった(普通は夜の8時ごろに寝ていた)。
・私が4〜5才頃、紙飛行機が好きで、よく折って飛ばしていた。
30 さよなら?!魔法の天使 ・私は医学生だったから、私は救急車に乗れる(ようこ#34)。実習で一晩だけ福岡市東区の消防署に徹夜して、救急車に2回乗せてもらったことがある。1回目はいたずら電話だった(今にしてみれば、ヤラセっぽい)。2回目は風呂の中でおじいさんが脳卒中で倒れた事故だった。
31 クジラくん空をゆく?! ・鯨が空を飛ぶテレビCMがすごく印象的だった。私が九大医学部付属病院精神神経科で研修医をしていた頃、鯨が空を飛ぶ話をする患者さんがいた。
・双眼鏡=医学部の講義では、私は階段教室の一番高い(つまり後ろ)の席に座って、オペラグラスを使って黒板を見てノートしていた。
←ヘンな眼
32 ごめんねワッフル ・ワッフル=私、ミント=母。2歳半ごろ“洗礼”(脳を電気ショックで破壊すること)をされた後の私は、頭の中が混乱して数日間口もきけなかったらしい?私は逆児[さかご]だったので産褥期[さんじょくき](出産中)の障害で、産まれた時には斜頚と胸鎖乳突筋断裂と先天性股関節脱臼と軽度の斜視を合併していた。今でも私の身体には軽度の左右非対称性がある。(→『人造人間キカイダー』)
この回のミントの顔がいつもよりいいのは、この回ではミントが私の母だからだ。(⇔すると、ミントの顔が悪い回は、私ネタが濃い回だということになる。)
・ナッツ「まるでバットを持たずに打席に立ったバッターみたいね」、喩え[たとえ]が下手糞。これは、私が喩え話をあまりしないからだ。これは、私が小学生の頃、草野球のときブヤボールを腕をバットの代わりにして打っていたからだ。
・ミントがいつもより丸顔で、なんか貧乏臭い。(平成19年12月23日追記)
・この話では、私がワッフルで、ミントが私の母である。(『思い出のアルバム』の1枚目の写真を参照。)また、私がナッツでもある。ワッフルが台なしにしたケーキとは、私が医者をやることである。私がコツコツとまじめに勉強してやっと医者になったのに、私が本音を出して医者を辞めてしまったことを、ワッフルがケーキを台なしにしたことに喩えているのである。(もっとも、私の母は最大限に私の自由を認めてくれているので、アニメのミントのように私を怒ったりはしなかったが。)(平成20年10月25日追記)
33 情熱をスキーに乗せて ・私はスポーツ音痴なのでスキーはできないが、父親はスポーツ万能なのでスキーが上手だ。(球技も得意で、野球のときはいつもピッチャーをやっていたそうだ。)高知は雪が降らないので、冬には列車と船を乗り継いで、兵庫県の八鹿[ようか]の神鍋[かんなべ]高原まで行ってスキーをしたそうだ。
この回のミントの顔がちょっと堅くていい感じなのは、この回のミントが私の父親だからだ。
・私は生まれてから一度もスキーをしたことがない。[ただし、高知学芸高校の山岳部で冬休みの始めに天狗高原に行ったとき、そりでちょっと滑ったことがある。]それなのに、プラムとワッフルがスキーが上手なのは、高知学芸高校1年の終わりの春休みで私の代わりに前田誠一君がスキーコースの修学旅行に行ったからだ。そのために、前田君は私を誘って3〜4ヶ月間森塾(高知学芸高校と土佐塾予備校を掛け持ちで数学を教えていた森先生が自宅の一室を教室にして教えていた塾のこと)に通った。
・ミントはじつは男(門田君か私)なので、男の友情がわかるのだ。
34 クリスマスは夢気分! ・クリスマスは、小学4年ぐらいまで一応祝っていた。親戚のおばさん(母の妹)がキリスト教に入ったのが、祝うのをやめた原因?(母は妹に対抗意識がある?)クリスマスツリーは、近所のスーパーで売っている1500円ぐらいの小さなプラスチック製のものだった。
・プッシュホンの絵が下手なのは、私がダイヤル式の電話機しか使わないからだ。今でも(平成19年現在)、九大医学部生のとき馬出[まいだし]のけいあいビルに引越ししたとき、母に福岡市東区のNTTで買ってもらったダイヤル式の電話機を使っている。
・私がクリスマスプレゼントを配ったのは、たしか小学校の高学年のとき地区の自治会でやったことがある。
・プラムが犬に尻をかまれた。←私が九大教養部の春休みに英彦山から福岡市の下宿(富永ビル)まで九州自然歩道を歩いたとき、途中の尾崎さん家の中を通らなければならなかったとき、尾崎さんが留守だったので無断で通ろうとしたら飼い犬に左足の脹脛[ふくらはぎ]を噛まれた。しっかり歯形が付いていた。
35 魔法の壺がこんにちは ・魔法の壺…壺←ツボ←川ブオ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)壺[つぼ]←瓶[かめ]←神←私だから、魔法の壺とは超能力者(←魔法使い←魔法)の私のことである。
・私が幼稚園の頃『ハクション大魔王』が大好きだった。最終回には涙した。(父親が、私が泣いているのを見て怒っていた。)その後で、『ドラえもん』ができた。
・私は砂漠を見たことがない(平成19年9月現在)。砂漠の話の元ネタは、私が小学6年の春休みに自家中毒(軽い虫垂炎→ピンクレディーの盲腸手術の悌毛)で1週間ほど高知市升形の富田小児科に入院したとき、母が病院の近くの本屋で買ってくれたヘディン博士のタクラマカン砂漠横断を描いた学習漫画『死の砂漠を行く』だ。他に、永井豪の『デビルマン』第2巻と松本零士の『男おいどん』第9巻も買ってくれた(全部私をネタにした漫画。デビルマンは悪魔が超能力を使うからだし、大山昇太[おおやま のぼった]は、名前がのぼった≒のぶお(私の名前)で、昇太の好物がラーメンライスで私が小さいころはインスタントラーメンが好きだったことが共通している。)。あるいは、砂漠=私が生まれた高知市(暑いから)。
・アラ・ヤン=私アラ(私が小学生頃、近所の農協スーパーで売られていたビン入りの海苔の佃煮。朝倉の略かも。)子供の頃から、私には美がなかったので、それでアラビヤンからビを引いてアラ・ヤンなのだ。
・おじいさんの壺とは、ハクション大魔王の壺のことであり、つまり、私のおじいさんがハクション大魔王ということである。(ちなみに、私はおじいさんに似ている。)ところが、私が幼稚園の頃、ハクション大魔王を見た私の父がハクション大魔王を私の母だと勘違いして怒っていた。私のおじいさんは寝室に痰壺[たんつぼ]を置いていた。
36 おめざめ?!イバラ姫 ・イバラ←私が九大教養部の春休みに英彦山から福岡市の下宿まで歩いたとき、途中の大根地山(山頂付近に鳥居が多数)で道に迷ったときイバラの藪を30mほど薮漕[やぶこ]ぎしなければならなかった。
・性格の悪い魔法使いマリアン=神武天皇(誰がどう見ても『魔法のプリンセスミンキーモモ』のデビル・クイーンのスイートミント版)、プリズン山=皇居、マリアンを解放するときの呪文「ヨツパデ、パーレッツゴー?」=『君が代』(私が小学生のとき音楽の時間に歌った。)
37 雪の使いが落ちてきた ・ミント(私)=ナッツ(女化)=プラム(男化)=フラッペ(超能力) ハーブおばさん=私父の兄(発狂後出征して戦死) 幼少の頃の私は父親の指図で室温を5度低下させることができたそうだ。)ハーブはブが付いているから‘ぶ入れ’で私のこと。私には気温を下げる超能力なんかない。雪の結晶は、小学生頃によく食べた雪印のアイスクリームから。
・ガイコツとゴーレム←九州大学医学部解剖学第1講座で教壇の横に立っていた人体骨格模型。
38 夕暮れの回転木馬 ・本放送が放映されたのは(福岡ではまだテレQができていなくて惜しくも見れなかったが)、1991年1月23日であった。ところで、私の誕生日は1964年1月22日である。OPが一新されたのは、私の誕生日をまたいだからか?
・後期OPが前期OPに較べて丁寧なのは、私が夏の暑いのが苦手で、冬の寒いときのほうが調子がいいため。夏暑いときは頭が働かないので、夏場は無理に頭を使わない(考え事をしない)ようにしている。
・後期OPでは、プラムが鼻をこすっているが、これは私が中3のオナニーしている頃の癖だった。そのころ、眉毛を引きむしるのも癖だった。眉毛が薄くなって、ところどころ眉毛が禿[は]げていた(→『デジキャラットにょ』の熊谷金太郎)。
・そもそも、(前期もそうだが)後期OPは過去の魔法少女のパロディになっている。その理由は、すべての魔法少女がそもそも同じ一人の実在する人物(つまり私)から作られているからだ。
・ラップタイムが1:23←私の誕生日は昭和39年1月22日だ。
・回転木馬の元ネタは、私が小学校に上がる前後に薫的のおじいさんに連れられて越前町のおもちゃ屋さんに行ったことがあるが、そこのおもちゃ屋さんで売られていた小さな列車がトンネルの付いた丸い線路をグルグル回るブリキのおもちゃ(ワンダーランド?という名前のおもちゃ)だ。私はこのおもちゃが欲しくておじいさんにねだったが、買ってもらえず、代わりに大砲からライターの火花が出る小さな戦車のおもちゃを買ってもらった。それから、私が子供の頃にすんでいた高知市朝倉の南の山の上には乗馬クラブがあり、私は小学生の頃友達といっしょにときどき乗馬クラブに馬を見に行っていた。乗馬クラブの便所には当時(昭和51年頃)としては珍しいハンドドライヤーがあった。
・ナッツとミントが「ウン、ウン」と言っているが、「ウン、ウン」は小学生頃の私の返事の仕方だ。
私が九大医学部に受かって教養部1回生のとき、和田君といっしょに油山に登ったことがある。
そのときに見た博多の町の景色に似ている。[油山の山頂は木が茂っていて周りの景色が見えない。]
シャボン玉は、私が小学生のとき、住宅の庭でよく飛ばして遊んだ。
・ミントの作画がシリーズ後半荒れている(つまり、ミントの顔が可愛げがなくて不細工になっている)のは、私が子供の頃だけかわいくて高校生以降かわいげがなく不細工になったからである。ミントの話がシリーズ前半は面白くて後半が面白くないのも、私の人生が中学生の頃までは楽しくて高校生から後は面白くなくなったからである。
39 シンデレラはナッツ?! ・ミントは門田君か私だが、ナッツは私だ。
・ビネガーとは私のおじいさん(母の父)のことである。私のおじいさんは第2次世界大戦のとき陸軍大尉でおじいさんの家の応接間に賞状が飾ってあったので、私が子供の頃におじいさんを尊敬していた。それで、ナッツは若い頃のビネガー(なんとなく顔を似せて描いている)が好きなのである。
40 タクトのふしぎな一日 ・小学生の頃私が絵本で読んだ日本の昔話『天狗の隠れ蓑』から。最後のオチが面白かった。
・川谷祐三(泥棒)がどうしてスイートミントに出てくるのか!?それは、川谷祐三が私と同じ高知県の出身だからである。私が高知学芸高校のとき、古文の内田先生が授業中に川谷祐三のファンだと言っていた。内田先生はまた西川きよしのファンだとも言っていた。川谷祐三も西川きよしも“川”の字が付くので、私への応援のつもりで言ったのだろう。
41 へんてこ博士パート2 ・タイムマシン=目覚まし時計が、私が高校生のとき旭の下宿に住んでいたころに使っていたのと同じ形(色違い)。
←高校2年生のとき住んでいた旭の下宿(2階の向かって右端の部屋)。平成17年夏撮影。
cf.ファンシーララ第22話『スクープ!ララの正体』に出てくる杉尾拓也の下宿とクリソツだ!
当時はトイレが汲み取り式だったので、[北杜夫の本に書いてあったように]大便をしたときにはおつりが帰ってくるのが心配だった。
お風呂が付いていないので、2日にいっぺん実家に帰ってお風呂に入っていた。
・博多に住んでいたときNTTに電話を切られたことがある。
42 魔法の翼で夢に飛べ!
←私は男にしろ女にしろ美形に興味はない。私は運動が苦手なのでスポーツマンにも興味がない。
私は朝倉中学1年生のとき走り高跳びがまあまあ得意(中の上ぐらい)で、そのとき女子も運動場にいっしょにいたのでいい気になっていたことがある。
43 金色卵のファンラック 私は子供の頃から利己主義者(エゴイスト)だといわれている。直そうともしない。私がエゴだったから、エコロジー(環境学)という言葉ができた?
・デイジーが服を汚されて大泣き…私が小学1年生の頃、高知市立動物園で猿に買ってもらったばかりの帽子を盗られて大泣きしたことがある。
・グレアムがタマゴを独り占め…グレアムの声優は松本梨香[まつもとりか]で、松本梨香は『とんでぶーりん』の黒羽競子[くろはけいこ]のように天皇の役だから、グレアムも神武天皇の喩えである。
・トラッディが卵のことを知っていたのは、卵がトラッディの金玉だからである。昔から、男の金玉は睾丸(つまり、血の幸いの玉)と言われているように、幸福をもたらすものと信じられてきた。
・ファンラックがウサギとリスの合成なのは、ウサギが白くて丸くて神武天皇の光の玉の喩[たと]えであってつまり神武天皇のことであり、リスはリス←川フ(“ス”の右下の斜め線を“リ”に移す)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私のことであり、したがってファンラックとは、神武天皇と私のことである。宗教では「神が人間に幸せをもたらす」と考えられているので神武天皇と私がファンラックなのである。しかし、実際には政府が国民に対して神武天皇と私の情報を入れた嫌がらせをしているだけである。(h23.2.18追記)
44 天使は綿雲のむこうに ・ロープウェイは私が小6のとき修学旅行で行った小豆島[しょうどしま]の寒霞渓[かんかけい]のロープウェイ。
←『うる星やつら』のラムの真似。
つまりミントとラムは同一人物(つまり私)ということだ。
←『ドラゴンボール』の孫悟空の真似。
つまりミントと孫悟空は同一人物(つまり私)ということだ。
・虹が二つ出た…私が小学生の頃、高知市朝倉若草町県営住宅23号に住んでいたが、夏になると庭でビニールプールで遊んだ。ホースで水を出して虹を作って遊んだ。そのとき、ホースの口を指で潰して水流を二つに分けたとき虹が二つ出たかもしれない。
45 小さな彼がやってきた ・この回では、ミントが私の母親で、パルが私だ。(だから、ミントの頭がいつもよりでかい。)私が小学4〜5年生の頃、母親が台所で夕飯の支度をしているとき母の身体の周りから光が出ていたのを見て、私が感動して“生涯この人(つまり私の母)以外は好きにならないぞ”と思ったことが元ネタである。[母の身体の周りから光が出ていたのは、多分光の差し方による私の見まちがいである。]プラムはヘビメタコがいたからダサイダーでつまり私の弟だ。プラムがミントの悪口を長ったらしく語るシーンは、私の弟の私の母に対する印象である。ただし、プラムがミントの悪口を長ったらしく言うシーンは、私が子供の頃にはよく自分が気に入らない者の悪口を影で言っていたことと、このシーンでのミントの悪口はじつは私のことだ。つまり、プラムつまり私が自分で自分の悪口を言っているのだ。
・私は冷凍庫に閉じ込められたことはない。ただ、私が小学生の頃、たしか遊んでいて冷蔵庫に閉じ込められて窒息死した子供の話しを聞いたことがある。ミント=今の私(ただし12才頃。天才を奪われたあと。) パル=先代の私(1〜2才頃。国家公認の天才児。4億次整多項式。整数論が得意。微分方程式にも才能あり。アーベル級数の公式発見。デジタル回路の基礎構築。44次元宇宙論。他に超能力も使えたとか。)[本気にしないでね。]⇔今の私の数学・物理学の実力は、数学勉強室や物理勉強室を見てもらえばわかる(大卒並み)。
・大きなクワガタムシ…私が小学生の頃にあった昆虫のプラモデル。ゼンマイでのしのし歩く。私自身もクワガタのプラモデルを作ったような憶えがあるが、定かではない。
・パルがソフトクリームの車に閉じ込められたのは、私→川野延夫[かわののぶお]→Nobuo Kawano→NK→UNKO→うんこ→ソフトクリームだからである。
46 希望をくれたほうき星 ・ヤンの住んでいる町は、森に囲まれていて、チンチン電車が走っている。こんな町は、四国の高知市以外にあまりないはずだ。
・私は子供の頃は『宇宙』の話が好きだった。(学者になろうとまでは思わなかったが。)高知市朝倉若草町の県営住宅に住んでいた小学4〜5年生の頃、天体望遠鏡がちょっと欲しかったが、お小遣いでは買えなかったので諦めた。
・「希望をくれたほうき星」とは、私が子供の頃から科学が好きで、科学的な物の見方を生き甲斐[がい]にしているということだ。
・ヤンの隠れ家が、昔高知のグランド前にあったプラネタリウムに似ている(でも、私は入ったことがない)。
・今(当時)の私がナッツで、昔の私がヤンとでも言いたいのだろうか(イヤミ)。そういえば、ヤンのママが『アイドル伝説えり子』の田村美奈子(つまり、私の母)に似ている。
・じつは、私は小5の頃から仕事を重視していない。人間は自分の趣味に生きればいいと思っている。ヤンの生き方は一体私に何を教えようとしているのか?
・ナッツのセリフ横取り=ミントとナッツが本来同一人物であることを示している。
・ボリス=私の父親(ちょっと顔が似ている。私の父親は公務員で警察署の会計課に勤めていた。警察→ポリス→ボリス)、パン屋=事務職(紙を食パンに喩えている。)
・パン屋の煙突は、私が2才〜中学3年生の夏まで住んでいた高知市朝倉若草町の県営住宅の風呂場に付いていた煙突だ。鏡川橋の西側の河川敷にある家の煙突だ。
・ヤンが2階から抜け出す…私が中学2年生の頃、2階の部屋で夜勉強していた時、ストレスが溜[だ]まると2階の部屋から外に抜け出して、裸で外を10分間ぐらいうろついていた。
←ナッツは私だ。(ナッツは本来は私の母だが、私と私の母は似ているので私がナッツになることがある。)
47 いつかきっとどこかで ・ミントの使っているプラスチックのコップは、横内(福井町)に住んでいたとき、妹が持っていた『ななこSOS』のコップ。私は朝顔を洗うとき、“自分の手でやる”のでコップは使わない。ミンキーモモのピピルの人形も妹が洗面台に飾っていた。
猟師のおじさんの着ているセーターは、実際私が九大教養部で着ていたのと同じ(20〜21才。ただし色が緑)。『マジカルエミ』の香月秀樹も色違いの同じ柄のセーターを着ていた(第31話「仲よし夫婦のギザギザ模様」)。『とんでぶーりん』第25話「果林が受け継ぐひな祭り」には、私が着ていたのとほぼ同じ色の同じ編目の付いたセーターを着た男が現れる。『魔法のプリンセスミンキーモモ』(2代目)第29話「怪盗ウグイスパンを追え!」にも似た模様のセーターを着たパパとママが現われる。『アイドル天使ようこそようこ』第9話「すてきなカンちがい」の花梨[かりん]ちゃんが持っているセーターも同じものである。
 
 
・トアールタウン(Toal Town)←Total←Total English(高知学芸中学校で使っていた英語の教科書。朝倉中学やみその学舎ではNewPrinceEnglishCourseを使っていた。私はNewPrinceのほうが好きだった。)
・蝶の羽化は、小学館の『昆虫の生態図鑑』(当時¥360)に載っていたもの。裏表紙には、蚊の一日の生態が載っていた。自分が書いたひらがなの名前の‘の’の字が左右逆になっていた(反転文字)。(→@マーク)
・最終回に出てくるキャラクターは、ほとんど全部私だ。
・「お姉ちゃんのように何でも食べて」=私はほとんど好き嫌いがない。(でも、ニンジンは食べ過ぎると頭が痛くなるので大食いしないし、新鮮味のない米や魚は食べない。)
・私は自分の誕生日を忘れるほどのバカではないが、あまり自分や他人の誕生日を意識しない。なぜなら、地球の公転周期(1年)と人間の成長とは根本的には無関係だからだ。
・トラッディ「花の色はあなたの心の色。あなたの心の色はみんなの心の色なのですよ、プリンセス。」(臭いセリフ)…そうかも知れない。しかし、そんなことで私は自分の態度をけっして変えたりはしない。→日本が現人神制を採る国家であることを言っている。つまり、日本では、赤ん坊の頃に超能力(念動力)を使ったことのある私が現人神であって、現人神である私に他の日本人が従わねばならない決まりがあるのである。私は現人神制はまちがった制度だから、現人神制に反対である。[番組ではトラッディが喋っているが、私が現人神制を知ったのは平成17年の春頃のことで、それまでは知らなかったし、もちろんトラッディである私が現人神制を決めたのではない。]
・虹色の谷の花の色が青いままだったのは、私が高校1年生のとき分裂病に罹って以来日本神道の者による幻聴の悪口やガン飛ばしの攻撃を受け続けて幸福な気持ちでいることがほとんどなかったからである。
・お姫様姿のミントが自分の足を抱えて変な格好で空を飛んでいるのは、私が高知学芸中学生のとき、体育の時間に女子がよく自分の脚を体操服の上着で隠していたのを見たことがあるからである。
・最後のミントの絵は、私が小学5〜6年生頃の雰囲気にかなり似ている。(私は子供の頃から服装に興味がないので、服がなんかボロい。)

←リアルに描いたミント。
私の12〜13才頃によく似ている。いつものミントはマンガ絵だ。

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