真説花の魔法使いマリーベル
≪基本≫まず、キャラクターをしっかりつかむ。
マリーベル=私の姪[めい](母親の遺伝で美人。名が美鈴[みすず]さん←ミーちゃん(あだ名)←ミー←川ノ(ミ≒川、−≒ノ)←川野(私の姓)←私で私とつながっている。名が美鈴[みすず]さん←ミスズ←ミズ←ミブ(ズ≒ブ)←川ブ(ミ≒川)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だから、私の代理である。髪形がツインテールでないから私ではない。)、タンバリン=私(妖精化、妖精←フェアリー←フリー←フ川(リー≒川)←川フ←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私)、ケン=私の弟、ユーリ=私の母、タクロー=私(私が19才の頃九州大学医学部を目指[めざ]して“宅浪”[たくろう]していた。)、レミ=私(レミ←ミレ←川ノ(ミ≒川、レ≒ノ)←川野(私の姓)←私)、ローズ=おばあさん(母の母)、バート=おじいさん(母の父)、リボン=私(リボン←リンボ←川ブ(リン≒川、ボ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私)、ビビアン=ボンゴ=タップ=私[ただし、ビビアンはそばかすがあるから顔が平成天皇に似ている。]、ビビアン=私(ツインテールだから)、ボンゴ=皇太子、タップ=今上天皇h26.2.16訂正、ジート=私、マギー=おばさん(母の妹)[=『ハクション大魔王』のアクビちゃん]、ブラとノッポ=私(ブラ←ラブ←川ブ(ラ≒川、どちらも3画だから)←川野延夫←私、ノッポ←私が子供の頃母から「ノッポ」と呼ばれていた。)。
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「はなまほう」 コイツが主役だ。 タンバリンがいないと、マリーベルは 魔法が使えないもんねー。 |
ビビアンかっこいい。 アメリカ的なキャラクターがいかす! |
本人は絵よりもかわいい。 睫毛の長いところが グッと来る。 |
・マリーベルの変身シーンは、『1粒300メートル』で有名なグリコのキャラメルだ(レトロ)。(バターピーナツで『1日3粒のエネルギー』ってのもあったね。)魔法で服が変化しているのであって、裸になっているわけではない。マリーベルのいつもの服装は、前の赤い布地がWで、川野の“わ”[WA]を表している。
・タイトルの『マリーベル』のロゴは、“マリ”が川、“ベル”が延の字に見える。つまり、マリーベルの番組は、私制(私を神とする神制)に乗っかってやっているということである。
話数 | サブタイトル | 内容(元ネタ) | ||||
1 | こんにちは! 私マリーベル | ・2度目の歌のシーンに、当時私が住んでいた福岡市東区箱崎1丁目にある『帝大コーポ』に似ている外装が赤レンガの建物が出てくる(ただし、一階は焼き鳥屋『家康』)。[参考。2枚目のカラー写真の道路の左側に建っている赤レンガの建物が『帝大コーポ』。当時私は201号室に住んでいた。]![]() |
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2 | お隣さんは花嫌い | ・冒頭で鐘[かね]が鳴っているのに塔の中にある鐘の絵が動いていないのは、福岡市では時報を鳴らさないからである。私が子供の頃に住んでいた高知市では、毎日正午になるとお城の下のスピーカーでサイレンを鳴らしていた。 | ||||
3 | らく書き天国こんにちは | ・アルバムを見ると、幼稚園の頃の私は住宅の壁にクレヨンでグルグルの丸を描いて落書きばっかりしていた。引き戸も破いて穴だらけ。 ・トリの絵…私と小学6年生から中学1年生まで同級生だった北村真理[きたむらまり]さんが中学1年生のときに描いた鳥の絵(に似ている絵)が額に入れて飾られている。一見飛行機の絵に見えるが、右回りに90度回転すると鳥の絵に見える。
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4 | やっぱりケンはパパの子だ | ・ケン=私の弟。弟と私とは、一緒に高知市帯屋町の『日本一安い』花虫自転車店で5段変速の警戒自転車を買ってもらって、一緒に乗るのを練習した。 ・小学校の子ども会で、若草町の県営住宅の子供だけで、鏡ダムまでサイクリングに行ったことがある。(ムードがなんとなく似ていることは本放送時に気付いていた。)かっちゃん(浅野先輩の弟)が岩で滑って川にこけた。 |
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5 | サニーベルの思い出の木 | ・“めぐり合いの木”とは、高知の大杉のこと。昔、私と姪は一緒におじいさんの車(BlueBird)に乗って大杉の木を見に行ったことがある。それか、九大本学西門をちょっと入ったところに立っている銀杏の樹のこと。(イメージの重ね合わせ) ・ビビアンがアメをなめているのは、私が高校2年生の頃、『顔の悪い女の子3人組』がチュッパチャップスのCMをやっていたからだ!! ・姪は壁逆立ちをして考える癖があった。『頭に血が集まると頭の回転がよくなる』そうだ(叔母談)。薫的のおじいさん家で実演を見せてもらった。(私が小学3,4年生頃。姪は福岡に住んでいるので、年に1〜2回しか高知へ来ない。) ・姪は火であぶって弾けるポップコーンが大好きだそうだ。薫的のおじいさん家で美味しそうに食べていた。私にも食べさせてくれた。(私が小学3,4年ごろ) |
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6 | 50万年目のケンカ | ・姪は福岡に住んでいて、高知へ来ることがめったになく、したがって私と姪が会うこともめったにないので、けんかなんかしたことがない。 ・丸木橋は、祖谷[いや]のかずら橋のことだ。ただ、実際に行ったのは私と母の2人(+α?)で、弟は家の中ばかり居て行かなかった。ちょっとスリルがあって面白かったです。
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7 | 大好き!ジュリア! | ・ ・クレアは声が松井菜桜子[まついなおこ]だから私の親戚の智[さとい]おばさん(母の妹)だ。ジュリアはクレアの飼い犬だから、智おばさんの娘(次女)のともちゃんだ。智のおばさんが夏休みや冬休みに高知へ来たときいっしょに連れて来ていた。私は特にともちゃんが好きということはなかった。 ・タンバリン=私は昔から女の子に対するニヒルな見方をしていたらしい。 ・数学のフラクタル幾何学の分野にジュリア集合というのがある。 ・シャボン玉=朝倉の若草町の県営住宅23号にいたとき、庭でシャボン玉を飛ばしてよく遊んだものだ。 ・リボンの犬小屋がいいねぇ。 ・そもそも犬の恋愛ごとなぞ、おおよそ人間にとってはどうでもいいことだ。興味ない。 |
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8 | はばたけピッチー大空へ | ・ピッチーとは、母親が昔飼っていた十姉妹のこと(ハイジにも出てくる。ハイジ=母、クララ=私だから)。 ・アニメの通り、優しいがときには厳しい母だ。 |
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9 | 妖精たちの桜祭り | ・異次元への黒い穴=私が高校1年生の時、私が精神分裂病に罹[かか]る前に隣の席に座っていた尾立[おりゅう]君の頭の上に見えた黒い穴。 | ||||
10 | 妖精ハンター・ジート登場! | ・ジート「ジート28歳」=本放送時、私はちょうど28歳だった。(ジート=私) ・マリーベル「おーい」=私はマリーベルの甥である。 ・ゴマダラカミキリ=私が小学生の頃、若草町の県営住宅の西にある市営住宅の公園の木によくゴマダラカミキリがいた。捕まえると、首をギーギー振った。中平博文君とよく遊んだ。木の上に基地も作った。 ・田舎のトウモロコシ畑=私のおじいさんは土佐山村に山を持っていて、夏になるとそこの畑で採れた大きなトウモロコシ(30cmくらい)を家に持ってきてくれるのだった。それをお母さんが大きな鍋で茹でてくれて、みんなで食べた。コツは、まず一列横に食べてから、次に空いた溝に歯を入れて縦に回しながら食べていくのだ。 ・断っておくが、私は5才のときに妖精など見た憶えがない。普通の子と同じように、幼稚園に行っていた。 ・ハンミョウ=烏帽子山のテレビ塔の下の牧場には、よくハンミョウがいた。山道を歩いていると、よく自分の前を跳んでいくのだ。それで、別名“道教え”とも呼ばれている。 ・心霊写真=小学生の頃、私は心霊写真に興味を持っていた。中岡俊哉の『恐怖の心霊写真シリーズ』は全部買って持っていた。学校にも、みんなに見せるために持って行った。姪は、母親が厳しくて、おそらくそんなくだらない本は一冊も持っていなかっただろう。 ・ナスのお化け=私の母は、ナスの煮付けが得意料理だ。グチャグチャしていて、七味唐辛子をかけて食べると美味しい。 ・虫捕り=小学生4年生頃までは、よく近所の公園や空き地でセミやトンボやチョウやバッタを網で捕まえて遊んだ。 ・私が小学生の頃、近所の駄菓子屋(朝倉本町1丁目15の現在の福美屋[ふくみや]商店があるところ)でゴム風船を買って家の庭で膨らませて遊んだ。その駄菓子屋には、ピンボールを置いてあったが、私は不良っぽいのが嫌で遊ばなかった。その駄菓子屋では、よくおみくじを買って遊んだ。5等の甘納豆が欲しかったが、たいていハズレのラムネだった。10円のヨーグルトも売っていた。ゲゲゲの鬼太郎やサンダーバードのプラモデルも売っていた。リリアンも売っていた(→ちびまるこちゃん)。
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11 | マリーベルのCMコンテスト | ・インクの水鉄砲=子供の頃の私は、外で遊ぶことが多かったので黒く焼けていた。「インド人のく〜ろ〜んぼ」と母にからかわれた。それと、私は小学中学年の頃インクとペンでマンガを描いていた。 ・B-0:00〜0:03)ビビアン怖い。 ・私は毛虫や芋虫が大嫌いだ。 ・爆竹=高3の頃、私は北の家の咳払いがうるさかったので、爆竹を庭に投げてお見舞いした。そしたら、家の旦那が怒って私の家に文句を言いに来た。 ・馬=小学生の頃、みんなでピクニックがてらに朝倉の乗馬倶楽部に行ったことがある。私はポニーに乗りたかったが、料金が高いのと自信がないのでやめた。そこのトイレには当時(1975年ごろ)としては珍しいハンドドライヤーがあった。 ・ビビアン準優勝=私は総合評価でトップを取ったことがない。単科ではときどき1番を取ることがあったが。要するに、部分的に良くて、短所と長所のギャップが大きいのだ。 ・アリ=若草町の県営住宅の庭にはよくアリが行列を作っていた。家の中にも入ってきて、台所の棚の上に置いてあった砂糖の入れ物にアリが集[たか]ってお母さんが驚いていた。 |
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12 | フラワーハウスの大事件 | ・ひまわり=朝倉若草町の県営住宅23号の狭い庭にはひまわりが一輪植えてあった。夏には花が咲いた。イチジクの木も植えてあった。 | ||||
13 | 想い出のオモチャはど〜こ? | ・屋根裏部屋=私が小5のとき、遊園地近くの市営住宅に住んでいた安養寺一郎に誘われて安養寺一郎の別の下宿(国道56号線のそばの川沿いの若草町16にあったアパート)の屋根裏を探検した。長屋のアパートだったので、隣の部屋のお姉さんの寝姿がのぞける予定だったが、あいにく留守だった。 ・鉄道模型=私の家は貧しかったので、鉄道模型を買えなかった。私の友達の正岡淳[あつし]くんがトランスでスピードコントロールする高価な鉄道模型を持っていて、淳君の家で遊ばせてもらった。ほんとは、蒸気機関車ではなくて、キハ(気動車)だった。精巧にできていて、私が雑に触ると淳くんが怒った。 ・マーズじいさんの古道具屋=私が小学生の頃、よく薫的のおじいさん(母の父)の家に遊びに行ったが、2階に鉄の羽の扇風機が置いてあった。スイッチを入れるとカランカランと音がしてゆっくりと動いた。
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14 | ボンゴの母の日プレゼント |
・ボンゴのプレゼントが“赤いスポーツカーで世界一周”なのは、私が九大医学生の頃母の日に母へのプレゼントとして博多名物の辛子明太子を送ったからである。辛子明太子は赤いので赤いスポーツカーなのである。 ・Aパートの終わりのほうでポンゴのママが「そんなことしたら、あたしが店を出たとたんに“開店”休業になっちまうよ」と言っている。これは、開店を回転に掛けたわざとのまちがいで、回転は私が赤ちゃんの頃に私の母がガラガラが夜中の突然回っているのを見たことによっている。 |
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15 | ユーリに恋した王子さま | ・王子様=私(小4ぐらいのとき、夕飯の支度をしている母親の姿が輝いて見えたので、『母親以外の人は好きにならないぞ』と誓ったことがある。) | ||||
16 | うちのパパはゲーム作家 | ・タクローは以前ゲーム会社に勤めていた。←私が高知大学理学部数学科にいた頃、母が私に高知新聞で見た教育ソフトを作る会社のアルバイトを勧めたので面接を受けに行ったが、資料をもらって帰ったきりでその後お呼びがかからなかった。そのときの面接担当の人がホッグさんに似ている。 ・ショーウインドウの3体の人形=私は高校生のとき登山部に入っていた。インターハイでは県内2位の成績だったが、私は2軍でサポーターだった(気が楽)。 ・パソコン黎明期の頃(1980年代初期)、パソコンの雑誌を買って来ては家の中で独りプログラムリストを打ち込んでゲームをして遊んでいた。自分でプログラムを作ったりしたことはない。 |
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17 | ジートのわるだくみ | |||||
18 | ボンゴとタップの大航海!? | ・難破船=私が小学5〜6年生の頃、高知市朝倉にある神田川[こうだがわ]に架[か]かる石橋を自転車で通っていたとき、神田川で発泡スチロールで作った船に子供が二人乗って遊んでいて、こちらに手を振っていた。それから、私が小学4〜5年生の頃、南団地の南に住んでいる背が高い前田君と2〜3回鏡川で貸しボート屋でボートを借りて漕[こ]いで遊んだことがある。 ・タクロー「マギーさん美人だなあ」=小学3年生頃の私は、自分家を見に来た親戚のおばさんの美しさに一瞬見とれてしまった。父のたくさんの蔵書を見て「読書家ねえ」と言った。休みさえあれば、父は家で胡坐[あぐら]をかいて本を読んでいた。 |
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19 | キャンプは楽し! | ・高校時代、和田君の勧めでワンダーフォーゲル部(のち、女子がやめて登山部)に入って、四国の山(工石山、石鎚山、寒風山、西黒森、石立山、三嶺など)をあちこち登った。寒風山に登ったとき、私がヘバって道に座り込んでいたら、登山部の誰か(名前忘れた!)が私を見て「女みたいだ」と言ってバカにした。これが魔法少女のルーツ。(それ以前にも、小2のときに浅野先輩と一緒に登校しているとき、キャベツ畑の真ん中の畦道で、「女の子みたいだ」とバカにされた(詳細は忘れた)。これが魔女っ子のルーツ。(ただし、サリーとアッコは別。マコから後は私だったらしい。(全然見ていなかったけど。))) ・ビビアンのパンチラ=『マリーベル』では、ビビアンだけ盛んにパンチラがあるが、マリーベルやユーリのパンチラが1カットもない。それは、ビビアンが私で、私が小学1〜2年生の頃母親が私に裾丈[すそたけ]の短い半ズボンを履[は]かせていたので、しょっちゅうパンツ(ブリーフ)がズボンの口から見えていたからである。 ・ブドウ狩り=私が高校生の頃、母が「みんなでいっしょに巨峰園(南国市)へブドウ狩りに行こうか」と言ったが、言っただけでそれきりだった。その頃は妹もまだ小学生で、誰も自動車を持っていなかったからだ。 |
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20 | 友情の一輪車レース☆ | ・私は運動が苦手なので、一輪車には乗れない。ただ、朝倉第2小学校の運動具倉庫には、いつも一輪車が立てかけてあった。誰も乗ろうとしなかった。 ・ケリー=私、ケン=弟。小学生の頃、私と弟は、雨の降りそうな日、高知大丸へ400円のゴルフゲーム(今でも押入れの中にある)を自転車に乗って買いに行った。その帰りどしゃ降りになった。私は軽い気持ちで前を走っていた弟の自転車の後輪に私の自転車の前輪を引っ掛けたら、そのまま弟がこけてしまってビックリした。(ケガはしなかったが。)こういう悪ふざけが、子供の頃の私には多かった。 |
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21 | 星の国から来たポーラ | ・ポーラ=私。私の母がポーラ化粧品を使っていた。ポーラの“棒ずり”は、私が中3の頃やっていたオナニーの喩え。しかし、幻聴が聞えはじめて不快になったので、高1の頃にはほとんどやめてしまった。 ・タンバリンのゼリービーンズの大食い…小学低学年の頃の私はゼリービーンズのお菓子が大好きだった。カンテン系のお菓子なら何でもいけた(→ミルフィーユ・桜葉)。ゼリービーンズは、若草町の県営住宅の近くにあった山本商店で売っていた合成着色料コテコテの袋菓子。食べた後、口の周りに色が付いた。 ・「すごい、すごーい」=私が小学生の頃、おもちゃのミニカーの洗浄機がすごく面白くて欲しかった。『魔法のエンジェルスイートミント』のミントも「すごい、すごーい」と言っているのは、ポーラとミントが同一人物つまり私だからである。 ・ポーラ「子供じゃないわよ」=私は生まれつき怒りっぽい性格である。 ・ポーラが大熊座・小熊座や乙女座の悪口を言う。=私は子供の頃から、他人の悪口を言っていた。友達と遊ぶ時他人の陰口[かげぐち]をよく言っていた。 ・ポーラが星の国から落ちてきた。=医学部3回生のとき、私が高知に帰ったら両親が激しく咳払いをして私を虐待した(その原因は私が医学が嫌で気分が落ち込んでいたせい)ので、私は家から飛び出して福岡に帰ってしまった。それから弟の葬式の日まで、約10年間、私は高知へ帰らなかった。(母親や父親が福岡に住んでいる私に会いに来ることはあった。)私の妹は夏に生まれたので、妹の星座はさそり座である。当時妹は両親といっしょに住んでいた。だから、さそり座は私の実家の喩えである。 |
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22 | ケンの初めてのお使い | ・ケン=私の弟、ミキ=私(ギリギリキャラ、かろうじて私であることがうっすらわかる。顔が似ていないので、モアイ像で補っているのだ。)小さい頃、私は弟と一緒に、近所の山本商店にお使いに行くことが多かった。 | ||||
23 | 迷子の迷子の人魚姫 | ・人魚のリトル=私。私は生まれたとき、私は先天性股関節脱臼で脚が悪かった。母親が一生懸命に病院へ通ってマッサージ療法で治してくれて、2歳ごろにはよくなった。 ・椰子[やし]の実のスピーカー=島崎藤村[しまざきとうそん]の詩『椰子の実』。私が高校生の頃、国語の教科書に島崎藤村の詩が載っていて、私が気に入ったので、県庁前にあった日新館書店で旺文社文庫の藤村の詩集を買って読んだ。 |
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24 | またまたジートがやってきた | ・ジートが妖精を捕まえる。=私は子供の頃虫取りが好きだった。網[あみ]でセミやトンボをよく捕まえていた。 ・ジートがテレビに出る。=私が朝倉第二小学校の5年生の時、生徒会に立候補した浅野耕太[あさのこうた]君の応援演説で校内放送のテレビに出た。
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25 | ユーリといたずらイルカ | ・泥棒イルカ=私。私は小3の頃、友達に誘われて鴨部[かもべ]のスーパーで万引きをした。(今にして思えば、ネタ作りのためのヤラセ。)総額数百円程度だったが、親と一緒にスーパーに謝りに行ったときは辛かった。(これも、今を思えば、将来のための一種の教育。御丁寧なこった。)誘われると弱いのが、私の弱点だった。万引きについて詳しく言うと、私が小学3年生のとき、私と白石芳樹[よしき]君と正岡淳[あつし]君の3人組は、鴨部の3叉路にあった3つのスーパー(サニーマート、高知スーパー、農協)で放課後万引きをしていた。私は他の2人に誘われてやっただけであって、私が始めたわけじゃない。主に高知スーパーでボールペンや手帳を盗んでいた。5回ぐらいやったところで、そろそろやばいかなあと思っていた頃、万引きしているところを現行犯で高知スーパーの店員のおじさんに見つかってしまい、私と淳君はスーパーの東にある裏口から逃げ出したが、芳樹君は捕まってしまった。その日の晩、若草町の県営住宅に担任の川村先生がやって来て親に万引きのことを話した。親は「どうしてそんなことしたが!?」と私を叱った。翌日、私とは私の母はいっしょに高知スーパーに謝りに行った。子供のことだからと言って、店長は大目に見てくれたが、今度やったら警察に連れて行くぞとも言った。私は大粒の涙をぽろぽろ流しながら店の人に謝った。私が万引きしたのは全部で300円ぐらいだったが、淳君と芳樹君は3000円ぐらいだった。つまり、子供が万引きする動機は物が欲しいからではなく、万引き自体がゲームだからだ(→ルパン3世、ファンシーララ#1)。それ以来、私は2度と万引きをしたことがない。(ただ、福岡の箱崎ダイエー2階で、単4の乾電池2本パックを知らず知らずポケットに入れていたことがあった。家に帰ってから、ビックリした。たぶん他人が私のポケットに入れたのだろう。(→『ミンキーモモ(2作目)OVA旅立ちの駅』))あと、小4のとき、班の話し合いで南団地に住んでいた岡部君家[ち]に集まったとき、岡部君のお兄さんが使っている“カウンター”(交通動態調査などで使う、指でカチカチ押して数字の目盛りが上がる計測器具)を盗んだことがある。当時、私の家にはまだ電話が付いていなくて、夜遅くなってみんなが家に電話をかけるので、私も電話をかけている振りをした。 ・大ダコ=神武天皇(赤いのは太陽で、太陽は神武天皇の光の玉の喩えだから。タコは8本脚[あし]だが、8は八で、八は富士山の形で、富士山は日本一高い山だから、日本一上の者である神武天皇の喩えである。) |
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26 | いるかいないかフェニックス | ・フェニックス= |
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27 | マリーベルの絵本 | ・ジートが双眼鏡で他人の家をのぞく=私が中学3年生のとき、図画の宿題で近所の山の風景を描こうとして家の窓から双眼鏡で山を見ていたことがある。そのとき、近所の家をのぞいているのとまちがわれやしまいかと思った。 ・ジートがケンとユーリの家に忍び込む=私が中学1年生の時、小学6年生の時に借りて返さなかった『20世紀の謎』という本を返すために小学校の図書室に忍び込んだことがある。それと、私が中学2年生の頃、勉強のストレスがたまって夜中に2階の自分の部屋を抜け出して近所を裸でうろついていた時、玄関の塀[へい]をよじ登って2階の窓から帰っていた。 ・ジートが窓の扉を持って落ちる=私が小学2年生の頃、高知市朝倉の県営住宅の近くの農業用水路の水門(→窓の扉)の近くで遊んでいた時、私が水路を飛び越えようとして足を滑らして水の流れていない水路に仰向[あおむ]けにこけたことがある。 ・ブラとノッポのジープ=私が小学低学年の頃に持っていたミニカー。高知大丸の4階のオモチャ売り場で買った。 ・焼かれたマリーベルの本=朝倉の県営住宅にいたとき、私が好きな本『雨はどうしてふりますか?』を母親が私に黙って庭で焼こうとした(どうせヤラセ)。私は怒って止めたが、時すでに遅く、本の表紙が焼け焦げだった。汚いので捨てた。私の好きな本は少ししかなかったが、自分が好きな本は時間があるかぎり繰り返し徹底して読むので、好きな本は全部表紙と横が黒く汚れて、中のページが外れそうになってボロボロだった。(『魔法の妖精ペルシャ』とネタが共通している。) |
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28 | ビビアンと子猫のチャチャ | ・ビビアン=私。正直言って、私は動物が好きではない。服にも興味がない。 ・チャチャ=政府。昔、猫は人を騙[だま]す動物だと考えられたので、猫は政府の喩えである。 ・ビビアンとチャチャを乗せたかご=石灰岩を高知港へ運ぶためのケーブルカー。私が小学生の頃、高知市の南の山にあった。ときどき石を乗せて動いていた。私も乗ってみたいと思った(実際には乗らなかった)。私は佐川から来ていると思ったが、アニメを見て針木[はりぎ]から来ていることがわかった。 ・チップの山=高知市朝倉の針木の製材所に積まれていたチップの山。私が小学4年生の頃、そこへ山岡君とカブト虫捕りに行ったが、私がカブトムシがちっとも見つからないので退屈に思っていると、突然積んであった材木の山が崩れてきて山岡君の腕の骨が材木にはさまれて折れてしまった!それから山岡君は「痛い、痛い」と言って泣きながら自宅まで自転車で帰った。(→イタイイタイ病?その後山岡君は病院に入院して、私も一度見舞いに行ったが、今にしてみると妙に芝居臭い。山岡君は、顔が『美味しんぼ』の山岡士郎に似ている。) |
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29 | ゆうれい屋敷の古時計 | ・幽霊屋敷の探検=昔高知市朝倉の子鹿園の横の南角[かど]に古い小さい一軒家[いっけんや]の廃屋[はいおく]があった。みんなにオバケ屋敷と呼ばれていた。私が小学4年生の頃、みんなといっしょに中に入ってみたら、床[ゆか]に骨だけになった猫の屍骸[しがい]があった。床のあちこちに穴が開いていた。 ・古時計=朝倉の県営住宅のときの柱時計。ネジを巻くのが好きだった。 ・ジートの下手な鼻歌=私は歌が下手である。 ・落とし穴=私が小学4〜5年生の頃県営住宅の西にあった市営住宅に住んでいた中平博文[なかひらひろぶみ]君とよく遊んでいたが、市営団地の遊園地(児童公園)の砂場で落とし穴を作って遊んだ。 |
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30 | 迷いの森のビビアン | ・迷いの森=朝倉第2小学校の南にある小高い山(槇山[まきやま]、現在は土佐道路のバイパスが出来て山の真ん中が削られている。大人には小さく見えても、子供にとっては十分大きな山だった。)。私は方向感覚はいいほうだが、そこへ浅野先輩と一緒にどんぐり拾いに行ったとき、南か北かがわからなくなって1分間道に迷った。または、中2の修学旅行のオリエンテーションで私が班を指揮して進んでいて途中までは調子がよかったが、最後の最後に間違った方向にみんなを先導しようとした(山之上先生が待ち伏せしてあやしいと思ったから)。山見君が「そっちじゃないよ」と言って、行ってみたら山見君が正しかった。 ・私はバスに酔いやすいので、遠足のときバスの中でずっと寝ていた。そして、バスから降りるときよくゲロを吐いた。(→ドクター・ゲロ。とんねるずのギャグ?私はとんねるずがあまり好きじゃなかったので、高校時代私の代わりに柴田君が面白がっていた。浅野先輩にしろ、正岡君にしろ、前田君にしろ、西森君にしろ、和田君にしろ、…、私の友達はみんな信者の友達であって、本当の友達ではなかった。私は他人に誘われて友達になるほうで、けっして自分から友達をつくろうとはしなかった。一人でいても寂しいと思ったことがない。) ・高校の登山部のとき、食虫植物モウセンゴケの生息地を通ったことがある。湿地帯に生えていた。水場が近くにあったので、そこで休憩した。 ・ラフレシアは牧野植物園の熱帯温室にあった(かな?)。 ・モーリーの頭の葉っぱが虫に食われているのは、私が1964年生まれで、1964→6491→虫食いだからである。モーリーは私である。 |
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31 | フラワードアで大混乱 | ・ジートの大汗=私は汗かきだ。私の母も汗かきだ。 ・フラワードアのスロットマシン=私が小学3〜4年生の頃、私の弟がスロットマシンのオモチャを持っていた。 ・ビビアンがはたきを掛けているのは、私が子供の頃に家の仏壇に飾ってある黄銅製(真ちゅう製)の葡萄[ぶどう]。だから、色が黄土色[おうどいろ]をしている。たまには、掃除も手伝った。 |
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32 | テーブルランプを取り返せ | ・マーズさんの古道具屋とは、薫的[くんてき]のおじいさん(母の父)の家のことである。私の母は薫的のおばあさん(母の母)から大きなお皿を借りていたことがある。だから、テーブルランプは大きなお皿の喩えである。皿は白くて丸くて神武天皇の光の玉の喩えだから、私が現れて政府は神武天皇の神制度をやめて私の神制度をやるようになったから、私が皿を割ったことに喩えて、さらにそれを男の子(ボビー)がテーブルランプを割ったことに喩えたのである。だから、ボビーは私ではなく、日本神道の信者である。 ・マーズさんの椅子=私が小学生の頃、薫的のおばあさんが電動肩もみ機を使っていた。 |
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33 | マリーベルのパパとママ | ・ママベル=私、パパベル=まんが(実在感がない)。私は小さい頃から母親の料理を手伝ってきたので、料理のセンスがいい。(福岡に居た頃までは自炊していた。ただし、最近はスーパーで食べれるネタが手に入らないので、作ったためしがない。) ・パパベルの魔法で、ビルの中階が消える魔法の元ネタは、私が高知学芸中学2年生のとき、高知市万々に住む森本君(自称馬面)の持っているガソリンエンジンのラジコンカーでときどき遊ばせてもらっていたが(→スイートミント第32話「ごめんねワッフル」参照)、森本君の家に遊びに行ったとき、森本君の家は肉屋さん(『森本精肉店』。当時はテレビで宣伝もやっていた。)で3階建てのビルだったが、1階が肉屋の店で3階が家族の自宅で、2階が中空で卓球台だけ置かれていた。1階の肉屋の店の前には大阪名物食い倒れ人形が置かれていた。 |
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34 | お菓子の家とおかしな二人 | ・珍しいマリーベルのパンチラ=このシーンでは私がマリーベルだ。私が小さい頃すべり山(高知城の北の斜面)でそり遊びをしていた子供を見たことがある。私が小学生の頃はよく外で遊んで日に焼けていたので、それでマリーベルの鼻が黒いのである。 ・天井[てんじょう]のドア=私が小学5年生の頃、市営住宅に住んでいる私よりも1年上の安養寺一郎[あんようじいちろう]の下宿へ行って、屋根裏を探検したことがある。隣の人の部屋をのぞいたが、さすがに入るまではしなかった。 ・タクローとレミが夜中に丘の上にあるマリーベルの家に行く=私が九州大学医学部教養部1回生の頃、ゴールデンウイークに私と和田高明[わだたかあき]君と吉村隆博[よしむらたかひろ]君の3人で英彦山に登った時、最初の日の夜に突然和田君と吉村君が山に登ろうと言い出して私も付き合ったが、結局暗くて道がわからなくなって引き返した。 |
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35 | 子供になったローズさん | ・ローズさんとバートさんが隣同士=薫的[くんてき]のおじいさんの家では、おばあさんの部屋とおじいさんの部屋が1階で隣だった。 ・飛行機の回旋塔は、昔グランド前のこどもの国にあった。小さなジェットコースターもあった。 ・時計塔の影絵=私が中学生の頃に鏡川祭りのときに見た走馬灯[そうまとう]。高知城の近くには正午を知らせるサイレンのスピーカーがあった。私が小学5〜6年生の頃、学校の社会科見学で県庁前にある消防署の高い塔に昇ったことがある。 ・バートさん「くだらん」=私が小学1〜2年生のころ、薫的のおじいさんの家に遊びに行った時、おじいさんが私に『冒険王』のマンガ雑誌を買ってくれた。そのときおじいさんが私に「冒険王以外のマンガ雑誌はくだらんから読んだらいかんぞね」と言った。しかし私は『21エモン』のゴンスケの眼のバッテン(+)が恐くてそれきり冒険王は読まなかった。 |
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36 | マリーベルの月世界旅行 | ・月の王様=私。高校生のとき分裂病で気が狂っていた私は、自分の悪口を言う近所の家めがけて、使えなくなった古乾電池を投げつけた。窓ガラスや街灯がかなり割れたが、なぜか警察沙汰[ざた]になることはなかった。私が月の王様なのは、月は夜中に地球のまわりをグルグル回るが、私が赤ちゃんの頃に夜中に突然私の上に吊[つ]っていたガラガラが回ったからである。 ・じゅうたんを見に立ち寄った店は、高知の日曜市の南側にある店。 ・月のお妃様=岩原さん(顔ははっきり憶えている。)小5の頃、私とちょっと口げんかしたことがあった。月の王様=私。 ・タップ「もう檻[おり]の中はコリゴリ」=私が九州大学医学部付属病院精神神経科で研修医をしている時、ときどき閉鎖病棟の檻の中に入った。 |
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37 | ケンと2本角のユニコーン | ・モールが2本角になったのは、モールが鬼だからである。私は子供の頃から母からお兄さんと呼ばれていた。私が医学生の頃、川本竜彦君が胃酸が出にくくて胃下垂になっていた。お兄さんー胃酸=鬼。だから、モールは私である。私は子供の頃から怒りやすくて人嫌いである。 ・ケンが落ちた地割れは、じつは朝倉うぐるす山の北斜面の崖だ。崖を登ろうとして足を踏み外した弟は、哀れにもそのままの格好でズルズル下まで滑り落ちて手足前半分が擦り傷だらけだった。 |
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38 | タンバリンがつかまった! | ・タンバリン=私が若草幼稚園にいた頃、タンバリンでお遊戯をした。私は音楽に興味がないので、楽器はあまり好きじゃない。タンバリン→『聖戦士ダンバイン』。 ・ビビアンが投げた青い銀色のボール=私が小学4〜5年ぐらいの時弟と喧嘩[けんか]した時に弟に投げつけた直径25mmぐらいの鉄球。本来は遊園地でビー玉をするために使っていたが、私がカッと来て弟に全力で投げつけた。弟はとっさに身を下にかわしたので、後ろの窓ガラスに当たってガラスが砕けた。 ・ビビアン「あたいの水には、ビタミンCやカルシウムが混ぜているのよ。」=私は学生時代から今日まで(約20年間)毎日アリナミンA25とポポンSを1錠ずつ飲んでいる。 ・ジートの女装=私が小学4年生の頃、母親の目を盗んで母親の口紅をつけたことがある(→リップスティック)。それから、私が医学生の頃、高知で帰省コンパがあったとき、高橋啓文君や川本竜彦君に付いてゲイバーに行ってドレスを見たが、私は雰囲気が嫌だったのですぐに出た。 ・リボンの大好物のキャットフード=たしかに小学生の頃の私は、ねこまんま(ご飯に鰹節と醤油をかけて食べる)が好きだった。 ・トウモロコシ畑=私のおじいさんは土佐山村に畑を持っていて自分で野菜やキビ(トウモロコシ)を育てていた。毎年夏には私の家に大きなキュウリやキビを持ってきてくれていた。『トウモロコシの妖精』って、なんか強引(笑)。 ・ジーコのベルトのスマイルバッチ=私が小3〜5年生ぐらいまで付き合っていた正岡淳之(あつし)君は、スマイルバッチを持っていて私に見せてくれた。アメリカンクラッカーも。鉄道模型も。(私の家はそんな物を買う余裕がなかった。)少年ジャンプも読ませてくれた。 ・ジートが網[あみ]で妖精を捕まえる=私が高校2〜3年生のとき、西森年彦君といっしょに鏡川の新月橋の近くで網[あみ]を投げて鮎[あゆ]を捕まえようとした(が、1匹も採れなかった)。鮎→川魚→魚→フィッシュ→フェアリー→妖精。 ・シェルボー教授がタンバリンを解剖して人間との違いを比較する=九州大学医学部解剖学第2教室の永井教授が、頭蓋骨を比較して原始人の研究をしていた。[永井教授→永井→永→水に点→川と天→川野と天皇。] |
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39 | タンバリン救出大作戦! | ・第‘39’話ってとこが大事なんだよ。[私は昭和39年1月22日の生まれである。] ・タンバリンのスイカの早食い=私はスイカが好物である。でも、早食いはしない。(→ドリフのコント) ・ジートの名前が永遠に本に残る=私が中学3年生の頃、和田高明[わだたかあき]君が「歴史の教科書に名前が残るような人になりたいね」と言った。私はそんなことはどうでもいい。 ・ジートが警備員に体当たりをする=私が小学2年生の時、友達の粘土の工作を馬鹿にした同じクラスの不良の赤ら顔のデブに体当たりして喧嘩[けんか]したことがある。私は痩[や]せっぽちで軽かったので、逆に私のほうがはね返された。 |
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40 | コスモスの妖精を捜して | ・ミリィちゃん= |
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41 | がんばれ!愛のキューピット | ・マギーさんの本名は、マギー・エーデルワイスだそうだ。 ブルーノ= ・ジート「マギーさん、まるで妖精みたいだ」=私が小学3〜4年生の頃、親戚のおばさん(母の妹)が私の住んでいる住宅に来たことがあったが、玄関で親戚のおばさんの横顔を見た私は綺麗だと思った。 ・ジートのターザン=私が医学生の頃、夏休みに帰省したとき高校の時の同級生といっしょに鏡川の上流の宋安寺[そうあんじ]に行ったとき、中学生ぐらいの男の子が木に縄[なわ]を掛[か]けてターザンの真似をして川に飛び込んでいた。 ・ジートとマギーさんがラブラブ=嘘。銀杏[いちょう]の葉は、八の字の形をしていて八は日本一高い富士山の形をしているから日本一偉い(偉かった)神武天皇を表している。ところで、神武天皇の神制度は、神武天皇が架空の人物だから、要するに嘘である。ジート(私)とマギーさん(親戚のおばさん)が互いに愛し合っているのは嘘だから、銀杏の葉っぱを散[ち]らしているのだ。『魔法のステージファンシーララ』の第8話「チビ猫リルと魔法のひみつ」でも、ララが子猫を好きになるシーンで銀杏の葉っぱを散らしているのは、私(ララ)が本当は猫が好きではないからである。 |
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42 | 誘拐されたビビアン!? | ・教育評論家のルーシーさん=言わずと知れた陽明王キャラ(つまり、私)。ルーシーは、私が中1のとき朝倉中学校やみその学舎で使っていた英語の教科書「ニュープリンスイングリッシュコース」に出てくる女の子の名前。エルフェンリートにも出てくる。ちなみに、高知学芸中学校では、「トータルイングリッシュ」を使っていました。 ・豊岡の但馬空港を見に行ったとき、ヘリコプターが飛び立つのを見たことがある。 ・私は高知学芸中学校3年生のとき学力テストの数学で3回連続100点を取ったことがある。 ・今回は、全体的に天皇の話だ。ビビアンがお金持ちで、パパとママが仕事でいそがしくほとんど会ったことがないのは、天皇の話のパターンだ。ビビアンのママの教育評論家のルーシーさんの髪型が丸っこいのは神武天皇の光の玉の喩えだし、ビビアンのパパはリアルで神武天皇みたいだ。『100』の意味は、天皇家が100代目から後は下り坂だからだろう。ビビアンがカエルの着ぐるみを着ているのは、普段のビビアンが私だが、今回は天皇に“変える”ためだろう。 |
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43 | 雪の降る日の願いごと | ・雪の妖精ス‘ノーン’=私、ケン=私の弟、ユーリ=私の母。私と弟は仲が悪かった。おまけに私はお母さんの前でいつもいい子でいたので、いつも弟が悪い子にされた(弟は白血病で死んだ)。白黒テレビのUチャンネルを回しすぎて壊したのも、薫的のおばあさんの腕時計のリューズを回しすぎて中のネジを切らして壊したのも、私がウソを付いて弟のせいにしたけれど、本当は私がやりました。 ・南国高知だって、10年に1度は雪が降ることがある。 ・マリーベルよりもスノーンの魔法が強いのは、スノーンが私で私が政府に神とされているからである。第30話の森の妖精モーリーや第37話の2本角のユニコーンのモールがマリーベルよりも魔法が強かったのも、同じ理由である。 |
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44 | トゲトゲ草パニック | ・トゲトゲ草=玉ねぎ(福岡で本放送のときは“ぷよぷよ”ぽかった。サブタイトルは『ポヨヨンがいっぱい』だったかな?マリーベルはほとんど全話見たが、憶えているのはこの回だけ。ポヨヨンが無限に増殖するのが面白かった。あと、ユーリがなんとなくお母さん似なことにも気付いていた(理由は考えなかったけど)。当時は14型テレビしか持っていなくて、絵の細かい所が見えなくて自分が出ているなんて気付かなかったよ。テレビがモノラルだったんで、当時のアニメはほとんどモノラル。)。私は玉ねぎが好きだが、マリーベル(姪)は嫌いだと聞いたことがある。私が嫌いなのはニンジンだ。最近は、アクを取っていないかぼちゃも嫌いだ。 ・水に濡[ぬ]れるとトゲトゲ草が増える=水は水→川→川野→私のことで、トゲトゲ草はトゲトゲ草→玉ねぎ→丸くて白くて光る→神武天皇の光の玉→天皇のことである。あるいは、トゲトゲ草→トゲ草→川ブ草(“ゲ”の左斜め線を“ト”に移すと、“ト”が“川”になり、“ゲ”が“ブ”になる)→川野延夫[かわののぶお]93→昭和39年生まれの川野延夫→私である。だから、水に濡れるとトゲトゲ草が増えるのは、日本政府が私の神制度をやったり、私の神制度に便乗[びんじょう]して神武天皇の神制度をやったりして、国民にトゲトゲした命令を出して虐[いじ]めて痛い目に会わせていることを表している。 ・“フラワークリーナー”は薫的のおばあさんが使っていた掃除機だ。メーターが同じだからだ。本物の掃除機のは、たしか吸引力を表すのだったと思う。 |
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45 | 不思議の国のマリーベル | ・クリス= ・壷→壷好きマ・クベ…壷とは、私が朝倉中学校の1年生の図工の時間に描いた壷のデザイン画のこと。授業中に職員室に呼び出されて、お母さんの前で反省の涙を流した後で授業に戻って絵を描いたので、『史上最悪の出来』になってしまった。自動販売機で売っている290mlの壷型のボトルと同じ形だ。 ・モリリンの穴掘り=私は平安京エイリアンやロードランナー(高1の春にはジョギングもやっていた)が好きでした。だから、モリリンは私のことである。モーリーとかモールとかモリリンなどのモリとは、北杜夫の“モリ”であり、私が医学部出で、高知で浪人中に『孤島の医師』という原稿用紙2枚の短い小説を川本竜彦君に送ったことがあるからである。 ・クリスは子供だった。=クリスはキリストの喩えである。『デ・ジ・キャラットにょ』の華麗田さんも子供である。華麗田さんもキリストの喩えである。 |
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46 | ジジベルサンタの大騒動 | ・ミッチー=脚がナマナマ。これが ・ジジベルの手の甲の猫の引っかき傷=私の姓の川野の“川”を表している。『スタートレック(宇宙大作戦)』第7話「二人のカーク」のニセ者のカーク船長の頬[ほほ]の傷も同じである。 ・1964年(昭和39年)は私の生まれた年。 ・どうしてクリスマスプレゼントの袋にジジベルのパンツが入っていたのか?←私は学生の頃から自分の下着をゴミ袋に入れてしまっている。 |
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47 | がんばれ!タンバリン | ・ピッチーは若草町の県営住宅で飼っていた十姉妹[じゅうしまつ]のことだが、他にセキセイインコ(名前忘れた)も飼っていて鳥籠から逃げたインコがしばらくしてから自然に帰ってきて母が驚いたことがある。(本編とは無関係) ・タンバリンが鳥のエサを食べる=私は子供の頃高知市の中央公園で売っていたハトのエサを食べたことがある。医学生の頃、福岡市の東公園で売っていたハトのエサを食べたこともある。 ・ピッチーの夫[おっと]がタカに襲われる。=ピッチーとは私のことである。第8話でピッチーが傷付いていたのは、私が生まれた時、斜頚で股関節脱臼だったことを表している。ピッチーの夫もまた私である。タカに襲われた傷は私が高校1年生の時に罹[かか]った精神分裂病の喩[たと]えである。ピッチーの家族の渡りが遅れているのは、私が分裂病のせいでその後の人生がうまく行かず医学部に行ったことが無駄になって物理学科に入りなおして人生が遅れたことを表している。 ・ニチイのゲームセンターでパックマンで遊んだことがある。西森君は上手かったが私は下手であまりおもしろくなかった。(私が遊べるゲームは『平安京エイリアン』だけ。) ・高校の山岳部のとき、12月下旬に四国カルストの天狗高原で雪山合宿をしたことがある。30cmほど雪が積もっていた。私は3シーズン用のドーム型テントしか持っていなくて、それでも雪の中に張って我慢して寝たんだが(寒さでほとんど眠れなかったが)、朝起きると和田君の髭[ひげ]が凍っていた(笑)。先生がたは、隣の旅館で暖かく眠りに就かれた。旅館には与作ゲーム(カラスがでっかいウンコするやつ)が置いてあって、私と和田君とでフィーバーした。 |
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48 | サニーベルの一大事 |
・聖なる樹の声が、天才バカボンのパパの声だ(富田耕生←私が赤ちゃんの頃、首と脚が悪かったので、高知市升形の富田小児科(厚生施設)でマッサージ療法を受けた。)。バカボンのパパは私だから、聖なる樹も私なのだ。[バカボン→カバボン→カワボ→『カワブ』(基本形)→川ブ→川野延夫[かわののぶお]→私。]聖なる樹がキノコのような形をしているのは、キノコ→川ノコ(キ→川)→川ノフ(コ→フ)→川野延夫だからである。日立のこの木気になる気になる木♪の木もキノコに似ているから私の喩えだ。聖なる樹の顔がマジンガーZに似ているのは、マジンガーZが私だからである。マジンガーZ→魔人が2→神がツー→神が川ノ→神が川野。『マジンガーZ』が超人気があったのも、神制度のためである。つまり、政府が視聴率を操作したためである。マリーベルの魔法が聖なる樹に通じなかったのは、聖なる樹が政府が神としている私だからである。聖なる樹の枝がムチのように動くのは、私が小学6年生の時、休み時間に外[そと]で“ムチムッチ遊び”をしていたからである。“ムチムッチ遊び”とは、毛糸のセーターの腕の先を結んで玉にして、セーターを腕を通さずに着て、身体を左右に回すことによって遠心力で腕の先の玉を相手の顔や身体にぶつける遊びである。私自身が開発した遊びである。 |
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49 | マリーベルと聖なる樹 | ・暴れまわる聖なる樹=聖なる樹は私つまり、私の神制度のことである。政府は私の神制度で日本や世界を滅茶苦茶にしたいのだ。そうやって政府が国民を苦しめれば苦しめるほど政府の権力が増すからである。 ・戦車=私が2才3ヶ月ごろ高知であった南国博覧会で自衛隊の戦車を見た(アメリカ制丸出し)。 |
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50 | 夢をあなたに | ・シェルボー教授=教授とオールバックが入ちゅうろう。(九大精神科の田代教授)
・マリーベルとシェルボー教授の聖なる樹なでなでに感動(なんてきれいな絵なんだ)。 ・私は最終3話が眠くならずに見れたから、自分がマリーベルの玄人[くろうと]だと思う。つまり、最終3話で言いたいことは、 |
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映像特典 | マリーベルの交通安全 | ・車をライトが運転していたのは、ライトが赤い服を着ているから神武天皇で、車がカー←かわ←川野だから私で、神武天皇が私の前の神であることと、ライトが政治家の喩えで、政府が私の神制度を行っているからである。 | ||||
映像特典 | マリーベルの火の用心 グラッと来たらどうする |
・マリーベルの魔法で自動車が空に上がるのは、私の姓が川野で川野→かわの→かーの→カー→車だから、政府が私を人間よりも上の者である神としていることを表している。 ・タイトルの『グラッと来たらどうする』のグラッとは、グラッ→グツ→ノブ川→川ノブ→川野延夫→私だからである。 |
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映像特典 | フェニックスの鍵 | ・歌と音響がステレオなだけで、肝心の絵は生気がなくてTVよりも下手。(絵が上手い人はTVの仕事をしているのだろう。)上手いと思ったら、TVのバンクだ。(小学生のとき、隣に住んでいた浅野先輩と時々『バンカース』をして遊んだ。)デ・ジ・キャラットの『星の旅』も、つかみが上手いだけで、あとの大方はダラダラ。 ・フェニックスのトートーは当時30代に入りかけていた私のイヤミ。鍵は、当時住んでいた帝大コーポ201号室の鍵を落として学生証を見せて1万円で合鍵を作ってもらったことから。 ・フェニックスのトートーは第26話では私である。だから、フェニックスとは私つまり政府がやっている私の神制度のことである。フェニックスは神制度のことだから、フェニックスの鍵とは神の資格のことである。私は名前が川野延夫で、川野延夫→水が伸びた(川→水)→雫[しずく]→雨粒[あめつぶ]だから、雨粒は“空の高いところにある”から駄洒落[だじゃれ]で“人間よりも上の者”つまり神なのである。つまり、私には神の資格がある。ジートは私だから、ジートはフェニックスの鍵を持っていたが、ケン(私の弟)とユーリ(私の母)はフェニックスの鍵を持っていなかったのである。神制度は、「世界を生物の住みやすい環境に変える」ことではなく、実際には『政府が自分の権力(命令力)を強めるために国民に国民を不幸にする命令を出して、この世を悪魔の世界に変える』ことなのである。神は空想の世界の作り事なので、フェニックスは花魔法界にいたのである。しかし、政府は神制度を現実世界でやっているのである。 ・ジートがフラワーハウスの煙突の中に隠れている=私が小学5年生の頃、浅野耕太[あさのこうた]君と浅野克也[あさのかつや]君と高知市朝倉荒倉[あらくら]の南海ゴルフ場に行ったとき、私と耕太君がゴルフ場の下の土管に入って、“中に死体があって私が気が狂った”ふりをして私が奇声を発して外にいる浅野克也君を脅[おど]かしたことがある。克也君は本気にしてゴルフ場まで走って行ってゴルフ場の管理人を呼んできた。 |